霧の立ち込める湖の畔、赤い屋根の側で、フォグランプがかすかに揺らぐ。運転席に乗っているのは草臥れた老人一人。幸い、車の持ち主であるリチャードは戻っていない。
アランは車を止め、そのままシートにドンと寄りかかった。
数ヶ月ともに生活していた、二人目の孫のような青年だ。のめり込みすぎるところはあるが、食事にきちんと礼を言える、悪くないやつ。無事ということはないだろうが、あれで死んじまうようなことがあれば、ラッキーにも酷だ。アランは祈る気持ちで自分の頬髭を撫で下ろした。
翌日になって、アランが庭先でニンジンの面倒を見ていると小屋の側でパチンと音がなった。
「おう、戻ったかラッキー」
「じいちゃん!ごめん、ひとりで帰らせて......」
目の下を真っ黒にした青白い顔のラクランが、何やら紙袋を取り落として数年ぶりに思い切りハグしてくる。いつまで経っても孫は孫だ、アランは頷いて迎え入れ、ドンドンと背中を叩いた。
「戻ってきたということは、あいつは生きてるな?」
「うん......でも、生きてるだけだ。おれの判断ミスで...」
ラクランは首から下げたロケットをベストの下から取り出して俯く。
「あいつが自分の意思でわしに渡さなかったんだろうが?」
「それならおれがポケットに入れておけばよかった。それか、リトルハングルトンへ着いたらおれが貰えばよかったんだ」
「1回目でアタリを引く気なんてなかっただろう」
「......レギュラスは、アタリをひくつもりだったと思う。ロケットを病院に着く前に手に取ってわかったけど、前より力が増してるし、こっちに開心術みたいなものをかけてくるんだ。レギュラスはロケットの考えを読むつもりで、魔力を渡してしまっていたのかもしれない」
ロケットが意図的に招いたかどうかは定かではないが、レギュラスがなにかに導かれるように動いていたのは間違いない。また教えてもらえなかったし、頼ってもらえなかった。
ラクランは畑の柵にペタリと腰を下ろす。
「やっぱり指輪から呪いを受けてしまったみたいで、異常な速度で虚血して壊疽が進んでた。あんまり進むと骨とかの深い組織にまで感染するっていわれて、骨抜きの呪文で腕の骨を無くしたあと、腕の内部をきれいにして、再生してまた骨を生やしたところだよ」
落とした紙袋の中身はレギュラスが来ていたリチャードのお古だ。まだ入院にはしばらくかかる。
なんて恐ろしい呪いだろうか、治療過程も恐ろしかったけれど。ラクランは思い出してふるりと身震いする。
「指輪から感染するなら、義手を砕いたのは良かったな」
「うん......でもハナハッカのエキスはあまり意味なかった。洗浄して少しでも清潔にするのは意味があったみたいだけど」
「治療は大変だっただろうが、治るなら結構じゃねえか。しゃんとしろ」
ラクランは口をぐっと引き結んでゆるゆると首を振った。その拍子にぽろっと涙がこぼれ落ちる。
「感染しちゃったところを完全に切除したはずなのに、骨まで回復すると壊疽がすぐにまた始まる。圧迫と投薬と魔法で指先に抑えているけど、根本的には呪いで起こってることだから、体をいくら治しても完治はできないって」
「おお.......そうか、それなら圧迫と投薬、それに魔法を今後も続ける必要がある、と」
薬が必要になるというのは、首輪をはめられるようなものだ。自分がまさしくそうだからアランもよくわかった。ふう、と細く長く息を吐く。
