グリモールド・プレイス12番地。
慣れ親しんだ実家だ。通りの反対で住所を念じて、軋む音を立てながら現れた黒い建物を見上げる。
クリーチャーはどうしているだろうか。ロケットはきっと大丈夫。あとはラクラン手製の軟膏をきちんと使っていたらいいのだけど......。
物思いに耽りながら扉を開けたのがいけなかったのだろうか。一歩、カーペットに踏み出すとちゃり、と足の下でなにかが砕ける音がした。
ガラス片?革靴の爪先に、クリーチャーが大事にしていたグラスの紋章が見える。
「な、!!」
杖を構えるまもなく、砂嵐が正面から襲ってきた。
「偽物!裏切り者!穢れた血!家名を汚す薄汚い盗人!」
甲高い怒り狂った女性の声。まちがいない、母だ。
「母上!」
レギュラスも吠えた。杖を構える間もなく口の中に一瞬で埃やガラス片が吹き付ける。
「かは、ぺ!」
「あら、レギュラス。帰ったの......いいえ、いいえ!あの子は死んだ!死んでしまった!お前も偽物だろう!立ち去れ偽物!呪わしい愚か者たち!」
母上が青白い手を伸ばし、その指先から炎が上がる。なんて魔法だ......!呆然としている間に廊下いちめんをゴオッと音を立てて炎が飲み込まんとするのを、かろうじて盾の呪文で押し留める。このままじゃ、母上も!
「クリーチャー!助けてくれ!!」
パチンと音が鳴って、クリーチャーが現れ、廊下いっぱいにぶわりと広がった炎を手を前に突き出して窓の外へと押しやった。そのまま振り返ってレギュラスの手をとり、パチン!と姿眩ましする。
「クリーチャー、母上が!」
ドスッと音を立て柔らかいものに着地した。ガラス片でないだけマシだが、辺り一面埃で真っ白だ。レギュラスはケホケホと咳をして片目をあけ、それから床に這いつくばるクリーチャーに仰天した。
白っぽい痩せ細った体には、青あざや切り傷、火傷のあとまでさまざまで傷だらけだ。
「お許しくださいませ、お許しくださいませ!レギュラス様......」
ガマガエルのように濁った音で、クリーチャーはただ謝罪した。涙を流しながら謝っているようで、ぐずぐずと音がする。レギュラスは念の為きちんと杖を構え直しながら、あたりを見渡した。
「ここは......僕の部屋か。クリーチャー、助けてくれてありがとう」
「いいえ!いいえ!!クリーチャーめはお言葉をかけていただく資格などございません」
「母上に何があった。あれで大丈夫か?」
「はい、魔法を一時的にお封じいたしました......。奥様はもう......クリーチャーめは、クリーチャーめは自分を罰します!」
みじめったらしく頭を抱えるクリーチャーは可哀想だが、レギュラスが厳しく言った。
「クリーチャー!母上はどうしてしまわれたんだ。答えてくれ」
クリーチャーはビクリと体を震わせ、また頭を下げる。
「奥様は、ヴァルブルガ様はご覧になってしまったのです......日刊予言者新聞を」
「日刊予言者新聞......?」
「シリウス様の逮捕記事を、でございます!!」
程度の低い新聞ではあるが、もっとも魔法界で読まれている日刊紙だ。父上が取っていたものを、母上の正気を装うため取り続けていた。レギュラスは顔を歪めて舌打ちする。
「泥棒対策にも偽装は必要だっただろうが......仇になったか」
「ラクラン様は、シリウス様だとおいつわりになって、ヴァルブルガ様を看病されておいででした」
「それで自分が感知もできぬ間にだまくらかされていたことに気づいたと。そして......おそらく母上の矜持は、ご自分の醜態を許せなかった......」
「申し訳、ございません......」
まだ額を擦り付けようとするのを、手を振って止める。クリーチャーが自分を罰しても意味はない。
「母上の食事はどうしてしている?」
「まれに、正気のようにクリスマス・ディナーのご準備などをお命じになられるときがございます。そのときに......」
「そうか。僕らの姿を見るとひどくなってしまうようだし、母上も君の主人である以上、最期まで仕えてもらいたい。心苦しいが、どうか頼むよ」
「畏まりましてございます」
クリーチャーはズルズルと立ち上がり、うやうやしくお辞儀した。大きな耳が床の埃を飛ばして蝶々のような形を作る。
「本当にわかっているのかな。君が世話をするしかない以上、君は自分を罰したりなんてしてはいけない。ラクランの軟膏をきちんと使っているかい?」
「......本日から、使わせていただきます」
「そうしてくれ......それから、ロケットだが」
「あの気味の悪い恐ろしいものを、どうにかできるのですか!?」
「すまない......」
パッと顔を上げたクリーチャーに眉をしかめる。やはり、妖精にもよくない影響を及ぼしてしまうようだ。
しかし魂の断片のような風体をしているであろう、分霊箱にしなかった余物ヴォルデモートの居所がわからないと、破壊をしようにも大きすぎる危険が伴う。かといってあの人は自らの罪を悔い改めてわけた魂を元に戻すこともしないだろう。ヴォルデモート本人の失踪前からこの膠着状態は変わらない。
「引き続き、あれは君が守ってくれ」
「か、畏まりました......」
「軟膏や新聞、食材は引き続き届くよう手配する。困ったことがあれば、すぐ僕のところに来るように」
「レギュラス様は......もうこの家に戻られないおつもりですか......?」
そんな、と音もなくクリーチャーが口を動かすのを見えないふりして、立ち上がって手を差し出す。
「玄関前まで頼む。母上に気づかれないうちに、立ち去りたい」
お辞儀するクリーチャーに手を振って、屋敷を後にする。母上があれでは、ここはもう僕らにとって安全でないし、近寄ることもそうそうできなくなる。母上を拘束だの攻撃だのすれば一時的にはどうにかできるが、後々さらに悪くなってしまうだろう。クリーチャーは呼べば聞きつけてくれるし、破壊したい時には、持ってきてもらうのが最も安全だ。
なにより......母の金切り声は、もう聞きたくない。
兄上が物心ついて家の在り方に表立って疑問を呈すまでのわずかな間、我が家は表面上平穏を保っていた。無口な父上に、高慢で息子にも厳しい母上。兄上を見て、兄上のようにはなるまいと怯えていた僕。あやういバランスではあったけれど、父上と母上はたしかに僕たち兄弟に愛を注いでくれていた。
