イギリスの太陽と、フランスの太陽は少し違う。
レギュラスは見慣れてきた店に差し込む黄色の陽光を、目を細めて眺めながら、運ばれてきた大きなマグに口をつけて、カフェオレを一口飲んだ。
「今日はどこの新聞を買ったんだ?」
「レキップです、ムシュー」
しゃがれているがしっかりと発音する老人の声に、パッと顔を輝かせて振り返る。
「レキップか、悪くないな」
悪くない、はいいということだ。
レギュラスの隣の、窓辺の定位置に腰掛けた老人は咳払いを一つして、レギュラスが広げた新聞を見つつ、ちびた赤鉛筆を親指の爪でしゃっとひと削りしてテーブルに転がした。そこへ懐からくしゃくしゃの四つ折り新聞をいくつか取り出し、丹念に広げて光にかざしていく。
ただシワを伸ばしているようにも見えるが、瞼の動きを観察すると驚くべき速さで目が動いており、読んでいるのがわかるのだ。そうして目以外は微動だにせず新聞を読んでいた老人が、獲物を見つけたヒョウのようにしなやかに背筋をまるめて、次の瞬間赤鉛筆で勢いよくマルをつける。
レギュラスは声を出さずに喉の奥で歓声を上げて作業を見守った。初めてカフェでこの妙技を見つけた時から、この老人の大のファンなのだ。分霊箱の指輪やバーティのこの先について、ただ心配しているだけの時間を過ごすより、よっぽど有益だから。
「今日はどんな誤植が?」
「フン......つまらん脱字だ。ル・モンドがな」
ぶっきらぼうながら優雅に赤鉛筆を手放して、また足を組み直し熟読の姿勢に入る。赤線を引っ張られたところをみてみれば、たしかにcaractéristiqueがcaractérisqueになっている。これは一般名詞だからまだマシではあるが、まぎらわしい単語や国名などの固有名詞で間違いがあると、報道機関としては致命的だ。そういうわけで、誤字や誤用の通報は新聞社にとって大変有益で、しかるべきところに報告すれば金一封がもらえる。
この老人は賃貸契約も結べず安いホテルを点々として生活をしているが教養は本物で、外のゴミ箱や駅に捨てられた新しい新聞を集めてきては誤字や誤用を見つけて小銭を稼いでいるという。
カフェの店員の噂では、最初小説を書いてはいたのが、誤植をするような出版社には持ち込めないと言って、新聞を読み出したらそっちが仕事になってしまったらしい。
「このサッカー選手はマリの出身のはずだ。前にそう書いてた。どうなってる?」
彼にとっては不運なことに、彼の目はひとの数倍は鋭く、また記憶力も優れている。彼があらゆる出版物を読み続ける限り、永遠に作品を持ち込んで出版が叶う日も来ないだろう。
「シリウス......?人命にそんな名前をつけるのかアングレーズは??ふつうポールやピエールだろう」
ふと、聞き覚えのある名前が聞こえてきた。
「イギリスの新聞もあったんですか?」
「テレグラフだ。読みにくくてかなわんが、こいつは人名だろう?シリウス・ブラック。グラスゴーの駅で爆破テロを起こして13人も犠牲になったとか」
穏やかだった午前のカフェはぐんにゃりと曲がって歪んだ。
あの兄......いや、元兄が?猪突猛進だからと言ってそんなことまでやってしまうだろうか?そもそも、写真がピクリとも動かないマグルの新聞に兄の名が一体どうして?
受け取ったしわくちゃのテレグラフ紙の一面には、確かに兄の名が踊っていた。
三度目の正直で欠勤の先触れをきちんと出したラクランは、レギュラスに書き置きを置いて姿眩ましをした後、エディンバラからグラスゴーへ向かうスコットレイルに揺られていた。
顔面は蒼白で、手は電報の薄い用紙を硬く握りしめている。
ロンドンの漏れ鍋で掻っ払うように入手した日刊予言者新聞には、シリウス・ブラックが恐ろしい形相で吠えるマグショットが大写しになっていて、ひどく動き回るのでさらりと読んだ後はバッグにきっちりしまっておくほかなかった。
凶行の現場で現行犯逮捕に、この狂った写真。数日前にぶつかった時はたしかに憔悴していたけれど、こんな凶暴な顔はしていなかったのに......。
窓をどんどん流れていくロウランドの風景を横目に、ため息をついて座席に背中を預けた。今回ばかりは家の近くで魔法を使うべきではないと判断したが、この時間に読めるものといったら、宿の大家から届いたアランからの電報だけ。信じられない最悪なニュースを、ため息をついてもう一度指先でなぞりながら読んだ。
RICHARD AND ANN WERE KILLED
IN GLA STATION MONDAY
FUNERAL SERVICE THURSDAY
WAITING WITH AN NIGHEAN
(リチャードとアニーは殺された
グラスゴーの駅で月曜に
葬式は木曜
彼らの娘とともに待つ)
グラスゴーの駅はまだ規制線が張られていて、警察や重装備の機動隊など、見慣れない人で賑わっていた。天井や壁も剥がれ落ち、爆発の痕跡が色濃く残っている。ものものしい雰囲気の中、遺族らしい老女は涙を流すのも許されず押しのけられ、彼女の後ろではIRAか?それとも他国からのテロなのか?といっそ楽しげな推察を、腕章をつけた記者たちが生き生きと投げかける。
正体不明で国籍も不明なシリウス・ブラックの名前だけが魔法省から共有されているために、現場で悲しみに浸ることも許されない。
電報を手のひらのなかに隠して、フォート・ウィリアムまでさらに乗り換え、しわがれた声に顔をあげた。
「ラクラン」
「じいちゃん。迎えに来なくてもよかったのに......」
聞き慣れた声はひどく空っぽで、気力がなくゆっくりしている。ぎこちなく近寄って、そっとたがいにハグをした。お互い顔を合わせているけど、今、確かにお互いが生きているのか信じられなかった。
だってあんな場所で、本当にリチャードとアニーは死んでしまったっていうのか?爆破なんかでふっとんで?