遠くへは行けなくなるし、自由に後先考えず動くこともできない。どこへ行くにも、何を食べるにも、いちいち考えなければならない。便利でなんだってできる魔法にも、当然制限がかかってくるだろう。それがどんなにヘヴィなことかは、マグルだって簡単に想像がつく。
「やっぱりあのとき、じいちゃんに渡すのは無理でも、おれがもらえばよかったんだ。そうすればこんなことには......」
「変えられない過去の話をしたってしかたない。あいつはなんて?」
「わからない。実はまだ意識回復してないんだ。目覚めたとき何を話してやったらいいかもわからなくて......」
「まったく......」
アランは自分のベストの裏ポケットに手を突っ込んで、懐中時計を取り出した。カチカチと音を立てて時計の針が時を刻んでいく。ラクランの腕につけてある自動巻きの時計も指差す。
「何を失っても、どんなに悲しくても、生きてる限り勝手に時計は回る。身体が動く限りいやでもなんでも生きなくちゃいけないのが人間だ」
止まってからやり直せるなんてことはないんだから当たり前のことだが、動いてるうちに何をやるかが勝負だ。
「ラッキー、お前は今のあいつより色んなことをできる。それなら精一杯それをやるしかないだろう。しっかりしろ!」
背中を思い切り押されても、ラクランの足はすっかりすくんでしまっていた。
フランスで仕事を始めるのは9/1から。ラクランがイギリスで動き回れるのはこの1ヶ月くらいだ。まだレギュラスは目を覚さない。動けるのはラクランだけ。時折、バーティとエバンとの印が鈍く暖かくなる。
できることはなんだろうか?指輪の回収?いや、ヒントなしであそこに辿り着くマグルや魔法使いはそうそういないだろう。ときおり暖かくなる印からして、今分霊箱周りで動き回るのは良くない。レギュラスの事故を伝える手紙は書いたが、返事もない。
自分が生きのびるため、そして友達と一緒に生きるためにひとまずこうして歩いてきているくせ、友達に呪いを受けさせてしまったんだ。もう一体なにをするのが最善なのかよくわからなかった。
紅茶色の目を光らせるじいちゃんから無様に逃れて、自転車で山を越えて隣の湖に出かけていく。鹿に挨拶しながら、湖に石を投げ込んで水切りして過ごした。
呪いを治す術もない、分霊箱もどうにもならない。
バーティとエバンだってどうなってしまうかわからない。八方塞がりだ。
......待てよ?
分霊箱は魂を分ける禁忌的闇の魔術で、魂を分けることで命を歪なものにし、肉体が失われようとも命を存える魔法だ。呪いは、肉体を一片のすきなく作り替えても、なおレギュラスの腕を侵食する。つまるところあれは、肉体と結びついた魂が呪われているから、肉体がきちんと治癒して魂と結びつけば、作り変える前の肉体と同様呪いの影響を受けてしまう。
ラクランは頭を振って、ザブンと湖に飛び込んだ。
可能だろうか?そんなことが
レギュラスを救うために、分霊箱をおれたちで作れたら.......?
背浮きして湖の上に浮かぶ。指先でかき混ぜれば、湖の底から冷たい水がやってくる。
ふと、雲の中から太陽が顔を出し、輝かしい光芒が降り注いだ。
分霊箱は闇の魔術だ。けれど魔術は魔術で、そこに善悪はない。どう使うかが問題だ。
魔術としてのホークラックスは、魂を分けて別の容れ物に移すもの。不死身となることを目的とした魔法使いが使うから携帯や保護の容易な無機物に移すことが良いとされており、魂を分離して別の容れ物に移す代わり、自分の魂もまた不安定で不完全なものとなり、容れ物とくっついた存在になってしまう。では他者に魂を移したら......?
