古びたカウンターに詰まれたわずかな枚数のガリオン金貨に、伸びた前髪の陰でセブルス・スネイプは眉を思い切り細めた。
当面の生活費のため、採集した薬草たちでこのご時世需要のありそうな強化薬や透明化薬を片手間につくり、薬草問屋に売りにきたというのに、この値段。独自に改良を加え、効果は折り紙つき。ついに目が腐ったか?
「このしみったれた空気じゃあ、うちもそれが精一杯だよ」
いつまでもガリオン金貨を受け取らないスネイプに、店主も不機嫌に鼻を鳴らして言った。別の客が入ってきたドアベルの音をきき、スネイプはしぶしぶカウンターのうえのガリオン金貨を攫ってマントを翻す。
ツカツカと石畳を早足で歩けば、嫌な顔が――いや、別人だ。
「なぜそのような......」
「ミスター・スネイプ?ご無沙汰しています!おれを覚えていらっしゃいます?」
後輩から声をかけられたスネイプははたと足をとめ、自分の思考が声に出ていたことに思い至って咳払いした。二つ下のくせ大きな体格のケイヒルはこちらを見下ろし、赤茶色の目を楽しげに細める。この瞳の色でどうして見間違えた...いや、髪だってこんな色ではなかったはずだ。
とにかく、ケイヒルに会えたのは運が良かった。おおかた、此奴がダイアゴン横丁へ来る噂でも小耳に挟んで私に押し付けて来たのだろう。
「ロジエールからの言伝だ」
「え?」
折り畳まれた羊皮紙の切れ端をグイと押し付けて、こゆるぎもしない上体にまた少し眉を寄せながら、スネイプはさっさと歩き去った。後輩とはいえ、あの男に似た格好の人間と長々時間をともにするのはひどく気分が悪かった。
ダイアゴン横丁の薬問屋がダメなら、今度はホグズミードが良いだろうか?あそこなら情報も集まる......。
そろそろ見慣れてきてしまった骨と杖が交叉する紋章を横目に、聖マンゴ魔法疾患傷病病院へラクランが踏み入ると、ズンズンと体格の良い掃除婦が歩み寄って来た。
「失礼、なにか――」
「も〜!何をチンタラやってんの、アンタがさっさと来ないからおかげで洗濯室は大変なことに!!」
「イ、イザベラ??!」
「そうよ久しぶり!いいから行った行った!!」
数年ぶりの旧友に驚くのも許されず、尻を箒でバシバシと叩かれる。村のおばあちゃんみたいなことするな。
大変なことに、ということは。すこし重くなった足を、箒でしばかれる痛みを思い出して懸命に前に動かす。ラクランだって、会いたくないわけじゃない。呪いを治す方法を見つけられもしなかったわけだから合わせる顔がないだけで、レギュラスの容態はこの目で見たかった。かさりと左ポケットで音をたてる、セブルス・スネイプに押し付けられたエバンの手紙が後押ししてくれる。ようやっとドアをノックして、ラクランは一歩、部屋へ入った。
「――やあ、君は無事そうだね」
「...うん。君も、腕以外は元気そうだ」
ひょい、と右手を挙げてみせたレギュラスに笑顔になったのもつかのま、ぐるぐる巻きで管が刺さっている左腕に目が行って、ラクランの顔から笑顔はあっというまに剥がれていってしまった。
「仕方ない......気が急いていた私のミスだ」
「いや、おれが迂闊にも君に持たせたままにしていたのもマズかった。あれが魔法を貯めていることにもきづかなかったし」
「見舞いにも来てくれないから、てっきり君の愛想もついに尽きたものだと思っていたよ」
冗談めかして毒をはいたようにみせているが、その顔が陰って幽霊のように希薄な生命力しか見て取れないのはあきらかで、ラクランは慌てて駆け寄る。
「そんなことあるわけない!見舞いに行けなかった間、スラグホーンに会ってきたんだ」
「ほう?」
「頼むよ、わかっているだろう?」
ベッドのそばにしゃがんで、マフリアートをかければ、レギュラスも心得たと頭を寄せる。
「リドルがいた時代彼はすでに寮監だった。有名人が有名になる前に唾をつけて贔屓するのが趣味な人が、今につながる秀才を支援しないなんてあり得ない。案の定、推測は正しかった」
