「なによ? 初めて会ったみたいな顔しないでよ」
……ああ、漸く言えた。
紆余曲折を経て、遂に君に伝えることができた。
過ぎ去ったのは姿どころか心さえも変わってしまう程の永劫の時間。君も私も千晶たちも、昔とは似ても似つかなくなってしまった。
倫理も感情も記憶さえも抜け落ちる世界で、それでも私は君のことを覚えていられた――。
NO.1 妖精と人修羅
私が君に心惹かれるようになったのは、今から……正確な年月はとうに忘れてしまったあの『東京受胎』から半年ほど前だった。
私たちがまだ高校に入学したばかりの頃。悪魔なんて考えもしなかった、毎日が希望に満ちていて、きらきらと輝いていた――幸せだったあの時。
きっかけは些細な、下らないことだったと思う。
――私が
当然私は孤立無援。我関せずを貫く薄情なクラスメート達。完全な四面楚歌、八方塞がり。
誰も助けてくれない。そう思っていたのに……、君が、君だけは手をさしのべてくれた。
君の姿がまさしく救世主のように見えて――。颯爽と助けてくれた君の姿を見て、私は君のことが……好きになった。LoveかLikeかは私自身にも分からない。
たかがそんなことで? と思うかもしれない。当然だ。所詮は高校生の他愛のない諍いなのだから。
でも、私にとっては重大なことだった。彼女に対峙していたとき、私は身の毛のよだつ思いを感じていたから。
丁度その頃は高校生にも成り立ての思春期真っ只中。人目を常に気にしていて、皆の前だった手前、虚勢を張ってはいたけれど。本音を言えば今すぐにでも逃げ出したい、何でもいいからとにかく謝りたい。そんな思いに駆られていた。
私を見据える彼女の目は、獲物を見据えるような捕食者の目で――『ヨスガ』のコトワリを開くだけのことはある、と今なら感心できる。勝手な推測だけど彼女は私のことを加虐対象として見ていたと思う。そう思わせるに足るギラギラとした輝きを彼女の瞳はたたえていた。その時ボルテクス界に潜む悪魔にも劣らない程の純然たる殺意を私は千晶から感じていた。殺意を物質化して天秤に載せられたら、間違い無く千晶の方に傾くくらい。
私が感じることができたのは、混じり気のない純粋な恐怖のみ。彼女の一挙手一投足が私をじわじわと追い詰めていた。あのまま私が正気を保っていられたか怪しいものだ。君の助けは私を絶望から救ってくれたといっても大袈裟じゃない。
もちろん、君がそんな大層なことだと思って助けてくれたとは私も思わない。ただ友達を諫めただけかもしれない。
でも、それはあのお姫様と仲のよかった君だから言えること。輪の外から見ていると、千晶は君と高尾先生、あとは新田君の三人以外には殆ど関心がないように見えた。悲しいことにそれは恐らく事実だろう。千晶は私たちとは必要最低限の事しか話さなかったから。
そういえばクラスメートの誰かが言ってたっけ。
――彼女は俺たちのことを路傍の石程度にも考えていない。
私もそう思う。
だからこそ、石ころごときに楯突かれた千晶は烈火のように怒ったのだろう。
もし君が仲裁してくれなくて、あのまま掴み合いに発展したと思うと……悪魔になった今でも背筋がぞっとする。流石に無いだろうが、ひょっとすると流血もありえたかもしれない。主に私が。
あの時は面と向かっていうのは恥ずかしかったし、今の君はもう忘れてしまっただろうから直接は言わないけれど。せめて心の中で言わせてもらうね。
――助けてくれて、ありがとう。
それから暫くして。
ホルモンバランスの異常だったかな? ともかく、私は両親の勧めで、入学から数ヶ月と経たずに病院に入院することになった。
辛い、としか言いようがなかった。
検査とはいえ長期入院する事になったこと。せっかく合格した高校に通えなくなったこと。仲良くなり始めたクラスメートと離れることになったこと。
――そして、君と逢えなくなったこと。
それら全てが私の心を苦痛で締め付けた。
一人でやることもなく、毎日ただ病院の指定する時間割に沿って動くだけの日常。味気のない病院食のフルコースを食べて。身体検査だかなんだかで高尚な機械に掛けられて。無愛想なお医者様との優雅な問診の一時を乗り越えて……寝る。それだけ。それだけの変わり映えのしない日々。
そんな日々に飽き飽きしていたからこそ。高尾先生が入院してくると風の便りで聞いて、先生には申し訳ないけれど、私は思わず喜んでしまった。先生は君たちと仲がよかったから。君たちがきっと、彼女のお見舞いに来ると思って。運がよければ、私も君たちに――君に逢えると思った。
結論から言えば、その淡い期待は叶えられた。はたして君は気づいていたかな?
