一点の光もない暗闇の中に巨大な牢獄。
足元には水。
ぱしゃっと足を進める度に跳ねて、太い鉄格子を視界に収める。
「おい。お前はいつもそれだな」
やぐらは自身の深層意識へ入り込み、牢獄の向こうへ語り掛ける。
山の如く、見上げるほど巨大な亀の甲羅が鎮座していた。中身は居るはず。しかし外へ出てくる様子は微塵も見られない。
どうしようもない引きこもりだ。かつてやぐらはそう言った。
「俺との対話を拒んで、チャクラを強引に取られても何も言い返さなくて、自分は無関係みたいな態度で無視し続ける。封印されてからずっとそうだ」
やぐらの言葉には応えず、山は背を向けて沈黙を続ける。
ただでさえ機嫌が悪そうな顔がさらにムッとして、それでもやぐらは声をかけた。
「まあいい。お前がそういう奴だってことを、俺は覚えてるさ。お前に聞きたいのはそこだ。ここに居る俺は本物か? それとも偽物か?」
三尾は答えず、沈黙を続ける。
「あいつ……トビの発言が嘘か本当かはどうでもいい。正直、俺が本物か偽物かも、今この世界の情勢がどうなってるかもどうでもいいんだ。ただ俺は、今の俺がもう忍の世界と関わりたくないと思ってることだけはわかってる」
やぐらの目には覚悟があった。三尾がそれを確認することはなかったが、誰かに相談する前から自分一人で決めている。
もう誰の言いなりにもならない。自分の自由意志で生きる。
そのための第一歩として三尾の下へ現れたのだ。
「俺の願いは、あいつが言った通り、人柱力の里を作ることだ。ただしあいつの思惑に乗るつもりはない。俺が、俺たちが自由に生きるために里を作る」
メラメラと燃え上がるような衝動。そうしなければならないと強く思っている。
やぐらの中にあったのは言いようのない怒りだ。
「隠れ里は人柱力を抑止力として利用してきた。その人柱力を一所に集めれば、たとえ対処が面倒になろうが敵視されようが、連中にとって最悪の意趣返しになる。どうせ戦争になる可能性が高いなら徹底的にやってやればいい」
彼の態度からは、忍と隠れ里を信用していない様子がありありと伝わってきた。或いは五大国をはじめとした世界のあらゆる人間に対して強い不信感を抱いている節がある。
三尾が黙っているため、その空間にはやぐらの考えを変えさせる存在はなかった。
「お前に協力する気があるなら、多少言うことを聞いてやってもいいとは思っていたが……」
どうやらその考えは無さそうだ。
ほとんど待つ素振りを見せずにやぐらが踵を返す。
「お前がどう思おうがチャクラは奪える。どの道、もう俺を止められる奴も、俺を縛る奴も居やしないんだ。これから俺は自由に生きる」
やぐらがその空間を後にしようとしたその時、小さく覇気のない声が聞こえてきた。
「君は……本当の君は、もう死んでる、よ」
「……フン。喋れるじゃないか」
再び踵を返したやぐらは、もぞっと動いた山のような甲羅を視界に捉えた。
静かな泉の水面はぴたりと静止している。
そこへ足を踏み入れ、水面に触れるが、沈むことなく反発するようにその上へ浮かぶ。両足を置いて水の上に立った。
人間が持つ身体と精神のエネルギーを組み合わせて練った“チャクラ”を足に集めているのだ。
忍はチャクラを用いる手段を学び、訓練して、チャクラを用いて様々な術を扱う。
水面に立ったナルトは今もなお赤いチャクラに全身を包まれていた。しかし深い悲しみや怒りが入り混じって乱れていた当初とは違い、現在はいくらか落ち着いている。
それでも赤いチャクラを仕舞おうとしないところに、人間への不信感を感じるが、すぐ傍に居るやぐらに対しては心を開きつつあるのは明らかであった。
「チャクラにはそれぞれ生まれ持った性質がある。火、風、土、雷、水。基本的にはこれら五大性質の中で少なくとも一つくらいは自分が得意とする性質があるものだ」
