さらば友よ   作:zarame.

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第一部 I・アイランド編②

3

 

 

 爆豪勝己には二人の幼馴染がいる。

 一人は、小中高と、自分の運命が呪われているのではないかと悩むくらいには離れられない男。名を、緑谷出久という。

 もう一人、夏にだけ顔を合わせる幼馴染がいる。母方の実家が静岡だからとやってくる、幼いころは少女のような顔つきをし、中学生になっても線の細さが隠せない、どことなく鈍臭い男であった。名を、沢田綱吉という。

 出久と綱吉には似たところがいくつかあって、それは勝己の眼だけでなく、互いの眼にも明らかだった。言うことをきかない髪質や、母親似の大きな瞳の童顔、消極的な性格。類は友を呼ぶとはまさにこのこと。二人は四季のうちの一つしか共有できなくとも親友であった。

 すくなくとも、勝己の眼には、幼馴染の枠を越えて心を通わせているように、映った。

 綱吉がイタリアで父親の仕事の手伝いをすると聞いたのは、本人の口からではなく、出久からで、何度か家に訪ねてきていたと母親から聞いていたので、最後に一回くらい顔を見てやれば良かったと柄にもなく想うた。腐っても幼馴染だ。夏だけでも、幼馴染であった。

 目標であった雄英高校に入学する頃には、未練とも言えない別れの苦味も忘れた。春が散り、夏休みがはじまると、じわりと滲むものがあったけれど、体育祭の勝者として招かれた人工都市で懐かしい顔を見ることになるとは、流石の勝己も驚きを隠せない。

 やはり彼らは、夏の、夏だけの、幼馴染であるようだ。

「おまえ、ツナ、なんでこんなところに」

 元気そうだね、と微笑む幼馴染に、勝己は本能的な不審を、見た。

「ツナ! どうしてここに? びっくりしたぁ!」

 出久が再会の喜びに顔を赤らめて駆け寄っていく。

「二人は雄英生ってことで招待を受けたのかな。すごいね、流石は日本トップのヒーロー養成学校だ」

 勝己からは出久の後ろ姿と、スーツを着た綱吉が見えている。背中にも喜びと興奮があふれて、見ずともどんな表情を浮かべているかがわかる。が、顔が見えているはずの綱吉は、何故だか知らない男に見えた。スーツなんぞを着ているからだろうか。いいや、それだけの違和感ではない。勝己はそばに寄ることができない。

「メリッサ嬢、大きくなって」

 テラスの椅子にゆったりと腰を下ろしていた初老の男が、まるで孫に接するように笑いかけた。

「お久しぶりです、九代目。この度はお越しくださりありがとうございます。父とはもう?」

「いいや、まだだよ。パーティで挨拶をさせてもらうよ」

 メリッサの態度からして男は支援者なのだろう。プレオープンに招待されている者たちは何かしらの関係者だ。

 ちらりと、メリッサの眼が、綱吉に向く。

 九代目はそれを見逃さない。

「紹介しよう、綱吉君」

 名を呼ばれると、綱吉はさっと男の横に並ぶ。

「彼が私の後継者だ。私が引退した後は彼がデヴィッド博士の支援者を引き継ぐ」

「はじめて、メリッサ・シールドさん。沢田綱吉と申します」

「メリッサです。どうぞよろしくお願い致します」

 後継者、ときいて勝己は綱吉がイタリアに渡った理由に心当たった。けれども男は父親には見えない。はるか昔に、一度だけ見たことがある彼の父親は、若く雄々しい男で、あれから十年で白髪が生えそうにはない。