実際に先生が入院してから少し経ったある日。私がいつものルーチンワークをこなすために病院内を動き回っていたとき。偶然にも君を見つけて、私は思わず涙ぐんでしまった。その瞬間から、全ての些事が脳内から吹き飛んで、ただただ君しか目に入らなくなった。
――今思うと自分の不甲斐なさに笑える。あの時、今まで病院内にいた人が皆いなくなっていたことに、どうして気がつかなかったのか!
近くの明らかな異常も、君に出会えて浮き足立っていた当時の私には目に入らなかった。視野狭窄に陥った私は君が行く道をただ追いかけて地下へと向かい――君に対峙する氷川とその配下の悪魔を見て怖さのあまり逃げ出した。
人間じゃない存在をそのときはまだ見たことが無かったから、命の危機に瀕していたから――なんて言い訳には何の意味もない。
ただ私は怖かっただけ。千晶のときも。氷川のときも。
逃げ出した私を迎えたのは、目に入るもの、認識できるもの全部――見ている私自身も含めて――が壊れていく風景だった。
――今考えると、私も『受胎』に立ち会っていたのかも?
いやいや、そんなことはどうでもいいんだ。君に伝えたいことは一つだけ。
――君を見捨てたりして、ごめんなさい。
蘇る意識。私は一面真っ白な空間に立っていた。
……立っていたというのは正確じゃないか。そもそも立つための脚、支えられるべき身体があるのかさえも自信がない。自分が自分でない、自分の身体が無くなったような感覚。どこにも接地していない不安定感。前を向いていたつもりだけど、身体を動かさずとも後ろを見ることもできる異常な状態。
何がなんだかわからなかった私を思考の海から呼び戻したのは、同じくらい正体不明、意味不明な声。受容器官があるのか無いのか自分でもわからなかったけど、その声は頭蓋の奥――頭蓋もあったのかわからない――に叩きつけられた。
宗教なんてものに予備知識が無かった私でも、神々しく荘厳だなと感じられた声。しかし一方でそれは機械音声かと思えるほどの血の通っていない冷淡な声にも聞こえた。
その声は戸惑う私に問いかけた。
『――汝、何を望むや?』
何を望む? 急にそんなこと言われても……。
白面の風景といい、自分の体といい、あまりにも非現実的過ぎて、夢じゃないかと考えてしまった。こんな夢を見てしまうなんて、自分も随分とメルヘンチックなんだなと至極どうでもいいこともついでに考えていた。
沈黙を返した私に早くも業を煮やしたのか、次に聞こえた声は二回目にして最後通告だった。
『――汝、何事も選ばず、思念として留まることを望むや?』
「……あの!」
間髪入れない返答。めまぐるしく廻る意識とは裏腹に、自然と口が動き出していた。
たかが夢と思ってはいたけれど、それでも答えなければならない。はっきりと口にしなければならない。そんな考えすらも行動が置き去りにして。
「私を、彼の元に! 彼の助けとなれるように!