リチャードとアニーの死を信じられないから、自分たちが今生きているのか、死んでいるのかもよくわからなかった。
母さんのバイク仲間だったというリチャードは、じいちゃんにとって、息子のようなものだった。
おれは孫だけど、孫だからこそ息子にはなれない。おれがホグワーツに行っている間、なにくれとなくじいちゃんの世話をやいて、世間話をして、ちょっかいを出してくれていたのはリチャードだ。強気で頼りになる、絶品のブロスを作るアニーももういない。年がら年中"かわいい盛り"のナンシーを、あんなに大事にしていたあの人たちが。
「そうだ、ナンシーは......?」
「うちにいる。アニーは親と縁が切れてるし、リチャードの叔父は死んだからな、連絡のつく身寄りがない。イングランドでも大ニュースになるだろうし、親戚の一人や二人、引き取りに来るかもしれないが。本人がこの土地から離れるのを嫌がっとる」
「そう......」
「お前を呼んだのは葬式のこともあるが、ナンシーのことだ......見るのが一番はやい」
「それなら」
ナンシーはたしか8歳だ。過酷なことに、きちんといろんなことがわかる賢い子。ラクランが付き添い姿眩ましのためについ癖で手を差し出すと、やはりアランは首を振って穏やかに押し戻す。
「いや、魔法は使うな。"ブラック"......それに、"シリウス"。わしには、わしにだけは察しがついた。あのレジー坊と関係があるんだろう?」
「うん。レギュラスも、ブラック家だ」
「ハァ......お前たちのせいとは誓って思っていないが、ナンシーはそうは思わないだろう。その上魔法のために......。ナンシーはまだ真相をなにも知らないが、これから知るかもしれない」
「それは」
「お前が頼みだ」
アランの後ろに跨って、バイクに揺られる。小さな小屋の前につくと、どういうことだかすぐさま理解できてしまった。
竜巻、雷、雹に黒い雨。小さな小屋の上にはどす黒い雲が渦巻き、激しい天気をちいさな世界でいくつも見せている。これは、魔法だ。間違いなく、まごうことなく。
もっとよく見ると、雲から太陽のような光り輝く球体や、月、星のような光の粒が生まれては消えるのを繰り返していた。
「じいちゃん、こっちへ!」
杖を袖のなかに隠して構えた。震える手でアランの手をつかみ、意を決して扉へ突進する。扉を開けると、中は掠れた悲鳴と無数の破れた本やシーツで満ちていた。
「かえってきて!いなくなったなんてウソ!こんなのウソ!」
「ナンシー!」
「いやああああ!」
カーテンにすがって、おさげの少女が叫んでいる。涙を流しすぎた目は真っ赤で、それに反して顔は青白い。じいちゃんに後ろからどつかれた。そうだな、叫ぶのは得策じゃない。
「......ナンシー、まずは座ろう」
しかし小さい女の子なんてよくわからない。魔法生物学でやるように、まずうやうやしく帽子を取って、膝をついて礼をし、それから地面に腰を下ろした。
ナンシーはまだ小さな声で、ウソ、ウソだと繰り返している。
間違いなく彼女が暴れさせているのは魔法の力だ。
彼女の先祖の中にスクイブか無責任な魔法使いがいて、かすかに魔法使いの血が流れている。11歳になればフクロウが彼女のもとにやってくることは、生まれたときから決まっていた。
おれも、スラグホーンが来るあの日まで不思議なものを見たことはあっても、力を暴走させたことはなかった。マグルの中で育って、ひとりぼっちで初めて力を暴走させたナンシーには、たしかにウソみたいな状況だろう。
「ウソ、ウソ!こんなのウソ!」
けれども写真立てやコップの破片が渦を巻いて部屋を通ると、彼女の腕にはたしかに無数の傷がつく。頬をつねるまでもなく、彼女はここが現実だとわかっている。
「ウソなのに、ウソなのに」
「君はわかってる。ここは本当の世界だって。ウソみたいなことが起こってて......そっか。信じたくなくても、信じられなくても、ウソじゃないんだ。ここは本当の世界で、全部本当のことだよ、ナンシー」
突然表に出てきてしまった魔法の力は、賢いナンシーが信じたくないことから目を逸らすうってつけの言い訳だった。目の前であり得ないことが起こっているんだから、お父さんとお母さんが死んだっていうのもウソ、あり得ないことなんだって。
でも、彼女はわかっている。彼女だけ生きていて、お父さんとお母さんは死んでしまって、なぜか、ウソみたいな魔法の力が使えること。わかっているのにわかったことにするのを怖がって、わからないふりして暴れている。でも本当はわかっているんだから、それで一番傷つくのは結局ナンシーだ。
ナンシーに向かって少し近づき、そっと手のひらをうえに腕を伸ばす。恐る恐る重ねられた小さな手には、痛々しい傷がたくさんついている。その小さな腕に軽く杖先を当てて、じいちゃんの止める声も聞かずエピスキーをかけた。
「君の力と同じだ。魔法とおれたちは呼んでいる。傷も、物も治すことができる」
「じゃあパパやママも......?」
「......どうしても人間が空を飛べないように、魔法使いにも、できないことはあるんだ」
涙に濡れたまま目をあげたナンシーは、また顔を伏せてしまった。迷った末にラクランは立ち上がって芝居がかった雰囲気で杖を振り上げ、わざと明るい声を出した。
「それでもこんなことはできる。見て!ナンシー」
レパロを部屋じゅうにかけると、ゆっくりとした杖の動きと一緒に写真立てや倒れた椅子、破れたシーツが一人でに集まり、元通りに戻っていった。
「魔法みたい」
「魔法だよ。これを壊したのもそう。直すこともできるけど、さっき言ったように魔法でも治せなくなってしまうものはある。だからえーっと、」
言いたいことがうまくまとまらなかった。でも、ませたナンシーはひとまず魔法のことを飲み込んだらしい。傷一つなくなった腕を引っ張って立たせてやると、そのまま震えながら握った拳を目の前に持ってきて、ゆっくりと開いた。
「このおかしなことが起こったのは、魔法......?あたしがやった?あたしにも、さっきのができるようになる?」
「本当は学校に行って教わるけど、もしまた魔法で暴れてしまうようなら、学校に行く前に力とうまく付き合う方法をおれが教えよう」
こくり、とナンシーはひとつ頷いた。目には少し光が戻ってきている。
「ラッキーは無理だっていうけど、きっとあたしが魔法でパパとママを治すよ」
「そうだね、そうなったら嬉しいね。おれも精一杯協力する」
ゆっくりもう一度こくり、と頷いたナンシーは、少し頭がぐらぐらしてきた。そういえば手に取った小さな手のひらは熱い。
「熱があるのかな?」
「子供の手が熱いなら眠いだけだ。寝かせてやれ」
小さな頃に抱っこして振り回したり肩車したりはしていたけれど、大きくなってからはベタベタしてこない子だった。慎重に抱き上げて元通りシーツをかけたじいちゃんのベッドに横たえる。運ばれる間に、ナンシーのまぶたはしっかりと閉じていた。
シーツにキルトを重ねがけして、じいちゃんの方へ戻ろうというとき、後ろからジャケットを引っ張られる。
「ねえラッキー、本当にパパとママ、いなくなっちゃった?」
「......そうだよ、もういない」
