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パーティーと呼ぶには小規模な催しである。それが、隼人がレセプションパーティーに抱いた印象であった。
隼人にとってのパーティーとは、父親が古城で開いたものか、ボンゴレの嵐として出席したものとなり、組織としての権力が顕著に現れるそれらは金のかけ方が尋常ではない。今後は自分の業務になるからと経費一覧を見せてもらうと、自分の認識の甘さと現実に頭痛を覚え、庶民的な金銭感覚が抜けきらない綱吉には絶対に見せてはいけないと誓ったものだ。
プロヒーローと支援者、そしてこの島の技術者が一堂に会するパーティーは、小規模であるからこそ、彼等はすぐに隼人たちの存在に気付くのだ。
会場に一歩足を踏み入れた瞬間、プロヒーローの視線が集中する。身にまとうブラックスーツを見留めると、ヴィランの王である九代目と、その後継者の顔を網膜に焼き付けるように見る。ボンゴレは決して表社会には姿を現さない。ヒーローが持ちかけた政策がなければ、こんなところにやってくることはないのだ。今でこそ唯一の繋がりを元に均衡を保っているが、南極の氷の一部が海に沈むようなことがあれば、ささやかな一撃で、ヒーローはいつでもヴィランの制圧に動くだろう。
そんな、燃えるようなヒーローの正義感が、チリリと皮膚の表面を炙るようにするも、九代目の微笑みは崩れない。あまつさえ、さらに深く、豊かなものにして、莫大な資金を与える発明家へと笑いかけてみせた。
「ドン・ボンゴレ。ようこそお越しくださいました」
「お招きありがとう。そして素晴らしい発明を、ありがとう。あなたのような発明家の支援者となれたことは、老いゆく私にとって、光栄で、とても偉大なことだ」
少年のように眼を輝かせるこの男が巨悪であることは、この場の全員が知っている。ブラックスーツはマフィア・ボンゴレの正装であり、プロでそれを知らぬ者もいないだろう。
ヒーローの眼に九代目はどう映るのだろう。歴代きっての穏健派と評され、神の采配と呼ばれるほどに人を見る才に長けた、個性発現前から現存する最古のマフィアのボス。
そして、それを受け継ごうとしている、血の呪縛さえなければヒーローに守られる立場にあっただろう、誰かのために強くなることを選んだ、心優しい少年を、この世界は、どう評価するのだろうか。
夏だけの幼馴染は、平和の象徴は、すべてが終わったあとに──
隼人はそっと瞼を閉ざした。
九代目が綱吉を紹介し、デヴィットとの挨拶を終えたところで、隼人は動いた。軽く主人に耳打ちをし、武にアイコンタクトを送りながら、そっと彼等から距離を取る。
向かうはこのセントラルタワーの最上階。この島の警備システムが集まる場所、コントロールルームだ。
「獄寺さん、どちらへ」
「──すこし、手洗いに」
背後からの声に振り向くと、パーティー用のスーツを着込んだサミュエルがいた。
「まもなくオールマイトの登壇があります。それからにしてはどうですか。せっかくの平和の象徴の挨拶です」
「では、それまでに戻ります」
隼人はさっと背中を向けて会場を後にした。
さて、コントロールルームへ行くにはエレベーターが手っ取り早い。エントランスにあるエレベーターで行けるのは途中までで、最上階に行くには途中で直通エレベーターに乗り換える必要があり、動かすにもスタッフ専用のカードキー、または認証システムに登録されてている者の同行が必要となる。
エントランスに向かいながら隼人は考えた。結論としては、直通エレベーターではなく非常階段を使って目指す他ない。
神の采配と謳われる超直感が感じ取っている、何か。
災害か、人災か。
その正体がわからなくとも、何かが、起こる。ならばこの島の警備システムが集約されているコントロールルームを抑えておけば有事の際に対応することができる。と、いうのが九代目の考えであり、いまの隼人たちにできる唯一である。
隼人は無意識のうちに自身の腰を撫でる。普段であればそこにはボンゴレギアがあるのに、なにもない。匣兵器を操るための指輪も、ない。
