「はぁ……」
「アクア。今、有馬さんのことを考えてたでしょう」
「まぁな……痛っ!」
「私を侍らせておいて、他の女のことを考えているなんて――貴方も随分と偉くなったものね」
「すまない、ミヤコ。だがこれは、俺たちの未来に関わることなんだぞ」
「言い訳しないで」
「……はい」
「本当に悪いと思ってる?」
「思ってるよ。でも――」
「でも? 何かしら? 言ってみなさい」
「……何でもありません」
「ふぅん……」
「……」
「……いつか、こうなるかもしれないって思ってたわ。あの時から」
「あの時?」
「貴方とルビーが陽東を受験した日、アクアが有馬さんを家に連れてきた日よ」
「最初からだろ、それ」
「ええ。アクアったら、有馬さんと他の女の子で明らかに扱いが違うもの。それに、貴方がこの家に誰かを連れてくるなんて、私の知る限り初めてのことよ」
「そうだったか?」
「そうよ。……ねぇ、アクア。貴方と付き合う前だったら、有馬さんと貴方のことを素直に応援してあげられたと思うわ。復讐に囚われていた貴方に彼女を作るよう勧めていたのも、恋愛をすることで貴方の復讐心も少しずつ薄れていくと考えたからよ。
でも結局、私が復讐に決着を着けてしまった。貴方の愛も憎しみも、私に集めた。アクアのことを、愛してしまったから」
「ミヤコ……」
「そのことを後悔はしていないわ。でも……今は、怖い。貴方が、私の手の届かない場所に行ってしまうことが」
「俺はここに居る。ミヤコを置いていったりしない」
「わかってるわ。でも、私たちの関係を応援してくれるのはルビーと天河さんくらいのものよ。これ以上世間に広まってしまえば、面白半分で囃し立てられ、叩かれ、私たちは引き裂かれる。糾弾される。――ひいては、貴方の未来を閉ざしてしまう」
「そんな、ことは……」
「あるのよ。私たちの関係は元より、そういうものよ」
「……ミヤコ。もし、もしもの話だけどさ、」
「……?」
「全部を捨てて、逃げようって言ったら――ついてきてくれるか?」
「……それって、駆け落ちって意味かしら」
「そうだ」
「それも、いいかもね……。貴方が本気で望むのなら、どこへでもついていくわ。でも――」
「でも?」
「ルビーのことは、どうするの?」
「……やっぱり、そこだよな」
「……」
「……」
「実はね、アクア」
「どうした?」
「神木さんは、こういう事態を見越していたの。
――もしお二人が逃避行されるのであれば、苺プロ所属のタレントは全員こちらで面倒を見させて貰います、特に、星野ルビーさんに関しては学費や生活費、養育費等の諸々はこちらで全て負担しますとお声を頂いているわ」
「はぁっ!?」
「だからお二人の好きなようになさって下さい、ですって。――どう思う?」
「俺たちやルビーにかこつけて、ぴえヨンさんを引き込みたいんじゃないのか? あの人の知名度なら、フリーになった方が稼げそうだが……」
「そうかもしれないわね。まあ、選択肢の一つとして考えておいて」
「全く……」
「それで、どうするの? 貴方が本気なら私は従うまでよ。ずっと俺の傍に居ろ、死ぬまで俺に尽くせってプロポーズされたんだもの」
「もうその話は勘弁してくれ……」
☆
――家族会議の翌日、昼前。
『アクアってば、意外と亭主関白だったのね』
『どういうことだ?』
『ずっと俺の傍に居ろ、死ぬまで俺に尽くせって、昨日言ったじゃない』
『おいちょっと待て。「俺とルビーに尽くせ」って言ったんだぞ』
『似たようなものよ。――あんな台詞はね、女の人生に責任を持つ覚悟が無ければ言えない
正直、凄く……嬉しかった。壱護ですら、あんなに強引には愛してはくれなかったから』
『斉藤壱護のことは言うな。神木ヒカルと入れ替わって、俺の中で嫌いな人間ダントツでトップだぞ、あいつは』
『嫉妬した?』
『……ああ、忌々しいことにな。何で――あいつより先に俺たちは出会わなかったんだろうって、心の何処かで考えてしまう』
『……そうよね。私が壱護と結婚して斉藤ミヤコになっていなければ、そもそもアクアと出会うことは無かったのにね』
『ああ……』
『……』
『……』
『期待……してるから』
『ミヤコ?』
『私が一番辛い時に傍に居てくれたのは――貴方よ、アクア。凄く、凄く……助けられた。嬉しかった。いつだって、貴方は私の支えだった。これからも、ずっと……そうして欲しい』
『ミヤコ……』
『どの口が言うんだって、判ってる。でも、待ってるから。貴方が私を、「斉藤」ではなく「星野」にしてくれる時を――』
『……まだ、2年以上はかかりそうだけどな』
『ふふ、そうね……』
それは、初夜での事後の
☆