「呪いが魂に対してかかっていることに気づいて......?あの人が分霊箱を作った方法がわかったのか?なぜ...」
「ああ。おれの魂でも、君の魂にかかった呪いを引き受けられないか、おれの魂のかけらを使って君の魂の呪いを解けないかって」
ラクランが早口にいうと、レギュラスは少しだけ目を見開いた後、ぎゅっと目を閉じて枕に身を任せ黙りこくった。
「なるほど、なるほど――」
「なんだって?」
「思い出してくれ。ホークラックス、魂を扱う闇の魔術は、あらゆる魔術の中でも禁忌中の禁忌。"毛だらけ心臓の魔法戦士"を知ってるかい?」
「えーっとたしかバーティに教わった。魔法族の童話だろう、シェイクスピアみたいにしょっちゅう引用される、吟遊詩人ビードルの物語のお話だろ。独身魔法族もよく心臓に毛が生えてるって言われるらしいじゃないか」
もうずっと遠い記憶、一年生のころ、魔法族の会話に違和感なくついていくためには必要だろう、とバーティが家から提供してくれた古びた本を思い出す。たしかに不気味な心臓の絵が入っていたはずだ。
「さすがだな、その通りだ。僕らもこのままいけばそうなるぞ。"毛だらけ心臓の魔法戦士"は持ち主から切り離されている間に毛を生やし主人とは別な存在となった心臓と魔法戦士の悍ましい話だが、あれはホークラックスの寓話という説もたびたび唱えられている」
「ふむふむ、たしかに類似箇所がいくつかある」
「この話を寓話だとするならば、その教訓は本来あるべき姿から外れることが身勝手で罪深いこと、そしてそういう行いは恐ろしい帰結をまねく、ということだと僕は思う」
「そうだな......それならスラグホーンの解釈ともあう。スラグホーンの解釈では、魂を切り分けるには明確な害意をもって人を殺し、自分の魂を傷つける必要がある。少なくとも若き日のトム・リドルはスラグホーンに尋ね、その解釈を聞いて――実行し、成功した」
「ではリドル家の殺人事件は」
「ああ。16歳のトム・リドルが分霊箱を作る過程で行った可能性が高い。母方の家族は罪をなすりつけはしても殺してはいないのだから、何か父方に思うところがあったんだろう」
16歳で、3人。フランクじいさんの話からすると死の呪いにより、つまり明確な害意をもって殺人を犯している。とんでもなく強い悪意、害意だ。そして、その先に訪れる恐ろしい帰結なぞ跳ね除けられるという傲慢も見える。
「僕は、君がそういうことをできる人には見えない」
「実はつい数時間前スラグホーンを殴ってやりたいと思ったばかりだけど、たしかにそういう害意が殺してやりたいに飛躍するのは自分でも想像がつかないな」
「そうだろうさ。君は分霊箱を作れない......いや、僕が決して作らせない。僕なんかのためなら尚更だ」
「なんか、なんて!」
「簡単に死ぬ気はないから安心してくれ。動けず魔法も使えないここ数日で、だいぶ冷静になってわかってきたつもりだ。僕なしでも君が立派に情報を持ってきたように事態は動き続けている。僕のような魔法や身体にそれほど特別な価値はない――だが、君は違う」
「どういう――?」
「君は闇の魔術に深く身をひたしておらず、闇に惹かれもしない。幼い頃から魔法族の考え方や価値観に身を置き、魔法と身近に暮らしてきた僕たちでは持てない利点だ。ロケットの影響も僕たちのなかで一番受けにくい。それはそうそう手放していいものじゃない」
レギュラスはそこで、おもむろに左腕の入院着を捲り上げる。上腕まで黒く染まった腕がそこにはあった。
「この呪いは決してぬぐいされないものだ。これからも僕は腕の再生と破壊を繰り返し、呪いを制御して生きていかなくちゃならない。魔法を使えば使うだけ呪いも進むから、ほとんどスクイブ同然で生きることになる」
「ああ、やっぱり...」
ラクランが手を伸ばす前に、さっと袖を直してレギュラスは背筋を伸ばした。