詳しい作り方はわからないけれど、少なくともつくった現物はここにある。現代魔術で"つくることができる"。
胸の上で、ロケットが耳におぼえのない讃美歌をかすかに奏でていた。
ラクランは濡れ鼠のまま家に駆け込んで、フクロウを丁重にアクシオし、スラグホーン先生に手紙を飛ばした。
あの人とはうまくやっている方だと思う。自分の調合したフェリックス・フェリシスをご覧いただきたい、とでも書けば十分だろう。絶対に会ってくれるはずだ。
闇の帝王――トム・マールヴォロ・リドルが一生徒だった時代、すでに寮監で、間違いなくスラグ・クラブに入れていたであろう嗅覚と欲望の持ち主が、生徒への恩売りのため閲覧禁止の闇の魔術の本について許可を出しているのは想像に難くない。分霊箱作成にあたって、どんな支援したのか。なんとしても、聞き出さなければ。
漏れ鍋で待ち合わせ、きちんと本人であることを杖で確認した上で煙突飛行ネットワークを介して案内されたスラグホーン邸は、聖28一族の屋敷らしく豪奢で少々暗い雰囲気だった。そこかしこにさまざまな形状の実験道具があり、魔法薬の何種類も混じった匂いが壁紙にまできちんと染み付いているところが彼らしい。
「ようこそ我が家へ!こんなに早く再会できるとは嬉しいよラクラン」
「ええ、私もです。フラメル氏に腕試しとしてフェリックス・フェリシスを提出するのですが、出来栄えがどうか.......私の知る1番の魔法薬学者である先生に見ていただきたいと思いまして」
少々の警戒心は見えたが、赤ら顔は変わらずでラクランの言葉に嬉しそうに頷く。フェリックス・フェリシスの小瓶を渡せばさっそくウキウキと検分し出して、まずまずの評を頂戴した。そうでなくては困るのだけど、ホッと胸を撫で下ろす。
「ありがとうございます、ほんのわずかですが、そちらは先生に。そうだ!魔法薬だけ見ていただくのも恐縮なので、フラットピーチもお持ちしましたよ。レモン多めのコンポートにしたんです。よろしければ」
「おお!こっちも幸運の液体のように黄金色だね」
「はい、先生は砂糖漬けパイナップルがお好きなので、甘いだけでなく少し複雑な味がお好きかなと」
「さっそく紅茶をいれていただこう!さあ君も」
「ええ、それでは」
スラグホーン先生がヒョイと杖を振ってティーセットを呼び出した。ラクランもフラットピーチのコンポートを浮かせて洒落たガラス皿に器に移す。ろうそくの光を受けて、シロップで艶々の桃は琥珀のように輝いた。
「艶めいてまるで宝石だ!甘酸っぱい桃の味わいを残しながらさらりと消えていく!魔法のようなスイーツだ」
「そんな、恐縮です」
「謙遜するな!君の料理はいつも最高さ、そうしてうちの寮生たちの心も掴んでしまった」
「料理の見た目はバーティや......今は亡き友人に言われて随分改良しましたよ。美味しいものを一緒に食べられるとより嬉しいんです」
「あ、ああ......レギュラスのことは気の毒だったね」
「本当に......」
「在学中から、兄の方とは折り合いが悪かったけれどねえ......なんとか兄弟で揃えたかったんだが」
「はい......ああ、その彼が亡くなる前に妙な手紙を残していたようで、彼のお父上が私に.......先生、これについてご存知ありませんか?」
フラットピーチをスラグホーン先生が吸い込むように食べていくのを見守りながら、ラクランは胸ポケットからそっと小さく小さく折り畳まれた紙を取り出した。
レギュラスがロケットに仕込んでいた、手紙の"マスター"だ。あとあと読めばあまりに自分が死ぬ気満々で腹立たしいのだけど、一応変幻自在呪文がかかっていて、ロケットを幸運にも破壊できれば文言を変え、向こうの文言も変えることでより闇の帝王を攻撃できる仕様になっている。本人も恥ずかしがって一度見せたきり決して表に出さなかったが、意識不明の今、回収したジャケットの胸ポケットから回収できた。
闇の帝王へ
あなたがこれを読むころには、私はとうに死んでいるでしょう。
しかし、私があなたの秘密を発見したのだということを知ってほしいのです。
本当の分霊箱は私が盗みました。できるだけ早く破壊するつもりです。
死に直面する私が望むのは、あなたが好敵手にまみえたそのときに、再び死を免れぬ存在となることです。
R.A.B
「なんと......」
スラグホーン先生は目を見開き、趣味の悪い蛍光イエローのハンカチを額に当てた。震える手がテーブルに置かれた手紙の周りを彷徨ったが、なにかとんでもない呪いでも込められているかのように、決して紙に触ろうとはしなかった。