「すごい! ツナが博士の支援者になるなんて、もしかして大きな企業だったりするの? お父さんの仕事の手伝いって何してるの?」

 興味津々に鼻息を荒くする出久とは裏腹に、綱吉は、眉尻を下げて、苦笑した。

 子供のわがままに仕方がなく浮かべたような、嫌なものはないけれど、そのわがままを決して許す気はない。

「九代目、この二人は俺の幼馴染です。あなたの言ったとおりでした」

「そうだろう。夢とは、そういうものだよ」

 二人で何かの共有を終えると、綱吉は出久と勝己に向き直る。

「雄英なら、もう授業でヒーローとヴィランの歩み寄り政策を習ったかな」

「うん、やったけど──?」

「マフィア・ボンゴレのことも、習ったかな」

「うん──習ったよ──」

「俺はボンゴレの十代目後継者なんだ」

 予期していたように、メリッサが、固く瞼を閉ざした。痛みに耐えるように、眉間にシワを寄せて。

 異様な空気が周囲を埋め尽くしている。重たく、暗い、肺の奥に溜まり呼吸を拒絶する。息が苦しい。

 理解を越えたものが唐突に現れると、人の脳味噌はフリーズする。忙しないのは心臓だ。何も考えられないくせに何倍にも膨れ上がったような大きな音が体中に鳴り響く。

 誰も、何も言葉にできない静寂が、うるさかった。メリッサは瞼を閉ざしたまま。居合わせてしまった雄英生たちは状況を把握できずにいるだろう。九代目だけが柔和な微笑みを浮かべて見守っている。

 仕方がないといった様子で、綱吉が口を開いた。

「出久にも勝己にも何も言わなかったね。ごめんね、俺はヴィランだ」

「ふっざけんな!」

 心臓が、弾けて、その勢いで出てきた言葉であった。

「タチの悪い冗談だな。おまえいつからそんなこと言うようになった?」

 また、あの微笑みだ。子供の駄々に向ける、優しいけれど、決してそれを許さないものだ。

 綱吉はいつからこんなふうに微笑うようになったのか。勝己は知らない。見たことがない。出久は知っているのかとその背中を確かめて、すぐに絶望を感じ取った。

「事実だよ、勝己」

「ダメツナなんて呼ばれてた奴がマフィアだ? 直感なんて雑魚個性のテメェがヴィランだ?」

 勝己が煽ろうとも綱吉は微笑んでいる。眉尻が下がったくらいで、かわりに、彼の背後に控えている銀髪の少年の眉間が険しくなる。

 ──痛いのに我慢しなくて良いんだよ。

 ふっと、勝己は思い出した。幼き綱吉を、出久とは別の理由で気色悪い奴だと感じた日のことを。

 出会って二年目の夏の日のことだ。出久がまだ無個性だと知るまえで、綱吉に直感という個性が発現したことを羨み、眼を輝かせていた。すでに爆破という個性を使えていた勝己からすれば、鼻で笑い飛ばすような弱小個性で、勝己のまわりの子供たちは誰も綱吉の個性を相手にしなかった。個性があるのは当たり前という常識に生きている世代の子供だ。齢四歳には人間の不平等を知るのが道理。

 無機物にも作用すれば使い道が広がるも、生物にしか作用しない直感はジャンケンで勝つくらいの使い道しかないと馬鹿にして、未だ個性さえない出久と綱吉は雑魚個性だからと、ヒーローごっこをする時も二人揃えて最後尾を歩かせたものだ。

 皆のお気に入りであった立ち入り禁止の森林地区は、毎夏に綱吉をまぜて遊んだ場所でもある。川を渡れる橋がわりの丸太があって、木登りに適した立派な木々は、子供の体重を危なげなく支えてくれた。幹が太ければ枝もそれなりの太さだ。落枝はチャンバラをするにはもってこい。誰が一番立派な枝を探せるかで競い、その後は振りまわして遊んだ。

 枝先が勝己の肘を擦ったのは、鬼ごっこで転ぶ程度の事故であった。けれども、擦り傷やぶつけた鬱血とはちがう、肘を流れる赤い血液は、子供に恐怖を与えるには十分な威力があった。翼の個性を持つ子供は顔を青くして謝った。勝己はその謝罪を受け入れた。騒ぐのは格好が悪いからだ。腕は痛いけれど、強い男は、勝己のなかにある理想は、こんな傷で狼狽えたりはしない。その自己暗示と呼べる自尊心のおかげで、大丈夫だったのだ。

