大雨の夜だった。
覚中は窓から外を覗きながら、雨の予報は出てたけどここまで降るとはなぁ、と気分も陰鬱になりかけていた。
そんな中、ふと玄関のチャイムが鳴った。
覚中は基本通販などは使わない。それに、傑達が来るような予定はなかったはずだけど、と思いながらドアに近づいてのぞき窓から外を見る。
そこには、ずぶ濡れで立っている夏油がいた。
「は、えっ!?」
急いでドアを開けると、自分より20センチ以上高い所に、見慣れた顔があった。
「ち、ちょっと傑何してるの!?風邪引くよ!?ちょ、入って!」
とりあえず玄関の横の棚に常備しているタオルを2枚引っ張り出し、一枚を床に敷いて一枚を差し出して拭くように促す。
そのままとりあえず急いでお風呂を沸かし、タンスから一番大きく、誰が来ていてもおかしくない感じの服を取って一回入るように促して体を温めさせる。
「……」
夏油が湯をもらっている頃、覚中は考え事をしていた。
…のぞき窓越しに見たときの夏油の顔。明らかに暗く、思い詰めたような表情をしていた。
普段の少しおちゃらけた感じでもなく、それでいて真剣というには深刻すぎる。
何というか…少し、恐怖を煽られた。
そうこう考えを巡らしていると、夏油が風呂から上がってきた。
髪を乾かさせ、とりあえず座るように促して温かいお茶を差し出す。
前髪が上がっていない夏油は少し新鮮だったがそこはさておき。
本人はそれに手をつける様子も見せず、何を話していいかわからないようだった。
「何か、あった?」
「無かった…訳じゃないね」
心配そうな覚中に、困ったような、少し苦しそうな声で夏油は返した。
「…別に話したくないなら話さなくてもいいよ。ゆっくりしていって、気も紛れるかもしれない」
彼女も夏油の隣に腰を下ろして小さく息をつく。
「…いや、それを話しに来たんだ。私は、」
ふと、夏油が意を決したように声を出した。
一瞬言葉に詰まり、もう一度口を開く。
「私は、何のために戦っているのか…分からなくなった」
そこから、夏油は普段からは考えられないほどしおらしい声でいきさつを話し始めた。
星奬体という、天元という術師の宿主?のような人の関係した事件のことは以前に聞いていた。
五条と夏油が警護任務に当たり、最終的に殺せと言われ、それでも抗ってその彼女が生きる意味を見出した瞬間に、守りきれなくなってしまった事件。
その一件から彼の思想は少しずつ綻び始めた。
非術師への嫌悪感。
自分の中で揺らぐ、価値観。
そして、その一件から一人で最強へと相成った五条の存在。
それらは心だけでなく彼の身も蝕み始めた。
それでも、非術師にもまだ良い者はいるはずだと己に言い聞かせていた。
考えないようにオーバーワーク気味になりながらも任務をこなし、呪霊を無理に飲み込み、周りとの関わりを少なくしていった。
しかし、頭の片隅からそれは消えずにいつもチラついていて、本能と理性に板挟みにされてもう身も心もぼろぼろだった。
……とどめだったのは、覚中の家に来る前に受け持った任務。
虐待されていた双子の少女を助けたその時に、思想は、確信に変わってしまった。
…非術師は、猿同然だ。
邪魔をする猿を片手間に払い、呪霊を顕現させて得意の呪術で殺そうとした。
その時に、一瞬生じた躊躇い。
…ここでこちらの道に行けば、後戻りはできない。
猿を殺すことへの諦念ではない。それよりも、やるべきことがあるはずだ。
何とか理性で殺意という思考を追いやり、双子を補助監督者に預けて任務終了と共に走った。
途中で雨が降り、大ぶりになったが気にしない。
向かった先は、覚中の家だった。
「私達術師が祓っている呪霊は、非術師からしか生まれない。術師は呪霊の元になる負の感情…呪力の漏出が殆ど無いからね」
「…うん」
