全部、マスター――善の両津のせいである。
召喚され、アサシンを名乗ったその瞬間に「チェンジ」と告げられた。あろうことか、坂本龍馬を召喚しようとして触媒を間違えたのだ。
間違えて召喚されたなら、されたなりにこき使われるかと思った。通常の聖杯戦争とは違うなら尚更だ。だが、善の両津は以蔵に人斬りを禁じた。人斬りに人斬りを禁じてしまえば、残るのはただのダーオカである。
平成の世では、刀で人を斬ると罪になる。ネオ警視庁が管理しているサーヴァントでも、人を斬ったら犯罪者だ。超法規的措置はない。
しかも、善の両津は枷まで嵌めてきた。召喚術式が正規のものではない、アレンジを加えたオリジナルのものであったせいなのか、善の両津は令呪を持っていない。しかし、徹底的に調べ上げた聖杯の力を注ぐことにより、サーヴァントに制限を強いることができた。
以蔵が嵌められた枷は、「人間を斬るな」という命令だ。サーヴァントは斬っても良い。だが、一般市民もレジスタンスも、マユゾンも、法律が適用される人間を斬ってはならぬ。もし、人間相手に刀を向けると、先ほどのように腕が硬直して動かなくなるのだ。
人斬りに人斬りをさせないなど、自分のマスターは弩級のアホに違いない。いつも顰めっ面で難しい話をして冷酷な指示を出し、自分を話の中に入れてくれないバカなのだ……そんなバカの命令でこんなことになっているが、自分はバカではない。
絶対に。
「この……っ! 次から次へと誰じゃぁ!?」
「やぁね。私の進路にいたあなたが悪いんでしょう。女王の戦車に轢かれたことを、光栄に思いなさい」
「メイヴちゃん!」
以蔵を轢いたのはメイヴだった。これにて、パーティ合流である。
「あれ? メイヴちゃん、さっきよりお肌が艶々してない?」
「私の肌が真珠の如き美しさなのはいつものことよ」
「わしを無視するながや! どいつもこいつも……後でマスターにがっぽり報酬を請求してやるがじゃ」
「報酬……っ! 部長! 先ほどのお話、岡田以蔵が捕まった理由は金銭的に困窮したからでしたよね」
「そうだ。本人は賭け事や散財が趣味で、方々に借金もあったらしい」
「ならば……ここは、ぼくが」
「圭ちゃん、一体何を?」
「彼と取引をします」
怒りやその他の感情でぷるぷる震える以蔵の前に、中川が踏み出した。武装はしていない。武器である拳銃は麗子に預けらて丸腰状態だった。
「どきや」
「岡田以蔵さん、あなたをスカウトしたい」
「スカウト!?」
「まさか、懐柔するんですか?」
「はぁ?」
「あなたの剣術は素晴らしい。是非ともぼくたちレジスタンスの元で、その腕前を活かしてくれませんか? 勿論、あなたが望むだけの報酬を出します」
「わしに寝返れ言うがか。望むだけの金か……ほんなら出いてみろ。100万ぜよ!」
「100万……!」
「どいた、払えんのか。ならどきや!」
「そ……それっぽっちで良いんですか?!」
「……は?」
中川は驚愕した。演技ではない。本気で、以蔵が提示した「100万」という金額を、たったそれっぽっちと驚いたのである。
「もしかして、ドルですか? それともユーロ? まさか、幕末の頃の貨幣価値に換算して……」
「そ、それっぽっちって……大金やろうが! なら、300……500……」
「なら、こちらをどうぞ」
「何や、この紙切れは?」
「その小切手にお好きな金額を書いてください。ぼくたちに協力していただければ、書いた分の報酬をお支払いします」
以蔵が、中川の顔と差し出された小切手を二度見した。理解が追いついていない。背景に宇宙空間が広がっていそうな表情で呆けていた以蔵だったが、次の瞬間に我に帰った。
小切手を乱暴に手に取ると、ヤケクソ気味に0を書き連ねて中川に突きつけてやる。その額、10億円。
「どうぜよ、払えるか? わしは安うないぞ」
「10億……承知しました!」
「はぁ?!」
「あ、現金で用意した方が良かったですか?」
中川は以蔵の要求をあっさり受け入れた。しかも、10億円の現金を用意するとまで言っている。
以蔵がまたぷるぷる震え出した。バカにされているのか、それとも自分の理解が追いつかない世界を垣間見てしまった劣等感からなのか……そろそろ可哀想になってきた。
「こ、この……!」
「待てーーー!」
何か色々理解できなくなった以蔵が小切手を破ろうとしたら、2人の間に両津が割り込んで来た。
以蔵が破ろうとした10億円の小切手を奪うと、それを大切に大切に懐に仕舞い込んだのである。
「いらないなら、この10億はわしが貰う!」
「なんや貴様! そりゃわしのや!!」
「いらんのだろう! ならわしのだ!」
「わしのや!」
「なんて醜い争い……」