この島へはいかなる兵器の持ち込みが禁止されているのだ。もちろん、ヒーローには適応されない、ヴィランであるボンゴレだけへの特例処置。彼らのヴィラへの警戒心は正しいけれど、ボスを守ることを使命としている守護者からすれば歯痒く、歩み寄りなどと口にしながら全く信用されていないことがわかってしまうと、脳味噌の一部がすっと冷めていくというもの。
有事となれば身を挺してでも守り抜く覚悟はあるが、それを許してくれないのが隼人の主人なのだ。一人の死者も出してはならない。それがどれだけ難しいことかを理解した上で彼は要求する。信頼という名の重圧に背筋が伸びる。それを向けられる武者震いに隼人の眉間には皺が寄った。
「駄目だ、爆豪君にも切島君にも連絡がつかないぞ」
エントランスに踏み出そうとした足を、隼人は咄嗟に引っ込める。
壁に身を寄せ、そっと覗き込むと、そこには綱吉の幼馴染である少年と、雄英高校の生徒だという者たちが集まっていた。
エレベーターホールでたむろする少年少女に、隼人は小さな舌打ちをこぼさずにはいられなかった。
途中、乗り換えが必要であろうとも、エレベーターで向かうのがコントロールルームへの最短ルートである。何かが起こるとわかっているこの状況では一分一秒が惜しく、どんな事態にも対応できるようになるべく近くで待機しなければならない。たとえ警備システムに侵入を阻まれようとも、ボスの命令は絶対だ。綱吉からの直接の命令でなくとも、隼人の働きが綱吉の評価に直結することを胸に刻めば、全ての行動が綱吉へ捧げる忠誠の証。隼人の覚悟なのだ。
「邪魔くせぇな──早くどけよ」
こうして身を隠しているのも、この島では特例であるヴィラン故。ボスの元を離れての一人行動は、隼人の正体を知る者からすれば不審行為に他ならない。
ヒーローに見られてはならない。研究者にも見られてはならない。
隠密に徹し、主人に知らせるのはミッションコンプリートの知らせだけで良いのだ。
最上階まで非常階段を駆け上がるのと、雄英生が会場へ向かうのを待つのと、どちらが早いだろうか。
あと一分しても彼らが動かない場合は非常階段を使おうと隼人が決めた、その時、隼人の優れた聴力は館内放送の起動音を捉えた。
「I・エキスポの管理システムがお知らせいたします。警備システムによりI・エキスポエリアに爆弾物が仕掛けられたという情報を入手しました。現時刻を持って厳重警戒モードに移行いたします。また、主要施設は警備システムによって強制的に封鎖いたします。くり返します──」
放送を終えるよりも早くシャッターが降りてくる。
瞬間、隼人の脳は思考した。タルタロスと同様の防災設計をしている警備システムに閉じ込められるデメリット。それを回避して雄英生に姿を見られるデメリット。
一瞬の考察の末、隼人は後者を選択した。
シャッターを避けて飛び出す。ごろりと転がり、すぐに体勢を整えて立ち上がる。
「あなたは、ツナと一緒にいた──」
緑谷出久の大きな眼が隼人に向けるのは驚愕だ。それもそのはず。彼は、彼らは、隼人がヴィランであることを知っているのだから。
「ここで、何をしている。この騒ぎは君たちの仕業か?」
隼人と出久を繋いだ緊張の糸を切ったのは、眼鏡をかけた少年であった。
雄英生、ヒーローの卵としてもまだ子供。隼人と同い年であろうと、生きる世界は真逆にある。愚の骨頂のような質問に腹を立てることこそが無駄な行為だ。
隼人は少年を無視し、その奥にいる少女に声をかける。
「メリッサ嬢、良いところでお会いできました。コントロールルームまで案内をお願いできませんか」
ボンゴレが支援する研究者の娘がいたことは不幸中の幸いと言えよう。たとえ彼女に直通エレベーターの操作ができずとも、警備システムの操作はできる可能性がある。隼人は素早く思考を練る。
「どういうこと」
「この事態はおそらくヴィランによる襲撃です。私は九代目から有事の際は速やかに問題を解決するようにとの命令を受けています。爆発物程度でこの島の警備システムが限界モードになるはずがないことは、あなたもご存知のはず」