――彼とずっと一緒にいられるようにしてください!」
……ああ、しまった。気が動転していて名前もろくに言ってない。それに、日本語も支離滅裂だ。これじゃ何を願いたかったのか自分でもよくわからない。
そんな私の些細な不安は、幸いなことにただの杞憂で済んだ。
『――良かろう。その願い、しかと聞き入れた。その力、創世のために役立てるがいい……』
……創世? 何を言っているの?
そのときの私はまるで意味がわからなかったけれど、今なら想像できる。
ボルテクス界を胎盤とした新しい世界の創世。そう考えるとあの声は、このろくでもない世界の神様役――カグツチの声だったのかも。
――恨み辛みしかなかった存在だけど、ちょっぴり、ほんの少しだけ感謝してもいいかな?
私の悪魔としての人生――むしろ魔生?――が始まった。
自分の中に身に覚えのない知識がなだれ込んでくる。
――悪魔、ボルテクス界、マガツヒ、コトワリ、アマラ経絡、ヨヨギ公園。
自分自身のこと。
私は妖精・ピクシーで、使える魔法は雷を落とすジオに怪我を癒やすディア。
……ともすれば精神障害を疑われかねない、妄想に等しいものだった。私が妖精? 夢見る乙女じゃあるまいし。恋する乙女との二枚要素だなんて痛いにもほどがある……。と、考えていたのだが――。
希薄だった身体に対する認識。それが徐々に強固なものになっていく。私が妄想だと断じかけた妖精の姿に変貌しながら。人間とは全く大きさが違う。それどころか中空を舞えるまでになった私は、自身が変わり果てたことを当然のものとして受け止めていた。人間である私の意識に、妖精・ピクシーとしての常識が追加された感じ?
妖精になった私は、いつの間にか見覚えのある場所に浮いていることに気がついた。コンクリートで造られた近くの壁には引き裂かれたポスターが貼られている。辛うじてそれは『予防接種御案内』と読めた。もっともポスターがなくとも、ここがどこかは一瞬でわかったが。
――今まで退屈な時間を提供してくれた場所。新宿衛生病院だった。
見に覚えのない感情が私を襲う。
――ヨヨギ公園へ向かえ! 女王に謁見しろ!
帰巣本能に近しいだろうそれは私に行動を強要させた。
掻き立てられる感情の赴くままに、人間の頃は終ぞ潜ることの無かった病院の出口ゲートに向かう。本館出口が消失していたから分館出口に。……残念ながらそう簡単にはいかないものなのだが。
君も知ってる通り、病院は封鎖されていた。あのエイ擬きの悪魔が幅を利かせていて、出るにも出られない……それどころか分館へ向かうゲートパスすら見つからなかった。
仕方がないから病院内を特に当てもなく徘徊する私。その間に様々な悪魔に出会った。
異様に腹の膨れた悪魔。いきなり喰うだのと失礼なことを言ってくる。ものは試しと雷をお見舞いしてやったら痺れて動かなくなった。自分から襲いかかってこれじゃ様はない。
少女に蝶の羽をつけたような悪魔。私と同じような外見だったから妖精かと思ったら違うみたい。友好的に話すことができた。ガールズトークにしては幾分か殺伐とした内容だったけど。
ペラペラの白い紙みたいな悪魔。出会い頭でジオを浴びせかけられた。そのくせこっちのジオは反射してくる。恥を忍んで誘惑したら見逃してもらえた。……いつか復讐してやると思ったものだ。
同じくペラペラの紙に頭を張り付けたような緑の悪魔。小さな男の子のような話し方で、倒すのは一瞬ためらわれた。一瞬。
多くの悪魔と出会い、話し、戦って、ある懸念が頭をよぎる。
……彼らも私と同じではないか? 悪魔というには妙に人間じみているし。ということは私のしていることは間接的な殺人?
その考えに至った私は……、しかしそんなことはどうでもいいと疑念を切り捨てた。
すべては生きるために。
向こうからは容赦なく襲ってくること。
彼らを倒せば倒すほど、彼らの身体から抜け出るマガツヒを吸って強くなれること。
それにピクシーとして、悪魔としての常識。
いずれも私の良心を風化させるには十分すぎた。
――悪魔を殺して平気なの?
