武蔵の国の語呂合わせ、全長634mのスカイツリーを模したため、ブラックツリーも当然634mもの高さがある。
そんな黒い大樹を、人間の身一つで外側から登り切るなど普通は無理……のはずであるが、ほぼいつもの両津のフィジカルがブラックツリー木登りを可能にしてしまった。ブラックツリーにしがみ付き、チンパンジーよりも身軽に高速に、あっと言う間に何十mも登ってしまったのである。
が、いくら両津のフィジカルが人間離れしている猿人類並みだとしても、その体力は無限ではなかった。
「ゼェ……ゼェ……っ、さ、流石に疲れたな。まだ最上階まで距離があるぞ。天辺が霞んでいる気もしてきた」
両津が数十階の位置で息切れし始めてしまった。ブラックツリーの鉄骨にガッシリ脚を喰い込ませて小休止……しようとしたら、ブラックツリーが物理的に揺れた。
「誰だ揺らしたのは?! 危うく落ちるところだったぞ!!」
「ぐわ~~~!」
「ん?」
ブラックツリーが揺れた。大原がコロンブスの卵に頭突きをされてブラックツリーに激突した衝撃が、両津にも伝わったのである。
そこにいたのは、硬質ガラス越しに善の両津を発見してしまった巨大大原……悪と中庸が統合されたほぼいつもの両津も、それを目撃してしまったのである。
「両津! 見つけたぞこの大バカ者が!!」
「ゲ、部長!?」
警察官関係の記憶も経験も失ってしまったはずの両津も、怒り心頭の巨大大原に滅茶苦茶動揺した。やはり、魂なのか肉体なのか分からない場所にしっかり刻まれている。
その刹那、武装おしおきモードの巨大大原に動揺してしまった両津の脚が緩んでしまった。脚がブラックツリーから外れ、身体は重力に敗北してぐらりと揺れ、真っ逆さまに落下していったのだ。
「ぎゃぁーーーーー!!?」
「両津のダンナァーーー!!」
速度を上げて地上に落下していく両津を目掛けて、轟音のエンジンを鳴らしたバイクが駆け付けた。
アクセルを限界まで踏み込んだ本田がブラックツリーに乗り上げ、バイクでブラックツリーを登り始めたのである。その後部座席には、木刀を担いだ以蔵が立ち乗りしていた。
落下していく両津とかち合うかのように真正面に迫って来た本田のバイクは、更にエンジンを轟かせ、落下してきた両津は以蔵が木刀で引っ掛けた。
「このままイケるとこまで登り切る! やってくれ両津のダンナ! もう二度と、ソシャゲはキャラデザと声優に釣られねェーーー!!」
「あのアホ目掛けてぶん投げるぜよ!」
「お、おう! やってくれ!」
「ウオォォォーーー!!」
「善の両津をぶん殴っちゃれーーー!!」
バイクの前輪がブラックツリーの鉄骨から離れたその瞬間、以蔵が最上階を狙って両津をぶん投げた。
本田が限界まで振り絞ったバイクの速度にサーヴァントの筋力が加算され、両津は弾丸のように天へと昇って行く……最上階にあるネオ警視庁長官室の窓ガラスを突き破り、遂に善の両津を腕が伸びる距離まで捉えたのだ。
「ネオ警視庁長官って奴はどこだ」
「ブラックツリーを外側から登り切ったというのか?! いや……そうだ、コイツは私だった!」
「テメェかーーー!」
眼鏡のレンズが木っ端微塵に割れるほどに動揺した善の両津が落ち着く前に、両津が腕を伸ばした。善の両津の胸倉を乱暴に掴み、拳骨でぶん殴ったのである。
善の両津はぶん殴られて壁に衝突した。マシュに攻撃された以上にダメージが入っている……否、聖杯を取り込んだ善の両津に、クリティカルの攻撃が入ったのだ。
「バ、バカな……! 何故、こんなダメージが……」
「先輩に天敵がいるとするならば、大原部長の他にもう1人います。先輩自身です!」
