騒ぎの起きている病院に慌てて駆けつけた
外から見ても分かるくらい損壊した建物、そこから逃げてきた人や、直接被害はないものの別の棟の建物から慌てて逃げ出した者で病院の周りは溢れている。
病院内から聞こえる破壊音は止まっていないためかこのまま近くにいては危ないとの判断で、多くの人がここから遠くへ離れようと必死に走っていた。
潔は、その人波を逆流してなんとか病院の中庭まで辿り着く。
そこで見たのは身動きの取れない怪我人が中庭に集められ、医者や看護師らしき人達が忙しなさそうに走り回っている姿。
怪我人は多く、一目でもう助からないと分かる者すらいた。どうやらトリアージ紛いのことをしているらしい。この場から逃げる為には怪我人を運ぶ人員が足りず……酷な話だが、優先順位を決めて順に運び出すようだ。
看護師らしき人が周囲に助けを求めるが、自分が逃げる事に精一杯のものは多く、人はなかなか集まらない。
あの病院の中には、真守が居るらしい。怪我人の姿に彼女が被って見えて、潔は背中に冷たいものが流れた。
「潔さん、あそこのようですね」
息を切らせて、しかし潔についてきてみせた
「花苗ちゃん、『使って』」
「……知りませんよ」
ドスっ、と。花苗の指先が潔の腹に刺される。中に注入されるのは───。
「潔さんを信じて、無事では済まない量ですからね」
「大丈夫、むしろ……分解してしまうまでにケリをつけないと」
真守はあそこで、おそらくその
正義感の強い子だから。潔は妹を誇らしく思うと共に、その無鉄砲さにずっと生きた心地がしなかった。
花苗の能力によって作られた身体強化薬が身体を巡る。中学生ながら一般的な女性より恵まれた体格、そして男よりも高い身体能力。更に、自身の『能力』によってその身体能力は限界を超える。
そこに加えられた、花苗の『薬』は常人ならば死に至るほどの心臓の脈動を起こし、溢れ出した脳内麻薬はあらゆる脳のリミッターを外させる。
そして身体から無尽蔵に溢れる衝動のまま駆け出し、隣の建物に入る。階段を駆け上がり、一階分高い位置から外を見て──窓の隙間から見えた真守の場所を確認すると、潔は窓を割りながら外に飛び出した。
足場にした窓枠は土台のコンクリごと砕け、潔は人間を超えた速度で向かいの棟の壁に突撃して破壊する。中に入ってすぐに、真守に向かって飛来していた『何か』を殴りつける。
それは空気の塊らしい、尋常ではない力で圧縮された空気が爆ぜて潔の拳を砕くが、彼女の能力にとってそれは傷にもならない。
それよりも、
こんなものが、真守にあたっていたらどうなっていたか。
そう考えた時、潔は正気を失いそうだった。
そしてチラリと後ろを見て───あられも無い姿で涙を流す最愛の妹が目に入り、潔の頭の中で何かが切れた音がした。
*
しかし風とは空気が動くものだ。高い圧縮率を実現するためには大量の空気が必要で、その為には強風が伴う為相手に悟られやすいし、威力を高める為に密度を上げればさすがに光の透過率が変わって他者からも視認できてしまう。
なのでまず荒波は、目の前に現れた非常にグラマラスなデカい女に対して、小手調べにと幾つかの小さな空気の塊を用意した。
彼の能力の効果範囲は自身の周囲のみだ。故に効果範囲内に『種』を用意する。悟られないよう空気が動きすぎない、そして圧縮しすぎないようにして視認ができないレベルのもの。
代わりに殺傷力は無いが、皮と肉を裂くくらいはできる。
対して潔は何の捻りもなく、怒りのままに一歩踏み出した。
バッ。
小さく何かが爆ぜる音。潔に向かって放たれた見えない刃は彼女の肩から胸を裂き血を飛び散らせた。
「ッひ!」
それを見ていた真守から悲痛な引き攣った声が出るが、潔は一切動じることなく、もう一歩踏み出す。
バッ、バッ。
更に二発。荒波の頬に冷たいものが流れる。何故なら潔は止まらない。更に一歩、二歩。
バッバッバ!
何度か荒波の能力を身に受けて、確信を得たように彼女は強く地面を踏み込んだ。
バババババババババ!
