『かなさん。男同士の喧嘩は、力の強さでほぼ勝敗が決まると言っていいわ。権力でも財力でも暴力でも何でもいいけど、男はとにかく力こそがモノをいう生き物なのよ。では、女同士の喧嘩は何で決まると思う?』
『根回しの上手さ、ですか?』
『合っているけど、それは男にも言えることね』
『親や夫の社会的地位の高さ、とか』
『それも合っているけど、家族ありきの結論ではなく、あくまでタイマンでの喧嘩で考えて頂戴』
『……口喧嘩の強さ?』
『惜しい、方向性は間違ってないわ。――正解はね、最後まで余裕の笑みを浮かべていられる者が勝つのよ。女同士の喧嘩ではね。
女は、相手を精神的に屈服させることに快楽を見出す生き物。その傾向は男の比ではないわ。だからこそ女の虐めは直接的な手段ではなく、相手の心を折ろうとする陰湿なものになるのよ』
有馬かなと天河メノウ/姫川愛梨の語りを、傍から聞いていた斉藤ミヤコは過去を思い出して唇を嚙みしめる。女子高時代に親友だった少女は虐めのターゲットになり、主犯格の女生徒は怖い大人と付き合っているという噂があって、巻き添えになるのを恐れたミヤコは見て見ぬふりをした。助けを求める親友の視線から目を背けて。
結果、少女は自殺した。ミヤコは女子高を卒業して上京したが、それは東京の煌びやかな光に憧れたという理由だけではなく、嫌な記憶の残る地元から離れたかったというのもある。
大学に入っても、港区女子になっても、芸能界に足を踏み入れても、姓が斉藤に変わっても。それでも消えることのなかった後悔は、20年以上経った今もなお斉藤ミヤコの心に
『これは男でも同じことだけど、喧嘩は
乱暴な例え話だが。RPGのゲームにおいて、プレイヤーの心が折れて投げ出す最も大きな要因は、ボスキャラの絶大な攻撃力――ではなく。こちらの攻撃の尽くが通じず、ボスのHPを一向に削れない時なのだ。被ダメージが大きいだけなら、躱すなり回復するなり誰かを囮にするなどの方法で対処出来る。だがこちらの攻撃が通じないとあってはもう、プレイヤーには如何ともし難いのだ。
『――だから、かなさん。次に黒川あかねさんと会った時は、決して笑顔を忘れないで下さいね』
『なんで黒川あかねが出てくるのよ』
『因縁のライバルなんですよね? 違うんですか』
『違、わないけど。……はぁ、まあいいわ』
『彼女もアクアさんに気があるようですから、いずれ会うことになるでしょうね。わたしは彼女と面識は無いんですが、かなさんから見てどういう人物なんですか?』
『そうね……。真面目で努力家で、素はちょっと引っ込み思案だけど板の上では別人のように堂々としているわ。役柄になりきるメソッド演技が得意技。あとは、進学校に通ってて、成績は全国でもトップクラスだっていう話よ』
『ふむ、そうですか。そんな人物なら、口喧嘩で勝てないからといって荒事に持ち込んでくる可能性は低いでしょうが……』
『荒事?』
『――相手が短気だったりキレたりすると、口喧嘩の最中にこちらの髪を掴んで引っ張りに来ることがあるのよね。口で勝てないと悟った途端に、キモいだのウザいだのと感情論を振りかざして話を聞かなくなる唾棄すべき輩。わたしも前世ではそういった連中には散々手を焼かされたわ。かなさんは間違ってもそういう女になっては駄目よ。男からも女からも嫌われて、周りの人間全てが敵になるのが目に見えているわ。髪を伸ばしているなら気をつけなさい。髪は女の命なんだから』
『そ、そうですね……』
『でもね、髪を掴みに来ると判っているなら、どこに手を伸ばしてくるか
すっかり師弟関係が板に付いてきた二人を見ながら、斉藤ミヤコは自社のトップアイドルだったアイのことを思い返していた。
彼女の場合、敵は他のアイドルグループだけではなく、身内であるB小町の他メンバーも広義ではそうだったと言える。聞こえよがしな陰口や無視、仲間外れ。酷い時には、誰かがアイを足止めしている間に、別の誰かがアイのステージ衣装を汚したりなんてことも、あった。
それ以降、ミヤコと斉藤壱護は話し合った結果、アイの衣装だけ常に予備を用意しておくという消極策を採用した。アイが表立って事を荒立たせる意思が無かった以上、他のメンバーに必要以上に釘を刺すのはデメリットの方が大きいとの判断だ。
