絶えず鳴り響く轟音と、川のせせらぎ。
何故か草むらの上で目を覚ました男は、辺りを見回して思わず呟く。
「どこだここ……」
眼前には大自然が広がっている。
ほど近いところに大きな滝があり、そこから流れ落ちる水の音が轟音の正体であった。
周囲には所狭しと木々が並び立ち、隙間から眩しい太陽が顔を覗かせている。
昨日は間違いなく自分の家で、リビングのソファで横になっていたはずだ。
何をしていたかはあまり覚えていないが、いつものように何もしていなかったのだろう。
しかしそこは問題では無い。
問題なのは何故こんなところにいるのか、というところだ。
ズボンのポケットを探り、携帯電話を取り出す。
液晶に映ったのは、5月15日の午前11時の文字。
昨日が5月14日で日付が変わる前に寝たのは間違いないから、おおよそ12時間の間に何かがあってこんなところに居るという訳だ。
「…いや、どう考えてもこうはならないだろ」
電波は圏外になっており、場所を調べようにも調べられない。
バッテリーも持つかどうか分からないし、時刻確認とコンパス以外での使用は避けることにした。
誘拐か?それともドッキリ?何かの事件に巻き込まれたのか?
考えうる限り、様々な可能性を考慮したがいまいちピンと来ない。
辺りを軽く散策していると、あろうことか崖に出てしまった。遠くの景色は、ただ木々が生い茂るだけでその他には何も無い。
どうやらここは山奥のようだ。
まずは、状況が確認できるように山を下りなくては。
単純な考えだが、川があるということは下流に向かって歩き続ければ着実に下へと向かっていけるはず。
運が良ければ山から下りられるかもしれない。
もし日暮れまでに下りられないようなら、一度もやったことはないが野営をすることになる。
大丈夫だ、暇さえあれば外国の屈強な人間が山奥でブッシュクラフトをする動画をよく観ていた。思い出しながらやれば何とかなるだろう。
そんなことを考えながら、とりあえず小一時間程川下に向かって歩き続けた。
いい運動になったと思えば幸せなものだが、川はまだまだ続いているようだ。
かの富士山では、山頂から五合目まで帰るのに4〜5時間は掛かると言われている。
こちらはそこまで急斜面でもなければ、川沿いをひた歩く程度のものだから富士山と比べるのはお門違いかもしれないが、およそ1400mを下るだけでもそれくらい掛かるということだ。
幸い、酸素が薄く感じることは無い。標高はそこまで高くないという事だろう。
ネットで少し齧った程度の浅い知識だが、ただ悲観的になるよりは知った風になって動いたほうが気が楽でいい。
色々と考え事をしていると、木々に遮られて見えづらいものの、前方に何やら人影らしきものが見えた。
これは僥倖だ。千載一遇のチャンスを逃す訳にはいかず、俺は人影に向かって駆け出した。
ある程度の距離まで近づいたところで人影もこちらに気が付いたのか、ハッとこちらを向き、驚いたような顔で見つめてくる。
人影の外見もようやく明らかになった。
やけに目立つから、蛍光服でも着ているのかと思ったが思い違いだ。
その女性はなんと不思議なことに、こんな山奥で中国風の衣装を見に纏い、頭には確か…シニヨンと呼ばれる装飾をつけていた。
右腕は怪我をしたのか包帯でぐるぐる巻きにされている。
髪もピンク色で、この場に全く似つかわしくないものだった。
「あの…あなたどうしてこんなところに?」
久々の疾走で体力を使いすぎて情けなく息を切らしていると、向こうから話しかけてきた。
「あぁいや…俺も何が何だか…分からなくて…ぜぇ…」
「と、とりあえず落ち着きましょう。座って構いませんから」
と、彼女が使っていたであろう丸太の切り株を指さされる。
川で釣りをしていたようで、すぐ側の岩には手作りなのか簡単な作りの釣竿が立てかけられていた。
「いや、大丈夫。お気遣いどうもありがとう」
「それは構いませんが…というか質問に答えてください。何故こんなところに?」
「…何故と聞かれても、こっちが知りたいくらいで」
と、事の経緯を伝える。
「はぁ…何も分からない、ということが分かりましたが…」
「すまない。でも事実なんだ」
「ふむ…あなた名前は?」
「
「私は
センニン…何か聞き間違いだろうか。
俺は昔から耳が遠いとよく言われていた。
珍しい名前だし、服装からしてもしかすると外国の方か?