「まさか九代目は、超直感でこの事態を?」
「流石に人災か災害かの判別は難しく──けれども、先ほどの警報はヴィラン犯罪を裏付ける決定的な証拠。速やかな問題解決のためにご協力ください」
メリッサに決断を迫る隼人が一歩を踏み出すと、そこに割って入る者が、あった。
それは隼人が必死に視界から排除しようとした少年だ。
あんなにも主人の心を痛ませ、苦しませる存在。夏だけの幼馴染。
「ちょっと待って下さいよ! ヴィランはあなたですよね、どういうことですか。どうしてメリッサさんを連れて行こうとするんですか」
「俺の邪魔をするな」
研究者の娘であるメリッサに向ける礼儀も、この場にいる少年少女には払う必要も義理もない。そう判断した隼人の険しい表情は、隼人自身が自覚するよりも威嚇に等しいものとなった。
「デク君、彼はボンゴレ十代目の守護者であり右腕の獄寺隼人さんよ。今回の騒動とは無関係のはず。そうですよね?」
メリッサの縋るような眼に、隼人は答える。
「もちろんです、メリッサ嬢。お父上の支援者である我らボンゴレが、研究発表の場を台無しにするはずがありません。我々はヒーローとの歩み寄り政策を受けてこの島にいます。ボンゴレの名にかけての潔白を主張致します」
ヴィランであるボンゴレの人間が無実を主張したところで、彼らには理解し難いことだろう。自分たちがどう見られているかを正しく理解しつつも、それを一から説明してやるほど隼人は親切ではない。
九代目の命を受けた身として、隼人は焦っていた。
迅速に解決して綱吉の評価を上げねばならない。迅速というのは、綱吉が普段から気にかけている一般人への被害を出さないことであり、彼の負担を最小限に抑えることを意味している。それを邪魔するならば許さない。ただでさえ強すぎる超直感の扱いに苦しみ、他人に心を砕いている彼は疲れている。仮眠で多少は顔色も改善したが、根本的な解決には至らないというのに。
綱吉に心労を与えている張本人が、綱吉の憂いを晴らそうとしている隼人の前に立ちはだかっている。
元々、周りから忠犬と呼ばれるほどに熱い忠誠心が、立場と時間によって多少なりとも周囲を見渡せるようになってきたとしても、隼人とてまだ十六歳。研究者の島でヒーローに囲まれ、居心地の悪い視線にさらされながらの、丸腰での護衛任務は、少なからず隼人から余裕を奪っていた。
そのストレスは、目の前のそばかすの少年への憎悪として現れた。
「メリッサ嬢、ご協力下さいますね」
低い、主人への忠誠心を詰め込みすぎた為の、有無を言わさぬ、まるで脅迫のようなそれは、メリッサに恐怖心を抱かせるには十分なもので、射抜くような視線に、彼女は怯えを隠すことができなかった。
「まずはパーティー会場に行きましょう!」
「そんな時間はない」
「オールマイトが来てるんです! 彼ならこの状況を打破してくれますよ!」
メリッサを庇うように前にでた出久を、忌々しく払いのけようとして、隼人は気付いた。
そうだ、この島にはオールマイトが来ている。会場にはデヴィットがいるのだから、警備システムの異常にもいち早く反応するはずだ。シャッターが降りて身動きが取れないなんてことは、オールマイトがいればあり得ない。他にもプロヒーローが多数集められているのだ。この静寂は、おかしい。
全身から血の気が引くのを感じながら、隼人は振り返った。パーティー会場に繋がる道は分厚いシャッターで封鎖されている。
まさか、ヴィランの狙いは──
「──綱吉さん──?」
震える呟きは、鋼鉄の壁に阻まれて消えていった。
7
山本武には、このような場合において、右腕よりも冷静に立ち回れるとういう、自負が、ある。
特に今日のように、彼が敬愛するボスにイレギュラーが発生した場合、隼人は普段の冷静さを欠く傾向にある。それは時間と共に減少し、彼を良く知る者たちしか気づかぬまでになっているが、武の眼には明らかで、九代目も見逃したりはしない。
主人に相応しい右腕であろうとするがあまり、鉄仮面のような無表情を貼り付けたその下で、マグマのような怒りが煮えたぎってるのだ。
