星の子どもたち   作:パーペチュアル

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Garnet 18

 

 

 

 人間の頭髪は、一日あたり約0.4mm伸びると言われている。

 

 

 

 ――3月下旬。

 

 中学校を卒業した星野アクアと春休み中の有馬かなは、買い出しの袋を片手に提げて、桜並木の下を歩いていた。

 星野家に有馬かなを加えた4人で花見に繰り出しており、場所取りをしているルビーとミヤコのもとへ向かっている最中である。

 

「……ねえ、アクア」

「どうした? 有馬」

「アクアはさ……どういう女がタイプなの?」

「顔の良い女」

「身も蓋もない答えじゃない。何か、他にはないの? 年下が好きとか……、年上が好きとか!」

「そうだな……敢えて言うなら、髪の長い女だな」

 

 それは紛れもなくアクアの本音である。アイ。星野ルビー。そして、斉藤ミヤコ。彼の周りの女性たちは皆、その条件に合致した。

 自らが該当しない答えを聞かされ、有馬かなは少しばかり意気消沈するものの、己の慎ましやかな体躯とは違って頭髪は確実な成長が見込める部位である。深紅の少女は気を取り直し、髪の先端を指で摘まみながら話を続ける。

 

「例えば、例えばだけどさ……アクアは、私が髪を伸ばしたら似合うと思う?」

「有馬なら、大抵の髪型は似合うだろ。美人は何を着たって様になるのと同じだと思うぞ」

「へー? ふーん? へー?」

 

 アクアにとって家族と呼べる女たち3人は、結構な頻度で髪型や服装を変えていたが、そのいずれもが似合っていた。少年にとって、「美人は何を着ても、どんな髪型でも似合う」というのは一般論というより経験則に近い。

 だが有馬かなにとっては、言外に「お前は美人だ」と褒められたような気がして、少女の気分は急速に高揚していく。

 

「ふっふーん♪」

 

 アクアの持つ袋は重い飲み物が入っており、有馬かなのそれは軽い袋ではあるが、無闇に振り回していれば破れて中身が零れてしまうかもしれない。

 

「おい、危ないぞ有馬。袋を振り回す、な……」

「私を誰だと思ってるの? 元天才子役にして女優、有馬かななんだから。余裕でロングもこなしちゃうわよ!」

 

 制止しようとした少年だったが、その口舌を最後まで言い切ることは出来なかった。

 

 

 

 春爛漫の蒼天の下、無数の花弁に囲まれて。

 もしもこの世に、桜の精というものが居るならば。

 きっと――彼女のような存在を差すのだろう。

 

 少女が手を振るたびに、回り踊るごとに。

 桜の花びらが舞い散り、大気と渾然一体と化していく。

 

 彼女の真価は泣き演技ではなく、他人に合わせる演技でもなく。

 あまねく周囲を照らし、引き寄せ、圧倒する演技。

 

 この時に限って言うならば。星野アクアの思考から、有馬かな以外の全てが漂白された。

 アイも、星野ルビーも、斉藤ミヤコも、父親への復讐すらも。一切合切の区別なく。

 

 

 

「――あっ!?」

「有馬っ!」

 

 運悪く小石を踏み、バランスを崩して倒れ込む有馬かな。咄嗟に伸ばしたアクアの手が辛うじて少女の腕を掴み、間一髪の所で抱き留めることに成功する。

 

「だから危ないって言っただろ」

「アクア……」

「おい、聞いてるのか?」

「う、うん……」

 

 金紗の髪。長い睫毛。鼻梁の通った顔立ち。その名の通り、藍玉を思わせる瞳。それら全ては彼の背後から、空の青色と、桜の薄桃色と、太陽の光で美しく彩られている。

 息が届きそうな距離で有馬かなが考えたのは、格好良いというより寧ろ、「綺麗だな」という一枚の名画を見るような感想だった。

 

「ほら、起こすぞ」

「あっ……」

 

 ゆっくりと直立態勢へと戻され、離れていく感触と温もりに、少女は名残惜しさを禁じ得ない。

 振り向いて溜息を吐いたアクアの視線を辿ってみればそこには、軽食や飲料缶などの中身が攪拌されたビニール袋が地面に転がっていた。

 

