9
ホテルで休んだにも関わらず不機嫌が晴れない。腹の底に溜まり、ぐるぐると渦を巻くそれが、膨張して、いまにも破裂寸前。そこに、切島鋭児郎がパーティー用のスーツなんぞを用意するものだから、あとほんのわずかな刺激で、大爆発を起こそうとしている。
「おっかしいなー、あってるはずなんだけど」
不安を誤魔化すように後頭部をさわる切島の半歩後ろを、勝己は歩いていた。どう考えても迷子である。けれど、スマートフォンをホテルの部屋に置き忘れたことで、外部への連絡を取ることもできないのだ。
これは一旦外へ出たほうが良いのではないか。けれども、どうやって出ればいいのかもわからない、というのが問題だ。どうして誰も人がいないのだろう。客でも職員でもいれば道を聞けるのに。せめてエレベーターさえあれば。
迷宮のような施設内を彷徨っていた二人は、ようやく大きな空間に出たことに、事態の進展を見る。
「おいあれ、エレベーターがある!」
「よし、あれで一階まで降りて仕切り直すぞ」
いっそのことホテルに帰ってしまおうか、という本音は、切島に止められるので黙っておいた。ここまで来たからには、タダ飯を食わねば労力に見合わないというもの。
そこには見たこともない巨大な植物が生息し、さながら亜熱帯植物園のようで、あった。
原始のままではなく、人の手が入っているからこその管理された自然の姿には、統率という美しさがある。
「すっげーな、ここ。ビルんなかにこんな庭園があんのか」
「庭園っつーよりは、保護目的か? 観賞用じゃねぇだろ」
人の眼を楽しませるというよりは、保護、または研究目的と言われたほうが納得できる空間だ。この島は個性研究のための島だ。何らかの関係があってもおかしくはない。
「お、誰か降りてくる」
電子パネルがエレベーターの停止を知らせる。
正直なところ助かった。早々に飯を食べてホテルに帰り、ベッドで休みたい。勝己の就寝時間は決まっているのだ。
エレベーターの扉が開く。降りてきたのは二人の男だった。一人は背が高く、一人は低い。服装は、パーティの客には見えないし、研究職員というわけでもなさそうだ。
「見つけたぞぉ、クソガキ共!」
「ああ? いま何つったてめぇ」
初対面でガキ呼ばわりされる筋合いはない。礼儀には礼儀を、と親には教わったが、暴言には暴言を、というのは勝己の持論だ。
「お前らここで何をしている」
「そんなの俺が訊き──」
「ここは俺に任せろって」
切島が勝己の言葉を遮って前に出る。たしかに彼のほうが勝己よりも対人コミュニケーション能力に長けているが、相手はどう見ても一般人ではない。
勝己の眉間の皺は、いまでは渓谷のように深くなっている。
「俺ら道に迷ってしまって、レセプション会場ってどうやって行けば」
「見えすいた嘘ついてんじゃねぇぞ!」
背の高い男の手が突如、ふくれあがり、グローブを破って水掻きが現れる。そこから生まれるのは身の危険を感じるほどの風圧だ。
咄嗟に、爆風で相殺するかと考えたが、切島が自身の個性である硬化をすこしでもためらえば巻きこんでしまう。
その一瞬の迷いが生んだ隙に現れるのは、よく見慣れた、巨大な氷の塊で、あった。
瞬く間に周囲の空気を冷やす、氷結の個性。
驚きを瞬時に収めて、勝己も臨戦体制を取るも、生垣の影から現れるクラスメイトと、綱吉のそばにいた男の姿に、またすぐに驚きが更新された。
何か、勝己が知らない事件が起こっている。それだけはわかった。
轟は氷結を展開させると、クラスメイトを上空へと逃した。この場に残るは、勝己、切島、轟、そして銀髪の少年の四人だ。
「おいてめぇ、なんのつもりだ」
銀髪の少年は、掴みかからん勢いで轟に詰め寄った。
「おまえは無意味に緑谷を傷付ける。だから離した」
「無意味だ? あいつがいつまでも綱吉さんを諦めないからだ」
「諦める諦めないに関わらず、マフィアのボスになんのは決まってんだろ。だったらそれでいいじゃねぇか!」
何やら揉めはじめた二人だが、ヴィランは待ってくれない。
「おい、どうしてボンゴレがここにいる? ミスったのかよ」
「何だっけかこいつ。嵐の守護者の──獄寺隼人とかいう小僧だ」
「それがどうしてガキ共といるんだ」
「知るかよ。聞いてみりゃあいいんじゃねぇの」
言うなり、背の低いほうの男は個性を解放する。
体が膨れ上がり、皮膚はうすい紫色に変色する。典型的な異形の個性だ。
「どうなってんだよ、轟!」
はじまってしまった戦闘に、切島は状況の把握に努める。
「放送聞いてねぇのか? 島がヴィランに占拠されてんだ。人質は全島民だ」
なんということだ!