「一度はヴォルデモートの元へ下った報いには軽いくらいだ。君にまでこの呪いを負うなんていうのはやめてくれ。それは君のもつ最大の強みを棒に振る行為だ」
コンコン、とノックが響いて、レギュラスの演説を寸断する。ラクランが昔のようにアイ、と訛った返事をすると、イザベラがバン!と入ってきた。
「変な呪文かけないでよね、耳の中が気持ち悪い!」
「ああ、ごめん。フィニート」
「まったく。どういう心境の変化か知らないけど、ここ数日で急に制御も上手くなったし容体が安定してきたから、迎えに来たことだし、今日で退院。あんたが身元引受人なんでしょ?支払いは?」
「えー、分割で。期限は?」
「ここにサインをくれればいつでもいいわ。帰りは付き添い姿眩ましでね。薬は患者本人が管理するけど、異常があればすぐに来院すること。他になにか質問は?」
「アー、お元気?」
矢継ぎ早にされる質問に揉み手で見上げてみれば、イザベラは一瞬キョトンという顔をしてからべー!と舌を出した。なんだか、学生のころよりはじけている。
「見ての通り元気よ、ドーモ。クソババアのせいで魔法は使えないけどね!私のことじゃなく、患者のこと!」
「じゃあ、おれの就職に伴ってフランスに行くんだけど、それも付き添い姿眩ましで行ったらいいかな?」
「え」
ズビシとレギュラスを指差していたイザベラがもう一度手でレギュラスを示して確認してくるのに、ラクランは深く頷く。二人の応酬の間で、当事者たるレギュラスが間抜けな一音を出したが、イザベラのため息(というよりもはや嗎)にかき消された。
「よくてばらけるでしょうね、相当の負荷がかかるに決まってる。電車とかで行きなさい」
「でんしゃ......?」
コイツ、これでフランス行く気なの?と目でギラギラと訴えるイザベラをまあまあ、といなして退室してもらう。扉をしめてひといきつけば、背中のあたりにまたぐさぐさと視線が突き刺さってきた。
「実を言うとね、おれは毛の生えた心臓の話なら、魔法戦士よりお嫁にきた人のほうが気持ちがわかる気がするんだ」
「何の話だい?それよりフランスに僕も行くって言うのは――」
「まあちょっと聞いてよ。恐ろしい結末なのは同意だけどさ、初めて読んだ時、すごく悲しくなったんだ。あと少し早ければ、心臓に戦士の心が絡みとられていなければ、ボタンがひとつかけ違わなければハッピーエンドになれたのにってね」
お嫁さんは魔法戦士の心にきちんと向き合って、温かいものが存在することを確かめようとしてた。そんなこと、なんにも思ってない人にはふつうやらないはずだ。魔法戦士は名誉を手に入れようと必死になっていたのもあるかもしれないけど、それに応えて自分の秘密を見せるくらいには心が動いていたんじゃないか。
実際は赤々として美しい心臓に魅力を感じていたようだけど、それは毛の生えた心臓に影響された魅力の感じ方で、もし心臓が戦士の体内にちゃんと収まっていたら、あるいは心臓が体内になくても戦士が心臓に影響されたものの見方をしていなければ、ハッピーエンドになれたお話だと思う。
「君は一度失敗や罪を犯したら、もう悍ましい最後しか約束されていないように言うけど、そういう話だとおれは思わない。チャンスはいくつもあったのに、のがしてしまったり間に合わなかった悲劇の話だ。だから間違いを犯したらずっとダメなんてことはないと思う。なにより君と俺が違うように、おれにできなくて君にできることもいっぱいある。おれは、君を治すのを絶対あきらめない」
金属がずっしりと頭上に敷き詰められたような圧迫感のある空は、不思議と心を落ち着かせる。ラクランは空をしばし見上げた後、ほお、と息を吐いた。
じいちゃんが姿現しの音を聞きつけて戸を開け、レギュラスの姿も認めると勢いよく走ってきた。
「よかったなあ!ちゃんと生きとったか!」
