星の子どもたち   作:パーペチュアル

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 Pyrope Garnet/パイロープガーネット

 最もスタンダードであり、古い歴史を持つガーネット。その鮮やかな真紅の色は、宝石の女王ルビーに勝るとも劣らない。
 和名は苦礬柘榴石(くばんざくろいし)
 pyropeはギリシャ語で「燃える眼」を意味する。
 旧約聖書の創世記に出てくる「ノアの方舟」に登場し、暗闇を照らす光の灯火として使われていた。


Garnet (Pyrope)

 

 

 

Santamaria Aquamarine(サンタマリアアクアマリン)」のハンカチを目にし、それが斉藤ミヤコの手によるものだと聞いて。己の持つ「Aquamarine(アクアマリン)」を塗り潰さんとする彼女の本音を感じ取って、有馬かなは呆然自失となり。

 一歩、後ずさり。星野アクアが手を伸ばして、辛うじて届く距離に広がる。

 もう一歩、後ずさり。星野アクアが手を伸ばしても届かなくなり、玄関から飛び出すのを止められるかどうか微妙な距離に広がる。

 さらにもう一歩、

 

 

 

「かなさん、どこに行くのかしら?」

 

 

 

 背後から肩に腕を回し、股下に片脚を滑り込ませ、耳元で囁くように問いかけたのはやはり――有馬かなの将来を最も案じている天河メノウ/姫川愛梨であった。

 

「離して!」

「嫌よ。貴女、逃げる気でしょう? 言っておくけど、ここで逃げたら貴女は死ぬわよ。芸能人としても、女としてもね」

「……何よ、それ」

「初恋から逃げているようでは、何も掴めないということよ。貴女はアクア君がミヤコさんと付き合っているのを知っていて、それでも諦めたくないと言ったでしょう? 諦めないと決めたのでしょう? なら、ここは退くのではなく、進まなくてはいけないの」

「でも、アクアもミヤコさんも……私の気持ちを知っていて、こんなのってあんまりよ……」

「これは男と女の、そして女同士の駆け引きであり、恋愛の醍醐味なの。嘆くのではなく、楽しむことを覚えなさい。

 ミヤコさんは進む先に茨の道が待っているのを知っていて、それでも前に進むことを選んだ。貴女だって、行きたい場所へ進む道のりには、いくつもの障害が待ち受けている。でもね、そんなのは誰だって一緒よ。貴女も、わたしもね。

 ――かなさん、わたしたち女優の頂点に立つ存在は一体何だと思う?」

 

 唐突な話題転換に混乱するも、彼女のこうした問いかけには何かしらの意味がある。そんなの知らないわよと切り捨てたりせず、少し考えてからこう答えた。

 

「……朝ドラや、大河ドラマの主演女優?」

「違うわ。女優の頂点に立つ存在――それはハリウッド女優よ。世界中の女優の憧れである彼女たちだけど、その道は決して順風満帆というわけじゃない。多かれ少なかれ困難にぶつかって、努力と呼ぶには生温いほどの苦労を積み重ねて、そうして彼女たちは栄光を掴んだの。

 かなさん。わたしの尊敬するとあるハリウッド女優はね、辛い下積み時代を乗り越えてようやく大きな仕事を掴み、ハリウッドスターの仲間入りを果たした時、インタビューにこう答えたらしいわよ」

 

 

 

『これからは、好きな男のモノだけ(くわ)えるわ』

 

 

 

「わたしは別に、貴女に枕営業をしろとか身体を売れとか言ってるわけじゃないわ。でもね、女優として生きていくなら、好きでもない男優とキスしたりベッドシーンを撮ったりなんて日常茶飯事よ。仕事と割り切るか、好きでもない相手を好きになるかの違いはあるけど、それくらい当たり前に出来なくては女優として大成するなんて、夢のまた夢。