「そのせいで、私の友人や後輩が死んでいく一方で、むしろその元凶と言える者たちが何もせず笑っているのを、私は…許せない、酷く憎んでしまう…!」
「…そっか」
夏油が淡々と、それでも所々感情的になりそうになりながら言葉を発するのを聞きながら、覚中は短く相槌を打つ。
「…その方向は術師の敵である呪詛師の道だ。それでも、私は非術師を皆殺しにして術師だけの世界を作ってしまおうと思った。その中では…悟よりも、君の方が厄介だと思った」
ピク、と覚中の眉が動いた。
「…私を殺しに、かな?それとも私もその…呪詛師?ってのに、か」
「……」
沈黙ほど、雄弁な反応はない。おそらく両方とも視野に入れているのだろう。
「分かった、とりあえず一日置こう?明日の夜にでもまた話そう。今そんな話をされても、私も正直何も分からない。ちょっと考える時間がほしいな」
「…そう、だね」
覚中がゆっくり腰を上げながら言うと、夏油は弱々しく応えた。
「今日は泊まっていきなよ、もう夜遅いし」
「…よく自分を殺しに来た人間を泊められるね」
嘲笑するように、夏油は小さく言った。それでも覚中は答えた。
「強がっても無駄だよ、傑がそんなすぐに私を殺せるような人間じゃないのは察してる。もしそうなら、もう私は死んでるよ」
それは、信頼でありながらの恐怖。
小さく声が震えているのも察しながら、夏油は再び沈黙した。
──────
───
次の日は平日だったため、覚中は学校に、夏油は高専へと分かれて登校した。
そして、その日の夜9時。
「…何のつもりだい?」
二人は、近くの河原の橋の下にいた。
それぞれの前には、一本ずつ木刀が置かれている。
「なんのつもりも何も、昨日言ったでしょ。少し時間がほしいって。その結果、これ」
動きやすい服装で、と言われたためいつもの五条袈裟を着て来たら何のつもりだか、と困惑を隠せない夏油を前に、覚中は彼に足元の木刀を持つように促す。
「…これが私なりの答え。私は呪詛師になるつもりは毛頭ない。だから、気が晴れたなら私に叩かれて。それが駄目なら…穿いて」
木刀を構えて覚中は言う。
少し考えれば分かるだろう、日夜呪霊と戦い通しの呪術師と、精々払えて四級のほぼ一般人。勝負は一瞬で付く。
「私には、傑は苦しんでるようにしか見えない。どっちにも振り切れずに苦しむって事は、引き止める何かがあるって事でしょ。…そんな中途半端なままで、苦しんだままで壊れる傑は見たくない。私は勝手に動くから、準備ができたら始めて」
そう言うと、覚中は二本、指を立てて呟くように唱えた。
「…闇よりいでて闇より黒く、その穢れを禊祓え」
「…は、」
それは、帳を下ろす結界術。
なんで心音が、と夏油が驚いていると、覚中は小さく笑う。
「悟さんにちょっと前に教わったんだよね」
教わった。
結界術なんてちょっと教わっただけではそうそう扱えない。
そのレベルの実力はあった。
確かに完全な帳とは言えないが、それでも、一般人から身を隠すだけなら十二分な結界だった。
「念に念を入れたかったら術式を使ってもいいよ、呪霊操術。私は私で抵抗もするから…殺すつもりなら本気でやって?あーあと、注文ばっかりで悪いけど、できればやるときは一瞬で頼みたいかな、痛いのはヤだし」
引きつった笑顔を浮かべながら発された小さく震えるその言葉に、夏油の思考がさらに歪む。
どうするべきなのか、何をどうすればいいのか。
「…行くよ」
すっ、と動く覚中。しかし、夏油からすれば呪力も込められない、猿同然の者の攻撃など緩慢としか取れない。受け止めるまでもなく軽く躱される。
木刀は、まだ手に取られてすらいない。
「ふっ、」
切り返すように振りなおす太刀筋。狙いは緩いとしか言えず、また軽く躱す。
本人は呪詛師になる気は全くないといった。
この調子なら、いつでも殺せる。
それでも…
「何に、迷ってるの…!」
「!」
