有馬かなが部屋を出て行ってから1時間後。とうに清めのシャワーを終え、今は自室のクローゼットの前であれこれと悩んでいる頃合いか。きっと、「どういう服がアイツの好み!?」などと散々迷っているのだろう。
読書の片手間、天河メノウ/姫川愛梨は思考を巡らせる。星野アクアのこと、斉藤ミヤコのこと、有馬かなのこと。神木プロダクションと苺プロの今後のこと――。
打つべき手は打った。後は、有馬かなが勇気の一歩を踏み出すことが出来るか。そして、星野アクアがそれを受け入れるかどうかだ。
有馬かなの性格上、一度既成事実を作ってしまえば後は勝手に突っ走ってくれるだろうし、星野アクアにしても、彼女のことを憎からず思っているのは容易く見てとれる。比較した時、斉藤ミヤコの方を優先するのは間違いないだろうが、有馬かなを助けられるなら助けるだろうというのが漆黒の少女の見立てだった。
それに――両手に花を嫌う男はまず居ない。面倒くさがる男は少なくないが。
ここまで自分に手間を掛けさせたのだ。この告白は成功してくれないと、彼女としても骨を折った甲斐が無いというもの。
ただ一つ懸念事項があるとすれば。それはやはり、斉藤ミヤコの存在。
1ヶ月前の会話では、有馬かなを受け入れる鷹揚な態度を見せていたが、結局は星野アクアと付き合う前の話。つい先日会った時は「自分だけを愛して欲しい」という本音を吐露していた。
それが間違いだとは思わない。誰よりも女らしい女である斉藤ミヤコ、女なんて二枚舌で二面性があって然るべきである。より気持ち良い方に、より都合の良い方に天秤が傾くのは、寧ろ当然の成り行きであろう。
だが同時に、星野アクアが本心から有馬かなを受け入れれば、彼女もそれに同調せざるを得ない。故に、
(――さあ。今こそ男を見せる時よ、星野アクア君。
男に必要なものは多々あれど、異性関係においてはまず度胸と、何よりも女を受け入れる器量が大事なのよ)
結局のところ。事態の成り行きは、その中心に居る金紗の少年の手に委ねられた。
上手く行けばそれで良し。
仮に失恋したとしても。本気の恋愛をしたものの叶わず、それを吹っ切って新しい一歩を踏み出すという経験は、女にとって大きな財産になる。初恋が淡い想い出に変わるというのは、少女が大人の女へと成長する証の一つだ。
もし、失恋を吹っ切ることが出来ないというならば。その時は、自分が有馬かなを手籠めにしてしまえばいい。初恋に敗れ、傷心している乙女を慰め篭絡するなど容易いことだ。
どう転んだとて、それ相応に愉しめるのは間違いない。その時は刻一刻と、確実に迫っている。そこまで考えて、
「そういえば、ルビーさん。ミヤコさんとアクアさんのお二人は今日、ご在宅だった筈ですよね」
「うん。ミヤコさんは生理が始まったばかりだって言ってたから、事務仕事でもしてるんじゃないかな。ミヤコさんはそんなに重い方じゃないけど、大事を取って外出は控えると思うよ。お兄ちゃんは確か、夕方に監督のところに行くって話だけど」
「夕方……」
時刻は既に15時を過ぎている。もたもたしていると、苺プロに行っても星野アクアと入れ違いになりかねない。未だに服選びに苦戦しているであろう有馬かなを急かそうと、開いていた本を閉じた所で――閃いた。
(……これは好機? それとも、危機かしら?)
姫川愛梨の経験に、斉藤ミヤコと星野アクアの現状を重ねて。今、苺プロに行けば面白いことになると直感する。同時に、有馬かなの恋路からすれば逆風になるだろうとも。
残酷な現実を突きつけ、挑発し焚きつけてようやく有馬かなの本音を引き出したというのに、そこへ至るまでの苦労や彼女の恋心が無に帰するかもしれない。
それでも、行く。その方が、愉しそうだから。
ここで手をこまねいていれば、それこそ「イベント」に間に合わなくなるかもしれない。そうと決断すれば、行動は早かった。
「ルビーさん、今から苺プロに向かいます。急いで準備をお願いします」
「えっ!?」
「わたしはかなさんを急かしてきますので、彼女の私物を纏めておいて下さい」
「う、うん……」
立ち上がって部屋から出ていく天河メノウ。横目で有馬かなのスマートフォンを見れば、バッテリー残量は満タン近くまでに充電されていた。
深紅の少女の物語は、まだまだ続くのだ――。
「かなさん、すぐに苺プロに行きますよ! いつまで服を選んでるの!?」
「えっ!? ちょっと、決められなくて……」
「一番高いやつで構いません!」
「えっと、メイクは?」
「移動中、車の中でわたしがしてあげます!」
「えと、その……下着は? 勝負下着って言われても……」
「一番派手でドギツいのでいいわ!」
「ええっ!?」
「もたもたしてると間に合わなくなりますよ!