 ましてや、本当に好きな男にぶつかりもせすに逃げていては、何の栄光も掴むことは出来ない。

『Who Dares Wins(危険を冒す者こそが勝利する)』、もしくは『Nothing Venture Nothing have(冒険無くして得るもの無し)」。かなさんは聞いたことある?」

「……ええ。日本で言う『虎穴に入らざれば虎子を得ず』ってやつでしょう」

「そうよ。勇気を出してその一歩を踏み出さなければ何も変わらない。待ってるだけでオファーが来るのは一流の人間か、もしくは権限を持つ者のお気に入りだけ。普通はオーディションを受けなければ、そもそも始まりもしないのよ。ちょっと意味は違うけど、『案ずるより産むが易し』って言葉もあるんだから」

「……それを言うなら、『石橋を叩いて渡る』って言葉もあるわよ」

「貴女って本当に面倒な子ねぇ……かなさん、あまりわたしを失望させないで頂戴。今貴女に必要なのは言い訳の理由を並び立てることではなく、実際に行動を起こすことよ。

 本当にこれでいいの? このままじゃ貴女、起きて、仕事に行って、ご飯を食べて、帰ってスマホをポチポチして寝るだけ、ただ生きているだけの人間になってしまうわよ。――いえ、それはもう働き(あり)と変わらないわ」

「……っ!」

 

 有馬かなの表情が、変わった。脳裏に浮かんだのは、中学生の頃の自分。

 熱い日差しの中、足元でせっせと死骸を運んでいく蟻の行列。

 自分もコイツらのように、あと数年で社会という歯車に組み込まれる。

 踏み潰してやりたい衝動に駆られたけれど、虫嫌いな深紅の少女はその場にただ立ち尽くすだけ。

 汗を拭おうとハンカチを取り出すが、何度も洗濯を繰り返したそれは少しばかり色落ちし、生地も傷んできて「Aquamarine(アクアマリン)」の刺繍もほつれかかっていた。この文字が消えた時、子役どころか芸能人としての有馬かなは完全に死ぬのだろうと、漠然とした予感があった

 

わたし(姫川愛梨)は、夫の子ではないと判っていてなお、大輝ちゃんを産んだ。

 星野アイは、シングルマザーになると理解していて、それでもアクア君とルビーさんを産んだ。

 そして、斉藤ミヤコさんもまた同じように、女として、母としての覚悟を決めているわ。

 かなさん、貴女はどうするの? 貴女は一体、どうしたいの?」

 

 月日は過ぎ、有馬かなは高校二年生になった。

 あれから、自分は何か変わっただろうか? あの蟻たちと同じにならない為に、なりたかった自分になる為に、少しでも成長出来ただろうか?

 

「さあ行きなさい、有馬かな。――『命短し恋せよ乙女』。時は、貴女を待ってはくれない。

 大丈夫、アクア君は貴女を受け止めるくらいの器量は持っているわ。失敗を恐れずに進みなさい。もし失敗するとしても、未成年の若いうちに経験しておかないと、社会に出て責任ある立場になってからが大変なんだからね」

 

 漆黒の少女の身体が離れた途端、背中をトンと押される。全く予想外の衝撃にたたらを踏み、転倒しかけた所に別の感触。

 

「痛った……」

 

 気付けば、有馬かなは星野アクアに抱き留められていた。

 深紅の少女の背後から、天河メノウは少年へぱちりとウインクを寄越す。そこに込められた意は「後は任せた」、「やっておしまい」といったところか。

 責任重大だな、とアクアは腹を括り、意識を切り替える。比喩抜きで、今腕の中に居るこの少女の命運が己の手に委ねられているのだ。

 それだけではなく、自分と斉藤ミヤコと、そして苺プロの命運までもが。

 

 斉藤ミヤコと、彼女が守ってきたこの芸能プロダクションと。何よりも、この深紅の少女を助けるために。

 今は、今だけは。有馬かなのことだけを考えると、決めた。

 

「アクア……」

 

