背中を丸める。背骨の上をザラザラとした布が擦っていった。鎖を鳴らして足を擦る音が聞こえていたが、さらに空気が冷たくなるとそれも止んだ。誰だ、呼び寄せたやつは。
どこかをネズミが這い回っているのか、軽い足音があたりを這い回る。隣の牢で、ガシャンと鎖を動かす音が鳴った。元気なやつだ。
僕は目を開く気力もない。鉄格子に背を向けて丸まり、考えるのは苦しいことだけだ。苦しいことを考えなければ、また奪われる。
あの晩レストレンジ家に呼び出された。あのお方をお探しするのだと。分霊箱について知っているのか?あのお方は割いた魂を元に戻したりなんてしないだろうが。
ラクランが寄越したフェリックスフェリシスを震える手で飲んだが、不運なのか幸運なのか、安らかな死はやってこなかった。死んでおいたほうがマシだったのに。
あの狂信者の誘いを拒否するという選択肢はない。若年にして前線に出るでもなく、お話相手を務めていた僕を、あの女はいつも睨め付けていた。
「さあやれ!やるんだよ!腰抜け!」
雷鳴、いや怒鳴り声。その出どころは高笑いして歯を剥き出し目を見開いたベラトリックス。
僕はすでに泡を吹き痙攣しているアリス・ロングボトムに杖を向けた体勢で硬直している。
隣ではロドルファスとラバスタンが二人がかりでのたうち回るフランク・ロングボトムを痛めつけてこちらを見せつけようと服従の呪文を唱える。
気持ちの悪い興奮した息が、耳の後ろにかかった。
ベラトリックスの手が杖腕にかかる。
「さあ、はやくおやり!」
肘を掴んでアリス・ロングボトムの顔に杖先を誘導された。そうして伏目でケタケタ笑うこの女は狂っているとしか思えない。闇の帝王に?いいや、暴力にだ。
杖はひどく重い。目を合わせることはできなくとも、呪文の発動条件と振り方はきちんと頭に入っている。
手首に爪を立てられた。血が滲んだのか、カッと熱を感じる。杖が線を描き始める。
フランク・ロングボトムが服従の呪文を破って飛びかかってきたが、軌跡はもう描き終わったあとだった。
ドン、ドン、ドン!!
ガベルの音。蒼白な父上の顔、無数の目。
「僕はあなたの息子だ!」
まだ期待していたのか?
「私に息子などいない!!」
そうだろう、あなたはそういう人だ。
僕は生まれてからずっと、あなたの邪魔者だった。僕の存在など、あの人にとってないも同然。
いや、ないほうがよかったんだ。
傍聴席で立ち上がって叫ぶラクランに、鼻の奥から小屋の煙突からのぼる煙の匂いがした。
ぐぐもったラクランを呼ぶ声、食器を忙しく並べる音が溢れてくる。
違うんだ、君と僕とは。
どこかで同じだと思っていたのに、全く違かった。
手の中に収まったあたたかいマグカップ。
黄金色の油の浮く乳白色の液体。
ランプに照らされたちょっと汚い字の羊皮紙、ドッグイヤーされた教科書、クィディッチの雑誌、呪文の的......
「はっ」
顔を上げて振り返ると、音も立てずにヴェールを被った不気味な灰色がこちらを覗き込んでいる。
忘れろ!忘れろ!
あいつと僕は違う!!
こめかみに爪を立てて頭を掻きむしる。
僕には未来を案じる父などいない!健康を祈る家族などいない!
あいつが僕に与えた優しさは、僕からは決して生まれ得ない。あいつの持ち物は厳しくも突然の帰宅に慌てて朝食を用意する祖父だ。
いつだって迷惑そうな父と、ただ哀れんで嘆く母、同じくらい哀れなウィンキーだけが僕の持ち物だ。
あいつからあれこれ与えられるだけ、惨めになる。
あのお方は真っ白な手を差し伸べてくださった。マグルのふるぼけた孤児院で育たれたと。誰にも要らぬと捨てられて、望まない子供だったと邪魔者扱いされたとお話してくださった。
あのお方のほかは、誰にもわかるまい。ただ息をするだけで存在してくれるなと叫ばれる腹立たしさ!憎しみ!悲しさ!
「消えてくれ......君と、僕とは、違うんだ」
みぞれが舞う暗い空に顔を顰めつつ、大きな通りへ出てチェーンのコスタ・コーヒーに入った。慌ただしい魔法省の往来のなかじゃ落ち着いて話もできない。
リーマスは緊張したように顔を伏せたが、ガムを噛んでいるやる気のない店員は目線をあげることもなくカプチーノふたつとそれにホットチョコレートを素早く提供した。ロンドンのような慌ただしいところじゃ、誰しも知らない人の顔をまじまじ見たりはしないんだ。
「たっぷりだ!」
店の一番奥まったところへ腰掛けたリーマスは、大きなカップに顔を綻ばせてホットチョコレートをぐびぐび飲む。
「アレで冷えた?たしかに教科書に書いてあった通りひどい気分になった」
「それもあるけど、単純に甘いのが結構好きなんだ。なかなかいけるよ」
「そりゃよかった」
レギュラスはカプチーノを一口飲んで、いつものカフェの方がうまい、と言わんばかりに顔をしかめてカップを置いたが、ラクランは構わずがぶりと飲んだ。耳塞ぎ呪文を辺りにかけた。
「それで?"物語は剣より強し"だったかな。何をする気なんだい」
「ミスター・クラウチがやった裁判は裁判なんかでなく、ショーだった。ひとつの物語、舞台のようなものだ。穴の多い物語だったけど、彼は剣より強いペンを握りしめてるから成功してしまった。だからおれは、もっと優れた物語をぶつけてやろうと思うんだ」
証言もさせず証明不可能なことも丹念に塗り潰したうえでの、クラウチのパフォーマンス。
そのストーリーの穴は、傍目にも明らかで、多少感情的になったとはいえ傍聴席からおれはそこを突いてやった。
「だがミスター・クラウチが終身刑を科したのを、聴衆たちは残忍にも大喜びしていたじゃないか。自分の耳が痛むことをそう簡単に受け入れはしないだろう」
「そうだな。だからこそ耳の痛い思いをさせずにうまいこと物語に引き込んで、あの家族を別の目線からみせるんだ。誰しも昔は誰かの子供だったし、学友の一人は二人はいるだろう。おれという友人の目線から見たバーティたち家族について書く......どうせ拒否されるだろうが、許諾をとるのに面会の希望を出しておこうかな」
レギュラスはじっとおれの目を見つめた後、うーんと唸った。