「ホークラックスについては、オリオンさんが突きとめました。古い闇の魔術で、魂を分けて別の容れ物に移すことで、肉体が滅びても生き存える魔法だと。おそらく、レギュラスも同じ本を読んで知ったのでしょう。配架記録や貸し出し履歴を確認したところ、ホグワーツ図書室にもかつて同様の本がありました。その当時でさえ閲覧禁止の棚に収められていましたが......その本を、許可をもらって閲覧している生徒の記録がありました」
「......トム。トム・リドル」
「そうです!やはりご存じだったんですね?」
「い、いやぁ...ああ、よく知っているとも」
スラグホーン先生の顔に動揺が走った。ラクランはそれをみながら、微笑んで自分もコンポートを口にする。
嘘が必要なのはここまでだ。
優秀であっても身寄りがなかったであろう(フランク・ブライスの話によればリドル家の血縁の存在は一切認識されていなかった)トムが、旧家にしかないような資料を目にできるとしたらホグワーツしかない、と推察できる。とはいえ、スラグホーン先生がまさかそこまで便宜を図っていたとはおもわなかったけれど。
「食べていただいてありがとうございます。私の持てる力の全てを尽くして作ったコンポートと、真実薬を。どうやら、ちゃんと効いているご様子で」
「ああ、よく効いている」
スラグホーン先生は苦々しい顔をして、必死に口を押さえようとしたが口は勝手に動いてくれた。
「お怒りも尤もです。たくさんのご恩を仇で返すようなことをして、申し訳ありません。けれど先生、あなたもあなたです」
ラクランは椅子を鳴らして立ち上がり、机に両手をついた。顔を覗き込まれたスラグホーンは、赤から青へと顔色を変えていく。
「レギュラスとシリウスを揃えたかった?結構!マグル育ちで初めてあなたの杖をもったとき幻の生物を召喚し、スリザリンに馴染んだおれも、さぞ良いコレクションだったでしょう。魔法法執行部の父を持ちながら、闇の魔術に傾倒する世代のスリザリンに加わるバーティも、マグルの姓を持ちながら異様な才能を発揮するトム・リドルも!
あなたは生徒という立派な人間をコレクションすることを楽しんでいて、目をかけた生徒がなにか偉大なことを成し遂げると、まるで自分の気に入りの兵隊人形がオークションで高値がついたように喜ぶ。それが生徒本人にとってどんな意味を持つかもお構いなしで。そうでしょう?」
「......ああ、そうだ」
「腐ったハーポ以来、ホークラックスを作る魔法使いも、ある意味では偉大であると言えるでしょう」
「......そうだね」
「彼の作ったホークラックスの一つがこれです。あなたは彼がこれを作るのに、いったいどんな支援をしたんです」
ロケットをシャツ下から引っ張り出してスラグホーンの眼前に突きつける。ついにスラグホーンは頭を抱えて泣き始めた。
「答えろ!あなたはあなたの欲のために、すでに多くの犠牲を出している」
「そうだ、その通りだ。あの子は教師にとって、抗い難い不思議な魅力があった。質問に答えてやると、驚くほどなんでも吸収した......」
「言い訳は結構です。良心が少しでも咎めるなら、教えてください。何を聞かれて、何を答えたんですか?」
ほとんど覆い被さるようにして、スラグホーンの肩に手を置いて訪ねる。
「ホークラックスの、本には書いていない、作り方を...」
「容れ物へかける魔法、移す魔法は載っている。魂の切り分け方について......そうですね?」
「そうだ。君も読んだんだね?」
「もちろんです」
今度はするりとラクランの口からも答えが出た。コンポートを食べたからだ。スラグホーンのほうも身を乗り出して、必死の形相で問うてくる。
「君も、君も不死に憧れるか......?」
「いいえ!」
「本当に?」
「誓って」
すっかり血の気の失せた瞳が、しばらく揺らいで瞬きするのを、ラクランはまっすぐ見つめ返した、不死になど憧れることは絶対にない。
不死に憧れるということは、死を忌避すべきものとして否定することだ。当たり前に生きていれば、当たり前にたくさんの死の上に自分が生きていることに気づく。否定など、できるはずがない。
おれを産んで死んでしまった母さん、たくさんの戦友が亡くなった中で生き延びたじいちゃん、野菜や羊たちや、木々、いろんなもの。そういう生き物たちの命の終わりを積み重ねて、おれたちは生きている。
「.......おれのなかで、生き物がやがて死ぬのは、自分ではどうしようもない自然の摂理であって、抗ったり自分の責任でハンドルを取らなくちゃいけない運命とはまた別のものです」
「そうか......そうか...」