修行を始める。そう言われてナルトは素直に従った。
まだ気が晴れたわけではないが、何もしないより修行に打ち込んでいた方が気が晴れる。そんな理由でやぐらの指示に従っているのである。
ぼんやりした顔のまま動くナルトを、やぐらは腕組みして眺めていた。
「すでに俺のチャクラを水に混ぜ込んである。まずはその九尾のチャクラを解け」
「え? でも……」
「心配しなくてもお前を傷つけるつもりはない。そもそも、俺が本気を出せば、いくらお前が九尾のチャクラを纏っていようが問題なく仕留められる。これでも元水影だぞ」
本来の性格、そして普段の彼ならば、理由などなくとも反論して噛み付いたことだろう。しかし現在のナルトは困った顔をしただけで、そんなことはない、などとは一度も言わなかった。
無言のまま水面を見つめ、ふうと息を吐く。
自らを包んでいた九尾のチャクラを、自分の中に押し込み、ようやく彼本人が空気に触れた。
「水の中に自分のチャクラを流し込んでみろ。お前の性質がわかる」
「どうやって……?」
「チャクラを練って、ただそこに手を入れればいい。お前に器用さは期待してないさ。それだけでちゃんと感知する」
詳しいことはよくわからないが、言われた通りにやってみた。
両手を組んで印を結び、チャクラを練る。
身体エネルギーと精神エネルギーが混ざり合い、自分のチャクラが生まれたのがわかる。
膝を折り、ナルトは水面の上でしゃがみ、水の中へ右手を差し込んだ。
途端、静かに、だが確かに波紋が広がっていく。それは水面だけでなく水中でも同様に、ナルトを起点として水の流れが生まれて円状に走っていった。
何らかの反応があったことを認め、ナルトは目を丸くしてやぐらに振り返る。
「お前は風遁に適正があるみたいだ。それじゃあ、風遁の修行を始めるか」
やぐらがにこりと笑った。
見た目は若く、子供に間違われてしまいそうだが、そうして指導する態度は大人のそれ。自信と余裕が感じられて不意にハッとする。
「あのさ、オレ、なんで修行してんだ? やぐらは、なんでオレに付き合ってくれんだ?」
「俺はこれから人柱力を集めて、新しい里を作る。そこにはお前が必要なんだ」
考える暇もなくあっさり答えられる。
ナルトの反応は乏しく、いまだに元気はない。まだ本来の調子を取り戻したとは言えなかった。
そんな態度は気にせずにやぐらは淡々とした口調で続ける。
「辛い経験をしたんだろう。だが生きろ。忘れろとは言わないが、メシを食って寝て、今日からただ生き続けろ。お前が自分の人生を諦めるのは早過ぎる」
その言葉を聞いて、ナルトは暗い顔で肩を落とした。
「お、オレは……あの時、初めて……死にたいって思ったんだ」
数日が経過し、いくらか落ち着いていたせいか、涙は出なかった。
それでもナルトは感情的になり、悲痛な表情で今にも泣きだしそうな顔をしていた。
彼の気持ちを正確に理解することはできなくても、大まかに察することはできる。人柱力として似たような経験があるだけでなく人生経験が違う。
口では人柱力を集めて里を作ると言っていたが、それはトビに言われてハッとした言葉。自分の意志でそうしようと決めたとはいえ、まだ口先だけの言葉だった。
やぐらがナルトを守り、導き、生かすと決意したのはこの瞬間だ。
里を作った時、長となるのは自分か、それとも別の誰かか。それはまだわからないが、少なくとも自分が誰かを導くことはきっと意味があるはず。
自らの生に意味を見出したのはきっとこの時。
今も喘ぎ、苦しんでいる人柱力を集めて、自由を与えること。
そしてもう一つ、必ずや彼らを幸せにしなければならない。そう悟ったのだ。
「ナルト、俺を見ろ。俺の声を聞け」
彼に歩み寄り、頬へ手を添えて自分に目を向けさせる。やぐらは真剣に語った。