「君は怒って猪突猛進になっていないか?ミスター・クラウチの批判をしたい気持ちはわかるが、君のやり方では批判や攻撃にはなっても、バーテミウス・クラウチ・ジュニアの名誉を回復することはないし、あの牢獄から救うこともない」
「いいや!これこそ再検証のチャンスを生む唯一の方法だ。世間一般でミスター・クラウチへの批判を強めて、あの裁判や魔法使いの法律、行政についての疑問を浮き彫りにする」
「そう上手く行くだろうか?狙い通り批判を巻き起こせたとして、イギリス魔法省の持てる調査方法ではいずれもふわふわとした結果しか導き出せないようだ」
「だからといって友達と尊敬するに足る先輩の関わる事件を
半分ほどホットチョコレートを飲み干したリーマスは、さっきの笑顔が嘘のように俯いた。
「私はなにも言えないよ。かろうじてフランクたちが生きている今回の事件と違って、私の友人たちが引き起こした悲劇は、12人もの罪なき人の命を奪っている.......」
「人の命に値する償いなど確かにないさ、だからと言って発生機序がわからないのに裁判もせず投獄というのは全く理不尽だ!ナンシーに"とりあえず"犯人ということになっているから、シリウス・ブラックを仇と思っておけというのか?ふざけている」
加害者や事件の調査をお粗末に終わらせることは、被害者をも愚弄している。誰しもある日突然命を奪われるなんてことがあってはならないし、理不尽が降りかかったのならそれは死力を上げて解明されて然るべきだ。二度と同じ悲劇を繰り返さぬように、少しでも彼らの死が報われるように。
手に握ったカップがみしりと鳴って、慌ててはなした。これではレギュラスは説得できない。リーマスはすっかり眉を下げて、ふうとため息をつき、人々が忙しく行き交う窓の外を眺めた。
「私は......長い間友人たちと疑い合い過ぎてしまった。君と私は似た状況のようで、違いがある。わからないことは多いけれど、マグルがたくさんいるところで魔法を撃ち合った二人ともに重い責任があると思うし、混乱した戦線でのことはどうしても全てを明らかにはできないと考えている。私にできるのは、犠牲になった人たちや友人たちの安らかな眠りを祈りながら静かに生きることくらいだ」
ホットチョコレートをすべて煽ってから、少しぬるくなった手のひらでテーブルの上に投げ出されたラクランの手をポンポンと叩いて、リーマスは言い聞かせるように言った。
「君を訪ねた時伝えたはずだ。君は後悔をするだけになってほしくないと。君に私と違う道が見えていて、本当にできることがあると感じるなら。ラクラン、君は君の直感に従うべきだ」
ラクランも手元から目線を上げて、パサパサの前髪から覗く瞳をきっちり見た。彼の瞳は緑色のはずだが、後悔と自責と無気力で、枯れ草色に見える。
「おれの知ってるバーティは、まっすぐ天に伸びていく木みたいに気持ちのいいやつなんだ。あんな被害を目の当たりにすれば、当たり前に罪の意識を感じる人だ。裁判であんなふうにかきくどくのは、ずっと苦しめられてきた肉親が相手だからだけではないと思う。これはおれの主観と、直感だ。おれはそれに従う」
少しだけ揺れた瞳にくすりと笑ってから、肩をどつく。
「ところで君は本気で後悔を抱えながら静かに生きるしかないなんて言ってるのか?まだやるべきことがあるだろう」
「なにが?」
「わからない?ジェームズ・ポッターとリリー・エバンズの子供はどうする。生きている君にしかどうにかできないぞ」
「ポッター家に引き取られたのでは?相当な資産家のはずだ」
レギュラスがすぐさま指摘してくる。さも知っておけ、という顔をしているが、君の方は知識を引っ張り出すのが早すぎだ。時事に詳しいフランスの魔法使いってことにしてるのに。
「......いや、リリーの妹のマグルの家に預けられた」
「ふうん、今の魔法界にいるよりマシかもな」
「そうだな。生き残った男の子なんて......その子供からしてみれば、苦しいことでしかない」
「マグルの家庭で育ってるから君は関係ないなんて言わないな?助けられるのは君だけなんだ」
「いや、そんなことは......。ダンブルドアが」
「まだ一歳なんだろう?となるとその子に親の記憶はほとんどない。ポッターたちがどれだけ彼のことを大事に思ってたか、伝えてやれるのは君だけだ。学生時代の黒歴史とかもな!重責だぞ」
母さんのことを思い浮かべながら、ラクランはぎゅっと眉根を寄せた。
リーマスは何度も頷いて俯いた後、ゆっくりと席から立ち上がる。瞳に生気が戻ってきたようだ。マグルの家に突撃するわけにはいかないから、ハリーに昔話をできるのは早くても10年後か?
「しっかり生きようリーマス、お互いに。困ったことがあったら、またいつでもうちに来てくれ。ナンシーにも紹介しなくちゃな」
「おれの友達なんだから」
「あー......」
会う資格があるか、と言いかけたリーマスに被せて言えば、リーマスは気まずそうに口を閉じた。それにプッと吹き出して、トントンと軽く別れのハグをする。レギュラスもさっと手を出して握手した。
「思い出すのが苦しくなっていたけど、君のいう通りだ。忘れてしまう前に、少しでもハリーに話すべきことをまとめておこうと思う。それに、仕事探しもしなくては」
「それじゃ善は急げだな。裁判に連れて行ってくれてありがとう」
「私も......ありがとう。それではまた」
影のようだった足取りに少しだけ力を取り戻して、リーマスは歩いて行った。
「レギュラス、物語のエンディングは決まったぞ。思い出したんだ」
「そろそろ店員さんに睨まれる頃だけど......何をだい?」
「おれが母さんから憎まれていないと、生まれてきてよかったんだと自信を持って思えるのは、じいちゃんやリチャードがたくさん母さんの話をしてくれたからなんだ」
おれを産んで母さんは亡くなった。おれを産まなければ、母さんは弱ってしまうことも死ぬようなこともなかったのは、事実だ。
じいちゃんがおれに、母さんの話をしてくれなかったら?