「自分を止められるのは自分しかいないもん。それに、「警察官」の要素だけの善の両津と、「両津勘吉」とほぼ同じ両さんだったら、両さんの方が圧倒的に要素が濃い! 厚い!」
「そんな、バカの足し算みたいな理論がまかり通る訳ない! 大体、私には聖杯が……っ!?」
善の両津から聖杯の光が迸る。が、それと同時に両津からは聖杯の光が溢れ出たのだ。
「これは、どういうことでしょうか?」
「善の両津だけではなく、悪と中庸が統合した両津も聖杯で強化されている」
「そりゃそうだ。どちらも“両津”だからな。奴らは分裂しただけのイコールの存在である故に、善の両津が聖杯を取り込んで自身を強化すれば、芋づる式にほぼいつもの両津も同じ状態になってしまったという訳か」
「何ィーーー?!」
善の両津が驚愕した。完全に想定外だったようだ。
つまり、両津が統合された直後に人間の身でサーヴァントである以蔵とやり合えたのは、ほぼ同じタイミングで善の両津が聖杯を取り込んだことによって、その恩恵を受けていたからである。
善・悪・中庸の両津たちは、元は一つ。サーヴァントのように別側面を切り取った別人ではなく、1が3に分裂した同一の存在であり、彼らはみんな概念的には“両津”なのだ。
「“両津”を強化しろと言われたので、(全部対象にして)やりました」by聖杯
聖杯が雑な仕事をしたのである。
「こんなバカなことがあるかァーーー! 貴様ら全員逮捕して死刑台にぶち込んでやるからな!」
「うるせェーーー! やってみやがれ税金泥棒が!」
想定外に敵を強化してしまった現実に、善の両津が逆ギレした。やはり両津である。
新しい竹刀を二本手にとり、聖杯で強化されたスペックで襲いかかって来た。一方両津も、よく分からんがしっかりとぶん殴れるということで、聖杯で強化されたスペックで善の両津を殴りに行った。
両津VS両津
凄まじい光景である。
「この野郎が! どうして同じ両津なのに私の邪魔をする!?」
「テメェが先に手を出したんだろうが!」
「私はネオ警視庁長官であり、警察官だぞ!」
「お巡りが何だってんだ! こちとら根っからの江戸っ子でィ!」
竹刀の撃ち合いと拳の殴り合いとは思えない音が響いてくる。
聖杯によってサーヴァント並みに強化されてしまった両津同士の戦いは……戦いは、耳を引っ張ったり鼻に竹刀を突っ込もうとしたり、金的を狙い、髪を引っ張りと、何ともまあ見苦しい子供の喧嘩の如き光景になっていた。
あまりにも見苦しい自分同士の争いのため、外部から介入し辛い。立香に振り向いたランスロットの表情が、「あの中に加わるのですか?」と語っていた。
「貴様~! 徹底的に
「こっちの台詞だ! 国家権力に屈してたまるか!」
「国家権力ではない! 私たち警察官は正義の味方だぞ! ネオ警視庁長官に逆らう貴様は悪者だ!」
「……何か、善の両津が変」
「さっきから、何を言っているのでしょうか?」
「……そうか、合点がいった」
「何か分かったの?」
「善の両津の構成要素についてだ。両津勘吉から「警察官」という要素を抽出して実体を得た存在が善の両津と推測はしていたが、その核にあるものはあまりにも儚い虚像だ……ガキが抱いた夢想と言ってもいい」
「警察官」の要素が抽出された善の両津であるが、「警察官」という概念は一体どんな核で起動するのだろうか。
正義感や良心が核になる可能性があるが、前者は中庸の両津に取り残されているため善の両津は持ち合わせていない。後者は……そもそも両津は良心を持っていないので、存在しないものが突然生えて来る訳はない。
では、善の両津は一体どんな核で起動し、今の今まで暴走しているのか?