兄上と最もいがみあったのは母上だったが、兄上と最も似ているのも母上だった。誇り高く、自分が一番正しいと信じて憚らない。似ているからこそ、激しく反目してしまわれたのだ。
父上のように最期くらいは、なるべく心穏やかに過ごしていただきたい。
見た目はすっかりマグルの住宅になっている屋敷を振り返る。我が生家ながら、冷たく無愛想な外観だ。
この家で何代も前の先祖が掲げた理想にこだわり、母上は兄上と反目し、父上は晩年まで悩まれた。僕はブラック家ひいては急進的純血主義に盲従していた愚かしさを痛感して、目のくもりを拭い去り、今度はきちんと見定めたいと思っていた。
マグルの社会や文化を勉強していたのは、分霊箱の破壊以外にもそういう目的に向かっているつもりだった。
だが僕は、こうしていざ本当に帰れなくなるまで、この家をあたりまえに帰ってくる場所にしていた。
あんなに心を痛めたあの日も、気が急いて失態を犯したあの日も、そして今日までずっと、心のどこかで、この冷たい家の次男坊であり続けていた。
死の呪文の研究や、マグルの新聞を漁ること、エバンやバーティに関してラクランの手伝いに没頭していたのは、友を助けたいという以上に、自分のためだった。
なにかできることをやっているつもりになりたかったんだ。
前に進んでいる気になりたかった。
前に進んだ気になって、ブラック家の次男から、またなにか別の存在になったのだと自分をごまかすために。
レギュラスは拳を握って、行き交う人の波の中に溶けていった。
三匹の蛇 30
夏の陽光に照らされるデボンの街並みを目を細めながら歩く。
「さすがに賑やかだな」
「休暇だしね」
メディが興味深そうにつつくのは干されているオールだ。ボートで遊ぶ子供たちの声がどこからか聞こえる。
「気楽なものだ」
「お前は緊張しすぎ。大したことないって」
茶化しに首を振って、ラクランは今日何度目かになるタイの角度調整をした。
「ああ久しいね、ひと瞬きのような気もするが」
フラメル氏は面接した時と変わらない格好で迎えてくれた。わかっていたことではあるが、ほんの一ミリも変わっていない。こうして彼らをみると、自分が過ごしてきた歳月を感じる。ラクランはギクシャクと挨拶した。
「研究に励んでいると聞いているよ。マグルの方でも学位をとって、順調のようだね」
「今度マグルの本を出版するというのは本当?とても楽しみ!同居人も一枚噛んでいるとか」
「もちろん、刷り上がったらお届けします!回顧録のようなものですが......その節はおゆるしいただきありがとうございました」
レギュラスが一緒に住むのに際してはかなり調整をしてもらった。あの場所を起点にフランス初め、ヨーロッパやアフリカの魔法界とも親交があるし、なにより今日のような任務を受けることもある。入居当時より、自分がいかに無理を言ったかはよくわかっているつもりだ。
フラメル夫人の言葉に微笑みを貼り付けながらお辞儀すると、きゃらきゃらと笑って背中を叩かれた。
「同居人についてはアパルトマンに弾かれなかったのだから、問題のない魔法使いということさ。あれ以上は困るがね......さて、今回の依頼はお察しの通り、賢者の石の運搬だ。グリンゴッツに預けてもらう――命の水が少し必要になって持ってきたのだが、当分デボンから離れる気はしないのでな――イギリス魔法界ならあそこが一番安全だ」
フラメル氏の右手によって、テーブルの上にポンと置かれたのはごく小さな包み。これが。
ラクランは面接の際、生と死、分解と滋養という命のサイクルに水を差すもののようにたとえて、悪様に言ってしまったことを後悔していたが、やっぱりなかなかにみすぼらしい姿だ。
――ラクランにとって、生も死も、もはや縁遠いことではない。あの頃はどこかでまだ、自分には関係ないような気がしていた。死を目の当たりにしていないが故に、自分とは遠いところで淡々と繰り替えされる美しい自然の営みのように思っているところがあった。
いまだエバンの記憶は鮮明に蘇ってくるし、このところは声が聞こえる。本当に魂がかけらでも残っていたら......それに、レギュラスの腕は賢者の石で治癒が叶うかもしれない。この石はみすぼらしいなりして、そういう超常的な力を持つ。その絶大な力の重みと凄さが、失ってみてやっとわかった。
「あれからも君の気は変わらないか?」
視線で小包みが転がりそうなほど見つめていれば、フラメル氏から声がかかる。一瞬、反射的に笑みを貼り付けそうになって、ラクランは固まった。
信頼を築くことは難しく、崩すのは簡単だ。
「ええ......正直に言うと、今少し、変わりました。面接でお話しさせていただいた時、おれにとって生や死は、まだどこかちゃんと分かっていないものだったので......」
「使ってみたくなった?」
「いえ!自分が、ということでは。もしどうしても必要だと、これは不条理だと考える事態に遭遇したら、その時、あなたにご相談に来たい、と......。ご迷惑ですよね」
ラクランひとりに許せば、他の人を許さない筋が通らない。何千いやもしかしたら何万という人々を生きながらえさせることなく、フラメル夫妻は今日ここまで生きてきているというのに。もし何百万、何千万という人が我こそは使う価値ある対象がいますと殺到したら、命の水によって伸ばした寿命をフラメル夫妻は全部面会に当てなければならなくなる。
可能性を知っていて、目の前にそれがあっても、盗み取る不義理などできない。けれど、可能性の前でおとなしく手をこまねいているだけというのも耐えられない。
葛藤して俯くラクランの手に、少しカサついた手が触れた。
「なに、技術は使うためにある。正しい使い道を共に考えよう。君は共同研究に足る人材だと、私が認めたのだから」
「でもおれは、心変わりしました......!」
「ラクラン、私も君も生きている。生きているというのは、変わり続けるということだ。それでも君は、変わらぬ信頼のために正直に告白してくれた。これが共同研究者としての信頼でなくてなんだというんだ」
顔を上げると、なんでも見透かしてしまいそうな鋭い瞳がすぐそばにあり、それがゆっくりと細くなっていった。わああっと胸の奥から暖かい湯でも湧き出したみたいに熱くなり、それがそのまま目から流れていく。