もはや機関銃の如く、荒波は全ての『種』を刃に変えて潔に向けて放つ。それは全て潔に着弾し、彼女の身体は全身切り刻まれ、もはや傷のないところを探す方が難しい。
常人ならば、風の圧で、痛みでまともに動けない。だが潔は一切動じることなく荒波との距離を詰め、その顔面に向けて拳を強く振り抜いた。
それはまるで車に轢かれたような。荒波は咄嗟に空気の塊を盾にして防いだが、潔の人間離れした力は易々とそれを貫き荒波を壁に叩きつけた。
その勢いは凄まじく、叩きつけられた壁は崩壊してその向こうに荒波は消えていく。その時点ですでに、服はズタズタになっているが潔の肉体は生まれたてのように綺麗な肌になっている。
「すごい」
真守は、その様子を見て呆然とそう呟いた。彼女の目から見ている限り、荒波の風は視認できなかった。つまりその程度の威力だが……例えば自分がその身に受ければ、一撃で地に伏せるだろう。
痛みに悶えるサトウですら潔の事を愕然とした瞳で見ていた。そして潔の方もまた、サトウを見る。
潔の視力は常人離れしている。この見知らぬ男が真守に妙なちょっかいをかけている様を見ていた。
そして負傷した左目、傷はないが血だらけの真守の手。それらの状況から考えて───潔から見て大した害にはならなさそうなこの男は、しかし真守を害する不倶戴天の敵認定された。
「うわぁぁ!」
情けない叫び声を上げるサトウ。
潔が荒波を吹き飛ばしてから秒も経たずに、彼女はサトウに向けて拳を振るう。しかし、その拳は半ばで止められてしまう。
「!?」
見えない何かにぶつかって虚空で拳が止められて事に驚き目を見開く潔、その拳は波打つようにたわみ、逆流した血管が腕の半ばで破裂する。
断続的な斥力。目を覚ました
「ッ! チィッ!」
メキメキメキ!
潔の拳は見るも無惨に崩壊していく。だが彼女は力を緩めず大きく舌打ちをするとそのまま拳を振り抜いた。人間離れした膂力は兎城の能力すら突き破り、傷だらけのまま拳は振り抜かれる。
しかし狙いは変わって兎城だ。彼と潔を比べると大人と子供のサイズ差だが、潔は容赦なく顔面を撃ち抜く。荒波と同様吹き飛んだ兎城は壁に叩きつけられ、そのまま床にベシャリと落ちる。
その時点で既に潔の拳は治癒しており、彼女は兎城への『手応えの無さ』にもう一度舌打ちをして追撃をかけようと一歩踏み出す。
だがその時、建物の中だというのに強い風が吹いた。
外から内へ入るような風は、とある一点に向かって収束していた。それは荒波が消えていった壁の向こう。病室だったはずの空間に、外から流れ込んだ強い風が吸い込まれていく。
「荒波だ!」
真守が叫び、何かに気付いた潔はその場から駆け出した。向かったのは真守の所だ、彼女の前に立ち───飛び出してきた荒波と相対する。
荒波の周囲に、光を歪める何かがある。潔は既にそれが荒波の能力だと理解しており、初撃に受けたものよりも強力なものだと分かっていた。
受ければ、強靭な潔の身体でもただでは済まないだろう。だが避ければそこには真守が居る。つまり避ける理由はない。
故に荒波が一つそれを飛ばしてきた時、躊躇なく潔は手を差し込んだ。
言うなれば、圧縮空気の爆弾だ。大きな音と共に血飛沫が舞う。周囲に潔の血肉が飛び散り、それは真守の身体にも振りかかった。
真守はその勢いに一瞬瞬きをしてしまい、目を開いた時に目に映ったのは───肘から先を失った潔の姿だった。一瞬で顔から血の気が引き、喉からはひゅっと空気の抜ける音がする。
荒波は止まらない。残り三つ、自在に空気の塊を操作して真守を襲おうとする。当然潔はその全てに対応せざるを得ず、彼女は文字通り全身を使って空気爆弾をその身に受けた。
結果は、言わずもがなだ。
落とした陶器のように、爆ぜる潔の身体。
「わァァァァァアアアア!」
飛び散ったその『破片』を出来る限り拾わなければと真守が飛び出して、その横に荒波が着地する。
そして『再生』した潔が、荒波の腹に砲弾のような拳を叩き込んだ。
ボゴォッ! と、人が人を殴ったとは思えない鈍く響く音がして、潔が入ってきた壁の穴の横にもう一つ穴を作って荒波は外へ弾き出されていく。
真守は、血だらけで放心していた。
目の前でバラバラになった潔が、小さな破片はその辺に散らばったままだが……大きな破片は集まって無傷の姿となり立っているのだ。
代わりに着ていた服はめちゃくちゃになっていて、ほぼ全裸である。
「え? え?」
真守の脳は完全にキャパオーバーだった。オロオロと潔の破片を拾い、情けない顔で無傷の潔を見上げる。
だが潔は次の標的を見定めていた。
兎城。彼は潔の拳の威力を能力でかろうじて減衰させており意識を保っていた。とはいえ潔の拳に加えて真守の攻撃による顎へのダメージも残っているのかふらつきながら、しかし潔に対して強い殺意を向けていた。
「サトウ、あいつはなんだ」
「っぐ、分からない。けれど君の敵だ」
兎城の周囲が歪む。ここに来て彼の力は増していた。それは真守にも潔にもはっきりとわかる。
潔は一瞬、思考する。あれほどの力……自分だけならば突破は可能だろう。だが……。チラリと真守を見て、躊躇う。
余波で、
「『room"1"』」
その時、間壁の冷静な声が綺麗に耳に通る。
「潔さん、真守は……俺が絶対守る、全力で行ってくれ」
不動や大吾郎、それに巾木も自身の近くに置き『room』で守った間壁の瞳には強い意志が込められていた。
それは、間壁のことも、彼の能力のことも少ししか知らない潔を持ってして信頼に足る男の覚悟だ。潔は自然と口角が上がり、しかし少し気になることがある。
「真守ちゃんに馴れ馴れしくない?」
「今そんな場合!?」
「死ねェッ!」
兎城が能力を解放する。巻き添えをくわないようサトウはその場から逃げ出しており、そもそも彼の事なんて一切気にしていない兎城は潔に向けて通路いっぱい隙間なく射程に含めた『斥力』を放った。
ビシビシビシビシ!
