ようこそ純愛過激派の教室へ 作:妄想癖のメアリー
6日目の朝。蒸し暑さから目覚めたオレは、熱気が立ち込めるテントから逃げるように飛び出した。外に出た瞬間その蒸し暑さが人の熱気によるものではないことを理解した。
「……大分降ったな」
どんよりとした灰色の曇り空に、夜中に一度雨が降ったのか所々に水溜りやぬかるんだ地面があった。本格的に雨が降り出す気配が漂っている。昼過ぎからはかなり怪しいだろう。試験終了目前にして天候は荒れ模様だった。小雨程度であれば気にすることもないが、場合によっては大雨や強風も考えられる。最悪のケースを想定して動かなければならないかもしれない。
「随分早い目覚めね。綾小路君」
これから取るべき行動について考えながら川で顔を洗っていると、後ろから堀北に声をかけられた。
濡れた顔をシャツで拭い振り返る。昨日はかなり顔色が悪かったが、ある程度回復に向かっているようだ。
「おはよう堀北。大丈夫か?」
「ええ。多少寒気や気持ち悪さは残ってるけど、特に問題は無いわ」
「そうか」
時計を確認すると時刻は朝6時を回ったところ。堀北がこの時間に起きてきたのは、恐らく寝付いた時間が早かったからだろう。食事を終え、症状が出始めたのが8時頃で、そこから1時間経たない時間には眠っていただろうからな。
リタイアさせずに胃の中のものを吐き出させることで治療を行ったが、特に問題が無いようで安心した。
「……まさかこのタイミングで食あたりを起こすなんてね。情けない話だわ。軽井沢さんの下着の件もそうだし、あそこでリタイアしていたら取り返しのつかないところだった。ありがとう、綾小路君」
堀北は毒を盛られたことに気が付いていない。それを考える余裕もなかっただろうし、落ち着いてからは説明する暇もなかったから当たり前だ。珍しく素直に頭を下げる堀北に対し、今オレの中では2つの選択肢が浮かんでいる。
前日九条と葛城に話した内容を堀北にも説明するか、それとも事が終わるまで黙っているかだ。
「……何か言ったらどうかしら。私が素直に感謝することがそんなに意外?」
「いや。そういうわけじゃない。だからその右手を下ろしてくれ。病み上がりなんだからな」
沈黙に恥ずかしさを覚えたのか、堀北は右手を上げながら怒りを表明し始めた。昨日あれだけのことがあったと言うのに、全く元気なことだ。
「……そうね。今回ばかりは見逃してあげる」
だが隠していても疲労は溜まっているはずだ。でなければここまで大人しく引き下がるはずがない。
……これから堀北にやってもらうことを考えれば、きちんと説明をするべきなのだろう。しかし、それがかえって彼女の心理的な負担を増やし、作戦が失敗するきっかけになるのではないかと考えてしまう。
「ああ。是非ともそうしてくれ」
なんだかんだ堀北は良き隣人……いや、友人としてこの4か月間を共にしてきた。そんな彼女を、ましてや病み上がりの状態で動かしても良いのだろうかと、葛藤している自分に驚きつつもそう考えてしまう。
ここに入学する前のオレならば迷うことなく堀北を使い、状況を有利に進めていたのだろう。しかし、それをすれば間違いなく堀北や九条との関係性は破綻してしまう。
こんな葛藤、『あの男』が見れば弱さだと鼻で笑うだろう。……思い出せ。オレがこの学校に入学したのは一体何のためだ。
「……綾小路くん?」
仮に、このまま龍園に対して敗北を喫するような結果となり、それを不服に思った茶柱先生に脅されでもしたらどうなる? それこそオレの望んでいた、普通の高校生としての生活は成り立たなくなるだろう。
ならば、ここで堀北には何も言わず、こちらが全て裏で仕組めばいいのではないか? 堀北との関係性が悪化しても、茶柱先生への密告を防ぐ手段はいくらでもある。
そうすれば、オレは晴れて平穏な生活を取り戻し、一般生徒としての生活を送ることが出来るだろう。犠牲は友人を2人失うだけ。残りの時間で新しく作ればいい。
────この世は『勝つ』ことが全てだ。過程は関係ない。
……ああそうだ。何ら問題ないはずだ。
オレは、これまで通り自分のやり方で勝利を収めればいい。わざわざ作戦の成功率を下げる必要がどこにある?