「真実薬を口にしているんです、何度問われようと嘘はつけませんよ」
「いや、わかっている。それでも信じられなくてな......」
「フラメル氏にも言われましたよ。魔法使いはもっと畑の勉強をするべきです」
「まったくだ......ゴホン、世間に例のことを教えないでくれるのなら、質問を受け入れよう」
背筋を伸ばしたスラグホーンのいうことの意味は分かりきらないが、ひとまず教えない対象について絞り込もう。ラクランはあいまいに頷いてきいた。
「あなたはご存知でしょう?トム・リドルは名乗りを変え、ヴォルデモートとして活動している」
「ああ、知っているとも。その名をいうな!」
「闇の帝王がホークラックスを作っているということを秘匿しろということですか?それともあなたがそれを教えてしまったということですか?」
「後者だ......面目ないが、死にたくはない......。それに、ホークラックスなどそもそも知るものはほとんどいない」
「公開しても利益はなく、闇の帝王の守りが堅固になるだけだということですね。私も先生に死んでいただきたいわけではありません。こんな形にはなってしまいましたが、ご協力いただけて幸いです。破れぬ誓いを結んだっていいですよ」
「そんなものをそうやすやすと結んではいかん!......欲望は抑えられんのだ......どう粉飾しようとも、中身が変わらなければ賢い生徒には気づかれてしまう。君も私を軽蔑するかね?」
「いいえ先生。人には誰しも欲望があるものです。先生はたしかに生徒の人生をそれぞれ導くことより、良い趣味にご執心であらせられましたが、おれにとっては魔法界で生きるために、もっとも心を砕いて導いてくださったよき師であることに変わりはありません」
「それでは、最後に伺います。
――トム・リドルに、どのようにすれば魂を切り分けられると先生は教えたのですか?」
「人を......人を殺すこと。人を殺す時、殺したものの魂も傷つき揺らぐ。そのときに呪文を唱えて魂の一部を固定することで、分霊箱とできるはずだ、と......」
ラクランはロケットのチェーンを握る手に力が籠るのを感じた。リドル家殺人事件と指輪、湖の亡者たちとロケット。すべてつながる。
目を閉じて心を落ち着けた後、またにっこりと笑みを貼り付けた。
「......どうやらあなたの見解通り、トム・リドルはその方法でホークラックスの作成に成功してしまったようです。彼の過去の行動が、やっとつながった...ご協力に感謝します。おかげで彼の動向から、おおよその数を割り出せそうだ」
すっと立ち上がり、煙突飛行ネットワークへ自ら向かう。館の主人に真実薬を盛った以上、長居するには尻の座りが悪かった。
「また無事にお会いすることがあれば、今度こそ魔法薬など入れていないおいしいお菓子を持ってまいります」
「......フェリックス・フェリシスも、真実薬も、もちろんコンポートもすばらしい出来だった。今更だが、君や君の学友をコレクションなどと呼んですまなかった」
「すぎたことはもう良いです。あなたの審美眼にはたしかに目を見張るものがある。トム・リドルやレギュラスを見出されたんですから」
フルーパウダーをひとつかみとってピョンと暖炉に入り、ニッコリと笑う。
「......おれができるかはわかりませんが、バーティも、ヴォルデモートも、あなたのかわいがっていたリリー・エバンスなんかも、あなたの目に狂いがなければ、きっと何かしら偉大なことを成し遂げるはずです。それが起こった時、先生がコレクションに加えてそれを後押しした、という事実から目を逸らさないでいてくだされば、おれはそれで十分だと思います」
Au revoir! 漏れ鍋!と叫んでラクランは緑の炎の中に消えた。
深い深い湖の底から、一気に浮上したように、ふいに体が浮き上がって、寝台のうえに着地した。
えらく重い瞼を必死の抵抗で持ち上げ、ピントの合わないぼやけた視野をぐるぐると動かし、どこかから差し込む光にうめく。
体は鉛のように重く、手で顔を隠したいのに指の一本さえ動かない。しだいにこれほど指が動かないのはなぜだ?と考えて、足や腰骨や腹筋の感覚をさぐり、これもびくともしないことに驚く。それから、よくよく考えれば水平であることはわかっても、なにかに触れている感覚もほとんどしないことに気づいた。
僕は......僕はレギュラス、レギュラスだ。何をしていたんだ...?いったいどうして体が動かない。
「あ、起きたんだ。おーい、まだ意識遮断が効いてるよ、週にいっぺんの骨抜きの日の後で、いま生やしてるとこだから」