ドシンと体当たりするようにレギュラスにぶつかって、ガシガシと頭を撫でる。病み上がりには過酷な歓迎だ。ラクランもじいちゃんと軽くハグした。お互いが大きな図体なので、手加減が必要だ。守りの呪文をかけ直しながら小屋へ戻り、レギュラスとジンジャーティー片手に窓辺へ腰掛けたころには、太陽は傾いて黄金色に輝き出していた。
「どうして僕までフランスにいくことが決まっているのか、そろそろ聞いてもいいかい?」
「おおよそはさっき話した通りだ。君を治すのをおれは諦めない。そのためには、君の力も必要だ」
レギュラスは少し複雑そうに口を歪めてから、しぶしぶといったふうに頷く。頭の中ではイザベラが失礼にも人の趣味の有用性を指摘してきたことを思い出していた。ラクランはスラグホーンにそうしたように、誰かに会って話を聞き出すのがうまいが、レギュラスは真逆で、本と向き合っているほうが幾分かやりやすい。癪にさわるが、イザベラの考察はもっともだった。
「もう一つの理由が、これだ」
左のポケットからラクランがとりだしたのはくしゃりとテキトーに折られた羊皮紙。セブルス・スネイプから渡された、エバンの手紙だ。手紙というより、ほとんどメモだけれど。
「おれ宛なのに間違いはないけど、意味が分からなくてさ。でも絶対大事なことが書いてあると思うんだ。こういうことがあっちでも頻発するなら、やっぱり君の力は必要だろう?どうだろう、意味がわかるかい?」
「君がわからないところをみると古代ルーン文字ではないな。これは.......象形文字?エバンのオリジナルの暗号ってところじゃないか」
「壊滅的な絵だから、たしかに立派な暗号だ」
ラクランは肩をひょいとすくめてみせる。本当になんなのか想像もつかないんだ。タイミング的に、重要な手紙なのは間違いないのに。
「いや、この図柄はみたことがある。昔のクリスマスパーティなどのあつまりで、エバンが好んで書いていたものだ......こっちは魔法生物学のコマに書き込んでいたはず」
「ヒュー」
「僕は文字や紋章中毒だから、目が勝手にね...。ゴホン、わかっているものから考察すると、これはエバンやエバンのお気に入りのマーク、こっちは魔法生物学か、魔法生物を示す。これは杖。なにかお気に入りの魔法生物を従えた、とか...?」
服従の呪文だって十八番なんだから今更そんな手紙はよこさないはずだ。生き物、呪文......まって、レギュラスはこれを杖だと読んだ?ならこっちも杖だ。
「前半はともかく、後半は小さい何かに杖をむけている形......ということは」
ラクランの言葉にレギュラスも頷いた。ラクランはホルダーから杖を取り出し羊皮紙に向けて、そっと小さな魔力を込めた。杖先から火花が数粒飛び出て、羊皮紙に着地するかしないか、という瞬間に青い炎が溢れ出す。
「見事暗号を解いたようだな!ということは、レギュラスも"頭は"残ってるようだ」
青い炎が爆発したと思うと、それは勢いよく空中を跳ね回り、ゴキゲンな声でラクランたちに笑いかけた。
「犬?」
「エバンの守護霊だよ!しゃべってる!どうやって?」
「闇祓いが以前、守護霊を走らせるところを見たことがあるが...」
ラクランたちの声をよそに、少したるんだ顔の垂れ耳の犬が、ふんふんと鼻をふってくるりと空中でまわり、ドヤ顔して早口で話した。
「おいラッキー、手短に忠告だ。バーティとは距離を置け。指輪の情報は俺が潰しておいた。お前もうすうす気づいているだろう?...おっと時間だ、それじゃうまくやれ!ノックオンウッド!」
「待って!」
ラクランの声を待たずに、砂の像が崩れるように青い光のつぶが散らばって消える。微かに約束の印が熱を帯びたのを感じて袖を引き裂かんばかりに捲り上げたが、エバンを示す火星のMは少し濃くなったあと、徐々に薄れてうんともすんとも言わなくなった。
「バーティから距離を置け......彼は危険ということ?」