「オイ!泣いてるのかお前!?」
「いいかい、センパイとしてゼナイドにはぜーったいに内緒にするんだよ」
「はい、すぐにでも」
メディがフラメル夫人と一緒になって茶化してくる。バシバシ肩を叩かれて、スッと背筋を伸ばした。
グリンゴッツにラクランが尋ねる間、生やし直した腕の様子を聖マンゴで見てもらいに行っていたレギュラスが、漏れ鍋で少し顔色を悪くして合流した。
「フォークランド諸島の戦争のカタがもうついたって?」
「うん、遠い地の話だから、アルゼンチンとしちゃ財政的に厳しいイギリスは手を出してこないと踏んでの動きだったようだ。サッチャーは相当良いスピーチをしたみたい」
「超絶頑固者が功を奏しちまったと。派手な姿勢は良くも悪くも人心を集める.......」
書籍化はミス・クロフォードの熱心な紹介もあって、数週間におよぶ書き直しが終わればするすると進んだ。とはいえ、このような状態だと鳴かず飛ばずになるかもしれない。
「発売時期をどうするかは、ミス・クロフォードに聞くしかないね」
「だぁい丈夫ですよ!お任せください」
「しかし......」
「ストレートな政権批判でなく、学校の物語なんですから、そういう普遍性がこの作品の強みですよ!それにむしろタイミングとしては完璧!」
ドン、と胸を叩いてミス・クロフォードは自信たっぷりに受け合った。
「はあ......戦勝報告は、強いイギリスが好きな人たちには抜群のアピールだと思いますが」
「ええ、でも公的年金の廃止や格差の拡大を危惧する人たちは、たった数週間数ヶ月でその不安を持ったわけではありません。そういう人たちはかえって反感を強めます。著者近影もちゃんと撮影しなきゃ!」
「え!撮らなきゃダメですか?」
ラクランは思わず大きな声をだした。ミス・クロフォードは怪訝そうに小首をかしげる。
「嫌ですか?でも文体がちゃんとしてるから、4、50のおじさんだと思われてしまいますよ?お顔を出した方が世代に訴えやすいですし、ペンネームも変わってるけど響きが渋いから.......一等星をモチーフにされたのかしら」
「よく分かりましたね」
イグネイシャス(火)に、アンガス(ひとつ)、姓はマグニチュードときた。
破れぬ誓いの印に選んだ、友人それぞれを象徴する一等星と、火星のことだ......ノリで決めたから、レギュラスにも渋い顔をされた。
「マグニチュードはわざとらしすぎますかね?やっぱりマクギネスとかにした方がいいでしょうか」
「あら、ペンネームなんてふざけたものでいいんですよ。私の名前もよくペンネームかと思ったって言われますもの」
「それはまた、違う気が......」
「発行は早くて2ヶ月です。よろしくお願いしますね」
ポンポン、と調子よく肩を叩いたミス・クロフォードに何も言えないまま、著者近影の撮影は決まってしまった。
「どうしたの?ラッキー」
「実はね、おれたちの書いた本を出版してもらえることになったんだ」
ナンシーの休暇の宿題を見てやりながら頭を抱えていると、ナンシーの方から心配されてしまった。
「本?よくわからないけどすごいじゃん」
「ペーパーバック出すだけだけどな、問題は著者近影だよ!どうしよう......」
今のラクランはナンシーにシリウス・ブラックを思い出させないためにも、髪を短く刈ってある。人に見せるものでもないし、調合や料理の邪魔にならなくて快適だけれど、本の背表紙にスカした感じで載せられるとなると話は別だ。黒く染めてふわふわした髪のほうが絶対"作家先生"っぽいはず。レギュラスはそのままでも先生っぽいのに......いっそ魔法で伸ばすか?
「なよなよするな!その頭でいけ!田舎っぺのお前らしい」
後ろからじいちゃんにスパン!と頭を叩かれてラクランは机に沈んだ。
「いったいな!髪のクッションがないんだから」
「しかし、すっかり黒くなると思っていたが」
「昔から母さん似の赤っぽい髪だって、じいちゃんがよく言ってたんだろ」
光を浴びると赤っぽく光ってしまう赤褐色の髪をひっぱって口を尖らせた。
「ねえねえ!その本あたしは出るの?」
「出ないから安心しな、おれらの学生時代の思い出話だし」
「ふうん」
「じゃあ君の物語も書こうか。"スピード狂ナンシーのおてんば大旅行" なんてどうだい?」
レギュラスはこういうときレディの扱いがうまい。姿勢がいいから、なんだか様になるんだよなあ、とラクランはぶすくれる。
「いいね!あたしマン島のレースに出たい!」
「まあまあなアイデアだな......それで君はなにに悩んでるんだい?」
「著者近影!どうしよう。君も悩むべきだろう、そろそろ表の世界を歩いたっていいと思うけど」
ラクランは笑顔で誘った。実に三度目の正直だ。
デスイーター狩りも下火になってきて、ミスター・クラウチも小説と新聞の効果もあったのか執行部部長の座を退くらしい。名前は変えるにしても、そろそろ顔を出して生き直してもいいだろう。
レギュラスは浅く息を吸った。
「いや......悪いが君だけ顔を売ってほしい」
「なんだって?マグニチュードがそんなに気に入らない?まさか出版記念サイン会もトンズラこくつもりじゃないだろうな」
「マグニチュードはきらいじゃない。サイン会、悪いけど頼むよ。フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店のも。本のサインは一緒に書くから」
「なんで......おい、フローリシュ・アンド・ブロッツ書店でもイベントやるっていうのは君が言い出したことだぞ」
「表向き死んで3年、せっかく忘れ去られたところだし、兄上のこともある。今表に顔を出すわけにはいかないんだ」
は、とラクランの口が動いたが、ナンシーがいるのを思い出したようでピタリと固まり、小さな声でそうかよ、とぶっきらぼうに言った。
自分から進んであらゆる仕事を引っ張ってきてしまうラクランだ。今更仕事を押し付けたことで怒ったわけじゃないのはわかる。
本当に言葉通り、この男は出版をきっかけに居候の社会復帰を促そうとしていたらしい。出たがりでもないのにマグルの出版に随分乗り気だから、おかしいと思ったんだ。養育費を稼ぐためだろうかと思っていたけれど、まさか僕の社会復帰だったなんて!