リーマスがハリーに、彼の知るジェームズ・ポッターとリリー・エバンスの話をできなかったら?
ロングボトム夫妻の子供はどうだろうか。
ナンシーには思い出がある。たしかに愛され、両親と言葉を交わした思い出が。普通よりずっとずっと早く両親は奪われたが、8年分の思い出がこれからも彼女を支えるだろう。
「バーティには、ないのかもしれない。ご両親がちゃんといたのに、バーティが生まれてきてよかったんだと胸を張れる思い出が......少なくともバーティから見たあの家には」
「そんなことが......」
レギュラスにだって完全に母と兄が対立するまでの間にできた、楽しい思い出はいくつかある。晩年の父とも穏やかな時間が過ごせた。クラウチ家もブラック家も、同じような冷たさに見えるが.......。
ラクランの左目から、一筋涙が流れ落ちた。
「そればかりか、あの裁判でミスター・クラウチは本人にむかって息子などいないって怒鳴った。あれはバーティにしてみれば、魔法法執行部長の関与や同情の否定じゃないんだ。バーティはあのとき、実の父親から存在を否定されてしまった」
「それは......」
母上と父上は、ブラック家の思想や誇り高き純血魔法族として生まれたプライドや、僕たち息子を魔法界を立派に生きていくために育て上げようと先走りすぎて、対立し息苦しい家になっていたが、両親は息子たちに強すぎるくらい意識を傾けていた。
常に忙しなく仕事で頭がいっぱいのミスター・クラウチに、家族は見えていただろうか?バーティを大事にしているようで病弱で家に篭ることが多く、裁判の場でも哀れみ嘆くばかりのミセス。いかにも屋敷しもべ妖精然としたウィンキーを思い出してしまうと、開きかけた口は閉じていった。
「バーティたちの容疑は、まだたった一歳の息子を残して父親と母親を、死んではいないまでも正気を失わせてしまうほどに拷問したこと。日々変化する子どもの貴重な姿を見守る時間を奪い、両親からの与えられたはずの愛を赤ん坊から奪った罪だ。この罪深さをあの4人は本当にわかるんだろうか?バーティは、なにがいけないかわかってくれるだろうか?」
「ラクラン......」
真相はなにもはっきりしていないのに、罰だけは急いで下されてしまった。冤罪にしても犯罪にしても、罪の重さをきちんと理解すらできないままに、バーティは終身刑だ。
罰とは、罪を受け止めて償うためにあるはずだ。あるいは罪への抑止という効果もある。罪の正体が明らかでないのに、形だけ与えられる厳しい罰に犯罪抑止の効果はない。まして罪を犯した人が、罪がどんな罪だか理解していないなら、おれたちの友達は、一体何のためにアズカバンで朽ち果てるんだ?
面会はやはり断られてしまった。あれだけ暴れてしまっては文句もいえない。フランスに戻る前に、ナンシーの生活をきちんと回っていくようにしないといけない。ナンシーはそのままの学校がいいという話だったから、魔法を暴れさせない方法の教え方を知りたくて、一度真実薬で情報を吐かせているスラグホーン先生に連絡をとった。返事をもらって館へ訪ねていくと、スラグホーン先生は7割ほどの横幅に萎んでいた。
「驚きました、ご退職なさっていたとは......」
「いやあ......さすがに私も老いた。良い後進も出てきたことだし、ダンブルドアに肩を叩かれてはな」
「ミスター・スネイプの魔法薬の腕に不足はないでしょうが、まさかダンブルドアに下っていたとは思いませんでした。リリー・エバンズのことがなにか影響したのでしょうか」
「さてね、事件の起こる前から採用の話は上がっていたよ」
スラグホーン先生は平板な声音で言った。ミスター・スネイプの魔法薬調合の腕は間違いなく素晴らしいものなのに、そういえばこの人は学生時代からミスター・スネイプに無関心だったっけ。相変わらず、尊敬できそうでイマイチ難しい人だ。
「しかし、リリーに関しては君の言った通りになってしまった!」
ミスター・スネイプへの声音が嘘のように、感情的に叫んだ先生に一歩後ずさる。
そうか、リリー・エバンズがなにかしでかすと、おれは言っていたっけ。大事にしていた生徒が歴史的な、そして不可解な偉業を成し遂げ夭逝してしまって、今ようやっとこの人は自分の罪と向き合い始めたというわけか。
「実はおれも、ちょっとしたことをしかけてみようかと思っています。戦争のようなことはしません!ただ今の仕事も鑑みて、ナンシーにつきっきりは難しい。賢いけど、まだまだ親が必要な年齢です。魔法の制御だけでも、きちんと教えてやりたいのですが」
「ふむ......君が良ければ、だが。まだ8歳ということだし、性急に詰め込むよりはその子のペースに合わせて教えていくのが良いと思う。出前授業でもやろうか?......アー、私も知っているのは入学を知ってから半年ほどの間、ひとまず落ち着かせる方法だがね」
「ホグワーツ元教授のご指導があれば安心です!ぜひ......レッスン料をどれだけお支払いすれば良いか分かりませんが、昔の出世払い分はお支払いします」
「なに、とうぶんの蓄えはある。それより今、どんな研究をしているんだね?」
スラグホーン先生の協力もあって一旦フランスへ戻ったラクランは、新しい魔法薬のレシピ精査だの共著でずっと進めているマグルの医学と連携した治癒魔法の発展利用だの小難しい研究の補助の合間に、学生時代を思い出しながらバーティの物語の原案を書いた。