「中庸と悪が統合された両津さん……その、何と言うか、欲深いと言いますか」
「あれが、ほぼいつもの両ちゃんよ」
「日本警察の汚点だ。やはり分裂したままの方が良かったかもしれん」
「というか、アッサリ10億を出しちゃう中川さんって何者?」
『立香ちゃん……彼は、ある意味敵に回しちゃいけない地位の人だ』
「わしの金やーーー!!」
こうして、岡田以蔵が寝返ったのだった。
***
「寅さんだ!」
立香は柴又駅の前に建つ銅像を目にして叫んだ。しかし、実は映画を見たことがない。フーテンの寅こと車寅次郎のことは知っているが、舞台となったここ、柴又でどんな物語が描かれたか知らないのである。
拠点の場所がネオ警視庁にバレれてしまったため、また別な拠点に移動した。そこが、件の寅さんの銅像が建つ柴又だ。
駅前から伸びる通りから一本外れた場所にある古い家屋が、レジスタンス活動のために中川が買い取った物件である。
「
「その老人の名前は?」
「あー……確か、コ……ライ? 忘れた。異人の名前は難しゅうて覚えられん。クラスしか分からん。ライダーや」
「情報も引き出せないな」
以蔵がこちらに寝返ったので、残るネオ警視庁のサーヴァントはカルナと真名不明のサーヴァントだけだ。だが、真名不明のサーヴァントの情報が、ヒゲと歯茎?と、老年の異人でライダーであることしか分からなかった。これでサーヴァントの正体を絞り込むのは酷である。
ライダーの話題は一旦横に置いておこう。相手が分からない以上、対策を練りようがない。今現在、厄介な敵はやはりカルナである。
「あの黄金の鎧がある以上、奴にはこちらの攻撃が届きません」
「カルナさんの鎧が外れるのは、宝具を解放した時……でも、以蔵さんの話じゃ、善の両津はサーヴァントに制限を敷いている。以蔵さんは人間を斬っちゃいけない、カルナさんは周囲に被害を出しちゃいけない」
「宝具を使用させ、鎧を外すことは難しいでしょう」
カルナがマスターからの命令を順守して宝具を使用することはないだろう。つまり、カルナから黄金の鎧を外すことができないということだ。
解決策が見えてこない。以蔵をこちらに寝返らせても、打開策が見えないのだ。
「おーい、飲み物持ってきたぞ」
「先輩! どうしたんですか、その飲み物」
「うちの母ちゃんの実家が、そこで惣菜屋やってんだ。誰もいなかったが、冷蔵庫にあった飲み物をもらってきた」
「勝手に持って来て大丈夫なんですか?」
「なに、後で返せばいい。ほらよ、ジュースだ」
どこかに行っていた両津は、両手に飲み物がいっぱい入ったレジ袋を持って戻って来た。ビールに烏龍茶、スポーツドリンクと、よく冷えた飲み物の中から、両津はマシュに瓶のオレンジジュースを手渡した。
「そう言えば、両津さんのご家族は? 心配しているのでないですか?」
「先輩のご両親や親類の方たちは、東京を離れてもらっています。お母様の親族の方々も。日頃、先輩にお世話になっているお礼という名目で、九州一周の温泉めぐりツアーにご招待しています。弟さん家族も、フロリダのテーマパークリゾートに」
「だから誰もいなかったのか」
「流石、中川様や。気前がええぜよ」
「滅茶苦茶媚びへつらってる」
「暗殺者は金で主を転々とすることもありますが、あれだけ極端なのは見苦しいと言うか、愉快と言うか……」
以蔵が頼まれもしないのに中川の肩を揉んでいた。大切な雇い主様なのでしょうがない。
思考がぐるぐると煮詰まってしまった立香は、外の空気を吸いに外に出た。周囲にマユゾンや光学迷彩ドローンがうろうろしていないことはサーヴァントたちのお墨付きである。
「先輩、両津さんが先輩にと」
「ありがとう、マシュ」
「先ほどの駅前の銅像……寅さん、でしたっけ? 先輩はあの方をご存知なんですか?」
「あの人の名前を知っているだけ。有名な映画の主人公で、この柴又が舞台なんだけど、実際に観たことはないんだ」
「『わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。 帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します』……映画冒頭の、寅さんの口上だ。ほらよ、栓抜き忘れてるぞ」
スラスラと寅さんの口上を諳んじた両津の手には栓抜きが握られている。立香とマシュが持つ瓶のオレンジジュースの王冠を抜くと、そっと手渡してくれた。
「映画は全部48作あるが、大体は故郷の柴又に帰って来た寅さんが、マドンナに一目惚れして彼女のためにお節介を焼いて周囲を引っ掻き回す内容だな。んで、マドンナに失恋して傷心した寅さんがまた旅立って、次の映画になったら戻って来るんだよ」