「俺は絶対にお前を裏切らない。俺やお前を含めた人柱力全てが生きていられる世界を作る。辛く長い旅になるだろうが、絶対に諦めないぞ。約束する」
「……うん」
「お前の力が必要なんだ。今は苦しくても、生きろ」
悲しげな目をしていたがナルトは小さく頷く。
やぐらはにこっと笑い、まるで父親がそうするかのように、彼の頭を乱暴に撫でた。
トビに会ったやぐらは開口一番に自分の考えを伝えた。
「人柱力を集める。お前もそれを望んでるんだろう」
恐れはない。もうすでに決めたからだ。
迷うことなく言い切って、トビが反応するよりも早く次の言葉を吐き出した。
「お前が何を考えていようと、現状俺とお前が欲する物は同じだ。ひとまず全ての人柱力を一ヶ所に集めるってところはな。その後でお前が何を企んでいようが関係ない。俺は人柱力たちと共に俺たちの里を作る」
「なるほど。それがお前の考えか」
「権謀術数、好きにやれ。俺はお前には負けない。俺の出自がどうであってもだ」
どうやらすでに察しているらしいと感じ取る。
その上でトビに動揺はない。
そうかとだけ伝えて、考えを変えることなく彼と向き合っていた。
「お前の信用が得られないことは悲しいが、本題に入ろう。今は行動で信じてもらうより他はないだろうからな」
「よく言う」
「人柱力を集めるのは俺の目的でもある。だがお前も察している通り、容易なことじゃない。当然隠れ里の忍は人柱力を奪われることを何より恐れているからだ」
暗い洞窟の中に、明かりとして数本の蝋燭が灯されている。
テーブルの上に大きな地図が広げられ、対面に立った二人が同時に覗き込んだ。
「まずは現状を確認しよう。人柱力はお前たち二人を加えて九人」
「ああ。一から九までの尾がある」
「こちらの手元には木ノ葉の九尾と霧の三尾が居る。ナルトは自分で逃げ出してきた。やぐらには説明した通りだ。これにより、木ノ葉の尾獣は失われ、霧隠れには六尾がある」
やぐらは厳しい表情で腕組みをして、フンと鼻を鳴らした。
「しかし実情として、木ノ葉同盟国……実質的には隷属だが、滝隠れに七尾がある。そして霧隠れの六尾の人柱力は脱走し、現在は抜け忍となって身を隠しているそうだ」
「となれば、霧隠れは当然六尾を捜索中だな」
「すでに行き場のない人物だ。先に見つけられれば仲間に引き入れることは可能だろう。もっとも六尾の人柱力、ウタカタは警戒心が強く、腕利きの忍だ。血継限界を持ち、尾獣の力は操れないが自らの意思で暴走させることができるらしい」
「詳しいな」
「この時のために情報収集を怠らなかった」
トビが持つ情報について、詳しい話をしようとはしなかった。少なくとも今は。
彼を探るのはおそらく骨が折れる。
同時に、今は同じ目的を持つため有益なのは確かで、今後敵になる可能性があるとしても、時間をかけて知る必要があると判断していた。
やぐらは現状の確認に関する話し合いを先へ進めようとする。
「六尾……ウタカタの所在地は?」
「まだわかっていない。調べたところ、ずいぶんな人間不信のようだ。一所にじっとしているとは思いにくいが、詳しいことはこれからになる」
「まあいい。強いことを信じて、捕まらないのを願うしかないな。それより他を優先しよう」
やぐらは乱暴な手付きで小型のクナイを、地図の外、テーブルへ突き刺す。
先程聞いた、地図に記された“滝隠れの里”へも一本刺した。
「岩隠れに四尾と五尾。四尾もかなりの人間不信で、里から離れた秘境に一人で居る。五尾は話がわかる人物のようだが、里の中で肩身の狭い思いをしながら暮らしている」
“岩隠れの里”に二本のクナイが刺さる。
「雲隠れに二尾と八尾。どちらも修行によって尾獣のチャクラを完全に操れるそうだ。里との関係も良好、完成された人柱力と称されている」
「完成? 強いってことか」