もともとライティングは得意でないから、入れたい要素を箇条書きして論理的にまとめていく論文のような形で仕上げていた。レギュラスがそれを手に取って、難しい顔をする。
「これをどうやって発表する気だ?」
「整えるのは後でだけど......自費出版じゃ広がらないし、日刊予言者新聞に送りつけようかと」
「あそこはいつもその日のことでいっぱいだ。週刊魔女は購読者も多いし読者投稿欄が豊富にあるが、こういう文体では読まれないだろうな」
「週刊魔女?女性誌か......じゃあもうちょっと砕けて、おまけで料理や、魔法薬のレシピも付けたらいいかね」
「ああ、それはいいかも」
リチャードの妻、アニーがよく雑誌と睨めっこして料理を作っていたのを思い出しながらいうと、レギュラスも頷いた。フォーマットが決まればあとはスムーズで、ラクランが友人の視点からみた機能不全な家族とそれでも踏ん張ろうとする少年、あとは楽しい思い出の反面影になっている生徒がいるホグワーツの問題などを簡単にまとめ、娯楽紙を参考にレギュラスが噛み砕いたり易しくして、最後にラクランがレシピを再度確認して投稿までの体裁を整えた。
テキトーに考えたイグネイシャス&アンガス・マグニチュードというどこから見ても偽名の共同名義で掲載が決まってから、ふとミスター・クラウチはまだしも、ミセス・クラウチにはひとこと断っておこうかと思い立ち、急いで書き上げた原稿と手紙を先に送りつけたが、結局掲載された後も返事は返ってはこなかった。
バーティとは寮内でも学校内でも息苦しい思いをしていたが、二人で目的意識をもってあの狭い部屋でいろんな魔法を身につけ、魔法薬を試作したし、ちょっとしたおやつや夜食もよく作った。その思い出を振り返るお話と、話に登場した簡単な料理や魔法薬のレシピを最後に載せる形の連載は読者の心を掴んでくれたようで、2回、3回と連載は順調に続いた。
読者からのファンレターというのもたくさん届くようだ。試験で優秀な成績を必死に収めたにもかかわらずたいした変化が見られない父親を書いた第4回のあとには、適当に送り先に設定したじいちゃんの小屋がフクロウまみれになって苦情の電報が来た。
「フクロウアレルギーになるから取りに来いって。そんなにすごいのかな......女子生徒たちはそこまで熱心じゃなかったと思うけど」
入学当初はフクロウ便も賑やかだったけれど、上級生になると朝食での手紙のやり取りがまばらだったことを思い出しながら聞けば、レギュラスはちょっと苦笑した。
「週刊魔女の読者は、大抵ご婦人方だ。家庭に入っている人も多くてね、戦争中は安全のためにも、外で言葉を発することを避けていたように思う」
「まるでヴィクトリア朝時代よろしく、"家庭の天使"だったというわけだ......戦争の影響は本当に大きいな」
強引なミスター・クラウチのやり方は、出さなくても良い犠牲を出す正しいとは言い難いものだ。しかし一方で、最速の解決をしたとも言える。私情に塗れないようにするばかりにかえって非情な裁定を下す司法など潰してしまえと思っていたけど、魔女たちの本来の賑やかさを見ると羽根ペンを握る手は止まってしまった。
「今更ミスター・クラウチを潰すのにためらいが?」
「いや.......ここまで来たらやるしかない。おれ一人の作品でもないし」
「僕は読者目線で手直ししてるだけだから、気にしなくたっていいけれど......止まっちゃダメだ。彼のやり方にはたしかに批判が必要だから。ミスター・クラウチは闇の帝王失踪で首の皮一枚繋がっただけで、どちらにしろあの姿勢を続けていればいずれは瓦解する。君の物語作戦がここまで当たるとは思わなかったけれどね」
ミスター・クラウチの強硬な政治姿勢は、よくも悪くも過激で倒れない闇の帝王ありき。闇の帝王への対抗手段としては賞賛されるものの、平時ではとてもじゃないが歓迎されない。しかもその強硬策が闇の帝王を打ち崩したのではなく、英雄はあくまで、1歳の生き残った男の子と、死んだその両親だ。
ラクランは頷いて羽根ペンを動かし始めたが、また引っかかるところがあって、ペンを置く。
1歳の子供、シリウス・ブラック、そしてバーティたち4人の襲撃。ロングボトム夫妻の息子も、1歳だ。
「バーティたち4人はなぜロングボトム夫妻を襲撃したのだろう?」
「闇祓いだからでは?」
「魔法法執行部はそういう解釈だったが、どういう根拠で?闇祓いをとらえて闇の帝王の行方を尋ねるのは合理的じゃなさすぎる。あんな苛烈な手段をとるんだ、省庁に乗り込んで情報収集することもできただろう」
「ああ、たしかに。ミスター・クラウチは前々から上昇志向で知られているしね。彼が大手柄に向けて動いていないということが、そのまま悪の親玉を掴んでいないということを示してしまう」
「その通り。闇の陣営は魔法省がどういう情報を持ってるか簡単に推し図れたはずなんだ。なのになぜ、ロングボトム夫妻を?彼らになにか、狙われる理由があったのでは?」
ジェームズ・ポッターとリリー・エバンズの子供は1歳ながら生き残った。それを最後に、闇の帝王の足跡は途絶えてデスイーターも混乱している。ロングボトム夫妻にも1歳の子供がいた。そもそも失踪したのならどうしてポッター家を闇の帝王が襲ったと言い切れるのだろうか?被害者以外、なんら証拠はないのではないか?