「ハァ、覚えてろよ......。ナンシー!こうなったら君のセンスがたのみの綱だ、一緒にサインを考えてくれ......」
ラクランはパッと切り替えて、ナンシーとサインを考えることにしたらしい。ナンシーはちらりと僕を見たが、ラクランにのせられて頷いた。
ナンシーをしっかり寝かしつけてから、ランプを片手に二人でエバンの墓までやってきた。リチャードたちの墓にも花をそなえてから、エバンの墓に向かって手を組んで、声に出して祈る。
「おいエバン、レギュラスがまたバカなこと考えてるみたいなんだ。いい薬があったら、教えてくれ」
「こっちのセリフだよ?エバンなら、そういう時は蛙チョコって言うだろうな」
「はは、あいつならそう言うだろうね」
軽く笑ってから、墓の隣に腰をおろしてラクランはレギュラスを鋭く睨んだ。
レギュラスはそれが感慨深くさえあった。
いつぶりだろうか、いや、初めてのことかもしれない。人にこんなに分かりやすく怒っています!と態度に出されるのは。
「君はそうやってずっと、賃貸契約もいい仕事をした報酬も、おれの名義で生きるっていうのか......?おれは君に、なんとか生きのびてもらったつもりだったんだけど」
「おかげさまでこの通り生きているさ」
「社会的には死んでいるのと同じじゃないか!」
毒を吐いているようでこっちの心配しかしていないラクランをレギュラスが笑ってやれば、頭をくしゃりとかいて、むんと腕を組んだ。
そうさ、その腕だ。
「......君の腕はいつもいろんなことでいっぱいだ。何でもかんでも受け取って、あれもこれもで大変だろう。状況が変わった。僕はすぐにでも動かなくちゃいけないんだ」
「なんの話だ?悪かったな色々首を突っ込んでさ。君と違って社会に生きているから、人付き合いというものがある。それに俺は全部同時進行でやってるつもりだ」
「その同時進行では僕のやりたいことができないんだ。そういうわけで、君の影をやるのは金輪際辞めようと思う。おあつらえむきに腕を生やし直して、しばらくは無理が効くし」
レギュラスが立ち上がると、ラクランも弾かれたように立ち上がってレギュラスを見下ろす。
ガシッと肩を抑え込まれたが、レギュラスが腕を振ってはずしにかかればラクランの手は意外にも簡単に外れた。図星というわけだ。
「君は大事なものがいっぱいあるね。やりたいこともそれだけたくさんだ。だから君にとっての最速は同時進行かもしれない。僕にとってはそうじゃないんだ」
「......でも!突っ走って今までいいことがあったか?ないだろう!?一人じゃどうしょもないってこと、おれたち散々......!」
「違うよラクラン。急に走り始めたわけではないんだ。僕はこの一年ただ新聞を読み漁っていたわけじゃない。君の影でいるんじゃ、どうも前に進まないというのもよくわかった」
結論はとっくに出ていたんだ。やらなくちゃならないこともレギュラスのなかで決まっていて、いよいよ出発せざるを得ない時がきてしまった。
ラクランには十分伝わったようで、レギュラスに外された腕をだらんと垂らしたまま、もう追い縋ろうとはしなかった。
「しばらくはイギリス国内で探す。傍聴した時みたいに適当な偽名を使いながら。それでもだめならフランスに戻って、残り滓の痕跡を探そうと思う」
「......オーケー、宿の台帳に書く住所はうちを使ってくれ。通帳は持ってる?電報の使い方わかるか?ハガキを出せよ」
「大丈夫さ」
「最悪なことがあっても、生きて帰ってきてくれれば、死ぬ気でなんとかするから。何があっても絶対生きて帰ってこいよな」
「最悪なことがあったら帰って来れないだろう......なに、ただの探し物だ」
レギュラスも永遠の別れのつもりはないといって、お礼のカードだけ書いて何も残さずに出発してしまった。レギュラスのはやる気持ちはわかっていたけどやるべきことは山積みだったし、自分の選択肢間違いとも思わない。
ナンシーは起きてきてレギュラスの不在を嘆いてみせたが、ラクランのほうもなんだかぼーっとしてしまって、朝ごはんの後意味もなくテレビを眺めていた。
ナンシーがやってきてから彼女の暇つぶしにと、じいちゃんはどこかから白黒のテレビを手に入れた。大したニュースもないのか、6月の戦勝報告を特集している。
"――わたしたちは侵略が割りに合わないことを示すために戦ったのです。戦いの前、わが国の衰退は不可避的だと思っている人々がいました。しかし彼らは間違っていたのです。フォークランドの教訓は、英国が変わっていないことを示したのです"
「ねえねえ、あたしがいるからアークタルスいなくなっちゃったんでしょ」
「違う!そうじゃないさ。そうじゃない......」
ぼそっとこぼしたナンシーに、跳ね起きて否定する。
おれは色々と全部やりたくなっちゃう性質で、レギュラスはやらなくちゃいけないことにおれと違う順番をつけたから、違う動きをするってだけだ。なにもこっちのお膳立てを全部ぶち壊さなくたって良いじゃないかと思うけど。
「でも昨日、あたしがいるからって喧嘩をやめたでしょ」
「ちゃんと君が寝た後外で殴り合ったよ」
「うっそだ!ラッキー傷一つないじゃん」
「そりゃそうさ、おれのボロ勝ちだったからな」
「それこそうっそだ〜!」
「ケイヒル流のプロレスだよ、そら!スリーパー・ホールド!」
「あたしフルネルソンやる!」
「ラクラン、テレビを消せ」
「ちぇーなんでさ。見てたのに」
「見てないだろう。電気代の無駄だ!」
ぶつぶつ言いながらテレビを消しにいく。ストーブ近くの戸棚に、埃の積もった母さんやばあちゃんの写真、勲章がある。戦勝報告なんて、たしかにじいちゃんは聞きたくないだろう。
ラクランはひょいと肩をすくめた。
雨が窓ガラスをノックすることが増えてきたころ、ロビンさんから本が出来上がった知らせが届いた。国際便でわざわざ送ってくれたのはありがたかった。