「ミヤコと付き合い始める前に、考えたことがある。有馬のことは好ましい人物だと思っているし、復讐さえなければ付き合ってみるのも吝かではない、ってな」
「……そうなんだ。そうなんだぁ……」
「拗ねるなよ。俺とミヤコが付き合い始める前って言っただろ」
「判ってるわよ。……続けて」
「贔屓目無しで、有馬のことは可愛いと思う。何よりも、あいつと接していると復讐のことを忘れられた。気が楽になった。俺の原点を思い出させてくれた。アイが、この「
ここが、新たな分水領。
今こそが、
この先進めば、もう二度と後戻りできない場所や状況。
約1ヶ月前。家族会議とその翌日で、星野アクアは斉藤ミヤコと共に、その境界を踏み越えた。義理の母子、上司と部下という垣根を越えて、世に許されない関係へと足を踏み入れたのだ。
そして今まさに、有馬かなという新しい要素が加わって、更なる境界線が待ち受けている。
有馬かなの気持ちを放置して、いつ爆発するか判らない状態で戦々恐々と過ごすのか。
今まで積み上げたもの全てを置き去りにして、爆弾から逃げて遠い新天地に赴くのか。
「ポーカーは
「現実はポーカーじゃないわよ」
「毒食わば皿まで。あいつの存在が俺たちの前に立ち塞がるなら、俺は有馬かなを飲み込んで前に進むよ」
「格好良いこと言ってるけどそれって結局、あの子を口説いて私と二股かけるって意味よね?」
「……そういうことになる。それにミヤコが言ってたじゃないか、有馬と俺の関係を認めるって」
「私たちが付き合い始める前の発言だけどね」
「今は違うのか?」
「……本当は、私だけを見て欲しい。でも、それが叶わないことは判ってるつもりよ。だから止めないけどその代わり、条件があるわ」
「何だよ」
「私を、一番に愛して頂戴。それさえ約束してくれれば、愛人について煩いことは言わないから」
「約束する。俺にとって、ミヤコが一番の女だよ」
「……ありがと、アクア」
そうして、寄り添っていた二人はさらに顔を寄せ、口付けを交わした。
二人だけの関係で居られる時間は、そう長くは残されていないだろうと予感しながら。
「それとね、アクア。……貴方にプレゼントがあるの」
「何だ、よ……」
やや細められた双眸。
しっとりとした微笑み。
彼女の下腹部に、優しく添えられた手。
「えっと……ミヤコ、さん……?」
「何かしら?」
「まさかとは思うんだが、その……」
「なぁに?」
この1ヶ月、アクアは避妊具を着けていない。情欲の滾るまま、己の全てを彼女の胎内に吐き出していた。
「アクアにアイと同じ轍を踏ませるわけにいかない」為に薬を飲んでいると聞かされており、それを疑うことなく信じ込んでいたのだ。
「薬、飲んでたんだよな……?」
「ええ。でも、100%の避妊なんて無いのよ」
「マジで……?」
「だったら、どうするのかしら?」
「……ちゃんと、責任は取るよ。ミヤコとはいずれ、そうなりたいと思ってたから」
「それを聞いて安心したわ。なら、そのいずれを楽しみにしておくわね」
「……は?」
「私の生理なら、ちょうど始まったところよ。暫くはお預けになるけど、そこは我慢して頂戴ね」
「……えっと、子どもは……?」
「言ったでしょう? 貴方が成人するまで子どもは我慢しなさいって。何を勘違いしているのかしらね、この子は」
「そ、そうか……」
少年の全身から力が抜け、背筋が椅子の背からずるずると滑り落ちていく。もしかしたら、アイがアクアとルビーを身篭った時、神木ヒカルもこういう気持ちを味わっていたのだろうか。
その様子を見て斉藤ミヤコは満足気にころころと笑い、やがて四角い箱を差し出してきた。
「はい、プレゼント。かなさんみたいな若い子だと、薬は身体に負担が大きいから、ちゃんと貴方が着けてあげるのよ」
「……判ったよ」
避妊用ゴムの詰め合わせ。それも業務用1グロス(144個)。そんなに使わねえよ、と思ったのだが――。
「この1ヶ月で貴方、私の
「何の勝負だよ……」
「もう二股については反対しないけど、私より先にかなさんを妊娠させたら許さないわよ、アクア。上司としても、母親としても、女としてもね」
「そんなに俺って信用ないのか?」
「貴方の心は信用しているわ。でも、貴方の下半身はまるで信用出来ないわね」
「理解があって泣けてくるな……」
どこまでも少年に従順な彼女は、時として少年を容易く尻に敷く強かさを見せる。
斉藤ミヤコは、ずっとずっと星野アクアを助けてくれた、世界で一番大切な人だから。
今度は、今度こそは。この人は、この
そう決意を新たにする金紗の少年に対し、女は唇の端を僅かに吊り上げて、
「――もう一つ、プレゼントがあるの」
すみません。重曹ちゃんの話を書くつもりが、ミヤコの回になりました。
ともあれ、仕込みは終わったのでようやく告白に移れそうです。