石造の薄暗い地下室は薄寒い。11月ともなると手はひんやりと冷たくてよく利かない。カエルの内臓を捌く罰則はまさしく罰則で、トンクスは思い切りため息をついた。その拍子に髪の毛が鮮やかなブルーになってしまって、思い切り肘でどつかれる。
「ちょっとトンクス!」
「大丈夫だよ、今日はあの人がいるもん」
「ケイヒル先生ね」
マグル学のケイヒル先生はスネイプ先生と同世代らしい。あの嫌味ったらしい怖い先生にニコニコ笑いながら突撃するから、一週間で病院送りになるって上級生たちに賭けをされてたけど、まだピンピンしてる。
トンクスが斜め右へ視線をやると、同じように作業をするケイヒル先生の方からはフンフンと鼻歌が聞こえた。あんなに楽しそうに罰則をやるのは先生くらいだと思う。
その鼻歌でスネイプ先生がぴくぴくと眉間を動かし、だんだん鼻に縦皺を入れていくけれど、嫌味ったらしいいつもの文句が飛び出てくることはなかった。
ふとケイヒル先生が手を止めて顔を上げた。同時にスネイプ先生もバッと教室の右端の方へ顔を逸らす。
「こんなものでいいでしょうかね?ほらみんな耳と目だけ貸してくれ、このように正しい手順でナイフを入れてやると、仮に肝心の内臓を失敗してもこんなに素材を取れる」
「勝手に指導をしないでいただきたい」
スネイプ先生が口をほとんど開けずに唸るように言うが、ケイヒル先生は苦笑して頬をかくだけだった。
「すみません、しかしこの罰則はとても合理的です。ただ苦役を課す目的ではないのでしょう?生徒のみんなに誤解があるようなら、これをやる意義を見せれば良いと思ったんです」
前の黒板に書かれた通りの角度や切り口で繊維を切ってあるケイヒル先生の手元のカエルはたしかに綺麗に処理されている。
「材料を無駄にするのは不経済です。作業に手を慣らすのは素晴らしいですが、最初に材料費や有用性についても念押ししたら良いのではないでしょうか」
「専攻も違うのにご指導いただいてありがとうございます。来年は魔法薬学も指導されますか?」
「まさかそんな!たしかに出過ぎた意見でした。良いご指導がきちんと伝わらないのが残念で」
教室中の目は先生二人に向けられていて、もはや誰も小刀を握っていなかった。ふーっと長く鼻から息を吐いたスネイプ先生がサッと教室へ向き直るので、みんな慌てて視線を手元に落として集中してるふりをする。
トンクスも再び肘打ちを喰らう前に小刀を握り直したが、ぬるついた手が柄を滑った。
「あっ」
小刀がとぅるんと手からすっぽ抜け、前の列へ落ちるのに反射的に手を伸ばす。ズガン!と膝を強かに机にぶつけて机の上に置かれていた瓶がぐわんぐわんと揺れた。落としちゃヤバい!!と手を伸ばした先で、ピタリと瓶が静止する。
「何をやっているミス・トンクス!」
杖を振り上げたスネイプ先生がツカツカと歩いてきて小刀を机の上に戻した。
「自分の足がどれくらいの長さかも理解していないのかね?動く前に考えたまえ」
「う、はい。すみません先生」
スネイプ先生がローブを翻して戻っていくと、受けたくなかった肘鉄が脇腹に襲いかかってくる。
「もう!トンクスドジなんだから」
「アハハ〜またやっちゃった。ついうっかり」
「また?」
頭上から声が降ってきて顔をあげると、ケイヒル先生がすぐ側に立っていた。
「先生?どうしたんですか」
「いいや、怪我がなくてよかったよ。カエルに限らず両生類は表皮に毒があったり菌をくっつけている場合がある。今後はドラゴン革の手袋を使用するように。汚れても洗浄が簡単だし、滅多なことでは滑らない」
チラッと私の教科書類を見て手袋がないことを把握したらしい先生は倉庫から古びた手袋を呼び寄せてくれた。
