星の子どもたち   作:パーペチュアル

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Emerald 18

 

 

 

 雨が降っている。

 

 

 

「ん……、ここは……」

「気付いたか、ミヤコ」

 

 見慣れた天井。とは言っても斉藤ミヤコの自室ではなく、苺プロの事務所のものだ。妙齢の美女はソファの上に寝かされており、普段自分が使っているデスクには義息子であり部下であり不倫相手でもある、金紗の少年が腰を下ろしていた。

 

「私は、一体……」

「どこまで覚えてる?」

「確か、事務所で貴方たちが黒川あかねさんの話をしていて、それで――」

 

 

 

 ……ミヤちゃん、

 ……助けて。

 

 

 

 声が、聞こえた。

 久しく忘れていた、声。懐かしくも忌まわしい、声。

 斉藤の姓になる前のミヤコが、見て見ぬ振りをした、聞こえなかったことにしてしまった声。

 あの子が、自分に助けを求めていた声を。

 

(最近は思い出すこともなかったのに、どうして……)

 

「ほら、喉渇いてるだろ」

 

 差し出されるミネラルウォーターのペットボトル。蓋を開け口をつけると、身体は水分を欲していたのか一気に三分の一ほども飲み干した。そこでようやく、自分がかなり汗をかいていたことに気付く。この部屋は空調が効いているにも関わらず、服が身体に張り付いていて気持ち悪い。

 

「……なんだか、昔を思い出すわね」

「そうだな。俺たちは変わっているようで、実は大して変わっていないのかもな」

 

 苺プロの再建と、双子の養育。そして、アイが抜けた後のB小町のプロデュース。

 斉藤壱護が蒸発した結果、女手一つに圧し掛かるにはあまりにも重すぎる責任と労苦を背負うことになった斉藤ミヤコ。彼女の人生の中で、間違いなく最も大変だった時期。

 仕事に疲弊し、デスクに突っ伏して寝てしまうことなど日常茶飯事。幼いアクアに出来ることと言えば、風邪を引かないように毛布をかけてミネラルウォーターを用意しておく位のものだった。……付け加えるなら、風呂場でミヤコの背中を流したりストレス発散に付き合うくらいのものか。

 だが、今はもう違う。ミヤコの身体を抱きかかえてソファに寝かしたり、胸を貸すことも肩に寄りかからせることだって出来るようになった。男として、彼女を慰め悦ばせ満たすことも。

 

 それでも、出来ないことはある。彼女が()()を、語らない限りは。

 

「とりあえず怪我はなさそうだ。ただ、呼吸が荒く、心拍数も高い。発汗も普段よりずっと多い。これは典型的な――」

「PTSDの症状、と言いたいんでしょう?」

「……そうだ。今のミヤコはまるで……昔の俺みたいだ」

 

 アクアが幼い頃、アイが亡くなってからの数年間。時折、夜中に酷く(うな)されることがあった。目の前で母親を殺され、冷たくなっていく彼女の感触を、小さい身体と心に深く刻みつけられたのだ。少年が心身に支障をきたすのも、無理からぬこと。

 そんな時、ミヤコが包み込むように抱き締め、その体温を混ぜ合わせると、アクアは安心したように眠りに就く。彼女が少年に対し、スキンシップやボディタッチを欠かさないのは、こういう背景もあった。

 

「アクアったら、お医者さんみたいなことを言うのね。――そういえば、前にそんなことを言ってたかしら」

「まあ、な」

 

 

 

 

 

 

 二人が男女の関係になった翌日。星野アクアは前世、雨宮吾郎のことを斉藤ミヤコに打ち明けた。

 正確には、打ち明けようとした。彼女が知ったのは、アクアが前世の記憶を持っていること、その時の職業が医者だったことである。それを聞かされて、少年が幼い頃から年の割に賢しい言動ばかりしていたのはこういうことだったのかと、ミヤコは得心が行ったようであった。

 