「でもね、あたし......あたしね?あやまらなくちゃいけないことがあるの。ママが作ったブラックベリーのジャムがすっぱくて美味しくないって言っちゃったの」
「そうか......アニーはブラックベリーを今年こそ摘めたんだね」
「うん......もう何年も枯らしてたの知らなくて、ひどいこと言っちゃった。パパにもね、髪をしばられるの汚くなるからいやだって、言っちゃったの」
もう会えないし、話せないところに行ってしまった。死んでしまったっていうのは、そういうことだ。
「それは、二人とも傷ついただろうね」
「そうでしょ?だからあや、あやまらなくちゃ。パパとママに」
「謝っても、もう二人には返事もできないよ。君の声も聞こえない。君はわかってるでしょう?だけど君なら、二人がなんていうかわかる。違うかな」
ハンカチを取り出して次々頬を濡らす涙を拭いてやる。焦茶色の瞳としっかり目を合わせた。
「わかってる。ママはきっと、文句があるなら今度は一緒に作るよ〜っていう。パパは、自分の髪で練習するから本を貸してっていうの。でもきっとヘアオイルのかわりにパーツオイルを使うから、大変なことになるよ」
「ふふ、リチャードならやっちゃいそうだね......さ!まだ涙は出そうかな?ハンカチは貸しておくから、泣いちゃっても大丈夫さ。目を閉じて」
最後に一拭きしてハンカチを枕元に置いて、ベッドを離れる。振り返ったナンシーは、しっかり瞼を閉じていた。
さぞ無念だったことだろう。こんなに大事にして、たくさん言葉を交わした子供と、こんなに早く別れなければいけないのは。ナンシーだって寂しくて悲しくて、泣いてしまっても当然だ。でも、彼女には思い出がある。
思い出が、彼女と一緒に生きていく。
エバンがおれたちに寄越してくれたのも、そういうものだ。
やっとちゃんとわかったのかよ、と頭のなかでエバンの声がこだました。
遺体は検死をされるために、空っぽの棺で葬儀を取り行った。魔法で殺されたのなら、検死をしたってなんの意味もないけれど。
村の数人だけの小さな式だ。引き取るという人は葬式にも現れず、結局うちで引き取ることになった。生前から関わりがあったとはいえじいちゃんも年金で生活している人だ。はじめ、じいちゃんの養子にするという話だったが役所のおじさんは困った顔をした。
かといっておれは収入はある方でも、魔法界にいたせいで経歴に不確かなところが多すぎる。教科書を読むだけでなく、どこかのオープンユニバーシティの通信教育でもやっておくんだった。
魔法も不安定で、突然の別れからまだ立ち直るのに時間にいるナンシーを、そうと知っていて都会の孤児院に押し込むわけにはいかないんで、ちょいといくつかの書類を魔法で偽造して、フランスで働いていることが不自然でないように、フランスの職業バカロレアと上級技術者免状を持っていることにした。そのうちどうにか取得する話は出ているから、どうか許してほしい。
ナンシーが一人でもお墓に行けるように、エバンの墓の隣にリチャードとアニーの墓も作った。今日も朝日を眺めながら散歩して、みんなで花をそなえて、ナンシーの肩に手を添える。
こう忙しい中であっても、バーティと話したことが何度も何度も耳の中でループしていた。
嵐を起こすなんておれたちが言わなくても、嵐は起こっていた。
嵐は弱った枝や腐った木を薙ぎ倒していくけど、ときに育ち盛りの若木や風に直面して耐えている強い木も折ってしまう。
多少の犠牲は厭わないなんて、バーティは言っていたけれど。あのときのおれたちにリチャードやアニー、ナンシーのような普通の人たちは見えていただろうか。12人のマグルと、グリフィンドール寮の4人組の一人だったピーター・ペティグリューが犠牲になったというが、他の10人の人たちにも、あの駅でみたおばあさんのように、それぞれにこうして涙を流す家族や友人がいるはずだ。
今さら無知の重みがずしりと肩にのしかかってくる。おれたちはひとが見えていなかったし、罪の重さもしっかりわかっていなかった。
でもこれが、おれたちの背負う荷物だ。決して投げ出してはいけない。これを背負って歩き続けなければいけない。
時間を戻してと叫んでも、流れ去った時間が完全にもとには戻らないように、立ち止まりたいと叫んでも、嵐はもはや誰の声も聞いてくれない。
リチャードの家から持ってきた本を読んでナンシーを寝かしつけ、とっぷり暗くなった窓の外にじいちゃんとため息を漏らしたところへ、パチンとドアの目の前で姿現しの音がした。
「レギュラスかな?顔を出すのは控えると手紙で言ってたけど、明日まで待てない急ぎの用かも......ルーピン?リーマス!」
杖を構えて覗きに行ったラクランは、うっかり学生時代のように呼び、それからファーストネームに呼び変えた。
ドアの前には、頭はボサボサスーツはヨレヨレで、一気に10年分歳をとったようなリーマス・ルーピンが真っ青な顔で立っていた。
「君がいてくれたか......訪ねてきたくせ悪いが確認をさせてくれ、念の為に。私が君にコツを教えた魔法がなにか、覚えているかい?」
「もちろん。守護霊の呪文だ、悪いけど、寝てる子がいてね、こっちでいいかな」
バイクをおさめてある納屋へ招いて、杖を一振りしランプやストーブに火をつける。埃を払って椅子を差し出し、ジェミニオした椅子に自分もドカっと座った。
「ごめんよ、今うちで寝てるのは......その、この間のグラスゴーでの事件で、両親を亡くした子供なんだ。父親のリチャードに、おれたちもずいぶんよくしてもらっていてね。当分の間うちで面倒を見る」
「それは......そうか、マグルが12人も亡くなっていたね」
さらに顔色を悪くしたルーピンが組んだ手を口元にもっていく。見るからにショックをうけている。
「じいちゃん、シリウス・ブラックはリーマスと同級生で、学生時代は仲良しだったんだ。到底闇の魔法使いに与する人には見えなかった......やりすぎなくらい闇の魔術や魔法族のしきたりを嫌ってるところしか、おれはみたことがなかったんだ」
「そうか......コイツの性の根が悪くないのは知ってる。心配するな」
「ハイハイ。そういうわけでリーマス、おれたちゃ君を疑ってるわけじゃない。でも君たちは仲が良かったから......君は、報道のほかになにか知っていないか?あんまりにも突然、理不尽に命を奪われたのに、今のままじゃわかってることが少なすぎる」
「いや。本当に不甲斐なくて申し訳ないが、私たちはこの一年ほどずっと、お互いが疑い合うような状態でね。私にはなんの情報も入ってこなかったんだ。知らぬうちに、友人たちを3人とも失ってしまった......」
ついに頭を抱えたルーピンは、ひとしきり白髪が混じるようになった髪をかきまぜた後、ガバリと顔をあげた。
「私が来たのはそのためだ。ラクランがいたのは都合が良かった。君に、同じような後悔をしてほしくない」
「どういうこと?」
「バーテミウス・クラウチ・ジュニアが逮捕されたんだ。君たちは、よく一緒にいただろう?」
寂しそうに、懐かしそうに言うリーマスに、ラクランはポカンと口を開けることしかできなかった。
「は......?バーティが?」
印はこのところぴくりとも反応しなかったはずだ。バーティが命の危険に晒されることもなく、そんな場に居合わせたというのか?
