初めて彼を見た日のことをよく覚えています。
それは入学よりも前のこと。入試の会場で見かけました。なにも彼が悪目立ちをしていたわけではありません。良い意味での目立ちでもありません。ただ見かけただけです。
私は他人にそこまで興味をいだきませんが、逆に言うと興味、関心を持った相手のことはよく観察します。
(なぜあんな顔をしているのでしょう?)
それが私が最初に抱いた感想です。変顔をしていたわけでもなく、しかめっ面をしていたわけでもない。平然としていた。少なくともそう振る舞っていた。
リラックスしているようで悲しそうにしてた。近くの人と仲良く話しているようでどこか寂しそうにしてた。渦巻いていたものを塗り替えている。
私にはそう見えて、興味を惹かれました。合格通知をいただいても、彼が合格したのかが気がかりだった。名前も知らないあの人はどうなったのだろうと。
名前も知らないのですから、クラスにいるのかも名前ではわかりません。怪しまれない程度に他のクラスを覗き、Aクラスに彼がいるのを知りました。その人こそが長洲ハヤトくん。私が気になってやまない男の子です。
「暑い時間帯に来てもらっちゃってごめんね」
「ううん。みんなの予定を合わせた結果だから気にしないで」
「いやー、今日用事が入ってたのはおれだけだからさ」
「それを済ませているのですから、こちらは気楽なものですよ。時間を気にする必要もありません」
ちゃんと聞き出すという意思を坂柳さんから感じますね。そしてそれは私も、他の人も同じこと。興味もそうですが、支えたいと思う一種の女心。これが強くなれば母性とでも言うのかもしれません。
ハヤトくんは机の前に座って、その対面に坂柳さん。左右に佐倉さんと一之瀬さんが座っていて、私はベッドに腰掛けています。体が自然とこの場所に落ち着いてしまったので仕方ありません。私の定位置です。
「知ってる人は知ってるけど。……中学の時に付き合ってた子がいたんだよ」
「え」
「交際期間は1年ちょっと。中学2年から3年の夏まで」
知らない人にとっては驚きの情報でしょう。私も初めて知った時は思考が止まりかけましたから。
それにしても1年ですか。中学生にしては長いのでしょうか? それとも平均? なんにしても重要なのは長さではないでしょう。重要なのは密度だと思います。退屈な3年よりも充実した1年。そういうことは珍しくありませんから。
「おれたちが住んでた街は、あんまり治安が良くなくてね。小学生でも喧嘩は多かったし、中学になると不良行為を始める生徒もそれなりにいた」
「ハヤトくんは……」
「そういうことはしていなかったのでしょう。でなければAクラスで入学することはありません」
「えっと……どういうことですか?」
佐倉さんの疑問を坂柳さんが解消しています。この学校はクラス替えがない。ならばクラスの配属には何かしらの意図がある。ハヤトくんも気づいていたようですが、ここは坂柳さんが説明します。ハヤトくんには他の話をさせないつもりですね。
「学力だけでクラスが決まっているわけではないということです。それこそ良い例が2人いますね。一之瀬さんも椎名さんも、学力で言えばAクラスでも指折りになります」
「ありがとうございます」
(椎名さんは想定内のようですね。余裕があります。一之瀬さんは……触れないでおきましょう。ハヤトくんに嫌われたくないので)
「成績が多少悪くても身体能力でカバーしている人もいますし、どちらも良くてもCやDクラスの人もいます」
「ぁ、たしかに」
「そういった人たち、実力があっても本来のクラスより低いクラスの人たちは、過去に何かしら問題行動があったのだと思われます。他にも要素はありそうですが、今はあまり関係ないですね」
「……龍園くんは実力のある生徒だけどCクラス。それはたぶん喧嘩とかが多かったから。同じ中学なのに長洲くんはAクラスだから、さっきの話の裏付けになるね」
