人情消失圏域 亀有――失われた両津   作:ゴマ助@中村 繚

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第2節 MAYUZOM HAZARD

 フェラーリF40

 イタリアが自動車ブランド、フェラーリ社が創立40周年を記念して発売した、レース用のエンジンを搭載したスポーツカーだ。あまりにも高価なため、バブル期の日本では「走る不動産」とも呼ばれた高級自動車が、掠り傷も凹みも恐れずに飛び出て来た。

 右ハンドルのドアが開かれる。降りて来た眉目秀麗な青年は、立香を庇うかのようにフェラーリF40ごと間に入って来て早々、拳銃を手に襲いかかってくる清掃員の群れに向かって発砲した。

 微かな躊躇もなく、ゾンビの如き人々が次々に撃たれては地面に伏して行く。

 

「っ! 撃った!?」

「安心してください。特製の麻酔弾です」

『敵性反応鎮静! 狙撃された対象、生存しています!』

「貴方は一体……?」

「それは」

 

 それはきっと、あちらも同じ疑問を抱いている。だが、今はゆっくりと話をしている余裕などない。立香も、青年も。特製の麻酔弾で清掃員の群れを鎮静化しても、如何せん数が多すぎる。

 

「ここは退却します! 乗って!」

「マスター!」

 

 フェラーリF40の左ドアが開いた。

 この青年が何者かは分からない。もしかしたら、この微小特異点における敵であり、目の前に差し出されたフェラーリF40の助手席は豪華絢爛な罠なのかもしれない。

 どうする?

 青年を信じて乗るか。それとも、逃げるか。

 

「……信じる。行こう!」

「早く!」

「メイヴちゃん、道を拓いて!」

 

 上野公園のど真ん中に、鋼鉄の装飾を施された二頭の猛牛が顕現する。襲いかかって来る清掃員の群れをなぎ倒し、次いで顕現した戦車(チャリオット)に繋がれてメイヴによって手綱が引かれた。

 青年が運転席に乗り込んだのを見計らい、立香は盾を消したマシュとアンデルセンを引っ張ってフェラーリF40の助手席に滑り込む。2人+子供1人では狭いかと思ったが、通常の助手席よりも広くゆったりしている。流石は高級車だ。

 小太郎が地面に叩きつけた煙玉が周囲を白い幕で覆った。煙に惑う清掃員の群れをランスロットが薙ぎ払ってから、戦車(チャリオット)とフェラーリF40は逃げ出したのだ。

 

「マスター! お怪我は?」

「大丈夫、何ともない。何だったんだろう、あの人たち」

「彼らは、リョーツGPX型ワクチンMrk.2を投薬された懲役刑を執行中の方々です。ぼくたちは「マユゾン」と呼んでいます」

「マユゾン?」

「眉毛のゾンビということか。安直すぎるぞ!」

「その、“リョーツGPX型ワクチンMrk.2”とは?」

「とある男性が持つ抗体から作られたワクチンのことです」

 

 人体には、健康な状態を維持しようとする生体防衛機能が備わっている。体内に侵入した病原菌やウイルスを排除するために、リンパ球から抗体が生産されるのだ。

 だが、何があったのか人体の神秘か、あまりにも劣悪な環境に曝され汚されたリンパ球が、漫画やアニメに登場するバイキンのような姿をした強烈で攻撃的な抗体を作り出してしまった。どんなウイルスも滅ぼしてしまう、もうお前がウイルスだろ!と言いたくもなる抗体は、どんな病気にも打ち克ち、風邪の特効薬にも成り得る世紀の大発見だと世間が持て囃した……が、結局は使えなかったのだ。

 リョーツGPXと名付けられた史上最強のワクチンは、あまりにも強力すぎて常人では耐えられなかった。誰が言ったか、子供にウォッカを一気飲みさせるかのような凶行。と言う訳で、奇跡の万能薬は夢の雫として消え去った。

 はずだった。

 

「リョーツGPX型ワクチンは、人体に侵入した病原菌を排除するのではなく、ワクチンを以て人体を強化するため改良されました。リョーツGPX型ワクチンMrk.2を投薬された人間は、細胞が著しく活性化し、抗体の元の持ち主の如き底なしの体力と人間を超越した頑丈な肉体へと強化されるのです」

「どんな人間の肉体でできた抗体ですかソレ?」

「しかし、やはり常人には強すぎました。肉体が強化されると引き換えに、意識は朦朧とし、知能は著しく低下し、思考はショートし、人語を離せなくなりただ唸るだけの存在となり、副作用としてあの眉毛が生えてしまいます」

