シャケよ、さらば   作:youhi

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10.涙、そしてシガレットキス

「かんぱーい!」

「おう、かんぱい」

 

グラスの音が鳴り響く。

久しぶりに飲む酒は美味かった。いつもはビールを飲んでいたが、今回はチヒロに合わせてカクテルを注文した。ジュースのようで飲みやすい。

隣でカチッと音がした。見ると、チヒロが煙草に火をつけていた。

 

「あんまり吸いすぎるなよ。身体に悪いぞ」

 

彼女の家でも、煙草の吸殻が空き缶に押し込まれていたのを思い出す。

 

「身体に悪いから吸ってんの」

「なんだそりゃ」

 

すでに酔っているチヒロはひらひらと手を振った。

 

「酒とか煙草とかでさ、クラっとする感覚あるじゃん。なんかどうでもよくなってくる感じ。あれが好きなの」

 

そう言って煙を吐くチヒロ。

どうやらゲジマユの言っていたことは本当らしい。「身体を大切にしない」というのはこういうことか。ゲジマユもよくチヒロのことを見ているものだ。

 

「身体を壊さない程度にしろよ」

「はーい」

 

その時ちょうど、頼んでないはずのオムライスが運ばれてきた。

カウンターの先のマスターと目が合う。

 

「マスター、料理は頼んでないんだが……」

「先ほど代金をいただいたじゃあないですか」

「え?」

「これはあなたがちゃんとお連れ様と出会えたことへの祝福です」

 

そう言ってくれたマスターに、オレは苦笑した。人情のあるマスターだ。

そうして酔いも少しずつ進んでいった。

 

「しかしお前、よくイケメンを殴ったな。あいつ、やっぱり襲ってきただろ」

 

オレがそう言うと、チヒロは苦笑した。

 

「ゲジさんとは違ってね、本気でヤりたがってたよ」

「あいつはヤリチンだからな」

「カミナがヤリチンって言うの、なんか面白いね」

 

チビリと酒を舐めるチヒロ。

 

「あのヒトね、バイトに命かけられないって言ってたの」

 

そして吸っていた煙草を灰皿に押しつぶした。

 

「たかがバイトじゃないか、命なんてかける必要がないって」

「まぁ、たいていの奴はそうだろうな」

「それ聞いて、一瞬で酔いが冷めちゃってさ。同時に、このヒトといたくないって思った」

「だから殴ったってわけか」

 

そう、と肯定するようにチヒロはカクテルのグラスを傾けた。

オレも同じように酒を飲んで、ふと思った。

 

「お前、もしイケメンが命かけられるって言ってたら、どうしてたんだよ」

「知りたい?」

「どっちでもいい」

「たぶん、殴ってたね」

「どっちみちかよ」

「初対面でセックスしようとする奴なんて、ろくでもないヒトだからね」

 

チヒロは何本目かの煙草に火を付けた。

酔いのせいか、こうしてチヒロと駄弁りながら酒を飲んでいるこの時間が、なんだか不思議なもののように思えた。出会った当初は絶対に仲良くなれないと思っていた。それが今、バイトをともにクリアし、プライベートをともに過ごしている。

今まで組んでいたゲジマユやインテリとも、こんなふうに過ごしたことはなかった。バイト以外でともに過ごすなんて、考えたこともなかったのだ。

オレは思った以上に、チヒロに入れ込みすぎたかもしれない。

しかしそれも、クマサンに押し付けられたバディという関係にすぎないのだ。

 

だから、これからする質問も、バディという立場上、聞くだけだ。

 

「お前さ……どうしてバイトしてんだよ?」

 

キョトンとするチヒロ。

オレは続ける。

 

「金がほしいわけでもないし、出会いの場というわけでもない。正直、一緒に組んでてあまりにも奇妙だ。お前は何が目的で、バイトをしてんだ?」

 

酒の場だからこそ聞けること。

ヒトのプライベートに突っ込むのは、酔いの特権だ。

チヒロはバーの棚を眺めている。おそらくそこに飾っている酒は目に入っていないだろう。

 

チヒロは考えている様子だったが、やがて口を開いた。

 

