5月7日
こうして、白薔薇の回廊で行われた今回の神事は無事、私たち鉄獣戦線側が勝利を収めました(と言っても、私自身は見ていただけで何もしていないのですが)。あ、フェリジットさんに頼まれたスケッチはちゃんとやりましたよ!お花がたくさんのシュライグさん、我ながらかわいく描けたと思ってますので後で確認お願いします。
そしてあの戦いの後ですが、薔薇の巫女さんが何度も頭を下げていたのが印象的でした。シュライグさんが茨を取るために自分の体に火を放った行為、まさかそこまでするとは思わなかった、だそうです。実際私も、キットさんが何事か話していたかと思うといきなりシュライグさんに火を放った時は心臓が止まるかと思いましたが……。
ともあれこの戦いでの怪我人は、薔薇の巫女さんや神官さんたちが責任をもって治療を行ってくれるとのことです。私たちは人間よりも傷の直りが早いですが、それでも少しの間はここに泊まることになるだろうと皆さんの傷を見たフェリジットさんは言っていました。それで明日からの予定ですが、私は戦いで役に立てなかったぶんそちらの手伝いをしようかと思います。
・あ、リズねえちゃんからの伝言忘れてた。メンゴメンゴ、明日の朝この子には伝えときまーす(キット)
・いっけね、俺も忘れてた。悪い悪い(ナーベル)
・なら丁度いいか。キットにナーベル、明日の朝一番にケラスと『歌わず』も連れて一度こっち顔出してくれ。ところでそのシュライグのイラスト、俺にも後で見せてくれないか?薔薇の匂い塗れの病床なんてうんざりするからな、せめて大笑いできるもんが欲しい(ルガル)
・いいけど私が頼んだんだから私が先ね?(フェリジット)
・なぜ笑える前提なんだ(シュライグ)
・先に謝罪する、すまないシュライグ。ルガル、見終わったらこちらにも回してくれ(フラクトール)
・フラクトール、アンタこれいつの間に書き足したの?めっちゃ隣のシュライグに困惑した目で見られてるんだけど。リーダー泣いちゃったらとどめ刺したアンタのせいだからね?(フェリジット)
・責任転嫁すんな元凶(ルガル)
・自分だけいい子ちゃん面はさせないわよ共犯(フェリジット)
そして日が沈み、また夜が明けて次の朝。眠い目をこすりながら元気なノックの音で目を覚ました『歌わず』の少女がドアを開けると、いつもの武器やマスクではなく私服姿の仲間たちがそれを出迎えた。
「よーう。おはようさんっと」
「どうじゃ、よく眠れたかの?」
ナーベル、そしてケラス。何事かと眠気も吹っ飛び目を丸くする少女にノックの主、キットが飛び出してその手を取る。彼女も普段愛用している作業着ではなくこの街で手に入れたのか薔薇の刺繍が施されたワンピース姿で、口を開く前から全身で『今日はオフ!』と叫んでいるような格好だ。
「おっはよー!いやーごめんごめん、昨日リズねえちゃんからも言われてたんだけど、すっかり言い忘れてた。今日!私たち4人はオフです!ということで、町の方でやってる薔薇のお祭りを見に行きましょう!お祭り、行きたいかーっ!キットちゃんは行きたいぞー、イエーイッ!」
「……?」
取ったままの手をぶんぶんと降り、オフだろうがオンだろうが大して変わらないハイテンションに起き抜けの頭では着いていききれず頭の上にいくつものクエスチョンマークをくるくる飛ばす『歌わず』の少女。さすがにその様子を見かねたのか、男性陣が割って入る。
「リーダーからのお達しだよ。怪我の治療に使うここ独自の薔薇の魔法は門外不出で手伝いなんてできやしないから、こっちは気にせず街で遊んでこいってさ」
「昨日も聞いた通り、今は祭りの時期じゃからな。儂が引率じゃから安心せい」
「で、ついでにこの牛がまーたいらん火種撒かないか見張っててくれればいいってこと……むしろそれが一番の仕事だよ」
「なんじゃと小童!?」
「ひいっ!?そんなの姐さんに言ってよフェリジットの姐さんに!」
自分から割って入ったくせに途中から説明ほっぽりだしてどたどたと小柄な猛禽を追い掛け回す筋骨隆々の牡牛を呆れ半分面白半分の目つきで見送り、他人のふり見てようやく少し落ち着いたらしいキットがずっと握りっぱなしだった少女の手を離す。
「まあ、大体あんなところなのよ。あたしだけじゃちょーっとあの男どもの面倒見るのは荷が重いからさ、付いてきてくれるとキットちゃん感謝感激なんだけどなーって」