「へえ~。下町の人情物語ってことは知っていたんですけど。だからかな……始めてきたのに、何だか懐かしく思うんです。昔、通っていた商店街に、ちょっと似てるかも」
昔、立香の家の近所に駅前の通り周辺に小さな商店街があった。
母に連れられて買い物に行けば、八百屋のおばちゃんも肉屋のおじちゃんも声をかけて手を振ってくれた。小学生になって、ランドセルを背負いながらの帰路で立ち寄れば、顔見知りの人たちが「おかえり」と声をかけてくれた……両親が共働きだったから、誰かに「おかえり」と言ってもらえるのが嬉しかったのを覚えている。
しかし、高齢化や大型スーパーの出店により、立香が中学生になる頃にはみんな店を畳んでしまいシャッター街になってしまった。最近では、再開発の話も出ていたらしい。
「わしがガキの頃は、子供は地域のみんなで育てるって認識だったからな。わしなんて、近所のオヤジにしょっちゅう叱られて殴られたぞ」
「その方は、赤の他人ですよね?」
「しょっちゅううちのオヤジと飲みに出かけては、どっちも泥酔してうちに転がり込んで来た親戚でもない他人のオヤジだ。でも、うちのオヤジが月の売り上げを競馬でスっちまった時には、飯やおかずをおすそ分けしてくれたオヤジでもある」
「今じゃ考えられませんよね」
「つまり、困った時はお互い様ってことだ。わしぐらいになると、困れば色々な奴らが頼ってやってくる。でも、助けられてばかりじゃ駄目だからな。助けられたら必ず返さにゃならん。倍返しならなお良しだ。でも、嬢ちゃんたちみたいな可愛い子だったら、「ありがとう、両さん」って言ってくれればそれで十分だな」
缶ビールを飲みながら茶目っ気たっぷりに笑う両津は、一緒に行動していた中庸の両津の面影が濃いが、見え隠れするどこかシビアな部分は統合された悪の両津の要素だろう。警察官ではない、警察官の道を選ばなかった両津勘吉はこういう人間になっていたのだろう。
悪と断言されるほど金に汚く欲深いが、下町育ちの義理人情に溢れたどこか憎めないオヤジなのだ。
『僕にも経験があるよ。昔、世界中を旅していて路銀を失くしたり道に迷ったりした時に、たくさんの人たちに助けられた。みんな、困った時はお互い様って手を差し伸べてくれたんだ。一宿一飯の恩義、袖振り合うも他生の縁。隣に住んでいる人と挨拶をしたことがない時代、知らない人と話をしてはいけないと躾けられる世の中になっても、そういう人間の美徳は美しいものだと思うよ』
「善の両津は、確かに安全な世界を作ったかもしれない。でも、私は……やっぱり、誰かと気軽に挨拶ができる世の中が良い」
変わっていく時代の中にも、変わらないナニかを、変わってはいけないナニかがあるはずだ。
「ジュースありがとう、両さん」
「そうだ。そんな風にな!」
言葉では言い表せない優しい空気が、このまま続いて欲しい。
もうすぐ夜になる。長く伸びた影の反対側を振り向けば、帝釈天へと夕日が落ちる真っ赤な空が見えた。その時だった、立香の背筋に電撃が走ったような閃きが迸ったのは。
「マシュ、来て!」
「は、はい!」
「おい、どうした!」
「ダ・ヴィンチちゃん、あそこ調べて!」
閃いた。足りなかったパズルのピースを見つけたように、解決への糸口が見えたのだ。
解決への一本道を、帝釈天へと続く道をマシュと共に走り出した。その後ろを両津がついて来る。
柴又帝釈天。正式名称、経栄山題経寺。二天門を通り抜け、瑞竜の松に出迎えられた立香に、カルデアのダ・ヴィンチちゃんから吉報が届けられた。
『立香ちゃん! その場所、霊脈だ!』
「先輩、もしかして」
「サーヴァントを召喚する!」
素に銀と鉄
礎に石と契約の大公
降り立つ風には壁を
四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ
繰り返すつどに五度
ただ、満たされる刻を破却する――告げる
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ
誓いを此処に
我は常世総ての善と成る者
我は常世総ての悪を敷く者
汝三大の言霊を纏う七天
抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――!
柴又帝釈天の霊脈と、マシュの盾。
サーヴァントの召喚は、触媒や縁がなければ誰が来るか分からない博打だ。時には、触媒や縁を使っても、会いたい誰かに会えないこともある。
でも、立香には確信があった。きっと、来てくれる。
現状を打破するためには、彼の力が必要だ。
「……アーチャー、参上しました。ああ、そうか……いるのですね、奴が」
さあ、反撃の時間だ。
ここまで中編!
次回から反撃!