どこか聞き慣れたガサツな声がして、目が真っ暗になった。わずかに瞼に感じる圧迫感からすると、目を覆ってくれたらしい。レギュラスはそのまま再び深い眠りに落ちていった。
再び、今度はきちんと意のままに動く四肢とともに目覚めたレギュラスを待っていたのは、いくつもの衝撃だった。
自分の左腕は治してはまた骨抜きにして中身を空っぽにする作業を行わないと急速に壊疽が広がりミイラ化する恐ろしい呪いにかかっており、抗生剤や抑制する魔法のために、自分が動き回ったり魔法を使うこともままならなかった。右手を使って回す車椅子で生活し、常に左腕には針を刺されて冷たい薬液を注入しなければならない。動けるし聴こえているのに何もできないというのはひどく疲れる。刻一刻と過ぎていく時計の音が嫌になって、部屋から除いてもらった。
二つめの衝撃はラクランがどこにもいないということだ。今や頼れる人間はラクラン一人で(クリーチャーに心配をかけるなどもってのほかだ)、こっちはアークタルスさん、などと慰者に呼ばれて戸惑っているというのに、一度帰ったきり戻ってこないという。彼に言われたのにロケットを持ったままゴーントの小屋に入り、まんまと呪われた僕を、ついに軽蔑したんだろうか?
「あ!また食べてない!直す気あんの?あんまりキースに迷惑かけるなら本気で殴るけど」
三つめの衝撃が彼女、イザベラ・ブルストロードだ。
ベラトリックス・レストレンジに折檻されて聖マンゴ送りになった元同級生。ちっとも意識回復しないという話だったが、まさか病院でピンピンしてるとは思わなかった。自由に動けないこちらを横目に箒や盆片手にくるくると走りまわっていて、実に目障りだ。
「どうせラクランは来ないだろう。食事は今気分じゃないだけだ、よそへいってくれ」
「ダメ!これが私の仕事だから」
「仕事だと?箒でマグルごっこをしているのがかい?」
「ごっこじゃないよ、私は魔法使えないからね、これでも真面目に働いてんだ。キースだってもう成人だろ?漏れ鍋で見かけた時は随分忙しそうだったけど」
「漏れ鍋には来ているのか......」
魔法を使えない?などと抜かす同級生より、ラクランの動きの方がよっぽど衝撃的だった。ロケットは回収されているし、忙しそうということは一人で分霊箱を集めているのかもしれない。もはや僕は彼にとってただのお荷物で、見舞って話をするまでもない......。いや、前から僕はお荷物だ。情報共有が足りないまま、捨て身で突っ走って最後には助けてもらうのは、もうこれで二度目だ。一度従ったものとして、彼よりずっと頑張らなければ釣り合わないと思えば思うほど、足を引っ張ってしまう。
なんだか知らないけどとにかく食べて薬飲みなさいよ、というブルストロードの言葉を無視して、レギュラスはしばらく食事と薬を抜いた。意図したことではないのだが、どうしてもフォークを持ってもそれを口元まで運ぶことができないのだ。自分にりっぱな食事を摂るだけの価値があるとも思えなかったし、そのようにして無為に命を繋いで、また間違いを犯すかもしれないことが恐ろしかった。窓を開けてフクロウに与えるほうが、ずっと食事の相応しい行く末だと思った。
食事を取らなければ力がでないとは思っていたが、薬をのんでも吐き戻してしまうことが多くて困った。そうしていく間に、腕の状態はどんどん悪くなったけれど、その痛みや腐っていく様も、結局のところ自分への良い罰だと思った。
いよいよ腕が黒くなっていくと、予想外なことにとんでもない異臭を発した。
同室の魔法使いたちが耐えられなくなって廊下へ逃げるほどで、そうなってしまっては服や簡易魔法で誤魔化すのも限界になる。
剣幕のブルストロードと戸惑った慰者がやってきて、6日目にしてレギュラスの不摂生は見破られた。
「信じらんない!今までできてたことができなくなるのはそりゃ苦しいさ、だからって自分からこんなになるなんて!」
「そもそも、1週間ごとに骨や筋肉、血管といった組織への感染を防ぐために君の腕は更新するんです。みずから痛めつけても身体の力を無駄遣いするだけですよ」
「すでに命を無駄遣いしているだけなら、どんな薬があるでしょうか?命の使い方を誤り続ける愚か者は、迷惑をかけずさっさと退場するのも悪くないでしょう」
「こんなに病室臭くしたら迷惑かけまくりだよこのボンボン!シーツ洗うのどんだけ大変だと思ってんの!」
ガツン、と耳のあたりを殴られて、カッと目から火花が散るような感覚がした。
あ、ちょっと!と慰者が慌ててブルストロードを取り押さえる。それでもブルストロードは鼻息荒く怒り狂って足をばたつかせた。