悩むな。それは結果として、自分の首を絞めることになる。
────どんな犠牲を払おうと構わない。最後にオレが『勝って』さえいればそれでいい。
小さなころから刷り込むように言われ続けてきた言葉が、オレの脳裏に焼き付いて離れなかった。
結局、オレはこういうやり方でしか前へ進めないということだろう。既にオレの意志は病み上がりの堀北をさらに苦しませ、自身の勝利のための道具として使う方向に舵を切っていたのだから。
一度そう決めてしまえば、もうそこに葛藤が生じることは無かった。
そんな自分に対しての自嘲の念を浮かべながら、オレは目の前に立つ堀北を見つめ……て?
「熱はないみたいね。とうとう暑さで頭がやられたのかと心配したわ」
堀北は背伸びをして右手をオレの額に、もう片方を自身の額に当てていた。身長差からこちらを見上げるような形になり、その距離も必然とかなり近くなる。何ならもう一歩近づけば体が密着するほどの距離だし、顔も拳一つ分の距離しか空いていない。
「お、ちょまっ」
「きゃっ」
急いで離れようとしたせいか、ぬかるみに足を取られて後ろ向きに転んでしまう。
咄嗟に堀北の腕を掴んだが、突然自身よりも大柄な男の体重を弱った堀北が支えられるはずもなく、そのまま一緒に倒れ込んでしまう。
「痛たた……」
どうやら転んだときに強打したのか、じんじんとした鈍い痛みが背中と腰を襲っている。
遅れて胸あたりから柔らかい感触を感じ取り、その元を確認するため視線を上げる。
「……離してくれないかしら」
「ん? ……おわっ!?」
視線を上げると先ほどよりも数段近い……何なら鼻先がくっつくであろう距離からこちらを睨みつける堀北が見えた。……お互い薄着のためか、堀北の体の感触がモロに伝わってきて色々とマズイ。
慌てて後ろに下がった俺に対し、堀北は呆れたようにため息を吐き立ち上がる。
「そこまで大げさな反応をされると、こちらとしてもリアクションに困るわね。熱が無いのなら、何か悩み事でもあるのかしら?」
「はっ……?」
怒られるかと思っていたが、予想に反して堀北はオレを心配ように語りかけてきた。
「あなた。一昨日あたりからろくに眠れていないでしょう? 目の下の隈、酷いわよ」
「なっ」
体調管理はしっかりしているはず。現に調子が悪い点は1つも見当たらない。……悩み事があったのは事実だが、見抜かれただと?
無意識のうちに目の下に手を当てたオレを見て、堀北は口角を上げて続けた。
「ちなみに目の下の隈については嘘よ。でもその様子じゃ、私の予想は当たっているみたいね」
「……」
オレは一体どうしてしまったんだろうか。堀北のカマかけに気が付かなかった。……それもそうだが、堀北から言われるまで自身の不調に気が付かなかったのが大きな問題だ。
「試験で何か憂慮する点があったのかしら? だったら共有してもらわないと困るわよ」
「……別に、そういうわけじゃない」
「そう。だとしても打ち明けるべきだと私は考えるわ。私はあなたの上司として、あなたに気を配る義務があるんだもの」
「誰が部下だ。誰が」
反射的に言い返して、初めて堀北がこちらを心配するような表情で見ている事に気が付いた。さっきの言葉は、堀北なりにオレを案じてくれたということだろうか。
「……だが、まあ……その、何だ。お前のお言葉に甘えるとするか」
……何と言うか、そんな堀北を見ていたら、先ほどまで考えていたことが馬鹿らしくなってしまった。
平穏な学生生活だのどうこう言う前に、オレは大切なものを見失っていたのかもしれない。不器用なりにオレを心配してくれた堀北以上の友人が、この先の学生生活で見つかるなんて保証は無い。というより、多分見つからないだろう。
だったら、オレは堀北を少しだけ信じてみることにする。もし仮にそれで敗北したとしても、未来のオレが何とかしてくれるはずだ。
「そうして頂戴。さもないと茶柱先生に報告させてもらうわよ。私に抱き着いて無理やり体をまさぐった事も含めてね」
「おい! 捏造にもほどがあるぞ!?」
オレは抱き着いてもないしまさぐった記憶も無いぞ!? ……全く。素直じゃない奴だ。……って、それはオレも同じか。
地面に手をついて起き上がり、尻や背中に付いた泥を手で払る。泥を払った後も湿った感触を感じるが、後で乾かせば問題ないだろう。