「痛いときは痛いって言っても良いんだよ」

 大丈夫だったのに、綱吉がそんなことを言うから。

 まるで出久のようでいて、まったく別の、得体の知れない気持ちの悪さ。

 綱吉に発現したという直感という個性の恐ろしさを目の当たりにした。

 個性を使った自覚はなかっただろう。どうやって使えば良いのか、まだ再現性がなく、目に見えないからわからないと出久と話していたのを小耳に挟んでいた。雑魚個性すら使いこなせないなら、そんなものはないのと同じ。

 ほら、やっぱり、俺が一番すごいんだ。

 勝己のなかに種としてあり、まわりが水をやって芽吹かせた自尊心。心の奥の一番柔らかいところで輝く若葉に、綱吉の手が伸びて、葉の表面をそっと撫でて、いった。

 生物にのみ反応する直感力。それは人の心に土足で踏みこむ。どんな強がりも見抜かれてしまう。時に、本心だと強く願った想いさえも、この個性には暴かれてしまう。丸裸にされてしまう。

 この日、勝己の本能は、綱吉の個性を、恐れた。

 

 

4

 

 

 アカデミー内にあるメリッサの研究室を目指す出久の足取りは、どこかおぼつかず、ここではない別の場所を歩いているようだ。

 脳味噌を占めているのは、夏だけの幼馴染との衝撃的な再会。映像として焼き付いて離れないばかりか、反響してじりじりと傷跡を抉っている。

「俺はヴィランだ」

 そのひとことがどれほどの衝撃だったかを語源化するのは難しい。

 強烈な脳震盪は今も出久の脳を揺らし続け、余韻が友の柔らかい声をフラッシュバックさせる。

 鮮やかに焼き付いている、見たことのない、友の微笑み。

「どういうこと、ツナがヴィランだなんて嘘だよね──?」

 勝己の激昂を微笑みで両断した綱吉を相手に、ようやく出久の口が吐き出したのは、そんな、縋るような懇願であった。

「事実だよ。俺はイタリアンマフィア・ボンゴレの十代目としてここにいるんだ」

「なんで、だってツナは、僕の幼馴染で、一般家庭に生まれた、ただの、普通の──」

 タチの悪い冗談を言ったね、と笑ってくれ。眉尻を下げて、頭をかきながら、驚かせようとしただけだと、下手な言い訳をしてくれないか。

 まだ、間に合う。ここで否定してくれたら、三人は、まだ、夏だけの幼馴染に戻ることができる。

「ツナ──綱吉!」

「出久にも勝己にも何も話さなかったんだ。だって君たちは、ヒーローに憧れていたから。出久は、オールマイトが大好きだから」

 出久はそれ以上、何も言うことができなかった。

「つまりてめぇは、ヒーローに憧れるクソデクが、オールマイトオールマイトってアホみてぇに話してんのを聞いて、その裏でせせら笑ってたわけか。根性悪りぃな」

 出久の他に、勝己だけが綱吉に言葉をぶつけることができた。三百六十五日のうちの約二十一日、そのなかの数日だけでも同じ時間を共有した勝己は、ヴィランではない綱吉を知る、出久にとっての唯一なのだから。

「傷つけたくなかった。こんなに早く顔を合わせる予定はなかったんだ。いつか、ヒーローとなった君たちと対峙する覚悟を、固めてる最中だったんだけどなぁ」

 俺はヴィランだと語った口で、自分がただの幼馴染であったことを証明する。少なからず勝己の言葉に傷ついて見えるのは、勝己にそんな雑魚個性じゃクソの役にもたたねぇなと鼻で笑われたあの日と、同じ顔をしているから。

 わからない。親友だと信じていた男の新たな一面が、裏切りだった場合、なにを語れば良いのだろうか。

 裏切り──そう、裏切りだ。だってヒーローとヴィランは対極にある。出久の夢を讃えたその口で、己がヴィランであると語るのだ。これが裏切りでなければ一体なんだという。

「十代目、そろそろお時間です」

 銀髪の少年がそっと綱吉と出久の間に割り入るようにし、出久を見た。感情を仕舞い込んだようでいて、瞳の奥に何かをチラつかせている。出久から目を逸らす一瞬、眉が真ん中に寄せられ、激しい、激情にも似た感情が、飼い主を守る犬のような威嚇として現れるも、次にはもう尾を隠している。主人の品位を貶めることはしない、忠実な番犬だ。