「おれたちは破れぬ誓いをかわしているんだ!もし命に危険が迫れば、印は熱を持つ。これまでおれ自身に危険が迫ったのは分霊箱に近づいたときくらいだ」
「ふむ......いつ熱を持ったか、記録を残したりは?」
ラクランは頷き、慌てて屋根裏部屋へかけ登って、自分の印が熱を帯びるたびに簡単に記録した羊皮紙を持ってきた。
もともとバーティが敵鏡の魔法を応用して作った印だ。こんなに力を尽くしてくれる友が、裏切りなんてあり得るはずがない。そんな思いで、羊皮紙の記録を目を細めてなぞるレギュラスを見上げる。
「......エバンが任務のたびにデスイーターに対して敵を作りかねないくらい、心を揺らしているらしいのは意外だな。バーティがまったくブレないのも」
「根拠は?」
「火星の印は、闇祓いが間に合わず事後発見されたデスイーターによる事件の日にも、反応が出ている。もしバーティとエバンが同格なら、バーティもたいてい一緒に行動しているはずだが、カノープスは闇祓いと戦闘になったときだけ反応している」
「でも、バーティはお父上のこともある。闇祓いとの対立はエバンよりずっと強いだろう。そういう違いじゃないか?」
「閾値が個人で違う可能性もあるか......それなら、うすうす気づいている、というのは?」
レギュラスの声はあくまで事実確認のためと割り切った落ち着いて柔らかいものだったが、ラクランはゴクリとひどく苦労して唾をのみこみ、ハンカチごしにポケットの中のロケットを掴んで慎重に取り出した。
「そうだな......ロケットがあきらかに強くなっているのは、君が体験した通り。あんな事態になるまでおれたちの誰も気づくことはできなかった。じゃあその魔力を誰が注いでしまったのかって話だ」
「僕たちみんな少しずつやってしまったと思っているけれど、その様子じゃ違うんだね」
「ああ。みんなやっちまったけど、一番はきっとバーティだ......。おれも少しはその可能性を感じてた」
「分霊箱を安全に携帯する方法なんて学びようもないのだ。僕と同じように、失敗しただけだとも考えられる」
「ああ。失敗してしまっただけなら責任の追求なんかいらないとおれも思う。でもバーティは......バーティはおれたちの中で特別頭が切れる。ロケットを破壊するつもりで魔力や情報を渡しちまったんだってことに、あのバーティが思い当たらないはずがないし、思い当たったのにあいつが何も言わずに黙ってるなんて、なおさらありえない」
エバンはわざわざ"指輪の"と言った。つまりレギュラスがロケット関係で聖マンゴ送りになっていることは、バーティにも伝わっている。曲がったことが大嫌いで自分にもひとにも厳しいバーティが、この事態でエバンに遅れをとり今に至ってもなにも便りを寄越さないのが最も大きなひっかかりだ。
「なるほど......それだけまっすぐなバーティなら、裏切ると決めたらそう通告に来そうだが?」
「......裏切ろうとしているわけじゃないと思う。少なくとも今は。決別を決めたら、そう言いにくるというのはおれも同意だ。だからまだ迷ってると思う。あいつは魔法族の問題もマグルの強みもちゃんと学んできたんだから」
知識の深さではレギュラスも並ぶし、閉心術はおれが、開心術がうまいのはエバンだけど、膨大な情報のかけらから全体を推察したり理解するのがもっとも早く巧みなのはバーティだ。みんなのために何をしようとしたか、想像するのは難しくない。おれからみても、一番ロケットから情報を聴き出しやすく危険が少ない立場なのはバーティだ。
バーティはロケットに影響されて神経質になっていることが多かったが、徐々にロケットを担当する日は一人になろうとしていた。
黄金の光で目が眩んだすきに、日が地平線の影にかくれて、夜の闇が背後から迫ってくる。それを眺めながら、ラクランは脱力して背もたれに体重をかけた。
「半分はおれのせいみたいなものだ。幸運の液体を授業で勝ち取ったのはおれとバーティなんだから」
