「いてっ」
双子ゆえにお互い入れ替わったり入れ替わらなかったりしながら過ごしていた或る日
彼は両親から部屋の掃除をするように言われた為、自身より大きい箒をもって床の掃除をしていたのだが
その際、足を滑らせて床にべしゃりと倒れ込んでしまった。
床には割れた皿が散乱していて、破片が刺さって膝からわずかだが血が流れ出た。
早く掃除を再開しないと、と彼が床に投げ出された箒に手を伸ばした時だ。
「大丈夫!?絆創膏とってくる!」
同じく掃除をしていた少年が慌てた様子で彼の元へと駆け寄ってきた。
そうして彼の膝から出た血を見るなり慌てた様子で机の引き出しから小さな絆創膏を引っ張り出すと彼の膝に張り付けた。
「痛くない?」
「……」
心底心配そうな顔で彼を覗き込む少年
「お前今日、
「え、
「…」
その言葉を聞いて、彼はため息を吐きたくなった。
彼等は役割を作る際に、一つ設定を設けていた。
それはより両親に攻撃されるように、そしてより両親に攻撃されないように作った設定だった。
この設定のお陰で、幾分か楽に役を演じることが出来た。
だが、それはあくまで”演じている”だけ。演じていないときは”素”の自分たちがいる。
少年は、素で優しい人間だった。
役を分けたのは、彼の優しさが理由だった。
だって少年はどんな状況でも母や彼を庇おうとしてしまうから。
小さな体がボロボロになろうが気にすることなく父のストレスを引き受けようとするから。
いつか死んでしまうんじゃないかと不安になって、彼が言い出したのだ。
役を作ればいいと。
だが役を作っても素の自分がいる。
役を作ったおかげで幾分かマシになったとはいえ、
彼は少年の優しさを”軽蔑”していた。
勇敢と蛮勇の違いも分からないのかと。
確かに両親のストレスの矛先は双子へ向かう。そう”双子”にだ。
だから、一人で請け負う必要なんてない。
彼と少年は双子だ。母の腹の中にいた時からずっと一緒にいた存在
少年にとって彼は誰よりも大切な存在だ。
だからこそ、一人でボロボロになる少年が嫌いだった。彼は少年の優しさを疎んでいた。
だが同時に、羨んでもいた。
要らないものだと言っておきながら、欲しいと思ってしまう。
最悪の矛盾。無駄で愚かな善意性。でも打算でしか動けない。役でしか両親の前に怖くて行けない。
一番大事だと思っておきながら少年を助けられない彼にとってそれは……なぜか酷く眩しいものに思えてならなかった。
父の酒を飲む量が増えた。
医者の仕事がうまくいかなくなったらしい。
収入が減って、比例する様に出費が増えた。
外に出ることが減って、代わりに母が外に出ることが増えた。
段々仕事に行かなくなった父に代わり、母が仕事をするようになった。
母は名家のお嬢様。金持ちの家。だが最近縁を切られて手を貸してもらえないらしい。
だから母が働かないといけないらしい。
母が務める店は人に体を触らせる仕事
でもいくら母が頑張ったって大の男1人と少年二人の生活費を補うのは無理だ。
だからだろう。母はある日、彼の肩を掴んでいった。
「
母の頬には痛々しい痣があって、血色の悪い肌。窪んだ眼。弱弱しい指
なのに肩を掴む力は強くて少し痛かった。
自分とは違う黒い瞳は懇願するように彼を見る。
でも彼は気づいていた。その瞳の奥にある、憎悪に似た感情に
母は言っている。お前たちのせいでこんなことになったんだぞ、と。
優しかった母は言っている。責任をとれ、と。
いつまでも返答をしない彼に母はもう一度「手伝ってくれる?」と聞く。
肩を掴む手の力がさらに強くなって、拒否なんて許さないと暗に告げていた。
だから彼は…頷いた。
母に外へ連れ出されるようになって、彼は外の世界を知った。
沢山の悪意に塗れた世界だった。でも、気付いたことも沢山あった。家族以外の人間とも沢山かかわった。そうして思ったことがあった。
”自分は本当に人間なのだろうか”ということだった。
彼は頭がよかった。父が医者なため、本が沢山置いてあってよく読んでいたから。
そして運動も得意で、手先も器用な方だった。
だが、そんなのはいくらでも上がいるものだと知った。
一番でもないものを引っ張って来て”自分はできる”と誇示するなんて虚しいだけだと気づいた。
顔はいい方だ。母の働いている店に行けば、よく彼に人が群がって来る。
口にするのは専ら”かっこいい”とか”キレイ”とか容姿を褒める言葉ばかり。
でもこれだって両親が綺麗な顔をしてるおかげ。別に彼が何かしたわけではない。
そうして彼は”ああ、そうか”と納得する。
最悪の矛盾。少年の優しさを軽蔑しながらも羨んでいた理由
それは少年の優しさこそ彼にとっての”誇れるもの”だったからだ。外に出て、痛感した。