意外にしっかりした装丁で、内容を反映したのか表紙には箔押しのタイトル"少年たちの回顧録"と、四つの人影のイラストが入っている。その下にイグネイシャス&アンガス・マグニチュードとみょうちくりんな名前が載っていた。表紙の出来はいい感じだったが、引っ繰り返して開いてみると、裏表紙の見返しには精一杯のキメ顔で木の横に立つラクランがしっかり載っている。
「最悪だ......」
少し上がっていた口角が真っ逆さま。沈んだ気持ちでラクランは"魔法界版"の作業に取り掛かった。
魔法界版の原稿は、レギュラスが用意した手稿をもとにヴァンヴの蚤の市でタダ同然の値段で買ってきたタイプライターで清書したものだ。途中途中の文章を空けたところに、魔法写真用の現像液を使ったちゃんと動く写真をくっつける。
著者近影もついでにどうにかしたかったけど、あきらめることにした。魔法界版でもペンネームを使っているから、ラクランたちが書いたのだ、という確たるものが本のどこかにあった方が安心だからだ。
とにかく、そのようにして完成した原稿を永久粘着呪文でマグル版のページにべたっとくっつければ、魔法界版の完成だ。中身が出来上がったら、いよいよ外側。
ふーと息を吐き出してから大きく吸って、手をブラブラと振ってから、息を止めたまま机に飛び込んだ。
ピンセットの丸い先端に透明な接着剤がわりの亜麻仁油を浸して、背表紙にジェミニオ製本、と書く。透明な亜麻仁油が乾いてしまわないうちに、奮発して買ったオカミーの卵の殻(純銀だ)を細かく砕いて置いていく。乾いたら、ブラシで浮いた部分を擦り落とせばごく簡単なギルディングの完成だ。
あとはどんどんジェミニオするだけ。ジェミニオは本物の本ほど長持ちしないからそれをお客さんに明示しておく必要はあるけど、一冊の本を読むには十分な時間完璧な複製でいてくれると思う。
ラクランは集中して丸めていた背中を伸ばしながら、どんどん増えていくジェミニオ本たちをニコニコと見守った。
「よ!オーララ、ルーミーはどうした?」
「ちょいと方向性の違いで旅に」
「な〜んだせっかくヘブライ語のパピルス持ってきたのに」
「それは、おれが預かってよければ貰っとく」
突然聞こえてきたドアのノックにあわててジェミニオを止め、検知不可能拡大呪文バッグをバチン!と閉じたのと、メディがひょっこり顔を出すのはほぼ同時だった。ギクシャクしながらパピルスを受け取る。
「それで?おれは明後日には休みを申請したはずなんだけど。わざわざくるなんて何かあったの?」
「いーや?それについてはご心配なく!なんだと思う?」
そういうメディはひどく嬉しそうだ。いつもより3割り増しで髪の艶がいいような気がする。いやむしろこのところが研究でズタボロで、ああ、それか?
「もしかして、研究員に?」
「ああ、ついにやったぞ!自分の研究室をもらえたよ」
拳を突き上げた後、人の家の玄関口でステップを踏み始める。ラクランもパン!と手を叩いて立ち上がり、一緒になって踊った。
「学会での研究成果もだけど、タイミング的にお前がちゃんとムシューに回答してくれたのもデカいと思うんだ。指導者適性や研究倫理的なアレで。ありがとうな!」
「こっちこそだよ、なんの研究をするの?」
「変わらず時間旅行についてだ。おれたちの先祖はずっと星を頼りに航海してたから、天体に導かれるまま未来への旅や超光速航法を可能にしたい」
握手をしていた手を振り切って胸に手を当て、架空の大海原から昇る星々を指差すメディは生き生きとしている。ここが舞台なら観客みんなが頷いてしないだろう熱演に頷きかけながら、ラクランはピッと指を立てた。
「質問、どうして未来だけにこだわるんだ?」
「そんなの、過去への旅はもう実現されてるからに決まってるだろ」
「なんだって!?」
「おっと、また下の階から箒でつっつかれるぞ!知らなかったか?おかしいなイギリス魔法界にも技術はあるはずなんだが......」
イギリス魔法界にも過去へ旅する装置がある?おそらく、使用は限定的だろうが......。わざとらしいメディに引っかかるところがあったが、突如押し寄せてきた思考の波にラクランは太刀打ちできなかった。
時間が巻き戻せるのなら?
過去への旅に出られるとしたら?
頭をぐしゃりとかいて、ドスンと安物のスツールに腰かけ直す。
エバンが死の呪文を受ける数秒前に、戻れたら止められる。
バーティが誰にもなんにも言わずに帰る前、いやレストレンジ家の三人についていってしまう前に止められる。
レギュラスが、指輪を触るのも、リチャードやアニー、駅を歩いていただけの人たちが魔法に倒れるのも。
あの時、シリウス・ブラックを止められていたら。
「お前が何考えてるか大体わかるよ。残念だが、起こった出来事は変えられない。何年も前に戻るのも、今ある機構じゃ難しいね」
ラクランの思考をぶった切って言い切ったメディの瞳が、紅茶色と合わさった後に細まった。今度こそラクランは黙って頷く。
心を見咎められなくたって、ラクランが友人を失ったことは散々迷惑をかけただけに知られている。裁判のことも、レギュラスのことも。振り返るにつけ失敗ばかりだ。
「今あるのは
「タイムターナーね......観測というと、鏡みたいなもので見えるようにするとかかな?それとも意識も肉体も過去にいくのか......いや、そもそも"野心家"なりかけのおれにどうしてそんな話を?」
口角を吊り上げてペラペラと語っていたメディは、クワっとアイラインを引いた目を見開いてわざとらしく驚いた顔をしてから相好をくずした。
「実はイギリス魔法省から出向募集がかかっていてね。なんでもマグル政府との交渉役でめぼしい魔法使いがいないらしい。お前はマグルの学位もとったし、本まで出すんだろう?ピッタリじゃないか」
「ははぁつまり――おれにスパイをして来いと?」
「人聞きが悪いな渡りをつけて欲しいだけさ!まあ情報を持ってきてもらえたら、向こうの研究進捗如何では俺がぶんどるチャンスになるだろうけど......実際どうだ?お前としちゃ研究や論文への参加は厳しくなるだろうけど」
「ううん......ナンシーのためにもイギリスに戻ること自体は悪くない。ただおれのやりたいことの多くは、やっぱり大陸にいてこそ可能性がある。メディはどうしてそんなにイギリス魔法省の保管するタイムターナーが気になるんだ?」