 不安気に見上げてくる瞳。小刻みに震えている身体。少年よりも熱い確かな熱を持っているのに、寒さに凍えるように小さな体躯をさらに縮こませて。

 有馬かなはずっと一人で戦ってきた。売れなくなっても、子役事務所からお払い箱になっても、実の母に見捨てられても。

 必死に足掻いて、周りに合わせて、芸能界にしがみついて、独りぼっちでそれでもなお生きてきたのだ。斉藤ミヤコに庇護されてきた己と違って。

 ここで有馬かなを突き放せば、恐らく彼女は壊れるだろうという不思議な予感があった。同時に、壊れた彼女は漆黒の少女が語った通りに周囲を巻き添えにして、星野家や苺プロもその余波で崩壊するだろうとも。それはさながら、寿命を迎えた恒星が膨張して、赤色巨星となって周囲の惑星を飲み込んでいくように。

 

 そうはさせない。

 だから、背負う。斉藤ミヤコと一緒に、有馬かなの命運までも。

 13年に渡って自分を想い続けてきた、この健気で一途な少女の気持ちに報いる為にも。

 

 有馬かなと過ごす時間は、楽しかった。

 星野アクアにとって特に大切な人間、斉藤ミヤコと星野ルビーは赤子の昔から知っている身内であり、否応無しに星野アイの影がちらついてしまう。復讐の念がどうしても頭をよぎってしまうのだ。

 その点、有馬かなは復讐とは無縁であり、彼女と過ごす時間は多少なりとも気が晴れた。ほんの短い間ではあるにせよ、復讐のことを忘れられた。気が楽になった。救われている部分があったのだ、有馬かなの存在は。

 

 だから、金紗の少年は。

 彼女のことを、己の全力を持って口説いてみせる。

 

「アクア、私は――」

「髪、伸ばしてるんだな」

「え?」

 

 人間の頭髪は、一日あたり約0.4mm伸びると言われている。あの花見の日から約1ヶ月が経過して、有馬かなの髪は1.5cmほど伸びていた。

 だが、それを指摘してきた人間はこの1ヶ月で誰も居なかったのだ。

 

「……よく気付いたわね」

「俺がロングの方が好み、って言ったからだろ? お前のことは色々と見てるつもりだぞ」

「色々って、例えば?」

「そうだな……。毎朝走り込みと発声欠かさない努力家、口の悪さがコンプレックス、自分が評価されるより作品全体が評価される方が嬉しい、実はピーマンが大嫌い。――違うか?」

「違わない、けどさ。……もしかして、アンタって私のファンなの?」

「そうだよ。やっと気付いたか」

「何よ、そんなのって今更……遅いよ」

「今更とか、遅いとか早いとかじゃない。過去や未来の話じゃなくて……今、お前はどうしたいんだ。俺にどうして欲しいんだ。ほら、言ってみろ」

 

 斉藤ミヤコは、はっきりと言うようになった。今まで我慢していたこと、溜め込んでいたこと、恥ずかしくて情けなくて言えなかったこと、やってみたいこと、少年にして欲しいこと、言って貰いたいことを。

 星野アクアは、その一つ一つを聞いて、可能な限り叶えてきた。その代わり、少年も彼女に対し一つ一つ要求を上乗せしていき、その中には他所では言えないような過激で大胆な事柄も少なくない。

 いつしか斉藤ミヤコは、アクアのところ以外にお嫁にいけない、と嬉しそうに、恥ずかしそうに、幸せそうにはにかんでいた。

 

「俺がちゃんと、聞いてやるから。俺に出来る限りのことはしてやるから、だから――言ってみろ。お前の、本当の気持ちを」

 

 だから、同じように。この深紅の少女からも本音を、欲求を、鬱憤を引き出し、吐き出させる。

 出来ないとは、言わせない。

 彼女は元天才子役で女優、有馬かななんだから。

 

 

 

「……私を、見て」

「ちゃんと、見てるよ」

 

 

 

 視線が重なる。

 彼女の腕に、掌に、力が籠る。

 

 

 

「私が必要だって、言ってよ」

「ああ。俺には、お前が必要だ」

 