「ほんとうのこと言っていい?」

「あぁ」

「あたしね……シャケを絶滅させたいの」

 

オレは驚いてチヒロを見た。

チヒロは驚くほどに涼しい顔をしていた。

 

「それぐらい、シャケを憎んでるんだ」

「……理由を訊いてもいいか?」

 

チヒロは静かにうなずいた。

 

「子どもの頃に、シャケに故郷を滅ぼされた」

 

それを聞いて、オレは真っ先に思いついた。

 

「ビッグランか」

「そ、シャケの大移動。そいつらの通り道だった故郷は壊滅した。あたしの両親も妹も、巻き込まれて死んだ」

 

チヒロがギュッとグラスを握った。

身体が震えている。

 

「今でもシャケを見るとね、吐きそうになるんだ。今すぐぜんぶ殺してしまいたいって、身体がそう言ってるの」

「……そんなにつらいなら、バイトしないほうがいいんじゃないのか」

「やだよッ!!」

 

ドン、とカウンターを叩くチヒロ。

マスターが心配そうにこちらを見ていた。

その思いはオレも同じだった。

 

「シャケが今も誰かを悲しませてるんだよ……あたしの故郷のように、どこかを壊滅させてるかもしれない。大事なヒトを殺してるかもしれない。そんな奴らを、野放しになんてできない」

 

ぽたり、と涙がテーブルに落ちた。

チヒロが潤んだ瞳でオレを見つめる。

 

「だからあたしはバイトするの。シャケを一匹残らず、駆逐するの」

 

チヒロはうなだれた。

タコの髪が彼女の顔を隠した。

 

「……そうか」

 

チヒロは、これまでつらい想いをしてきたのだ。

そして重い過去を背負いながら、不安定なバランスで今を生きている。自分を大切にしない理由がようやくわかった。重い過去から逃れたいと願っている、まるで自傷行為そのものだ。

正直、オレの立場は彼女とは全然違う。オレの故郷は健在しているし、両親も妹も生きている。天涯孤独となったチヒロとはワケが違うのだ。

 

「だからさ、カミナに会えて嬉しかったんだ」

 

チヒロが横目でオレを見る。

 

「カミナは真面目にバイトしてるし、一緒にシャケを倒してくれる」

「……オレは金のためだ。シャケを倒すのが目的じゃない」

「おんなじだよ。目的は違うけど、シャケを倒すという意味では」

 

チヒロが顔を上げた。

まだ涙は引いてないが、にへらと笑う。

 

「あたし、カミナと一緒にいたい。これからもずっと一緒に、バイトをしたい」

「オレのような金の亡者でいいのか?」

「いいよ。ううん……カミナじゃなきゃ、やだ」

 

そういってチヒロはオレに抱きついてきた。

オレは驚いたが、チヒロは声を出さずに静かに泣いていた。

オレは天井を見上げた。そしてチヒロの背中を撫でた。

 

正直、チヒロの役に立てる自信はない。

オレは金のためにバイトをするだけなのだから。

ただ、チヒロの言った通り、その目的は同じなのだ。

オレは金を稼ぐためにバイトをする。

チヒロはシャケを殲滅するためにバイトをする。

奇妙なバディだが、やることは一緒だ。

 

「ごめんね、泣いちゃった。恥ずかしいな」

 

チヒロがぱっと離れた。

オレはテーブルに置かれた箱を指さした。

 

「なぁ。煙草、もらっていいか?」

 

え、と驚いた顔をするチヒロ。

 

「カミナ、煙草吸うの?」

「金欠だからやめてたんだ」

「意外だね」

「そうか?」

 

チヒロは笑うと、箱から一本取り出して、オレの口にくわえさせた。

オレはライターを借りようと思ったが、チヒロは火の付いた煙草をくわえると、顔を近づけてきた。

俗に言う、シガレット・キスだった。

 

「これからもよろしくね。カミナ」

 

オレは一瞬戸惑った。

だが——ここは酒の席。つまり、なにをしてもいいだろう。

 

「あぁ、これからもよろしく。チヒロ」

 

オレたちは煙草と煙草を重ねた。

音もなく静かに、オレの煙草に火が付いた。

 

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