怪訝な表情を浮かべていると、何か思うところがあったのか、彼女…茨木華扇は納得したように頷く。
「では、まずこの山から降りましょう。それから案内すべき場所があります」
「急で本当にすまない、助かる」
とりあえず悪い人では無さそうだ。
下山さえしてしまえば携帯の電波も繋がってどうにかなるだろう。
ほっ、と安心していると、岩に立てかけられた竿が揺れ動いた。
どうやら獲物が掛かったようだ。
彼女は考え事をしているのか気が付いていない。
「茨木さん、あれ…」
「え?あ!やっと!」
目を輝かせた彼女は、竿を握りしめると勢いよく引き始めた。
近くにあった木の桶の中には、水が溜まっているだけで釣果らしき物は何も入っていない。これが初めての当たりだったようだ。
長いこと待っていたのか、逃すまいと悪戦苦闘を繰り広げている。
その間に、もう一本の竿も揺れ始めていた。
よほど釣りたかったのか二本攻めらしい。
「茨木さん、こっちも掛かったみたいだけど」
「え?あっすみません、お願いしても!?」
余裕がないようだ。
仕方なく竿を手に取り、獲物を引き寄せ始める。
実はあまり釣りは得意では無い。
釣ること自体は問題ないが、暴れ回る魚を取り除くのが苦手なのだ。
勢いよく竿を引いて、一匹のイワナを釣り上げた。
なかなかいい大きさだ。
イワナは淡白な味の白身魚だ。5〜6月が旬で、唐揚げが特に美味しい。
渓流釣りじゃ結構有名で、渓流の王様なんて呼ばれている。
釣り上げたイワナを桶に入れ、また竿を川に垂らした。
彼女はまだ悪戦苦闘しているようだ。
そこに、俺の方の竿にまた反応があった。
餌もつけていないのによく釣れるものだ。
再び釣り上げ、桶へ。
そして釣り糸をまた川に垂らす。
隣を見る。まだ釣れていないらしい。
また竿に反応がある。
釣り上げる。これもイワナだ。
桶に入れる。また垂らす。
「…」
数回同じことを繰り返すと、あんなに頑張っていたのに結局逃げられてしまったようで、彼女はとぼとぼとこちらに向かってきた。
「えっと…ご愁傷様?」
「残念ですが逃げられてしまいました。非常に残念ですが」
「そうか…あ、桶返すよ。勝手に取って申し訳ない」
「いえいえ、協力頂いてありがとうございます…ってなんですかこれぇ!?」
釣果を入れた桶を手渡すと、急に大きな声を出して驚き始めた。無理もない。
「いち、に、さん、し……十二匹!?」
「…何故か釣れ過ぎた。何匹か帰してやった方がいいかもしれない」
「いっ、いえ!ダメです!」
ダメと来たか。
まぁ、川の魚影を見る感じ、まだまだ居そうではある。これくらいであれば問題ないか。
「えっと、頂いてしまっていいんですか?」
「え?いやいや、当然当然。元々俺のじゃないし、全部貰ってくれないと逆に困る」
「で、ではありがたく…」
…お腹が空いているんだろうか。
成り行きで久しぶりに釣りをしたが、なるほど意外と楽しいもんだ。
今度釣りに出かけるのもいいかもしれない。
釣りを終え、彼女に着いて下山をしていると、急に彼女が立ち止まった。
「どうしたんだ?迷ったとか?」
「いえ…ちょっとまずいですね」
と、彼女は辺りを警戒し始める。
つられて俺も辺りに目をやるが、特に何も見つからない。
…が、何かおどろおどろしい気配は感じる。
何かこう…見られているような気がしてならない。
こんな山奥だし、もしかして熊とか、狼とか、凶暴な野生動物に狙われているんだろうか?
