鉄獣戦線遠征記   作:久本誠一

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最終決戦です。
今回は全編通してちょっと変則的なスタイルで書いてますので、読みにくくなった等の不満は是非ともください参考になるので。


???
VS『聖女』-戦場1


 5月11日、夜。星明かりすら届かないほどに深く暗い森の道なき道を、夜目とわずかなランタンの明かりだけを頼りに鉄獣戦線が強行する。先導するシュライグに、そのすぐ後ろでゴーグルを着用し銃を構えるフェリジット。少し下がって本隊にぴったり付き、左右の暗闇に神経を尖らせるルガルとフラクトール。そして最後尾では、油断なく殿を固めるケラス。誰も皆、昨日までとはまるで別人のようにその表情は硬く足取りは早い。

 そしてシュライグが突き進むさらに前方、キット謹製の暗視ゴーグルを装着してもまるで見通せないほどに暗い森の奥で小さな光が揺れるのを見た。こちらに向かってくる光に対し、しかし彼も一切その歩を緩めずに直進を続けていく。やがて光の正体……メカモズを引き連れて前方の斥候に当たっていたナーベルが帰還する。本隊に合流した彼もまた、普段のおちゃらけた様子はどこへやら一切の無駄口を叩かずにシュライグへと暗い声で語りかける。

 

「……駄目だね、リーダー。結構進んでみたけど、出口もなければ目印もなし。反面ヤバいのもしばらくは出てこなさそう」

「わかった、ご苦労だったな」

「へーい」

 

 空になったランタンにオイルの補充をするため下がっていくナーベルを見送り、次にシュライグに話しかけたのはフェリジット。本隊には聞こえないよう声を潜め、足だけは止めず隣に並ぶ。

 

「どうする?このまま闇雲に歩き続けても、そのうちどこかで限界が来るわよ」

 

 険しい口調は、そのまま彼女の感じている漠然とした不安の表れである。本当に、どうしてこんなことになってしまったのだろう?誰も口に出しはしないが、それは全員の頭にちらついていた。

 まず今朝に野営地を発ち、名もなき平野を抜けてとある森に入る。そこまでは、何も問題なかったはずだ。慣れ親しんだというほど通い詰めていたわけではないが、この遠征に出る際はいつも使ってきたルート。迷う要素なんてどこにもない……はずだった。歩けども歩けども続く変わり映えのない先の見通せない景色、木々の隙間からほんのわずかに見える空の向こうで暮れなずむ夕日、そしてついには夜の闇。何かがおかしいと気が付いたときには、すでに引き返すことも困難なほどに先に進んでしまっていて。

 

「……そう、だな」

 

 いつもの何考えているのか絶妙に読み取れない表情に、しかし長い付き合いでその内心を読み取ったフェリジットがしまったと下唇を噛む。この異常な状況から考えられる最も可能性の高い危険は、なんらかの攻撃による戦場への誘導。だとするならば自分たちは、今まさにまんまと敵の手中に落ちている。フェリジットとしては自分も含め誰もが手遅れになるまでそれに気づけなかったのだからこれは同罪、さっさと切り替えて行こうぐらいにしか思っていないがこの男は今それに加え、鉄獣戦線のリーダーとして背負わなくてもいい後悔と罪悪感を同時に感じているのだろう。まして今回は、非戦闘要員も引き連れているのだ。群れをどこまでも大事にする彼のスタイルに自分の価値を下げたがる悪癖も相まってこの状況はまさに最悪への下り坂を現在進行形で転げ落ちている状態であり、これまでの道中無言のうちに彼が感じ続けていた重責は一体どれほどのものか。

 完全に振る話題を間違えたと自分らしくもないミスに後悔する彼女を他所に、おもむろに当のシュライグがその足を止めた。そのまま後ろの本体へと振り返り、大きく声を張る。

 

「皆、今日の移動はここまでとする!この森に火を起こせるだけのスペースはないため過ごしづらいだろうが、せめてゆっくり休んでくれ」

 

 聞くものに不安を抱かせない、平静を保ち堂々とした声。味方には絶対の安堵と自信を、対峙する敵にはいたずらな焦燥を招く凶鳥の一声。先行きの見えない不安の中でもその効力は抜群であり、どこかほっとした空気が流れる。思い思いに荷物と腰を下ろす団員達とは逆に、近寄ってくるひとつの影。

