「――要約するとだ。神木ヒカルは俺の血縁上の父親で、お袋は当時小学生だった神木と関係を持っていて、それで俺が産まれたってことか?」
「どうもそうらしい」
「で、神木はその後、お前の母親と付き合って、結果お前が産まれた。――つまり、俺たちは腹違いの兄弟ということになる、と」
「ああ、そうだ」
「とどめに、あの
「本人の言葉を信じれば、だがな」
「……人間関係ややこしすぎるだろ」
「全くだ」
姫川大輝――本名、上原大輝のマンションにて、星野アクアは家主と向き合っていた。
あのミュージカルの観劇後、姫川大輝が「星野アクア」、「役者」という字句で調べてみれば、苺プロのアクアという身元は簡単に割れた。後日、青年は改めて苺プロにコンタクトを取り、電話に出た斉藤ミヤコが驚いて受話器を落としそうになったものだ。まさか月9ドラマの主演男優から直に電話が来るとは、彼女にしても夢にも思っていなかっただろう。
こうして、お互いに時間が合ったタイミングで再会し、込み入った話になるからと姫川大輝のマンションに訪れているのだった。
「そうなると、俺が親父だと思ってた上原清十郎は托卵された哀れな男だったってことか。そりゃ真実を知ったらキレるわな。あの心中はそれが理由だったのか……」
「だろうな……」
「不倫は文化」という、前世紀末に話題になったキャッチフレーズがある。とある有名俳優が、妻子がありながら19歳年下のモデルと交際していたことに群がったマスコミが報じた言葉である。
実際のところ、当の俳優はそのような台詞は発していない。「芸術や文化には不倫から生まれるものもある」という発言が記者によって曲解され、不倫は文化という言葉がひとり歩きを始め、大々的に報じられたというのが事実である。
その翌年、不倫をテーマとして扱った映画が大ヒットし、そのタイトルである「失楽園」は不倫の隠語となり、その年の流行語大賞に選ばれた。
――余談だが。その作品において、主人公の妻を演じた女優の姓は「星野」である。
これらの出来事が重なり、大衆にとって不倫が話の種として急速に認知されていき、皮肉にも「不倫は文化」がある意味で現実のものとなった。特に、容姿に優れた芸能人の不倫は珍しくなく、その事実が露見するとあっという間にお茶の間に広がり、雑誌や電車の吊り広告に大きく取り上げられた。
結局は、姫川愛梨もその一人だったというだけの話だ。
「やっぱり、ショックだったか? 父親だと思っていた人物が、本当は赤の他人だったというのは」
「……まあ、ちょっとはな。でも、親父の事は嫌いだったし、会ったこともない男が実の父親だって言われてもピンとこない、ってのが正直なところだ。昔から面倒を見てくれてた金田一さんの方が、よっぽど父親らしいと思ってる」
「ああ、それはよく判るよ」
星野アクアにしても。血縁上の父親より寧ろ、十年以上世話になっている五反田泰志の方が父親と言われて余程しっくりくるのも確かだ。殆どの人間にとっては往々にして、
「俺はそれよりも、お袋の性癖にドン引きなんだが……」
「相手が小学生だからな……」
星野アクアはそう言いつつも、当時の神木ヒカルと同じ年頃だった時の自分を思い出す。
父親への復讐心を斉藤ミヤコに見抜かれてから、彼女と一緒に入浴するのが珍しくなくなったあの数年間。小学校高学年になって第二次性徴期に入った身体が、彼女の魅力的な肢体にとうとう反応してしまったあの時。
果たして、背後からアクアに抱き着いてきた彼女は、どういう顔をしていたのだろうか?
ずっと子どもだと思っていた義息子が、大人の男への階段を昇り始めたという事実への喜び? 寂しさ? それとも――。
(今度は、アクアの方から誘ってくれる? 貴方に、
あの時の彼女は、僅かながらも欲情していたのではなかったか?