「でも先生、私不器用で。手袋なんて使った日には、全然思い通りのところが切れなくなっちゃうんです」
「そんなことないさ。こう言うのは慣れだよ、慣れ。仕事にもよるけど、N.E.W.T.レベルの魔法薬学までやるなら手袋は調合で絶対必要だ」
トンクスはしぶしぶ頷いて手袋をはめた。
暴れ柳の銀色の落ち葉がひらひらと舞う。今回は力が必要そうなので、ホグズミード郵便局に依頼してオジロワシを借りた。
「やあ、君の名前は......ウィスプ!いい名だね。ちょっと大荷物を持ってきてもらうことになるけど、なんとか頼むよ」
鉤状の嘴がイザベラへの手紙にパチっと穴を開けながらくわえる。ひと撫でするとぷるりと震えて飛び立っていった。
空を掴んでいくような力強い翼の動きは、見ているだけで爽快だ。ラクランは夕暮れの空に目を細めている自分に気づいて、額を指で擦る。
≪な〜にオジサンくさいことやってんだよ≫
「気にもなるさ、セブルスは見事な眉間の皺だもの」
≪ありゃ学生時代からだったろ≫
マグル学研究室でラクランは堂々としゃべる。初日に守りの呪文もかけまくったし、誰かに聞かれてもゴーストと喋っていたといえば良い。実際、エバンは魂のかけらだから似たようなものかもしれないし。
「くそ〜あの人、本当に堅い。おれは読まれないだけだからな」
学生時代の先輩に協力したいというのも、年若い教授同士助け合えたら良いと思っていたのも本当だ。ただもちろんラクランにもひた隠しにしている意図はある。
授業の準備や見回りの手伝い、ちょっとしたことで会うたび、ラクランはスネイプの情報を集めていた。
≪あの人閉心術あんなにうまいんだな。お前も鍛え直すか?≫
「別にあの人の内心全部をわからなくちゃいけないわけじゃないさ。目的はあくまで
リーマスも学生時代の一件とダンブルドアと仲良しの古株闇祓いのアラスター・ムーディとコネクションがあるあたり、ダンブルドア派とみて間違いないけれど、本当にボロボロになって頼ってきてくれている状態なのは明らかで、もうずっとそれに関しては触れないようにしている。こっちもレギュラスを隠してるわけだし、友人が安らげる場所を奪うことはしたくなかった。
セブルスも同じだ。友達を名乗れるほどの仲ではないけど、たしかな技術と知識のある魔法使いで、少なくとも彼は誠実に教授職を務めている。
「あきらかに大喜びではないよな。それでもつつがなく勤める必要がある。それがなぜなのかが一向に掴めん」
ハァ、とため息をついてラクランは自室の貯蔵庫で冷やしてあったギネスビールの瓶をプシュッと開けた。飲まないとやってられん。堅い泡がグラスの淵をなぞって盛り上がり、黒々とした液体を流し込む。ラクランの心はこんな感じに黒い湖で覆われている。スネイプのそれは触れた手からどんどん熱を奪う冷たい石ころのようだった。
≪四六時中採点だの見回りだのしてるよな。相変わらず手抜くの下手すぎ≫
「たしかに昔からそういうところはあると思う。でも闇の魔術に没頭してた頃とは少し違うな、あの罰則は説明不足で、それだけだと嫌がらせじみて非効率的だった。心の底から教師生活を楽しんでいるならああはしない」
≪なんで寝返ったのかはめちゃくちゃわかりやすいのに、だからこそなんで今あんな元気で仕事してんのか謎なんだよ≫
「ああまったく」
目立った仕事にも就いていないポッター一家を何かしらの事情でヴォルデモートは襲撃することを決意し、実行し、失踪した。計画的な襲撃であれば、デスイーターは事前に知らされたはずだ。
バーティの裁判のときも、ヴォルデモート失踪以前に寝返ったと証言されていた。タイミング的にもそこでスネイプは寝返り、リリー・エバンズの助命をダンブルドアに請うたはずだ。リーマスのこともあるし、もともとポッター家もダンブルドアと繋がっていたのかも。