その頃には少女も、なんとなく気が付いていた。
……これ、多分全員が全員残りのメンバーの面倒見てくれって頼まれてる奴なんだと。色々と察して小さく頷き、とりあえず扉を閉めてずっと着ていたパジャマに手をかける。外に出るのならば、やはり多少のおしゃれはしていきたかった。
そして扉の前で待っていたキットと、まだ適度に煽りを入れることで火種を増やしつつ追いかけっこを続け、横を通る神官からちらほら白い目で見られていたナーベルとケラスに合流。すみませんすみませんとひたすら頭を下げるハプニングも挟みながら、治療用として特にダメージを受けているシュライグ、ルガル、フラクトールが入れられた部屋に。
「リーダー達、入るよー」
一応ノックはしたものの返事も聞かず即座にドアを躊躇いなく開けるキットにあわあわしながらも、部屋の前にいても仕方がないので後からおずおずとついていく。
「おう、悪いな顔出して貰って。ま、シュライグとフラクトールは今神官どもに呼ばれて俺だけだがな」
全身に包帯を巻かれながらも気楽そうにベッドに寝転がるルガルが、それまで読んでいた本を閉じて脇にあった机にポンと置く。代わりにその机の上に置いてあった皮袋に手をかけると、それだけで重そうな金属音がわずかに鳴った。
「おおっ?それ、もしかして今回の?」
「目ざといなナーベル、当たりだよ。これが、この神事での俺たちへの報酬だ。シュライグの野郎が回廊の修理代と治療費がわりににいくらか減らしてくれとか言い出した時はどうなるかと思ったが、ちゃんと最初の話からピタ一文まけてねえぞ」
いかにも直前まで興味なさげだったポーズをしておきながらも急に身を乗り出したナーベルに苦笑しつつ、袋の口を緩めて中身の金貨を何枚か取り出してみせる。そのままその数枚……この人数ならば丸一日はちょっとした豪遊ができるほどの額、会計にはノータッチだった『歌わず』の少女にとっては生まれてこのかた見たこともないようなそれを、当然の権利のごとくさっと差し出されたキットの手に落とした。
「んで、こんだけありゃ足りるだろ。使い道は好きにやってくれりゃあいい」
「はいよっ!じゃあ財布はあたしが持つから、いざ繰り出すぞ皆の衆!」
「えーっ、そこは俺じゃないのかよ」
「どっちでもいいが、何か美味いもののひとつでも食えるといいのう」
「土産話でもまた聞かせてくれ……ん、どうした?」
わいわい楽しそうに騒ぎながら部屋を出ていくキットたちの後ろ姿と、袋の口を締めるルガルを見比べる少女。あれが今日の資金だというのは話の流れから理解できたが、それにしたって多すぎるのではないか、そもそも昨日の戦闘に参加したメンバーはともかく自分にまでこれを受け取る資格はあるのかと気になったのだ。そんなおずおずとした視線を受けたルガルは革袋と入れ替わりに手にした本を開くのをやめて包帯で覆われた頭を掻き、たしなめるように笑う。
「お前も行ってこい、こんなところで俺の怪我なんて見てたって面白くないぞ?」
ふるふると首を振る。実際怪我人の具合も心配はしているが、手伝うことがないのであれば自分がここにいても邪魔になるだけだとは少女自身わかっていた。しかし、それとこれとは話が別だ。包帯を取り換えるくらいはできるし、せめて食事の配膳くらいの役には立ちたかった。
「そうか?気持ちはありがたいけどな。でもほら、ナーベルとキットとケラスだぞ?俺としては正直、あのメンツを野放しにしておくよりストッパーがいてくれる方が嬉しいんだ……おっと、あいつらには黙っといてくれよ?」
気に病むことはない、などと言ってもますます意固地になるだけだろう。そう判断してあえて冗談めかして笑ってみせるが、それで傷口が開いたのか痛みが走り、マズいと思う暇もなく反射的に表情が強張ってしまう。案の定そんなものを見せられてますます困ってしまったところ、思わぬ援軍が後ろのドアから現れた。
「俺からも頼む。君も楽しんできてくれ」
「……!」
「よおシュライグ、フラクトールはどうした?」
「俺の方が重傷だからと先に看てもらった。最後でいいと言ったんだが聞いてもらえなかった。何を考えてるんですかとまで言われた」
「当たり前だアホ」
