「…はふぅ。」
…このような時に…いや、このような時だからこそパトリシアちゃんの世話はせねばならぬ。先刻、ナボリスの調査に行った時にはパトリシアちゃんには無理をさせた。
魔物に驚いたおりに、パトリシアちゃんはそのままナボリスに向かって突っ込んでしまった。妾にはその後の記憶はないが、パトリシアちゃんには相当怖い思いをさせただろう。
こうして、パトリシアちゃんの崇高なるモフモフボディに顔を埋めるのも、久方ぶり。まだナボリスの脅威は去っていないが、近づかなければ良いという結論。誰か、あのナボリスを止められる者はおらぬものか。…いや、それは妾がなさねばならぬこと。空の母様は見ていてくださるだろうか。
「そんな格好でなにしてやがる?」
「ひゃあ…!!…なんだ。お前か。」
びっくりした。
ニヤリと笑いながら、妾に対し減らず口を叩くボルドー。この者の存在は半信半疑だが、それでも我らに脅威ではないのはこの数日でわかった。妾に対しては舐めた口を叩くのだが…まぁ、意外にそれも悪くないと思っている。この距離感で話す者はもはや、ゲルドの街には居ない。…族長としては不十分だというのに。
パトリシアちゃんもボルドーのことを信頼しているみたいで、頭を撫でられて気持ちよさそうに目を細めている。パトリシアちゃんが嬉しいなら妾も胸が高まる。
…そういえば、この前。
族の長と対峙した時のこと。ボルドーは妾と雷鳴の兜を見事に守り切ってみせた。本当にすごいやつだ。時折、邪な目を感じるが。
「ん?…俺の顔になんかついてる?」
「お前はそればかり聞くな…。撫でてばかりいたら、パトリシアちゃんの毛が無くなってしまうだろう。」
「おっと、失礼。」
…手を掴んで退けてやれば、ボルドーは歯を見せてニヤリと笑いかけてきた。
この者は戦闘の際、爆裂な勢いの薙ぎを放つ。だからこそ、史実上のヴォーイのようにゲルド族よりも筋肉質な体かと思えば、妾より少し太い程度。細くスベスベとした腕からあんな…。驚きだ。
「る、ルージュ?…ちょっと…くすぐったい…。」
「…あっ。すまぬ。」
…ヴォーイと自分を豪語するくせに、ヴァーイのような顔をする。変なやつだ。
しかし、チュチュの身体から戻ったらコイツはどうなるんだろうか。そもそも戻れるのだろうか。…もし、ヴォーイだと知られ、この街から追い出されたら。妾の我儘でゲルドの伝統を崩すわけにはいかぬ。だが、コイツはゲルドの町の功労者。…難しいところだ。
「ルージュ?」
「…なんだ。…少し、休ませてくれ。」
頭が痛い。ここ最近、考えることばっかりだ。母様やウルボザ様は毎日のようにこのようなことをしていたのだろうか。パトリシアちゃんの体に顔を埋めながら、弱音を吐く妾を見て、空の母様は嘆いておられるかもしれん。
「んんうっ…?…なんだ?」
…くすぐったい。
ボルドーのバカ。妾の頭をこともあろうに撫でていた。ビューラが見ていたら顔が真っ赤になって怒られるだろう。一刀両断されるやもしれん。…こいつは魔物だから仕方ないかもしれないが。
「…子ども扱いするでない。不敬だぞ。」
「そんなことでお咎めするような人じゃないよ。ルージュは。…それに1人ぐらいお前を子ども扱いしてもいいじゃないか。」
…などと微笑むボルドー。
確かに妾を子ども扱いするなどこいつしかいない。…不思議だが、少し落ち着く。安心する自分がいることに難儀する。まだ、なにも解決していないというのに。雷鳴の兜が帰ってきた。…戦果とも言えるし、それだけだとも言える。
ナボリスを止めぬ限り、ゲルドの街に安寧はない。
「って、いつまで撫でておる。そろそろビューラに見つかるぞ。」