ラクランはあごに手を当てて尋ねた。彼の口ぶりだと天文学や時空に関する研究で先進的なのは中東やヨーロッパだ。マグルの宇宙開発でいうとアメリカとソ連。イギリスにこだわらなくちゃいけない理由はない。
「理論や情報量は間違いなく俺らの地域の方が潤沢だ。曇りがちなイギリスじゃ天体の観測条件も悪いしな。だが真っ先に産業革命したとこでもある。しかも当初出遅れた時計士たちが初期の原動力ときた!そこの魔法道具がどんな機構なのか気になるんだよ」
「量産や小型化が得意なだけだろうと思うけどね......出向職員なんかに情報が掴めるだろうか?」
「運良く掴めたらそれで良いからさ!それにお前が主導してる研究、そろそろ行き詰まりそう――ホラ、若造じゃなくなってからじゃないと話が通らなそうじゃないか――となるとお前は、他のことやりたくなるはずだ」
「う......まあ、否定はしない。出向については考えておく」
これに関してはメディの言うとおりだ。自分は手を動かすのが好きだし、事態をぼんやり見守って手をこまねいているくらいなら、なにか別のことをやりたいと思う。その時々で今できるものを見極めて、全部同時進行で進めてるつもりだ。
レギュラスに言われるまで誰もがそう考えるわけじゃないという当然の事実は頭からすっぽり抜けていたし、レギュラスがどうやっていろいろの問題に取り組んでいきたいか確認もしなかった。だからこそ、一人ずつで動くことの恐ろしさをよくよく知っていても、送り出すほかなかったんだ。
"見逃した出来事をもう一度観測して、それによって過去から現在にかけての今起ころうとしている事態に対して選択肢を増やす"か......。
メディへの回答は控えたまま、空気は生暖かいくせ寒々しいロンドンに降り立ってため息をはく。このあたりの地下のどこかに魔法省はあるわけだけれど、気軽に行けるようでラクランにとってはまったくそうじゃない。
メディだって迎えに来てくれたくせに人が悪い。ウィゼンガモットであんなに暴れてしまったうえに、罪に問いようがないとはいえ聴取までされたんだ。その上週刊魔女の連載でミスター・クラウチに関連するらしき批判を書いて、これから本を出すのだから居心地は最悪。その上マグル政府との交渉役だって?あの鉄の女と?たまったもんじゃない!
やはり、断ろう。小さなトランクを握りしめ直す。
ラクランの選択を嘲笑うように、ベラトリックス・レストレンジの不愉快な笑い声のような甲高い轟が聞こえて雷が光った。さっと物陰に入って雨傘をトランクからアクシオして差し、ため息をついた。
バーティはアズカバンで震えちゃいないだろうか。
ブランケットを送ったけど(不平等だと配布されないと思って、たくさんジェミニオした)、それでも配布されるなんてことはないだろうとリーマスは言っていた。ただジェミニオするんでなく、バーティの手に渡らないと増え続ける呪いでもかければ良かったかも。
レギュラスは雨に降られていないだろうか?宿をちゃんと取れている?スコッチエッグとポーチドエッグばかり食べてなきゃ良いんだけど。
エバンの墓だって手入れしに行かないと、あっというまに苔むしてしまいそうだ。
≪俺は墓の心配かよ!≫
≪だって君、さっさと死んじゃったじゃないか!悪いけどナンシーを見守っておいてくれよ≫
≪あれはただの石で、そこに俺は入ってねーの!作家先生は忙しくてパーになっちまったのか?≫
確かにエバンのいうことはもっとも......いや、どうして新しいことをペラペラ話してるんだろう?ラクランは必死に眉間を揉んだ。
これからどんどん遠ざかってしまう思い出だっていうのに、頭の中で時折カセットテープを再生するみたいに聞こえていた声と、ついに会話を?
≪レギュラスと話すことがなくなったしな≫
≪静かにしてくれ......≫
考え事をしている間にガヤガヤとした漏れ鍋に到着した。傘を乾かしているところに3、4人の魔女がやってきて握手をせがまれる。週刊魔女の読者だというから、サイン会の宣伝をして軽く握手してさっさと逃げ、レンガの前でもう一度息を吐いた。
自分たちの楽しかったけど、問題もたくさん見えた学生時代の思い出を本という形にできたのは嬉しい。最初の動機はともかく、やって良かったとは思う。だがこの選択は本当に正解か?
≪行った先でしか分からないよ。ノックオンウッド!≫
≪これはレンガだよ、エバン≫
元気にお喋りするエバンの声につい笑って、ポケットに突っ込んであった自動巻きの腕時計を久しぶりに取り出して腕に巻き、軽く振ってみる。リューズを巻かなくてもどうやらちゃんと動いてくれるみたいだ。立ち止まって考えようにも、こうして勝手に時間は進んでいく。
気合いを入れて杖でレンガをコツコツ叩いた。
ホグワーツ新学期の買い物でごった返している通りに、日にちの設定をミスしたかも、と渋い顔をしながらたどり着いたフローリシュ・アンド・ブロッツ店では、容赦なく雪崩が起こりそうな店内の一番奥まで引っ張られ、もっとも高い本の塔の後ろ側に立たされた。
「悪いね、人気なサイン会じゃ人をさばくのが大変で。あんたがイグネイシャス・マグニチュード?」
「それはペンネームで、ラクラン・ケイヒルです」
「あのケイヒル!クラウチに啖呵を切ったっていう!じゃあやっぱり本の親友は......!」
「あははは、まあそうです」
「まあまあ!この本とってもいい感じ!表紙の絵は動かないんですの?」
「あなたがミセス・スミス?」
「ええ!今日はいいサイン会にしましょうね」
オレンジの刺繍が散る茶色いビロードのケープを羽織った魔女がブンブンとラクランの手を勝手にとって縦にふる。文字だけはよく知っている週刊魔女の担当編集の名前をあげれば、元気いっぱいの肯定が返ってきた。
≪こりゃつらい戦いになりそうだな≫
それからというもの、口々に学生時代を思い出しただとか、魔法省の強硬なやりくちに反対!だとか、本をきっかけに家族会議をしたなんて報告をする魔女たちに笑顔を振り撒きながらガリガリと羽ペンを走らせ続けた。