後日、それを知った他のメンバーが「またアイだけ特別扱い」と不満をさらに膨らませることになったのだが。
――最後まで余裕の笑みを浮かべていられる者が勝つのよ。女同士の喧嘩ではね。
確かにその通りだ。アイに最も執着し強く当たっていたニノ/新野冬子。彼女の罵声を浴びながらなお、アイは笑顔を崩さず、飄々とした態度を取っていた。どれだけ感情を昂らせても、どれだけ不満をぶつけても、アイの表情をろくに動かせない独り相撲。嫉妬と怒りは、やがて絶望と諦めに変わっていく。
ニノとて初期B小町の中心に居た、優れた資質を持つ類稀なる少女ではあったが、同年代かつ同じグループにアイという傑出したタレントが出現してしまったのは、全くもって不運だったとしか言いようがない。
アイとニノによる静かなる争いも、結局は笑顔を貫いたアイに軍配が上がった。いや、そもそも争いの体を成していなかった。
ただ、その後の人生において、ストーカーに刺殺され亡くなったアイの事実も鑑みれば、どちらがより良い結果だったのかは微妙ではあるが。
『そして、かなさん。アイドルはもとよりわたしたち女優にしても、常に笑顔でいることにかけては並の女より遥かにアドバンテージがあるわ。笑顔とはそもそも、獣が獲物を前にした時の威嚇行動なの。真の強者であれば、その表情一つだけで相手を呑み込むことも可能なのよ』
有馬かなの脳裏に去来したのは、自分とアクアの初夜の時に乱入してきた、斉藤ミヤコの艶姿。完成の域に至った女の、圧倒的なまでの美と色香。その視線に、肢体に、口舌に、何よりも彼女の蠱惑的な微笑みに、同じ女であっても強く強く魅せられた。勝てるわけがないと、本能が叫んでいた。
だから、その悔しさの裏で密かに誓ったのだ。
斉藤ミヤコの美しさ、その要訣を学習し吸収し、雌伏の時を過ごして、いずれは彼女を越えてやる、と。
――その成果が今、試される。
☆
「私、アクアと寝たの――」
「……え?」
星野アクアは、有馬かながあかねに何を吹き込んだのかは聞こえなかった。だが黒川あかねが自分に対し気があることは気付いており、それを快く思わない深紅の少女がマウントを取りに行ったのだろうなとは容易に想像がつき、さらに胃が重たくなっていく。
黒川あかねは最初、耳元で何を囁かれたのか判らなかった。やがて、その言葉の意味を理解するにつれて、思考が定まらなくなる。どれだけ優秀な頭脳を持っていようと、人間は経験のない想定外の事態には対処出来ない。男性経験どころか異性との交際経験すら皆無の黒川あかねにとっては、このやりとりは荷が勝ちすぎた。
だから、せめてもの意地を張って、全力で
「何睨んでるのよ。そんなに鋭い目つきしてると、綺麗なお顔が台無しなんじゃない?」
「余計なお世話だよ。かなちゃんこそ、随分と頭がお花畑になったんだね。そんなだから仕事が無くなっちゃうんだよ。過去の栄光にみっともなくしがみついて……。今の自分を磨く努力はしてるの?」
「ふぅん、アンタも言うようになったわね。そんなに私のことが嫌いなのかしら?」
「私は……」
「どうなの?」
「……別に」
「おやおやまぁまぁ、さぞかし私の事が嫌いなんでしょうねぇー。大嫌いで大嫌いでしょうがないのよね?」
「かなちゃん……」
「でもね、黒川あかね。私はアンタのこと、好きよ」
「――ふぇっ!?」
たった一言で黒川あかねの虚勢が崩れた。その険しかった表情は、困惑と動揺で赤く染まっている。
好きの言葉は全くの嘘ではない。ただ、それ以上に嫌いなだけだ。同性で、同年代で、同じ職業で、同じ男を好きになっている彼女のことを。
去年までの有馬かなであれば、純粋に嫌いなだけだっただろう。ただ、ここ数ヶ月の激動の日々の中で、自分の中に新たな価値観が生まれた。そこで今一度、黒川あかねについて考えてみれば、かつての自分では抱くことのなかった感情が沸き上がる。
(アンタも必死なのね、黒川あかね)
彼女からすれば、有馬かなは業界の先達であり、目の上の