なにか、世間一般に公開されていない情報がある。
「ラクラン、結論に飛びつくのは良くない」
「わかってる。精査が必要だ......だが言っただろ?加害者の追及や事件の調査をお粗末に終わらせることは、そのまま被害者をも愚弄しているんだって」
勢い込んで、ペンを握り直した。今度こそいい文章が書けそうだ。
相変わらず灰色の空とそれを反射する黒い湖のふちにポツンとたつ、くすんだ赤い屋根の小屋。その扉の前にパチンと一人姿現しして、肺いっぱいに息を吸う。
レギュラスは腕の生やし直しのため、聖マンゴに一日入院中だ。メディが自分の研究を学会で出すために駆けずり回っているけれど、おれも早く自分の研究をやりたい。今関わっているものでも、関連する知識はあるが......いつか呪いをどうにかする約束は、まだまだ果たせなさそうだ。
ドン、ドン、ドンとノックして、返事も聞かずにたてつけの悪い扉を開けると、入って早々、待ち構えていたじいちゃんに大量のファンレターをぼすんと寄越された。腕いっぱいにどっさりだ!片手に持っていたグレッグスのソーセージロールがポトリと落ちた。
ただでさえのけぞったところに、さらにナンシーがラクランの名前を叫んで突進してきたが、そのまま足にへばりついたために姿が見えない。
「やあ、しばらくぶりだけどナンシー元気?じいちゃんは?」
「ラッキーだ!」
「フクロウアレルギーになった」
「ごめんって!ナンシー、魔法はいい感じだっていいじゃないか。学校のほうはどう?」
「いや」
ラクランの太ももあたりに顔をくっつけたまま短く切り捨てられた質問にラクランはアランを見やったが、アランのほうもはて?という顔をしている。
「なにかあったの?」
じんわりナンシーの顔があるあたりのズボンが濡れて熱くなった。涙をなすりつけられているらしい。
「よーし、とりあえずお茶にしよう。今日はスプーン二杯ヘザーハニーを入れていいぞ」
ナンシーをくっつけたまま家中を歩き回り、短い抽出時間で淹れた紅茶に、ヘザーハニーのビンを並べる。それを横目で見守っていたらしいナンシーは、パッとおれの足から離れて着席した。泣き真似してたわけではないようだけど、ただでは起きないレディだ。
「学校のことは言いたくないなら聞かないさ、言いたくなったら教えて。ナンシー、魔法の勉強はどうかな?」
「つまんない。ラクランの本を先に読んでるけど、杖がないとできないことばっかりだし」
「そんなもんさ、楽しみはホグワーツにとっとかなきゃ」
苦笑して香りのいい紅茶をぐい、と飲めば、ナンシーもしかめっつらのままスプーンでヘザーハニーをたっぷりすくってカチャカチャとかき混ぜ、わざわざじいちゃんの方を見ながらスプーンをぱくっとくわえた。
「マナーズ、プリーズ」
じいちゃんがめんどくさそうに反応してやると、ナンシーはいたずらっぽく笑う。困ったな、女の子のことは本当によくわからない。まともに関わってきたのはあの屈強なイザベラくらいなんだから。ただ、ファンレターのためだけに帰ってきたわけでもない。
「ゴホン!ナンシー、今日は来れないんだけど、明日おれの友達が来るんだ。紹介が遅れちゃったけど一緒に住んでるし、仕事も色々一緒にやってる人だよ。ただちょっと事情があって......その、シリウス・ブラックの親族なんだ」
ナンシーは笑顔を引っ込めて押し黙った。隠していくのも誠実じゃない。乾く唇を舐めて、恐る恐る口を開く。
「事件の何年も前に縁が切れていて、おれたちのうち誰も、あんな爆破が起こることは知らなかったし、誓って手伝ったりもしていない。でも君が少しでも関わりのある魔法使いと会うのが怖いなら、今回は来てもらわないことにする」
「どうせ一緒に住んでるのは変わらないんでしょ」
ナンシーの目がすっと細まって、少し責めるような色を帯びた。
「それは......うん。あいつも事情があってね、色々あって魔法界では表向き死んだことにしているし。おれはナンシーを絶対にちゃんと育てるけど、そのために友達を辞めることはない」
「それならいつ会っても同じでしょ!だったらあたしに聞かないで!もう!」
バン!と音を立てて立ち上がったナンシーは、ズカズカ歩いて屋根裏部屋へ去っていった。
会わせないで隠しておくというのはかわいそうでできないし、隠しておけばかえって後から知った時、裏切られたように感じるかもしれない。そんなわだかまりは必要ないのだから、作るわけにはいかない......というのも、おれの勝手か。
「......女の子って、8歳でもああなんだ.......」
「ま、そうだな」
レギュラスは明日招いていいとして、問題はあのお嬢さんのご機嫌だ。低空飛行なうえに、きっと緊張もしてしまっている。
「バイクにでも乗せてくるか?」
「それでご機嫌が取れるの?」
流石はリチャードの娘だ。まあこの辺りの丘は、どこを下っても最高に気持ちがいいけれど。
≪緊張してる?≫
ふと後ろから、懐かしい声が聞こえた。肩に箒をつっかけたエバンがふざけてラリアットをしてくる。初めてクィディッチに出場するとき、テントの外から聞こえる歓声にドキドキしていたっけ。それも、箒に跨って競技場の上空に飛び立てば高揚に変わった。
「ナンシー!箒に乗ってみないか?」
マグル避け呪文を再びかけて、小屋の前で浮上練習をしたあと、前にはナンシーをしっかりと乗せて飛び上がる。じいちゃんは腕を組んで見上げている。
「今60m。怖くない?150フィートくらいまで上がって旋回するよ」
「ワーーオ!!次急降下!」
「ははは!さてはスピード狂だな?」