やはりこいつらはヴィランであったのだ。服装や顔付きからヴィラン臭が漂っていて、勝己の嗅覚はそれを無意識に嗅ぎ分けたのだ。
「なんでそいつまでいんだよ!」
言いながら、勝己は異形のヴィランに威嚇の爆破を放つ。
「チッ──この島の解放、同じ目的のために手を組んだはずがこのざまだ」
「俺の独断だってことを忘れんじゃねぇぞ」
轟と獄寺隼人という少年のあいだには殺気が充満している。ヴィランなぞ捨て置いて、今にも戦闘を開始してもおかしくない緊張感だ。
「うるせぇよ。俺はさっさと上に行く。それがあの人のためだ」
隼人はおもむろにベルトの装飾に手を伸ばした。
円形の黒い金属らしきパーツが連なってチェーンとなっているものを、輪が重なるようにひとつにまとめ、次に、ネクタイピンに煌めく赤い石を取り外す。その二つをどうするのかと視線を奪われていると、どちらかのヴィランが「まさか」と声を上げて、次には、その二つが合わさり、指輪と、なった。
そして灯る──地獄の業火のような、真紅の炎。
「その炎、どういうことだ。ボンゴレは丸腰でこの島に来たはずだが?」
「そのとおり。丸腰みてぇなもんだ。こんなのはボンゴレリングの二十分の一くらいの力しかでねぇんだからよ」
「なら、無駄な抵抗なんてするなよ!」
マフィア・ボンゴレというヴィランは、雄英の授業で取り扱うことからわかるとおり、有名すぎるのだ。ヴィランでありながらヒーローとの繋がりを持ち、名を伏せているだけで世界中の企業に出資しているという噂もある。故に、彼らの能力も、授業で取り扱った。
彼らは炎を灯して戦うという。それは一種の生命エネルギーであり、個性とはまた別の巨大な力だ。
「あれが死炎ってやつか」
切島の問いに、勝己は「だろうな」とだけ返す。
隼人の指で燃え上がる、赤い炎は、裏社会の力と知っていてもなお、見惚れてしまうものが、あった。
「ツナもその炎を使うのか」
それは口から漏れてしまったささやきだった。本当は知りたくない。知れば、無知をわからせられるから。
翡翠色の眼が、凝と勝己を射抜いたのは一瞬のことであった。すぐにヴィランを捉え、戦闘は開始した。
戦いのなかでも勝己の関心は炎に奪われていた。どうやらただの炎ではないらしい。だが、隼人の戦闘力はそれだけでなく、炎という異質な力に頼らずとも、身体能力が素人ではない。筋骨隆々というわけではないけれど、自分の肉体を思い通りに動かし、人体の構造を正しく理解し戦闘に応用している。学生とは根本が違う、プロの動きだ。
勝己の不機嫌の導火線に火を付けたのは隼人の炎だ。それはあっという間に爆破を引き起こす。
戦いは被害を出すことなく、勝己たちの勝利に終わった。
ヴィランの鎮圧を確認した隼人が指輪の炎を消す。
「綱吉さんの炎はな、俺のよりも格段に美しいんだよ。透きとおるような蜜色の、純度の高い炎だ──まあ、お前たちが知ることはねぇだろうけど」
組み立てた指輪の具合をたしかめるようにふれて、語る口元には、柔らかい微笑みが浮かんでいた。
ニトログリセリンの残香のなかで、勝己は、隼人の言葉の意味を考え、出久もまた、勝己のように、綱吉の炎を知らないことを、知った。
愕然としながら考える。
自分は一体何にこれほどの衝撃を受けているのだろう。
綱吉という幼馴染も、出久とはまた別の、得体の知れない生き物であった。勝己よりも劣るのに、勝己の予想を超えた動きをし、勝己の思考の外でものを考える。幼いころはそれが我慢ならなかった。自分が一番凄いんだと信じて疑わぬ、狭い世界でしか生きていない愚かな自尊心。
あるていどのものを考えられるようになってからは、それが圧倒的な差異と、不理解による畏れであると知ったけれど、それを認められるほど育ってはいなかった。それが出久への悪質な態度となり、綱吉を避けた結果、挨拶もせずに不完全な別れをとげ、この歪な再会に繋がってしまった。
わかっているのだ。阿呆ではない勝己は、わかっている。認めたくないだけで。