しこたま怒られたらしく帰って早々むすっとした顔で不満を述べ始めたのを、ばっさりと一言で切り捨てる。実際落下の衝撃で打撲こそ受けてはいるが幸い骨や内臓は無傷だったフラクトールと、筋肉まで達するような大火傷をそこかしこに残したシュライグでは一口に怪我人と言ってもその度合いが違う。
それでも自分の受けた物理的な外傷も含め、全てひっくるめて同じ手順で治療してしまうというのだから、薔薇の巫女たちの魔法というものは凄まじいものだ……とそこまで意識を飛ばし、お互い平然とはしているものの客観的には包帯まみれで見るも無残な姿になってしまった自分たちを見てますます泣きそうになっている『歌わず』の少女の視線に気が付いた。最前線に出る戦闘寄りのメンバーならもう少しこういった姿にも耐性があるし普段はそんな奴らに囲まれているのでどうも感覚が麻痺していたが、非戦闘要員の彼女にはかなり刺激の強い見世物だったらしい。さてどうしようかと改めて思案し、コンマの速度でこの件に関しては目の前の男も同意見だったのだと思い出す。これ以上自分が説得にあたっても泥沼にしかなり得ない自覚はあったため、このまま流れで押し付けてしまおうと存外子供っぽい所もあるこの男がこちらの意図を察して逃げられる前に先手を打って手招きする。
「ま、突っ立ってないで今日は大人しく寝っ転がっとけよ。な?」
言外に逃げるなとの威圧を込めた言葉に、いくら全力で治療しているとはいえやはり昨日の今日で自力で立ち続けるのは多少辛いものがあったのか、自分用に割り当てられたほのかに薔薇の香がするベッドに大人しく腰を下ろすシュライグ。そのままその様子をずっと目で追っていた『歌わず』の少女に、心配するなと柔らかく微笑む。それだけである程度の信用が担保されるのだから、美形は得なもんだ……とは思っても口には出さず、なるべく気配を消して会話からのフェードアウトを試みる。どうしてもぶっきらぼうになってしまう自分よりも、ここはシュライグの方が適任だろう。
「そうやって心配してくれる気持ちも、手伝いたいという思いもよくわかる。昔は俺もそうだった」
「……?」
おもむろに口を開いたかと思えば、唐突に始まる自分語り。やはり口を挟みはしなかったものの、これにはさりげなく読書に戻ろうとしていたルガルもピクリと耳を動かした。これは、付き合いの長い彼も知らない話だ。もはや身振りの段階で何が言いたいのか大体わかるようになってきた今はともかく、まだ彼が幼かったころのことは。開かれた本の中身はもはやまるで頭に入ってこず、隠れるようにそっと二羽の鳥を窺う。
「鉄獣戦線が今よりもずっと小さく無名な、単なる寄せ集めだった頃の話だ。当時の俺たちにとっては破格の報酬を提示され、ある戦場に行ったことがある。戦闘の理由も、相手の顔も、もう忘れたな。報酬が高いだけあって厳しい戦場だった気がするが、まだ俺たちも弱かったからそう感じただけかもしれない。隣にいたルガルやフェリジットの顔は、今でもはっきり思い出せるんだけどな」
一見中身があるようでよく聞くとスッカスカな回想に飛ばしかけた突っ込みをぐっと喉元で堪え、少ない情報からあの時のことかと記憶の底からある戦場のことをサルベージする。
それは新進気鋭の戦闘集団と言えば聞こえはいいが、まだその日その日を生き抜くために無鉄砲にならざるを得なかった時のこと。ホールの資源はドラグマにほぼ独占され、武器や弾薬は当然使うほど消耗する。自由に生きるための基盤を手に入れるために、まず彼らが選んだのは獣人として持ち前の身体能力を生かした傭兵稼業だった。自分たちの価値を明らかに買い叩かれ、足元を見られ、あからさまな侮蔑と共に投げ捨てられた少額の金を、それでも手に入れるために無様に這いつくばってでも拾い集めて。怪我、病気、あるいは栄養失調……様々な理由から体を動かすことすらできない仲間の命を必死に繋ぎ止めてきた当時。それを屈辱と感じる心すらとうに摩耗していた、若かりし彼らの姿。青春だなんて綺麗な言葉で語るにはあまりにも血反吐や汚濁に塗れた、ひとたび夜が訪れると次に太陽が拝めるかどうかが賭けの対象として成立しうるような日々。当然だろう、ただでさえ傭兵稼業の地位は低く、獣人の立場は難しい。そのうえで本来いるべき群れを追われた寄せ集めとくれば、それはもはや『差別』ではなく『区別』だ。