 

「ルガル」

「また時化た面してんなお前は……んで今回の現状だが、どう思う?」

 

 何とかしたいと思いはすれど、こうなったシュライグは何を言ったところで気を晴らしはしない。ならばできもしないメンタルケアよりも、現状の打破に思考の舵を切らせる。それにひとりで沈思黙考させておくよりも、無理矢理にでも話しかけて口を開かせればその動作が多少は気晴らしになるだろう。扱い方を心得ているうえにフェリジットの失敗から学んだ半人半狼のぶっきらぼうな気遣いに、果たしてシュライグは応えた。

 

「……不気味だな」

「だな。いっそさっさと攻めてきてくれりゃもうちょい楽なんだがな」

 

 隣にどっかりと胡坐をかき、愛用の銃剣を手入れするために砥石を引っ張り出しながら頭を掻くルガル。獣人である彼らの方向感覚をもってして、何もないのに道に迷うなど絶対にありえない。このあたりの地形が一変するような何かが起きたとしたら白薔薇の回廊で……いや、それ以前にヴァンパイア帝国の領主の口からとっくの昔に聞かされているはずだ。こんな大きくかつ彼女基準では愉快であろう話、黙っておけるほど彼女の口は重くないはずだというのが彼らの共通認識だった。

 ともあれ、相手の目的も正体も見えてこない以上はあまり下手に動くこともできない。がむしゃらに行軍を続けても、何も反応はなかった。ならば、こうして一か所にとどまってみてはどうなるだろうか。どのみち歩き詰めで団員にも疲労が見えてきていたから、立ち止まるにはいいタイミングだった。

 

「敵さんの狙いが何にしろ。舐められっぱなしじゃいられないよな?」

「ああ、そうだな」

 

 同意はするが、だからと言って現状できることがあるわけでもないのも事実である。

 先ほどから視界の端ではキットが森のあちこちに手製のレーダーを向けて熱源や音声、果ては電波や霊的存在のエネルギーに至るまでの察知に当たっているが、何も言いに来ないあたりをみるに成果はまだ出ていないらしい。その反対側ではあちこちの木々の間にフラクトールが鈴の付いたロープを死角となる位置に結び付けており、気休め程度にしかならないものの一応の防衛線を築いている。手持ちぶたさと言えば聞こえは悪いが、人手自体は足りている現状鉄獣戦線にとっても最高戦力である彼らは下手に動き回るよりも有事に備えて全体を見渡していた方が、いざという時の備えになる。

 

「ったく、待ちの一手ってのはどうにも……あん?」

「……む?」

 

 座り込んで団員たちを眺める立場となったふたりがその違和感に気が付いたのは、ほぼ同時だった。お互いに同じことを考えていることには気づきつつも、まさかそんなことないだろうと改めて最低限の野営のため忙しそうに立ち働く団員たちの姿をゆっくりと見回す。ただでさえ皆がもう終わったはずの戦争の影に苦しんでいるのだ、不用意に場をかき乱すわけにはいかない、そう言い訳しつつ。

 味も素っ気もない代わりに音も匂いも出さない、すっかり食べ飽きた戦闘糧食に隠し持っていたらしい(おそらく出所は自分たちの台所であろう)ジャーキーを乗せてぱくつきながらキットの後ろで妹に何かあれば即座に銃を撃ち込む気のフェリジット、小型ナイフや閃光弾、ねずみ花火といった攪乱用アイテムをあちこちの隠しポケットに補充しているナーベル、大木にもたれかかりその剛腕と太い指で器用に先ほどまでのルガルと同じく銃剣の手入れをしているケラス……馬車の影やテントの中にも、いない。色濃い焦りと後悔を隠しきれない唸り声が、ルガルの喉から聞こえてくる。

 

「オイオイオイ、マジかよ……!」

「皆、少し手を止めて聞いてくれ!」

 

 立ち上がるシュライグに、皆が手を止めて視線を向ける。困惑する顔のひとつひとつを見回してわかったのは、嫌な確信がいよいよ現実になりつつあることだった。声に出したくないその事実、その言葉の重みを感じながら口を開く。