そしてもうひとつ、一連の思考によって気付いてしまった事実がある。
これもまた、認めるのは癪で、死んでも認めたくない、口に出すことも憚られることではあるが、隼人の炎によって大爆発を起こした結果、それは真実として浮上してしまった。
勝己と出久は、腐っても幼馴染という関係性を消すことはできない。二人が自分の人生を語るならば、必ずついて回る不愉快なもので、これは勝己と綱吉の間にも存在する、邪魔くさいものだ。出久と綱吉に関しても、幼馴染という三文字が相応しいだろう。ただ、それだけではなかった。勝己が出久と綱吉の関係を語るとき、それだけでは不十分。つまり、二人を語るとき、さらに付け加えるべきものがあると無意識に考えていて、さらにさらに、勝己はそんな二人を当たり前だと認識していたのだ。
一年のなかでひとつの季節しか共有しなくとも、二人は友であった。それは太陽が東から昇り西に沈むように、日本とアメリカの時差がだいたい十三時間であるように、月が徐々に地球から離れているように、春には桜が咲くように、自然の摂理のような当たり前で、それが覆されるのは、まさしく、天変地異という恐るべき事態なのだ。
勝己は漠然と信じていた。期待していたのだ。
出久と綱吉が、永遠の友であることを。
「おい爆豪! なにぼーっとしてんだよ!」
切島の声に天変地異の衝撃から顔を上げると、無数の警備マシンが、勝己らを捕らえようと、押し寄せていた。
10
島民全員が人質という絶望的な状況にあるにも関わらず、綱吉の心は凪いていた。
それは暗躍する隼人への信頼であり、九代目と超直感がヴォルフラムを脅威認定していないこと、そして雄英生が島の解放に挑んでいる現状が与える余裕であり、ヴォルフラムがインカムで指示を飛ばすたびに、綱吉は事態の収集を確信する。
ヴィランがこの島を占拠した目的は未だ判明していないが、博士を連れて行ったのだから、この島にしかないサポートアイテムを狙っての犯行の可能性は高い。それも、隼人がコントロールルームにたどり着けば解決へと向かうはず。
セキュリティ用捕縛装置で身動きを封じられているヒーローと怯える一般人が哀れで、どうにか早く解放してやりたいのだが、ヴォルフラムがここにいる間は下手に動けない。せめて、彼らの関心が別に移れば良いのだけれど。
綱吉は壇上に転がるオールマイトを見、とあることを思いついた。
「オールマイトと話をさせてほしい」
もうヴィランに怯えて敬語を使う少年はいない。ボンゴレの次期十代目として、同じヴィランという括りで生きる者として、自分が格上であることに萎縮もしない。
「何を話す」
「ただ挨拶を。今しか彼とゆっくり話す時間がなさそうだから」
綱吉はヴォルフラムの眼を見つめながら、一歩目を踏み出す。ヴィランが構える銃が、一般客から綱吉へと集まった。けれどもヴォルフラムは綱吉を止めようとはしない。その眼は若造を品定めしようと、射抜かんばかりだ。
ゆったりとした足取りで、綱吉はオールマイトの元へ歩いていった。
こちらを見るオールマイトの眼には驚きが満ちていて、安心させようと微笑んでみるも、ヴィランが浮かべる微笑みほど気味の悪いものもない。苦笑がまじる。まだまだ、九代目のようにはいかないものだ。
「はじめまして、オールマイト」
この島の共通語である英語ではなく、日本語で声をかける。するとヴォルフラムから「英語で話せ!」と怒声が飛び、綱吉は小さなため息を隠さず、「英語は苦手なんだよなぁ」とぼやいた。
改めてオールマイトと向き合う。
「沢田綱吉と申します。俺はボンゴレの次期十代目です」
「──オールマイトだ」
このような状況であっても、きちんと返事をしてくれる対応に、彼の優しさが伺える。出久は彼のヒーロー活動からにじみ出る人柄にも惹かれていた。
「平和の象徴の授業を受けられるなんて、雄英の生徒は恵まれていますね。俺の友人にあなたの大ファンがいて、はしゃぐ姿が眼に浮かびます」