熱心に感想を言ってくれるのは嬉しいし、サインをもらいに来てくれるくらいだからおよそ肯定的な意見で、とくに他のご家庭に良い影響を及ぼせてるなら研究の合間にちまちまと書いて本を出す甲斐もあるというものだ。とはいえ人体には限界がある。鍛えているラクランの手でも甲のあたりがツキンと痛みだした。
「次の方〜」
「お久しぶりです、出版されるなんて!」
「君は......クィリナスか!」
ちっとも懐かしくない低さなのに、聞き覚えのある弾んだ声が耳に飛び込んできて、ラクランは顔をあげた。あんまりよくない顔色の中に後輩の面影を見てとったラクランはあんぐりと口をあけポトリと羽ペンを落とす。大事そうに廉価ジェミニオ本をミス・スミスから受け取ったクィリナスは、ひょろりと縦に伸びていた。
学生時代の思い出話を後輩に読まれる――いや、もしかしたら連載を読んでいたかも――と思うと途端に恥ずかしくなって鼻の下を擦る。
「伸びたな〜見違えたよ。もう6年生か?早いもんだな。O.W.L.はさぞかし良かったんだろう?」
「O(優)は6つだけでしたが、いちおう9ふくろうです」
「すごいじゃないか、君はやるやつだと思っていた!N.E.W.T.は楽しいぞ」
バシバシと肩を叩いていると、だんだんクィリナスの顔も血色が良くなってくる。そこへ店長が"剥がし"にやってきた。クィリナスは一瞬ひし!と骨ばった手で万力のようにラクランの手を握りしめてきたが、抵抗はせずにフラフラと剥がされていった。
「じゃ、じゃあまた!」
「おう、また手紙を送ってくれ」
まだ顔色が悪かったけど、顔つきはだいぶマシになった気がする。週刊魔女は家にいる母親世代が主ターゲットではあるけど、親からの働きかけでクィリナスや、かつてのおれやバーティのように不当にホグワーツ生活を警戒させられてる生徒が減ったら良い。
「ケイヒルさん、今度は日刊予言者新聞ですよ」
だいぶ捌けたと思ったところに、ミセス・スミス上気した顔で人を連れてきた。見覚えのある太いフチのフォックス型メガネをかけた巻き髪の女と、カメラを片手に気だるそうにしている男だ。つい半目になってしまう。クィリナスとの再会で上がった気分も急降下だ。
「あの、写真はちょっと」
「何をおっしゃいます!素敵な著者近影を載せてらっしゃるのに!」
「あ、それは......」
足は棒のようだし変な高さの本の山の上でサインをしていたから腰はパキパキと鳴る。手は久々の重たい痛みが気持ち悪い上、これだ。もう恥も外聞もなく跪いて頭を掻きむしってしまおうか......
≪踏ん張れ、気を抜くな≫
≪君が死ななきゃ著者近影なんて撮ることもなかったかもなのに!≫
≪俺のせいか?お前がやるって決めたんだろ≫
「ハァ......わかりました。今日中にフランスへ発つので、手短にお願いしますよ」
「ではまず一枚」
バシャッ
了承する間もなくマグネシウム粉の閃光が迸って無臭の煙がふわりと舞う。ラクランは瞬間的な作り笑顔からぎゅっと眉根を寄せた。
「マナーズ、プリーズ?」
記者らしき魔女は羽ペンと羊皮紙片手にどかりと手頃な本の山に腰掛けてリータ・スキーターと名乗った。
「週刊魔女での連載、とってもすてきざんしたわ。タイミングも!」
ああ、今ピンときた。
日刊予言者新聞でラクランが試みた批判含め、ミスター・クラウチの功罪について書き立てた記者が同じ名前だ。なるほど、どうりで法廷であんなに生き生きと。
≪気を抜くなって言ったろ?≫
「これからの展開は?クラウチさんを引き摺り下ろして闇祓いをもっと糾弾する?ウィゼンガモットの除名?」
「いえ、お......私は魔法法執行部に所属されている個人のとがを追及したいわけではありません。指揮や真相究明に用いている手段に大きく問題があると考えます」
「そんなことで満足なさらないざんしょ?今更聖人ぶらなくたって――」
「いいえ、それなら連載やこの本で、私はもっと許せないことを書いたでしょう。魔法戦争の最中、目の前で友を見送りましたから」
「それはデスイーターざんすね!?ではやはり君も繋がりが!?」
ズイ、と身を乗り出されて思い切りのけぞる。しまった、エバンの声が聞こえるばっかりに失言した。なにより毒々しい化粧を近づけられるのはかなりきつい。
「落ち着いてください、ミス。私は闇の陣営といっさい関わりありません。例のあの人――闇の帝王を見たこともないのです。連載をすべて読んでいただいていたなら、学生時代から特定の派閥に傾く環境でありながら、私を気遣い助けてくれた友人たちの姿をみていただけたはずですが?」
「いやだ、冗談ざんす。でもおたくの小説も飾り立てたフィクションではなくて?」
ニィと横にのびるようにして笑った口から銀歯がいくつも見えた。この人のやりたいことがラクランにはさっぱりわからなかった。
「いいえ、私の主観も入ってはいるでしょうが、この本に書いたことはすべて事実、実際に体験したことです」
「恥ずかしがるこたないよ、君。学校に勉強するためだけに行ってる生徒なんていないざんしょ?好きだったものはクィディッチ?どんなところが好き?ホグズミードには誰と行っていたの?同じ人と行っていた?闇の魔術を練習して他寮の生徒を痛めつけてたんじゃなくて?」
質問に見せかけて、言葉尻を捕まえて歪曲しピカレスク・ロマンにでも仕立て上げたいという欲望が丸出しだ。しかしわからない――この人は一体どんな得があって、人を貶めようとこんなに頑張っているのか。
「他の生徒がどうか知りやしませんが、少なくとも私たちの一番の目的は学ぶことでしたよ。クィディッチや友人と行くホグズミードもそりゃあ楽しいものですけど、何せ私たちは戦争の足音を聞きながら学生をやっていたんです。あれを学んでおけばよかったと悔いを残さぬように、それは必死で勉強をしました」
「すてきざんすわ......悔いを残さないように、それはみなさん
嫌な含みがあった。
≪おおかた駆け落ちとかそういうことだろ≫
つまり、"人生に悔いを残さないように"先々考えず行動したのが実態で、禁欲的に虚飾していると、そう言いたいのか?