そう問われたら当時の私、そして今の私も迷いなくこう答える。
――当然だ。悪魔は私を殺しに来るから。
私の中の『人間』が削れ落ちていく。
悪魔になって幾星霜。悪魔を殺して幾星霜。
――私は強くなった。孤立した悪魔を後ろから襲い、残骸から抜き取ったマガツヒを口にして。多くの悪魔をこの手にかけて。
いつしか病院内に(一対一という条件で)私の敵はいなくなっていた。憎きフォルネウスを除いてという但し書き付きではあるが。
ゲートパスの在処もわかっていた。ただしガキ達がたむろしていたせいで、回収するのはそう容易ではない。あの引っ掻きの鋭さには目を見張るものがあった。ひとりで戦うのは些か骨が折れる、賢明とは言い難い。
漂う手詰まり感を無視して、相も変わらずマガツヒを求めて浮浪する私。
今日はなんだか騒がしい。強さを基準とした病院内ヒエラルキーの最下層の悪魔でさえ浮き足立っている。なんだろうか、外から新入りでも来たのだろうか。でも出入り口は封鎖されているし……。
訝しみながらその原因を追求していると、友好的な悪魔が何やら見慣れない奴がいると教えてくれて――。
そして、遂に、やっと、漸く、待ち焦がれて、恋い焦がれて――君に再び出逢えた。
全身の血が沸き立つ。爆発する感情は言葉で表すことなど出来ない。感動、歓喜、感謝感激。魂が震える、心が脈打つ、胸が高鳴る。全ての形容詞を用いても、全ての慣用句を用いてもその時の私の気持ちを表すには到底足りない。
時間が流れて、落ち着いた私は動き出した。何故半裸? とか何故入れ墨? とも思ったけれど、そんなことはひとまず脇に置いておく。傷ついていた君をディアで回復してあげた。驚いて此方を見てくる君。うん、その顔。間違い無く君だ。
「へえ、見ない顔の悪魔ね……」
すぐに自分が誰かを告げるのは躊躇われた。変わり果てた私を君は識別できないだろうし。私の手は血にずっぷりと塗れていたし。
何か探し物をしているという彼に、手伝いを申し出た。見返りとしてここから出るための協力を要求する。
――すべて君と共にいるための口実である。
「たいして強そうじゃないけど……、あなたで我慢してあげる」
――嘘だ。君でなければどんなに強くても等しく価値はない。
「あたしは妖精ピクシー。今後ともヨロシク、ね」
君と一緒だったから、ガキ三体なんて楽勝だった。電気に怯んだ彼らを一匹一匹潰すだけの簡単かつ単純な作業。
道中には、思わぬ発見もあった。カハクに話しかけた君は交渉の末、彼女を仲魔にした。カハクとは私も話すことはできたけれども、そこまですることは私にはできなかった。コミュニケーション能力の有無なぞとは最早別段階。
……君はやはり普通とは違うのだな、と再確認できた。
新しい仲魔を連れてそのまま分館へと向かう。今まではガラス越しなどの遠目でしか見えなかったフォルネウスと初めて相対することになる。
「この堕天使フォルネウス様にアイサツ抜きで、外に出ようってのかぁ? 命知らずの坊やだねぇ~」
チンピラのテンプレートをなぞるような発言は、彼が元人間だということを推察させるには充分すぎた。まあそんなことはこれからのことには関係ない。
しばらく聞き流していると、彼の口上も佳境に入ったみたい。
「――軽~く狩ってやるのさ。このヒレでサクサクッ……ってよお! 死ねぇぇぇぇ!」
……なんだ。雷に弱かったのか。ジオを撃ち込みながら、私はぼんやりと考える。
戦いは消化試合の体をなしていた。ジオで痺れたフォルネウスを君とカハクが殴りつける。その繰り返し。カハクが防御力を上げるラクカジャを唱えていたせいか、フォルネウスの攻撃もたいして痛くもない。
一方的に殴られ続けて、最初の威勢はどこへやら。既にフォルネウスはまな板の上の
続けるほど約半刻。エイ擬きは耐えきれなくなったのかコンクリートに倒れ伏した。手数が多いからかもしれないけれど、そこまで脅威を感じなかった。これなら一人で脱出できたかも……。
当然のことながら彼のマガツヒは美味しくいただきました。
問題は衛生病院を出た後だった。
「わーい!! やっとついたー! あなたとはここでお別れよね?」
反目する心と身体。私の口から勝手に発せられたのは、私の思っていることとまったく正反対のことだった。
ピクシーとしての習性が私の感情の邪魔をする。心にもないことを言ってしまう。言わされてしまう。私はヨヨギ公園などに用は無いのに!
