Almandine Garnet/アルマンディンガーネット
パイロープガーネットと並んで有名なガーネットの一種。
鮮やかさが特長のパイロープガーネットに対し、アルマンディンガーネットは深みのある濃い赤色を呈する。
和名は
トルコ・アナトリア地方のアラバンダ(Alabanda)に由来すると言われている。
斉藤ミヤコにとってこの1ヶ月は掛け値なしに、宝石に勝るとも劣らない人生の宝物。
ただ一つの誤算はやはり――有馬かなの存在。
贔屓目無しで、自分たちは良い関係を築けていたと思う。ほんの1ヶ月前までは、彼女のことを好意的に捉えていたのだ。13年経ってもアクアへの気持ちを風化させず、彼が大事にしていた「
斉藤ミヤコからすると、アクアから有馬かなへの態度は、他の女へのそれと比較して全く異なるように見えた。再会した初日に家に連れて来たり、あまつさえアイのお墓への同行を許すなど、今までの彼からすれば明らかに異常である。その後二人の様子を観察していて、父親への復讐さえ無ければいつ交際を始めてもおかしくないと、女の勘がそう告げていた。
それでも構わないと、思った。アクアが誰かと恋愛をすることで、復讐心を和らげ彼が幸せになれるのなら。その為なら、この胸の痛みくらい何て事はないと、自分の本心に蓋をしてしまえる程に。自分は彼の上司で、保護者なのだから……。
親子ほどの年齢差がある以上、斉藤ミヤコはアクアと添い遂げることは出来ない。いつかは別たれる日が、必ず来る。
やがて来るその時の為に、有馬かなを自分の後釜に据えようと、彼女の苺プロへの加入を認めた。深紅の少女が自分たちと一緒に食事したり、星野家に泊まっていくのを誘導さえした。アクアを独りぼっちにしない為に。何かあった時に、彼を支えてくれるように。
その気持ちが次第に揺らいでいく。義理の息子の未来を案じる心が、自分の男を奪われたくないという危機感に塗り潰されていく。アクアへの愛が、アクアへの愛に侵食されていくという、矛盾。
アクアと離れたくない。
アクアを独り占めしたい。
アクアを誰にも渡したくない。
アクアと、ずっと一緒に居たい。
アクアと、――。
………………。
…………。
……。
思い出してしまった。本当に欲しかったものは、手を伸ばせばすぐに届く場所にあることを。
気付いてしまった。手に入らないと諦めてしまったものが、確かな形となって、今ここに在るという事実を。
夢物語ではないと、知ってしまった。幸せの青い鳥は、この腕の中に生きていることを。
この1ヶ月の間。男女の関係になった斉藤ミヤコと星野アクアであるが、その営みの中で彼女は少年に対し、あらゆる方法で自分を口説かせた。
ある時は自分に甘えてほしいと要求し、母性本能を喚起させる。かつて、星野ルビーが幼い頃にオギャバブランドと喚いていた気持ちが、十数年の時を経てようやくアクアにも身をもって理解出来た。
またある時は、世間知らずの少女を優しくリードし、時に激しく愛する青年を演じさせた。子どもの頃に好きだった少女漫画と同じ台詞を言わせて、同じように口付けを交わす。違うのは、その後ベッドシーンに移行したか否かだ。
そのまたある時は、不倫女を羞恥責めする間男というシチュエーション。お互い熱が入りすぎて、途中から演技でなくなったのは当然の成り行きと言えるかもしれない。夫に謝罪の台詞を吐きながら、なすがままに若い男に染まっていく凄まじいまでの背徳感。世に不倫が
斉藤ミヤコからすれば星野アクアは、自分の夢と理想と欲望を叶えてくれる希望の星そのものだった。港区女子を経験し、芸能界に関わるうちに忘れて久しかった少女の心を、純真さを、女としての悦びを思い出させ、愛を与えてくれる奇跡の存在。