指向性を持たせてあるとはいえ余波で周囲は破壊されていく。それは人間の身体を秒で砕くような衝撃だ。
潔は気にせず突っ込む。触れた場所から輪郭が歪み、破裂し、原型を失っていく。そしてそのそばから『再生』し彼女は進んでいく。この様子ならば、破壊の力が真守の位置に辿り着くより前に潔が兎城の前に立つ方が早いだろう。
「くそっ! くそっ! 死ねって!」
「うるさい。お前が死ね」
兎城の全力の能力解放。もはや周囲全てを破壊する勢いのそれは、砕かれながらも突き進む潔の拳で顔面を打ちぬかれたことであっさりと鎮静化する。彼の身体が床に崩れ落ちた瞬間、一瞬で周囲を歪めていた力は消滅した。
ふーっ、と。流石の潔も疲れたようにため息を吐き、ほぼ全裸の自分の身体を隠すために兎城の服を強引に引っぺがす。
真守の身体を隠すものも用意しないとな、と考えつつ……そういえば、近くにいた冴えないおっさんはどこに行ったと周囲に視線を送る。
「か、勝った……?」
そして間壁が素っ頓狂な声でそう言った直後、荒波や兎城の能力に晒されたこの建物は崩壊した。
*
建物が崩壊した理由はもう一つあった。
それは外で宙に浮く荒波の存在だった。
「はぁっ、はぁっ! くくっ、楽しすぎんぜ、おい!」
台風もかくやといわん風が周囲を襲い、その行く先は荒波の手元だ。人間よりも大きな光を歪めるほどの風、それは先程潔の身体をバラバラにしたものよりもよっぽど強力な爆弾となる。
それを潔が居るであろう位置に向けて放つ……寸前に、荒波は空中で『足を取られた』。
「ッ!?」
荒波は風を利用して宙に浮いている、まるで足を掴まれ引っ張られたような感覚に足元を慌てて見るが何も居ない。
ズキリ、と。潔に殴られた腹に激痛が走る。その瞬間に『空気爆弾』は制御を失い、狙っていた場所とは大きく外れた位置に着弾した。
凄まじい破裂音と共に、大きな衝撃が発生して着弾位置から建物は崩壊する。その際に瓦礫が周囲に拡散して、建物の外に避難していた人達を襲う。
悲鳴が周囲を満たす地上に降り立った荒波は、腹を抑えながら血の気の引いた顔で下手人を睨みつける。
その視線の先には、中年の男が居た。荒波に向けて手をかざしており、その顔は悔しそうに歪められている。
「くくっ、あんたか……? でもよぉ……あんた程度の力じゃ、そら止められねぇわな」
荒波の爆弾による被害は凄まじいものがあった。対峙する
「なぜ、それほどの力を悪用する……っ!」
「うるせぇな……力があるから振るう、それの何がいけねえってんだ」
「部長ッ!」
睨み合う両者の元に、疲れた様子で駆け寄る
しかし、周囲には一般人も多く、下手に刺激をすればこれ以上に被害が出るかも───そこまで考えた時、耳に入ってきたのは絶望の声だ。
「おぉーい! 荒波ィ! えらいことなってんじゃーん!」
まるで街中で知り合いを見つけたときのような、悲鳴が飛び交い怪我人や死人が生まれた惨状の現場に似つかわしくない雰囲気を纏って近付いてきた派手な服装と髪色の男。
「
「奴が……?」
紅子の呟きに、大観は
「手酷くやられたねぇ。サトウも飛び降りたっぽくてさぁ、探しにいってんだけど、なに? 新入り予定くんそんなに暴れたの?」
ペラペラと喋りながら近付いてきて、大観、そして紅子を見た
その気色の悪さに、紅子は後退り背中に冷たいものが流れる。
荒波は、腹を抑えて苦しそうにしてかなり顔色が悪く、滝のように脂汗もかいている。その普段とは違う様子に流石に目を丸くした
「うわっ、めちゃくちゃだよ」
「兎城じゃねぇ……知らねぇ、女だ」
「どゆこと?」