「ただ強いだけじゃない。どうやら尾獣と意思の疎通が行えるようだ。それにより、チャクラを奪うお前とは違う強みがあるのだろう」
やぐらが厳しい表情になり、ムッとした様子が窺えた。
“雲隠れの里”にはさっきよりも強めに二本のクナイが突き刺さる。
「砂隠れに一尾。里との関係性は険悪だが、最近少し変化しつつあるらしい。そして一応、砂は形式上とはいえ木ノ葉の同盟国でもある。人柱力の我愛羅はナルトとの交戦歴があって、今では友達になったそうだ」
「ナルトの……そうか。人柱力が友達か」
フッと笑い、果たして喜んでいいものかどうか悩むところだが、少しだけ安堵する。
“砂隠れの里”に一本のクナイが刺された。
「そして木ノ葉同盟国の滝隠れには七尾。滝は昨今、戦力の低下が著しく、なぜか反比例するように七尾の人柱力、フウは里一番と言えるほど強くなったそうだ。歳はナルトと同じ」
「なるほど……」
ざっと確認して七人と七体。ここにやぐらとナルトを足して九人と九体。
確認は終わった。次は今後の自分たちの行動を決める必要がある。しかしそれにしては情報が足りていないのも事実。
やぐらは個人に関する情報と、里の状況について詳細を聞く。
トビは、本当に多くの情報を保有している。個人での国家転覆が可能、とまでは言い切れないが上手く立ち回れば世界を引っ掻き回すことができるだろうと素直に思えた。
表情にはおくびにも出さないとはいえ、やぐらは彼に対する警戒を強める。
裏は取れている。やぐらは、自分の現状について正確に理解しているつもりだ。
その結果、トビは信用できない、という結論に達している。
「本当に、お前は何でも知っているんだな」
「これでも努力して調べたんだ。俺の目的を果たすために」
その言葉は本当だろう。だがその目的が何なのかはわからない。
「お前には以前に伝えた通り、俺たちは備える必要がある。この世界全てを守るためにはただの人間を凌駕する尾獣と、その力を操れる人柱力が必要不可欠。一所で集めて戦いに備えたいのは俺のアドリブだが、たとえ世界中を混乱させるとしても、そこまでする価値があると俺は思う」
以前にも聞いた。確かにその通りだ。だからこそ前と今では聞こえ方が違ってくる。
やぐらは表情をぴくりとも動かさないまま、真剣な様子で、その話に対して半信半疑だという態度を隠さずにトビの言葉を聞いていた。
「俺たちが迎え撃つのは“月の民”。月へ向かった人々はいずれ必ず地上へ現れる。その時、奴らを迎え撃つための力を、我々人類は用意しておかなければいけないんだ」
「ああ……わかってる」
その話が本当でも、嘘であったとしても、構わない。
自分のやるべきことはすでにわかった。今はただ、そのためだけに利用するのみ。おそらく相手もそれは織り込み済みで、決して不測の事態などではない。
やぐらは、腹の探り合いを良しとしているわけではなかった。むしろ腸が煮えくり返るほどに忌み嫌っていて、それは、トビから聞かされた自身の人生に起因するものだ。
これからはまさにその策謀・陰謀・嘘をつき合って騙し合う行為をトビとすることになる。
そうしなければ、以前の自分と同じ顛末になる。すでにそれを知っていた。三尾から聞かされたほんのわずかな情報を嘘だとは思っていない。
「協力的な奴からここへ集める算段をつけるぞ。まずは一尾と七尾、発見し次第六尾。可能であれば八尾と五尾だ。二尾と四尾は慎重に進める」
「七尾は俺が接触する。ナルトを連れてな」
「何?」
「ここでじっとしているより気が紛れるだろう。それに、性格的に合うかと思ってな」
「……フン、まあいい。わかってると思うが死なせるなよ」
「もちろんだ。そんなことをすればこの世界が終わる」
淡々と嘯くこの男に、今は殺意すら湧き出るが、しばらくの間は隠しておこう。
不承不承という態度で了解して、やぐらはこの場をやり終えた。