武よりも優秀な頭脳を持ちながら、いつまでも冷静になりきれないのが彼の愛情の本質なのだろう。冷静であることの利益を理解しているからこそ努めるものの、彼の忠誠心が冷めることはない。綱吉が十代目としての教育を受け、相応しい振る舞いを覚えれば覚えるほど、彼の表情は冷たくなり、胸の内は熱くなる。
この場に隼人がいなくて良かった。ただでさえ綱吉を想うばかりに気を揉んでいる男だ。幼馴染だけでなくヴィランまで現れたとなれば、彼の胃に穴が空く可能性がある。
警報と共にやってきた覆面のヴィランに対し、武はそっと背に綱吉を庇い、九代目の隣に立った。
会場中から戸惑いと困惑の悲鳴が上がる。
無意識に胸元にふれるもそこに相棒はいない。ボンゴレ本部で良い子でお留守番中だ。
ボンゴレの身体検査に気を使いすぎてヴィランの侵入を阻めなかったとなれば、世界中の科学技術が集結しているはずのこの島の警備システムの名折れというもの。
武は想う。
やはり、いつまで経っても、肉弾戦が性に合っていると。
「聞いたとおりだ。警備システムは俺たちが掌握した。反抗しようなどと想うな。そんなことをしたら──」
ヴィランの言葉に合わせてモニター画面に島の様子が映し出される。無線でこちらの状況も管理室に繋がっているようだ。
「警備マシンがこの島にいる善良な人々に牙を剥くことになる」
人質はすべての島民ということか。
この島の要である警備システムを掌握してからの犯行声明とは、嫌な手口である。上手いと認めざるを得ないのが癪で、綱吉が嫌がる類のヴィランだ。
と、品定めしているうちに床からセキュリティ用捕縛装置が飛び出してきた。ヒーローを次々と拘束していくが、それらはヒーローだけで、この島の研究者や武たちを縛り付けはしない。
ヴィランのリーダーらしき男は天井に向けた威嚇射撃をすると、縛られて身動きの取れない平和の象徴を踏みつけにした。縛っていなければ到底できない。それは、会場にいる人々に恐怖を植え付けるパフォーマンスでありながら、こうでもしないとオールマイトに勝てないという、己の力量を晒す惨めな行為であるというのに、彼らは気付かないのだ。
「安心しろ。大人しくしていれば気概は加えない。時間がくれば解放する準備もある」
「お前たちの目的はなんだ!」
「聞こえなかったのか? 大人しくしていろ」
踏み付けにされるヒーローの姿は、ヴィランが望む、ヒーロー社会の転覆のように、見える。
このような状況にあっても、精神に波を立てないのが、山本武という男であった。客人の恐怖が伝染することも、隼人のように使命感が先立つこともない。普段どおりの正常。これくらいのことでは心拍数が上がることもない。昔、凄腕のヒットマンから「生まれながらの殺し屋」であるとその資質を見抜かれたその瞬間から、武は己の精神の在り方を漠然と理解し、未来での戦いや他組織との抗争を重ねるなかで、着々とその枠組みをつかみつつある。
たとえば、九代目のほぼ無意識に近い意識の切り替えを感じ取ったのも、家庭教師からすれば「生まれながらの殺し屋」としての本能が成せる技。
「君たちの目的はこの島のトップシークレット──世界中から集められた個性研究のデータかな」
武は一歩、綱吉を下がらせる。
「──ご名答。流石は神の名を二つ名に持つ男だ。ボンゴレ九代目。ヴィランのなかのヴィラン──真の巨悪よ」
ヴィランはその名をヴォルフラムと名乗った。
武は知らぬ名であった。隼人なら知っているだろうか。
「まさかこのような場所でボンゴレに出会えるとは。これも、ヒーローが考案したヒーローとヴィランの歩み寄り政策などという戯言のおかげならば、頭のおかしい奇策にも感謝しないといけませんな」
ヴォルフラムは舐めるように九代目を見、武の後ろに庇われる十代目を見る。その最中、不意に視線が外れた。
「おまえ研究者か。連れて行け」
眼をつけられたのはサミュエルであった。それを庇い、デヴィットが前に出る。
九代目の推察どおり、この二人に個性データを引き抜かせるつもりなのだ。