一瞬、木刀から青い揺らめきが上った気がした。同時に太刀筋が鋭くなる。
決して素早いとは言えない動きだったが、咄嗟に手に取った木刀で受ける。弱いが、何度も受けた感覚…呪力での攻撃。
「吐いて!」
「私、は…」
もう何も分からないと言わんばかりに夏油は木刀に呪力を回す。
一時的に低級呪具となった木刀が、覚中を襲う。
「分からない…!私は君を殺さなければならないのに、心では殺したくないと思ってしまう…!間違った事をしている気はないのに正しくないと思ってしまう!これは、これは何なんだ!」
珍しく感情的な夏油の攻撃。だが、的外れもいいところで、スピードこそ速いがギリギリ当たらない所を刀身が通る。
「私は…俺は…間違ってるのか…!?術師は、何のために非術師を守らねばならない!?あんな者達を…あんな猿どもを…なぜ守らねば…!」
「じゃあ殺せばよかった。何で殺さなかった?」
「そっ、れは…!」
引っかかる。
分からない、気づかなかった、目に見えない何かが理性と本能の間に入り込み、境界線を有耶無耶にしようと働いている。
一瞬攻撃の手が緩む。
その隙を見計らったのか、覚中の太刀筋が入り込んだ。
避けられないわけでも、受けきれないわけでもない攻撃。
それでも、回避という指示が下される前に防御行動を取った。
「…引っかかるんでしょ、
カン、と木刀と木刀がぶつかり、ギリ、と声を漏らす。
一度立て直し、彼女は木刀を構えながらそう言った。
「っ…」
一層、夏油の顔が歪んだ。…図星だ。
その時だった。
今日一番のスピードで覚中は急接近し…彼の目の前で木刀を夏油の後ろにぶん投げた。
後で石か何かに当たったのか、カランカランと音がする。
「は?」
そこで気づいた。
彼女が木刀を持っていたのは
そして、彼女の利き手は
フッ、と彼女の右手に目をやると、白い、少し大きめの何かが振りかぶられており…
「しっかり…せんかい!」
スパーン!といい音を鳴らして覚中は右腕を振り抜いた。
しかも、すれ違いざまに食らわせたため顔面にしっかり命中した。…しかし、痛みはほとんど無い。
改めて見てみると、その扇は何枚かの薄い物で構成されている蛇腹状になっている物であり…見覚えも、あった。
「…ハリセン?」
「正解。昔からよく傑の頭をホームランしてたハリセンだよ。久々に引っ張ってきたから隠すの大変だったけど」
完全に不意をつかれた夏油はキョトンとしながら顔を少しさすり、自分の手とハリセンを交互に見比べていた。
と、覚中はふっと笑って聞く。
「整理はついた?」
「え、…あぁ…?」
と、さっきまで荒ぶっていたはずの感情が嘘のように落ち着いていた。
一息つこうと座って空を見上げた夏油は、あーー、と声を漏らした。
「もしかして、そういうことかい?」
「その通り、ごめんね?錯乱、させちゃって」
空…というか帳の天井を見上げ、目に映ったのはそこにあった巨大な瞳が閉じるところだった。
「…説明してもらっても?」
「もちろん…まあその前に、帰、ろっか…」
と、言い終わる前にトス、彼女は倒れた。
驚いて近寄るが、気絶しているようだった。
よくよく考えてみればそうだ。命中こそしてはいないとは言え特級レベルの攻撃を何度も捌き、初めて生死をかけた勝負をしたのだ。しかも、圧倒的格上を相手に。
気を張り詰めすぎていたのが、一気に緩んだのだろう。
それに、呪力も残り少ない。
「…やれやれ」
呪力とは、負の感情のエネルギー。
それを使うために、呪術師は基本相手に対して何らかの負の感情を抱く。
生き残りたい、勝ちたい、ではなく相手に憎しみ、怒りをぶつけるのが基本。
…その呪力が切れかけるということは、彼女は夏油に対して悪感情をほとんど持っていなかったことに他ならず。
「…相変わらずお人好しなことで」
夏油はそのまま覚中をお姫様だっこして家まで帰った。
幸い、家は彼女の家の隣だ。