「そういうことです」
「そ、そうなんだ。ごめんね、話を遮っちゃって」
「大丈夫だよ。それで、おれは喧嘩とかに関わらずに生活してたけど、翔とは仲良かったし、他の生徒ともそれなりに仲良くしてたんだ。そこは今とあんま変わらないかな」
違いがあるとすれば、喧嘩早いタイプの人とは距離を置いてることですね。線引きがあるかないか。1つの違いだけですが、大きな違いに思えます。
「中学2年の1学期に、連続で同じクラスになった子に告白されて付き合うことになったんだけど」
空気が変わりましたね。あっさりと話が流れてきましたが、私たちが聞きたい話だからです。馴れ初めから何まで後学のために細かく聞き出したいところですが、今はそれができない。ハヤトくんの話を最後まで聞かないといけません。
「お互い影響を受けるぐらいには仲が深まってたかな。世話好きは元からだけど、料理は今ほど熱中してなかったし」
「どんな方だったんですか?」
「一言で表すなら、危なっかしい人だったよ。大人しかったけど好奇心は旺盛ではっきり物を言うタイプ。付き合ってからはだんだん行動力が増してたかな」
そこがハヤトくんの影響なんでしょうね。
「家庭的なところもあって、料理も上手だった。教えてもらって、1人で作れるようになったらお互いに振る舞うことも多かったよ。自分が作ったもので喜んでもらえるのが嬉しくてさ」
それはよくわかります。私だって同じです。得意ではなくても、ハヤトくんは喜んでくれました。もっと上手になろう。もっと美味しいものを食べてもらおう。そう思い、そのために料理の勉強もしていますから。
「中学生の行動範囲って限られてるけど、実現できる範囲では一緒に過ごしてた。充実した交際をしてて、3年生にもなると進路の話も出たよ。同じ高校に行こうって」
……ですが……入学しているのはハヤトくんと龍園くんの2人。彼女さんは……いえ、落ちたとは考えられませんね。
「3年生になってもさ、進学する気がない人はいたんだよ。不良生徒たちがね。おれと翔は仲がよかった。翔は喧嘩が多かったから恨みを買うこともあってさ」
「……」
それってつまりは……。
「翔に復讐したくても直接は勝てない。翔に近い人間を狙おうにもおれもそれなりに喧嘩強いから狙われない」
(たしかにストーカー犯の時も落ち着いてた)
「でもおれの彼女はその限りじゃない」
「っ!」
「夏休みに入ってからだった。平日だろうと週末だろうと一緒にいたから狙われなかったけど、夏休みにもなると会わない日も出てくる。そんな時に事は起きた」
淡々と言っていますが、言葉に感情が込められています。ハヤトくんにとってどれだけ許せないことなのか。想像に固くないです。
「協力者まで用意して、車で拉致された」
「えっ……!?」
「協力者を含めても4人だったけど、中学生の女の子1人じゃどうしようもない。人質として攫われて、乱暴なことをされて。おれがそれ知ったのは、全部が終わった後だった」
乱暴なこと……その内容は聞くまでもありません。ハヤトくんの許せないラインと一致します。女の子に丁重に接するのも、それが関わっているはずです。
「途中からおれを呼び出そうとしたらしいけど、それより先に翔が現場に行って片付けてた。おれへの連絡は彼女が病院に運ばれてからにして、事後処理は警察が」
協力者は少年法の適用外。ニュースとなったようですが、概要が述べられただけで特に取り沙汰されることはなかったようです。病院側がマスコミを入れなかったようなので。女性院長の判断だとか。
事件は起きてしまった。ハヤトくんの知らないところで。いえ、恐らくは感づいて、だけど手がかりがなくたどり着けなかったのでしょう。
しかし2人が破局したのはそれが直接の理由ではないようです。直接の原因ではあっても、理由は別にある。
「もちろんお見舞いに行った。受験勉強なんてせずに毎日。どんな顔をすればいいかって悩んだりもして、でもお互いに抱えてるものをすべて吐き出しあった」