「そうだよ!ねえどこまで行けるの?あっちの湖のはじにも行きたい!あの丘の上にも!」
「ちゃんと捕まってろよ!」
ナンシーと共通の趣味を見つけられたおかげで、だいぶ会話は楽になった。間の悪いことに、ちょうどおれがナンシーを浮遊呪文でブンブン振り回している時、レギュラスはやってきた。
「ええっと、虐待......?」
「おっと、小さなスピード狂さん、今日のアトラクションはおしまいです。こちらがおれの友達で、ルームメイトのレギュラスだよ」
「はじめまして、僕はレギュラス・アークタルス・ブラック。ラクランはレギュラスと呼ぶけど、僕のことはアークタルスと呼んでほしい」
「私はナンシー。よろしく、アークタルスさん」
ナンシーは少し眉を顰めたが、きちんと挨拶した。
ラクランは頷いてレギュラスと目を合わせ、手をひらりと振って先を促す。
「うん......その。僕はブラック、あのシリウス・ブラックの親類なんだ。縁は切れていたけれど、親族が本当に許されないことをしてしまった。せめてお墓にお花を供えたいけれど.......許してもらえるだろうか」
「ラクランに聞いてる。お花は多い方がいいね」
腕組みしたお嬢様は、フン、といってそそくさと去っていってしまった。箒に乗った姿を見た後だと、赤くなった耳でなにを考えてるのかお見通しだ。
「大丈夫だよ、照れてるだけさ。花をそなえにいこう」
リチャードとアニーの墓に、エバンの墓。それぞれに花輪を送って、最近のことを報告する。
リチャード、娘は立派なスピード狂だ。将来が楽しみだな。
アニー、今年は君の庭からブラックベリーを移植して、ナンシーと一緒にきっとうまく育ててみせるよ。
エバン、気持ちの思い出でまた助けられたよ、これからもよろしくな。
研究の補助、バカロレア取得に向けた通信で出る大量の宿題(ズルだけど自動筆記羽根ペンを導入した)、それに週刊魔女の連載。目がまわるほど忙しくて、バーティとの面会は許されないまま、あっという間に時間がすぎていく。日はどんどん長くなり植物たちが目覚ましい変化を見せてくれるけれど、週刊魔女をきっかけに巻き起こした批判の嵐でミスター・クラウチは年が替われば窓際部署になるとの噂こそあるものの、世の中はそう簡単に動いてくれない。
ナンシーのイースター休暇に入る前のペアレンツミーティングのために、またイギリスへ渡った。学校ではほとんど笑わないのに驚いたけれど、丸っこい青字のノートはきちんと書き込まれていて、デザインとテクノロジーが得意なのがよくわかった。成績表や面談の話をしたら、ホグワーツはレポート三昧だから、ライティングももう少しがんばっておくといいと思う、とレギュラスは控えめにアドバイスをくれた。たしかに、おれもそこはバーティにかなり助けられたかもしれない。いちばんは羊皮紙と羽根ペンの書き心地だけど。
ナンシーは箒に乗っているときだけ、昔のように素直に笑う。話したいことがあるときは箒の上がピッタリだ。
もう少しで学年が変わるし、今の学校がどうしても嫌なら転校したり、ホームスクーリングも選べる。成績は良くて、受験しても問題ないって先生も話していた。リチャードたちも鼻が高いだろう。
興奮で前髪をふわふわと漂わせていたナンシーは、夕日を眺めながらおだやかに旋回していると、ようやく――実に数ヶ月を要した――ポツリと学校が嫌な理由を教えてくれた。
「みんなあたしのことを可哀想な子っていうの。先生もクラスのみんなも」
ラクランは黙って頷いた。ラクランにも、わかる気持ちだ。つらかったり悲しい思いをしたことは確かだけど、だからと言って可哀想な人呼ばわりされるのは違う。ファンレターで寄せられる、慰めるような言葉たちが、ラクランにはどうにも受け入れ難かった。
「みんなの気持ちはわかる。でもさ、あたしは楽しいパパとママのところに生まれて後悔なんてしたことない。パパとママがもういないのは悲しいけど、あたしは......可哀想なんかじゃない」
「そうだね。君はリチャードとアニーの自慢の娘だ」
「フン......だからあたし、いつか自分がハッピーだって見せつけてやるんだ」
「ア痛」
背筋を伸ばしたナンシーの頭がゴツンと思い切りぶつかった。
「そういうわけで、なんとかナンシーは踏ん張ってくれそうだよ。魔法もしっかりコントロールできるようになったし、スラグホーン先生には頭が上がらないな」
「箒の出世払いを返したのかい?」
「ああもちろん。あとはご本人から頼まれて、脱狼薬の材料とレシピをね」
「あの人は自分で調合するのがすきだからね」
体力を温存するため帰りは船で渡る。ブラック邸に顔を出して、かなり疲れた表情のレギュラスとコスタ・コーヒーで落ち合った。
「う〜ん、やっぱりだめだ、牛乳の味が違う」
「そんなに文句タラタラなら、いつかのリーマスみたくホットチョコレートでも飲めばいいのに」
「でも、店によって味は違うだろう?」
「チェーン店っていうのは味が変わらないところがすごいんだ」
パリは新鮮な食材が揃うマルシェも近いおかげで、美味しい生活ができるが、3年も経てばこちらのちょっと無愛想で素材に頼りきりな料理が、懐かしくもなってくる。いわゆる故郷の味というやつだ。
「レギュラスの言う通り牛乳や卵の味一つとっても飼料や飼育方法で色味や味わいがかなり変わってしまうから、シンプルな料理のほうが違いがわかるかも。だからかこっちのチェーンは妙に懐かしい気持ちになる」
冬に立ち寄ったグレッグスなんて、昔課外授業でグラスゴーに行って食べたのが懐かしすぎて、ソーセージロールを4本も買ってしまった――4本買うと、1本タダになるんだ!