「幸運の液体を使わなければ僕はここにはいない」
「おれだって、謁見や洞窟で使ってきたことに後悔はない。でもその副作用をおれたちは甘く見積もりすぎた。自分たちの実力を正確に測れていなかったんだ」
バーティは自分の閉心術や開心術が実際どこまで闇の帝王に通用するのか、幸運の液体など抜きで体験することがないまま成功体験だけ得てしまった。そのうえ
結果として闇の帝王は一枚も二枚も上手だったとしか言いようがない。推測しかできないが、魂の一部であっても開心術のようなものをかけかえし、バーティから情報や魔力を奪ったうえバーティの思考を闇の一派の方向に染め上げたと考えられる。流石にすさまじい力量だ。
「......闇の帝王に唆されているといっても、バーティが馬鹿になったわけじゃない。破れぬ誓いを結ぶおれたちを裏切るような真似はしないだろう」
「そうだろうね、僕たちは不甲斐ないことにたいした脅威にもならないんだし、裏切るほどの価値がない。だけど......」
「ああ。エバンが手紙を潰したといっていたように、新しい情報をバーティに渡すことは今後できないだろうね」
ラクランは片手で顔を覆って、あごまでゆっくり撫で下ろした。レギュラスも口元に組んだ手を当てて、神経質に指を動かしていた。最も頼れる賢いバーティが、闇の帝王への対抗策を考え出すのに頼れない。先走りがちなレギュラスと、レギュラスの考えを読みきれないラクランにとって痛手は大きかった。
「――それにしても真の友達、か......あのエバンからあんな言葉が出てくるとはね」
「ああ、それはまったく。でもおれは、それならバーティだって真の友達だと思ってるよ」
「それは破れぬ誓いを結んだから?念の為言っておくけれど、あれは破ったときに死ぬというだけで、死ぬ覚悟であれば破れる誓いだ」
「わかってるよ。それもあるけど、少し違うね。友達ってそもそも契約関係でもなんでもないじゃん?美味しいものや楽しいものがあったら教えて一緒に楽しみたいし、大変な目にあってるなら一緒に頑張りたい。同じ時間に同じ家に生まれた家族じゃないんだから、全部が全部を一緒にするのはハナから無理だ」
「家族でも一緒は無理だよ、僕が証拠だ」
レギュラスの兄弟といえば、たしかにありゃ無理だな。ラクランは肩をひょいとすくめてみせた。
シリウス・ブラックとレギュラスよりは流石に気があってると思うけど、じいちゃんとおれだってありとあらゆる全部を共有してきたわけじゃない。じいちゃんがあんなに壮絶な戦争体験をしているのをわかってるつもりだったけど、フランクじいさんと話すのを聞いて初めて知ったところもあった。母さんのことはともかく、ばあちゃんのことなんかほとんど聞いたことがない。
考えてることや悲しいこと、苦しいことを自分だけのものにしておきたいときはそうしてきたし、納得いかなくて怒ったことも、怒られたこともある。バーティもそれは同じだ。
「話せないことは増えたけど、そんなの前からだ。そうだろ?」
変わらず美味しいジャムができたら送ろうと思うだろうし、肩やら腰やらを痛めない若いうちにクィディッチをやって、みんなで湖で泳いでおきたい(リチャードは娘のサッカーに付き合って寝込むようになったから、できるなら30代のうちがいい)。車にも乗せてみたいな!レギュラスはひどい酔いっぷりだったから......。
指折り数えていけば、やりたいことがポンポン出てくる。
「......彼が犯罪者になっても、かい?」
「ううん......」
目を閉じて聞いていたレギュラスが、ズバリと切り出してきた。今度はラクランが悩む番だ。
「闇の帝王は法律も、もちろん倫理も気にしないであらゆる手段を使うだろう。バーティがその支持者になってしまうなら、彼もまた犯罪を犯す可能性が当然ある」