『そこまでよ、アクア。それ以上は言わなくてもいいわ』

『いいのか?』

『貴方の前世がどうだったかなんて、私が知る必要は無いわ。少なくとも、今はね。

 貴方はアクア、星野アクア。星野アイの息子で、あの子の大ファン。そして、私の義息子で、部下で、私の男なのよ。それだけで――十分』

『本当に、いいのか』

『ええ。アクアだって、私が大学時代に夜の仕事を渡り歩いていたこととか、給料をホストにつぎ込んでいたこととか、私と壱護とのあれこれを聞きたいと思う?』

『思わない。考えたくもないな』

『そうでしょう。少しくらい秘密があった方が、男も女も魅力的なのよ』

『そういうものか?』

『そういうものよ。どうしても知りたいなら話すけど?』

『……いや、いい。聞きたくなったら言うよ』

『そうして頂戴。私も、貴方の過去を知りたくなったら言うから』

『……判ったよ』

『納得がいかないようね』

『そりゃそうだろう。折角、貴女の全てを俺に下さい、だなんて格好つけて言った矢先にこれだからな』

『ふふ、私がそう簡単に思い通りになる女だと思う?』

『思わない、けどさ』

『いいこと、アクア。女の過去はね、引きずり出すものではないの。過去を捨てさせるのではなく、新しい恋と愛で上書きするものなのよ。それこそ、服を重ね着していくようにね』

『なんとまあ、随分と手間がかかりそうだな』

『それは貴方次第ね。私の全てをものにしたいなら、アクアが私の過去も未来も全部、上書きして。私を、アクアだけの色に染めて頂戴。――貴方に出来るかしら?』

『……やってやろうじゃないか』

 

 そこまで言われたならばもう……男としては専心一意、奮起するしかないじゃないか。

 その夜は大層盛り上がり、壁を隔てた場所の星野ルビーの耳にも入り、彼女の安眠を妨げる事態になったのは言うまでもなく。

 

 

 

 

 

 

 今の斉藤ミヤコは、アイの葬式で喪主を務めた時。もしくはB小町が解散した日、すっかり寂しくなってしまった更衣室で一人、立ち尽くしていたあの時と同じような表情をしていた。

 ――絶対に、放置しておくわけにはいかない。

 

「今まで、ミヤコの過去にはあまり深く触れてこなかったけどな、こんな事態になったからには話してもらうぞ。――何があった?」

「それ、は……」

「そんなに似てるのか? あかねと、自殺したミヤコの友人は」

「……っ! そういえば、アクアには話しちゃったんだっけ……」

 

 あの日、二人の関係性が変わってしまった日。星野アクアが、斉藤ミヤコに復讐心を見抜かれた日。

 失踪した斉藤壱護から離婚届が送られてきて、ヤケ酒して事務所の机に突っ伏して寝てしまったあの時。

 ミヤコが精神的に疲弊している時に、金紗の少年は優しく慰めてくれて、それでいて助けを求めているようでいて。

 それはさながら、雨の中、「ひろってください」と書かれた段ボールの中で、身を震わせ救いを求めている子犬のように。

 

 幼子ながら弁の立つ少年から本音を引き出すべく、斉藤ミヤコは己の過去を、僅かな逡巡の後に彼に話した。アクアがあのまま突き進んでいたら、いつか――親友と同じく、破滅への道へと堕ちていきそうで、見ていられなくて。

 

「……あの子と黒川あかねさんは、境遇は確かによく似たところがあるわ。だから、今になってあの子の事を思い出したんでしょうね。でも、性格の方は寧ろ反対、かなさんやルビーに近いと思うわ。

 あの子は姫川愛梨さんに憧れて女優を目指してて、一度決めたら真っ直ぐに突き進む努力家で、絶対に落ちると思ってたオーディションに見事合格したわ。合格通知が来た日はあの子の家でお祝いをして、朝まで夢や目標を聞かされたものよ」

「……」

「私たちは進級して、あの子は進路調査で『東京に行って女優になる』って書いて……それが気に入らなかったクラスの女子たちから虐められるようになったの。虐めていた子たちはクラスでも有名で、怖い大人と付き合ってるって噂があって……私はあの子が虐められているのに気付いていたけど、庇ったら標的が私になるんじゃないかって考えたら怖くて、あの子と距離を置いて、見ない振りしてた……」

 

 あの時と同じ台詞、同じ告解。その後悔は、今もなお彼女の奥底で燻り続けている。

 