「ど、どうしよう……」

「直接地面に落ちたわけじゃないし、食べる分には問題ないだろ」

「でも……」

「俺も一緒に謝ってやるから。ぐだぐだ言う暇があったら、さっさと拾えよ」

 

 ポン、とベレー帽ごしに頭に乗せられる手。湧き上がる罪悪感と同時に、こみ上げてくる涙。それを見て取った星野アクアは、もう一度溜息を吐くと懐からハンカチを取り出し、深紅の少女の目尻に優しく添えた。

 

「全く、お前は本当に……仕方のない奴だな」

「あんたこそ、一言余計なのよ……!」

 

 その後、ルビーとミヤコに平謝りするアクア。悪いのは私なんです、と横から口を挟もうとする有馬かなを手で遮り、それが逆に彼女の良心を苛む。

 ぷんぷんと怒るルビーとは逆に、斉藤ミヤコはただ静かに「気をつけなさいよ」と返すのみだった。顔色も変えなかった。

 

 

 

 斉藤ミヤコは気付いていた。星野アクアが、有馬かなを庇っていることを。

 

 

 

 アクアとルビーが彼女に引き取られて、最初の春。3人で花見に出掛けた、ある晴れた日に。はしゃぐルビーはこの時と同じように、買ってもらった食べ物を落とし、アクアに慰められハンカチで涙を拭いてもらい、彼女の代わりにミヤコへ謝っていた。

 

 兄妹はこの時のことを忘れていたが、斉藤ミヤコはよく覚えていた。

 星野アクアはそういう少年だと、誰よりもよく知っていた。だからこそ、彼女は彼のことを愛しているのだが――。

 

 

 

 あの花見の日から、約1ヶ月が経過して。

 有馬かなの髪は、1.5cmほど伸びていた。

 

 

 

 

 

 

 有馬かなは泣きそうだった。

 天河メノウ/姫川愛梨に押し切られたとはいえ、アクアに告白する為に身を清め、高い服で着飾り、その中は女子高生らしからぬ際どい勝負下着で武装してこの場に臨んでいた。もし告白が上首尾に運んだなら、彼にお持ち帰られて天蓋ベッドがあるホテルに連れていかれることすら考えていたのだ。

 それがどうだ。いざ星野家に来てみれば、件の男は他の女(斉藤ミヤコ)とお楽しみの真っ最中ときた。これでは、散々頭を悩ませ準備をしてきた自分が、敗残者の道化でしかないという現実。

 

(あーあ。私、何やってんだろ……)

 

 深紅の少女の瞳が潤んで、目尻から雫が零れそうになり。

 

「……有馬」

 

 その涙を拭うのはやはり、金紗の少年であった。されるがまま、その感触に身を任せる有馬かな。彼女にとって、悔しいと判ってはいても彼に涙をハンカチで拭いてもらう行為は、何物にも代えがたい程に好きだったから。

 

 ただ、誰にも予期せぬ誤算があった。

 

「アク、ア……? その、ハンカチって……」

 

 ――ただ一人、斉藤ミヤコを除けば。

 

「これか? つい最近、ミヤコから貰ったものだが……」

 

 星野アイの形見、宝石の名を冠したハンカチの中でも、青系統のものは特に数が多い。

 その最たるものは、つい先日おろしたばかりの、恋愛リアリティーショーで黒川あかねに対して使った「Sapphire(サファイア)」。

 アクアが最も大切にしている「Iolite(アイオライト)」も、広義では青系統に含まれる。

 そして、有馬かながポーチに忍ばせている「Aquamarine(アクアマリン)」。幼い頃にアクアへ返すのを忘れたまま月日が過ぎ、陽東の受験日に再会した日に、正式に彼女へと譲り渡されたハンカチ。幾度も洗濯を繰り返し、色褪せて本来の鮮やかな青色は失われているが、それでも有馬かなにとっては大事な宝物だった。辛い時は、いつもこのハンカチを見つめ奮起して。今日の今日まで芸能界という魔窟で歯を食いしばって生き延びてきたのだ。誇張抜きで、「Aquamarine(アクアマリン)」は彼女の支えだった。

 

 だが。今アクアが有馬かなの涙を拭くのに使った青いハンカチは、大切な記憶の中の、在りし日の色鮮やかな「Aquamarine(アクアマリン)」そのものだった。

 