「魔法界の法律もそもそも穴だらけだけれどね...そうだな、病院でも言ったかもしれないけど、おれからすれば罪は償うもので、その人をガラッと変えてしまうものじゃない。もちろんできるならやっちまう前に精一杯止めるけど!それでもダメときは、償うのを助ける」
「償いきれると思うかい?人を傷つけたり......殺してしまったとき。それにどうやって助ける?」
「それはわからないよ。命の重さは測れないし、君の左手の値打ちもわからないように誰かを傷つけた重さを正しく測るのは無理だ。でも死んだらそれでおしまいだ」
これから苦労して辛酸を舐めながら生きて、許される可能性は生きてさえいればある。償いのため死ぬというのは、なんの解決にも利益にもならない自己満足だ。
「生きてさえいれば、どこかで十分な償いになる可能性がほんの少しだけでもたしかに存在するだろ。それを代わりに背負ってやるなんてことできないし、そんなのなんの意味もないと思うけど、一緒に隣を歩くくらいは友達として許されると思うんだ。おれはそれをやるよ」
「絶縁してしまえば、君は隣を歩く必要がないのにかい?」
「実はね、入学したときにも生まれなんかを隠しつつ、イタズラまがいの呪いや嫌がらせも
バーティたちに渡したものと同じルーンを刻んだ窓辺の小石を手に取って、祈るように握りしめる。
大変なときにひとりぼっちで立つというのは難しい。
木々も、重たい雪が降るときには近くに生えているもの同士で重みを分散しながらたわむ。そうして春の雪解けがくると、同時にバサッと起き上がるのだ。ひとりぼっちで力強く冬を耐えるのはひとつの生き方だけれど、一緒に育ってきた友達が春に起き上がれなくて雪面の下で横たわっているところなんて、見たいわけがなかった。今は冬だ。こういうときこそちゃんとみんなで生き残らなくちゃ。
対岸が見えないくらいの濃霧で、空気全体が青色に包まれるなか、銀色の湖面に向かっていつかのように石を投げる。
「ダンケルクについたら、じいちゃんの戦友たちに花を供えてくるよ」
「おう、頼んだ。わしもいつか行きたいもんだ」
「付き添い姿眩ましに慣れてくれたら、連れていくよ」
「......また、アイビーの聖書を持っていけ」
横に並んだじいちゃんが、なつかしい丸く歪んだ表紙の小さな聖書を差し出してくる。ラクランは体の前で腕を振って拒否した。
「これ以上傷つけたくないよ。母さんが葉っぱを挟んでいたいくつかのところは暗記してるんだ。他の節を読むと、それも忘れちゃうかも」
「お前も好きなところに栞でもなんでも挟め。いつまでも足跡を追っかける子供のつもりか」
母さんは22でおれを産んで亡くなった。この湖で。
ラクランは遠くを眺める。おれは今、17歳。どれだけ足跡を慎重にたどっても、あと5年で母さんが生きるより長い時間、歩いていくことになる。母さんの命を引き換えに生まれてきた以上、絶対早死にするわけにはいかないから、母さんよりずっとずっと長い時間歩いていかなくちゃいけない。
「魔法界を生きているんだから、別に追っかけちゃいないよ......なにが待ってるかも、どうやって生きてくかも、まだ何にもわからない。全部が霧の中だ」
「そういうときこそこいつは必要だろう。持っていってちゃあんと使え。これは道具であって、お前の母親じゃない」
クィディッチのおかげで木の幹のようになったラクランの首筋を、アランのがさがさとした手がパンと叩き、がっしりとしてきたあご骨から頬にかけてを親指がなぞっていく。ラクランはくすぐったくなって吹き出しながらうつむき、ゆっくりと目を上げた。
「...小さい頃から目は変わらないな」
「ふつうは立派になったと言うところだよ」
ラクランのほうも真似してアランの顔を手で包む。そのままチョークスリーパーに持ち込まれて、ケラケラと笑っていなした。
「じいちゃんのほうも、相変わらず岩みたい。オークの木みたいに、中が腐らないように気をつけろよ!」
「ハハ、もうとっくに腐っとるわ」