出久の幼馴染だと正直に話せないのがむず痒かった。話したところで、後でヴィランの記憶操作をしてしまえば済むのだけれど、綱吉が仕事を増やすと霧は眉間に皺を寄せるだろうから、濁しながら話さねばならない。英語よりもイタリア語のほうが得意で、もちろん日本語が一番話しやすい。ヴィランとしての立場は、気さくな語らいさえ許してはくれないのだ。
「あなたはお訊ねしたいことがあるんですが、かまいませんか」
「ああ、いいとも。私で答えられることなら」
「命を賭けることはヒーローの美徳ですか」
ウッと、オールマイトの表情が強張るのがわかって、綱吉は胸の内で謝罪した。嫌な質問をしているのは自覚している。それでもいま、出久の友人ではなく、ヴィランとしての綱吉が問うべきものだから。
「あなたを見ていると想います。いつか戦場で死んでしまうんじゃないかと。それは、あなたに憧れ信じているヒーローの卵たちへの裏切りなんじゃないかと」
「君の言うとおりだよ」
オールマイトは倒れた体勢を居心地悪そうにしながら、答える。
「雄英で教鞭を取る機会を与えられて、私なりに良い教師であろうと努力をしたさ。けれど私はヒーローだからね。言葉や教科書だけでなく、実践でしか教えられないことが山ほどあるんだ。そのひとつは勝つことだ。そして死なないこと。ヒーローの命が消耗品ではないことを、私は教師として生徒たちに示さねばならない」
平和の象徴は、民衆の前では大声では言えないけどね、と付け加えて、出久が大好きな笑顔をみせた。
世界中の人が勇気をもらう笑顔というのは、世界中のヴィランへの牽制でもある。
「そこまでだ。生産性のない会話をこれ以上続けるな」
ヴォルフラムは綱吉とオールマイトを気狂いのように見、自身はインカムに指示を飛ばしてパーティ会場を出て行った。
会場に残されたヴィランは残り三人。銃口はこちらを向いている。一人のヴィランが綱吉を元の位置に戻そうと近づいてきた。
「オールマイト、どうか死なないで。出久のためにも」
綱吉は最後に、日本語でそう残した。
武と視線を交わらせれば、言葉は必要としない。
数々の試練を共に乗り越え、友人としての時間を積み重ねた二人のあいだには厚い信頼があり、アイコンタクトひとつで、二人は同時に動きはじめた。
まずは一人、綱吉に銃口を向けて警戒している男から銃を奪い、取り返そうと伸ばされた腕をつかんで、もう一人のヴィランに向かって投げ飛ばす。
そのすきに武は武で残りのヴィランを気絶させている。
綱吉もさっと二人のヴィランの首に手刀を打ちこみ、念のために腹にも一撃入れておいた。
最低限の動きでヴィランを制圧した二人に、九代目はにこりと相好を崩す。
「怪我人はいませんね」
ぐるりと見渡すかぎり、巻きこまれた人はいないようだ。唖然とこちらを見つめる者たちに微笑みを返した綱吉は、再びオールマイトのそばへ寄る。
「いま外しますから」
「君は──ヴィランじゃないのか」
捕縛装置に手をかける綱吉に、オールマイトは唖然と問うた。
「ヴィランですよ」
「ならばどうして」
「ヴィランは悪ですか」
綱吉は手のひらに炎を灯し、オールマイトの手首の拘束具を焼き切る。最初こそ炎に怯みを見せたが、肌を傷つけはしないとわかると、彼はじっと綱吉の出方を伺っている。
「俺たちはマフィアです。必要なら人だって殺す。それでも俺がこちら側にいるのは、そうまでしても守りたいものがあるから。これが俺の正義だからです」
綱吉が手首の拘束を外すあいだに、オールマイトは足首の拘束を力ずくで破ってみせた。流石の個性である。
体を起こした彼が問う。こうしてみるとかなり大きい。
「君は緑谷少年を知っているのかい」
「幼馴染なんです。出久も、勝己も、大切な友人です」
オールマイトの顔色に過るのは、困惑と、それからすこしの苦悩であった。綱吉の言葉の真意をたしかめる術はない。が、嘘だとすればどうしてこんな嘘をつくのだろうと考え、真実の可能性に、真実だった場合の痛みを、想定してしまったのだろう。