「アリスとフランク......ロングボトム夫妻を拷問した容疑でね。今度裁判が行われるが、このデスイーター排斥の流れではほぼ確実にアズカバンに収監されてしまうだろう」
「フランク、フランク・ロングボトムを拷問......いや、そもそもどうして君がそんな情報を?」
「ゴホン、公にしてはならない情報なんだが、私はダンブルドア校長を中核とした義勇軍のような、同盟として活動をしていたんだ。アリスとフランクも、闇祓いでありながら同じく参加していた。デスイーターから恨みは買っていただろうね」
ダンブルドアはリーマスに、人狼でありながらホグワーツの教育を受けさせるという恩を売っている。人狼たちへのスパイまがいのことをしていると聞いた時は恩をいいわけに劣悪な使い方をされているのかもと気を揉んだから、義勇軍程度それほど驚きはなかった。
ラクランが頷くと、リーマスは一層声をひそめて手を握り、告解でもするように目を閉じた。
「私たちふたりはジェームズたちの弟分のようなもので、いつも彼らの後を追っていた。彼らが入ったから、騎士団にも望んで入ったよ」
「だったら尚更、シリウス・ブラックというのがマグルを襲う意味がわからんな」
「ああ。でももう、気が狂うような檻の中だ。裁判もなしに......」
「私もそう思う。情けないことに、友人を亡くしてその真相もわからぬまま加害者とされた友人が投獄されてから気づいたことだけどね。今の魔法界はおかしい。戦争のなか誰も信じられず、次々倒れていく仲間たちを前に正気を保つためだったと信じたいが......戦争が一旦の収束をみても、その異常な喜びや怒りは止まらない.......」
皮肉そうに笑うリーマスの背をポンポン撫でる。すっかり薄っぺらくなってるじゃないか。
「君が随分弱っていたのは、じいちゃんから聞いてるよ。みんな酔っ払いみたいなものだった。そうでもしないとやっていけないみたいにね。正気のやつはさっさときれいに退場してしまった......」
俺のことか?うまくやったよな、と眉毛を上下させるエバンが脳内に飛び出てきて、うまくやるなら生きてろよ、と脇へ押しやろうとして、ラクランははたと固まった。
「おれの友達は......エバンは、マッドアイに殺された」
リーマスはハッとした顔をして、それから瞳を暗くした。
「マッドアイ・ムーディも私たちの仲間だ。かなり過激派のね」
「デスイーターだったのは間違いない。おれたちの世代は、おれを除いてほとんどみんなが在学中に謁見している。そうしなければ危険だったからね......間違ったところに参加してたのは事実だろう。でも殺されるほどの罪を犯してはいなかったと、おれは信じてる。しかしマッドアイは大慌てで彼を殺してしまった......バーティのこと、教えてくれてありがとう。でももうおれは、君と同じ失敗をした後だ」
エバンの考えや置かれた状況、決断を本当に理解できたのは、エバンが死んだ後。でもエバンの魂をもらったおかげか、彼の生き様は薄れることなく脳裏に現れ、時折勝手に喋っていく。
命は一つしかないし、話せる時間は有限だ。だからこそ慎重にきちんと罪を測って、償わせる必要があるのに。どうして魔法省はこうも大慌てなのか。
「裁判の前に、バーティに面会できないかな」
「無理だろう。ディメンターが張り付いて監視しているという話だ。あれの前では、どんな魔法使いも精神が脆くなって意思疎通もまともにできない」
「なるほど......そんなのがウヨウヨいるアズカバンに収監すれば魔法省にとっては、冤罪でも余罪があってもないのと同じというわけか」
「なんだと!?リチャードが死んだ真相は、このまま一生わからずじまいか?おい、ほんとに何も知らんのか?!」
「私だって知りたい......!すべては秘密裏に行われたんです、私にさえも隠して。その秘密の当事者たちはジェームズもリリーもみんな死んでしまった......」
じいちゃんがはじめて声を荒げた。真相もわからず、ただ大事な知己の無惨な死という結果だけを受け入れろなどと言われて、わかりましたとのめるわけもない。それにリーマスもまた懊悩してこたえた。
「バーテミウスが容疑をかけられている拷問についてもそうだ。アリスとフランクはあまりの苦痛に正気を失ってしまった......。加害者のほか、居合わせたのは1歳になる息子のネビルだけだ。彼のこともフランクたちはわからなくなってしまった」
「そんな!」
「ひどい事件だからこそ、はやく犯人を吊し上げなければいけないと魔法省は焦っている。再び国際魔法使い機密保持法を揺るがしかけ、ヨーロッパ諸国の魔法界から抗議文を頂戴しているんだ、国内からも非難の嵐を受けるのは嫌なんだろう」
「魔法省の手柄なんてどうでもいい!真実を明らかにしないで罰を与えることになんの意味が?」
「多くの人はそう思っていないんだ。だから魔法省も同じ感覚で動いている。事実ジェームズとリリーの死の裏で、ハリーは生き残った男の子と持ち上げられ、魔法界はお祭りムードだ。新聞が伝えた戦争の勝ち負けのように、はっきりしていてすっきりする、簡単なお話をみんなが欲しがっている......ひどい話だ」
「魔法が使えようと使えなかろうと、人は等しくみなバカだという話だな」
じいちゃんは皮肉たっぷりに言って、フンと鼻を鳴らした。
「バーティは......バーティはたしかにデスイーターになった。一方で、おれの育ちを隠蔽して友達同士守り合う破れぬ誓いを結んでいるんだ。聞いた話では、バーティは戦線に出ずに闇の帝王と魔法界のあるべき姿について、話をしていると言っていた。現場に出て、度を越した拷問をするなんて想像できない」
「ピーターは引っ込み思案な子でね、自分から進んで何かをやるタイプじゃない。その彼がなぜわざわざマグルの町を逃げ惑ったのだろう?本当に小指一本だけが残ったのなら、どうやって?そしてシリウスだ。彼はジェームズと双子のようだった。彼がジェームズを裏切るとは、やはり到底思えない」
これまで一緒に過ごしてきた時間、間近でみてきた友人たちの姿が、正しくみられないままに裁かれたり、殺されたりして消えていく。
「面会はできないにしても、傍聴はできるだろう?策を練る」
「どこへ?」
「ヨーロッパ魔法界一弁のたつ、活字中毒のところさ」
いくつもの地点を経由しながら、4日ぶりにパリへ戻った。あらゆるところに日常と違う空気の流れるイギリスと違って、ここパリは終わってしまったバカンスを惜しみながら曇天を見上げてしぶしぶ働いている人たちでいっぱいだ。それにふうっと息を吐いて、勢いよくアパルトマンの鍵をあける。
「戻ったよ!」
「兄上の被害者だという人たちはどうなった!?」
明るくかけたラクランの声の甲斐なく、真っ青なレギュラスがぶっ飛んできた。
「どうもなってないよ......葬式にも遺体を戻してもらえなくて、空っぽの墓をエバンの隣に作ってきた」
「そうか......亡くなってしまったのは本当なんだね。マグルの新聞でも報道されているんだ。それで知った」
脱力してスツールへ座り込むレギュラスに、ラクランはあえて明るく話しかける。