「ふむ、仕方ありません。こうしましょう」
これを持って、脇を開いてください。と先程の桶と竿を渡された。
すると何故か彼女は俺の背後に回り、空いた脇に自分の腕を突っ込んで俺の胸の辺りでその手を組む。
「な、何だ?」
「じっとしていてくださいね、今から飛びます」
「飛びます?飛ぶって?どういうことだ?」
急に変な冗談を言ってきたかと思えば、急に体が軽くなったように感じた。
そして何故か、足が勝手に地面を離れていく。
「え?えっ!?何だ!?」
「じっとしてください!落ちますよ!」
───俺の体が、空中に浮かび上がってどんどんと上昇し続けている。
自分の置かれた状況に全く理解が追いつかない。
なんだ?夢なのか?夢じゃないとしたら何なんだ!?
動揺も束の間、今度は急に前方へ進み始めた。
俺は今、空を飛んでいる。
「ど、どういうこったーっ!?!?」
悲痛な男の叫びが、山中に響いた。
どれくらいの間飛んでいただろう。
最初は怖くて目を瞑っていたが、徐々に慣れて恐る恐る目を開いた。
そこに広がるのは絶景だった。
青々とした緑の木々が生い茂り、所々露出する小さな池や川に反射してキラキラと幻想的な光が目に入ってくる。
テレビや航空写真で見るのとは迫力がまるで違う。
ビル群がジャングルのように並び立つ都会とは正反対の景色だ。
それほど遠くまで来てしまっているということか。
地面からの離れ具合からして、大体マンション15階くらいの高さを飛んでいると思う。
先程からお互いに殆ど会話は無い。
というのも、俺が質問ばかり投げかけるものだから、着いてから説明するから大人しくしててくれ、と一蹴されてしまったからだ。
だから、あとどれ位で着くのかという事も聞けていない。
この状況では何も出来ない為、着いてから山のように質問したい内容を整理することに集中して、大人しくしておくことにした。
暫く飛行していると、遠くに鳥居が見えてくる。
ここに来てやっと建造物を見た。何だか安心する。
目的地もその神社だったようだ。
鳥居には『博麗神社』と書かれている。
境内に降りた俺はその場に桶と竿を置き、大きく息を吸い込んだ。
「もういいよな?質問するぞ?まずこれは夢か?何で空を飛べる?ここは何県の何市だ?最寄りの駅は?ここはどこだ?あんたは何者だ?今から何をする?」
「あー!もう!多いです!」
溜まっていた質問をやっと吐き出せた。
夢なのかどうかだが、これは無い。と思う。
頬を抓っても痛いし、夢にしてはリアル過ぎる。
でも何も無しで空を飛べるのも変な話だ。
「とりあえず…説明しますからちょっと待ってください」
と、桶と竿を持ち、そのまま本殿へ向かって歩いていった。
その後ろを数歩下がりながら着いていく。
俺の質問には、彼女は掻い摘んでこう答えた。
夢ではなく、仙人だから空を飛べて、ここはゲンソウキョウ?で、今から帰す準備をする……とかなんとか。
全くよく分からんが、とりあえず帰れるらしい。
ここで待ってください、と彼女は桶と竿をその場に立て掛け、本殿の中へ入っていった。
暫くして溜息をつきながら戻ってきたかと思えば、今度は賽銭箱の前に立った。
────チャリン、カランコロン。
賽銭を投げ入れたようだ。
が、願掛けをするでもなくそのままこちらに歩いてくる。
「…急にお参り?」
「いえ。まぁ儀式のようなものです」
また変なことを。
などと怪しく思ったのも束の間。
彼女は細めで俺の後ろの空を見上げた。
俺も振り返り、何が居るのかと空を見上げる。
微かだが、遠くの空に赤い何かが見える。
それはグングンと近づいているようで、暫くしてようやくそれが何なのか分かった。
人だ。女の子。
その赤い女性は、それはもう猛スピードでこちらに向かって空から突撃してくる。
「次はなんだ!?」
「うーん?誰よこの人」
すれ違いざま、こんな事を言っていたと思う。
その少女は地面に近づくなり減速し、丁度賽銭箱の前で着陸した。
そしておもむろに賽銭箱を覗き込み、けっ、と渋い顔をする。
「何よこれだけ?ていうか…誰?」
「彼…多分迷い人だと思う」
多分も何も、迷子だが?