「いいかい、あんたはまだ生きてる!今できないこと、昔できなかったことの反省会しててなんになんのよ?お友達が助けに来てくれる?アイツは忙しそうだっつってんでしょ!申し訳ないと本当に思ってるなら、今できること全部してさっさと探しに行きなさい!!」
「......なにができるっていうんだ?魔法も使えず、歩くことすらすらできないのに」
「魔法が使えなくなった私に喧嘩売ってる?」
「君は実際料理もできない」
「売ってるわね、いいよ、買ってあげる」
腕まくりしたブルストロードが再び羽交締めにされる。忙しないやつだ。
「私は確かに料理できないし、親戚の鬼ババのひどい拷問で魔法も使えなくなっちゃったけど、昔から潔癖なんだ。綺麗にしてないものは目につくし、ちゃちゃっとやっちゃうたちでね、それでリハビリがてらここで働かせてもらってる。いい加減に放して!」
"働かせてもらってる"にしてはさすがの威圧感だ。二人がかりで男性の慰者に取り押さえられていたというのに、一言でおろおろと解放されている。感心していると、勝手に車椅子を転がされて窓のそばへ寄せられた。
「ほら、ご覧なさいよ」
言われるまま見下ろせば広がるのはロンドンの忙しない街並みだ。排気ガスと車、行き交う人々。
「そこにいるほとんどはマグル。でもみんな立派に働いて生きてる。それであんたの得意なことは?」
「――クィディッチ、変身術、魔法史、魔法薬学......」
「ハァ、まだ学生気分なわけ?そうじゃなくて生活とかに使えそうな特技だよ。趣味でもいい。なんかないの?」
「趣味......新聞を読んで、スクラップをまとめることかな。古い資料を読んだりも」
「いいじゃん。普通の人が嫌がりそうな作業を楽しめるのは立派な才能だよ」
「ひどい言い草だ、ひとの趣味に」
「わるかったね、でもキースが忙しくしてるのにも使えるんじゃないの?ああもう、慰めるなんて柄でもないこといつまでもやらせないで!さっさと病状を安定させて退院してね。それじゃ!」
蕁麻疹がでる!と言わんばかりにブルストロードは腕を掻きむしって病室を退室した。それを見送って、いまだに異臭を放ち疼く腕に、ため息をついたレギュラスは、壁を蹴って窓から離れた。
食事を摂らないと人間がこうも簡単に弱ることも、薬が飲めなくなることも、シーツを洗うのが大変なこともはじめて知った。
生まれてこの方魔法がすぐそばにあったから、魔法なしじゃできないことばかりだ。
どうやって生きていくのかも、イザベラに言われた資料のスクラップぐらいしか道標はない。
車椅子に背中を預けて味気ない天井を見上げる。
クリーチャーが使い捨てられ命からがら戻った時、
ラクランが暖かく迎え入れてくれた時、
アランさんにぶっきらぼうに髪を結んでもらった時、
いつも目をやっと開いたような衝撃を受けていたのに、僕の目はまだ曇っていた。
魔法界で生まれ育ったレギュラス・アークタルス・ブラックからは本当の意味で純血主義や旧い考えや魔法族を尊ぶ考えはなくせず、曇った目でラクランの提案をはねのけ、ロケットに誘われてしまった。
こんなに知らないこと、できないことがたくさんある若輩者なら、なにも見えないくらいが正しいのだ。持っている気になるから、失敗する。
ブラック家家訓を父上は純粋で、無垢なものであれ、と解釈なさった。
僕は僕なりに、澄んだ瞳であれ、と解釈することにしよう。
格好をつけてフランス語で挨拶をしたものの、暗澹たる気持ちで漏れ鍋の暖炉に着地する。
「おう!おかえりラクラン」
「お疲れ様、トム、ココアを頼むよ......」
「お疲れだな?」
「まあね」
苦く笑って、適当な空いてる席へ腰掛ける。すぐに空飛ぶココアがやってきてサーブされた。
「ありがとう」
両手で暖かいマグを包み込んでそっと口に含む。濃いココアの風味が口いっぱいに広がって鼻を抜けていく。暖かい温度が食道から胃に落下し、じんわりと冷え切った体をほぐしていった。
スラグホーン先生が生徒を慈しみ卒業後の進路に心を砕きながら、同時に冷淡なコレクターの目で選別しているのは在学中からよく知っていた。その二面性があるからこそスリザリンの寮監が勤まるのだろうが、眼力はともかく、闇の帝王という悪の天才を見出してしまった時点で彼の教師人生には暗いものが付き纏っている。
在籍年数からして重なるので、その辺りを突いて利用させてもらった。足らないところも含めて大好きだった恩師に対して、早々に恩を仇で返すのは心が痛かったが、必要な情報は得られた。
しかし、しかしいい加減、魂とは一体なんだろう?