そんなある日に突如として目の前にぶら下げられた、当時彼らが受けていた依頼とはゼロの数が違うような報酬。裏があるのはわかっていても、シュライグはその誘いに対し首を縦に振った。そんな当時の判断を、ルガルに責めるつもりはない。仮に彼がリーダーであったとしても、当時の状況を考えれば結局は同じ結論を出しただろうからだ。ちゃんとそのことは本人にも伝えたしそれで納得、話は終わったものだとばかり思っていたが、当人の中では今の今まで思うところが残っていたらしい。
「約束通りの報酬を渡すのが惜しくなった……いや、今思えば最初からそんなもの渡すつもりはなかったんだろうな。依頼達成の報告に行った俺が受け取るところだったのは、待ち構えていた私兵の弾丸だった。僅かな見せ金だけをどうにか奪って逃げおおせはしたが、アジトに戻った時に俺が目にしたのはその戦闘で負傷した仲間たちの姿だった」
まさか本気で今日この日、今更そこに気づいたのか、とまたしても喉元まで出かかった突っ込みをどうにか飲み下し、それでもこの男なら今の今まで気が付いていなくてもぎりぎりおかしくはない……いやいくらなんでもそこまでは……いやそれでもまさかそんなもしかして、と真剣に考えこむルガル。割と言動と思考が一致することの多いこの男の場合、何気なく放たれた一言を慣用句だからと聞き逃して後々とんでもないことになった実績は山のようにある。
そしてそんな思考はよそに、淡々としたシュライグの語りは続く。
「ちゃんと報酬さえ貰えていれば……いや、そもそもそんな依頼を最初から受けなければ。仲間の様子を見て余計に焦った俺は、ひとりでもとにかく仕事を探して失態を取り戻さなくてはという思いで頭がいっぱいになっていた」
「……」
すっかり話に引き込まれ、集中して一言一句に耳を傾ける『歌わず』の少女。ルガルもこの話の着地点がどこに行きついてどう説得に繋げるのかと、狼の耳を物理的にもわずかに傾けて探る。
「だがそれを止めてくれたのが、ルガルとフェリジットだ。とにかく何かしなくてはと何も考えず飛び出そうとした俺を、押さえつけて止めてくれた。どうしてだと思う?」
「……?」
しばらく考えた末に小さく首をかしげる少女に手を伸ばし、その頭を優しく撫でるシュライグ。巨体のルガルと並ぶと相対的に小さく見えるだけでシュライグも本来かなりの長身であり、少女がひときわ小柄なことも相まって上半身だけをベッドに起こした状態でもなお彼の方が頭ひとつ背が高い。
「休むべき時には休む必要がある、ということだ。隠してはいたつもりだったんだが、血の匂いは誤魔化しきれなかったらしい。逃げる際に銃弾を何発か避け損なったからな」
淡々と語る負傷の記憶に、少女が息を呑む。例え口がきけずとも、それを補って余りあるだけのあれだけいい反応を返してくれればさぞかし話しやすかろうとぼんやり感じながら、それはそれとしてちょっと違うんだよなあと訂正したい気持ちをぐっと押さえつける。そもそもあの時に彼がシュライグの異常に気づいたのは、血の匂いそのものではない。むしろ、それ自体はよく隠していた。
ただ問題は、その方法だ。自分でも帰路の最中でこれはまずいと思ったのだろう、あの時現れたシュライグはそれを誤魔化すため、何も考えず道中で毟ってきたらしい野生のミントをポケットといわずブーツといわず、ご丁寧に生身の片翼の隙間にまでヤケクソのようにいっぱいに詰め込んできており、そちらの匂いが余りに強烈だったのだ。自分の見栄えなどには気を使ったこともない、食い物は腹に貯まればそれ以上何も望まないと、そんな生き方をしてきた男がいきなりその嗜好とはかけ離れた草の匂いを、それも戦場ではそれだけで命取りになるほどにプンプンさせてきたら、嫌でもその異常性は目に着く。変なものでも拾い食いしたのか、人生初の大金で頭のネジが外れでもしたのかとフェリジットと共に捕まえて試しに服を剥いでみたら、乾ききっていない血の跡と真新しい銃痕が出てきたときは心底驚くと同時に呆れもしたものだ。例えばテストの点を誤魔化そうとする子供でも、もう少し不自然じゃない方法を思いつくだろう。
