星の子どもたち   作:パーペチュアル

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 Mata Hari/マタ・ハリ

 20世紀初頭に活躍したストリップダンサー/女スパイ。
 頭飾りや胸当てに宝石を散りばめた衣装を身に纏い、数多くの政治家や将校を相手にしてきた高級娼婦。


Mata Hari

 

 

 

 人々が集まって群れとなり、組織を形成するほどに大きくなり。集団が複数成立すると次は必ず、縄張りや利権を巡っての主導権争いが発生するようになる。小さい所では会社と会社から、大きい所では国家間に至るまで。

 そんな時、相手からより有利な条件を引き出したい場合。武力や技術力、生産力や資源を背景にしたものを「表」とするならば、女を使っての接待や諜報、ハニートラップが「裏」に該当すると言えるだろう。

 古今東西、女間者(スパイ)が存在しない国は皆無と言っていい。歴史上、国の権力を握ってきた者の大多数は男であり、彼らはほぼ間違いなく美しい女を囲い色を好むのだから、それも当然の話である。

 

 20世紀初頭。ヨーロッパの夜において、とある女性が活躍していた。その名は、マルハレータ・ヘールトロイダ・ゼレ。

 芸名、マタ・ハリ。有名なストリップダンサーであると同時に、数多くの政治家や将校を相手にしてきた高級娼婦でもある。東洋風に言い換えるなら、花魁や妓女が該当するだろうか。洋の東西に関わらず、常に需要と供給が絶えない役割。一説によると、人類で最も古く由緒正しい職業は娼婦、もしくは羊飼いだと言われている。

 

 余談だが。

 マルハレータの生家は帽子屋を営んでおり、彼女が10代前半の時に一家離散の憂き目に遭い。

 彼女が有名になった後、プライドの高さからストリップを止めてアーティスト路線へ変更した結果、次第に客足は遠のいていく。しかし、第一次世界大戦が勃発しても彼女は生活レベルを下げようとはしなかった。

 

 なお。彼女の芸名、マタ・ハリとは、マレー語で「太陽」の意である。

 

 

 

 ――前置きが長くなったが、結論としては。

 男にとって最高の女とはつまり、「美」と「芸」を兼ね備えた存在である、と言えるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「愛梨さん。どうすれば私は、ミヤコさんを超えられますか?」

 

 様々な教えを受けるうちに、有馬かなから彼女への呼び方はいつしか「姫川さん」から「愛梨さん」に変わっていた。

 

「そうね……。月並みな答えだけれど、一番大事なのは焦らないことね。前にも言ったけど、女の子が女へと変わるのは一晩でも可能よ。でもね、女がより良い女へと変わるのは、そう簡単にはいかないわ。世の中を知って、色んな経験を積み重ねて、人はそうやって自分を磨いていくの」

 

 斉藤ミヤコは、芸能人としては三流に終わっていた。加えて、人生半ばを迎えている彼女の美しさは、星野アクアとの蜜月によって今が最盛期であるものの、これ以上は恐らく望めまい。何事にも言えることだが、絶頂は転落の始まりであり、後は衰えゆくのみだ。

 対して、有馬かなの美しさは今まさに磨き上げられている途上にある。10代半ばの彼女は未来の可能性に満ちており、まだまだ伸びしろの上限を窺わせない。芸能についても、素材は申し分なく特級である為、適切に調理し時期を見計らって世に披露すれば、再ブレイクさせることも夢物語ではないと天河メノウ/姫川愛梨は判断していた。

 無論、一朝一夕というわけにはいかないだろう。少なくとも年単位の時間が必要になるだろうが、最後に趨勢を決めるのは時の流れという唯一にして絶対の価値基準なのだ。

 

「はぁ、地道に積み重ねろってことね……」

「嘆くことはないわ。春先に比べて、今のかなさんは随分と見違えたわよ」

「そう思う?」

「ええ、本当よ。だから、今はしっかりと地力をつけなさい。『ローマは一日にして成らず』よ」

「そうね、ちょっとやそっとの努力で超えられるようじゃ、目標としてつまらないもの。よし、やってやるわ!」

「ふふ、その意気よ。ところで、そんなかなさんに新しい課題を与えようと思うのだけど」

「いいわね、何でも言ってごらんなさい!」

「それはね――」

 

 

 

 

 

 

 賢者タイム、という言葉がある。絶頂(オーガズム)を迎えた直後の男にやってくる、煩悩から解放されて悟りを開いた賢者のように冷静になること、というスラングが由来ではあるが、現在では一般的に通じるほどに認知度が増した言葉である。