と突っ込むのはよしておいた。
空飛ぶ人間一号と二号は、よく分からないやり取りを続けている。
俺は桶の中のイワナを見て現実逃避をしていた。やっぱり夢なのかもしれない。
「なるほどねぇ。にしても、妖怪の山に出て生きてられるなんて、運がいいわね」
「偶然出会ったのよ。私も驚いたけれど」
「…ま、分かったわ。ちゃちゃっとやっちゃいましょう」
こっちに来て、とやけに開放的な巫女服を着た女性に手招きされる。
「えっと、名前は?」
「俺?俺は烏鷺立 渚。そっちは?」
「私は
どこか冷たく接する彼女、博麗霊夢は、何処からか取り出した御札を地面に並べ始めた。
その時だった。
────ぐぅぅぅ。
と、低い音が鳴る。
それが誰の腹の子だったのかは一目瞭然で、俯いて顔を赤くしている茨木さんが全てを物語っていた。
「…お、おほん!ちょっと喉の調子が」
「いや無理でしょ」
なんだコイツ、みたいな顔で博麗霊夢は呆れている。
────ぐぎゅるるる。
誰かの腹の子が鳴った。
またか?と思いつつ茨木さんの顔を見るが、今度は違うと言わんばかりに首を横に振っていた。
じゃあ…と隣を見てみると、服だけじゃなく顔も赤くしている巫女の姿があった。
「…二人とも空腹なようで」
「うるさい!」
お祓い棒で小突かれた。
変な空気が場に流れている。
ふと、巫女は自分の神社に置かれた見知らぬ桶が気になったのか、その中身を覗き始める。
「へぇ何この魚。もしかして貢ぎ物?いやぁ信心深くて結構結構」
「違うわよ、それは全部私の」
なんだ、と急に興味をなくしたようだが、俺の顔を見るなり突然にっこり笑い始めた。
「よし、こうしましょう。元の世界に返してあげるから、その代わりにこれを使って何か食べ物を作って」
「は、はぁ!?」
「はぁ?も何も無いでしょ。お願いするからにはそりゃ何か報酬が無いと…あー、お腹空いたままやったら上手くいくかどうかー」
「あなたねぇ……」
意地悪巫女は、そんなことを要求してきた。
茨木さんはうーん、と悩みつつも、折れたのか渋々承諾したようだ。
…俺の為に動いてくれてるわけだし、少しくらい俺も何かしないと駄目だろう。
「なら、料理は俺に任せてくれないか?」
「え?あ、いや、元々あなたが釣ったものなので構いませんが…料理もできるんですか?」
「まぁ、そこそこには」
一応、仕事を辞める前は料理人として各地で働いていた。
それなりに腕に覚えはある方だ。
「ま、美味しいならなんでもいいけど。台所と調味料とかは好きに使っていいわ。置いてある野菜も使ってよし。あ、ご飯も炊いてね!」
「…わかった」
と、ごく自然に台所へと案内される。
怪しすぎるから色々と警戒していたが、なんか調子狂うな。
さて、塩や砂糖、醤油…数は少ないが、基本的な調味料はあるようだ。
油もあるし、サクッと唐揚げがいいだろう。
酒、塩を振って臭み抜きをしておく。
野菜は大根。これは煮付けにするのと、葉っぱの部分も一緒に味噌汁にしよう。
というか、やけに古い設備だ。ガスじゃなくて直接火をくべるような。
祖母の家で触ったことがある程度だから色々不安だが…
色々準備していると、案内された居間の方から聞き覚えのない声が聞こえてくる。
元気そうな女性の声だ。