「結局しばらくは全員で休業状態、弾丸や刃物の調達がまともにできるようになるまでは動けるものが順繰りに日雇いで糊口を凌いだものだ。だが、それでよかったんだ。もしあの時の俺がそのまま外に放たれていたら、恐らく俺はここにいなかったろう。手負いの強盗がそう何度も成功するほど、あの町は温い所ではなかった」
「……!」
あの時、まだ鉄の国に安住を見出す前の彼らが少しずつ大所帯になる旅の途中で拠点にしていた名もなき町は、ごく一部の富裕層を除きどいつもこいつも生きるために必死で。むせ返るような生への剥き出しの執着心に溢れ、それを隠そうともしなかった。野蛮で、粗野で、残酷で、忌々しいことに体に馴染んだあの空気。
当時の戦士として頭角を現しつつあったシュライグならあの町の空気に従い暴力のみに訴えても十分にのし上がる目はあったろうが、手負いでしかも単独となれば話は別だ。数日もしないうちに身ぐるみ剥がれて肥溜めの蠅のいい餌になっているか、得体の知れないシチューとは名ばかりの廃液のような汁にぶち込まれて薄汚い浮浪者のなけなしの金と引き換えにその腹に収まっていただろう。
それがわからない頭でもあるまいに、あの時はそれだけ思い詰めていたのかよ。数年越しに自分たちのファインプレーを知らされて、今更ながらに冷や汗が毛皮を伝う。
「あの時、俺に必要なのは一呼吸おいて体と頭を休めることだった……ちょうど今と同じでな。だから君も、今は休むといい。休むべき時に動いたところで、誰も幸せにはなり得ない」
とんでもない爆弾発言こそ間に挟んだものの、なんとなく結論めいた部分に到達して話を締めくくるシュライグ。ちゃんと話しきったといつもの無表情の中にもどこか満足げな当人とは対照的に、聞き手の少女と狼の表情は暗い。
確かに、話の流れ自体は逸脱していない。少女の過労を咎め、いいから休んで来いと送り出す。目的からは逸れていないが、逸れていない分余計に性質が悪いと声を大にしてルガルは言いたかった。数年越しにこんなとんでもない話を不意打ちで聞かされて、一体俺にどうしろというのだ。そしてそんな頼れるリーダー像のすぐ裏にあるどこか致命的に危うい部分……昔からずっと変わらない、シュライグという男の根幹であり悪癖であり、そして魅力でもある部分を言外に見せつけられて、この子にもどうしろというのだ。
そんな空気には一切気付かずただひとりやり切った男の雰囲気すら漂わせているシュライグとは裏腹に、頭を抱える寸前のふたり。
救いの手は、部屋の外から飛んできた。
「男衆、入るわよー……あら、こっちにいたの?」
申し訳程度のノックとほぼ同時にノータイムで入り込んできたフェリジットが、『歌わず』の少女に目を止める。本題だったらしい抱えていた清潔な寝間着はさっさとテーブルに放り投げ、ポケットから赤く着色されたガラス製の小さな瓶を取り出して差し出しつつ少女に迫る。
「いたならちょうどよかったわ、少しお使い頼める?これ、ここの巫女に聞いたんだけど、町で作ってる特産の香水なんですって。今日はお祭りに行くんでしょう?この瓶で売ってるらしいから、ついでに私の分もひとつ買ってきてくれる?」
笑いながらも押しが強く差し出されたそれを、少女は勢いに流されてつい受け取ってしまう。それに少女の目線の位置まで屈んで高さを合わせたフェリジットはパッと笑い、さらに空いた側の手に何枚かの金貨を握らせる。
「ありがとう。じゃあ、よろしく頼んだわよ!楽しんでらっしゃいね!」
両手の塞がった少女の背中に手を回し、優しく押し出すように開いたままの扉へと送り出す。結局勢いだけで押し切られてそのまま部屋を出ていったのを確認し、口を挟む隙すらなくぽかんと見ているだけだったルガルとシュライグへと振り返って胸を張る。
「ま、ざっとこんなところよ。アンタらねえ、ちょっと理詰めで話し過ぎ。あの子は真面目ちゃんなんだから、勢いで押し出したげる方がいいの。そもそも外でキットたちがあの子探してることなんてちょっと考えればわかるでしょうに、ぺらぺら時間かかる講釈始めてどうすんのよ」
「返す言葉もねえな」
「すまない、フェリジット」
「ひとつ貸し、ね。わかったならぎゃふんって言いなさい」
「「……ぎゃふん」」
大きな体を縮こまらせて大人しく復唱する男どもを、満足げに見やり。よろしい、と山猫は頷いた。
フェリジットはこういうことする。
と思う(幻覚)