 

「……誰か、『歌わず』を見たものはいないか?」

「え?あの子ならそこに……あれ?」

「ちょっと前までいた、よな?いくら俺が鳥頭だからって、ねえ?」

「儂も間違いなく見かけた覚えが……な、なんじゃ?おーい、いるならいると何か音を立てて教えてくれぬかのーう!」

 

 顔を見合わせる全員に伝播して深まりつつある困惑と不穏な空気に耐えかねたケラスが、頭上の木の葉すらも揺れるほどの大音量でわざと明るく声を張り上げる。しかし風もなく静まり返った野営地には、不気味なほどの沈黙しか返ってはこなかった。

 

「……悪戯、はないだろうな」

 

 フラクトールの呟きは、その可能性の低さを口にした本人すらもよく理解していた。まさかあの少女に限り、そんなことはしないだろう。では、途中ではぐれたか?これに関しては絶対にない、とは言い切れない。一日を通してかなりの強行軍であったことは否定しきれないし、何よりもまずいことに口のきけないあの少女には何かが起きた時に本隊を呼び止める手段がない。

 まさか、そんなことがあるはずがないと誰もが思う。しかし、それを自信を持って証明できる者がいないのもまた事実。「この野営地で見た気がする」、「ついさっきそこに居た気がする」……しかしそれが本当に確かな記憶かと問われれば、誰も答えられなかった。

 

「誰だ!」

 

 だが、その沈黙も長くは続かない。一時の空白を打ち切るように、叫びと銃声がほぼ同時に空を裂く。硝煙たなびく銃剣を構え、瞬きする間もなく戦闘態勢に入っていたルガルが油断なく構えつつ睨みつけていたのは、森の奥。そこにいたのは、薄手のドレスらしきものを身に着けた細い人影。闇と木の幹に隠れてその全身こそ見えず鎧の一部、辛うじてそれが白を基調としたものだとどうにか視認できるほどでしかないものの、それほどの至近距離まで接近を許していた。

 

「女……?当たったはずなんだがな、手応えがねえ!」

「全員、戦闘態勢!」

 

 そして、シュライグの判断は素早かった。すなわち戦線全体を一匹の獣と見立て襲い掛かる、彼ら得意の戦術で眼前の敵を食い破る。夜目効かぬ鳥人の身であるハンデを微塵も感じさせない、揺るぎない号令。それに従い瞬く間に奇襲への対応を取る鉄獣戦線を前にしても、いまだ闇からわずかに体の一部を見せるのみの人影は動かない……あの人影こそ、先ほどルガルとの会話にも出た敵と見て間違いないだろう。威嚇抜きの銃弾を撃ち込まれ、明らかな敵対行為を働かれてなお何のリアクションも返してこずただ棒立ちしているだけだというのも不気味な話だが、逆に言えばこの期に及んで何もしてこないという状況そのものが、偶然運悪くこの場に居合わせてしまった第三者という可能性も否定していた。

 

「あれあれあれあれ、リーダー、これってつまりさぁ!」

 

 敵は、あのひとりとは限らない。人影からは目を離さないまま同時に四方にも気を張りながらナイフを逆手に握ったナーベルが、ペストマスク越しでも声の調子だけでわかるほどに顔面を蒼白にして声を上げる。そしてその言葉を、フェリジットが引き継いだ。誰もが思いついたが、誰も口にはしたくはなかった可能性。それでも、誰かが言わねばならないこと。

 

「あの子、見ちゃいけないものを見ちゃった可能性があるわね……!」

 

 吐き捨てるように呟くと、まだわずかなブランデーの風味がその舌に残っているような気がした。つい今朝には一緒にお茶を飲んだ子が、その日の夜にはその生死すらも不明。いや、むしろ可能性は悪い方に大幅に傾いている。無論、彼女たちがこれまで潜り抜けてきたのは戦場だ。それ自体は決して珍しい話では、ない。