「玉座の横なのに。ビューラさん。意外と節穴だな。」
…黙認しているのだがな。
素性は知るよしもないが、ビューラは力とボルドーの心意気を買って信頼している。あの堅物が心を我ら以外に許すとは。こんな時だ。藁にも縋りたいんだろう。…妾とて同じ。
「…パトリシアちゃん。妾はどうしたら良いか…。」
「パトリシアちゃんじゃなくて、ボルドーちゃんに相談してみてはいかが?」
「パトリシアちゃんの方が優秀だ。」
…そんな不貞腐れた顔しても訂正はしないぞ。
パトリシアちゃんは占いもできるし、スナザラシリレーもそこらのスナザラシとは比べられないほどのスピード、砂の上を進む姿は美しさも兼ねている。最高のスナザラシなのじゃ。他のやつなんかと比べられるか。
「…妾をこうして癒すことができるのもこの子の特権。お前に真似なんか出来るわけがない。」
「すまし顔でそんなこと言ってるけどさ。撫でてる手を止めないくらいには気に入ってるよね?」
「…。そんなことがどうでも良いくらいパトリシアちゃんで癒されておるということじゃ。」
「…顔赤いです、族長様。」
…確かに少し体温が高い気がする。風邪でも引いたか。断じて照れているわけではあるまい。
「…うるさい。」
だが、咄嗟に顔を埋めてしまった。照れ隠しなどでは断じてないが、後ろでボルドーのやつがニヤニヤしているのが手に取るようにわかる。どうせ、顔を上げればまた奴の減らず口を聞くことになるだろうが…。
だが、さっきもあったように不思議と嫌な感じはない。此奴は危険など一向に顧みない。ナボリスに近づき、妾を助け、そして、族から雷鳴の兜を二度も守った。
…少しは労ってやらねばいけないな。
「…ん?どうした?顔を隠して。」
妾が顔を上げれば、ボルドーのやつは何故かその妾より少し大きい程度の手で自身の顔を隠していた。…これは驚きだ。いつも、コイツはすまし顔で妾を食ってかかるというのに。その様子に自然と口角が上がる。
「どうした?照れておるのか?」
「い…いや。なんでもない。」
「正直に言ってみよ。妾は別に今更、なに言われても怒らんぞ。」
何か弱点があるなら聞いておかねば。
いつも、してやられているだけだからな。少し面白くなってきた。
「…え、まぁ…その…思ってた反応とは違って…ルージュでも…照れるんだなって…。」
「……は?」
なんだ。こいつ。本当にヴォーイか?
鼻を掻きながら、そう言うボルドーに若干の違和感が走る。何かに似ている。何か…あ、そうか。妾がパトリシアちゃんに抱いている愛くるしさに近いのか。…何故?
「…お前、一生そのままでいた方が幸せなのではないか。」
「…嫌だよ。戻れるもんなら男に戻りたい。」
そんなものか。
「ちゃんと前のことは覚えてないけどさ。でも、ヴォーイとヴァーイじゃできることが変わるし。今のままでもルージュとゲルドの街は守れるけど、でも、魔物には変わらないし。」
「その体も便利だとか言っていただろう?」
「なっちまったもん、楽しまなきゃね。」
そう言ってニッと笑うボルドー。なんというか、楽観的だ。妾も族長という立場。なってしまったものにすぎない。…しかし、楽しもうなどと楽観的にはなれない。妾はまだまだ童。きっと、皆もそう思っている。
…何度も何度も思う。妾は情けないと。
此奴が居らねば、事実。なにも解決してはいなかった。雷鳴の兜も、賊も、今なお跋扈するナボリスも。…此奴が転機なのではないかと。少し思ってしまった。
「ルージュ?どうした?」
「…いや、なんでもない。」
心配そうに妾を見る奴に、妾はただ微笑んだ。…兎にも角にも、まずはナボリスを止めねば話は始まらない。…この時はまだ、そう考えていた。