☆
――夕方。
――星野家。
「ただいまー」
自宅だからと率先して玄関から入っていく星野ルビー。慌てて止めようとしたが最早、後の祭り。有馬かなのメイクに集中していて、予め言い含めておかなかった自分のミスだと、天河メノウは
リビングの方から、ガタガタ、と何かが揺れる音。10秒ほどして、ぱたぱた、とスリッパが床を鳴らす音が聞こえ、ややあって斉藤ミヤコが玄関口に姿を現した。
「あら、お帰りなさいルビー。それといらっしゃい、かなさんと天河さん。……こほっ」
「お邪魔します。ミヤコさん、風邪でも引いたんですか? 顔が赤いし、声も少しおかしいですけど」
ミヤコと有馬かなの会話を聞いて、確かに妙だと星野ルビーも感じた。今朝ミヤコと会話した時は、特にそんな様子は無かったのにだ。
「……いえ、熱はないから大丈夫よ。気にしないで、かなさん」
「こんにちは、ミヤコさん。アクアさんはご在宅ですか? かなさんから大事なお話があるのですが」
有馬かなの顔が引き攣り、早すぎるわよ、と小声で天河メノウに抗議してくるが無視する。斉藤ミヤコの柔和な笑顔が一瞬にして真剣な表情へと変わり、ついにこの時が来たのか、と全身で身構えていた。
「……アクアなら、今から五反田監督の所に行く予定なの。かなさん、申し訳ないのだけど、日を改めてもらえないかしら」
「そうはいきません。大事な用事だと言ったでしょう? 五反田監督というと、アクアさんが弟子入りしている40代半ばで未婚にして実家住まいの方ですよね? 日本の少子化対策に貢献していないこどおじよりも、若い女子の恋路の方が大事だと愚考します」
「そうは言っても、前から入っていた予定だもの。そちらを優先するのは当然の事でしょう?」
「アクアさんと五反田監督の関係は、苺プロの管轄ではないですよね。決めるのはミヤコさんではなく、アクアさんですよ」
「私はアクアの上司であると同時に、保護者でもあるわ。息子の人付き合いに口を出す権利はあると思うわよ?」
バチバチ、とあくまで穏やかに睨み合う
やはりこうなったか、と姫川愛梨は内心で溜息を吐く。
斉藤ミヤコという女は、思いの外独占欲が強い。そこへアクアとの年齢差から来る危機感も相まって、彼への執着はより強固になっていた。有馬かなとの二股を認めると言いつつも、彼女の告白を妨げようとする。そうすれば、自分がずっと彼を独占出来ると考えており、それは事実正しい。
だが、ここで押し負けるわけにはいかない。有馬かなの想いを成就させる為にも、斉藤ミヤコには妾の存在を呑んでもらわなくてはいけないのだ。
「――ところで、ミヤコさん。さっきまで何か運動でもしていたんですか?」
「っ! ……運動というか、ちょっと掃除をしていたのよ」
「そうですか。わたしも最近はご無沙汰ですけど、若い頃はよく掃除していましたよ。男の人ってその辺は無頓着ですよね」
「ええ……もう少し、気を利かして欲しいものだと思うわ」
「そうですよね……ふふ……」
「ふふふ……」
一体何の会話なのかと、女子高生二人は訝しむ。
まさか、星野アクアと斉藤ミヤコは飽きずにまた盛っていたのだろうかと一瞬考えるが、確か彼女は生理が始まったばかりと聞いており、そればかりはない筈――。
そこへ、リビングから姿を現し、外出しようと玄関口に歩いてくる星野アクア。肩に鞄を背負っており、これから監督のところへ向かうのだろう。何となく歩き方が前屈みでぎこちないのは気のせいだろうか。
「こんにちは、アクアさん。前にお話しした例の件ですけど、少しお時間を頂けませんか」
「アクア、急ぎなんでしょう? 五反田監督を待たせては駄目よ」
「ふふふ、ミヤコさん。そっちがそう来るならば、こっちにも考えがあります。
――ミヤコさん。お口にアクア君の毛がついているわよ」
「えっ! 噓っ!?」
「ミヤコ、騙されるな! 罠だ!」
「はっ!」
取り出した手鏡で、慌てて自分の顔を確認している斉藤ミヤコだったが、アクアの言葉で正気に返った。
これはアレだ。夫の不倫を疑う妻が、「首筋に口紅がついているわよ」と夫の反応を窺うやり口と同じである。いささか以上に下品なアレンジではあるが……。
「ええ、嘘です。引っかかりましたね、ミヤコさん。――アクア君、ミヤコさんのお掃除は気持ち良かったですか?」
「……何のことだ」
「おや。あくまでとぼけるなら、もっと証拠を詰めましょうか。
ミヤコさんの髪型が少し乱れている。顔がちょっと赤い。目尻に涙の跡がある。声の調子がいつもと違う。さらには、アクア君のズボンに小さなシミが見えるけど、それってミヤコさんの唾液よね?