結果としてポッター一家の命は子供を除いて救われなかったが、それによってスネイプは今も日向の道を生きている。彼としてはまったく不本意であろうから、生かされている、と言った方がいいかもしれない。
「不本意な生き方をしているのはきっと苦しい。君は自分の体って牢獄で苦しんでいた」
≪まあな。俺の体じゃ生きてる限り自由になれないとわかったときは、流石に息の仕方も忘れたよ≫
「気づけなくて悪かった。いまだに悔しいよ」
≪ハハ、俺はやりたいことの真反対がすぐ近くにいたから、魂をどうにかすればいいんだって気づくまで長くはかからなかったし......そうか、今スネイプは同じように生きてるのか≫
「おれはそう思う。その割にすごく元気だから、かえって恐ろしい」
リリー・エバンズが亡くなり数年で立ち直って普通に生きられる人なら、彼はそもそもあんな学生時代は過ごしていないはずだ。彼はどう見たって違うグループとつるんで違う道へ進んでいくリリー・エバンズをすっぱり切れていなかった。そして彼女は死者の道へ、彼はまた違う道で、不本意な生を生きている。
「彼の状況は明らかなのに、どうもはてしなく続く苦役に服してる顔じゃない。だから期限があるんじゃないかと思うんだ。それを知りたい」
手慰みに杖を振り、守護霊の呪文を唱えてみる。
杖先から銀色の霧のようなものが噴き出して、複雑な形を作る。大きな牛のような体格の犬で、毛足の長い巻いた尻尾や首は複雑な編み込みが入っている。
≪おークー・シーちゃん!よしゃしゃしゃしゃ!ほれ!とってこーい≫
「まったく、人の守護霊に何してるんだ」
競技場の真ん中は遮るものがないから風が強い。
目の前の緑のローブを身につけた集団はセブルスからもらった競技場利用申請の名簿から5人減っていて、大きい子が少ないから上級生のスタメン選手たちが率先してサボったようだ。競技場に集まってくれた生徒たちのほうも、ポケットに手を突っ込みマグル学教授のような人間に教わることはない、と言わんばかりだった。ラクランは苦笑いして冷えた両手を擦る。
「改めて、補助コーチをやらせてもらうことになったケイヒルだ。学生時代はスリザリン寮のビーターをやっていた。各寮にあった戦術を組むことと、怪我を防止するトレーニングを教えられたらなと思ってる。よろしく頼むよ」
パラパラとまばらに起こった。
今日でなんとか、興味を持ってもらわなくっちゃ。
教授としてきちんと勤めているセブルスにスラグホーンと同じような賄賂は通じない。そこでラクランにできることとして、クィディッチの補助講師を申し出た。競技経験もない上おそらく興味もないセブルスはクィディッチチームの指導に苦戦している様子で、内紛は起こらなくてもこのところ成績が奮っていないそうだ。
一寮だけ補助コーチというのもバランスが悪いので、要請があれば四寮全てに対応すると申し出たけれど、熱血クィディッチファンなマクゴナガル先生にはご心配なく!とお断りされてしまった。
スリザリンは魔法使いと魔女の家庭に生まれ育った生徒が大半を占めているからか、大概箒の経験もあり下級生でもこなれている。セブルスがそうであったように、魔法界に馴染みの浅い子はそれと悟られないよう徹底的に避けている可能性も高いけれど。
それぞれの飛び方をざっと見てから、ラクランもウィスプに運んでもらった愛箒で浮上し素早く周囲を旋回した。
「みんな一通りは乗れるようだから、もっと実践的な練習を一つ提案するよ」
低空飛行のまま、四角形を作らせて素早くクアッフルでパス回ししてもらう。サッカーでは定番の練習方法、鳥籠のクィディッチ版だ。
「先生、パスだけしてても試合に勝てませんよ」
