professional of joker 作:たいたい35
「あんな弱々しい歩みでどこに……」
かき分け押されて、今にも倒れてしまいそうな老人を追っていくと、目の前に巨大な砂城が現れた。この街の中心、競争好きの王がいるのだろう。入っていくのかと思いきや、その傍、日も当たらない真っ暗闇の脇道の中へと消えていってしまった。
「あんな細いところまで通って、この先に何があるんだろう」
「ここ、砂漠なのにコケが生えてるわよ……!蒸し暑くて、空気が気持ち悪いわ」
高貴な巨城の影がこんなことになっているなんて。芝も荒れ果て、手入れもされていなかった。開けた視界に飛び込んできたのは、剥がれかけた壁と汚れた布に塗れたスラム街だった。衝撃的な光景に二人は空いた口が塞がらなかった。さっきの老人が痩せ細っていた意味がようやく分かった。いや、理解しようとしていなかっただけなのかもしれない。この凄惨な光景の中では、先の老人は別段珍しい存在ではなかったのだ。
「あんな大きな城の裏が、こんな風になってるなんて……」
同じ街とは思えなかった。ロンダのシンボルマークである砂の巨城を隔てて、富裕層の煌びやかなバザーと貧民たちの嗚咽が並んでいる。タチが悪いのは、その事実が隠れるように配置されていることだった。ちょうど今、猛暑の中でどこかの家の赤ちゃんが泣いていた。
「大丈夫ですか、これ、水です」
目の前で倒れかけたお婆さんを支え、ユウリは持っている水を差し出した。
「優しいねぇ。小さいのに旅人さんかい。こんなとこ、来るもんじゃないよ」
「身体、支えますから。行きましょうおばあちゃん」
リーヤも咄嗟にお婆さんの荷物を持ち、三人で宅へと向かった。道中は決して長い道のりではなかったけれど、衣服の購入すらままならない民家や、スラムの中でさえ物乞いをしているような人もいた。目の前で繰り広げられる不条理への憤慨を、ユウリは必死で胸の内に押さえつけていた。
ようやく到着した先で、お婆さんはありがとうと優しくお礼を言った。余裕なんて持てないはずなのに、その笑顔は優しさで溢れている。この人のために何かしてあげたい、彼がそう思うのも不自然ではなかった。
「ねえリーヤ、鍋の道具はある?」
「え、急に何を言い出すのよ。一応スラっち達が見守ってくれてるけど、食材はないわ」
「よし、それなら大丈夫」
ピキーっ!どこからともなく、身体と同じくらいの大きさのふくろを頭に乗せたスラッっちが壁を飛び越えて走ってきた。超特急で二人の元へやってきたスラっちが持ってきたふくろの中には、大きな鍋と取り皿一式が揃っている。
「一時間だけ、待っててください。おいしい鍋を振る舞ってみせます。行こうリーヤ、食材調達だよ!」
「ちょ、ちょっと待って。いくら何でも急すぎるわ。
ほ、本当にやるの?」
「リーヤは、来てくれないの……?」
「い、行くに決まってるでしょ!」
彼女の両手をぎゅっと掴んで、うるうるとわざとらしく目を潤わせる彼に、リーヤは相変わらず赤い顔で答えた。
「うん、いい匂い、いい感じ!アクセントでこの香辛料も入れちゃおう。リーヤ、ちょっと味見してみて」
「コクが深くて甘さもあるわ。これなら小さい子でも食べられそうね」
スラムの端、空き地に煙が立ち上る。それはほのかな香ばしさと共に街を流れ、スラムの人々を呼び寄せた。ユウリが最後の調整を行っている間にも、囲むように人々が集まってくる。スラっちもその様子を、肉を頬張りながら楽しそうに見ていた。完成!ユウリの胸を張った一言と共に、リーヤは取り皿に分け始めた。
「皆さんどうぞ。たくさんあるので遠慮なく食べちゃってください!」
子どもから老人まで、焚き火を中心に温かい輪が広がっていった。ユウリの鍋は大好評で、今まで食べた料理で一番うまいと満足げな人も。そこには確かに、ユウリの望んだ笑顔が溢れていた。
「本当にありがとうねぇ。若いのに偉いわぁ」
「僕にできるのはこのくらいなので……」
「ねえユウリ、スラっちがいないわ。さっきまでそこで食べてたはずなのに……」