ラクランは思いっきりフンと鼻で笑ってしまった。ミセス・スミスがハラハラと見つめてくる。
「失礼、一体おいくつでいらっしゃるのか......と思いまして」
ゴシップの種を見つけようと躍起になるほどやみつきで、その上選んでくるネタが駆け落ち!エバンの言う通りなら失笑ものだ。
「駆け落ちが話題になっていたのは、私たちが入学する二年も前のことですよ。おかげで不自由な思いをしたものは多かった。それで自分もそうする!なんて思う間抜けがいると思いますか?」
家をどうなってもいいくらい憎んでいる人はいるだろうが、分別があれば小さな魔法界の後輩たちに迷惑を被って悪い方に名前を覚えられるなんてこと、進んで選ぶ人はそういない。駆け落ちするほど誰かを愛しているのなら、なおさらだ。
ラクランは居住まいを正して咳払いし、努めて冷たい声を出した。
「やれやれ、あなたの中で書きたいものは決まっていらっしゃるらしい。付き合ってられない。それこそご自分で本を出されればよろしいでしょう」
「まあ!言っておくけどねお坊ちゃん、あたしたちゃ売れる記事を――」
「日刊予言者新聞!私や友人たちについて事実無根の記事やくだらない噂話を書き立てたら、週刊魔女の連載スペースを借りてあなたを実名で告発します」
ミセス・スミスにちらりと目配せすれば、宣伝目的でひどい取材をセッティングしてしまった自覚はあるのか、ブンブンと頷いた。
不機嫌になった魔女がカメラマンを引き連れて――いつまでも自分の方が有名だと思うなよ!と捨て台詞を吐かれた――ツカツカと歩み去ると、ラクランはドッと疲れてため息をついた。
今日はくだらない邪推ばかりで軽くあしらえたが、ミセス・スミスのような失言が危ぶまれるウッカリ気質で人の良い善人がいると面倒な記者だ。裁判に関する記事で儲けたのか、メガネや羽ペンが前より上質になっているのもシャクに触った。
幸せな思い出は魂も同じだ。人を形づくる芯のようなもの。それを根拠なく捻じ曲げて滑稽にして面白がられるのは、全く許しがたい。
「ラクラン!ああ、よかった!」
場所を借りたお礼に数冊とサイン入りの本を塔にして託した後、ようやっと書店を出たところで、スラグホーン先生がマゼンタのハンカチで汗を拭いながら走ってきた。片手で真っ青な顔のナンシーを引っ張っており、尋常な事態でないのは察しがつく。
「先生!ナンシー!どうしたんです」
ラクランのほうも駆け寄って、しゃがんでナンシーを迎え入れる。
「ゼェ、ハァ、私が君の家にかけておいた魔法を制限する年齢線を、ナンシーが破ってね、ハア、何事かと見に行ったら、ゼエ、おじいさんが」
「おじいちゃん倒れたの。倒れて起きないから、ラクランのところに行かなくちゃって思って、すぐ箒に乗って飛んでいこうとしたの。そしたら、先生が来た」
二人いっぺんに喋るからぐちゃぐちゃしたけど、なんとか聞き取れた。小さく震えているナンシーの頭を撫でる。自分の手も情けないことに震えていた。
「姿眩ましでマグルの病院に通報して、搬送は済んでる。息はあったが、状態は良くない......すぐに向かおう」
「ありがとうございます」
スラグホーン先生がハンカチをしまって差し出してくる手を掴んだ。ナンシーもしっかり引き寄せる。胸の中にはハリケーンが来たように大荒れだったが、今はスラグホーン先生に連れて行ってもらうしかなかった。
ぐるりと世界が回転した。
決別とちょっとだけ前進回です。
・レギュラスの旅立ち
レギュラスは死亡偽装をした身ということで、とくに魔法界ではのびのび動けない存在でした。聖マンゴはマグル界の病院と同じくどんな患者も治療してくれますし、機密にも心配がないところです(イザベラもいるし)。
ラクランにとっては、人生のうちでやりたい研究も、バーティやエバンのための魔法省・魔法界批判も、レギュラスの解呪も、分霊箱破壊も、ナンシーの養育も同じ価値です。そのときできるものからどんどんやって、自分の知識を広げ、社会的地位を上げてコネクションを作っています。
でもレギュラスは必ずしも同じ思考回路であるとは限りません。友人の危機は助けたいけれど、より大きな使命感と罪悪感を分霊箱や闇の帝王発見に感じています。その齟齬は前々からあったけど、年々やることを増やしてしまうラクランに業を煮やした形。そして生家が戻れない場所になりました。レギュラスも生き方を変える時です。
・賢者の石
原作ではグリンゴッツにあった賢者の石。命の水は蓄えておけるようですが、あんまりたくさん作り置きしておくのも危険な代物です。誰にも触れられずずっとグリンゴッツに――というよりも、信頼できる人やフラメル夫妻自身によって適宜取り出されていたと考えました。拙作ではたぶんラクランだけでなく、過去いろんな人がフラメル夫妻に同様に試されています。全く興味がありませんという回答も悪くないですが、変わり続ける自分を認めて、素直に告白することをラクランは選びました。
・魔法界の印刷
魔法界の印刷技術はよくわからないです。ザ・クィブラーまわりで描写があったかなと思いますが......新聞の写真が動くといっても、そもそも魔法界のカメラはフィルムで特殊な現像液がないと動かないようですし、新聞はオフセット印刷っぽい......?ということで今回はひとまずジェミニオ版です。
・エバン、復活の兆し......?
思い出の声が聞こえるだけでなく脳内でおしゃべりしてくるようになりました。肉体は戻ってこないけど、レギュラスが旅立った後、ラクランがおしゃべりできる数少ない相手です。
・リータ・スキーターとボゾ
原作リータはもっと高級志向ですが、成金趣味な感じだったので徐々に稼いでワニ革バッグや金歯、自動筆記羽ペンQQQを入手したのかな〜という想定です。ボゾもまだ若いのでそこまで太ってない。
皮肉がたっぷり効いているリータですが、根っこの部分は人間みんなそう大したタマじゃない、どこかに傷があるはずで、それが面白い、売れると考えているのかな、と思っています。
思い出がものすごく大事なものだと感じているラクランにとっては、なかなか厳しい相手でした。
・じいちゃんとスラグホーン先生
肝臓を悪くして10年目、ガタが出てきてしまいました。
スラグホーン先生のいう年齢線は炎のゴブレットの周りに張られたやつのイメージです。大人抜きで使わないように、というお約束ごとだったわけですが、ナンシーが動転して破ったことで搬送できました。
スラグホーン先生、生徒をコレクション扱いするのは教育者としてアレですが、コレクションにした生徒に関しては熱心に連絡を取っているはずで、魔法界ではかなり頼り甲斐のある大人だと思っています。