 だが同時に、それに慣れる道理もない。どちらにしても生きて帰れると思うなと、狙撃銃の照準を腹のあたりに合わせる。ここで脳や心臓といった急所を狙わないのは、そちらの方が的が小さいからだ。当たれば即死、というのは少し体をずらさればそれだけで重傷、下手をすれば回避にまで格落ちする。いわばハイリスクハイリターンの狙撃ポイントであり、それに反して最初から重傷を狙う一撃は即死こそ免れるものの確実にその戦闘力を削ぎ、的も大きく、かつ体幹に近い腹部は体の末端よりも急な回避動作を取らせにくい。引き金にかけた指に力を込め、あと少し力を入れればいつでも蜂の巣にしてやれる体勢を取る。

 緊張の張り詰めた中、その中心にいた件の人影が、おもむろに動いた。襲い掛かかるのでも逃げるでもなく、ただ一歩一歩シュライグに向けゆっくりと歩いてくる。

 

エクエク(エクレシア)……?」

 

 ようやく晒されたその顔を見て、真っ先にキットが呟いたのは親友と書いてマブダチと読む仲の少女の名だった。だがすぐに、目の前の女と彼女は別人だと我に返る。確かにその背格好こそさほど変わりはないが、髪の色も目の色も、その生気の感じられない人形のような美貌も、何もかもが彼女とは違う。でも、どこか似ている。何も似ていないにもかかわらず、やはりどこか似たものを感じる。感じてしまう。

 そうしてあまりに異常な光景に気圧されて誰も下手に動けずにいる間に、また女の行動が変わった。シュライグ達のことが見えていないかのように目線ひとつ動かさないまま立ち止まり、す、とその片手を前に伸ばす。

 

 どろり。

 

 その腕から、コップに注いだ水が溢れるように音もなく闇が漏れ出た。

 

「これは!?」

 

 反射的に後ろに飛び退りつつ、シュライグは「それ」を間近に見ていた。「それ」は闇といっても、光通さぬ黒一色ではない。まるで手のような、大きく開いた牙持つ口のような。変幻だが明らかに一定の法則から成り立つ形を持つ赤みがかった黒い影に、いくつもの真っ赤な丸い目が不規則に並んで動いている。そのうちのひとつと目が合った瞬間、凶鳥の背筋にここ最近でも最大級の嫌な予感……警戒を一足飛びに跳び越えて、生存本能が警鐘を鳴らし始めた。そして女の眼前ではその目を中心に周りの影が寄り集まって、足先から徐々に全身鎧を着た人型へと変化していく。そのフルフェイスの剣士の名を、しかしシュライグは言い当てた。忘れるはずもない、あのドラグマの全身鎧。四肢と得物の大剣に、仄かに走るプラズマ。そして何よりも、無言で対峙するだけで感じるこのプレッシャー。

 

「フルルドリス……!」

 

 本来、この場所にはいないはずの女。ドラグマ異端審問会最高戦力にして史上最高数、4もの聖痕をその身に刻まれた最強の聖女。その剣先が、かつての好敵手へと向けられた。

 

 

 

 

 

 ……そして、話はその少し前に遡る。具体的には強行軍を諦めたシュライグが一時足を止め、野営の準備を始めたばかりのころ。

 結論から言えば、『歌わず』の少女は確かにこの瞬間までは隊列にいた。小さな体での強行軍は確かに堪えはしたが、それでも辛うじて途中ではぐれることなく付いてきていた。

 とはいえその時点で息も絶え絶えの限界寸前、野営のお手伝いをしなくてはと思う心とは裏腹に体の方はもはや一歩たりとも歩けないほどに限界であり、それでも皆の所に近寄ろうとして、結局手近にあった大木にもたれたまま力尽きてずるずると腰を下ろし。

 その尻がちょうど地面に着いた瞬間、周りの風景が一変したのだ。

 

「……!?」

 

 手を伸ばせば届くほど近くにいたはずの仲間の姿やその明かりが、何の前触れもなく煙のようにふっと消える。あまりに突然の出来事に束の間疲労も忘れて立ち上がり、おずおずと先ほどまで彼らがいたはずの所に足を踏み入れる。

 ……だが、誰もいない。地面といわず木々といわず実際に歩いても手探りで触ってみても、なんらかのヒントどころか数年単位で人が足を踏み入れたような痕跡すら、その付近からはどこにも見つかりはしなかった。