 正式には不応期と呼ばれ、その状態になると急速に性的欲求が減退し、無気力になり、睡魔に襲われるようになる。

 この時の男は非常に無防備であり、女間者(スパイ)からすれば格好の的であり絶好の機会。歴史上、抱いた女に寝首を掻かれた男は枚挙に暇がなく、女間者(スパイ)という職業が無くならない理由の一つであり、その有用性は折り紙付きとも言える。

 

 

 

 薄暗い部屋の中、ベッドに仰向けに横たわる金紗の少年。彼に跨っている深紅の少女の影は、規則正しく上下に動いていた。

 リズミカルにベッドが軋む音と、次第に荒くなっていく二人の呼吸、湿度が少しずつ増していく大気。

 やがて――高まり続けた緊張が閾値を超えた瞬間、弓なりに反る少女の身体と、互いに握りしめられた手と、混ざり合う若い男女の吐息と。

 一連の行為が終わった時、少年の意識が急速に朦朧となっていく。心地良い余韻に浸っている中、茫洋と揺れる世界の中で、少女の穏やかな声が彼を優しく包み込んだ。

 

 

 

「気付かなかったね…最期まで。

 大好きだよ、アクア――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 死んで」

 

 

 

 深紅の少女は隠し持っていた凶器を取り出すと、最愛の男の心臓へと突き立てた。

 

 

 

 

 

 

「アク、ア……?」

 

 斉藤ミヤコが部屋の扉を開けると、そこには胸にナイフを突き立てられた最愛の少年と、彼に馬乗りに跨って凶器を両手で握りしめている少女。

 彼女の顔がゆっくりと、ゆっくりと、こちらへと……向けられる。

 凶器を手にしているのに、まるで殺意を窺わせない顔。汗で頬に張り付く髪、その隙間から覗く表情は、例えるなら達成感……だろうか。

 薄く開いた唇が緩くカーブを描き、三日月の形を取った次の瞬間。深紅の少女はナイフを引き抜き、手首をくるりと回して。

 躊躇いなくそれを、己の心臓へと突き刺した。

 

「……、……」

 

 彼女の唇が僅かに動くものの、意味のある言葉にはならずに呻き声が漏れるばかりで。

 苦悶のようでいて、その反面、幸せに満ちているようでいて。

 数瞬後。糸が切れた人形みたいに、少女の身体が倒れ、少年の上に折り重なった。

 

「……」

 

 静寂が訪れる。身じろぎ一つしない若い男女と、あまりの出来事に硬直し動けなかった妙齢の美女と。

 斉藤ミヤコが彼らを見て思ったのは怒りや悲しみ――ではなく。

「羨ましい」という、醜くも美しい嫉妬の感情。

 

 彼女の、心の奥底に秘められた本当の願い。アクアと共に生き、アクアと共に死にたい。

 でもそれは、叶わない願い。叶えてはいけない、願い。

 自分は、星野アクアの母親なのだから。

 母親というのは、子どもよりも先に死ぬもの。子どもより先に、死ななくてはいけないものだから……。

 

 でも彼女は、有馬かなは。斉藤ミヤコが望んでやまない「それ」を手に入れることが出来る。誰にも憚らずに、彼と共に歩いてゆくことが出来るのだ。

 金と権力を、人類の栄華を極めた(いにしえ)の支配者たちでさえ、時間や永遠を手に入れることは終ぞ叶わなかった。

 でも彼女は、有馬かなは。アクアの時間と永遠に、最も近い立ち位置に居るのは間違いないのだ。

 

 つくづく、斉藤ミヤコと有馬かなは対照的な女たちである。

 斉藤ミヤコは、アクアにとっての一番ではあるが、互いの立場は釣り合っておらず障害は数え切れず、いずれ彼と別たれる時が来るのに対し。

 有馬かなは、アクアにとって一番ではないが、立場は釣り合っていて障害はずっと少なく、彼と同年代を生き添い遂げることも可能であり。

 だからこそ彼女たちは、相手を認めつつも互いに向けて嫉妬の感情を抱いていた。

 なればこそ。

 

「アクア、(たぬき)寝入りはそこまでにしておきなさい」

「……やっぱり、ミヤコの目は誤魔化せないか」

 

 少年の目が薄く見開かれ、何でもなかったように返答してくる。とんだ茶番、悪い冗談だと斉藤ミヤコは不機嫌を隠そうともせずに、若いカップルを睨みつけた。

 

「当然よ。貴方と一番寝ているのは、この私なんだから」

 

 男と女の関係になってからもそうだが、アクアが幼い頃、PTSDに(うな)される彼に寄り添って眠ったことは一度や二度ではない。双子が小学校に入学するまではほぼ毎日、どちらかとベッドを共にしたものだ。