大丈夫。あなたの教え子はそんな柔じゃない。
そう伝えようか迷って、やめた。綱吉がわざわざ口に出さずとも、彼なら知っているだろうから。
「いってください。彼らはまだ仮免を持っていないんでしょう」
「なんでも知っているんだな」
「ヴィランなので」
ボンゴレは望めばある程度の情報は入ってくる。
「雄英を襲撃する予定は?」
「ありませんよ、そんなの」
「ヴィランなのに」
「はい、その必要性を感じないので」
「君は本当に二人の幼馴染なのかい」
「夏だけですが。こう見えて、ヒーローデクのファン二号です。一号は引子さんなので。本当は一号が良かったけど、出久が最高のヒーローになるって誰よりも信じてるのは俺だから、そこだけは譲りませんよ」
オールマイトは再び顔を歪めた。世界中のヴィランが恐るるヒーローがこんなにもわかりやすくていいのだろうか。
「──君はこれからどうする」
「皆を解放してから最上階に向かいます。うちの嵐が一緒にいるはずなので、彼を迎えに」
「わかった。では、先に行こう」
あっというまに飛び立ったオールマイトを見送って、綱吉はヒーローたちの拘束具を焼き切りに動いた。
11
八十階の植物プラントに轟と隼人、勝己と切島を残して進んだメリッサ達は、順調に上を目指していたものの、百三十八階のサーバールームでメリッサ、出久、麗日、以外が警備システムの足止めをするために離脱することとなった。
残された皆がヴィランに捕まった場合、一体どんな仕打ちを受けるのか。そう考えるだけで身震いするメリッサだけれど、今は前に進むしかない。それが皆を救う最善の方法だと信じて。
一か八かの賭けとしてメリッサが選んだのは、半屋外に設置してある風力発電システムだった。タワー内部を登れば警備システムが待ち受けている。けれど、ここから上層部に繋がる非常口まで辿り着くことができれば、ヴィランの眼を避けて一気に距離を縮めることが可能だ。
メリッサは出久の背中につかまり、麗日の個性によって浮き上がる。無重力となった二人は、麗日が加えた推進力によって、風力発電のプロペラを越えて高く高く昇っていく。
正直に言えば、怖い。武器を持ち暴力に戸惑いがないヴィランも、この状況も。万が一にも落下すれば命はない、そういう高さにあるのだ。そして残してきた雄英生たちの安否。もしも捕まってすぐに殺害されるようなことがあれば。島民たちだって、いまごろどんな状況に合っているのか何もわからないのだ。
そういった恐怖がメリッサを縛りつけているにも関わらず、こうして上だけを目指して進めるのは、出久たちがいるからだ。彼らの不屈の精神が、ヒーローとしての意志がメリッサの足を前へと進ませた。
もう少し。あとほんの数メートル。あの非常口まで辿り着ければ、最上階というゴールも手の届く距離となる。
だというのに、現実は非情だ。
眼下では、フロアを覆い尽くすような無数の警備システムが、一人残された麗日に襲いかかろうとしていた。
彼女はいまメリッサと出久のために個性を使っている。自分の身を守るためには個性を解除するしかないのだ。
「お茶子さん! 個性を解除して逃げて!」
気付けばそう叫んでいた。けれども彼女は、ヒーローを目指す優しい心は、それを受け入れはしない。
麗日には警備システムを防ぐ術は残されていなかった。
その一瞬、メリッサはこのような企てをしたヴィランを憎んだ。最愛の父の研究発表の場をめちゃくちゃにし、皆を助けようと奮闘する雄英生に牙を剥く暴力に、生まれてはじめての憤慨を、覚えた。
「麗日、無事か!」
その声と共に警備システムを凍らせたのは、八十階で別れた轟であった。それに続いて勝己、切島、隼人がやってくる。
攻撃力の高い個性を持つ彼らの登場に、メリッサはその豊かな胸に希望を宿した。勝己が背中に麗日を庇うのを見届け、安心して自分のやるべきことと向き合おうとした刹那、隼人の鋭い眼光がメリッサを捉えたと思いきや、彼は視線を目の前の警備システムに戻した。