「ここじゃ話せない。今のやり取りで誰が起きて来るか分からないからな」
「そう。言っておくけど、『九条に惚れてしまったんだが』なんて言われても、私は何もできないから」
「あのなぁ……」
もはや抗議する気力も沸かなくなってしまった。というより、度々弄ってくるのは何なんだ? オレを九条に取られて案外嫉妬してたりするのか? ……こいつに限ってそれは無いか。
そんなやり取りをしながら、キャンプ地から少し離れた川辺に腰掛ける。
「冗談よ。で、何に悩んでいるのかしら? くだらない事だったらお預けした右手が戻ってくるわよ」
「いや、多分大丈夫だ。結構な問題だし」
「ふーん」
敢えてハードルを上げるように前置きをしたが、きっと堀北は良い反応を見せてくれるはずだ。
「お前の体調不良。食中毒じゃなくて食事に盛られた毒が原因だぞ」
「……えっ?」
────────────────
試験開始6日目の夜。点呼と食事を終えたAクラスは、各自自由な時間を過ごしていた。
と言っても外はもう暗いし天気は荒れている。こんな状況ではキャンプファイヤーすら出来っこない。激しく降る雨の音を聞きながら、洞窟の中でぐったりと過ごす位しかやることが無かった。
そんな中俺は1人、洞窟の入り口であるブルーシートの外側に座っていた。この洞窟は軒先の様に上が出っ張ってるため、雨に打たれる心配もない。
ジャージのポケットに手を突っ込みながら時を待っていると、不意に後ろのブルーシートがめくれ上がった。
「こんなところで何してんだよ」
外に出てきた生徒は橋本君。この試験中何度もお世話になった生徒の一人だ。
「少し外を見て落ち着きたくてね。雨の音ってちょっと落ち着かない?」
「まあ、言いたいことは分かるけどよ。お前でも落ち着きたくなることあるんだな」
「その扱いには文句を言いたいところだけどね……」
失礼な言い草だ。
「で、橋本君はどうしたの? トイレ? それとも……────俺個人に用があるのかな?」
ポケットからキーカードを取り出しひらひらと見せると、橋本君は観念したように二度笑い、隣まで足を進めてきた。目と鼻の先では、バケツをひっくり返したような強い雨が地面を打ち付けている。
「ははっ、全部バレてたのかよ。……ったく、お前も大概意地が悪いな。姫様の馴染みなだけあるぜ」
「濡れたくないから、なるべく手短にお願いね?」
そのまま濡れることを気にすることなく洞窟から出る橋本君。そんな彼に一言声をかけ、俺はその後ろを付いて行った。
森に入る直前に振り返ると、いつの間にか神室さんと鬼頭くんの2人が、俺を囲う様に合流していた。
「そんなことしなくても逃げないよ。ずっと外で待機するの、大変だったんじゃない?」
びしょ濡れになりながら、ジッとこちらを睨んでくる神室さんに声をかける。
「……うるさい。あんたは黙ってて」
「はいはい」
どうやら穏やかに会話ができる雰囲気じゃ無いようだ。仕方がないため大人しく前を歩く橋本君について行く。
そこから数分程歩き、森の中でも比較的木が無く見通しの良い場所へと出た。どうやら先客がいたようで、見知らぬ生徒3人の視線が一斉に俺へと向いた。
「予定通りだな。お疲れさまでした橋本君」
「……はいよ。手短に頼むぞ。風邪ひきたくないんでね」
他クラスの生徒が居るのにもかかわらず、橋本君が取り乱す様子はない。ここから考えるに、俺は彼らにハメられたということだ。
「悪いな九条。だがお前がキーカードを手放さないのが悪いんだぜ? 本来ならもっとスムーズに行くはずだったんだからな」
「初めまして九条くん。僕はCクラスの金田と申します。まあ、ここまでボロを出さなかったあなたなら、何となくこの状況を察していると思いますが一応……」
金田と名乗った生徒は、ポケットから取り出したデジタルカメラを手渡してきた。どうやら何かを表示していたようで、真っ暗な森の中に画面の光が明るく光っている。
デジカメを受け取り画面を見る。驚いた様子の俺に、金田君は笑いながらこちらに語り掛けた。
「────あなたのご友人である堀北鈴音、綾小路清隆の身柄は私たちが確保しました。解放してほしければ、あなたが今持つキーカードを渡してください」
画面に表示されていたのは、両手足を拘束された状態で横たわっている、綾小路と堀北さんの写真だった。
とうとう分からされる時がやってきたみたいです。