「あーっ、キット!ケラス!いたぜーっ!」
一方、自分が出ていった部屋でそんな会話が行われていたとは露知らず。とてとてと廊下を歩く『歌わず』の少女の正面から、ナ―ベルの大きな声が聞こえてきた。なんだろう、と思う暇もなく、今度は真後ろからドシドシドシと地面を揺るがすような重い足音が響く。振り返る暇すらなくみるみる近づいてきたかと思うと、次の瞬間には少女の体はいともあっさりと持ち上げられていた。
「……!?」
「おう、間違いないの。ぐわっはっは、存外お転婆じゃったのう」
さすがにバタバタと抵抗しようとして、ようやく遅れて気づいた。この太い腕に鋼のような筋肉、それにこの声。宙ぶらりんのままおずおずと後ろを向くと頭頂部から二本角の生えた厳つい獣人、少女にとってはよく見知った顔と目があった。
「……」
「ここをいざ出るときになって、気づいたらおらんかったからのう。慌ててとんぼ返りして探しとったんだわい」
「はーい、こっちもメカモズ偵察部隊回収完了っと。いやよかったよかった、ありがとねナーベル」
吊り上げられたまま逃走防止とでもいうのかケラスの肩にそのまま座らされたところに、その足元から他の場所で捜索していたらしいキットも顔を出す。
「へっ、この程度朝飯前さ。それにここは敵地じゃないんだし、そもそも慌てることなんてなかったしな」
最後に第一発見者のナーベルも低空飛行で飛んできてから壁を蹴って勢いを殺し、そのまま空中一回転を決めてスタリと着地した。そのこなれたスタイリッシュさに同じ鳥人として思わずぱちぱちと手を叩くと、隠そうとしているのはわかるがまるで隠しきれていないほどに得意げな表情で小さな体でこれでもかと大きく胸を張ってみせる。
「……ナーベル、今の動き暇さえあればすっごい練習してたもんねー。よかったねえ一発成功できて」
「な、なななななんでそれを!みみみ見てたのかっ!?」
にやにやと笑いながら横から口を挟むキットに秘密を暴露され、顔を真っ赤にして墓穴を掘りつつ慌てふためくナーベル。それに姉譲りのあくどい笑みをより一層色濃くしたキットが、とどめの一言を放った。
「あ、ほんとに練習してたの?いやー言ってみるもんだね」
「キットオオオォォッ!」
悲哀、恥辱、嘆き……様々かつたっぷりの感情がこもった切実な咆哮に、若人たちの大騒ぎを黙って見ていたケラスがついに堪えきれなくなったらしく体を揺らして盛大に笑う。転がり落ちそうになったところを慌てて手近にあった彼の角に掴まる少女に、すまんすまんと頭を掻いて地上に下ろしてもらった。
……正直なところ、それで少しほっとしたのは少女には否めなかった。ケラスの肩はサイズ的な不都合もなく極めて安定こそしていたものの、岩のようにごつごつしたうえに鋼のように固い筋肉のせいでお世辞にも乗り心地がいい場所とはいえなかったのだ。一言で表現すれば同じ筋肉質ではあるが、なめし皮のような皮膚としなやかな肉質の持ち主だったフラクトールとはまた違うタイプなのだということを身をもって実感する。なるべくさりげなく、本人に気取られないよう傷むお尻を撫でさする。
「どれ。いつまでもこんなところに突っ立っとらんで、そろそろ街に行くかのう。ナーベルもキットも、いつまでもじゃれとらんでそろそろ大人しくせい。周りに迷惑じゃろがい」
「はーい、ほら行くよナーベル」
「……チックショウ、納得いかねえ……わーったよ、この牛!」
「そうカッカするでないわい。そもそも、勝手に墓穴を掘ったのはお主じゃろうに」
「うぅ……」
足取り軽く戦闘を行くキットの後ろを、見るからにしょんぼりと肩を落としついていくナーベル。あまりに覇気のないその後ろ姿に思わず駆け寄ろうとした少女の小さなその肩を、しかし寸前でケラスの大きな手がそっと掴んで止めた。きょとんとしてその顔を見上げると、珍しく神妙な顔で小さく首を横に振る猛牛と目が合った。少女と目線が合う高さにまで屈みこんで、先を行く彼らに聞こえないよう少女の耳にだけそっと囁く。
「よくわからないかもしれんが、儂に免じて今だけはそっとしといてやってくれい。あの年頃の男はな、ああいう心の傷は下手に慰められる方がよけい惨めになるもんじゃ。まして、
「……」
いまだとぼとぼと歩くナーベルの背中と、こちらを見つめ続けるケラスの顔を見比べる。慰めが惨めになる、という感覚は今ひとつピンとこなかったためまだ迷いは多少残っていたが、それでも結局少女はためらいながらも首を縦に振った。ナーベルとの付き合いも、過ごしてきた人生経験も、彼の方がずっと長い。それを見てほっとしたように口元をほころばせ、ケラスがまたよっこらせいと立ち上がる。