 

 

 下から腕が伸びてきて、胸倉を掴まれる。

 引き寄せられ、吐息すら届きそうな程に顔が近付く。

 

 

 

「頑張ったね、って……褒めてよ」

「お前はよくやった。えらいぞ、よく頑張ったな」

 

 

 

 その小柄な体躯には似つかわしくない力で後ろへと押されていき、ただでさえ狭い玄関口、すぐに壁へと背中が当たって止まる。

 

 

 

「私はここに居て良いって……言ってよ」

 

 

 

 ここに居て良い、と返そうとして、止めた。

 違う、そうではなく――。

 

 

 

「お前はここに……俺の傍に居ろ」

「――ッ!?」

 

 

 

 少女の目尻に浮かんでいた涙が、堰を切って溢れた。

 震える唇で、それでも彼女は言葉を止めず、懐に手を差し入れて。

 

 

 

「じゃあ、じゃあさ……」

 

 

 

 取り出される「Aquamarine(アクアマリン)」。星野アイからアクアへ、そして有馬かなのもとへと渡ってきたハンカチ。幾度も洗濯を繰り返し、色褪せて刺繍もほつれかかっているものの、そこに込められた想い出は変わることなく、今も確かに輝いている。

 

 

 

「また、私の涙を……拭ってくれる?」

 

 

 

 画面越しに何度も見た、有馬かなが幼い子役の頃から得意としている泣き顔。だが今の顔は、過去のどの泣き顔とも違っていた。

 涙の雫だけではなく、彼女の顔が、姿が、全身そのものが光っているような、彼女そのものが輝きを放っているような、感覚。

 

 

 

「そんなの、何度でも拭ってやる」

「アクア……」

 

 

 

 彼女の手から「Aquamarine(アクアマリン)」を受け取る。

 使い古されていても、色褪せていても、刺繍がほつれかかっていても。

 込められた想い出は、積み重ねた年月は、放たれる輝きは、「Santamaria Aquamarine(サンタマリアアクアマリン)」に決して見劣りするものではない――。

 

 

 

「これからもずっと、俺が何度でも――」

「アクア……!」

 

 

 

 彼女の真価は泣き演技ではなく、他人に合わせる演技でもなく。

 あまねく周囲を照らし、引き寄せ、圧倒する演技。

 ――その筈、だった。

 

 

 

「だからお前は笑っていろ。泣き顔も悪くないけど、やっぱりお前には笑顔の方が似合ってる」

「アクアっ……!」

 

 

 

 しかし今の有馬かなは、涙を零しながらも笑っており。それは周りを魅了し、引き込み、光を放つ存在に他ならない。

 泣き顔と、笑顔と。互いに相容れない筈の二つが絡み合い相乗して、彼女の魅力をさらに上の次元へと昇華させている。

 

「ちょっと、あんまりじっと見ないでよ……! 今の私、きっと酷い顔をしてるから……」

「そんなことはないぞ。それに、私を見てって言ったのはお前の方だろう」

 

 恥ずかしそうにアクアの胸元に顔を埋め、涙で少年のシャツを濡らしていく有馬かな。

 ふと、視線を感じて顔を上げると、三人の女がこちらを凝視していた。

 天河メノウ/姫川愛梨は腕を組んでおり、よくやったとばかりに唇の端を吊り上げ、頷いてみせた。

 星野ルビーは苦笑の表情。だが内心では「クズ男」、「女の敵」とでも思っているのだろうか。

 そして、斉藤ミヤコは――。

 

(うわぁ……)

 

 当然ながら、怒っていた。顔は笑っていても、仇を見るような目つきをしている。

 それもむべなるかな、彼女に仕込まれ、彼女を悦ばせる為に覚えた技術を、他の女に対して存分に使っているのだ。

 これは埋め合わせは大変そうだなと考えながらも、胸元の有馬かなの頭を撫で続ける星野アクアだった。

 

 

 




重曹ちゃんを口説くターンはまだ続きます。


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