「そりゃあそうだね。でも考えてみてくれ、いいパスってのはなんだろうか?」
パスの受け手がマークをかわす動きをする必要があるし、出し手も味方の位置や敵の位置を把握する必要がある。ゴールだっていわばリングへのパスだと言える。オフザボールの動きはもちろん、試合を決定づける全ての動きを内包しているのがパスだ。
彼らはプライドも高いしこっちを完全に見下してかかっているけれど、馬鹿ではない。思い当たることがあるはずだと言う期待をこめて生徒たちを眺め渡してから、ラクランは声を張った。
「今回の敵役は私がやる!自信があるなら、私にカットされずに10回パスをやってみてくれ」
「先生、ご存知でしょうけど、クィディッチはボールが三つあるんです」
「ああ!全くその通り。ブラッジャーもつかうとも、ビーター二人にはいつもどおり仲間の援護と敵の妨害をやってもらう。ただし、スニッチは練習時間のコントロールが難しいから、シーカーには5枚のクヌート硬貨を見つけてもらおうと思って、さっきの旋回中に空中へ撒いてあるよ。じゃあはじめ!」
ケースから外してヒョイと放ったブラッジャーが自分の方へ戻ってくる。それを箒上でかがんで避けると、強張った顔をしていた小柄な男子は舌打ちして動き始めた。
徐々に全体の高度を上げ、実際の試合のように競技場を移動しながら鋭くパスを磨いていく。ラクランはパスを切る以外に、出し手に対して正面から接近したりタックルを軽く入れたりしてプレスをかけた。
思い通りのラインに蹴らせないテクニックというのも山ほどある。そうして甘くなったところをいただいていく。一番大柄な生徒の目の前で奪って見せると、目をまんまるに見開かれた。
チームから肩を頼りにされているのだろう、プレスをかけるとすぐにロングボールになるが、雑なコースに投げたところでパスミスが起こって、こぼれ球からかえって危険になるだけだ。ラクランはごく小さな動作で方向転換をしては、素早くマイボールにするのを繰り返した。最初のスカした態度が嘘のように必死で追い縋ってくる。みんな玉のような汗を浮かべていて、夕日を受けて顔が輝いていた。どんなにすかしても、この子達はやっぱりクィディッチが好きなんだ。それがわかってただ嬉しかった。
「さあかぼちゃジュースをどうぞ!冷やしておいたよ。回復のためにもこういうのもちゃんと準備するといい。かぼちゃがもったりするなら今度からギリーウォーターとかを頼んでもいいな」
「ぶ!なんだこれ、しょっぱい??」
真っ先に手を出したのはキーパーであんまり動いていなかった大柄な少年だ。
「みんなは汗をいっぱいかいたからね、甘ったるいだけでなく塩分の補給も必要だよ。君はえーっと、ミスター・シャフィク?」
「はい、アーノルド・シャフィクです。サブキーパーだけど......」
「どうして君は今日汗をあまりかかなかった?」
「ゴールを狙う動きは少なくて、キーパーの出番は少なかったから......」
「キーパーも貴重なプレイヤーだ。ブラッジャーやクアッフルに触っちゃいけないなんてルールはないし、視界を遮ったりロングパスで関与するのも大事な役割だよ。今度は君もいっぱい汗をかこう!」
「はぁ......サブですけど」
それからラクランは冷やしたカボチャジュースをがぶ飲みしてる一番大柄な生徒に歩み寄った。チェイサーだし、一番上級生だろうとアタリをつけた。
「すまないが君の名前は?」
「ロウルだ」
「ロウル、君は今日のチェイサー陣の主砲だった。パスは連続で何回続いたか覚えている?」
髪や眉の色素が薄くて眉間に皺を寄せているからコワモテだが、存外素直なのは鳥籠中のプレイングでわかっている。予想通りふるふると子供っぽい仕草で首を振った。