「聞いて驚け、この歳でおれは養父になったぞ。ナンシーが......知ってるだろ、リチャードたちの娘だが、魔女だった!君もいずれ、もっと情報や感情の整理できたら会ってもらうつもりだ。戸籍上は違うけど、君はほとんど家族みたいなものだから」
「戸籍上なら、僕は死人で、彼女のご両親の仇の縁者だ」
「いいや、まだ真相はわからない。リーマスによると、不可解な点が多すぎる......裁判なしで投獄された上に、どんな魔法を使ったのかも、なぜピーター・ペティグリューの小指が綺麗に残ったのかもわかっていない。被害者にとってもひどく不誠実だと思わないか?全てがわからないまま、ただ悲しみだけが残っている。それで、君の力を借りにきた」
「僕が何をできるというんだ?死人に兄の弁護などできないし、やるつもりもないよ」
ラクランはまだ座っているレギュラスに手を差し出した。日焼けして火傷や切り傷、ぺんだこに塗れたボロボロの手。それに、白くて神経質に角ばった手が重なる。グイッと軽々引き上げて、背中をバンと叩いた。
「シリウスは投獄されてるって言っただろ。今はどうにもできない。裁判があるのは、バーティだ」
「え」
「バーティが、ロングボトム夫妻を拷問した疑いで逮捕されている。クラウチ・シニアによって、今度の月曜に結論が決まりきった裁判をされる」
レギュラスとシリウスはそれほど似ていないけれど、おれたち二人で揃うとなぜかシリウス・ブラックを連想しやすくなる。この際だとおれは髪を短く刈り上げ、レギュラスの方は逆に、きれいな口髭をつくった。
「マグルの理容師の腕はいいね」
「ここはアタリなんだよ。いいか、リーマスの前じゃフランス語を話してくれよ。君はフランス人。新聞を読み漁って情報通な紳士だ」
漏れ鍋で待ち合わせてそつなく握手をこなした後、まずは聖マンゴ魔法疾患傷害病院へ向かった。フランク・ロングボトムと、アリス・ロングボトムにお花を送るために。
パリの花屋で買ったアマリリスの小さな花束を受け付けで渡して、ドアの前まで案内された病室は薄暗かった。ひょいと手を挙げて挨拶したイザベラも、沈鬱な声音で許されざる呪文を何度もかけられてしまったのではないか、という見立てを話した。
「面会は謝絶だけど、小窓から様子を見られる」
シンと静かな病室で、恐る恐る覗いた小窓からは、並んだベッドの上で、ぱかりと無意味に目を開いたフランクとアリスが見えた。
静かだけど穏やかで優しい目は、焦点があっていない。身体のどこにも傷などないのに、二人の精神が身体から離れてしまっているのが一眼でわかった。
「どうか、早く回復しますように......」
「僕からも、一応祈っておく」
「フランクは誰からの好意でも気にしないよ、スリザリンになったおれが、ちょっとしたお礼にネクタイピンを送ったらニコニコ受け取ってくれた人だもん」
たったそれだけの縁だけど、寮に構わず列車であった時と同様に受け取ってくれた彼のおかげで、寮のくだらない対立や生まれを差別する生徒ばかりじゃないと一年生の時からわかっていられた。今振り返れば、その意味はとても大きい。
「息子さんはナンシーと7つ差か......ホグワーツじゃ被らないけど、子供たちがもっと勉強しやすいように、きっとするから」
こんなとんでもない傷害の容疑者の友達から、君たちも頑張ってなんて言っていい言葉とは思えない。だから焦点の合わない目を今度はしっかり見て、自分勝手に約束した。
電話ボックスに三人ぎゅうぎゅうになって、6、2、4、4、2とリーマスの指示にしたがってなんとかボタンを押すと、魔法省の大廊下に面する暖炉へ出た。艶めく濃い緑色のタイルが敷き詰められており、なんとなく薄暗い雰囲気だ。自分の仕事で手いっぱいらしく視線もあげずに行き交うたくさんのひとたちで、賑やかなはずなのに冷たい感じがした。なんとか空のエレベーターへ乗り込んだところで、レギュラスが小さな声で話出す。
「......回復を祈るけれど、回復するかどうか想像もつかなかったね......。しかし客観的に見れば、動機も手法もかなり杜撰だ。ベラトリックス・レストレンジあたりならやりそうだが」
「よくわかったね?バーテミウスと共に逮捕されているのは、ベラトリックスにその夫ロドルファス、兄弟のラバスタンのレストレンジ家三人だ」
「いったろ、古今東西の新聞を読み漁ってるんだこの人」
レストレンジといえば、急進的でとくに過激なことで知られる三人じゃないか!それにイザベラを聖マンゴ送りにしたのもベラトリックスのはずだ。首謀者はほとんどベラトリックスと言っていいだろう。
「あんなになるまで磔の呪いをかけられたということは、翻ってフランクたちがまったく喋らなかったということだ。彼らの勇気は素晴らしいことだけど、情報を引き出す方としちゃ非効率的でしかない。とても
結局主たる問題はバーティがやったのか、やらなかったのかだ。どんな呪文もしくじらないバーティなら、見ているだけで気の狂うような状況であっても磔の呪文を使えてしまうだろう。
果たして彼の杖がどう振るわれたか。そこに彼の意志はどこまで介在していたのか。
傍聴席にはたくさんの魔法使いと魔女が詰めかけていた。リーマスは暖炉を出たあたりからローブのフードをかぶっていたが、さらに深く被り直した。
「ダンブルドアがいる」
「マッドアイもだ」
三つ席が空いているところを彷徨って探して、ラクランたちは結局端っこのかなり上の方の席に座った。
「あれ?ルード・バグマンだ」
目についたのはかなり前のほうに座っている恰幅のいい男だ。バーティが見せてくれた最新戦術の載っているクィディッチフリーペーパーに名前が載っていた、プロビーター。イングランド代表チームでも相当の活躍だ。
「なに?この前の裁判を恨んでいるのかな」
「この前の裁判?」
「君、新聞はもっとしっかり読んだほうがいい。ミスター・クラウチが判事を務めた以前の裁判で、魔法省に潜伏していたデスイーターのオーガスタス・ルックウッドに情報を流していたことがわかっている。裁判ではシラを切って、聴衆のファンたちは歓喜して拍手喝采だったそうだが、統括すればコネ入省をチラつかされて情報を渡していたのは事実だった」
「それで無罪放免?ふざけているな。再発防止の抑止とかは考えないんだ」
「ふざけているのは彼らも同じさ、ミスタークラウチの身内の醜聞を見物しにきた格好だ」
レギュラスは冷たく一団を見下ろした。レギュラスの話を聞いてから観察すると、たしかにバグマンの周りの一段はどこか舌なめずりしてウキウキするような雰囲気があり、とてもフランクやアリスの状態に心を痛めているようには見えない。一度気づいてしまえば、傍聴席にはそんな輩ばかりが目立った。
いつまで経っても静まらない法廷に、小さく白く萎れたようなミスター・クラウチが夫人を伴って現れた。途端、会場全体がシンと静まり返る。ミセス・クラウチは半分ゴーストになってしまったように軽そうな身体でよろよろと歩き、嗚咽を漏らしながらかろうじて着席した。ミスター・クラウチは白髪混じりのグレーヘアを優美にまとめていたのが嘘のように、パサついた白髪を無理やり撫でつけたような頭で、頰がこけこめかみが痙攣していた。
「静粛に」
とっくに静まり返っている会場に無意味に呼びかけ、力なく開廷を宣言した彼は、彼らを連れてこい、と力なく命じた。