金紗の少年は、大抵の要望は仕方ないなと言いながらも聞き入れてくれた。事が済んだ後に感想と改善点を話し合い、次回に向けての課題を語り合うのは、朝の
そんな、誰よりも情念深く女らしい彼女が、最も気に入っている口説かれ方は――。
☆
どれだけ、時間が経っただろうか。
少年の胸に顔を埋めていた有馬かなが、ゆっくりと上を向く。その表情は迷っているような、それでいて何かしらの決意を秘めているようにアクアには感じられた。
「アクアは私のこと……口説こうとしてるの?」
「ご名答」
「……なら、答えて欲しいんだけど」
「なんなりとどうぞ、お嬢さん」
気障ったらしい言い回しがとんでもなく
「アンタはさ……誰が一番、好きなの?」
それが、目の前のこの男を困らせる質問だったとしても。
「――ミヤコだ」
少年の返答は簡潔であり、誤解のしようがない程に端的だった。
有馬かなにとってこの答えは正直、半分は予想通りである。彼が斉藤ミヤコを最も優先するというのは判り切った話であり、それをそのまま伝えてくるか、さもなくば世の浮気男みたく目の前の女が一番だと
嘘をつかないでくれたのは有り難かったけれど、それでも、自分のことが一番だと女心に言って欲しかった。
星野アクアは少しだけ迷った。一番が斉藤ミヤコだという結論にではなく、それをそのまま伝えるかどうかを。
すぐ近くに件の斉藤ミヤコが居る手前――いや、彼女がここに居なかったとしても結局、アクアは本心を言うことにしただろう。かつて彼が最も愛した実の母は、嘘をつき続けてつき続けて本当の愛が判らなくなり、今際の際まで双子に愛を伝えられなかったのだ。少年は彼女のことを敬愛しているけれど、そんな所まで真似をするつもりは無かった。アイドルでない時の彼女は、到底完璧とは程遠い人間に違いなかったから。
「……なら、私は二番目?」
「――いや、二番目はアイだ」
「母親でワンツーフィニッシュとか、どれだけマザコンなのよ」
この場に居る女性全員が、有馬かなの感想に同意した。当のアクアですら、全くその通りだと反論出来なかった。
「因みに言っておくが、三番目はルビーだぞ」
「マザコンの次はシスコン? アンタって本当に救えない男ね。ルビーもルビーで、何で満更でもなさそうな顔してんのよ。
……で、流石にこれ以上、他に誰か居ないでしょうね?」
「それはない。誓って、本当だ」
「まあいいわ、信じてあげる。――つまり、アンタにとって私は四番目に好きな女で、そんな私と付き合いたいと、こういうこと?」
「……そうだ」
「ふ~ん、そっか……。そうなんだぁ……。
――くたばれ、スケコマシ三太夫」
アクアの左頬に衝撃が走る。僅かに遅れて痛みと熱さがやってきて、それでようやく頬を張られたのだと気付いた。
業界の端くれとはいえ、
「アクアは私のこと、都合の良い女だと思ってるんでしょう!? ちょっと
確かにそうかもね! 今の私は、シャワーを浴びて、高い服を着て、メイクをして、勝負下着を着けてここに居るの! それもこれも、全部アンタの為よ! アンタに抱かれることも想定して、私は悩んで、考えて、それでもこの衣装に袖を通したの! アンタの為に、私は覚悟を決めてここに立ってるのよ!!」
2ヶ月ほど前、ドラマ「今日は甘口で」の撮影時。奇しくも今と同じく左頬を赤く腫らした状態で、星野アクアは有馬かなと向き合っていた。あの時はアクア演じるストーカーの男の方が鬱憤や激情をぶつけていたが、今は立場が逆転していた。
「それが何よ四番目って! 表彰台にも上れないじゃない! アンタは私に敗者復活戦でもやらせる気なの!? いくら私がちょろいからって、舐めるのも大概にしてよ!!」