「どこからどこへ、今誰がいるのか把握するのは重要だ。君はいい肩を持っているんだから、味方の位置やパスが繋がってるかどうかの意識ですごく伸びるよ。強い力こそうまく使わなくては」
「でも俺はスタメンじゃない」
「そうなのか?5年生か6年生じゃないの?」
「今日は5、6年の先輩方は誰も参加してない。俺たちはベンチメンバーです。上級生もどっかから見てます」
「君が4年生なのは驚きだけど、上級生がいないのはわかってたよ。お眼鏡に適うといいんだけど」
「なんで先生はそこまでするんだ」
「君たちと同じクィディッチ好きだからだ。一歩間違えれば怪我のリスクもあるけど、楽しい競技だろう。私の知識でそれを防いで長く楽しくプレーしてもらえるなら、こんなに嬉しいことはない。ついでに勝てたら最高だな」
もちろん淡い期待は抱いていた。学生時代は知らなかったトレーニング方法や怪我対策、サッカーやラグビーの試合の考え方はたしかにチームに良い影響をもたらしている。マグルとの生活を誰しもが当たり前にし、受け入れろというのは難しくとも、今のようにマグルに関わるあらゆる情報を締め出して禁忌のように扱う状況が改善するきっかけになったら、と。
関係改善のためにもまずは結果だ。嬉しいことに生徒たちは監督者がついて修正を加えやすくなったことで、効果的に反復練習を重ねてものすごいスピードで成長した。
しかし、天才はいるのだ。
「あの赤毛......ウィリアム・ウィーズリー君の弟か?兄弟揃って優秀だな」
ラクランは手のひらに爪を食い込ませる。隣に座っているスネイプもフーと大きな鼻から盛大に息を吐いた。
クアッフルとブラッジャーは完全にスリザリンが保持していた。素晴らしい精密なパスワークとギリギリファウルにならない狡猾なチャージで、うまくボールを奪えないグリフィンドールは狙い通り何度もマダム・フーチに笛を吹かれていた。
しかしクィディッチにはもう一つのボールがある。
完膚なきまでにチームメイトがボコボコにされるのを尻目に、縦横無尽にボロ箒で競技場を駆け回ったウィーズリーはビーターに付け狙われてもものともせず、輝かしい笑顔でスニッチを掴んだのだ。
110-150。スリザリンはグリフィンドールに一つのゴールも許さなかった。しかし、あの天才一人に負けたのだ。前代未聞のスコアだが、負けは負け。ラクランは選手たちに拍手を送り、声をかけるために立ち上がる。
そこで違和感に気づいた。
「おい、ロウルはどうした?」
金髪のロウルは遠くからだと表情が余計にわかりづらい。いつもちょっとぼーっとした生徒だが、いかにスタメン一発目の敗戦とはいえ足に力がなさすぎる。同じく退場を始めていたスネイプが隣でめんどくさそうに振り返った気配を感じる。視線の先で、不意にロウルは顔面から倒れた。
「ロウル!」
ラクランは無言呪文で観客席を蹴って飛び出した。その瞬間は着地のことを考えていなかったが、ほとんど無意識でかけたレビコーパスがうまく作用したらしい。着地して芝を巻き上げながら激走する。グラウンドではスリザリンチームが辺りを囲ってうつ伏せに倒れたロウルをひっくり返したところだった。
「先生!」
「開けてくれ、ロウル!大丈夫か!?」
目を見開いているが反応はない、肩を叩いても、胸骨を拳で擦ってもダメ。正常な呼吸もなし、頸動脈に手を添えて、一つ息を吸い込む。脈の振動を指では感じられなかった。意識を覚醒させたところで、心臓がおかしいんじゃ血流を無理やり脳に持っていかれて心臓に負荷がかかる。心臓の詳しい状況が知りたい。
「アナプニオ――気道を開いても呼吸はなし」
心臓の上にしっかりと手をおいて、なんとか振動が感じられないか探る。ダメだ、わからない!