そして皆に何かを訴える。
隼人が前に出た。皆は隼人の後ろに退避する。
メリッサと出久は、はるか上空から、真赤な炎が警備システムを焼きつくさんとするのを、目撃した。
その光景にメリッサは思い出した。ボンゴレの九代目が父の支援者となって間もなく、彼は誤魔化さずに正しい知識を娘に与えた。
裏社会に組織を形成するマフィア達は、個性とはまた別の不思議な力を操るという。それは一見、世にも美しい炎でありながら、色によってその性質を変え、時に強固な盾となり、時に傷を癒やし、時にはすべてを燃やし尽くすという。
「あの炎は──彼の個性? いや、ちがう──まさか」
唖然とささやく出久に、メリッサも父のように、真実を口にする。
「あれはマフィアが持つ力よ。人の体に宿る生命エネルギーを具現化して操るの。死炎と呼ばれるあの炎は色によって性質を変える。獄寺さんの赤い炎はたしか、嵐の性質を持つ炎。その性質は──分解」
出久が「──分解」と言葉をくり返すのを聞きながら、二人は崩壊する警備システムを、見た。
轟の炎と勝己の強力によってタワー内部に入ることに成功した。
安心する間もなく、駆けつけたヴィランは刃物を振るう。
苦戦する出久を助けようと飛び出したメリッサの腕に、ヴィランの大きな刃が傷を作った。
はじめての痛みであった。いまだかつてヴィランの侵入を許したことのないこの島で、父の愛に守られ、無個性という以外の不自由なく暮らしてきたメリッサにとって、腕を刃物で裂かれるというのは、経験したことのない痛みと、付随する恐怖があったけれど、皆の勇姿がメリッサを強くしていた。
容赦なく降りそそぐ銃弾。けれども出久は果敢に挑んでいく。
皆の助けを借り、多くの戦闘を乗り越えて、二人はようやく最上階に到達した。
正方形にブロック分けされた廊下には警備システムもヴィランも見当たらなかった。サーバールームでの戦闘をメリッサが危惧したように、制御ルームへの被害を警戒しているのだろうか。
早足に中央エレベーター前を通過しようとしたその時、保管室に人影を見た。
そこにいたのはメリッサの父、デヴィットと、助手のサミュエルであった。
「やりましたね博士、すべて揃ってます」
「ああ──ついに取り戻した。この装置と研究データだけは誰にも渡さない。渡すものか」
「プラン通りですね。ヴィランたちも上手くやってるみたいです」
「ありがとう。彼らを手配してくれた君のおかげだ、サム」
もしかしたら、親友がヴィランであると知った出久の衝撃は、今、メリッサがとうてい受け入れられないと感じているものと似たものであったのかもしれない。ならば謝罪を重ねなければ。随分と知ったような口をきいてしまったから。
「パパ──手配したって、何?」
激情を、困惑を、抑えておけなかったメリッサは、あの時の出久のように、過去の父の姿に縋ることしかできなかった。
デヴィットの代わりに語ったのはサミュエルであった。世界的な発明を成し遂げたこと、けれども、個性社会の仕組みを作り変えてしまうことを恐れた世界各国の要人によっての研究の凍結。無情な没収。得るはずだった栄誉と金は失われた。
「研究の凍結に賛成した者のなかにはボンゴレの九代目もいました! 彼は博士の支援者のはずなのに──!」
「そんな──嘘でしょ、パパ。嘘だと言って!」
「嘘ではない」
「私の知っているパパは絶対にそんなことしないわ! なのにどうして! どうして!」
信じるって、とても難しいことよね。信じるほうも、その期待を向けられるほうも。
数時間前に出久に向けた言葉が、メリッサの首を絞めるようであった。
「オールマイトのためだ。おまえ達は知らないだろうが、彼の個性は消えかかっている」
ほら、やはり、彼はメリッサのよく知るデヴィットだ。オールマイトの親友で、彼の活躍を自分のことのように喜ぶ、心優しい父親。望む物を作り出してしまえる頭脳を持つ天才で、メリッサが憧れた科学者だ。