それからすぐに、新しい声がもう一つ増えた。
「四人分か…足りるかな」
揚げ終わった唐揚げを盛り付け、食器やら何やらを持って居間へ向かう。
そこには、博麗霊夢、茨木華扇の他に二人、見知らぬ顔があった。
一人はモノクロのエプロン…ドレス?に身を包み、魔女っ子帽子を被っている金髪の少女。
もう一人は、紫と白のフリルドレスに身を包んだ金髪の少女だ。
「えっ!?なんだ霊夢お前、男が居たなら言えよな!!」
「違うわバカ」
「…あら、外来人かしら?」
「初めまして。烏鷺立 渚です。故あって料理をしてるけど気にしないでくれ」
そのまま、食卓に料理と食器を並べた。
「おぉ〜…あ、私は
「
「二人ともよろしく」
ふむ、なんというか…個性的なメンツだ。
もう全然よく分からない状況だが、これが夢だっていうならむしろ納得する。
「イワナの唐揚げと、大根の煮付け、味噌汁だ。量が少し少ないかもしれないがご勘弁」
「うまそ〜…これ私も食べていいのか?」
「一個ならいいわよ」
何だかんだで全員が食卓に並んだ。
よほどお腹が空いているのか、茨木さんはもう唐揚げしか目に入っていない。
「あら、私もいいのかしら?」
「ダメよ、てか何当然のように座ってんのよ」
「魔理沙は良くて何で私が駄目なの?」
「まぁまぁいいじゃんこんなにあるんだから。いただきまーす!」
霧雨魔理沙と名乗った子が一番最初に手をつけた。
続いて茨木さんも素早く手を合わせてから唐揚げを口に運ぶ。
「…うっっっっま!!!!」
「おいし…っ!?」
何だこれ!とバクバク口に運び始めていく。
それを見て巫女さんと八雲さんも唐揚げを口に運んだ。
「…は?美味しすぎでしょ」
「これは……」
好評のようだ。素材が良かったんだろう。
俺もしれっと、味噌汁を口に含んだ。
うん、即席にしてはいい味だ。
使いたい調味料がなくてちょっと味が弱い気もするが、仕方ないだろう。
そこからは、唐揚げを奪い合う光景を眺めていた。
10匹分の唐揚げは、ものの十数分程度で全て無くなったようだ。
「あれ?もう無いのか?」
「いや、一応2匹何もせず残してある。全部使うのは忍びなかったから」
「…ご馳走様でした。気にせず全部使えばよかったのに」
食べ終わった食器を集めていると、ずっと無言だった八雲さんが口を開く。
「……よし、決まりね」
「何がよ?」
と、急に八雲さんは俺の両手を力強く握り、目をキラキラさせながらこう言った。
「渚さん、幻想郷へようこそ!大歓迎するわ!」
「……はい?」
疑問符が浮かんだのは、俺だけではなかった。
その場にいた他の三人も、同じような顔をしている。
「元の世界に帰ろうとしていたのでしょう?」
「何故それを…って、そうだけど…」
「いっそこちらに定住するというのはどうかしら?」
「いや急だな!」
急過ぎる。なんだ突然。
博麗霊夢と霧雨魔理沙は互いに顔を突き合わせて、何言ってんだこいつ、さぁ、とこの光景を目にしながらお茶を飲んでいる。
「勿論、衣食住はこの八雲紫が責任をもって保証するわ。その代わり、あなたには幻想郷で食処を営んでもらいたいの」
「俺が?ここで?店を?」
…何だか目眩がしてきた。
全ッ然分からない。なんで急に店の話になるんだ?