そんな商売敵の人気に陰りが見え始めたのだ。その絶好の機を逃さずに努力し実績を重ね、天才と称賛される立場に取って代わってのけた。褒められこそすれ、責めるのはお門違いというもの。黒川あかねのやっていることは、タレントとして全くもって正しい。
でも、だからといって負けられない。こんな所で立ち止まっている暇は無い。黒川あかね相手に手こずっている訳にはいかないのだ。
何せ、真の強敵は「あの人」なのだから。
彼の上司で、育ての母親で、その上彼とは懇ろな関係で。彼と最も長い時間を共に過ごし、彼が幼い頃から抱いていた魂の苦悩を受け止め、彼が一番辛い時に傍に寄り添い続けて。彼が絶望に打ちひしがれていた時に真正面から向き合い、立ち上がらせた人。
星野アクアの全てと言っても過言ではない、あの人。
これから、そんな人物を相手取らなければならないのだ。目の前の、恋愛の「れ」の字しか知らない処女の小娘くらい、容易く一蹴出来なくては、あの人には到底勝てやしない。同じ土俵に立つことすら叶わない。
なればこそ、
「ふふ……黒川あかね、アンタはアクアに恋してるのよね」
「ちょっと!? 何勝手なことを……!」
「見れば判るわよ。ほんの数ヶ月前まで、私も同じだったんだもの。今のアンタの気持ちくらい、手に取るように判るわ」
「かなちゃん……?」
「だからこそ忠告しておくわ。アクアを狙うのは番組内だけにしておきなさい。本気になる前に、傷つく前に手を引きなさい。今のアンタじゃ、万に一つも勝ち目は無いわよ」
「……何で、そこまで言い切れるの?」
「だってアンタ、なーんにも知らないんだもの。アクアのどこを責めると感じるのか、ほくろが何処にどれだけあるのか、お尻の穴の皺の数とか、ぜーんぜん――知らないわよね?」
私は知ってるわよ、と言外に仄めかす深紅の少女。愕然とする黒川あかねと、呆れて眉間に皺を寄せる金紗の少年。その煽りは以前、彼女が斉藤ミヤコから受けたものである。負けず嫌いで執念深い有馬かなのことだ、やられたらやり返す機会を虎視眈々と窺っていたのだろうが、その対象となった黒川あかねからすればたまったものではないだろう。
「は、はしたない……!」
「はしたない? ふふふ……そうよ、その通りだわ。ねぇ、黒川あかねは泥遊びってしたことある?」
「ない……けど」
「そうよね、
未成年の義息子と不倫している、斉藤ミヤコのように。
年端も行かない子どもを犬にして飼っていた、姫川愛梨のように。
清濁併せて呑み込め――姫川愛梨の教えの一つだ。
綺麗事だけでは世の中は回らない。社会においては、納得し難い理不尽な事を受け入れなければならない時もある。全てを引き受けては搾取され続けるだけだが、かといって選り好みばかりしていては干されてしまう。
枕営業を肯定するわけではないけど、惚れた男の汚い部分くらい受け止められなくては女優は務まらないのよ――と彼女は語った。
「……一体、何が言いたいの?」
「アクアが欲しいなら、アクアの醜い所や辛い過去を受け止めなくてはいけないってこと。アクアの上辺しか知らない、綺麗な所しか見ていないアンタじゃ無理、だから諦めろって言ってるのよ」
「かなちゃん……!」
相手の美しい所に惹かれているだけでは恋でしかない。汚い所、醜い所を含め受け入れてこそ、本当の愛へと昇華する。
今の有馬かなが、そうあれかしと
「さ、アクア。そろそろ行きましょ。おっと、その前に……姫川さん。ご挨拶が遅れてすみません。苺プロ所属の――」
「有馬かな、だろ。知ってるよ」
「おや、ご存じでしたか。劇団ララライの看板役者に認知されているとは、私も捨てたものじゃないですね」
「有馬も星野も、無理して敬語を使わなくていいぞ。その代わり、有馬に聞きたいことがある」
「ではお言葉に甘えて。――何かしら? 答えられることなら答えるわよ」
「お前は、本当に……『あの』有馬かな、なのか?」
「『あの』って、子役時代の私のこと? 確かに、私は有馬かなよ。私が、有馬かなよ。もう子役ではなく、女優だけどね」
「随分と変わったんだな。それとも、成長したというべきか」
「ええ、それはもう」
「そっちの星野のおかげか?」