隅の扉が開くと、心の底がひやっと冷たくなった。ふわふわと宙を彷徨う不気味なローブをかぶった人影のような生き物が、四人の容疑者を取り囲んで現れ、法廷の真ん中の鎖のついた椅子へ運ぶ。ひたひたと嫌な感覚が足元から這い上がってくる感覚に、ラクランはそっと自分の胸の上に手を置く。レギュラスが察して膝をポンと叩いてきた。エバンの思い出も、自分の思い出も決して傷つけられるわけにはいかない。
ロドルファスらしきがっしりした男はぼんやりとミスター・クラウチを見上げ、ラバスタンは辺りをしきりに見回し、助けが来ないか探っているようだった。
ベラトリックスはシリウス・ブラックを思わせる艶やかな黒髪をさらりと避けて、鎖で拘束されるにも関わらず椅子が玉座か何かのように堂々と優雅に腰掛けた。まぶたの下がった少し細い目をほんのり開いて会場を一望し、興味なさげに目を閉じた。
バーティは、ああ、あんなバーティは見たことがない!ついさっきまで恐怖で石化していたかのように力なく椅子に座った後、震えだした。いつもピッチリ整えられていた髪は乱れて顔を隠し、そばかすが浮いて見えるほど血の気のない真っ白な肌だけが見えていた。
ミスター・クラウチはバーティの登場でいっそう激しく泣き始めたミセスの声をかき消すように勢いよく立ち上がり、四人を上から見渡した。その顔には混じり気のない嫌悪だけがあった。
「お前たちは魔法法評議会に拘引されてきた」
迷いなどいっさいない、はっきりとした声だ。
「判決を下されるためにだ、凶悪な――」
「父上......」
バーティが震えたまま、弱々しい声を出した。
「父上、お願いだ」
「――この評議会に於いても類のない犯罪だ」
ミスター・クラウチはバーティの方を一瞥することすらせず、むしろその声をかき消すようにさらに声を張った。
「四名の犯罪に関する陳述は終わっている!四名は追放されたお前たちの主人、例のあの男の居場所を吐かせる目的で、闇祓いフランク・ロングボトムを捕らえ、磔の呪文をかけて拷問した」
「父上、僕はやってない!」
バーティは立ち上がりかけながら叫んだ。鎖が張り詰めてガチャガチャ鳴る。
「僕はやってない、誓って!父上どうか、僕をディメンターへ送り返さないで!」
「さらなる罪として!」
ミスター・クラウチはもはや怒鳴っているようだった。
「四名はフランク・ロングボトムが情報を与えなかったために彼の妻にも磔の呪文をかけた。お前たちは例のあの男を復権させ、再びかつての強大だった時代を、暴力に溢れた日々を取り戻さんとしていた。さて、陪審員に尋ねる――」
「母上!」
息子に叫ばれたミセス・クラウチはすすり泣き、ぐらぐらと不安定に揺れる。
「母上、父上を止めてください!僕はやっていない!僕じゃない!」
あんなに取り乱したバーティは初めてだ。おれもレギュラスもあれが本心であるか世紀の名演技であるか判断がつかない。いっそのこと世紀の名演技であってくれれば、まだ良いと思った。僕じゃない。もしあの言葉が本当なら、杖をその時振るったものについての追求が必要だ。
証拠があるとミスター・クラウチはいうが、ウィゼンガモットの証拠とはプライオア・インカンタートか、真実薬しかない。自分の意志でもって磔の呪文を行使していたのなら、バーティはこんなふうに訴えないはずだ。プライオア・インカンタートは杖から使われた魔法を調べられるが、持ち主が振るったとは限らないとか、持ち主の意図や状況までは反映しないという穴がある。
審議に値する疑惑が生まれたにも関わらず、ミスター・クラウチは無視して続ける。
「陪審員に尋ねる――これらの罪が、アズカバンでの終身刑に値すると私は信じるが、賛成の方は挙手を」
裁判所の右側にいた魔法使いや魔女たちが、一斉に手を挙げた。壁一帯を囲む群衆は拍手を始める。彼らの顔は勝ち誇っているかのような野蛮な喜びに満ちていた。
万雷の拍手を破るように、バーティが叫ぶ。
「違う!母上、違うんだ!僕はやってない、やってないんです!知らなかった!あそこへ僕を送らないでください!父上にやらせないで!」
ディメンターたちが滑るように部屋へ戻ってきた。バーティを除く三人は静かに椅子から立ち上がる。ベラトリックスがミスター・クラウチを睨み上げて宣言した。
「闇の帝王は再び立ち上がる!クラウチ!我等をアズカバンに放り込むがいい。我々はお待ちする!あのお方が再び立ち上がり、おいでくださるのを!他のどんな僕よりお褒めくださるであろう。我々だけが忠実だった!我々だけがあのお方をお探しした!」
あまりにも力強い宣言に、勝利の快感に浸っていた群衆はそれがかりそめだったかもしれないとひとり、またひとりと黙って行く。静寂の中ベラトリックスが顎をつんと上げて立ち去る一方で、バーティは法廷全体を冷たい恐ろしさで包み込むディメンターを、身一つで追い払おうと抵抗を続けていた。
「バーティ......!」
思わずラクランが立ち上がって、名前を呼ぶ。レギュラスが慌てて引っ張ったが、群衆は他にも立ち上がり、バーティが必死にもがく様を見物を楽しんだり嘲笑していたので悪目立ちはしなかった。引き戻されたラクランは膝の上でギリギリと拳を握った。
「僕はあなたの息子だ!」
バーティはついに、ミスター・クラウチを見上げて叫んだ。
「あなたの息子なんだ!」
「お前は私の息子ではない!」
カッと目を見開いて、雷が轟くようにミスター・クラウチが怒鳴る。
「私に息子などいない!」
ビリビリと響き渡ったそれに、彼のすぐ隣で聞いていたミセス・クラウチがヒュッと大きく息をのみ、蒼白な顔で自分の席へ崩れ落ちた。失神してしまったようだ。ミスター・クラウチはそれに目も向けず、口から唾を飛ばしてディメンターに吠える。
「連れて行け!連れて行け!!アズカバンで腐り果てよ!」
「父上!父上、僕は関係ない!いやだ、違うんだ!父上!お願いです!」
「バーティの証言をお聞きください!ミスター・クラウチ!」
ついにラクランは止めるレギュラスを振り払って立ち上がり、声をあげた。
レギュラスとリーマスはラクランを引っ張っていた手を離して慌てて顔を伏せる。ニヤニヤと見守っていた聴衆は一斉に静まり返って振り返った。
法廷の中央で突っ立っているバーティと目があったが、バーティは瞳を揺らした後、首を振って俯いた。
「お前はなんだ?傍聴人からの証言など認めていない!」
「バーティの級友です!友情に関係なく、あの陳述には穴があります!直前呪文を行使しても呪文の行使者が杖の持ち主であった証明にはなりません!バーティの杖がやったとして、他のデスイーターが握っていた場合は?あの女が脅してやらせたなら?服従の呪文といったいどれほどの違いがありますか?!」
「では他の被告同様に服従の呪文にかかっていたから見逃せというのか!」
「他の被告には許してなぜ彼らには証言を許さないのですか、
「つまみ出せ!!」
壁の影やら柱から闇祓いらしき魔法使い達が現れてラクランを取り囲む。引っ張られるのを足裏に永久粘着呪文をかけて阻止し、掴みかかってくる手は