「シンプルといえば、最近あれ食べてないな、フラップ・ジャック。また作ってくれよ」
「おー、オートミールも味が変わるかな?やってみるか。というか思い出したけど、レシピ付録でフラップジャックはまだ書いてない!簡単すぎるしふつうの家庭料理だけど、需要あるかなあ」
ラクランはつぶやいて羽根ペンと羊皮紙を簡単に綴じた手帳を取り出した。ネタ帳兼、原稿用紙だ。何せ日記なんかつけていないから、都度思い出したことを書いておかないといけない。
「コラムといえば、連載はもう少しで終わりだろう。この先どうするんだい?ファンレターでは同情的な声が多いし、ちょうど小うるさい記者が日刊予言者新聞でもミスター・クラウチを批判する記事を出したから、彼の進退はアンバーだ......だが君の意図した結果ではない」
「ああ、ファンレターをみる限り一部の人の心を動かすことはできたみたいだ。でもそれは第二のバーティのような子を出さないきっかけになるだけで、バーティを助ける形にはなかなか持っていけない......」
ラクランは忸怩たる思いで羽根ペンをいじった。
「見つけた!」
とりあえずフラップジャック、と走り書きしたところで、ふいに高い声が眼前で放たれた。
パチクリ、レギュラスと目を見合わせる。目の前には明るい茶色の髪に、同じような色味のべっこう風な四角いフレームのメガネをかけた知らない女性が突っ立っていた。
「ええっと......?」
「おっと失礼、相席しても?」
「もちろん、どうぞ」
狼狽え気味にラクランが許可を出すと、女性はにっこりと笑って二人でも手狭な小さな丸テーブルによっこらせ、ひじをのせた。あんまりマナーは良くない。
「見つけた、というのは......僕たち?」
「ええ、その羽根ペン!あなた、冬にグレッグスのベンチにいたでしょう!うん間違いない、今の時代そんな優美な羽根ペンを使う人、ホイホイいたらたまったもんじゃない!!」
「あー」
ラクランは手元にある雁の羽根ペンを見下ろした。レギュラスが見えないように背中をどついてくる。大都会で誰も他人の手元なんて見ていないと......迂闊だった。
ボールペンや鉛筆でいいだろ、と思っていたラクランも今ではすっかりつけペン主義だ。自分でカットして線の太さや書き味を調整できるのがいい。
「今時、タイプライターを使ってる愛好家はいても、羽根ペンはめったいにいない。しかもそんな使い込んだ小さなインク壺までひっかけて」
手帳からぶら下がる円筒形のインク壺をサッと差されれば、使い込んでいることは否定できなかった。ラクランはお手上げ、とばかり手を挙げて、口から出まかせにかけてみる。
「驚いたな、よく見ている人もいるものだ。実はバードウォッチングが趣味で......」
「本当!?実は私もなんです!それでつい、なんの鳥の羽で何を書いているのか気になって、この双眼鏡で観察したら......とっても面白そうなものを書いてるじゃない!」
口から出まかせだったのに食いつかれたうえ、机の下の重たそうなバッグからゴツい双眼鏡をデンと机の上に出されてラクランは頬を引き攣らせた。どうみてもマグルだが、なんだ?この人は......。
「ゴホン、それでバードウォッチングが趣味のあなたは、なんという小鳥なんですか?」
≪バカ、19世紀の舞踏会みたいなセリフを吐くなよ!≫
今度はラクランがどつく番だ。ラクランを助けようと古めかしいナンパみたいなことになったレギュラスも、口端をひくりと動かす。しかし目の前の女性は凄まじかった。またも四角いフレームの中で目をまんまるに見開いて、感嘆の声をあげたのだ。
「ンマア、私はコマドリです!どうしてお分かりになったの?私の名前はロビン・クロフォードというの。ああごめんなさい、営業をかけるのにすっかり名乗り忘れていたのね......趣味はバードウォッチングとヒューマンウォッチングですけど、れっきとした仕事があります。そのことで"羽根ペンの君"にぜひお話が」
女性......いや、ミス・クロフォードが笑い皺を深々と目尻に刻みながらヤダーー!!と叫んで差し出されたのは、小さなカードだった。ラクランとレギュラスは硬直したまま、小さな黒塗りの爪が指し示すまま目線を下げる。
「出版エージェントをやっているんです。あなたの作品、ぜひ書籍化したいの」
「書籍化......?」
「ええ、出版社に私が売り込みして、本にするの。あ!過去の実績はこちらです。結構目が効くんですよ」
食いついたレギュラスは小さなカードの裏面に記載されているこれまた小さな文字をさっと目で追って、静かに頷いた。それなりに名のある出版社や売れている本を扱ってるらしい。
「しかし、いったい何を見て見込みがあると」
「ぜひちゃんと見せて欲しいのだけど、マインドマップのような。全体の構成をまとめていたページです。あと、ごめんなさい。原稿の方も少し見てしまったの。連載をされていらっしゃるのね、媒体はどちら?」
「アー、小さな村の中での婦人むけの雑誌みたいなものです。ちょっと手元にありませんが」
手帳をバラバラとめくって最初のほうに描き、都度補足しているマインドマップをミス・クロフォードに見えないように開く。マグルに見せちゃいけない単語はあんまりない......
「申し訳ないんですけど、個人名がいっぱいで。作品を描くときには伏せたり変えたりしてるんですけど」
「ンマ!モデルがいるの!私が見たのは公的年金で生活されてるお祖父様とお孫さん」
「おれですね」
「えーとそれからご両親が健在だけどお仕事にかかりきりで机に齧り付いてる息子さん」
「親友ですね」
「あと、ご両親もご兄弟も健在だったけれど厳しい家庭でギクシャクしていた次男さん」
「僕です」
「マアマア......ご自身たちをモデルにされてるのね」
ミス・クロフォードはメガネをカチャカチャやった後、静かに頷いた。
≪ラクラン、これは悪い話じゃない。魔法界で自費出版は難しいけど、もしマグル版を出版してくれるっていうなら、そのペーパーバックを魔法界版にして、配本すればいい≫
レギュラスが耳打ちした。マグルの印刷技術や装丁の方が豪華だし、その文字をいくらか魔法界のものに改変して、ジェミニオすればタダで配れる。ラクランもしずかに頷く。
「僕たちとしては、本にしてもらえるならとっても嬉しいです。でも、あなたはどうしてその値打ちがあると......?」
レギュラスが少し身を乗り出して尋ねると、ミス・クロフォードは少し気まずそうに背筋を伸ばした。
「ご本人を前に言うのは心苦しいのですけど、それぞれに課題があってそれぞれ形の異なる家族のお話は、現政権への批判にとっても良いと思うんです」
「サッチャー政権のことですか」
「彼女が首相となる以前から小さい政府を掲げていたことは有名ですけど、公共事業の削減や社会福祉の低減を行っていることはご存じ?」
「はい、もちろん。学校給食の関連でミルク泥棒!と言われたりしていますね」