二人がヴィランの指示を遂行してしまうのが先か、隼人がコントロールルームに到着するのが先か。どちらにしても人質がいる以上、ボンゴレがヴィランに手を出すことはできない。最も、この状況がヒーローと一般市民にはどう映っているのかは、武の意識の外にある。
「さてと、九代目、お待たせして申し訳ありません」
恭しく頭を下げる、芝居がかった態度が、不愉快だ。
「ヒーローなんぞに慈悲はいりませんぞ。さあ、これを」
ヴォルフラムが胸元から取り出したもの。それは匣兵器と、Aランク以上のリングだ。それもふたつ用意している。
どこからか情報が漏れている。少なくとも九代目と十代目がこのエキスポに参加すること。歩み寄り政策のため丸腰でやってくること。ボンゴレ側からの情報漏洩はあり得ない。となると、この島から漏れたに違いない。
皆の視線が九代目に注がれている。そこにはさらなる絶望への恐怖が滲んでいる。
ヴォルフラムの手の上にある裏社会の兵器に、九代目は、この場には似合わぬ、優しい微笑みを浮かべた。
「君がいま連れて行かせた研究者は、私が期待を寄せる若者なのだよ。この歳になるとね、彼や私の後継者のような若者の成長を見守ることが老後の楽しみになるんだ。
私は彼らの成長に期待している。そしてその過程を見守り、時に支え、導くことに喜びを見出している。そこにはね、たとえ世界中の個性研究のデータを手にしたとしても味わうことのできないものがあるのだよ」
ヴィランの表情に困惑がよぎるのが、マスク越しにもわかった。
「若者よ。いますぐ手を引きない。私が君の申し出を受けることはない」
九代目は武の背に庇われていた綱吉に視線を落とした。そこで武も横にズレる。
この会場にいるヒーロー、研究者、そしてヴィランに、九代目の言葉はどのように伝わったのだろう。若き十代目の瞳に宿る意志に気付く者が、いったいどれだけいるのだろう。
「君を唆した者には、こちらから伝えておこう」
「──なるほど。あの方のおっしゃるとおりか」
ヴォルフラムはさっと匣兵器と指輪を仕舞うと、いままでの態度とは一変し、強く強くボンゴレを睨みつける。
「歴代きっての穏健派と聞いたところで、俺はボンゴレに期待をしていた。なにが穏健派だと。その正体は個性発現前から存続する、圧倒的な歴史と厳格を積み重ねてきた巨悪のなかの巨悪であると。俺はそう信じていたんだ。
失望したぞ、ボンゴレよ。こうしてみれば老いぼれとただのクソガキ。護衛も同じく若造。武器も持ちこまない愚か者どもめ」
圧倒的不利な状況であっても、九代目の柔和な物腰は変わらない。武はその微笑みが心底恐ろしく感じられるのに、ヴィランはなぜ気付かないのだろう。
九代目はすでにこの事態の収拾を定めている。その頭のなかには事件解決までの筋道があり、目の前で騒ぎ立てるヴィランなどまったく眼中にないのだ。
「若者よ。老いぼれからひとつ教えを授けよう」
ヴォルフラムの最大の不運は、ボンゴレを舐め腐ったことか、そもそもこのような計画を企てたことか。
「ヴィランとは秩序だ。秩序とは我々だ。故に我らは巨悪なのだよ」
8
雄英生がオールマイトから事情を聞いている場には隼人もいて、吹き抜けの天井からどうにか主人の姿を探せないものかと、円形の回廊から眼を凝らした。姿勢を低くし、万が一にもヴィランや研究者に見つからないように注意する。
壇上の真上にある吹き抜けからは会場の奥までは見渡せない。隼人は気配を殺しながら、最も広く見える場所まで移動した。
──いた。武の背に庇われるようにしている。
その時、琥珀色の眼が、決して近い距離ではないところにいる隼人を、捉えた。
超直感の前では距離も隔たりも無意味である。それなのに主人の眼がこちらを向いたことが、こんなにも、嬉しい。
綱吉は微笑んだ。そして言った。
「出久によろしく」
読唇術を取得している隼人だが、遠目になればなるほど正解率は下がる。けれども、それが間違っているとは思わなかった。
誰かのために心を砕いてしまう、そういう優しさが、隼人には心地良く、そういう男だからこそ、着いて行こうと決めたのだから。
隼人は大きく頷いてその場を去った。
「獄寺──隼人さん、でしたよね。僕たちと一緒に来てくれませんか」