「出久、俺は言ったよ。さよならって。だから、さよならだよ」

 無情にも向けられた背中は、綱吉からの二度目のさよならで、あった。

「まっ──待ってよ」

 九代目と銀髪の少年と連れ立っていく友に手を伸ばす。それを阻むのは、見守りに徹していた、黒髪の少年だ。

「ツナがさよならって言ったら、さよならなんだよ。諦めてくれねぇかな」

 彼の愛称をさも当然のように呼び、その間に立ちはだかる少年に、カッとなった自覚はある。大切なものを奪われた怒りと悲しみが一気に押し寄せ、たまたまここにいるというだけで、九代目でも、銀髪の少年でも、本人でもなく、目の前の少年にぶちまけたのだ。

「僕はツナの幼馴染だ! 一年ぶりに会った友達がヴィランになってたなんて、そんなの、何の説明もなしに納得できるはずないだろ!」

 少年は、出久の剣幕に怯むどころか、言う。

「じゃあさ、説明されたら受け入れんのか。俺はお前とツナの関係を知らねぇけど、お前だってツナのこと知らねぇじゃん。あいつは自分の意志で選んだ。だから俺もあいつを支えてやろうって決めたんだ。あいつの邪魔しねぇでくれよ、頼むからさ」

 まるで友人を嗜めるように、彼は出久の両肩を軽く叩いて、先に行く背中を追いかけた。

「デクくん、大丈夫?」

 かけられた声に顔を上げると、メリッサが心配そうに顔を歪めている。

「あ──すみません」

 出久は自分がメリッサの研究室に招待されたことを思い出し、いつまでも綱吉の背中を追っている自分を恥じた。

「気分転換にはならなかったかな」

「そんなことはっ!」

 気持ちだけで否定したところで誤魔化せはしない。メリッサは聡明な少女だ。学友から離し、ここに連れてきてくれた時点で、出久の負った深い傷跡に気付いている。

「あの、みっともないところを見せてすみません」

「ちがうのよ、誤解しないでね」

 メリッサは一度口を閉ざしたが、このままでは通夜になってしまうと腹を括ったのか、優しく問いかけた。

「デク君は十代目の──ううん、沢田綱吉さんがマフィアだってことを、知らなかったのね。あなたと、爆豪さんと、えっと──十代目は、幼馴染なの?」

 綱吉のことをなんと呼ぼうか戸惑う様子が、少しだけ出久の意識をずらしてくれる。

 腹を括るのは、括らねばいけないのは、出久のほう。

「ツナとは三歳の時に知り合いました。お母さんの実家がうちの近くにあって、自然とかっちゃんと三人で毎夏を過ごすようになったんです。ツナは運動も勉強もあまり得意じゃなくて、僕も運動は苦手だったからいつもツナと二人でかっちゃんに揶揄われました。でも勉強は得意だったのでツナの夏休みの宿題をみてやったり、ツナが持ってきたゲームをうちで徹夜でやって、次の日にお母さんに怒られもしました。ツナが泊まりにくると夕食が豪華になるんですよ。夏休みの間しか会えないけど、それでも僕はツナのことが大好きでした。僕は個性の発現が遅くて、でもツナはそれを馬鹿にしないで、僕の凄いところを教えてくれる。会えないぶん、メールのやりとりは沢山しました。親友だと思ってたんです。雄英に行くって決めた時も、お母さんの次にツナに報告したくて、するとなんて言ったと思います?」

「──何て言ったの?」

「なれるよ。出久なら、素晴らしいヒーローに」

 綱吉の言葉をなぞってみると、まるで一年ぶりの再会が嘘のようだ。こんなにも違和感がない。いまでも記憶の中の綱吉の言葉は出久に力を与える。積み重ねた時間が偽りだと想えないのは、綱吉の言葉も、泣き笑いも、友人としての信頼が、血肉となって出久の糧になっているからだ。