ダンブルドアやマッドアイと目が合うが、おれは傍聴席からとはいえ論理的なことを言って、痛めつけるでもなく不当な拘束に反発しているだけだ。ここで無理やり黙らせれば悪印象がつくのはそっちだぞ。
「犯罪に関しても不可解なところがいくつもあります!情報を聞き出すための拷問なら、なぜ二人とも気が狂うまで痛めつけるのですか!それが忠誠心などと抜かすあの女と同じく、バーティが無意味な暴力を楽しんでいたとお思いですか?!あなたはバーティがいくつフクロウをとったかご存知ですか?ほら見ろ、知りやしないんだ――捕らえるより殺す、先に攻撃して後で質問するやり方を、戦争が終わっても貫く執行部こそ暴力にやみつきなのではないですか!?」
視界の端でメガネをかけた女が嬉しそうにガサガサと書き付けるのが見える。まだまだ言ってやろうとラクランが唇を舐めたとき、輝く大きな鳥がどこかから現れた。
守護霊だ!足元から這い寄ってくるような悍ましい冷気を消し飛ばしていくそれは、ゆっくりと法廷を旋回してから中央にいたディメンターを追い払った。
「あ!バーティが!」
鳥もディメンターもいなくなると、鎖付きの椅子の上に仰向けに倒れたバーティが見える。永久粘着呪文を解除して飛び込もうとするすきに、闇祓いたちに拘束されてしまった。
「バーティ!離せ、畜生!肩も外してやろうか」
「気を失っとるだけじゃ、死んではおらん――被告がディメンターに襲われた。これだから危険な魔法生物に看守など務まらんと言っておるのだ」
「でも、先生!」
「ケイヒル、それくらいにしておきなさい」
「先生はおかしいとは思わないのですか!?明らかに不条理だ!」
「許しておくれ。バーティ・クラウチ・ジュニアを件の罪人だとする確たる証拠はないが、同時に無罪とする証拠もないんじゃ。証人が正気を失ってしもうたからの」
「だからと言って......!」
時間切れらしい、喚きも虚しくズンズンと運ばれて、あっという間にダンブルドアも見えなくなった。そのまま別の小さな部屋へ連れて行かれる。
「ここはなんだ?」
「取り調べをするんだ、聞かれたことだけに答えろ」
「お前もデスイーターの仲間か?」
「馬鹿を言え、同級生だったらみんなデスイーターってか?それならルックウッドが勤めてた同じ職場のあんたらみんなデスイーターだろう」
毒を吐く間に左腕の袖を引き裂かれる。何にもないったら。
「真実薬でも飲ませてくれよ、そっちの方が早いだろう」
「この裁判続きで真実薬なんてあるわけないだろう」
「自分たちで調合もできないの?」
なんてことだ、それじゃあの裁判は真実薬による主観的な事実さえ確認されてなかったってことか?一月かかるとは言え一滴で自白には十分な魔法薬なのに。
「勤め先は」
「フラメル私設臨床魔法研究所、補助研究員。上司の主任研究員、ゼナイド・ルーベンスの連絡先は右胸のポケットに入ってるカードにある。おっと、フランス語で電話してくれよ」
「嘘をつけ」
べー、と舌を出したラクランに拳を振り上げた闇祓いは、仲間に止められてカッカして立ち去ったが、数分後に青い顔をして戻ってきた。後ろには嘘くさい笑顔を貼り付けたメディ付きだ。連絡を受けてゼナイドのかわりにすぐさま国際煙突飛行ネットワークで飛んできたらしい。
「確かにうちのです。どーも曲がったことが許せない頑固者でねえ!お前がいないと進まない共著論文の修正があるってのに......ではよろしいですな?こっちも急ぐんで失礼しますよ」
捲し立てる勢いのまま、状況を察知してチクリと皮肉ったメディは、愚鈍な役人たちが言葉の意味を飲み込む間にラクランをパッと立たせてさっさと退散した。
「まったく......何をやってるんだ、お前は......」
眉間に手を当てるメディは本気で頭が痛そうだ。
「すみません、ちょっと友人が亡くなって養子を迎えて親友が不当な裁判で終身刑になったので暴れました」
「そうか......後悔はないんだな」
「いいえ、後悔しかありません。おれ......悔しいです。本当に無力だ。どんなにおかしくたって世間一般が狂ってたんじゃそれで通っちまうんだってことを、わかってなかった」
有効な代替案がないなんて生ぬるいことを言ってちゃダメだった。やってはいけないことをやる前に、どうにかしてでも止めるんじゃなく、やったかやってないかもわからない状況になんて陥らせないようにしなくちゃいけなかった。この世界は理不尽で、綻びがあちこちにある。どう見たって狂っているのに、つまらない闘争心で人はちっとも先を見ようとしない。
「それなら正しいことをきちんと伝えて間違いをことごとく叩き潰すのみだ。ご不幸のあった家の子を養子にしたと言ったな?フランスに連れてくるのか?」
「え、あ、わかりません。元いた家がいいと思うけど......」
「そういうのは子供本人にきちんと聞かないと。俺は先に戻るぞー、養子のメンタルケアも必要だが、近日中に一度は顔を出せ」
「はい!すみません、お心遣い感謝します」
暖炉だらけの大回廊に出たところで、メディは爽やかに手を振って去ってしまった。忙しい仕事中に飛んで来させて申し訳ない......が、助かった。
「ラクラン!君ってやつは!」
省内キオスクの影からレギュラスが飛び出してきてボカボカ殴られる。
「心配したよ、だからって殴るのは......」
「あっ言葉はわかるとはいえ、イギリスの右も左もわからない友人を残して拘束される馬鹿ですよ!?この!」
そう言えばそういう設定だった。どちらにせよ頼るすべもなく、友人もおれしか娑婆に残っていないレギュラスにもリーマスにも、辛いものをのせてしまった。反省して殴打を甘んじて受け入れる。
「悪かったよ......でもこれで、腐り切ってるところに正面から言ったって意味がないのがよくわかった」
「何をする気だい?」
不安そうなリーマスが少し眉を顰めた。笑って両手を振る。
「安心して、暴力を使ったりはしないよ。おれだって戦争はもうまっぴら!でも、暴力を振るい振るわれに慣れてしまった人たちの目を覚まさせなくちゃ、この不条理はどうにもならない」
"正しいことをきちんと伝えて間違いをことごとく叩き潰すのみだ"
その通り。メディはいつも良い助言をくれる。
「手始めにミスター・クラウチを批判して正当にこき下ろす必要があるのはわかるよ、でも彼はダンブルドアが辞退して魔法大臣就任が決まったも同然だ。このパフォーマンスも残念ながら彼の政治生命には役に立っただろう」
レギュラスの言葉に、頷いて肩をそびやかす。あの闇祓いへの指揮なんかまさしくだ。さながらリシュリュー枢機卿の"まことに偉大な統治のもとでは、ペンは剣よりも強し"みたいなもので、今の彼は自分の手はあくまで汚さず、命令によって合理的批判をも封殺できる権力を持っている。
「愚かしいことだ。だからこそこの悲劇を身内にも容赦しない堅固な政治家で終わらせるわけにはいかない。その政治家の中身は、年若い息子の訴えをも退ける冷血漢で、犯罪者とされた青年もまた不幸な子供だったんだと明かすんだ」
「どうやって?」
「"物語は、剣よりも強し"さ」
切るに切れなくて長〜〜いです!明けましておめでとうございます!新年早々暗いパートで申し訳ない......ですが、新年1発目に相応しいずっと書きたかった回に辿り着けました!!