「さっきの人々――マユゾンの状態と酷似していますね」

「単純作業や簡単な命令を聞き入れることはできるので、マユゾンと化した人々は清掃や力仕事を始めとした肉体労働に従事させられる懲役刑が執行されています」

「じゃあ、あの人たちは犯罪者ってことですか?」

「……それも、話すと長くなりますが」

「主殿!」

 

 フェラーリF40の上に乗る小太郎が叫んだ。進行方向に群れるは極太繋がり眉毛が大勢……つまりは、マユゾンの群れが迫って来ている。

 彼らは懲役刑を受けている最中とは言え、リョーツGPX型ワクチンMrk.2で強化されただけのただの人間だ。サーヴァントの本気でぶちのめすには躊躇する相手である。

 メイヴの戦車(チャリオット)の上に立つランスロットが鞘に納められたままのアロンダイトを構えるが、対マユゾンへの対抗手段は、ハンドルを握る青年が既に用意していたのだ。

 

「申し遅れました。ぼくは中川圭一。警視庁葛飾署亀有公園前派出所に勤務する巡査です」

「警察官ですか」

「はい。でも今は、この現状を打破するためのレジスタンスです! 麗子さん!」

 

 青年――中川の耳には、通信機が装着されていた。

 合図を出すかのように、誰かの名前を呼んだ。それと同時に立香の耳に入って来るプロペラ音……どんどん大きくなってくる、近付いて来る。

 

『立香ちゃん! 前方、マユゾンの集団の背後にヘリが接近している!』

「レジスタンスって……あのヘリは?」

「味方です!」

 

 ギリギリの低空飛行をするヘリコプターのドアが開いた。風になびかせた艶やかな金髪(ブロンド)と共に登場したのは、マユゾンの集団を狙うスナイパーライフル。中川が「麗子」と呼んだのは、スナイパーライフルを構える彼女のこと。ヘリコプターから顔を出した美しい狙撃手(スナイパー)は、威嚇するかのように唸る地上のマユゾンたちを狙って容赦なく引き金を引いた。

 麗子が持つスナイパーライフルに装填されているのも、中川が撃っていた特製の麻酔弾なのだろう。空を飛ぶヘリコプターからの狙撃は精確にマユゾンたちを捉え、麻酔が効いて次々に鎮静化していく。

 地上にいるマユゾンはそれを打ち落とす手段は持っていない。何人かの固体がジャンプしてヘリコプターを攻撃しようとするが、空中で無防備になっているマユゾンは絶好の的だ。素早く撃ち落とされてコンクリートの地面に転がっていった。

 

『圭ちゃん! こっちは任せて!』

「道は彼女が切り拓きます。このまま、貴女たちを安全な場所へ……」

『立香ちゃん気を付けろ! 周囲に小型飛行物体の反応がある!』

「えっ」

「小太郎君!」

 

 通信機越しのロマニの声に、中川が小さく驚きの声を上げた。少なくとも、彼の視界にもそのような物体は映っていないのだ。

 しかし、未来観測レンズ・シバはしかとその姿を捉えている。魔力が関わらない存在ならば、この望遠鏡の前に姿を隠すこと自体が無意味である。

 立香の声が飛んだ刹那、小太郎が風魔手裏剣を投擲した。大きな手裏剣が空を切り裂いて小太郎の手に戻る頃には、切り裂かれた飛行物体――鏡のような装甲の小型ドローンが残骸となって、次々と道路に墜落していった。

 

「光化学迷彩ドローン! 完成していたのか」

『きゃぁっ!』

「麗子さん?!」

 

 中川は滑らかなハンドル捌きでドローンの残骸を避けながら、速度を落とさずフェラーリF40を走らせる。だが、通信機の向こうから麗子の悲鳴が聞こえてくると、ハンドルを握る手にじわりと汗が滲んだ。

 フェラーリF40の大きなフロントガラスから見えたのは、麗子が乗るヘリコプターにマユゾンたちが次々と飛び掛かっている光景だった。

 高さのある建物の屋上に登り、そこからジャンプしてヘリコプターに飛び乗り、墜落させようとぶらぶらと揺らしている。何という身体能力だ。意識が朦朧として思考も動いていない状態なので、恐怖など抱かないのだ。

 

「うわぁ?! こ、このままでは危険です!」

「もう! 両ちゃんの体力は厄介ね!」

「ヴヴヴヴヴヴ……!」

「ヴヴヴヴヴヴ……! ヴヴヴヴ……ヴヴ?!」

 

 フロントガラスに貼り付いてパイロットの視界を塞いでいたマユゾンが、鎧の腕に頭を鷲掴みにされてベリっと剥がされ、アスファルトの道路に叩きつけられる。が、当然のようにピンピンしていた。傷一つついていない。