「正直、僕は今でもツナのことをどこかで信じているんです。一緒に過ごした時間が、彼がヴィランになんてなれる奴じゃないって言ってるんです」

 項垂れる出久にかけられたのは、思いもよらない言葉であった。

「信じるって、とても難しいことよね。信じるほうも、その期待を向けられるほうも」

 ゆっくりと顔を上げて、メリッサの言葉を噛み砕いてその意味を咀嚼する。 

「十代目として顔を合わせた彼は、デク君の知らない人に見えた?」

「いいえ──だからこそ、戸惑ったんです」

 マフィアの十代目としてこの島にやってきた綱吉の微笑みは、出久と勝己の知らないものであった。ただ、まったく知らないものでもなかった。東京に戻る綱吉と別れた去年の夏の日、彼は似たものを出久に向けたのではなかったか。

「僕が知らないツナは、僕が知ってるツナの一面でしかない──?」

 当たり前のことを口にしてみると、そこには当然の納得がある。出久がオールマイトとの秘密を抱えているように、綱吉も秘密を隠していただけのこと。しかし、口に出してみないと実感できないものでもあった。

 綱吉は洗脳されているようには見えなかった。出久と勝己には何も話さなかったと言った。嘘をついたのではなく、話さなかったと。いっそのこと洗脳でもされていたなら、大義名分を掲げて綱吉を助けることができただろう。けれどもそうじゃない。黒髪の少年の言葉が真実であれば、彼は自分の意志でヴィランへの道を選択したのだという。

 出久がヒーローになると決めたように。

 綱吉もまた、自分の手で自分の道を歩いている。

「僕が勝手に、僕の理想を押しつけていただけ。ぜんぶ、僕の、勝手な──」

 口から漏れた思考に声を上げたのは、メリッサだ。

「ご、ごめんなさい、私ったら! 知ったふうなことを言って。デク君があまりに苦しそうだったから、私に話すことで消化できたらって思っただけなの。本当にごめんなさい。二人の関係を何も知らない私が口を出して良いことじゃなかったわ」

「そんなことないです。おかげで目が覚めました」

 出久が否定しようと、メリッサは自分の発言を恥じて頬を赤らめている。その姿にようやく彼女の手元にあるものに気が付いた。

「あの、それってサポートアイテムですか?」

「ええ、そうよ」

 メリッサは出久の前にそれを差し出した。

「前にマイトおじ様を参考に作ったものなの」

 リストバンドのような赤いサポートアイテムは、見た目通りに腕に装着するらしい。

「ここのパネルを押してみて」

 言われたとおり、腕に巻かれたサポートアイテムの、青い部分を押してみる。

 すると硬い金属の質感がぐるぐると腕に絡みつき、まるで籠手のように覆ったではないか。

「名付けるならフルガントレットかしら」

「良いんですか、こんなにすごい発明を。大切なものじゃ?」

「だからよ。だからこそ、デク君につかってほしいの」

 驚くことに、メリッサは出久の手の甲の傷とアトラクションを見ただけで出久の個性が体に合っていないことを見抜いたのだ。

 彼女は自分を無個性だと語る。かつてヒーローに憧れ、挫折を知ったが、父のような科学者になることが自分にとってのヒーローになる手段であることを、誇らしげに。そうしてかつてオールマイトの個性を参考に作り出したサポートアイテムを、出久のために掘り起こしたのだと。

 わずかな情報から使用者の身体状況を見抜く科学者としての観察眼は、出久からすれば賞賛に値する。個性という人類のほとんどが手にするギフトを与えられなかった少女。かつての出久はその理不尽な痛みに夢を諦めかけたが、彼女は自力でヒーローとなる方法を見つけた出したのだ。

 その聡明さが、出久に気付きと勇気を、与えるのだ。

「メリッサさん。ツナと二人きりで話をしたいんですが、協力してもらえませんか?」

「わかったわ。彼等はレセプションパーティーに参加する予定よ。九代目は私の父と話をする。守護者の二人は私とサムさんでどうにか引きつけてみるわ」

「ありがとうございます!」

 もしかしたら、信頼というものは随分と残酷なものなのかもしれない。

 メリッサとの対話は、出久が綱吉の一面しか知らなかったことを教えた。たとえ新たな一面がヴィランであったとしても、それは綱吉からすれば自分の一部に過ぎず、出久が感じた絶望も、喪失感も、裏切りへの悲しみも、そもそも裏切りと感じることこそが間違いである。