 一体、何が起きているのか。自分は今、何に巻き込まれているのか。それすらもわからず、これ以上動き回るのと助けを信じてこの場所でじっとしているのとでは、どちらがいいのかも決めかねる。

 

「……」

 

 涙は、出なかった。心細い、寂しい、不安だ……そんな理由では、泣く気になれない。本来の群れを追われたあの時に、その理由ではもう一生分泣いたから。実体験として泣いてもどうにもならなかったし、泣ける余裕があるうちは誰も助けにはこなかった。来るわけがなかった。少女が鉄獣戦線に拾われたのは、そんな元気や体力すらなくなった時。毎日どんな手を使ってでも生き延びようと足掻いて、結局食べること、体を休めることもまともには叶わない日々がしばらく続き、脱水と栄養失調でその命の火が消え付きかける寸前のことだ。

 だから、少女は前を向く。幸いにして一番の不幸なことに、周りは森の中だ。いざとなれば木の皮や地面の苔でも剥げば、多少は空腹も誤魔化せる。これだけ深い森が育つ環境だ、水源の存在はもちろん雨だってそこそこの頻度で降るだろう。運が良ければ虫や小動物、木の実なんかも見つかるかもしれない。だがどちらにせよ、今動くのはまずい。どこもかしこも深い森だけがただ広がっていて完全に方向が分からないこの闇夜では、闇雲に動けばそれこそ死を招く。せめて朝まで待って、最低限の東西南北だけでも合わせてからそれに沿って動くべきだ。鉄獣戦線がこれまで通ってきた地図上でのルートは、少なくともこの森に入るまでの分は一応頭に入っている。

 

「……?」

 

 そう指針を決め、ともかく朝までは体を休めようとして。ふと、不自然なものが目に入った。それは、こんな深い森の中ではまず見ることがないだろうと思っていたもの。明らかに人工的な、小さな柔らかいオレンジ色の光。鉄獣戦線の誰か……では、ないだろう。光の色からそれはわかったものの、それ以上の特定には至らない。

 ここで、また少女には決断が迫られる。すなわちあの光に対し接触を試みるか、それとも知らぬふりして不干渉を貫くかだ。先ほどから何かに固定されているのかピクリとも動かないあちらにいる誰かは、恐らくだがまだ少女の存在に気づいていない。どちらにも相応のメリットとリスクが存在する選択。

 

「……」

 

 思い切って、少女は光の方へと歩を進めた。何が起きるかわからないのは承知の上だが、もしこの森で脱出と合流の夢叶わず野垂れ死ぬとしたら。せめて最後に、心残りがなるべく少なくなるように動きたかったのだ。

 

「……」

 

 夜目が効かないカナリアの少女は、目指す先の一点以外に光源も持たない。密集した木々をほぼ手探りで伝い、どうにか転ばず前に進み続ける。当然、木の根などにぶつかる足音を殺す余裕などあるはずもなく。結果恐る恐る隠れて覗くどころか、光の下に辿り着く頃には完全に向こうからも補足されていた。

 

「あらいらっしゃい、かわいらしいお客さん。ここも別に、わたしの場所じゃないけれど」

 

 そこは、これまで少女が通ってきた道なき道とは違い木々がなく、ぽっかりと空いた広場のような空間。そこだけが月光に照らされて、なぜか屋外にもかかわらず机がぽつんと置いてあった。上から降り注ぐ冷たい光で明かりには不足しない机と、向かい合うように並べられた同じく木製の椅子。そしてその片方に腰かける、声の主でもある女。

 

「……」

 

 銀髪に色の白い肌、そして赤い目。その人形じみた美貌も合わせてどこか先日の吸血鬼にも似た雰囲気があるが、あれよりもさらに得体の知れなさは上だ。声の調子から少なくとも今は敵意がないことを悟り、少女もぺこりと頭を下げて挨拶する。次いで自分の喉の周りを漠然と指さし、物を喋るジェスチャーをしてから両手をバツに組み合わせて首を振ってみせた。だがそれよりも女の気を引いたのは、少女が腕に巻いていた仲間の証らしい。

 