「何を言ってるんだ緑谷君! 彼はヴィランだぞ!」
飯田天哉の言葉はいつも絶対的に正しい。だからボンゴレというマフィアを警戒する彼の判断も間違ってはいない。
「僕たちのなかに警備システムを書き換えられる人はいない。でもメリッサさんならできる。彼女を連れて行く危険を考えたら、戦闘要員は多いに越したことはないよね」
「獄寺さん、今度は私からお願いするわ。デク君たちと一緒に行ってほしいの」
出久は学友たちを説得し、メリッサは隼人の説得を試みる。彼は元々メリッサを連れて行こうとしていたから、彼にとっても悪い条件ではないだろう。
鋭い眼光は表情を読ませず、ただただ緊張感だけを出久に与えた。
「わかった。一分一秒が惜しい。早く行くぞ」
ヴィランとの戦闘を避けつつ、最上階にあるコントロールルームを目指し、システムを書き換える。
ヒーロー免許を持たない学生にできる最大限にして、唯一の作戦。
出久たちは非常階段を駆け上る。
セントラルタワーはその名のとおりこの島の中心にあり、警備の要となる重要施設である。最上階はなんと二百階。階段で行くには絶望的な高さであるが、行くしかない。伊達に毎日、雄英高校というヒーロー養成所の最難関で鍛えていない。
メリッサの体力がどうにも心配であるが、彼女はヒールを脱ぎ捨てて懸命に着いてきている。そんな彼女の覚悟を受け取りながら、一段一段を上っていく。雄英生は流石にまだまだバテる様子はない。そしてヴィランである少年も、ここまで顔色ひとつ変えずにきている。
道のりは果てしない。あと百八十階分の階段を上るのだ。
出久は耐えきれずに口を開いた。
「あの、獄寺さん。聞きたいことがあります」
出久の半歩後ろを走っていた隼人から返事はないが、振り返ると翠色の瞳が出久を捉えていた。
「ツナはどうしてヴィランになったんですか」
「緑谷、それいま話すことか」
轟焦凍の冷静な指摘に心苦しくなるも、ここを逃せばもう聞く機会はないだろう。綱吉からは明確に拒絶されていて、この騒ぎでは直接話す機会もないに等しい。出久にはこうするしか方法がないのだ。
「おまえに話す義理はない」
「ツナは、ヴィランになんてなるべき奴じゃないんだ!」
吠えるような出久の大声に、皆の足が止まった。騒げばヴィランに見つかる危険性があると、頭ではわかっていることを注意されて胃がむかむかとする。わかっているんだ。そんなことは、普段の出久なら誰かに注意する立場だろう。
隼人は凝と出久を睨みつけるが、彼は常に眉間に皺を寄せているから、それがどんな表情かはわからない。これが勝己であれば機嫌も読み取れるのに。
「──ツナは、一般家庭に生まれた普通の子供じゃないんですか。僕は彼の両親を知ってます。奈々さんも家光さんも、とうていヴィランには見えなかった! 教えてください。でないと僕は何もわからない。親友のことを知りたいと思うのは、悪ですか」
わずかに、彼の眉間の皺が濃くなったかと思えば、視線が外される。そのまま走り出したので、出久もその背中を追うしかない。
「ボンゴレは血統主義だ。綱吉さんは初代ボスの直系にあたる。だから選ばれた」
「それだけのことで──?」
ただ、血縁関係があったから。一般的な家庭で生まれ育った出久からすれば、理解できるはずがない独特の価値観だ。
隼人は冷たく言い放つ。
「ヒーローにはわからねぇよ」
しばらくのあいだ、皆の息遣いと足音だけが響き続けた。出久はもう何も聞くことができず、足を動かすのが精一杯だ。この島に来てからというもの、精神的な疲労が蓄積されている。
「大丈夫か」
不意に、声をかけられて出久は顔を上げた。声をかけてきたのは隣を走る飯田だ。
「ひでぇ顔してるぞ」
轟も言う。
「──大丈夫、とは言い切れないかな。いまでもまだ信じられないんだ。だってツナは僕が素晴らしいヒーローになるって応援してくれたから。雄英を受験するって報告したのも、ヒーローになりたいって話したのも、母さんを除けばツナが一番最初だったから。僕のファン二号だって、微笑って、僕のために泣いてくれたから」
