「お、お帰りなさい、アクア」
「ただいま、あ――いや、わざわざ玄関で待ってたのか、かな」
夜、帰宅した星野アクアを玄関で出迎える、有馬かな。
「ただいま、有馬」と反射的に言いそうになって、少年はとっさに台詞を誤魔化した。初めて会った時も、数ヶ月前に再会してからもずっと彼女のことは苗字で呼び続けていたのだ。慣れ親しんだ癖はそうそう簡単には変えられないものである。
それにしても、深紅の少女は昼間とは打って変わって緊張を隠せていない趣。さながら、ちょうど一日前のこの時間、初夜を迎える時の様子を思い起こさせた。
一体どうしたんだと訝しむアクアだったが、その疑問はすぐに氷解する。
「ご、ご飯にする? お風呂にする? そ、それとも――わ、わた……」
言い淀んだ有馬かなを見て、あああれか、と少年は脱力する思いだった。また
「ああっ、やっぱり無理なものは無理! 何が新婚三択よ! こんなの恥ずかしすぎでしょ! まるで私が色ボケのバカ女みたいじゃない!」
「仕方がないわね、私が手本を見せてあげるわ。――アクア、ご飯にする? お風呂にする? それとも、わ・た・し?」
「……っ!」
判ってはいても、その蠱惑的な仕草は有馬かなにとって衝撃的なまでに凄まじい破壊力だった。不倫中の人妻が、新婚の雰囲気を漂わせながら三択の奉仕を迫ってくるのだ。彼女は己の価値を十分に理解し、愛する男が自分を求めてくると疑ってもいない自信に満ち満ちている。それがこの上ない説得力となって、男のみならず周りに居る人間全てを魅了してやまない。
「全部欲しいな。ご飯、お風呂、ミヤコの順番で頼む」
「わかったわ。お帰りなさい、アクア」
「ただいま、ミヤコ」
羞恥で
「男は度胸、女は愛嬌よ、かなさん。これくらい当たり前にやれないと、アクアを悦ばせることは出来ないわよ」
「むむ……」
「ほら、そんな所に座ってないで。行くぞ、かな」
「……私にも、して」
「してって、何を?」
「その……ただいまとお帰りの、キス」
「「ええ……!?」」
「ミヤコさんは良くて、私は駄目なの!? ずるいわよ! それくらい別にいいでしょ!?」
「……全く、ワガママなお姫様だな」
片膝をつき、手を伸ばして頬に手を添え。もう片方の手で取り出した「
「……お帰り、アクア」
「ただいま、かな」
唇と顔が離れた後も、二人の視線は逸らされることなく見つめ合ったまま。有馬かなとは逆に急速に機嫌が悪くなっていく斉藤ミヤコは、苛立ちまぎれに奥の手を繰り出した。
「……私で童貞捨てたくせに」
「うっ……!」
さいとうみやこの こうげき! こうかは ばつぐんだ!
星野アクアが固まり、気配が急に弱々しくなった。男は童貞を捧げた女には逆らえない、悲しい生き物なのである。
だがしかし、有馬かなもそれで引き下がるほど大人しい女ではない。そう彼女は、経験豊富な女からマウントを取られるだけの、ただの少女ではなくなったのだ。だから――、
「……私の処女を奪ったくせに」
「ぐっ……!」
ありまかなの ついかこうげき! きゅうしょに あたった!
金紗の少年は胃を抑え、全身から嫌な汗が噴き出てくる。これが二股を掛ける男の報いというならば甘んじて受けるしかないのだが、関係が成立してまだ一日しか経っていないのにこれである。今後ずっとこのネタで当てこすられ揺さぶられるのかと想像すると、自業自得とはいえ泣き言の一つも言いたくなる。
「……すまん、ミヤコ。何か食欲が無いから、今日は早めに休むよ」
「そうは行かないわよ、アクア。今晩の夕食はかなさんも作るのを手伝ってくれたんだから、ちゃんと食べてあげなきゃ駄目よ」
「お前が……?」
「意外だって思ってるんでしょ」
「ああ。いつもウーバー頼みだって言ってたからな。どういう風の吹き回しだ?」
「まあ……これも花嫁修業の一環ってことよ」
「かなさん? 私は後継者育成の一環だと言ったのだけど、もう忘れちゃったのかしら?」
「似たようなものですよね」
「全然違うわよ!」
………………。
…………。
……。
そうやって、一人の男を巡る女たちの争いは、星野ルビーが止めに来るまで続いた。
有馬かなの、女を磨く道のりはまだ――始まったばかりだ。
今回は短めで。
いつもシリアスな話ばかりなので、たまにはこういう話を書きたくなります。