時系列順のイベント整理
◽️シリウス1981年10月31日に裏切りを知る。ハグリットにバイクを譲る。翌日ラクランとぶつかる。数日から十数日後にシリウスとピーターの爆破事件
◽️多数のマグルの死者が出る爆破事件で、マグルによるシリウスの目撃もあったため魔法省からマグルの首相へ情報が共有される。
シリウス、裁判を経ずアズカバンへの投獄
◽️リチャードとアニーの死を知ったアランにより、外出中のラクラン当てで電報が届く
◽️ラクラン、実は魔法の力を持っていてショックにより暴走しているナンシーを諌める
◽️リチャードたちの葬式を開く。引き取る親族は現れず、本人の希望とリチャードの身元保証人であったアランが養父第一候補となるが、年齢や収入の関係で却下、孫ラクランの経歴を偽造して養子にする
◽️ラクラン、リーマス・ルーピンによりバーティ逮捕を知る
◽️ラクラン、フランスに一度戻りレギュラスを変装させて助力を得る
◽️ラクラン、レギュラス、リーマス、聖マンゴでロングボトム夫妻をお見舞い
◽️ラクラン、裁判を傍聴し暴れる
捏造ポイント解説
◽️ピーターとシリウスの爆破事件について
起こった日や場所は不明の事件。ただマグルの間でも大きなニュースになってしまったこと、マグルを12人も巻き込んでいることから、大きな都市の大きな駅、ということでグラスゴーを選びました。
大きな駅を選んでいる理由としてはもう一つ。ピーターは隠れ穴に潜伏するわけですが、自爆に見せかけ作戦を敢行後シリウスが負傷または拘束されてくれるかは賭けなので、「ここからなら隠れ穴だな」と予測できる場所で爆破は起こさないはずです。不死鳥の騎士団で繋がりがあって、育児でてんてこ舞い(ジニーが生まれたばかりで他の兄弟もまだ幼児)なことを知っているウィーズリー家にもともと目星をつけていて、マグルの交通手段も活用して潜伏したのでは、というわけです。
グラスゴーを選んで、怒れるシリウスの追跡をピーターがかわすとしたら数日だろうか、十数日だろうか、と考えたところ、娘のクリスマスプレゼントを夫妻で買いにきていたリチャードが犠牲になってしまいました。
◽️裁判で
裁判のシーンは大好きなので、ラクランが立ち上がって発言する前のパートまでは、時折ラクラン目線(バーティ擁護したい派)を挟みつつほとんど原作に準拠しています。
映画では三つの裁判を一つに凝縮されていますが、拙作では前半二つの裁判(カルカロフの告発、バグマンの疑惑)をカットしてロングボトム夫妻拷問裁判のみを扱いました。傍聴人はいるのか微妙なところですが、群衆とクラウチ夫人、ダンブルドア(ウィゼンガモット扱い??)、マッドアイムーディ(闇祓いだから?)もいるのでアリ、ということにしました。※ルーピンは人狼感ある傷だらけの顔を他人から隠すこと、スリザリン生のラクランたちと一緒にいるところを騎士団の人に見られたくないのでフードをかぶっています。
原作だとダンブルドアによる「ハリーそろそろこの辺で」が入るので、そのあとは自由に暴れました(ラクランが)。
個人的なポイントは、怒りに燃えているとはいえやつれたバーテミウス・クラウチ・シニア、アズカバン投獄以前の美しく堂々としたベラトリックス、苛烈な拷問という事件とディメンターつき終身刑という判決に「勝ち誇っているかのような野蛮な喜び」で拍手を送る群衆の狂気、身一つでもディメンターを追い払おうと嘲笑をかいながらも必死の抵抗をするバーティ、「私に息子などいない!」で気を失ってしまう夫人、ダンブルドアにも真相はわからないということ、あたりです。
◽️ディメンター、バーティ、守護霊、ダンブルドア
ディメンターは人の幸福な気持ちを奪い取って養分を得る魔法生物で、使役できているわけではなく、過去の犯罪者の遺物を監獄に転用しているのがアズカバンです。ファッジさんなんかはかなり濫用していますが、基本魔法使いのいうことをちゃんと聞く生物ではありません。そこに美味しそうなものがあれば、食べたくなっちゃうわけですね。
バーティがなぜ首を振って俯いたのかはご想像にお任せします。
ダンブルドアの守護霊については、不死鳥を見たことある魔法使いは稀なので、「鳥」としました。ちゃっかり自分の主張であるディメンターを看守にするの良くないよーもアピールする老獪さをダンブルドアはバリバリに持っていると思っています。
一方で、ダンブルドアにも何があったか把握できない秘密の守り人漏洩からのジェームズ、リリーの死、シリウス投獄とピーターの失踪。それに続いて疑惑を晴らす証拠も疑惑の確たる証拠もないバーティの裁判は、間違いなく心に引っかかるものだったはず(だから記憶を保管していたんでしょうしね)ということで、「許しておくれ」が出るかなぁと......。