今日はとても気分がいいです。待ち望んでいた新刊が出るくらいに。好きな作者のサイン本が当たるくらいに。多幸感に満たされます。
ようやくテスト期間が終わったのですから。
勉強が嫌いなわけではありません。得意な部類です。学力だけで言えばAクラスに相当すると自負しています。ですからテスト自体が嫌だったわけではないのです。
私の気持ちを蝕んでいたものは、テスト期間という存在です。なにせほぼ2週間、私はハヤトくんの部屋に行けていません。ハヤトくんが他の方々のテスト勉強を手伝っていたからです。
私はそこに入ることを躊躇い、自室で勉強に励むことにしました。赤点が1つでもあれば退学ですからね。足元をすくわれて最悪の事態に陥るわけにもいきませんでした。
「椎名。……あからさまに嫌そうな顔すんなよ」
「他クラスへのちょっかいなら加担しません。時間は有限で貴重ですよ龍園くん」
「ハヤトに似てきたな。感化されたか」
「そうですか?」
「チッ。……あいつを狙うなら相当苦労するぞ」
驚きました。龍園くんからそんな言葉が出てくるなんて。何か悪いものでも食べたのでしょうか。それともハヤトくんのお弁当で内側から浄化されたのでしょうか。
「どういう風の吹き回しですか?」
「どうもこうも、あいつとは腐れ縁だ。生半可な奴は見過ごせねぇ」
「おや。さながら娘の彼氏を認められないお父さん役ですか」
「潰すぞ」
「まあまあ。らしくない。私がそう思うことに心当たりはありますよね?」
「……こっちにも事情はあんだよ」
「お聞きすることは難しそうですね」
「あいつの口から聞くか、もしくはあいつの許可が下りるかだな」
義理堅いですよね龍園くん。クラスを独裁していますが、クラスのことをモノ扱いしているわけでもありません。ハヤトくんが龍園くんを嫌わず、縁も切らないのはこういう点があるからでしょう。
やり方が褒められたものではないだけであって、根は決して腐っていない。私としてもAクラスには行きたいですし、龍園くんの力は必要です。持ちつ持たれつでいきましょう。
「話はそれだけですか?」
「お前が本気かどうかを確かめただけだ」
「……答えを得るためにも、私はハヤトくんの側にいたいです」
この気持ちの正体が何なのか。どんな呼び方でなら当てはまるのか。それを見極めて、そしてこれからも彼と一緒にいたい。
「フン。ならとっとと行くんだな」
「呼び止めたのは龍園くんですよ」
「答えなら出てんだろ」
龍園くんが何か呟いてたみたいですが、私にはそれが聞こえませんでした。
ハヤトくんの交友関係はある程度把握しています。友情だけで成り立つ人脈、というカテゴリではこの学校随一と言っても過言ではないです。
彼は基本的に分け隔てなく接するので、関係性を値で表すとほぼ全員が同じ数値になります。そこが明確に異なるのは、旧友の龍園くんです。次点で私でしょう。私だけ「さん」が外れた状態で呼ばれますから。
ですがハヤトくんのこれは、逆の視点が少し甘いです。ハヤトくんの想定より距離が近い人は、私の知っている限り一之瀬さんと佐倉さん。
「ハヤトくん。テストお疲れさまです」
「椎名もお疲れさま。こっちの教室の前まで来るのは珍しいね」
「ハヤトくんに用がありますから」
一之瀬さんはクラスを優先するでしょう。お友達と打ち上げでもしそうです。佐倉さんは目立つ行動を避けたがる。人目につく教室の前に来て接触するとは思えません。ファーストコンタクトはそうするしかなかったようですが、連絡先を持っている今ならなおさらです。
「さっ。早くいつもの場所に行きましょうか」
「椎名何かあった?」
「不穏なことは何も。私自身の心境の変化はあったかもしれませんね」
今だってほら、ハヤトくんの手を引っ張っています。
すれ違う方からの視線を感じましたが、気にすることでもありません。みなさんはどうぞテスト明けの打ち上げをしていてください。私たちは私たちです。
「手を離すようには言わないんですね」
「言ったら離す?」
「ハヤトくんの望みなら」
「椎名の望みは?」
「このままがいいですね。しばらく会えていませんでしたから」
「わかった」
そう言ってハヤトくんは手を握り返してくれました。私よりも大きな、男の子の手。共にいる時間が多くても、今までは触れたことがありません。気にしていませんでした。今となっては、意識してしまいます。口元が緩んでしまいます。
ハヤトくんの部屋に着くまでに、いろんな話をしました。テストに関する話題が多かったですが、そこから派生してちょっと真面目な話まで。
実力を重視するこの学校で、今のところ学力ばかり問われています。ハヤトくんの見立てでは、クラス対抗で何かイベントがあるとのこと。でなければ、クラス替えが無いことへの説得力に欠けます。これは坂柳さんとも話しているようです。
加えて言えば、クラスの分け方も意図があるようです。学力は優先されていますが、それだけなら私や一之瀬さんが今のクラスなのはおかしいと。
ハヤトくんにそう見てもらえてるのは素直に嬉しいです。
「男女比もクラスごとに均等。合格自体も男女比を意識してる。徹底した実力主義ではないね」
「ふむ……学年ごとに比率がズレてもおかしくないですもんね」
ハヤトくんは2年生とも3年生とも交流があります。その辺りの情報なら簡単に手に入りますから、間違いない情報です。
「ちょっと怒ってますか?」
「バレた?」
「はい。私はハヤトくんのことを一番見てますから」
「ははっ、それはちょっと恥ずかしいね。……ま、今さら言っても仕方ない。今を大切にするよ」
ハヤトくんの手に少し力が加えられました。その言葉の直後にそんなことされたら私、勘違いしちゃいますよ?