「さて、どうかしらね。……ああ、ここで見聞きしたことは内緒で頼むわよ。でないと、姫川さんが何歳の時までおねしょしてたか、ついうっかり口が滑っちゃうかも」
「……っ!」
黒髪の青年は、後方から事の成り行きを愉しそうに観察している漆黒の少女を睨むが、彼女は軽く肩をすくめるだけだ。
姫川愛梨は亡くなる前の数ヶ月間、家庭内でしきりに有馬かなの話題を出していた。面白い子役の女の子を見つけた、なかなか見所がある、しっかり育てればきっと大女優になる、と。
当時の幼かった姫川大輝は、何度も彼女の話を聞かされて対抗心を燃やしていた。尊敬する母親が、息子の自分を差し置いて年下の女の子に興味津々であるという事実に。
それから、彼は出来る限り有馬かなの出演作に目を通した。目を焼く程に眩い太陽の様な演技、母親の演じる不倫女を引き立てつつも、自身を主張する彼女の演技は、子ども心に悔しくも認めざるを得なかった。
だが姫川大輝が高校生に、有馬かなが中学生になる頃には彼女もすっかり落ちぶれてしまい、いつしか有馬かなに対する興味は失せてしまっていたのだ。今日、ここに来るまでは。
今の彼女は、まるで――、
「それじゃ姫川さん、今日はこれでお暇させてもらうわね」
「ちょっと、かなちゃん! まだ私の話は終わってないよ!」
「うるさいわねぇ。……そうだ、ねぇアクア、そのお水を貰っていい?」
「別にいいけど、大分
「構わないわ。その方が都合が良いもの」
自販機で買ったミネラルウォーターは初夏の大気の中、数十分が経過してとっくに常温になっていた。
もしかして、黒川あかねに対し、自分との間接キスでも見せるつもりなのか? とアクアは想像した、のだが。有馬かなはその斜め上の行動に出た。
ペットボトルの蓋を外し、
顎を傾けて口を開き、
腕を上げて注ぎ口を口に近づけて、
「ふふ……」
んべっ、と。黒川あかねに向けて、子どものように、小学生の悪戯のように舌を出した。様になっているその仕草は流石、元天才子役の面目躍如といった所か。
それに対し、蒼玉の少女は頭に血が上り、馬鹿にしないでと言い返すつもりで口を開く。しかし、何か言葉が出てくることはなかった。
有馬かなの、唇から舌を出している状態は変わらない。だが、一瞬にしてその雰囲気は全く異質なものに変わっていた。
その唇は、そこから覗く舌先は、水分を浴びて唾液と混ざり。きらきらと、てらてらと、妖しい光沢を帯びて蛇のように蠢いている。
水を飲んでいるわけではない。深紅の少女は注ぎ口から零れる水をその綺麗な顔で、華奢な全身で受け止めていた。顔から首筋、胸元、臍や下腹部、大腿部から脚部そして足と靴、地面へと水が流れていく。上着から下着、そして肌へとあっという間に侵食していく。
彼女の唇と舌は、子どもが悪戯に使うそれではなく、一端の女が男を誘い、快楽を与え、精と命を受け止めるものへと変化していた。斉藤ミヤコから手取り足取り、口移しで叩き込まれたその技術は、夜の街でも十分に通用すると太鼓判を押されている。
「はぁっ……」
やがて――ペットボトルの中身が無くなり、腕を下ろした有馬かなは、全身がずぶ濡れになりながらそれでも笑顔のままでいた。
「……ああ、
「全く――仕方のない女だな、お前は」
今の彼女は、まるで……姫川愛梨のようだった。
有馬かなと共演したドラマの主演、不倫女の役で。意地悪な姑から水をかけられ、それでも虚勢の笑みを崩さなかった彼女に。
金紗の少年は青いハンカチを取り出し、濡れた少女の顔を拭いていく。されるがままになっている有馬かなの表情は、父親に世話される小さな娘を思わせて。
奇しくも、そのハンカチに刻まれている文字は――「
「水を味方にしなさい」。これも姫川愛梨の言だ。
物理的な面でも、人体の半分以上は水分で構成されており、人間にとって水は空気と並んで最も必要不可欠な要素である。人は何も食べなくとも数日もの間は生きることが可能だが、水が無ければ3日も持たないと言われている。
海や川での水着は勿論、急な雨で全身に服が張り付いた時や、ディナーの場においてグラスの水を引っかけられた時に至るまで。概念的にも、女優と水は切っても切れない関係にあると言っていい。