とにかくマッサージをしよう。ラクランは意を決して手の平を重ね、思い切り胸骨圧迫を始めた。
「先生!何を」
「君はマダム・ポンフリーを呼んでくれ、席にスネイプ先生がいるから。マダム・フーチ!ハンカチ越しで息を吹き込んでください。俺がやり方を見せますから!ロウルは心臓がちゃんと動いてない。息を取り込めないと命が危ない......チェイサーのみんな、客席から見ててわからなかったがロウルが胸を強く打ったような場面はあったか?」
「わかりません!でも接触プレーはたくさんありました。肩が入ったりはしてたかも」
「そうか......ハンカチありがとう、おれがやるのをみんな見てて」
手のひらで額を抑え指先でロウルの鼻を摘み、ハンカチごと下顎を前へ引っ張り出して気道を改めて確保する。息を吹き込めばきちんと胸が浮き上がるのが見えた。2回やってまた胸骨圧迫に戻る。
「今度はマダムフーチ、お願いします。おれはまだやれるけど圧迫も精度が落ちるからしばらくしたら交代だ」
「ケイヒル先生!」
セブルスがマダム・ポンフリーを連れてきてくれたようだ。
「先生、状況からロウルは心臓震盪を起こしているようです。心臓を圧迫して無理やり血液を送り出していますが回復しません。何か手立ては」
「ど、どうしたらいいかしら?!骨折や打ち身なんてあっという間に直せますけど、心臓なんて!!げ、元気爆発薬は?!」
「それはいけません!外から強い刺激を受けて動き方がおかしくなっただけで、ロウルは健康そのものです。痙攣してるんです!」
「じゃ、じゃあグレイシアスで急冷するのは」
「そういうことであれば効くかもしれんが遅すぎますな。ケイヒル、何かあるなら早く言え」
「......マグルの治療法に、電気で衝撃を与えるものが、あります。一度おかしくなった心臓を止めて、きちんとしたリズムで動かし直すんです。マダム・ポンフリー!私が彼にやっても良いですか」
「電気だと?どうするつもりだ」
「そこはそれ、気象呪いで......悪いシャフィク、変わってくれ。骨が折れても死ぬよりマシだ。しっかり真上から押し込むんだ。同じテンポで」
キーパーを務めた6年生のシャフィクはロウルと同等の体格だ。頷いたのを見てラクランはまた2度息を吹き込ませ、圧迫を再開してもらう。
様子を見ながらロウルのユニフォームに杖をそわせて真ん中で切った。汗ばんだ体を手早く拭き、指から素早く婚約指輪と結婚指輪を外して上体の対角線にそれぞれ置く。
「マダム・ポンフリー、校医としてご許可を!」
「......はい、ケイヒル先生が生徒の治療を目的に電気で衝撃を与えるのを許可します!」
「ありがとうございます、みんなロウルから離れて!
メテオロジンクス・トネール」
ラクランの振り上げた杖先から渦巻く黒々とした雲が湧き出し、雲の中を這い回った雷が狙い通りロウルに置いた指輪に落ちた。すぐさま指輪を払いのけ、また胸骨圧迫を再開する。
「またハンカチをあてて息を吹き込む用意をしてくれ!戻ってこい、ロウル!」
ダンブルドアもやってきて、ラクランの付け焼き刃な気象呪いのかわりに2度目の雷撃を浴びせた。それから何度かまた交代して、やっと心拍が戻ってきた。
「ハア、ハア......まだ呼吸は戻っていませんが、マダム」
「ええ、ええ!呼吸を助ける道具ならあります。胸骨の骨折もね!すぐに搬送しましょう」
マダム・ポンフリーが空に浮かぶ担架にロウルを乗せぶっ飛んでいく。クィディッチ選手たちよりも汗だくになったラクランはぐったりと芝の上に寝転んだ。
「心拍は一度戻ればまず、大丈夫です。よかった......本当に......」
マダム・フーチとダンブルドアが周りの生徒たちを追い立てる声を遠くの方で聞きながらラクランは独り言をこぼす。一緒にいいプレーをしていたスリザリンチームも、ボコボコで足掻いていたグリフィンドールチームも寝覚が悪い。何よりロウルは気合を入れて一生懸命プレーをしただけだ。命が助かって本当に良かった。
チャリ、と耳元で金属音がして目を開く。
スネイプが散らばっていた指輪をまとめて置いてくれた音だった。あんまり仏頂面なので力ない笑いがもれる。