この悪意に塗れた世界において、少年の悪意のない澄んだ優しさが如何に価値のあるものなのかを。
少年の優しさを”価値”としてしか見れない自分が如何に穢れているかを。
打算まみれで汚くて誇れるものなんて何一つ持っていない。あるのは忌み嫌われた化け物の象徴だけ。
「上手だね」
「……ありがとうございます」
でも化け物に落ちるのがいやだから。両親に…少年に家族じゃないと、要らないと捨てられるのが嫌だから彼は笑みを浮かべて、それを受け入れる。
誇れるものなんてないが、それでも必死にかき集めて求められている”人間”を演じる。
演じている間だけは、彼は”人間らしく”あれた。何も持っていないけど、持っていると思えた。
「赤い目、怖がられてるんだって?でも私は嫌いじゃないよ。とぉっても綺麗だもの」
口紅で彩られた唇がねっとりと微笑む。
それを彼はぼんやりと見つめる。
脳みそが上手く働かない。毒でも回ったように鈍い感覚
でも口からは「そういってもらえてうれしいです」というお決まりの言葉と笑みが出た。
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それに比例する様に父の浪費はさらに増えた。いつまでも変わらない。否、悪化し続ける現状に父は母を怒鳴った。
「何やってるんだ」と。でも母が「もう無理よ!!!」と泣くばかり。
だがふと二人の黒い黒い双眸が思い出したように持ち上がって、部屋の隅にいる少年たちを見た。
そして嫌に優しい声で彼らは双子に言ったのだ。「助けてくれる?」と。
一週間後。彼等は学校へ行くことになった。
普通の学校ではない。彼らが入ることになったのは殲滅隊という場所に入るための訓練を受けれる学校だった。
世界への貢献だから学費は必要ないらしく、彼等は揃って学校にいくことになった。
「気色わりぃ目!」
「こいつらスパイなんじゃねぇの!?」
目を見るなり叫ぶ生徒たち
その度、
学校という新たな世界でも彼らの扱いは何一つ変わらなかった。迫害され、辛い日々を過ごすだけ。
「お前らはまだ10歳だから、訓練の内容は基本的に体の成長を憚らない程度の内容になる予定…だったんだが……お前らはもっと上を目指させても問題はなさそうだな」
殲滅隊は主に化け物退治を生業とする職業で、彼らが希望しているのは戦闘部隊
故に、戦闘訓練も当然ある。まだ幼い子供には非常にシンドイ訓練をさせられ、息も絶え絶えな彼等を前に、訓練官の男は底冷えする目で彼らを見下ろして告げる。
___悪意だ。
彼はその瞳を見て直感する。男の黒い瞳には隠しきれないほどの悪意があった。
男の脚は義足だ。その足は随分前に不死者に食いちぎられてしまったらしい。彼の恋人や子供もまた不死者に殺されたんだと後から聞いた。
要するに、これは八つ当たりだった。
不死者に向ける憎悪を、怒りを鬱憤を、幼くか弱い彼等にぶつけることで解消しているのだ。
訓練という正当化された暴力は両親のソレより何倍もつらかった。
殴られた直後はジクジク痛んで、暫くしたら熱を持ったみたいに腫れあがる。
痣がいたくてまともに寝れなくて、何度も何度も寝返りを打って気づけば起床時間になって疲労だけが溜まっていって。
漸く痣が薄くなったと思えばまた新しい痣が出来る。食事をとっても腹を蹴られたら吐いてしまうからあまり食べられなくなった。
睡眠があまりとれないから眩暈を頻繁に起こすようになった。体中痛くて、気づけばそれが普通になって、痛いという感覚が鈍くなっていった。
骨が折れて、激痛が走って、苦しくて仕方がなかった。
限界はとっくに超えていて、もうすぐ自分は壊れてしまうんだろうと、彼は自分の遠くない未来を見て自嘲する。
「
「何を言ってるんだ
「え?」
だが”彼”が壊れることはなかった。否、壊れることが”出来なかった”
「僕は
少年が…一番大切な片割れが…壊れたから。
ここからだ。少年が役に没頭するようになったのは。
今までは、役以外に”素”が存在した。役ではないはっきりとした”自分”がそこにはあった。だが、今の少年は…。
「……疲れたのか」
「は?」
「……いや、なんでもない。何言ってんだろうな俺」
少年は疲れて、そして壊れた。
少年は精神分裂…所謂”多重人格”に陥ったのだろう。
多重人格…本来人格を心の奥底にしまい込み、代わりの人格を生み出す。
先天性の場合もあるが、後天性の場合、過度なストレスから自身を守る防衛反応として発症するケースがあるらしい。
だが少年は新たな人格を作り出さなかった。何故なら、打ってつけの設定がすぐそこにあったから。
それが”役としての”
要は自分に暗示をかけたのだ。"役こそが本当の自分"だと。そんな人間を一人にしてうまくいくだろうか?