「すまんのう、せっかく気を使ってくれたというのに。それで代わりといっちゃなんだが、ひとつ頼まれてくれんかの?」
「……?」
再び歩き出しながら、その大きな手でケラスが道の先を指し示す。その手の先には、すっかり遠くなったキットのピンク色の髪がぴょこぴょこと跳ねているのが見えた。
「ナーベルは儂がフォローするから、嬢ちゃんはその間キットの方を見ていてくれぬか?なにせさっきもそうじゃったが、あ奴もあ奴で悪気はないがいかんせん自由人の気が強いからな。誰かの目の届くところに置いておかんと、何をするかわかったもんじゃない……おっと、今のは本人と姉には内緒じゃぞ」
「……」
また小さく頷くと、満足したのかぐわっはっはとまた肩を震わせて笑う。
「嬢ちゃんは話が早いし、頭も回るから助かるわい。今日はあの子供たちの引率が、儂と嬢ちゃんの仕事みたいなもんじゃ。もっとも、おおかたあ奴らに言わせればそりゃ逆で、今日は儂のお守と嬢ちゃんの保護者役が仕事じゃと思ってそうじゃがの。じゃがそれで満足するんなら、そう思われるのもやぶさかでもないわい。なにせ儂らが手に入れるために戦ってきたのは、子供が生きるために凌ぎを削るような日々じゃなく、そんなことを言っていられるような世界じゃった。のう?じゃあ、また後で会おうぞ」
最後にそう言って自分の口元に人差し指を当ててみせ、悪戯っぽくウインク。先を行くナーベルに向けてこれまで少女のペースに合わせ抑えていたのだろう歩幅を上げ始めたケラスに、慌てて少女も更に先を行くキットへ追いつくために小走りになるのだった。
「う~~ん……」
「……」
「いや、でもなあ……これだけ破損の少ない動力に綺麗なまま原型保ってる装甲でしょ?正直キットちゃんゴルゴンダでもあんま見たことないレベルだなーって」
「……」
「掘り出し物、掘り出し物かぁ……実際この機を逃すとこんなのもう拾えるかどうか、なんだよねぇ」
「…………」
祭りの喧噪や楽しそうな音楽、白く清潔な石造りの建物と明るく温かく降り注ぐ太陽、おいしそうな食べ物の匂い、そしてそれとは別に町全体にそこはかとなく漂う薔薇の香。
の、それら全部に背を向けて。ぶつぶつ呟きながら薄暗い路地裏に屈みこむ少女がひとりと、その後ろで手持ちぶさたに立ちすくむそれよりもさらにひと回り小さな少女。その視線の先には、地べたに直接敷かれた薔薇模様の布の上に所狭しと広げられた大量のガラクタの山。油断なく少女たちを見つめる店主の視線を感じながら、真剣そのもののキットには聞こえないよう気を配りながらも何度目かわからないため息を小さな法の少女……『歌わず』の彼女は小さくついた。
「ベアブルムに組み込んだやつと同型だけど、あれより出力も強そうだしサイズも全然違う……新型の発展形……?」
「……」
傍から見ていてもなんだかわからない小さな金属の塊を慎重に持ち上げて目を細め、内部を透かそうとしかねない勢いでじっと見つめるキット。まだまだこの場から動きそうもないその様子に、基本我慢強く不満を表に出さない少女もさすがに小さく肩を落とす。
本当に、どうしてこうなってしまったのだろう。ケラスと別れてから先を行くキットにどうにか追いつき、彼女から迷子になったら困るからね、キットおねーさんにまっかせなさい!と手を繋いで(ここで内心ケラスの言葉を思い出した)祭りの中に飛び込んだ、そこまではよかった。たくさんの人の中で目が回りそうになりながらもしっかり繋がれた手のおかげではぐれずに済んだのは、間違いなくフィジカルと要領で『歌わず』である少女をはるかに勝るキットのおかげだった。
だった、のだが。
『お、こっちの路地裏でも露店やってるっぽいね。表の店を見て回るのもいいけど、こういうところも面白そうじゃない?キットちゃん、ちょーっとでいいから覗いてみたいなあって……ダメ?』
そもそも、ここで抵抗すべきだったのだ。フェリジットから頼まれた薔薇の香水にしても、こんなアングラな場所で売っているような代物ではない。それを理由にすれば、少女自身があまり乗り気ではないことも相まってキットも大人しく折れてくれただろう。
