真・カグツチ転生   作:れーれー

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受胎前夜

 

 ここに一冊の本がある。

 薄汚れた漆黒の表紙には常人には読めない記号文字が書かれていた。

 もしこれをインドの文字体系に対する造詣が深い者が目にしたとする。それならばその者は金文字がサンスクリット語で書かれていることに気がつくだろう。

 そしてこう読み取れる筈だ。

 

 ――『ミロク経典』と。

 

 この物語は経典に記された一人の悪魔と一柱の神……のとばっちりを受けた、経典に一文字たりとも記されていない悪魔達の物語である。

 

 

 

 真・女神転生Ⅲ

 Fan Fiction

 真・カグツチ転生

 

 

 

 眠らない街。そう称される東京において、ここはあまりにも暗すぎた。ライフラインの整備された現代において、電気の通っていない施設というのは希少価値が生じるほどに目にすることはない。

 にも関わらず、最先端技術が用いられた筈のこのビルの地下からは、一切の科学的技術が廃されている。科学を持ち込んではならない理由があった。

 蝋燭の立てられた手燭台を持った男が地下に続く螺旋階段を降りてゆく。炎に照らされる男が纏っているのは糊の利いた黒スーツに一秒たりともずれてはいない腕時計。いずれも男が几帳面であることを示していた。

 男の名は氷川。表向きは「サイバース・コミュニケーション」のチーフ・テクニカル・オフィサー。平たく言えば大手通信会社の最高責任者である。巷では『IT界の寵児』と称される男。世界各地に支社が存在し、その製品は人種問わずあらゆる人々に用いられている。彼はまさに世界の経済を握る内の一人といえるだろう。

 そんな男が何故こんなところに蝋燭という旧時代の遺物を持って歩いているのか。それはこのビルが世界を二分する宗教の内の一つであるガイア教の本拠地であり、また氷川自身もガイア教徒、それも本部を自由に歩き回ることを許されるほどの実力者だからである。

 とはいえ、氷川はガイア教の理念である力こそ全て、闘争こそが人間の本能、混沌を望む、といったものに共感している訳ではない。寧ろ彼が求めていたのは能力に応じた平等、争いの無い世界、永遠に保たれるべき秩序、といったガイア教のそれとは正反対のものである。

 氷川自身、初めの頃はガイア教の思想に染まりきっていた。本人は若気の至りというが、当時は心の底から賛同していたのである。氷川は腕っ節は強くない。だから筋骨隆々の男やインナーマッスルに優れた女が集まるここガイア教では大した地位は望めないな、と考えていた。

 しかし、男にとっては幸いなことに、ガイア教の要求する力とは何も腕力、武力に限ったことではなかった。

 例えば他者を自分に従わせるに足る権力。例えばその気になれば人ひとりの人生など容易に買い上げることが出来る程の莫大な財力。例えば巧みな演説により、民衆を自分の意のままに操ることができる圧倒的カリスマ。

 そういったものでも、ガイア教は一種の力であるとし、敬意を表したのである。

 確かに氷川はひ弱な男であった。だが、彼は力を持っていた。並外れた技術力、経済的手腕といったものを。そのことはたった一代で、全国どころか全世界を跨ぐ通信網を構築した企業を作り上げたことが証明している。

 元々埒外の技術力を持っていた。それが億万長者ランキングに乗るほどの財力、世界の政治・経済に口出しができるほどの権力を手にしたのである。

 当然ガイア教徒は氷川を讃え、崇めた。肉体を鍛え上げることにしか脳が及ばなかった一般教徒にとって、氷川の用いた手法は目から鱗だったからである。所詮は搦め手、などと言う者はガイア教の思想に反しているとして即刻追放、放逐された。

 時代を掴んだ英雄として幹部の席に祭り上げられた氷川は、高揚する群衆とは裏腹に心が冷めていくのを感じた。

 ――確かに力を持つことは大切なことだ。しかし、行き過ぎた闘争は人類を衰退させるのではないか?

 幹部就任式でスピーチをしながら、氷川はガイアの教えに反する思想を抱き始めていた。

 

 ――適度な戦争は経済、ひいては人類世界の発展に役に立つ。

 このことは世界史が証明している。朝鮮戦争の戦争特需が一例に上げられるだろう。

 氷川がガイア教に入信した理由はそれを実践するためだった。

 停滞する世界の中で、人類の発展は頭打ちとなっていた。大きな戦争は起こらないが、各地では小競り合いが続き、テロリストが跋扈する世界。発展を促すべき大国、大企業は保守派に回り現状に安住する。

 エネルギー問題、民族問題、人口問題、エトセトラエトセトラ。

 問題は際限なく堆積していた。しかし皆が未来から目をそらし、目先の既得権益を求めるばかり。

 どんなに優れたものでも、一切手を加えなければいずれ腐り淀む。それならば自分が一風を入れてやろう。

 若き氷川はそう考えたのである。

 