そこへ、ドタバタと音を立てて小屋からレギュラスが現れた。
「おはようレギュラス、荷造りは済んでるよ」
「ごめん!腕の鎮静に時間がかかって......おじいさん、行ってきます」
「おうおう、達者でな」
「軽いんだから。まあなんかあれば電話を寄越してよ」
「ばかもん、国際電話は高くつくぞ」
「行き先はわかってるな?」
「まずはドーバーに、そこからフェリーでカレーに入る。ダンケルクに献花しつつまた姿眩ましでパリへ」
トランクにいそいそと入ったレギュラスに頷き、ラクランはスウッと鼻から深く息を吸う。かすかなカラマツの香り、ヒースと羊のまじった匂い、それに何年も前の落ち葉がゆっくり分解されている黒い湖の、少し土臭い甘い匂いがした。
パチン!と音を立てて、大きなトランクを携えた人影が湖畔から消える。
それをポケットに手を突っ込んで見送った老人は、堪えていた咳をしてゼエゼエと息を切らし、どっかりと座り込んだ。
砂がついたが、手にはまだラクランの感触が残っている。立派に育った。ほとんどこの手一つでなんとか育て、魔法界なんぞという知らないところにぶち込んでも、あんなに立派なスコットランドの男になった。
「ハハハ、ハハ」
カービングナイフを送って、恐れをなして家出したラクランを思い出して笑う。また同じく昔に、娘を無惨に捨てた男の影が孫から現れるのを恐れていた自分を笑った。
かつて恐れていた父親の影は、現れはしたけれどもアイビーの気配を奪っていくことはできなかった。黒く髪を染めてきたときには何事かと思ったが、そうしてみるとかえって、アイビーから受け継いだ紅茶や熾火のような暖かい色の瞳や、この土地の人間らしい日焼けした肌がよく目立った。変わらずあの子は、愛しい孫だ。いくつになってもひげが生えても、結局孫とはそうなのだ。
「アイビー、どうかラクランを守ってくれ。ウィルマ、お前もわしなどに拘うな。父祖よ、戦友たちよ、この老耄からさっさと離れて、我が孫を守り導け。あいつがいつも心穏やかであるように」
間が空いてしまいました!やっと出勤!
・ひっさびさのセブルスさん
卒業後なにをしていたか謎です。マグル界で生計をたてるのは厳しそうですが、かといってスラグホーンの後押しもないので、ルシウスの紹介で諜報の傍ら魔法薬売るとかそんな感じかなーと...シリウス、リーマスの発言をみるに騎士団内にも結構スパイがいた感じはあるので、少し匂わせました。実力は十分なはず。
・エバンとバーティ
原作では巧みに闇の帝王がカリスマを発揮したと思われますが、拙作ではフェリックス・フェリシスや大人の魔法族の助力で対処しちゃってるので、分霊箱がきっちり闇の帝王らしさを醸し出してくれます。日記がジニーからグングン力(生命力?魔力?)を奪ったように、ロケットも魂に悪影響を与えるだけでなく長く側にあって魔法を注がれれば反応し、徐々に日記のリドルみたいに独立思考していくと考えました。
フェリックス・フェリシスは公式で多量摂取の結果副作用として無謀さや過信を引き起こす、となっていたと記憶していますが、闇の帝王に対抗する数少ない機会(謁見)でこれをつかったエバンとバーティは自分の力量と闇の帝王の力量差を正確に把握できず、結果としてラクランたちの意図しない過信を少ない使用回数にもかかわらず招いてしまった、という解釈です。
・超こぼればなし
パリまで出る方法、ユーロスター、と書きかけてうん...?と思って調べたところ、やっぱり今作時点では全然開通してなくて慌ててドーバーから海峡をフェリーで渡ってダンケルクかカレーに入るほうにしました。フェリーも航行時間自体は2時間程度ですが(ヨーロッパとてもコンパクト)、ロンドンからドーバーまでも結構かかることを考えると、ユーロスターのロンドン―パリで2時間半って魔法みたいだなと思いました。たぶん1時間半〜2時間短縮になってます。トンネルってすごい。