――お願い。一緒に連れて行って!
そんな一言は妖精の常識に封殺された。
……けれども私が妖精の本能を意志でねじ伏せることはそう難しくはなかった。何故って? 君がついてきて欲しいと言ったから。その言葉が嬉しくて、嬉しくて。君の言葉が私自身への反逆の原動力となった。
「やっぱり、あたしがいなくちゃ不安なんでしょ。しょうがないなぁ……もう少しだけ付き合ってやるか!」
――君との長い旅が始まった。
シブヤ、ギンザ、イケブクロ、アサクサ、それにアマラ経絡とアマラ深界。
マントラ軍本営にニヒロ機構、マネカタ達の住処。
本当にいろんな所に行った。
いろんな事があった。
マントラ軍に捕らえられたときは、流石に血の気が引いた。本気で殺されるかと思った。今まで散々悪魔を殺してきたけれど、やっぱり殺されるのは恐ろしい。……それで自分の人間としての心を思い出せたのは皮肉だけど。
ニヒロ機構はパズルが難解だった。その上途中の宝物庫には強力な悪魔がいて、まさに知も力も問われる場所。皆で知恵を絞ったけれど分からなくて、結局君が先導してくれて漸く最深部までたどり着けた。
アサクサには沢山のマネカタがいた。あのビクンビクンと脈打つ集団は今も馴染めない……。悪魔を排斥したいような雰囲気を醸し出している彼らは正直好きにはなれなかった。勿論いいマネカタもいたけれど。ガラクタ集めマネカタとか。ああ、そういえばあそこのパズルをまだ解いてなかったか……。今度行ってみようかな?
ボルテクス界は広いようで狭かった。ほぼ全域を踏破したと思う。様々な悪魔と出会い、戦い、仲魔にした。段々と強くなる敵の悪魔。それでも、君は際限なく強くなっていった。新しい技も覚えていった。だから対等、或いはそれ以上に渡り合えた。
――でも私は駄目だった。力は強くなったとしても、新しい魔法は覚えない。所謂成長限界。最初はエースだった私も、度重なるメンバーチェンジによって、いつしかお荷物に成り下がっていた。
君は他の仲魔の意見を抑えてでも私を連れて行ってくれた。こいつは初めての仲魔だから、一番の戦友だから……と。素直に嬉しい。
ただ、そんな君でもオベリスクまで私を連れて行くことは流石に出来なかった。私が周りの皆にも迷惑をかけていたから。命の危険があったから。
私は悪魔合体の素材にされることとなった。
「悪魔が集いし邪教の館へようこそ……」
何度も聞いてきた館主の声が今日はやけに脳髄に響く。
悪魔、妖精・ピクシーとしての本能はこれは喜ばしいことだと伝えてくる。自分が強くなれるのだから。ただ、私個人としては到底承伏できるものではなかった。自己の消滅に諸手を挙げて賛同なんて……できるわけがない。
それでも私は素材となることを決断した。決断せざるを得なかった。君の重荷になるわけにはいかなかった。
私は毅然として合体の素材位置へとつく。内に秘めた感情を君に悟られないように。
館主が邪教の館の装置が起動すると同時、館全体を振動が襲った。
――私の体が分解されていく。体内に蓄積されていたマガツヒが抜け出ていく。身体の感覚が無くなっていく。全てが他人事のように感じられた。
やがて訪れたのは……
――新しい悪魔がまた増える。
合体に使われた私は、されども明確な人格を持ち合わせていた。
既に自分が今何の悪魔なのか、わからない。ピクシーの面影なんて欠片も残ってはいないかもしれない。
これが私の願ったことなの? 君と一緒にいたいと願った。確かに細かい要求はしなかった。……だけど、身体も満足に動かせない。自分に多数の悪魔たちの意識が混在している。
――私は決してそんなことを願ったんじゃない!