まさかバザーの方に。嫌な予感がした彼は走り出そうとしたが、物陰に青い姿が見えた。そこには、子ども達とボールを使って遊んでいるスラっちがいたのだ。ぴょんぴょんと飛び跳ねて、全身でもってはしゃいでいる。それを見たユウリの中では、ある感情が沸々と湧き上がってきていた。
「ふふっ、スラっち、楽しそうね」
「昼の商人、覚えてる?」
ふいに彼が尋ねた。ええ、もちろん。忘れるはずもなかった。でも急にどうして、その疑問はすぐに解決した。
「自分を助けてくれたさまようよろいとシェラさんを見て化け物だと罵ったその人も、バザーに向かう途中だったのかな」
彼の声は低くなっていく。唇は震えていた。
「そいつはお金も余裕もあるはずなのに、恩人に対してあんな酷い言葉をかけて。モンスターだからって理由で、何も考えずに拒絶して……!でも、でもさ……」
ユウリは涙を流していた。ピキーっ!スラっちが子どもに身体を寄せて頬擦りをしている。
「ここの人たちは、見知らぬ旅人の僕らを受け入れるだけじゃなくて、スラっちに怯えるどころか、一緒に遊んで仲良くしてくれてるんだよ……?お金や地位なんかよりも大切なものを持っているように、僕には見えるんだ……」
子どもたちが何やら人形のようなものを持ってきた。かろうじてスライムだと認識できる不恰好なそれは、どうやら余ったゴミから作られているようだ。しかし、確かに暖かい。どうぞ、ご飯のお礼と言わんばかりに屈託のない笑顔でそれをユウリにプレゼントした。手のひらにちょこんと佇むかわいらしい人形を、彼はありがとうと優しく呟いて腰に巻きつけた。
目の前を走り去っていくスラっちと子どもに、巨大な砂漠の城が重なる。天に届きそうなそれは、不思議と空虚に映った。
「僕にはもう、ロンダのバザーやお城が美しいだなんて思えないよ……」
スラっちの微笑ましい光景を見て、ユウリは人目も憚らず泣いていた。
鍋の火は消え絶え、皆満足して帰っていった頃、後処理をしていたユウリが、言葉を漏らした。
「どうしてバザーの人たちも王様も、みんな見て見ぬ振りをするんだろう」
ユウリが激昂していると、背後から背の高い男性がやってきた。全身土で汚れている。
「そういう街なんだよ、ここは。表向きは黄金の国だが、金の無い者、商売をしくじった者は容赦なく切り捨てられる。砂漠を生きていく体力もないから、このスラムで何とか生きていくしかないのさ」
「そんな酷いことって……」
「別にロンダだけに限った話じゃないさ。皺寄せは誰かが引き受けないといけない。それがロンダではスラムだったってだけのこと。影の無いモノなんて、この世には存在しない」
遠くでハゲタカの群れが狩りをしている。ここからでははっきりその姿を見ることはできないが、ぶちスライムを集団で突いていた。もちろん反撃もできず、救われることはない。
「そんな顔しないでくれよ。君たち二人がここを憂いて鍋を振る舞ってくれただけで皆満足さ。本当にありがとよ。ここは二人のような賢い子が来る場所じゃない、さ、帰った帰った」
いてもたってもいられなかった。惨状を目の当たりにして、このままはいそうですかと帰ることなどできなかった。そんなの、バザーの人間と何も変わらないじゃないか。僕にできることを、やらないと。ユウリは歯を食いしばって目の前の男を見た。
「ダメです。こんなの間違ってる。僕が王を説得してみせます。みんなの暮らしを変えてみせます。待っててください。絶対にいい知らせを持って帰ってきますから」
ここのみんなはスラっちに怯えることなく、むしろ友達のように接してくれた。嬉しくて、尊かった。スラっちのあんな楽しそうな顔、初めて見た。僕が目指している世界は、確かにそこにあった。ここの人たちはありがとうと言ってくれたけど、お礼を言いたいのは僕の方。何かしてあげたい、心からそう思った。
「行こう」
男の返事を待つことなく、リーヤの手を引いてスラムから離れていった。
「何度死にそうな目に遭ったか分からないが、神はまだ俺たちを見捨ててなかったみたいだな」
その少年の背中は、何よりも頼もしく見えた。