 

 

Santamaria Aquamarine(サンタマリアアクアマリン)」。現在は枯渇し閉山されたサンタマリア鉱山でかつて産出されていた、最高級品のアクアマリン。

 

 

 

 ――もう一つ、プレゼントがあるの。アクアにはやっぱり、「Aquamarine(アクアマリン)」のハンカチが似合うわよ。

 

 斉藤ミヤコが新たに作った、アクアに捧げる番外のハンカチである。

 その藍玉色の手巾を見て、天河メノウは顔色と表情を一転させた。

 

(ミヤコさん、いくら何でもやりすぎよ。貴女という人は、どれだけ欲深いというの……!?)

 

 バベルの塔、イカロスの翼の故事の通り、欲をかきすぎた人間の末路は悲惨なものだと相場は決まっており、斉藤ミヤコの行動は悪手以外の何物でもない。

 意識的か、無意識なのかは兎も角として。彼女は、星野アクアの中の有馬かなすら、上書きに掛かったのだ。

 勿論、斉藤ミヤコが星野アクアに新しいハンカチをプレゼントしたのは悪意あってのことではないだろう。寧ろ、全て善意から来る親愛と情愛の結晶、自分と相手を繋ぐ絆。そのハンカチを使う度に自分のことを思い出してほしいという、ささやかで可愛らしく、母と女の愛に満ち溢れた願い。

 だが、悪意が無いというのが尚更に性質(たち)が悪い。一人の男を巡る女たちの愛のやり取りが、如何に共存が難しいかという事実が立ちはだかっているから。

 

 斉藤ミヤコは家族会議の終盤、星野アイからアクアの愛を、神木ヒカルからはアクアの憎しみを集め、奪い取った。

 前者は構わない。生者が死人に愛情を抱き続けた所で、それも過ぎれば呪いとなる。心が彼岸(あの世)へと引き寄せられ、死に急ぐ結果にしかならない。ほんの1ヶ月前まで、復讐に囚われていた星野アクアのように。

 後者は言わずもがな。憎しみなど呪いの最たるもの。憎む者、憎まれる者双方とも不幸になるのは目に見えている。その点、斉藤ミヤコならばアクアから憎しみを引き受けたとしても、最終的には愛情の方が上回るだろうという確信はあった。

 

 だが、有馬かなに対してはまずい。彼女と星野アクアを繋ぐ絆と感情の象徴、「Aquamarine(アクアマリン)」を奪うのは、それだけはやってはならない。斉藤ミヤコの天敵たる有馬かなから、彼女の根幹を為す支えを取り上げてしまえば、それこそ深紅の少女は我を忘れ制御不能になって、何をしでかすか判らない。文字通り今は、彼女たちや苺プロが破滅へと転がり落ちる瀬戸際なのだ。

「彼女は自宅のベッドに寝転がりながら、指先一つで貴方たちの人生を壊せる」という有馬かなの危険性を、あれだけ懇々(こんこん)と説明したというのに、斉藤ミヤコも大概人の話を聞かない女だったとみえる。

 

 ――いや。愛に生き愛に狂った女には倫理や常識など通用せず、時として周りの制止すらも無視して己の感情で動く人種だと、誰よりも知っていた筈なのに。その不合理性を失念していた自分が迂闊だったと、姫川愛梨は己の至らなさを悔いた。やはり人間というのは、生きている限り修行と勉強が続くのであり、それが二週目ともなれば尚更である。

 

 有馬かなが一歩後ずさり、星野アクアが手を伸ばして届くかどうかの距離に広がる。このまま彼女が星野家を飛び出してしまえば、姫川愛梨の目論見は水泡へと帰すだろうと容易に想像出来た。

 有馬かなの告白を静観する腹積もりでいた天河メノウ/姫川愛梨だったが、事ここに至ってはそんな悠長なことは言っていられない。この告白は、是が非でも成功させなくてはならないと、腹を括った。

 こんな所で、終わらせはしない。こんな場所で、終わらせていい物語ではない。

 星野アクア。斉藤ミヤコ。そして――有馬かな。漆黒の少女にとって、彼ら3人は推しなのだから。

 

 

 




▼有馬かなロングヘア化のフラグが立ちました。

重曹ちゃん告白編も、いよいよ佳境です。


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