ラクランは湯気が揺らぐ大きなマグを覗き込む。退紅色の液体のなかを、細かい粒子が渦巻いている。
殺人を犯すとき、自分の魂も傷つくと先生は考察していたが、その仕組みがよくわからない。当然、ココアの渦の先にもない。一気にマグを煽って飲み干す。
ディメンターはキスをして、魂を吸い取ってしまうというが、ディメンターに晒されずとも自ら魂を傷つける方法として、殺人は本当に適切だろうか?仮に、世界にそんな秩序が備わっているのなら、どうして闇の帝王やグリンデルバルド、それに追随する魔法使いたちや、武器を密輸し闘争を煽るテロリストが跋扈しているんだ?
あの考察には不可解な点がいくつもある。絶対に別の方法だってあるはずだ。どうにかして、レギュラスの魂を治したい。
ポケットにねじ込んでいたロケットがふいに重くなったような感じがする。
......ともかくスラグホーン先生の考察をもとに、トム・リドルは分霊箱作成に成功したのは事実だ。
人を殺して、その衝撃でもって自分の魂を切り分け、分霊箱にする。決して彼一人では、犠牲となった命のお返しなどできないだろう。勝手に死神になり変わった彼を、どんな地獄も受け入れまい。中途半端に分けられた魂はこのロケットや指輪といった骨董品に固着し、安息は訪れず、吸魂鬼にキスされたように魂なき肉体の終わりだけが彼を待つだろう。不死などではない、生きて死ぬよりずっと恐ろしいものが。
また仕事を始められなかったOrz
・レギュラスの状態
スネイプとダンブルドアでさえ片手に封じ込めて1年持たせるのが精一杯だった呪いなので、義手経由といえど腕を週一スパンで作り替えなければ途端に壊死してミイラ化する、という常時医療ケアが必要な状態になっています。
ラクランはテセウスの船問題で、作り替えているのに呪われ続ける理由を考えた時、肉体と魂の結びつきに思考が飛んだ、という形ですね。
・スラグホーン先生ゲロらせ
1981年からスネイプはホグワーツ教師に就任するわけなんですが、それはまさしくこの1980年夏にトレローニーが面接で予言した情報を渡したら...という流れがあります。お気に入りの生徒だったリリーが標的になったことも辞職の大きな要因と考えられるわけですが、ヴォルデモート台頭でも辞めた様子がなく、ブラック兄弟で揃えたかった、とか言っちゃうタイプのスラグホーン先生なので、もう一打撃あってもいいかな?ということで真実薬をキメてもらいました。
分霊箱作成方法の情報がこれで全て揃いました。
・再登場オリキャラ
ベラトリックスに拷問を受けて入院していたイザベラが復活です。
メローピー・ゴーントの例などから、過剰なストレスによって魔法がうまく発動できずスクイブ同然となってしまうことはあり得ることだということで、イザベラも魔法を使えなくなっています。現在不自由なレギュラスの良き先輩として喝を入れてもらいました。