 彼は優秀だった。

 嘗て某研究機関が、副産物として画期的な情報共有システムである『Worid Wide Web』、通称WWWを発案したことは有名である。

 氷川の研究はそれを更に改良、発展させることに向けられた。

 研究はあっさりと実を結んだ。

 数年間の試行錯誤の後、彼は既存手法との互換を持った新システムの構築、特許の取得に成功する。それを引っさげIT界に参入した彼は、瞬く間に業界を席巻、掌握していった。彼の望む闘争を繰り広げながら。

 対抗する企業を吸収合併した回数は数知れない。路頭に迷わせた名も無き人々の数は把握することさえできない。

 潰した企業が十や二十企業の頃は彼はそれを是としていた。まだ敬虔なガイア教徒だった彼にとって、敗北した弱者などどうでもよかったのである。

 だが、それが三桁に上ったとき、彼の思想に変化の兆しが見え始めた。

 ――自分は人類の為にこのようなことをしていたはずだ。しかし、現実には自分の企業は既存社会に組み込まれ、争いが起こる素振りが欠片もない。ならば失業者を増やしてまで自分がやったことは一体何だったのか……。

 疑念を抱いたまま、氷川は世界を手中に収めた。

 

 氷川の思想はガイア教の対極に位置する、メシア教に近いものになっていった。

 しかし、全く同じではなく、寧ろメシア教的にはその思想は相容れないものだった。

 秩序、平和、整然とした管理社会。

 ここまではお互いの考えは一致していた。

 ところが、全知全能の唯一神など氷川は一切認めていなかった。本当に全知全能なら人間はもっと平和なはず、そうでないなら唯一神など存在しない……、と。

 神を認めない厚顔無恥な考え。

 共に秩序を望みながらも、氷川は神を信じなかったが故にメシア教の容赦ない排斥・排除の対象となった。

 だからこそ、氷川はなんだか自分とは相容れないなと考えつつもガイア教に居残ったのである。

 そのことは彼にとってはプラスに働いた。

 

 ガイア教幹部の席を手に入れた氷川にとって、教団内のありとあらゆる情報は自由に閲覧できることになった。

 彼からすれば噴飯ものの技能書――『筋肉と革命~世界を変える上腕二頭筋の作り方~』――や明らかに御禁制のレポート――『人間の限界を超えた力を引き出すある種の香について』――といった数多くの資料がそこには蔵書として保管されている。

 そんな中に、彼の目を引きつけたものがいくつかあった。

 一つは悪魔関連の書物。

 常軌を逸した技術を持っていた氷川であったが、一般的な常識は備えていた。現実と虚構の違いはしっかりしていたのである。

 そんな中で見つけた幾つかの書籍にはファンタジーの住人である悪魔が有史以前から存在し、時の権力者の傍らには必ずその影があったと書かれていたのである。

 有り得ない。そう断じかけた彼の目はある一点に釘付けになった。

 そこには数字にアルファベットがごちゃ混ぜに並び、並のガイア教徒には意味不明だったが氷川には容易に理解できた。何故ならそれは彼の得意分野だったからである。

 『コンピューター言語による悪魔の召喚・使役』

 IT界の寵児を引きつけるには十分過ぎた。

 ――翌日、嬉々として自宅のコンピューターにプログラムを走らせ、下級悪魔を召喚したことは言うまでもない。

 

 もう一つは彼の探していた答えを示していた。

 世界の行く末について。

 断片的ではあるが、それに関して論じた本が幾らか見つかった。

 曰わく、世界は既に詰んでいる。

 曰わく、世界は滅びへと向かっている。

 曰わく、世界はリセットしなければならない。

 三流雑誌にでも掲載されそうな文言だったが、悪魔召喚というふざけた文書が真実だったことから、それも一定の信頼が置けると氷川は判断した。

 それによると、世界はどうやら仏教的区分がなされているらしい。

 釈迦の入滅後の千年間。仏の尊き教え、正しい修行、悟りへと至る者。所謂『教』・『行』・『証』の三拍子が揃った正法の時代。

 正法が終わって千年間。『証』が欠け、『教』・『行』の二つが残った像法の時代。

 そして現代は末法の時代。

 『行』も失伝してしまい、僅かに『教』だけが残る世界。皆が苦悶を抱えながら生きていく時代。これが一万年続くと言われている。

 その先に待ち受けているのは五六億七千万年という気の遠くなるような年月である法滅の時代。

 この時代には最早教えすらも残らない。人間は救われることなく永劫と輪廻転生に囚われる。

 

 ところが、ここで話は終わらない。法滅の時代が終わるとき、天界にて修行を行っていた菩薩が仏となって世界を救うと考えられている。

 その菩薩の名は弥勒(ミロク)菩薩。

 彼ないし彼女が人間に救いをもたらしてくれるという。

 