「…まず、色々聞きたいことがある」
まずは知らないと。
夢じゃないなら、ここは何なんだ。
生まれた疑問は間髪入れず全て質問してやった。
その全てに、八雲紫は丁寧に答える。
話し方も内容も胡散臭いことこの上ないが、会話を重ねる毎にそれも段々と真実味を帯びてきた。
細かいことは抜いて、大きく括って簡単に言えばこうだ。
ここは間違いなく現実の日本だが、日本のどこか山奥に存在する、元いた世界と隔絶された地域『幻想郷』であること。
ここには人間はもちろん、妖怪、神様、鬼、仙人、妖精、吸血鬼に幽霊、その他にも数多の種族が存在していること。
特別な力を持つ者がいること。
安全であること。
彼女自身も妖怪であること。
にわかには信じ難い話だが、彼女は例を見せると言って自分の体を文字通り半分にして見せた。
正確に言うと、下半身と上半身を分けて別々の空間から出している。
手から炎も出して見せたし、何も無いところから俺のポケットに入っていたはずの携帯電話を取り出したりもした。
こんなものを見せられたら信じるしかない。
「…ありがとう、よく分かった。分かったけどこれが分からない。なぜ俺がこの世界で店を?」
「ふふ、そんなの分かりきっているでしょう。あなたの料理が美味しいからよ!」
美味しいご飯は貴重だ、と何度も念押しされる。
そう言ってくれるのは嬉しいことだ。
しかし店か…
確かに、俺も現世に未練があるかと言われれば、もう特にない。
墓参りに行けなくなるのは少し心残りだが、祈りを捧げるだけならどこに居てもできる。
やらなきゃならんこともないし、戻ってもまた貯金を食い潰して堕落した毎日を送るだけだろう。
しかし、正直いって働く気にもなれない。
堕落した日々を送っている間に駄目人間になってしまったのかもしれないが、単に面倒くさいという話ではなく、俺が料理人を…夢を諦めたことと関係している。
そのトラウマが蘇りかねないのだ。
「いいんじゃないですか?やってみるのも」
そう言って、茨木さんが台所から帰ってきた。
代わりに洗い物をしてくれたようだ。
「確かにその…美味しかったし。また食べたいとも思います」
「それに関しては同意ね。店やるって言うなら食べに行くわよ」
「おぉ、そしたら毎日通っちまうかもな〜」
他二人も同調している。
「どうかしら?賛成意見も多数だけど。あなたにとっても悪くない話だと思うわ」
…確かに、確かに悪くない話だ。
自分の店を持って、飯を作り、客に振る舞って笑顔にする。
小さい頃からの俺の夢だった。
それがどうしてか、今やこんなザマだ。
現実は残酷なもので、そんな夢を追うだけでも何かが邪魔をする。
色んなしがらみに囚われて、いつしか夢を追う事を諦めてしまった。
───でも、ここでなら。いろんなわだかまりも抜きにして、何にも縛られず純粋にそれを楽しめるかもしれない。
「…わかった。やってみる。やってみたい」
「…分かりました、では早速───」
八雲紫は、先程俺に見せたように空間に『スキマ』を開いた。
「あなたの店を準備するわ。完成したらまた声を掛けるから、その間はここでお世話になってちょうだいね。それじゃよろしく霊夢〜」
「えっ、ちょ、はぁ!?」
と、八雲紫は行ってしまった。
何で私が、と博麗霊夢は頭を抱えている。
「あーっと…博麗さん?」
「え?あー…霊夢でいいわよ、めんどくさい」
「よっしゃー!新しい住人の歓迎祝いにいっちょ宴会でも開こうぜ!」
───そんなこんなで、暫く博麗神社でお世話になることになった。
八雲紫から店の準備が出来たと連絡を受けたのは、それから5日後のことだった。
ご覧いただきありがとうございます。
タイトルにもあります通り、以前投稿していた『東方幸呼鳥』を再編し、新録したものです。
かなり忙しい日々を送っており、ようやく落ち着いてふと、昔小説を書いていたな…なんて思ってまた読み直してみたんです。
読み返してみると酷い文章でした。恥ずかしくて2分間くらい悶え、転げまわり、小指をぶつけて苦しんだくらいです。
でも懐かしくなって、そんなものにも愛着があったようで。
また書き始めてみました。
拙い文章ですが、ちまちまと暇を見つけては書き進めていきたいと思います。
何卒宜しくお願い致します。