きっと無理だ。
今、彼も壊れてしまえば彼は勿論少年も悪い未来へ進むことになるだろう。
それを理解してしまったから、彼は自分を保たざるをえなくなった。
でも、その事実に彼は仄暗い幸福を覚えていた。
少年が演じる役は、同じく演じられる彼がいなくては成り立たない。
両親でも、他人でもなく、生まれた時からずっと一緒にいる彼にしか、それをこなすことはできないのだ。
壊れた少年が隣にいることで、彼は自分の存在に”価値”を見いだすことができた。
定期的に、少年は
いつもと変わらない日常。少年の人格が…本来が奥底へ眠ってしまった以外、何一つ変わらない。
彼はいつも通り少年に合わせて演じて、没頭して、一緒に頑張って。周りの心無い言葉、憎悪の目、悪意のある暴力。その全てに心身を蝕まれながらも少年を支えて、家に帰ってきたら母の仕事の手伝いをして父のストレス発散を手伝って3時間くらい寝て起きての繰り返し。
「……はぁ」
彼は頭からシャワーを浴び、壁に手をつく。
背中には傷がいくつもあって痣まみれで……それでも母の手伝いをするためにも顔だけは傷つかないようにしていたから、体と違って顔は綺麗なままで。それなのに鏡に映る自分の顔は疲労が色濃く出ていた。
家族がいる。大切な家族が。片割れがいる。一番大事な片割れが。
そして何より、存在する価値がある。充実している。幸せだ。
「大丈夫、俺は…………まだ、大丈夫」
必要としてくれる人も愛してくれる存在もいる。
彼は決して一人ではない。一人ではないはずなのに。どうしてか、時折酷い孤独感に苛まれる。それでも彼は酸素の薄い世界で今日も曖昧に微笑み続ける。
”普通”を送るために。幸せな日常を生きるために
そうして、2年という歳月が過ぎ、双子は殲滅隊に入ることが決まった。
殲滅隊は、頑張れば金が貰えるうえに人に貢献出来る、素晴らしい仕事だった。
「父さんも母さんも鼻が高いぞ」
「ええ、向こうでも頑張ってね二人とも」
「……ああ、がんばるよ」
彼は笑みを浮かべて頷く。
「
「…ああ、そうだな。
楽しみなのか、それとも
場所が変わろうがやることは変わらない。
訓練が殲滅に代わって、演技を見せる相手がクラスメイトから殲滅隊の同期たちに変わっただけ。
時々家に帰って大好きな両親と過ごして少年の隣で演じていればいい。
それが彼の普通なのだから。それが正解だ。
殲滅隊でも、彼らの目を見て嫌な言葉をぶつけてくる相手はいた。だがそんなもの無視してしまえばいい。
だって、他人なんて必要ないのだから。
彼は家族と少年がいてくれればそれでいい。そして少年も同じ気持ちだったのだろう。
ずっと彼らは二人きりで過ごした。二人の世界でずっと。
時折、この顔に惹かれて近寄って来る人がいた。彼らの目的は総じて体だった。
母との仕事のお陰で別にそれ自体に忌避感はなく、求められること事態は嫌ではなかった。
だからこそ、求められるままにしてやった。
今までは仕事だったから、客との関係は店だけに限られていて、プライベートな会話も関りも一切なかった。
でもここでは違うらしい。いつの間にか人が群がってくるようになって、いつも人の輪の中心にいた。
”性行為は一種のコミュニケーション”なんて言葉があったが、それは事実だったんだということを知った。
あれだけ怯えを含んでいた瞳も、気付けばコロリと様変わりするのだから面白いものだ。
両親も昔のように笑ってくれることが増えた。少年と一緒に帰れば美味しくて暖かい料理を作って出迎えてくれて、嬉しそうに彼らの話を聞いて褒めてくれる。
少年がいて愛する両親がいて、そこそこ気の合う友人もできて、多少陰口は言われても、痛い思いをすることがない生活
時折問題は起きはすれど、彼の生活は順風満帆といえた。
幸せですか?と聞かれれば彼は笑顔で言えただろう。幸せです、と。
彼は幸せだ。幸せだったのだ。
双子の幼少期はこの話で終わり!次回からは殲滅隊入隊後です!
因みに薔薇2本の花言葉は”貴方と私の二人きり”だそうです。
情熱的な花言葉ですけど、この話で言えば泥沼の匂いしかしないですね。うふふふふっ