その艶やかな声色は、触れ合う肌の感触は、伝わってくる吐息の熱さは。今現在、男女の関係となった自分たちの間で交わされるものと似通っていたように、思う。
そう考えれば、姫川愛梨と神木ヒカルが関係を持つに至った経緯や理由も判るような気がした。すぐ近くに強く求めるものがあって、後は自らの意志しだいで容易に手に入るのならば、大抵の人間はそうするだろう。その時のアクアとて、復讐も何もかもを忘れて斉藤ミヤコに溺れたい気持ちは確かにあったのだ。
そこで踏みとどまった星野アクアと斉藤ミヤコと、世に許されない関係へと足を踏み入れた神木ヒカルと姫川愛梨と。
一体、どちらが正しかったのだろうか。
(――いや、結局は同じ道を歩んでいる)
数年の違いはあれど、少年は斉藤ミヤコとともに、父親と同じく禁忌の道へと進み始めた。その先に幸せが待ち受けているなんてことはそうそう無い。世の創作でも現実でも、悲劇に終わる方が圧倒的に多いのだ。姫川夫妻と神木ヒカルのように。
それでも。星野アクアは自分で選んだ道なのだから、後悔はしていない。間違いだとも思っていない。
もう戻らない。この道を彼女と、彼女たちと進みゆくだけだ。
「姫川さん、他に何か聞きたいことはあるか? 大体のことは答えるけど」
「そうだな……。有馬のことだが、随分と雰囲気が変わったな。俺がこの前出た月9ドラマの相手役は20代半ばの女優だったけど、あの有馬は下手するとその女優よりも色気があったぞ。女ってのは男を知れば大なり小なり変わるものだが、あそこまで極端なのは初めて見たな。――お前のおかげか?」
「それもあるけど、大体は姫川愛梨のせいだな。有馬かなを女優として育てるのは、前世でやり残したことだって言ってたぞ」
「ああ、そういえばお袋が死ぬ少し前に、有馬は鍛えればきっと大女優になると言ってたな。……もしかして、それが未練で生まれ変わったってのか?」
「それもあるかもな。でも、あの女が有馬と再会したのは偶然だと思う。あの女が俺を勧誘しようとしていた時にかなが割り込んできて、あの女は多少なりとも驚いてたからな。……というか、生まれ変わりなんて突拍子もない話を信じるのか?」
「これでも役者だからな。物語にそういう設定は珍しくないし、幽霊だの化物だの異世界だのよりかはずっと信憑性がある。それに――」
「それに?」
「あんな女がそうそう居てたまるか」
「ほんとそれな。早くあの女を何とかしてくれよ、
「キッショ、俺の事を兄さんとか呼ぶな」
小さく笑い合う二人の男たち。片や人生の大半を復讐劇に費やしてきた少年、片や役者道を追求しつつ母親の真実を追究してきた青年。両者とも他事に
「で、アクア。誰が本命なんだ? 有馬にお袋、それに黒川もお前に気があるみたいだったけど」
「かなは兎も角、他の二人はねえよ。天河は俺のことを神木の代用品や予備とでも思ってるんだろうし、あかねはあくまでも番組上での付き合いだ。プライベートで恋人にするつもりはない」
「ほう……。有馬が本命、とは言わないんだな。となると、本命は『あの人』とやらか」
「……!」
少年の目が細められ、向かいに座っている青年を睨みつける。やや緩んでいた場に緊張感が走り、殺気にも似た空気が広がっていく。
先日の修羅場において、会話の節々に出てきた「あの人」という謎の存在。有馬かなが目標とし、追い付き追い越そうとしている人物。口ぶりからして、彼らより年上の女性なのではないかと姫川大輝は当たりをつけていた。
「そういきり立つな。別にお前たちをどうこうしようとは思ってない。ただの興味だよ」
「好奇心は猫を殺すぞ」
「イギリスの
「……知らないな」
「『猫は葉っぱの味を知りたかったので、毒持ちの葉を食べてしまい、死んでしまった。だが、猫は物事を深く知って満足したおかげで生き返った』だとさ。生前のお袋は教育ママでな、事あるごとに教育と称して
「確かに、あの女はそういうところがある。話が長くて嫌になるが、時々真に迫ったことを言うから聞き流せないんだよな。有馬は真剣に耳を傾けてるけど」
「年長者の言うことはちゃんと聞いておけ。先達からのアドバイスだ。
まあ、それは兎も角として、だ。――有馬には気を付けろよ」
「……どういう意味だ」
「あの時の有馬は、まるでお袋を見ているみたいだった。お袋も、恐らく有馬もだが、自分が一番じゃないと気が済まないタイプだ。星野お前、本命は別に居るんだろう?」
「かなにはちゃんと説明して、納得してもらってる」
「一時しのぎにしかならんぞ。女の感情なんて、言葉で解決出来るようなものじゃない。いずれ我慢出来なくなる時が、必ず来る。そうなる前に別れろ――と言いたいんだが、あの様子じゃ無理だろうな。有馬は相当お前に入れ込んでるぞ。親父みたく心中されるなよ」
「笑えない冗談だ……」
「心中はされなくとも、ゴムに穴を空けるくらいはやってくるかもしれん。避妊具は新品の箱入りのを使えよ」
カードゲームでのギャンブルにおいて、カードにイカサマされるのを防ぐためにセキュリティシール付きの新品を使うことがある。シールが破られていなければ、中のカードには誰も触れていないという品質保証があるからだ。
姫川大輝が言っているのは、それと同じことである。
「マジで笑えねえよ……」
あっちを立てれば、こっちが立たず。つくづく男女関係、それも三角関係は難しいとアクアは思い知る。これ以上ややこしくしてたまるかと、少年は静かに溜息を吐いた。