 ここまでならば遠い未来の夢物語として氷川は気にもとめなかっただろう。五六億年先まで人類が存続しているという保証はどこにもなかったからだ。

 問題はここからである。

 知識の断片を重ね合わせていくと、どうやらこの弥勒菩薩の光臨を早める、正確には弥勒菩薩の代わりとなる存在を召喚することができるらしい。

 手元の資料にはその方法は記されていなかったが、調査の結果、それが書かれた本がガイア教内に存在するとわかった。

 

 ――それこそが弥勒菩薩の名を冠する経典『ミロク経典』である。

 

 

 

 燭台の光だけが唯一の光源である暗い地下。実力主義、自由主義のガイア教においてさえ禁書に指定される本が安置されている書庫に氷川は降り立った。

 そのまま彼はわき目もふらずに一冊の本へと向かう。うっすらと埃を被ったそれの表紙に、彼が事前に暗記していたタイトルが記されているのを確認して、漸く彼はほっと息をつく。

 

「これが創世の為の経典……か」

 

 普段独り言をしない氷川もこの時ばかりはそうもいかなかった。

 億単位の金を扱う時でさえ感情を表に出さない、冷静沈着で機械のようなこの男もやはり人の子だった。度を越した緊張に戦慄し、手は小刻みに震える。それを全身全霊を持って抑えつけて、彼はページにゆっくりと手をかけ……、捲った。

 前文、解説、脚注。全てがサンスクリット語で書かれたそれらを読み飛ばしながら進んでいた彼の手が唐突に止まる。

 

 ミロク経典第四章二十四項。

 諸の声聞に告ぐ。我は未来世に於いて三界の滅びるを見たり。

 輪転の鼓、十方世界に其の音を演べれば東の宮殿、光明をもって胎蔵に入る。

 衆生は大悲にて赤き霊となり、 諸魔は此を追うが如くに出づ。

 霊の蓮花に秘密主は立ち理を示現す。是れ即ち創世の法なり。

 

「なるほど……」

 

 輪転鼓、東の宮殿、胎蔵、諸魔、理、創世。

 意味を為さない言葉の羅列に見えるそれらに氷川は心当たりがあった。

 輪転鼓とはおそらくアマラ輪転鼓のことだろう。ガイア教団本部に鎮座する用途不明の代物。その中でも特に厳重な管理が施されている中にそれはあった。

 東の宮殿とはそのままこの極東の地である日本の首都を意味する。それが受胎するとなると何らかの天変地異、或いはそれ以上の何かが起こるのだろう。

 諸魔。間違い無く悪魔のことだ。悪魔召喚・使役のノウハウを学んだ彼にとっては今更なことである。

 理。コトワリ。それを示し現すということは、自分の主義主張を秘密主とやらに伝えよ、とのことだろうか?

 是れ即ち創世の法なり。

  つまりはアマラ輪転鼓を使って十方世界に影響を与えることで、東京に『受胎』が起こり、悪魔を用いてコトワリを秘密主に示すことこそが創世、ということだ。

 

 ――あまりにも事が思い通りに進んでいる。

 氷川は口端をニヤリと歪めた。何かしらの手段が必要とは想定していたがまさかすべてが揃っているとは! 

 予言書の一文字一文字を読めば読むほど、氷川は運命を確信する。

 数分後、ミロク経典から目を上げた彼の瞳には、今後の計画を練り上げる思慮が浮かんでいた。

 そのまま氷川は邪気が溜まった地下書庫を後にする。その手に漆黒の書を携えて。

 

 ――数日後、ガイア教団に激震が走った。

 教団本部ビルに納められている宝物庫が荒らされていたのだ。見回りをしていた下級信徒は語る。

 

「ええ、俺が駆けつけたときには既に見張りの奴らは全員倒れていて、扉は断ち切られていましたよ。……そういえば奴らが何か口にしていましたね。化け物がどうとか悪魔がどうとか。狂っちまったんですかね」

 

 言葉の通り、特殊合金で出来た扉はすっぱりと断ち切られていた。中から持ち出されたものの正確な内訳は不明だが、一際目立つ筈の巨大装置・アマラ輪転鼓が無くなっていた。

 ……余談だがその後、見張りをしていた不幸な男たちの姿を見たものはいない。

 

 

 

 

 

 ――氷川が計画を進めている中、とある存在が胎動を始めた。

 今はまだ小さな球体。だがその存在感は凡百の悪魔の比ではない。

 それはミロク経典に記された神。カグツチと呼ばれる創世神。

 カグツチは考える。

 

 ――よりよい世界の為にはより強い人間がコトワリを持つ必要がある。そのためには試金石となる悪魔達が必要だ。

 だが、世界は荒廃しすぎた。人間だけでなく、悪魔すらも死に絶えている。このままではボルテクス界に招く悪魔が足りない。どこからか補充をしなければならないな……と。

 

 

 

 

 




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