「鳥人、それにそのバンダナ。鉄獣戦線ね?」

 

 つ、と細い指が伸び、青に染め上げられた布を指す。質問ではなく確認といった調子の言葉に素直に頷くと、女の表情が初めてわずかに緩んだ。

 

「そう……運がいいのか悪いのか、巻き込まれずに済んだのね。なら、わたしたちにも色々と丁度いいかもしれないわ。色々と聞きたいこともあるでしょうけど、まずはよかったらそっちに座ってくれるかしら?」

 

 そういって、空席となっている机を挟んで向かい側の椅子を示す女。見るからに怪しいが、結局少女はその言葉に従った。なぜだか、逆らったり警戒しようという気も湧いてこなかった。ためらいながらも素直に空いた席へ腰掛ける少女に、女がより満足げに頷いてみせる。

 そしてそこまで近づいて、初めて見えたものもあった。最初何もないかと思われた机だが、全く何もわかったわけではない。椅子の位置に対応する、ちょうど座ると右手の位置に当たるところに、それぞれ小さなカードの束が置かれている。きっちり揃えられているため表側は見えないが、少なくとも裏面のデザインは少女もドラグマ周辺では見たことのないものだ。

 

「さて、どこから説明しましょう。わたしたちの名前?そう、名乗りは大事なもの。わたしは、クエム。便宜上、そう思ってもらって構わないわ。わたしがこの、わたしたちの代表」

 

 歌うような調子でそう口にする女に、思わず周囲を見回す。先ほどから幾度も口にしている「私たち」という言葉から察せられる、この女以外の人影を探してのことだ。だが静まり返った森にはやはり自分たちの他には何も動く気配はなく、小さく首をかしげる。

 

「ふふ、そうね。でも気にしないで、今は関係のない話。それよりも、今の事態をどうにかするのが先。シュライグ達がどこにいるのか、知りたくない?」

「……!」

 

 いきなり投げ込まれた言葉に、思わず立ち上がる。

 

「落ち着いて、順番に話すから。まず、この森の中には現在『ホール』が発生している」

「……」

 

 ホール、その言葉は無論少女も知っている。どこに繋がっているとも知れない、滅びと恵みを古くから同時にこの地にもたらしてきた別次元に通じていると言われる大穴。だが、それがこの森の中に発生している?それは、あまりにも信じがたく突飛な話だった。

 

「正確に言えば、発生に限りなく近い状態。でもわたしの中の400と19番目の彼女が得意とした異能は、この『ホール』発生に関する予知だから間違いはないわ。その影響で、この近辺は今空間の流れが歪んでいる。あなたたち、道に迷ったのでしょう?既知と未知の物理法則が混ざり合って溶け合いひとつになりかけている最中に足を踏み込んだのだから、そうなるのも当たり前。小鳥のあなたは、たまたま空間の歪みに巻き込まれなかったのね。他の皆とは、少し離れた場所にでもいたの?」

 

 だが、なぜだろうか。有無を言わさないその言葉は、なぜだか疑おうという気がうまく湧いてこなかった。確かにみんなの姿が突然消えたあの瞬間、少女は野営地の一番端、少し離れた大木に背中を預けていた。この女性は真実を口にしている、そんな理由のない確信が少女の胸を満たす。

 

「『ホール』の発生も、それに巻き込まれるのも、この世界での摂理に過ぎない。だから、このまま放っておいてもいいけれど。鉄獣戦線が今ここで世界から消えてしまうのは、あまりにも代償が大きすぎる。仮面を外した竜にして道化、氷に閉ざした凍てつく魂、生まれ落ちたもうひとつの落胤……ゆめゆめ覚えておきなさい、今この瞬間の平和は、まだ仮初のものでしかないことを。近いうちに、あるいは遠く遠く離れたいつかで、きっと何かがまた起こる。その時にあの『凶鳥』たちがいないというのは、悪影響でしかない」

 

 一体クエムが何を口にしているのか、その言葉の意味は半分以上わからなかった。そもそもあの大陸中を巻き込んだ戦争において、表と裏の両方で起きたこと全てを理解している存在などがいるのだろうか?