だが、少女はどこまでも「いい子」だった。それは平時でこそ美徳ではあるが、同時に獣としてトップクラスに大事な本能のひとつ……野生の勘による危機回避を理性と理屈が上回ってしまい選べないという欠陥でもある。結果、それでキットが喜ぶならと気は進まないなりに首を縦に振った。そして物怖じしない彼女に手を引かれ、入り組んだ路地に入った先で見た。見つけてしまった、というべきか。
『この近くに発生した「ホール」からの掘り出し物……?』
その看板を見た瞬間の彼女の顔は、当面忘れられないだろう。間違いなくあの時、その目は見たこともないほどに光っていた。
『キットちゃん一生のお願いっ!ほんのちょっぴりでいいからここ、この店だけ見せて!ほんっとに約束するから、見終わったらすぐ出るから!』
今にも土下座せんばかりの勢いで泣きつかれ、断り切れずに頷いて。しかし後から考えれば、ここが本当に最後のチャンスだったのだ。
結果として、彼女たちはそこから一歩たりとも動いていない。あの時はまだ東の空にあった太陽はもはや天頂を飛び越え西に傾き始め、大量のホール由来の品を前にしたキットは完全に自分の世界に閉じこもってしまっている。少女も少女でその性格が足を引っ張り、自分からキットの注意を引くことができず。もうひとりの当事者である露天商もキットが腰にぶら下げたままの重たそうな革袋とそこに詰まった金貨のことを考えれば、下手に口を出すよりも気が済むまで見せてやる方が得策だと踏んだらしい。
そもそも「ホール」由来の品なんて、いくら珍しいとはいえ基本的には使えないし理解もできないのだからわざわざ金を出して買おうという一般人は極めて珍しい。かといって廃棄するのも希少なので、せめて二束三文でも何かの間違いで小金になればそれでいい、ぐらいの調子での出店だったのだ。ところが目の前の猫耳少女ときたら、あの革袋の中身全てを投げ捨てんばかりの勢いで何時間も粘っている。思わぬ上客候補を前に、一体いくらまでならあの革袋の中身を即決で出すのか慎重に見極めて値段を組み立てる必要がある。そうやってあらゆる要素がおよそ最悪の絡み方をした結果、彼女にとっては宝の山ともいえる研究対象に心奪われた若き天才美少女ハイパーキットちゃん(自称)を止められるものはもはやどこにもいなかったのだ。
結果。あまりに女子組の帰りの遅さを心配したケラスとナーベルがようやくキットを発見、全員揃って神殿へ帰還したころにはすでに太陽は影も形もなく、辛うじて道中で確保したフェリジット用の薔薇の香水最後のひと瓶以外の戦利品もなく(路地裏を出るときには財布が空になっていたため。その元凶はさすがにやっちゃったなー、という思いと冷めやらぬ興奮を織り交ぜたような顔で微妙に調子の外れた口笛を吹きつつ、歩くたびに背負った風呂敷いっぱいの大量のジャンク品をガチャガチャ言わせていた)。ないない尽くしの小さな体に精神的な疲労をいっぱい詰め込んで、ぱったりとベッドに倒れ込むが早いが泥のように眠るのだった。
明日はまた、朝から遠征が再開される。
そして、それからしばらくして。音を殺した形だけのノックとほぼ同時に少女の部屋の扉がゆっくりと開き、ピンク色の髪がひょっこりと顔を出す。
「おはようございま~す……」
そんなささやきと共に部屋に入り込んだ寝間着姿のキットの視線が辺りを警戒するようにあちこち動き回り、最後には部屋の中央、侵入者にも気づかずベッドの上で完全に熟睡している少女で止まる。そのまま音もなく忍び寄り、小さな体にはだいぶ余り気味のベッドの端にそっと腰を下ろした。次いでその手を伸ばし、うつ伏せで眠る背中をゆっくりと慎重に撫でる。それでもなお呼吸も脈拍もほぼ一定、ちょっとやそっとの刺激では目を覚まさないであろうことを確認してから、そっと小声で口を開く。
「今日はさー、本当にごめんね、せっかくのお休みなのに振り回しちゃって」
普段はゴルゴンダの砂海で煤の体に鉄のガワを持つスプリガンズたちと陽気にやっていることが多いためあまり見せることはなく鉄獣戦線の中にもそれを知る者は少ないが、実は彼女にはマッサージという意外な特技がある。
その昔、自分ひとりが生き延びるだけでも難しい日々の中で、まだ幼い彼女も同時に生き延びさせるために早朝から深夜まで手を尽くしてくれていた姉。選んでいられなかったその手段から泥棒猫の悪名を背負いつつも彼女にとっては常に頼れる最高の肉親の負担を少しでも癒そうと、必死になって我流で覚えたものだ。
「ふふふ。キットちゃんのこのゴッドハンド、リズねえちゃん以外には滅多にやったげないんだからね」