たとえ嘘であっても、君が一番好きだと言っておけば良かったのだろうか。――否。そんな見え透いた嘘は、逆に相手を不快にさせるだけだし、仮にその場を凌げても、後々に更なる厄介事となって降りかかるのが世の常だ。優しい嘘と、残酷な真実。どちらが正しいのかなど、答えが出よう筈もない。
「はーやだやだ、もうウンザリよ! アクアの顔も見たくない! ばいばい、さよなら!!」
男女間における問題の代表例として、「仕事と私、どっちが大事なの?」というものがある。仕事と答えるのは論外、かと言って「君の方が大事だ」と答えたところで、「じゃあ何で仕事の方を優先するの?」と返されてしまうやつである。
女が求めている答えは、そうではない。
「逃がさない」
「何を――んっ!?」
だから、星野アクアは。
有馬かなの唇を無理矢理、奪った。
「んんん……! っ!!」
「――ッ!」
突然の事に対する驚愕とアクアへの苛立ちから、深紅の少女は反射的に思いきり唇を噛み、少年の口端から血が滴り落ちた。同様に有馬かなの唇も、薄くひかれたリップグロスの上から更に真紅の血化粧で彩られる。
「……な、何するのよ!」
「逃がさないと、言った」
金紗の少年は身体を入れ替え、深紅の少女を壁に押し付ける格好となる。彼女の顔の横に片腕を突き出し、壁に叩き付けるように掌を押し当てた。怯んで動けなくなっている有馬かなの顎をもう片手の指先で持ち上げ、耳元に口を寄せて。
「ありがとう。そこまで、覚悟を決めてくれて。――
「……っ!?」
「だから俺も、覚悟を決めるよ。
お前が好きだ。お前が欲しい。だから――俺の女になれ、有馬かな」
吐息を吹きかけるように、耳朶をそっと撫でるように囁くと、少女はもう拒絶の言葉を言えなくなった。
ミヤコを守る。ルビーを守る。アイがかつて所属し、今自分たちが居るこの苺プロを、守る。
誰にも潰させやしない。神木ヒカルにも。天河メノウにも。そして――自分たちの事情を知り過ぎていて、獅子身中の虫となり得る有馬かなにも。
そういった、複雑に絡み合う諸々の事情を一旦意識から排除して。真っ白なキャンバスに残された、極めてシンプルな問いかけ。
星野アクアは、有馬かなのことが好きなのか? 彼女が欲しいのか?
考えるまでもなく、イエスだった。
誰にも、渡さない。だから自分の女にする。
つまるところ星野アクアは、欲張りなアイドルだった星野アイの息子であり、欲張りな男に違いなかったのだ。
「んっ、んんん……!」
再び唇を重ねる。今度は噛まれなかった。最後の抵抗とばかりに少女の拳が胸板を叩いてくるが、その勢いも次第に弱々しくなっていく。
暫くして、呼吸が辛くなってきたところで唇を離した時には、有馬かなは少年の服を掴んでしがみつくように彼を受け入れていた。目尻から再び溢れ出した涙が、唇から零れた唾液と混ざり、血の混ざった橋を二人の間に垂らして、やがて重力に引かれ落ちていく。
「馬鹿……、アクアの馬鹿ぁ……!」
「男は馬鹿なくらいで丁度いいんだよ」
結局、女が欲しているのは「本当にこの男は自分を愛してくれているのか」の証明なのである。
そこさえ実感出来るのなら、細かい理屈や事情などは瑣末なことだ。
「マザコンでシスコン、おまけにナルシストで、ネクラが治ったと思ったらいつの間にか、とんでもない女誑しになってるし……!」
「事務所の社長に、そういう教育をされてるんでな」
「言い訳しないでよ、アクアの究極変態色欲魔! 私のファーストキスを乱暴に奪っておいて……!」
「ああ、やっぱり初めてだったのか」
「そうよ! アクアとするのが初めて。――一番最初」
☆
「あれって、ミヤコさんが仕込んだのかしら?」
「……ええ、そうよ。私の、一番お気に入りの口説かれ方よ」