いま目の前にいる男は、メリッサが知らなかった一面を見せただけの、父親なのだ。
出久が綱吉との再会に狼狽えたように。
メリッサがこうして戸惑っているように。
デヴィットはヒーローとして落ちていく親友を受け入れることができなかった。
すべては、メリッサが勝手に理想を押しつけていただけのこと。手段を間違えてしまったその弱さもまた、メリッサの父親の、見えていなかった一面にしか過ぎないのだ。
束の間の絶望。
そこに加わる、誇らしげなヴィランの、純然たる悪意。
抑えこまれるヒーロー。
レセプション会場から移動してきたヴォルフラムは、サミュエルを唆して、デヴィットの偽物のヴィランに研究を盗ませるという計画から、自分たちの犯行に筋書きを書き替えたことを自慢げに語った。
撃たれるサミュエル。
始末されようとする助手を助けたのは、彼に裏切られたデヴィッドであり、二人の前に滑りこんだ、ボンゴレの嵐の守護者で、あった。
「この人はボスの大事な研究者だ。手荒な真似はよしてもらおうか」
メリッサはとっさに隼人の名を叫んだ。
「出たなボンゴレ! 同じヴィランでありながら邪魔をするな!」
「方向性の違いってやつだ。諦めて投降しろ。さもなくば力ずくだ」
「おまえのような小僧一人に何ができる」
隼人とヴォルフラムが睨み合いをしているうちに、メリッサは父の元へ駆け寄った。どうやったのか、隼人が銃弾を防いでくれたおかげでデヴィットは無傷だ。が、サミュエルの出血はひどい。デヴィットは手早くジャケットを脱ぐと、サミュエルの左肩の止血に取りかかる。
「博士、お嬢様、申し訳ありませんでした。私が悪いんです。欲をかいた私が──以前の私は、ただ博士と研究できればそれで良かったというのに──」
デヴィットに甘い計画を持ちかけたのはサミュエルだ。けれど、彼をここまで追いこんでしまったのはデヴィットで、メリッサは何も気付くことができなかった。
「もういい、話は後だ。まずはこの状況をどうにかしなければ」
「パパ! ヴィランが!」
ヴォルフラムが連れてきたもう一人のヴィランの銃口がデヴィッドを捉えているではないか。こうなっては動くことができない。ヴィランは一歩一歩距離をつめる。
「動くなよ。でないと博士の大事な娘が血塗れだ」
「やめろ!」
その言葉を合図として、銃口がメリッサを向く。それを庇うようにデヴィットが片腕でメリッサを抱き寄せるも、三人を背に守る隼人は一切の動きを封じられてしまった。
「デヴィット博士。大人しくこちらへこい」
「この島にはヒーローが集まっている。本気で逃げられると考えているのか」
「もちろんだとも。逃亡の手筈は完璧だ。そんでこの騒動をボンゴレに押し付けちまえば俺たちの存在は闇に消える。ヒーローとヴィランの歩み寄り政策ねぇ──反吐が出るな!」
ヴォルフラムは研究を続けさせるためにデヴィッド自身を欲している。研究はすでに奴の手のなか。こちらの人数が多いというのは、数の優位ではなく、人質の多さでしかない。
出久はヴォルフラムの個性、金属操作によって壁に縫いつけられている。隼人は動くことを許されず、メリッサにもデヴィットにも反撃の手段はない。
絶体絶命の状況に変わりはない──そう思われた、その時。
出久が拘束具を弾き飛ばすのと、壁をぶち破ってオールマイトが現れたのは、ほとんど同時の出来事で、あった。
その混乱を見逃すことなく、防壁のように真赤な炎が燃え上がる。ヴォルフラムは慌てて飛びのき距離を取った。
「私が来た!」
希望がやってきた。平和の象徴が駆けつけてくれた。
メリッサの心は歓喜に打ち震えた。けれど、まだ終わってはいない。メリッサにそれを教え、促すのは、ここまで希望を繋いだ少年だ。
「警備システムを!」
こちらを射抜く出久の眼差しに背中を押されて、メリッサは駆け出した。その背中を守るのは隼人である。
保管室を出る直前、メリッサは一度だけ振り返った。分解の炎は飛び交う瓦礫をものともしない。デヴィットとサミュエルは、炎の壁に守護されていた。