 出久は綱吉にオールマイトとの関係を語らなかった。ならばそれは綱吉への裏切りか。いいや、違う。出久はそう言い切ることができる。だからこそ出久に何も語らなかった綱吉のことも、幼馴染を裏切ったわけではないと、出久は対話を望むのだ。

 彼はいつからヴィランの道を歩みはじめたのだろう。どんな気持ちで隠していたのだろう。つらくはなかっただろうか。出久は皆への秘密が心苦しくてたまらない。できることなら全てを打ち明けてしまいたいが、すれば巨悪との因縁に巻き込んでしまうためにできないでいる。それでも、綱吉に話せない秘密があることが、こんなにも苦しい。

 

 

5

 

 

 ベッドに横たわる主人に忍び寄った隼人は、ネクタイを外しただけのシャツに手をかけ、ボタンを三つ外し、その足から靴下を脱がすと、そっとブランケットをかけた。大きな窓から差し込む夕陽に染まった部屋では、顔色を正しく判断するのは難しい。

 できることなら寝心地の良いものに着替えさせてやりたいが、そこまですれば起こしてしまう。仮眠というのもあり、なんでもしてやりたい献身に蓋をして、隼人は寝室を後にした。

「綱吉君の様子はどうだい」

「よく眠っています」

「まだ一時間ほどある。そのままにしといてあげなさい」

 ソファに腰を据える九代目の前のテーブルにある錠剤は、彼愛用の頭痛薬だ。シートのひとつが使用済みなのは、綱吉が飲んだからで、長く使用してきた九代目に合わせた強い効き目を鑑みて、錠剤は半分に砕いて与えられた。

 エキスポ見学の後、眉間に皺が寄る痛みを訴えた綱吉は、ホテルのスイートルームに戻るなり服用し、気絶するように眠ったのだ。

 眠れるということは、それだけ薬が効いているのだろう。鎮痛剤が役目を果たさず、ベッドの上で苦しむ姿を知る隼人は、ひとまず胸を撫で下ろしたものの、憂いは晴れない。

「原因は先ほどの雄英生でしょうか」

 出会った頃と比べて感情の制御が上手くなった綱吉のことを、隼人は誰よりも注意深く見てきた。何も自分が一番彼を想っているとは言わないが、一番でありたい気概はあって、それでも自惚れはせずに、友として、部下として、右腕として、綱吉を観察してきた。元来、喜怒哀楽の表現は多彩な男だ。怖い先輩には怯え、勉強には顔をしかめ、好きな女子の前では頬を赤らめる。驚愕も体全体で表現するし、横暴な家庭教師とのやりとりは見ていて飽きない。友の前ではとても良く微笑う。

 そんな男が、さっと仮面を被るのを見た。夏だけの幼馴染という二人の少年の前で、綱吉は沢田綱吉ではなくボンゴレ十代目としての仮面を、被った。それには隼人だけでなく武も九代目も気が付いて、綱吉の背を追いかけようとする二人を止めた武の働きは的確だった。隼人が綱吉を想うように、武も武なりに綱吉を想っている。それが行動に現れたのだ。

「何かが起こるね」

 微塵の興味もないだろうサンセットを眺めていた武も、九代目のこの発言には体ごとこちらを向く。

「私の超直感も何かを告げている。綱吉君もそうだろう。ただ、彼の超直感はまた別の何かを感じているようだ」

「頭痛の原因はそれにあると?」

 九代目は若き守護者を安心させるように優しく微笑う。

「賑やかなレセプションパーティーになりそうだ」

 神の采配と謳われる超直感が「何か」を感じ取っているとして、どうすることもできないのが、今、ボンゴレが置かれた状況である。

 最低限の人数でこの島にやってきたのは、歩み寄り政策を全面に押し出しての主催側からの要求であった。「歩み寄り」と言いながらも、彼らはボンゴレを信用してはいない。それも当然だろう。ボンゴレはマフィアであり、ヴィランだ。表社会にも通ずる、巨悪である。この政策を持ちかけたヒーローも、受託したボンゴレも、表向きの友好であることを正しく理解し、ヒーローはヴィランの管理を目論み、ボンゴレは個性社会におけるヴィランの秩序を保つことを目的としている。