どれほどの時間が経っただろう? 一瞬一秒、一時間、一日、一年、一世紀? 皆目見当もつかない。
ともかく、考える時間だけは無数にあった。なまじ意識がはっきりしているだけに、それは余計に苦痛を増幅させた。時間が経つごとに、新しい悪魔が増えていく。それは私の意識を圧迫していった。
――新田君も千晶も、学生の頃とはまるっきり変わってしまっていた。彼らは彼らのコトワリを掲げている。先生や氷川も守護を得ていた。……先生はドロップアウトしてしまったけど。
私達を取り巻く状況は流動的に変化していく。君も流れにのって、その有り様を転換させていく。
その中で私一人だけがあの時から動いていない。人間だったことに囚われたまま。
何も変わっていない。何も為し得ていない。君の役に何一つ立てていない――。
湧き上がる自責の念。堆積するそれは私の心に深くのし掛かってきた。
――最近この孤独な世界に変化が訪れている。誰かが私に声をかけてくるのだ。外の悪魔にではなく人間からピクシーになった『私』に。
その声は初めは酷くノイズ混じりで、文意を読みとることはできなかった。ただ、それは君がアマラの果てであるアマラ深界の奥底へいくほど鮮明に、はっきりとなってきた。最初は気のせいだと思っていたのがいつの間にか単語ごとに聞き取れるほどに。
そして君が第五カルパに至った時、遂にその言葉は私に意味を為して伝わった。
『――汝、人修羅の古き友なりや?』
走る衝撃。
ハンマーで頭を殴りつけるが如きそれは堕落した私を隅々まで活性化させた。
思えば簡単なことだった。むしろどうして失念していたのか。
何も私一人で何かを為す必要性なんて無かったじゃないか。だって私は、私達は――
「……はい。私が、彼の人間の頃からの、古き友達です」
――仲魔なのだから。
『全』だった悪魔から『個』としての私が乖離していく。繰り返された合体で変質してしまった身体から余分なものがそぎ落とされて、元のピクシーへと戻っていく。同時、小さくなる肉体に反比例して高まる私に込められたマガツヒの総量。力が際限なく上昇していく。嘗ての私の限界を超えて、君と一緒にいられる私に辿り着く程に。
突然現れた私に驚いたのか、君はぎょっとした顔で私を見つめていた。ああ、その刻印の施された顔を最後に見たのはいつ以来だったか。その混沌に彩られたマガツヒを感じるのはいつ以来だったか。全てのことがただただ懐かしい。涙腺なぞ悪魔にあるはずがない。そうわかっていても感情が堰を切って溢れ出ようとする。それを必死に抑えつけて、妖精のように、淡泊さを心掛けて。言の葉に思いを乗せて。契約の文言を告げる。
「なによ? 初めてあったみたいな顔しないでよ。ずっとあなたの隣にいたでしょ。」
――人間から悪魔になろうとも。ピクシーから他の何かになろうとも。
私が私で有ることに違いはない。
私が君と共に在ることに変わりはない。
「ひょっとして……またこう言って欲しいの?」
だからこれは私の決意表明。
二度と心が揺らがないように。混沌王の第一の仲魔であるという誇りと自負を持って。
「あたしは妖精ピクシー。今後ともヨロシク、ね」
せっかくの真Ⅲですし第一回目はピクシーから。
誤字脱字等ありましたら御指摘お願い致します。