 しかし意味は分からずとも、その言葉ひとつひとつに秘められた力は感覚で理解できた。これは本来、一介の名もなき非戦闘要員でしかない自分が知り得ていい次元の話ではないということも。

 

「だから、今回はわたしが手を貸すわ。他の戦いで命を落とすなら、それに干渉する気はない。でも今この瞬間、こんな起こるはずもないことが原因で消えられるのはあらゆる面で支障しかない」

 

 そして、机の上。2人の前に置かれた、ふたつのカードの束へ視線を落とす。

 

「だから用意したのが、これ。500と97番目……200と83番目の『聖女』の血を色濃く受け継いだ直系の子孫である彼女が編み出し歴史の闇にそのまま消えた、世界を俯瞰する者たちのカードゲーム。苦労したわ、どうにか今の状況を形にするのは」

「……?」

 

 カードゲーム、確かに目の前の女性はそう言った。『ホール』の危険性は、そのあまりにも高い未知性だ。吸い込まれたらどこに行くのか、そもそも近づいたからといって吸い込まれるような代物なのか、何ひとつ人知の及ばない自然現象。しかしいくらそれに対する知識がないからといって、カードゲームというあまりにも場違いなその単語がそれとどう関係しているのか。

 

「簡単に、かつ語弊を招く言い方をすれば、このカードの束ふたつ……いまあなたが座っている方ね、それはシュライグをはじめとした鉄獣戦線たちの今の状況。まだゲームが動いていないから何も起きてはいないけれど、同時に誰かがカードを手にしなければ一生先には進むこともできず何も状況が変わらない状態。そしてわたしの手元にあるのが、この『ホール』のもたらす世界の歪みを形にしたもの。これもまだ何も成しはしていないけれど、すでにゲーム自体は始まっているから降りることもできない状態。この状況を打破するためには、このふたつの束を戦わせるしかない。戦ってこの歪みを打ち倒せば、『ホール』は消える」

 

 ここで一度言葉を切り、真っすぐに少女と目を合わせる。こちらの覚悟と思いを見透かすような赤いクエムの目に見据えられ、小さく体が震える。

 

「これは単なるカードだけれど、同時に今の状況そのものでもある。このゲームを続けて盤面が変化すれば、今閉じ込められている空間の中ではそれと同じことをシュライグ達は体験することになるわ。そのうえであなたがプレイヤーとして、このゲームに勝たねばならない。彼らをこの状況から脱出させたければね。私が一人二役でどうにかしようかと思ったけれど、ちゃんと受肉している相手役がいるなら心強いわ。対人戦を無理に再現して、何か致命的な歪みが発生する可能性もゼロではなかったから」

 

 少女にとって、それは不思議な感覚だった。何を言われているのかはやはり理解が追い付かないままなのに、それに対するあって当然の困惑は不思議と感じない。とにかく現状をどうにかするためにこのゲームに乗る、そこまでを前提としたうえで無意識のうちに思考を組み立てていた。それどころか不信も何も感じず、ルールなんて知る由もないカードに手を伸ばしかけていた自分に気づき、目が丸くなる。

 その背中を、安心させるような調子のクエムが後押しする。

 

「大丈夫。あなたは今暫定的に、そして偶然世界の理から逃れた身だけれど、これはあなた自身も内包する世界。ルールなんて知らなくても、きっと自分が何をするべきかは頭に浮かんでくるもの。さあ、最初に上から15枚をその束……デッキから避けて、自分の左手側に置いて。それからさらに上から5枚を取るの。それが、今あなたが取れる最初の手段」

 

 言われた通りにカードの山からまず上から15枚、そしてさらに5枚をそれぞれ別に取る。ちらりと前を見ると、向かい側ではクエムも同じ作業をしている。そして下準備を互いに終え、いよいよゲームが始まろうとしていた。

 

「5枚取った方のカードは、もう見てもいいわよ。ただし、私の方には見えないようにね。それじゃあ、始めましょう?本当は最初に掛け声をするのがルールなんだけど、私だけでやっておくわね……デュエル」

「……!」

 

 相変わらず少女の喉からはなんの音も出てはこなかったが、それでも声なき声を張る。それにクエムはちょっと驚いたように手を止めて、それから小さく微笑んだ。

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