だからすぐに破局はしなかったと。むしろ絆が深まったのでしょう。
「だから彼女を追い詰めてしまうことになった」
「え……なんで? なんでそんな……」
「事件時のショックがデカ過ぎて、彼女は味覚が麻痺してたんだよ」
「っ!」
「そんな……!」
「お互い料理好きで、手作りの差し入れも用意して」
──『ごめん。ハヤトの味が好きなのに、何も感じない。ハヤトに会える毎日が嬉しいのに、同時に辛い。嫌いになりたくないのに嫌いになりそうで、そんな自分が嫌いになる。次また出会えたら、次こそ結婚して、一緒にご飯を作りたいな。だから料理はやめないでね。大好きだよ、ハヤト』
「おれは彼女を守るどころか心を擦り減らして、自殺に追い込んだ。本当ならAクラスどころか、入学すらできない人間だ」
ハヤトくんにとって辛い話。それを話し切れたとしても、その時から1年しか経っていないのです。精神的にしんどいのは当たり前。休んでもらうためにも解散して、それぞれの部屋へ。
「……なんで戻ってくるかな」
「あなたを1人にしないためですよ」
部屋には帰りましたが、落ち着かなかったのですぐにハヤトくんの部屋に来ました。他の方も同じ想いだとは思いますが、おそらく私が最初に着いて譲られたのでしょう。坂柳さんは帰った時点でそのつもりだったでしょうし。
「あまりご自分を責めないでください」
「責めたくもなるよ。おれが人殺しなのは事実なんだから」
「いいえ、あなたは人殺しではありません」
「おれが追い詰めたんだよ! 自殺の原因はおれだ!」
「違います! 決してそんなことはありません!」
「……ッ! 椎名に何がわかるって言うんだ! 話を聞いただけの人間が!」
「私にだってわかることはあります。だって、私もハヤトくんのことが好きな1人の女の子なんですから」
「なにをッ……!」
「彼女さんの死が本当にハヤトくんのせいなのであれば、手紙にそう書いていたはずです。大好きだと気持ちを書いたりしません。あなたに靄を残させないために最低限の情報を残して、前を見てもらうために料理を続けてほしいと書いた。そのはずなんです」
こんなこと、私が言うまでもないですよね。ハヤトくんならわかっているはずです。気づいていて、だからこそ「気持ちに区切りをつけられた」と口にしていたはずなんです。
今はただ、思い返したから再び罪の意識が芽生えているだけ。私にできることは、ハヤトくんに寄り添ってあげることだけ。受けた優しさを返すことです。
「ハヤトくん」
ハヤトくんへと手を回して、私の胸に抱きとめます。私を怪我させないためにも、彼は必ず強気な行動を取りません。そこにつけ込む形なのは目を瞑ってもらいます。
「あなたが人と一定距離を保つように壁を作るのは、それがあったからですよね」
「……」
「本当に優しい人です。傷ついてほしくなくて、傷つけたくなくて。受け身になるのも、反応を鈍くすることで近づき過ぎた人に自然に離れてほしいから。勝手に幻滅されてもその人は傷つかないですもんね」
反応がありません。これも当たっているようです。
「それを知った上で言いますよ? I really like you even though I know that」
それでも私はあなたのことが好きなんです。たとえその優しさを拒むことになろうとも、私は自分勝手にあなたの隣を欲します。
「……椎名は強いね」
「はい。自分の気持ちに嘘をつきたくないですから」
「それは……そうだね」
もう少しこのままがいいですが、今日は帰りましょう。ハヤトくんが落ち着いたのなら十分です。
ハヤトくんから手を離し、部屋を出ようとすると呼び止められました。何だろうかと思い振り返ると、腰に手を回されて引き寄せられました。
「っ!」
「いつもありがとう。好きだよ、ひより」
何が起きたのか理解が追いつかず、私は感触の残る自分の唇に触れました。