以下、アンデルセンが立てた仮説である。
「善の両津が口にした「
「え……つまり、善の両津は、「お巡りさんは、悪人をやっつける正義の味方」って思っているから、その通りに動いているってこと? そんなことってある!?」
「いえ、あり得るかと。先輩は、興味のないことにはとことん無知です。警察官になった頃は、刑事ドラマぐらいの知識しかなかったと大原部長がおっしゃっていました。それと同時に、刑事ドラマと現実の刑事が混同していたとか。幼い頃に、絵物語で印象付けられた正義の味方の印象と、「お巡りさんは悪い奴をやっつける」という二つの印象が混合して、お巡りさん=正義の味方という方程式が成立してしまうのも、あり得ない話ではありません」
「大抵は、成長するにつれて世間を知る。世界とは、絵物語のように清くもないしも優しくもない掃き溜めだ! お巡りさん――警察官が正義の味方というのは、大人になる前に醒める夢想だが、善の両津は人生の経験値を持ち合わせていない」
「積み重ねた年月で培った経験を持ち合わせていない善の両津は、言わば赤子のまま……赤子のまま、「警察官」という人生で得た経験と知識を奮い、亀有という地に君臨した夢想の王ということか」
両津の中に埋もれていた、幼い頃に感じた小さなカケラが、何かの事故で善の両津にくっついて行ってしまった。物心つく前に消え去ってしまった記憶というものは、最早、ありもしない虚構に近い。
善の両津は、ガキが抱いた夢想を薪として動く「悪者をやっつける正義の味方」……置き去りにしていった正義感と最初から存在しない良心の代わりに、夢想を薪にして善の両津は「警察官」をやっている。
正義の味方になりたいから「警察官」になったのではない、「警察官」だから正義の味方として悪者をやっつけていたのだ。
「夢想の王を引きずり下ろす手段は、ただ一つ! 早く元の両さんに戻れ! 善の両津!」
「良いのですか? 今、私が不在になれば、東京は元に戻ってしまうぞ! 子供を虐待する大人、遊び感覚で万引きをする犯罪者、些細な不快感を大声で喚き散らす隣人、公園のベンチで寝酒をする酔っ払い、転売ヤー! そんな連中が解き放たれる! 貴女たちのような女子供が、安心して夜道を歩けない、電車にも乗れない世界が戻って来る……それでも良いのかーーー!」
善の両津が竹刀を捨てた。
両手に聖杯のリソースを集合させ、精製して蓄積し、腰を落として光が灯る両手を構えた……凄い、見覚えがある体勢。詳しく言えば、週刊少年●ャンプとかで。
その体勢で発射するのは大抵、エネルギー波か何かと決まっている。その通りに、善の両津は聖杯で熾したリソースをエネルギー波に変換し、立香たちを狙って発射して来たのである。
光の槍の如き、聖剣から放たれる斬撃の如き、神秘を凝縮させた波動の前に、マシュが飛び出した。立香をランスロットの背後に隠し、円卓の盾でエネルギー波を真正面から受けたのだ。
「みんなまとめて、吹っ飛んで反省しなさい!」
「さっきから、女子供女子供って……気にしてくれているのは分かるよ、ありがとう! でも! 女子供だからと言って舐めるな! マシュ!」
「はい、マスター!」
「女は愛嬌、女は度胸! マシュの凄いところ、見せてやれーーー!」
「真名、開帳! 私は災厄の席に立つ……其は全ての疵、全ての怨恨を癒す我らが故郷──顕現せよ『
最後の令呪が、マシュに注がれた。
英霊ギャラハッドが持つ究極の護りは、マシュの心が折れない限り、一切の敵意・悪意を寄せ付けない魔を弾く城塞である対悪宝具。令呪によってブーストされた白亜の城が善の両津の攻撃を真正面から迎え撃ち、背後に控える立香たちを護り切った。
エネルギー波の眩い光が消え去り、視界が正常に作用したその先には、盾を構えたマシュが決して膝を折らずに立っていたのだ。
「マシュ・キリエライト! 攻撃を防ぎ切りました!」
「そ、そんな……まさか……っ!」
攻撃の余韻も冷めぬ内に、両津が再び善の両津の胸倉を鷲掴んだ。
岩のように硬く凹凸の多い拳を硬く握り締め、善の両津の顔面のど真ん中を狙ってそれを振り下ろした。
「や、やめろ! 私たちは同じ両津だ……自分を殴って何になる!?」
「喧嘩売ってきたのはテメェだろうが! よくもレモンを怖がらせたなーーー!!」
ただ、それだけの理由でここまで来た。
義憤とか、正義感とか、責任を取るためとか……ほぼいつもの両津は、そんなことこれっぽっちも考えていなかった。
ただ、可愛いあの子が恐がっていたから。大切な家族の家に土足で踏み込まれたから。両津自身に何の被害がなくとも、大切な人たちの代わりに落とし前を付けるべく、善の両津をぶん殴りに来たのだ。
ミシミシッ……と、顔の骨が軋む音を伴って、善の両津が床に叩きつけられる。
ブラックツリーの中心に打ち付けるかのように、善の両津の身体が両津の拳と共に床にめり込んだのだった。
次回、最終エピソードです。
【オマケ】
~作中のカルナ語翻訳文~
「解せんな。そんなにも怖いか」
訳:
「親族を巻き込まないようにだけはしていた貴方が、突入に踏み切るなど解せませんね。そんなにも、築いた秩序を乱されるのが怖いのですか」
「承知した。オレは、マスターの槍として振る舞うだけだ」
訳:
「承知しました。情も捨て去って、悪者をやっつける機構になり果てようとする意志は固いようですね。それはそうと、貴方の理想と夢想は実現できれば素敵な優しい世界なので、それもアリです。私は、マスターの槍として命令に従うだけです」
「牛か……忌々しい」
訳:
「牛には良い思い出がないので、ちょっと苦手です」
『貧者の見識A』