目頭が熱くなり、出久はグッと奥歯を噛み締めた。それでも堪えきれなかった涙が頬を伝い流れ落ちていく。
「仲、良かったんだな」
「親友だよ。夏にしか会えなくたって、大切な友達で、幼馴染なんだ」
話しながらも足を止めることはない。
「ツナと話がしたい。ツナの口から全部聞かせてほしい」
「そしたらおまえは受け入れるのか」
前方からの声は隼人のものだ。彼はこちらを見たりはしない。
「──僕、信じてるんです。可笑しな話かもしれませんが、ツナのこと、幼馴染として過ごした時間を信じてるんです」
彼を信じる自分のことを信じている。
「あの人は朝が苦手だ。よく寝坊されるから毎日ご自宅まで迎えに行った」
反応が遅れた出久のことは気にせず、彼は続ける。
「勉強も苦手だ。家庭教師に怒られるからと放課後は残って一緒に宿題をやった。近所で飼ってるチワワを怖がって道を迂回したことがある。死ぬ気でやればできるのに、どうにも球技が苦手で特訓をした」
それは出久が良く知る綱吉だ。
「あの人は子供に弱い。扱い方がわからないと言いながら居候するガキ共には本当の家族のように分け隔てない。お母様がご不在の時には、自分のためには料理なんてしないのに、子供に不摂生はよくないと野菜をたくさん入れた焼きそばを作っていた。ご自分だって疲れているだろうに、必ず一緒に風呂に入ってやった。夜中に忍び込んでくれば邪険にせずに布団に入れてやっていた。
あの人は優しくて臆病だ。裏社会に巻き込んでしまうからと、好きな女に告白することもなかった。伝えればあいつだって答えただろうに。
あの人は、自分のために力を使ったことは一度もない。ただの、一度も。あの人が拳を振るうのはいつも誰かのためだった。家族、友人、一般人だけならまだしも、自分の暗殺を企てた殺し屋までも許し、守ってしまう。誰かのために戦って、自分が傷付いてしまう。
あの人はいつも、眉間に皺を寄せて、祈るように拳を振るう。戦場に立って笑ったところを、俺は見たことがない。早くこの戦いが終わりますように。一人でも傷付く人がいませんように。誰も死にませんように。俺には、あの人がそうやって祈っているように感じられてならない」
誰も口を挟む者はいなかった。皆が隼人の言葉に耳を傾けていた。
「あの人は平凡で、平和な世界が似合う人だ。暴力を嫌い、争いを嫌い、いつまでたっても拳を振るうことを苦手としている。
できることなら裏社会とは関わらない人生を送りたかったに違いない。口癖のようにボンゴレ十代目なんて嫌だと言っていたし、いまだって時々、やっぱり俺には無理なんじゃないかと愚痴をこぼされる。
それでもあの人は自分の意志でマフィアとなる道を選んだ。俺たち守護者はそんなあの人の覚悟に着いて行くと決めた。いつか死ぬならあの人の盾となって死にたいが、生憎とそれを許してくれる人じゃない。困った人なんだ。守護者に守らせてくれない、守護者を守って血を流してしまうから気が気じゃない。俺の胃に穴が空いたらあの人のせいだ。
これが、俺の知る沢田綱吉という人だ。緑谷出久、おまえが知る幼馴染のあの人と矛盾したところはあるか」
その問いかけの返事は、鼻水を啜る音となってしまった。涙が溢れて、気管がつまり、上手く言葉がでない。懸命に「ありません」と答えてはみたが、正しく隼人の鼓膜に届いたかは謎だ。
「本来なら、他の十代目候補が全員暗殺されなければ裏社会とは関わるはずがなかったお人だ。それでも俺はあの人が十代目で良かった。
九代目が最後まで十代目候補として名前を上げずにその存在を隠されたのも同じ理由のはずだ。
ボンゴレは裏社会の秩序だ。その秩序を作るのがボスの務めだ。
平凡で、争いが嫌いで、お人好しの、そんなあの人だからこそ、巨悪に相応しい」
隼人はなにも出久に同情して話してくれたわけじゃない。これは彼からの暴力だ。いつまでも親友の綱吉に縋って離れられない出久への残虐だ。
流石はヴィラン、人の心の抉り方を心得ている。
主人を敬い、出久が最も傷付く方法で、彼は夏だけの幼馴染への拒絶を示したのだ。
「さっさと諦めろ。俺はあの人の一番最初の殺人も見届けた。あの人は、巨悪となられるお方だ」