「それを他の女に使うとか、アクア君も随分と女泣かせに育ったわねぇ」
「全くよ。これはお仕置きが必要ね……」
盛り上がっている二人を尻目に、斉藤ミヤコと天河メノウ/姫川愛梨が小声でやり取りする。
「壁ドン」、「顎クイ」、「耳元で女の名前と、愛を囁く」「呼吸が苦しくなるほどのキス」――斉藤ミヤコがアクアに何度もやらせた、一番のお気に入りである。これをされるだけで彼女は身体が火照り、濡れるのを止められなくなるのだ。
斉藤ミヤコが学生の頃、好きだった少女漫画。主人公の少女が、母親の再婚相手を好きになってしまう話に出てくる技術である。
母親よりむしろ自分に近い年頃の若い男に、少女はいけないことだと判っていても想いを寄せてしまう。そして男もまた、そんな少女のことを好きになってしまうのだ。
倫理と感情の板挟みになる二人だが、そんな状況も彼らからすれば道ならぬ恋のスパイスにしかならず、やがて二人は母親に隠れて結ばれ、逢瀬を重ねていく。
しかし、同じ屋根の下で暮らしている彼らの関係が発覚するのは自明の理。ある日とうとう、母親は二人の関係を知ってしまう。
その時、母親は思い知るのだ。
自分の娘とて、やはり女には違いなく。
そして大抵の男は結局、若い女が好きなのだと。
あれから20年以上が経過し、当時は主人公の少女に同調して読んでいたあの作品だが、今となっては母親の方に感情移入してしまう。昔は憧れと興奮の目で見ていたその三角関係が、いざ自分が母親の立場になった現在で繰り広げられるとは、何という因果なのか。
今も互いを貪っている二人を見ながら斉藤ミヤコは、アクアの一番だけは譲れないと気合いを入れ直すのだった。
そして姫川愛梨は、自分の目論見が期待通りに、いやそれ以上の形で叶えられたことに内心で歓喜していた。
初めてのキスの味。それは甘かったり苦かったり酸っぱかったり、或いは煙草の味だったりと、人によって様々である。だがファーストキスが血の味という少女など、探したところでそうそう見つかるものではないだろう。特に、この平和ボケした日本という国では尚更に。
唇で血を混ぜ合わせ、口付けで血を交わした男女――何て素敵で、ロマンチックな二人なのだろうか。
それは最早、約束などという言葉では足りない。まさしく契約と呼ぶに相応しい男女の絆。
これでもう、有馬かなは他の男では満足出来なくなった。血の味のファーストキスは祝福でもあり呪怨でもあり、彼女の価値観を大きく変化させることだろう。今後の女優人生にとって、これ以上ない肥やしとなった筈だ。
ずっと想い続けた男と、血を伴った初めてを経験出来るなんて。そんなのは姫川愛梨にも斉藤ミヤコにも得られなかった、何物にも代えがたい宝石のように貴重なモノだ。
――本当に、貴女たちが羨ましいわ。かなさん。
☆
「それで、返事を聞かせてくれないか」
「……そうね。言ってることは最低でも、アンタは真心を尽くしてくれた。だから、私も本気で応えてあげる」
有馬かなは一度大きく息を吸って吐き、少年と真正面から向き合った。
藍玉と深紅の視線が交錯し、ここからまた新たな光が生み出されていく。
「――好きよ、アクア。貴方の女に、なってあげる」
その表情は、これまで見た彼女の笑顔の中で最も光輝いていて。
少女が大人の女へと羽化していく、始まりの第一歩でもあった。
▼有馬かなが愛人になりました。
あまりにもミヤコ一強だった状況に一石を投じようと、姫川愛梨に猛プッシュしてもらい、ようやくここまで来れました。
原作や多くの二次創作では恋愛の蚊帳の外だった重曹ちゃんも、本作においてはこれでようやくミヤコと同じ舞台に立てました。
もう少し進んだら、姫川愛梨と姫川大輝の話の続きを書こうと思います。