 

「へー……、ふーん……、へー……」

「何か言いたいことがあるのかしら、かなさん」

「いいえ。何でもないですよー、()()()

 

 少女は半裸の身体を起こし、刃の部分が収納式になっているギミックナイフの小道具を手元で弄んでいる。

 彼女の視線の種類も、随分と変わった。4月末、有馬かなとアクアの初夜に乱入した時は、斉藤ミヤコに怯え喰われる小動物でしかなかった彼女が、今は肉食獣が獲物の様子を見定めるかのような目をしている。

 

「これは、姫川さんの差し金?」

「ええ。演技で構わないから、命のやり取りを経験しておきなさい、と言われまして」

「はぁ、そんな所でしょうね……」

 

 

 

『かなさん。時空を越えた老科学者は、その人生の果てに愛を掴んだ。では、愛を手に入れた女は何を掴んだのか、判るかしら?』

『子どもを産むこと、ですか?』

『それだけじゃ足りないわ。正解はね――命を操ることよ。

 命を育み育てるのは女で、男は種を付けるだけ。命の根源は女なのよ、かなさん。古来より、女を軽んじる連中に未来は無いわ』

『人類学や生物学の話ですか?』

『ある意味では、そうね。これは人間の、いえ生命の真理なのよ。でもまあ、もう少し具体的な話をしましょうか。

 ――かなさん、アクア君を殺しなさい』

『はぁ!?』

『そして、アクア君に殺してもらいなさい。もちろん演技の話だけれど、演技であっても本気のつもりでやりなさい。命を宿し、育み、背負う女の美しさを身に付けるにはコレが一番よ』

『えぇ……』

『わたしだってそう。ヒカル君を支配していたこと、清十郎ちゃんに心中されちゃったこと。他にも色々あるけど、どれも凄く貴重な経験だったわね』

『そりゃあそうでしょうねえ』

『騙されたと思ってやってみなさい。女優として生きていく上で、必ず役に立つから。このわたしが保障するわ』

『……ミヤコさんに何て説明すればいいのよ』

『駄目よ。存外にアクア君への独占欲が強い彼女のことだから、間違いなく反対してくるでしょうね。見つからないようこっそりやりなさい』

 

 

 

 

 

 

「姫川さん。貴女はかなさんを、第2の姫川愛梨に仕立て上げるつもりなの?」

「そうよ」

「あの子は有馬かなであって、姫川愛梨じゃない。あの子の生き方は、あくまであの子自身が決めるべきよ」

「ええ、全くもってその通りね。でもね、ミヤコさん。わたしは決して彼女に強要はしていないわ。あれこれ指示したり指図することはあっても、彼女が本気で嫌だと言えば無理強いはしないわよ」

「それは判ってるけど……」

「人を育てるというのは多かれ少なかれ、自分の分身をこの世へ遺すということに他ならないわ。

 ミヤコさん、貴女だってわたしと同じよ。彼女に法律や経営、心理学の本を読ませたりして、いずれは自分の後継者にと考えている。貴女こそ、かなさんを第2の斉藤ミヤコに仕立て上げようとしているじゃない。わたしだけを責めるのはお門違いというものよ」

「……」

「ミヤコさん。わたしたちは彼女を愛し、武器を与え、技術を教え、知恵を授けた。その全てをかなさんは受け止めて、胎の中に蜜を蓄えている。彼女の花が開く時は、決して遠くないと思うわよ」

「そう、よね……」

 

 日に日に美しくなっていく白雪姫と、継娘の彼女に嫉妬する魔女の王妃。

 斉藤ミヤコは、子どもの頃に観たその童話の、悪役(ヴィラン)の気持ちがようやく理解出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ああ、そういえばミヤコさん。今度、かなさんとアクア君を誘ってミュージカルを観に行こうと思っているのだけれど、いいかしら? 役者として良い刺激になると思うわよ」

「それは構わないけど……何を観に行くのよ?」

 

 天河メノウ/姫川愛梨は取り出したチケットを掲げ、いつもとは少し違う笑みを浮かべた。

 自慢するような、どこか誇らしげな、そんな笑顔を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――劇団ララライ主催

 ――主演:姫川大輝

 

 

 




 このSSも連載開始してから1年が経過しました。
 ここまで書き続けてこられたのも、読んでくださる皆様と感想を頂ける方々のおかげです。本当にありがとうございます。

 いよいよ、姫川母子が接触するイベントがやってきました。
「姫川愛梨を転生させて、本編にがっつり絡ませる」と決めた時から書きたかった所ですので、どうかご期待ください。


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