生理が始まって本番が出来ないから、残念そうにしているアクア君が子犬みたいに可愛くて、『こっちで我慢してね』ってミヤコさんが始めて、盛り上がっていくうちにアクア君も我を忘れて――って感じかしら。そうよね?」
かああ~、っと顔を赤くする二人。彼女の推測はまさにその通りであり、何でそこまで判るのかと畏怖の気持ちを抱く。さもありなん、姫川愛梨にとって生前その手の経験は豊富であり、付き合い始めて1ヶ月のカップルの性事情など、手に取るように判るのだ。
直に濡れ場を見られなかったのは残念だが、それでもお盛んな二人を思う存分
対照的に、端で聞いている星野ルビーの目が虚ろになっていき、有馬かなはゴミを見る目で二人を睨んだ。
「アクア君ったら、ミヤコさんの頭を掴んで喉奥に出し入れしていたんでしょう? ヒカル君と違って鬼畜よね……情熱的で羨ましい限りだわ。でも、あれは女性への負担が大きいから程々にしないと駄目よ」
「余計なお世話だ!」
「余計、とは心外ね。経験者の言葉は素直に聞いておいた方が身の為よ。
「旦那様って、上原清十郎のこと……ではなさそうね」
「ええ。わたしが言う旦那様は、ヒカル君のお父様であり、アクア君とルビーさんのお祖父さまにあたるお方よ。あのお方はSで、ヒカル君はMだったから、アクア君はお祖父さまに似たのかしらね」
「俺とルビーの祖父だと……!? 一体、どんな関係だったんだよ、お前たちは」
「
まあ、わたしの過去は今は重要ではないわ。今日の主役はアクア君と貴女よ、かなさん」
天河メノウ/姫川愛梨は有馬かなの肩をポンと叩き、一同は瞠目する。
まさか――。
「……はぁっ!? あんたこの状況で、その……やれって言うの!?」
「勿論よ。折角この場をセッティングしたのだから、あとは若いお二人で、ね」
有馬かなは泣きたくなった。告白なんて、何というかもっとこう……ムードとか流れとかあるだろう。夕焼けの観覧車とか、夜景を見ながらのディナーとか、あとは――青空の屋上、とか。先日の今ガチの黒川あかねが羨ましい。あの状況でアクアに迫られたら、自分なら一も二もなく受け入れてしまうだろうという予感はあった。
(いやそもそも、ついさっきまで
カメラの前ではさして緊張せず、冷静さを保つことの出来る有馬かなだったが、今この時はかつてない程に動揺していた。
星野アクアは気まずそうに様子を伺っており、
星野ルビーはもうどうにでもなあれと投げやりになっており、
斉藤ミヤコは無表情ながらも、その眼光は鋭く光っており、
天河メノウは酒の肴とばかりに、期待に満ちた顔を向けていた。
(――さあ。今こそ女を見せる時よ、有馬かなさん。
意中の相手は人妻の不倫女と交際している男、これしきの事態は覚悟して然るべき。それでも想いを遂げたいのならば、清も濁も併せて呑み込まなくてはならないのよ)
事態はさらに、混迷の様相を呈していく――。
次回、ようやく告白の時間です。
重曹ちゃんに告白させまいと暗躍するミヤコの逆境を跳ねのけることが出来るか、乞うご期待。