「じゃあね、黒川あかね。いずれまた、板の上で会いましょ」
――水も
髪の先端から水の雫を滴らせながら、黒川あかねに近付き懐に入り込み。踵を上げて、蒼玉の少女の頬にそっとキスをした。
「――ひぅっ!?」
童女の稚気と無邪気さを。
少女の輝きと瑞々しさを。
淑女の色香と妖艶さを。
悪女の狡猾さとしたたかさを。
そのいずれかを身に付けていなければ、子役や女優は務まらない。
だが、その全てを兼ね備えた役者など、一体どれだけ居るというのか。
有馬かなならば、出来る。それは姫川愛梨の確信だ。
漆黒の少女は満足そうに、ようやく下地が出来たようだと唇を吊り上げた。
「やっぱり、持つべきものは
有馬かなにとっての黒川あかね然り、斉藤ミヤコ然り。相争い技を磨き合って、共に高め合う存在が必要なのだ。
まだレーザー技術が無かった時代、ダイヤモンドを研磨する為にはダイヤの粉末が必要であったように。愛し愛される男と、競い合う恋敵の存在こそが、女という宝石を磨き輝かせる。
映画「雨に唄えば」において、スター女優リナが失脚した原因は甲高い悪声と、彼女が己の高慢さを改めずに周囲の人間の尽くを敵に回したからだ。であればこそ、主人公ドンと彼の親友コズモ、駆け出しの女優キャシーは団結して策を思いつき、社長もその提案に乗ったのだ。
物語終盤。制作会社がキャシーを売り出そうとしているのを知ったリナは、ついに雇い主である社長を契約を盾に脅すという暴挙に出たことから、彼女は完全に見限られる。ドンとコズモ、社長の3人は幕を開けるロープを楽しそうに引き、舞台で歌うリナは口パクだったこと、本来の歌い手はキャシーだったことが衆目に晒され、これによってスター女優の座は交代となり、物語は終劇となる。
――もう少し周りと上手くやらねえと、この業界長くやれねえぞ。
五反田監督の言葉と、アクアとの共演で味わった屈辱。それが無ければ、有馬かなもリナと同じ命運を辿っていただろう。
だがもう有馬かなは、違う道を歩み始めた。
天才子役と持て囃されても現状に甘んじることなく、改善と研鑽の努力を続け。
売れなくなっても、屈辱を味わっても決して諦めることはなく。
父親が家を出て行っても、母親に見捨てられても折れることなく独り孤独に戦い続けて。
人生の転機に、尊敬出来る恋敵を得て、油断ならないながらも身を案じてくれる師を得て、ずっと想い続けた愛すべき男を得た。
何の障害もなくトップに上り詰めた輩など面白くないし、そんな存在は何かイレギュラーがあれば、あっという間に馬脚を
だが、真の天才が挫折と苦悩、絶望を味わい、それらを不屈の精神と周囲の協力で乗り越え、再び頂点に返り咲くことが出来たなら。その牙城を崩すのは、決して容易な事ではない。
深紅の少女は今――
絶望しかねえよ、と姫川大輝は途方に暮れた。
ずっと探し求めていた「ヒカル」。彼によく似た金紗の少年を連れ出してみれば、そこに遅れてやってきたのは実の母親によく似た雰囲気を持つ少女が、二人。星野アクアと名乗った少年は文字通り、両手に深紅と漆黒の花を侍らせていた。
すわ三角関係の修羅場かと思いきや、劇団ララライの後輩である黒川あかねもまた、少年に惚れている様子。
とどめとばかりに、彼女らの喧々囂々の合間に出てくる「あの人」という謎の存在。恐らく、女だろうと直感した。
(星野お前、どれだけ女をたぶらかしてるんだ!?)
自分と金紗の少年が、腹違いの兄弟だと姫川大輝が知って絶望が上乗せされるのは、もう少し先の話になる。
――一方。黒川あかねはと言えば、見事なまでに脳を焼かれていた。
本人は決して認めはしないが、有馬かなの厄介ファンである黒川あかねは、深紅の少女の出演作は可能な限り目を通していた。自身が所属する劇団ララライの看板役者、姫川大輝の母親は朝ドラ女優として有名であり、彼女らが共演した不倫ドラマは特にお気に入りの作品である。
先程の有馬かなはまるで、その朝ドラ女優が演じたヒロインのようであり――。
(かなちゃん! かなちゃん! 人妻有馬かな!!)
星の子どもたち――第二章〔了〕