「ロウル家に手紙を出さなくて大丈夫ですか?寮監」
「マダム・ポンフリーからで十分だ」
「ということは呼吸ももどった?!意識も戻りそうなのか!ああ、よかった...!」
「......雨が来るぞ」
週末に高学年の学生たちに交じってホグズミードへと繰り出した。すでに冬が近づいていて、足元で霜がザクザクと鳴る。昨日の夜はしゃらしゃらと冷たい雨が降っていた。
「お!先生、今日こそ奥さんとマダム・パディフットですか」
「見られていたか......今日はホッグズ・ヘッドに顔を出しに行くんだ。それにマダム・パディフットの店はもっと若い子向けだからねえ」
「えー奥さんかわいそう!」
ませている5年生たちに取り囲まれてラクランは思い切り渋面をつくった。
一応奥まった席にしていたけど、ばっちり目撃されていたようだ。ハニーディークスに買い物に行くというイザベラと時間を合わせて、至って真面目にナンシーのクリスマスプレゼントについて打ち合わせをしていたのだから恥じることはないけれど......。
「今日は友人と待ち合わせさ。それに君たちもせっかくのデートに先生がいたらみんなも気まずいだろう?」
「先生ならいいのに!減点とかしないでしょ」
「そりゃ校外だし......」
「先生!ハニーデュークスで差し入れ買ってください!」
「グリフィンドール戦に向けて頑張ってるからなあ、今日の夕方練にみんな来てくれるなら、差し入れするよ」
「約束ですからね!」
茶化してくるスリザリン生たちに苦笑してあっちへ行けと手を振る。
ホッグズ・ヘッドに足を向ければ、賑やかな子供の声はあっという間に離れていった。
ラクランがアランと住んできた小屋のような懐かしさのある重たいドアを開け中に入ると、パイプの煙とアルコールの匂いが充満して重たくなった空気が体を包む。ガヤガヤとあちこちから飛んでくる声に曖昧に微笑みながら目で合図をして、人の波をかき分ける。
カウンターから離れた柱の陰で濃い紫色のフードをかぶって俯いている姿を見つけた。
「アークタルス?」
そっと近づいて、その目の前の机に手を置く。迷ってミドルネームで呼びかけた。
「ああ、ラクラン」
いつもの通り顔を上げたが、レギュラスの目は途方に暮れていた。
「こちらは概ね順調だ。今日は君とどの話を彼に持っていこうか相談するつもりだったけれど」
ラクランは手でホッグズヘッドの主人へ適当に注文して、椅子を引き、レギュラスの顔を覗き込む。
フードをかぶるくらい隠匿の必要性をわかっているのに、なんの注文もしていない時点で異常事態だ。彼はもう立派な大人であるし、自分以上に各国を飛び回っていたというのに、小さく震える子供のように見えてつい肩に手を伸ばしてしまう。
「一体どうしたんだ、何があった?」
瞳をうろうろと動かしたのち、何度か口をパクパクと動かして、レギュラスはやっとのことでひび割れた音を出した。
「母上が、亡くなった」
真面目に先生やってるだけじゃないんだよ回でした。
・スネイプ先生、表面上はバリバリ元気に教授をしていますが、それこそがスネイプの為人を少しでも知る人たちにとっては異常に写ると思っています。ダンブルドアとスネイプがどんな取引をしているか突き止められるか?そして共闘ができるか?探り中です。
・トンクス 不器用元気で大好きな人物です。映画版の衣装が好きなのと、怪我防止のグローブしてて欲しい......。
・ラクランの守護霊 ずっと生まれてきてよかったのかとか戦争に巻き込まれていく最中守ってもらう側だったことで守護霊を出せなかったラクランですが、身辺が落ち着いたので心を整頓できたようです。クー・シーはざっくりいうと妖精丘を守る妖精犬です。
・クィディッチの指導と救命 教員として頑張るよ!アピールに競技経験を使用。映画の印象ですがスリザリンはラフプレーはもちろん連携技が相当上手い印象です。この頃からグリフィンドールはチャーリーが活躍しても寮対抗優勝から遠ざかるので、実際各寮の戦略は大事だと思います。
心臓震盪は強い接触などが多い球技ではとくに若年層でままある事例です。ホグワーツ電化製品使えないのですが、AEDは結構な電圧なので魔法の雷に撃たれてもらうことになりました。