レギュラスがすらりと返したのにラクランはつい面白くなるが、また背中をどつかれる。純血魔法族の口からサッチャー・ミルクスナッチャーが飛び出すのはいつ聞いても面白い。
「彼女の自助、社会の基礎は家族であり個人という考え方は力強く自立的でもあるのだけど、同時に弱者を切り捨ててしまうものです」
「おれ、そこが不思議です。老いたり病に倒れたり、はたまた事故に遭ったり。人間生きていればみんないずれ、そのどれかになるだろうに。それに万全の備えをしておくのも自助ということなんでしょうか」
ラクランはつい、眉を顰めた。たとえばポッター夫妻やロングボトム夫妻の息子たち。1歳で家族を突然奪われた彼らに、なにをどう備えておけというのか。理不尽にも殺されたリチャードとアニーは、なにに備えておかなければならなかったというのか。
ミス・クロフォードはメガネを鼻先へずらして、フレームの上からラクランの目を見つめてきた。
「ええその通り......私は彼女の政権下で最も犠牲になる弱い立場の人々の直面する課題が、家庭的なものであったり、個人的なものであることが問題だと思っています」
「......散発的で共有しにくい物語では、世間を巻き込むような大きな潮流は生み出せない」
それぞれの苦しみやそれぞれの悲劇は、おのおの違って比べようも共有のしようもない。ラクランはがっくりとうつむく。
聖書でイエス・キリストはたとえ話をして人を導く。ミスター・クラウチのお粗末なショーはもちろん、聖書と同じように物語によって、魔法界にはびこる問題を暴いてもっと良くしたいと思った。でもおれは、しょせんただの人間だ。ファンレターの大半は、その現実をおれに突きつけてくるばかりだった。
「大抵の人は個人のお話を聞いたところで、それは可哀想だったねと同情して、あくまで他人事として慰めを述べるだけです。自分の事として考えるひとは、ほとんどいない」
ナンシーが学校で可哀想と言われるのを嫌ったように、ラクランも自分の書いた物語で、自分たちやバーティが可哀想だと言われるのには抵抗がある。不自由で不必要に窮屈な思いもしたけれど、ホグワーツは楽しかった。あの環境だからこそ、おれは友人たちを得ることができたんだ。
「......読んでくれるのはありがたいけど、人間ってなかなか思い通りに読んでくれないし、わかった気になってわかってくれない」
わかった気になっていたといえば、自分もだ。罪を一緒に背負うなどとラクランは豪語していたが、そもそもバーティ含めた4人がロングボトム夫妻の息子から奪ったご両親と共に過ごす時間、思い出の価値についてきちんとわかってくれるのかどうかさえ、すっかり自信がなくなっていた。罪の重さをどうしても理解できない人と、どうやって足並みを揃えて一緒に歩いたらいいんだろう。
「けれど」
暗くおちこんだラクランの思考を、隣のレギュラスが切り裂く。
「けれどひとたび物語を公開して、みんなにわかりやすい形で共有し、目に見えるものとすれば。それは潮目を変える力を持つ。あなたがやりたいのは、そういうことですね?」
ミス・クロフォードはメガネをなおし、満足そうに深く頷いた。
事態は動いていないですが、時間だけはどんどん過ぎています。人生、なかなかうまくいかないものですね。
・バーティの獄中
ロングボトム夫妻の拷問に関しては、原作でもダンブルドアさえ事実はわからない、としているので、やった/やらないと言い切れない感じです。本人も終身刑にされるとなったらやってない!と思わず言いたくなるような、自由な意思での動きではない自己認識。一方で杖を持っていたことは事実で、否定する根拠がないこともよくわかってしまっている、そんな状況です。
甥っ子(ドラコ)相手の指導と同じような雰囲気でベラトリックスには動いてもらいました。歳のころもドラコと数歳差なので、やってもおかしくないかな〜と思っています。
・ラクランとレギュラス、小説家になる
バーテミウス・クラウチ・シニアの政治姿勢は敵あってこその厳しいものなので、時代にも合わなくなっていっていくのは自然な事ですが、日刊予言者新聞などでもきっと批判がされたでしょう。さらにひと押し、というところで、レギュラスの活字中毒を生かして娯楽方面から攻めています。週刊魔女の影響力、侮り難し。
マグルの世界も決して無関係でないところがハリーポッターの面白いところかな、とも思うので、うっかり羽根ペンを使ったラクランによって、変なエージェントを引っ掛けました。マグルの家庭生まれなところの強みを出していけると良いですね。
・スラグホーン先生
1981年からスネイプが先生になる、と仮定して勇退していただきました。いろいろ思うところもあるはずですが、ただ隠居させておくには惜しい人材なので、ラクランはそう簡単に離しません。
・リーマス、まだ死ねない
親友3人が死亡または投獄となって、自分だけ真相を知らないまま、仕事を見つけるにも苦労しながら生きなくてはいけないというのは、本当に大変だろうと思って、少し触れました。
リーマスの原作登場シーンで個人的に最も好きなのが、ポッター・ウォッチでリーマスがハリーについて語るところです。ハリーこそが善の勝利や抵抗し続ける必要性の象徴なんだ、と彼は言うのですが、それはなにも第二次魔法戦争になってからではなく、リーマスが友人を失ったあとも生にしがみついてきた理由なのかも、と思っています。
・ヴォルデモート失踪・ロングボトム夫妻の情報
ロングボトム夫妻の拷問に関する裁判が裁判という名のクラウチ・シニア関与否定ショーだったのは原作通りです。このなかでロングボトム夫妻は、闇祓いフランクが狙われたために拷問を受けた、と紹介されています。
実際はホグワーツの採用面接のときにトレローニーが予言し、ダンブルドアを張っていたスネイプが半分聞いて報告したことことが始まりでした。情報の共有度合いについては以下のような想定で書いています。
闇の陣営/ロングボトム夫妻を襲撃するあたり、レストレンジ家は知っていそう。
騎士団/リーマスは(おそらく)詳しく知らされていなかった。賢者の石冒頭でのマクゴナガル先生の様子から、本当に限られた人にしか共有されていないよう。
魔法省/スネイプを受け入れていること、ハリーの予言が神秘部に収められていることから、クラウチ・シニアやウィゼンガモットには共有されていたよう。
しかし、一般には公開されていない情報なので、失踪の根拠も、闇の帝王を退けたのは何なのかも、闇の帝王は何を目的にしていたのかも、全ては霧の中です。
クラウチ・シニアへの批判でいっぱいいっぱいだったラクランですが、未公開の情報があり現段階だと納得のいく真相が見えないことにようやく気づきました。
1/25修正
・うっかり時間を進め過ぎてしまって、いきなり夏休みに入ってしまっていたのでイースター休暇に変更いたしました。以後気をつけますm(._.)m