「そうだ。翔が思いの外大人しいんだけど、椎名は何か知ってる?」
「私はクラスのことにあまり関わっていませんから。何か企んでいるとしても、まだ動かないというだけでは?」
「うーん……」
「気になりますか?」
「翔ならまずDを叩くはずなんだけど、それにしてもまだ何もしてないんだね」
ハヤトくん曰く、龍園くんはRPG的な展開を画策するそうです。難易度が低い順に攻略して、最後に最強に挑む。これはできる範囲の検証も行いやすいからだそうです。
メタ読み、というやつですね。ハヤトくんは龍園くんの性格から違和感に気づいています。……
「それはないよ」
「っ! 考えを読まれちゃいました?」
「安心して椎名。翔はいきなりAには仕掛けない」
「そう考えることを読まれたら……」
「翔は読んだ上で仕掛けない。仕掛け時は弁えてるよ」
それは龍園くんのことを信頼しているからこそ成立する読みです。
「……まぁいっか」
「いいんですか?」
「うん。わざわざ争いごとに首を突っ込みたくはないからね。必要な時以外は何もしないよ」
「ちなみにその必要な時がいつかを聞いてもいいですか?」
それは何が起きたらハヤトくんが動くのか、という条件の話。他クラスである私に答える理由はありません。
「頼まれたらだよ」
それなのにハヤトくんはあっさり教えてくれました。私のことを信じてくれている。いえ、私と龍園くんが同じクラスだからですね。すでにクラスのリーダーには知られていることです。隠す必要もありません。
「だから椎名も困ったらすぐに言ってよ」
「え?」
「大切な友達なんだから」
私は何を勘違いしていたのでしょう。重ためな話をしていたせいですね。ハヤトくんの意思を読み違えてしまいました。
「ふふっ、ハヤトくんはズルい人です」
「そうかな……?」
「そうなんです」
だって、私が頼ったら私を優先してくれるということですよね?
そんなこと言われたら、離れられなくなるじゃないですか。
ハヤトくんの部屋に着くと、いつもの位置に鞄を置きます。この後本棚から1冊拝借するのがいつもの流れですが、今日は違いますよ。エプロンを取り出すハヤトくんの手に私の手を重ねます。
「椎名?」
「今日は私に昼食と夕飯を作らせてください」
テスト日ですから、まずは昼食からですね。
「えっと……2人で作るのじゃ駄目かな。完全に任せるのは落ち着かないというか」
「とっても魅力的な提案ですけど、それはまたの機会に。今日はハヤトくんに私の料理を食べてほしいんです。駄目ですか?」
「っ……、わ、わかった。大丈夫なんだよね? 怪我しないでよ?」
「はい。ハヤトくんほど上手には作れませんが、精一杯作らせてもらいますね」
ハヤトくんのエプロンを借ります。いつもハヤトくんが使っているものだと思うと、少しドキドキしてしまいます。昼食作りでうっかり怪我でもしてしまうと、夕飯を作らせてもらえません。深呼吸を繰り返して自分を落ち着かせます。
この日以降、新たに購入したエプロンをハヤトくんの部屋に置くようになりました。
料理の出来は……私にしては頑張れたと思います。