 これを皮切りに、ヘリコプターにしがみ付いているマユゾンたちは、ヘリコプターに飛び乗ったランスロットによって片っ端から引っぺがされては放り投げられる。中には、何人もが肩車をして高さを作り、某!名物・万人橋のように蛇腹になったマユゾンたちがヘリコプターに向かって襲いかかってきたが、ランスロットがアロンダイトの束でトンと突いたら、バランスを崩して派手に転倒した。

 マユゾンの知能は著しく低下しているが、変なところで変な知恵が回るようである。

 

「レディ、お怪我はありませんか?」

「ええ。大丈夫」

「麗子さん! さっきので、後方の羽根に何かあったようです! 脱出してください」

「了解!」

「あ」

 

 パイロットの焦り声を伴って、ヘリコプターがガタンと揺れた。

 麗子はランスロットには目もくれずにヘリコプターを飛び降りると、エアバッグのようなクッションを起動させて落下の衝撃を殺し、怪我なく地上に着地した。だが、飛び降りた先はマユゾンたちの中心部。ライフルをヘリコプターに置いて来ている、反撃手段はない。

 彼女を救出しようと、ランスロットも急ぎヘリコプターから飛び降りたが……その心配はいらなかった。

 再び聞こえて来る、こちらに向かって高速で近付いて来るエンジン音。今度は四駆ではない、二輪だ。

 フェラーリF40よりも身軽に道路を走り、マユゾンたちの合間をすり抜けて駆け付けた白バイが、麗子を守るようにマユゾンたちを蹴散らしたのだ。

 

「麗子さん! 乗ってくれ!」

「お願い本田さん!」

「さっさと脱出するぜ!」

 

 麗子は乱入して来た白バイの後ろに飛び乗ると、本田と呼ばれたライダーは特大のエンジン音を轟かせながらあっと言う間に離脱する。麗子が去った後には、マユゾンの群れの中心で彼女たちを見送ってしまったランスロットだけが取り残されていた。

 

「何やっているんでしょう。あの穀潰し」

「マシュの空気が三度下がった!?」

「凄腕の狙撃手(スナイパー)の正体が、ブロンドの長身巨乳美女だったというネタバレは思春期にも刺さるということだ。で……俺たちはどこに連れて行かれる? 甘い菓子の家で誘い出されてフォアグラのアヒルにされるのは、グリムが編集した話だが」

「そもそも、貴方は私たちを見て何とも思わないんですか?」

 

 立香と中川の視線がルームミラー越しに交差した。

 戦闘に入ってしまった時点で、認識阻害の礼装は役に立っていない。鎧や戦車や、盾や手裏剣の集団は色々とツッコミどころが多すぎるが、中川は訝しむ素振りを見せない。

 これっぽっちも怪しまず、疑問に思うこともなく、マユゾンに襲われた被害者として立香たちを救出した。警察官として素晴らしい行動であるが、今の彼は警視庁に所属する巡査であると同時にレジスタンスと名乗っていたではないか。

 東京で何が起きているのか?

 

「……上野の西郷さん」

「西郷さん?」

「西郷さんの両目には監視カメラが設置されています。つい先ほど、そのカメラに貴方がたの姿が映りました」

「西郷さんに?!」

「今、ここ一帯のエリアの住民には外出禁止令が出され、観光客も締め出されて交通インフラもストップしています。全ては、ぼくたちレジスタンスを取り締まるためにネオ警視庁が発令したことです。外部から封鎖されたこの圏域に、突如出現した演劇のような集団……あまりにも突拍子のない、現実味のないことですが、今まで経験したトンデモな事件に比べればまだ現実を受け入れられます」

「今までどんな事件に巻き込まれてきたんですか」

「これから、安全な場所へお送りします。今すぐ東京から離れてください」

「いいえ、東京から離れません。一体何が起きているんですか?」

 

 ネオ警視庁とは何だ?

 何故、人々はマユゾンにされたのだ?

 東京が、上野を始めとした一体が微小特異点と化した原因は、きっとそこにあるはず。原因を突き止めて解消しないと、微かな歪みがいずれ大きな災厄となって牙を剥いてしまう。

 だから、立香はサーヴァントと共にここにいる。

 

「私は藤丸立香。この混乱を解決しに来ました」

 

 ルームミラーに映る中川の表情に一瞬の緊張が走った。驚きにも見える顔の強張りは本当に一瞬だけ顕れると、瞼と一緒に閉じられる。それは、立香の存在を受け入れたようにも見えたし、立香たちを無事に送り届けるのを諦めたように見えた。




規則正しい生活させて栄養バランスの良い食事を与えればマユゾン弱体化するんじゃないですか?
(知らんけど)
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