陶芸師が触れてしばらく、荒波の酷く悪かった顔色が少し良くなった。紅子はそれを見て『治療をした』のだと気付き、ハッと思い出したように拳銃を構えた。
「さて、やる? その銃でさ、どれほど俺ら相手にやれるかな?」
だが───横で同じく拳銃を構えた大観も同じだろう。荒波や
*
「驚いたな」
瞬きの間すらなく、崩壊した病院から遠く離れた位置にある隠れ家のソファにいつの間にか座っていた
「君の反応速度では銃を避けられないし、荒波はもう限界だった。能力を使っても銃弾を防げなかったかもしれない」
「先生!」
キョトンとしていた
そして、彼は自分の横に座っていた女の子の頭を撫でて、優しく微笑む。さらに目の前には床でぐったりと寝そべるサトウの姿があり、少し離れた位置にいくつか並べられたベッドには荒波と兎城が寝かされている。
その横には少年が立っており、欠伸をして酷く疲れた顔をしていた。
「サトウの、力を『使った』」
先生の横に座る女の子は、小さくそう言った。それを聞いた
「サトウめっちゃボロボロじゃない? 目ん玉くり抜かれてるし、流石にないものは直せないよ、俺」
そしてサトウの姿を見てケラケラと笑う。サトウは寝そべったまま恨めしげに
「ぅぅぅぅ! ポッター! せめて足は治してくれ!」
「はいはい」
仕方ないなぁ、と鬱陶しい言い方でニヤニヤしながら
「はい、直したよ」
「……助かった。いや、すごい化け物がいたんだよ、すごかった。めっちゃ胸とか尻とかデカかったけど」
「マジ? 俺も見たかったなぁ」
「《対魔》……」
ボソリと、女の子は再び小さく言う。
しん、とした空気が流れ、先生はまた彼女の頭を撫でる。
「彼らは、我々の邪魔となるだろうね」
先生が静かにそう言って、また沈黙が支配する。サトウは出血の激しい左目の傷もついでに塞ぐだけ塞いでもらって、それでもズキズキと痛むので大きくため息を吐く。
「見た感じ、『再生能力』みたいな感じだったよ、そのデカい女。それにしても怪力が過ぎるけどね、荒波の『圧縮空気』ごと彼のことぶん殴ってたよ」
「えーあの腹って殴られてああなったの? 内臓めちゃくちゃだったよ」
サトウはもう一度ため息を吐き、少し高揚した顔で続ける。
「でもさぁ、その場に化け物の妹もいたんだけど、その子はちょっと弱々しげな見た目でさぁ……でもタレ目なのに、こうすごい強気なの。いやぁ、分からせたいよねぇ。あと姉妹どっちともすごくシスコンに見えたから、催眠しきった妹ちゃん盾にしてさぁ……ちなみにこの目はその妹ちゃんにやられたんだけど」
抉られた目をさすりながらペラペラと口を回すサトウの流石の変態ぶりに
目玉をくり抜かれても尚好みの相手だとそれすらスパイスになるらしい。あの
「荒波キモいって言ってやってよー」
「妹?」
ついさっきまで退屈そうに二つ結びにした髪の先を弄っていたのに、目を丸くさせてサトウを見ている。
「再生能力者に、妹?」
「ん? うん。妹ちゃんの方に能力掛けたから、姉妹でまちがいないと思うよ」
サトウの能力は特性上、対象の過去を少し見れる。その結果、あの場に現れた潔を姉認定したのだが───。
「兄、は? 兄は居ないのか?」
二つ結びの少女は普段サトウに対してそこまで話しかけない。というか自ら話しかけたことなど一切ないだろう。
なのに、急にそんな食いつき方をするのでその場にいる人間全てが彼女を見た。しかし少女は、何故か彼女自身が一番困惑した顔をしている。
「ええ? 少なくとも妹ちゃんの記憶には居なかったけどなぁ。
「マモ、リ?」
サトウのキモい発言を無視して、少女は愕然とそう呟いた。そしてその後もペラペラしゃべるサトウを無視して、何事かを考え込む。
「
そして彼女は、ポツリと誰にも聞こえない声でそう呟いた。