時が流れた今でも体に染みついた手つきで、目の前の小さな背中の血脈やツボに沿って正確に力を加えていく。最初こそわずかにくすぐったそうに身じろぎしたものの、次第に気持ちよさそうな深い呼吸と共により深い眠りに沈んでいった。その様子にまだまだ自分の腕も捨てたもんじゃないと笑みを浮かべ、また話しかける。
「こんなのでお詫びになるかはわからないけど、ちょっと楽になってよ」
『歌わず』の少女よりも年上で経歴も長い彼女は、皆を家族と呼ぶ鉄獣戦線の中にあってはいわば姉の立場である。その立ち位置でありながら可愛い妹分をおそらく人生初だったであろうお祭りに連れ出すどころか路地裏に放置し続けて碌な思い出も作ってやれなかったことには、少なからず後から反省して思うところもあった。
それに彼女自身、仕方ないと理解していながらも日々の糧を捻出するために姉が家を出ている間はずっとひとりぼっちで過ごしていた幼少の日々のことはよく覚えている。どんな思いで、自分が機械いじりという現在の道に逃げ込んだかも。今でこそこれは立派な趣味(兼実益)だが、最初のきっかけはとにかくなんでもいいから寂しさを紛らわせたかったのだ。深夜遅くから早朝日が昇るより前のわずかな時間にだけ会える姉とゴミ捨て場から偶然拾った風雨に晒されボロボロのマッサージの本、そしてたくさんの鉄くず。それが、物心ついてからまともに外を歩けるほどに成長するまでの彼女にあった世界の全てだった。そんな自分が、まさか同じような思いを妹分にさせてしまうとは。
「リズねえちゃんも、昔はこんな気持ちだったのかな……」
思わず口から零れた本音を、誰も聞きつけた者はいない。その静寂が、なぜだかひどく心を落ち着かせてくれた。
「ごめんね、なんて調子のいいこと言えないけどさ……やめやめ。はい、おっしまい」
一通り刺激を終えたタイミングで、湿っぽくなってきた思考を振り払うように首を振って気持ちを切り替える。
結局は、これも自己満足にすぎないのだ。例えば直接謝罪の言葉をかけたとしても、この優しい少女はそれを受け取ってはくれないだろう。むしろ自分の存在が気を使わせたことを苦にして気に病む、この時代を生き抜くにはあまりに善性の強い子だ。何かにかこつけて起きている時にこのマッサージだけしようとしても恐縮して断り続けるだろうし、たとえ説き伏せられたとしてもかえって緊張のあまり体が硬くなるだけだろう。だから、こうやって人目を忍んで夜這いのような真似をする……いや、単にナーベルあたりに見つかると昼間の仕返しとしてたっぷり言いふらされるリスクがあることも考慮してはいるけれど。
「じゃ、明日からまた頑張ってこうね。キットおねーさんも部屋に戻ってそろそろ寝……およ?」
勢い付けて立ち上がり忍び足のまま部屋を出ていこうとして、ふとズボンに引っかかりを感じて振り返る。すやすやとよく寝ている少女の小さな手がいつの間にか伸び、工具を差し込むため縫い付けたポケットの端をキュッと掴んでいたのだ。
「ありゃりゃりゃりゃ、ちょーっとお手を拝借」
「……!」
できる限りそっと指を外そうと手をかけるも、触れた瞬間に身じろぎされて瞬時に固まる。数度呼吸する間にまた元の規則正しい寝息のリズムに戻ってほっと息を吐いたものの、もう一度と手を伸ばすとまた呼吸が乱れ今にも開きそうにまぶたが震えて再び沈黙する。そんなことを幾度か繰り返し、最後には結局どうやっても手放してはくれないかと嘆息することになった。
となれば、これから取ることのできる手段は限られる。まずひとつが、ズボンだけ脱ぎ捨てて下着姿で部屋に戻る……いやこれはさすがにないだろうと即座に打ち消した。あまりにも絵面がひどすぎるし、そもそも明日の朝にどんな顔でズボンだけ取りに来ればいいのだ。
となると、こうするしかないわけで。一度は降りたベッドの上に今度は寝転がり、少女の邪魔にならないようにそっと丸くなる。
「もーう、しょうがないなあ……キットちゃんの一晩添い寝コースなんて、特別中の特別だぞ~?」
優しく囁き、後は明日の自分にどうにかしてもらおうと目を瞑る。自分よりも小さな気配と小さな寝息を感じながら意識を手放すのは、不思議と悪い気持ではなかった。
これにてヴァンパイア帝国編に続き、白薔薇の回廊編もおしまいです。
3話は……いつになるんだろうなあ(遠い目)。
まあちゃんと最後まで書きますとも、ええ。