 つまるところ、腹の探り合いだ。そしてこの島はヒーロー側の領域。何か騒ぎが起こったとして、最悪なのはボンゴレの仕業とされてしまうことだ。

 ──やはり、ヴィランはヴィランだった

 ──歩み寄り政策などと、ヴィランに手を差し伸べるべきではなかったのだ

 隼人の耳には、的外れで傲慢な、無意識の悪意による一方的な批難が聞こえてくる。これは被害妄想ではない。ボタンひとつのかけ違いで実際に起こるだろう、ボンゴレ十代目へ向けられる悪意だ。平和を望む者たちからの、正義という名の暴力である。

「九代目、ご命令ください」

「俺たちはどう動けば良いですか」

 以前のように、綱吉以外の命令を聞きたくないなどと駄々をこねる中学生はもういない。隼人も武もボンゴレという組織に属し、たとえ綱吉からの司令でなくとも、回り回って彼の利益になることを学び、九代目の孫へ向けるようなあたたかな愛情を目撃したからこそ、憂なくその命令を仰ぐことができる。

 こんな時でも九代目は微笑う。いつもとの決定的な違いは、彼が二人の守護者の覚悟を受け止めてくれたことだろう。わずかに細められた瞳が、西陽にギラリと輝くのが、わかった。

 綱吉が目覚めるのを待つ間、テーブルに飾られた洋梨を剥いて待つことにした。横から武が手を出すので三つも剥いてしまったが、試食すれば甘く、香りは豊かで、これなら綱吉の気分にいくらかの華を添えてくれるだろう。

 案の定、綱吉の元へ運ぶと、彼はシワになったワイシャツを気にしつつも手を伸ばしてくれた。

「美味しい」

「立食パーティーは食事向きではありません。無理のない範囲で胃に収めておくと後が楽でしょう」

「うん、ありがとう」

 レセプションパーティーの衣装は、日中のスーツとは異なる、マフィアボンゴレとしての正装、ブラックスーツだ。ヒーローはヒーローコスチュームの着用が義務付けられている。ならばヴィランも、ヴィランコスチュームであるのが道理。

 隼人はすでに赤いシャツとスリーピースに着替え済みだ。綱吉のコスチュームも素晴らしい仕立てのイタリアンスーツだ。それも、ただのスーツではない。ボンゴレの技術者が織り上げた死炎耐熱性抜群のバトルスーツである。コストがかかるため普段使用のスーツも用意しているが、超直感の警告を受けてこちらを着用する。

「ツナ、もう動いて大丈夫なんだな?」

「平気だよ、武。九代目は強い薬を飲んでるんだね。半分だけでもばっちりだ」

 着替える所作はしっかりしているも、へばりついた顔色の悪さはそう簡単に払拭できるものではない。

 強すぎる超直感は激しい頭痛と動悸という副作用をもたらすが、綱吉の顔色が改善されないのは、それではなく、不本意な再会を遂げてしまった夏の幼馴染にある。

 綱吉は言った。傷つけたくなかったと、こんなに早く顔を合わせるつもりはなかったと。

 心を、痛めている。大空のように広く、誰のどんな痛みでも受け入れてしまう、平和を望む、誰よりも優しい心を、こんなにも痛めている。

 頭痛も、動悸も、胸の痛みも、全てを肩代わりしてやれたらと願わずにはいられないのに、それを慰めに口にするのも許されない、痛みを分け与えてもくれないのが、沢田綱吉という男だ。口にすれば眉毛をハの字に下げてしまうから、隼人は黙って身支度を手伝う。

「それじゃあ、行こうか」

 四人で部屋を出る頃には夜の帳はすぐそこまで迫っていた。

 陽が落ちる。

 ヴィランの活動を助ける闇夜が、やってくる。

 長い一夜が、幕を、開けた。

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