「一度、あの子は助けを求める表情で私の方を見てきたことがあるの。でもその視線が怖くて、恐ろしくて、目を合わせないように俯いていたけど……そうしたらあの子は、一気に表情が抜け落ちてしまった。死んだ魚のような目って、きっとこんな風なんだろうなって考えた私に自己嫌悪したわ」

 

 その時、少女だったミヤコは幻視した。親友の右目に映る星の光が、暗く、昏く、黒く濁っていく様を。

 その闇の光は、右目に復讐心を(たた)え身を焦がす幼い頃のアクアに重なって見えた。だから彼に、思い出すのも辛い過去を話してしまったのだ。彼女と同じ道を、決して辿らせないように。

 

「あの子が自殺して暫くの間、夜に真っ暗にして眠るとね……聞こえるの。助けて、って囁いてくるあの子の声が。だから私は、光を求めて芸能界に入った。夜でも眩しい水商売を転々とした。……それでも、声は止まなかった。

 ――でもね、アイに出会ってからはその声が聞こえなくなったの。あの子の眩しい光が、私を救ってくれたのよ」

 

 強すぎる光は、他の小さな光を掻き消してしまう。存在しなくなったわけではない。だが、そこに在ったとしても誰の目にも留まらないのならば、それはもう無いも同然だ。他のB小町メンバー全てを引き立て役へと貶めたのはアイの責任ではないにしろ、彼女の所為には相違ない。

 

「なのに私は、夜景が綺麗なあの部屋を……契約したのよ。そして、アイは……」

「ミヤコ……」

「恩を仇で返すなんて、最低な女よね……私って」

 

 斉藤ミヤコの闇。夜景に囲まれた綺麗な光の群れを求めてセキュリティの甘いあの物件を契約した結果、最も眩しく尊い星野アイという極大の光を、永遠に喪うこととなってしまったのだ。何たる皮肉、何たる因果か。

 

「御免なさい、アクア。こんな……欲深くて醜い女で……」

「黙れよ」

 

 俯いて抑揚もなく話し続けた斉藤ミヤコが、驚いて顔を上げる。星野アクアが、静かでありながらもこんな乱暴な言葉遣いをするのは初めてだったから。

 少年は女の両肩を掴み、強引に自分の方へと向き直らせる。指先が柔肌に食い込み、爪は皮膚を裂かんばかりの力で。

 強引な愛情表現とDVは紙一重。今のアクアの言葉と態度は、その境界線ぎりぎりの所で揺れ動いている。

 

「俺はミヤコを選んだ。俺が選んだ、俺の女なんだ。その女を貶めることは、誰であっても許さない。例えそれが、ミヤコ自身であってもな」

「アクア……」

「言っただろ。ミヤコが抱えているものを、悩みも、罪も、後悔も――全部を、一緒に背負うって」

「アクア……!」

「ミヤコはその子の事も、アイの事も助けられなかったのかもしれないけど。それでも、ミヤコは俺とルビーを助けてくれた。育ててくれた。救ってくれたんだ。ミヤコが居なかったらルビーは立ち直れなかったかもしれないし、俺は復讐心に押し潰されて今ここに生きていなかったかもしれない。

 だから、今度は俺がミヤコを助けるよ。ミヤコの代わりに、あかねを助けてみせる。あかねを、アイやミヤコの親友の二の舞にはさせないから」

「……ありがとう、アクア」

「ミヤコはここで待っていてくれ。ここが俺たちの家で、俺たちは家族なんだから。――そうだろ?」

「ええ……そうね……」

 

 

 

『それから――必ず、ここに帰ってきなさい。私たちはもう、家族なんだから』

『……ありがとう、ミヤコ』

 

 

 

 幼い頃に交わした約束を、誓いに変えて。

 少年は妙齢の美女の唇――ではなく、額にキスを落とした。その意は「あなたを大切にしている」という深い愛情が内包されている。

 星野アクアは久方ぶりに、唇以外の場所に口付けた。だがそれでも物足りないとは思わない。ここには男女の性愛ではなく、この(ひと)を助けたいという純然たる気持ちが込められているから。

 

 ――こうして、二人は。今暫くの間だけ、男と女の関係から母子の関係へと戻ることになったのだ。

 

 

 

 雨風が激しく、降っている。

 その時は、近い。

 

 

 

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