真・カグツチ転生   作:れーれー

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NO.2 番犬と人修羅・前

 

 猫又って何だかわかるかい?

 猫又っていうのは簡単に言えば化生の類さ。猫が云十年の長い年月を生きると、尻尾が二つに裂けて、人語を解する妖怪になる。尻尾が分かれているから猫又。安直なネーミングだって? 名は体を表すともいうし、何事もシンプルさが重要なんだろうよ。

 猫又はそれはそれは怖い妖怪でね。ペロペロ油を舐めたりするのは可愛い方。怪しげな呪いで怪異を引き起こしたり、中には人間様をパクリと食べてしまうのもいる。人を喰った猫又は、そいつに化けて人間に取って代わるらしい。なんとも恐ろしい話だ。

 ところで、人間がよく飼う動物といったら猫の他にもう一つあるだろう? そう、犬だ。

 かくいうオレもその犬の中の一匹なんだが、そんじょそこらのただの犬とは訳が違う。

 何を隠そう、オレは猫又ならぬ犬又って奴なんだ!

 ……と見得を切ってはみたものの、悲しいことにオレは妖術の一つも使えやしないし、勿論使えたとしても人に悪さなんてしない。妖怪といっても、ちょっと普通より長生きしていて人の言葉を話せるだけの人畜無害な存在さ。

 とはいえ、一応オレも妖怪の端くれ。人間にとっては日本語を話す犬がいるってのもなかなかショッキングな出来事だろ? 怖がられるのはまだいいとしても、昨今は探求心が旺盛な奴が多いからね。詳しく調べるために解剖されちゃあたまらない。だから普段は一介の犬に身をやつして人間の家で暮らしている。

 昔は野良の野犬だったが、人に飼われるってのもこれはこれでいいものだよ。何より今日の飯の心配をしなくても毎日食べられるってのが実にいい。安全な寝床だって確保されるから他の生き物や保健所といった面倒な奴らに煩わされる心配もない。小屋という言い方はしゃくだが一国一城の主になったと思えばまあ悪くはない。あちらさんの趣味に合わせてやる必要はあるけれど、日々安住するだけなら人に飼われるのがベストな選択だね。

 そんなこんなでオレは飼い犬としての道を選んだわけだが、それはそれでやっぱり問題があった。妖怪の宿命として、オレはいささか普通の犬よりも長く生きすぎる。オレと同じ犬種のシベリアンハスキーの平均寿命が十かそこらで最長寿でも十八程度だったか……。その優に五倍は生きているオレは人間からすればさぞかし異様だろう。実際、記念すべき初飼い主様の元には、十余年も長居したせいですっかり怪しまれてしまい、逃げ出さざるを得なかった。首輪はどうしたかって? 引きちぎって逃げたに決まっているだろう。伊達で妖怪やってるわけじゃない。力は人並み以上にあるのさ。

 それ以降、飼われては怪しまれる前に逃げ出しを繰り返してきた。ハスキー犬ってのはこういったときに得をするね。人に飼われる可能性がぐっと高くなる。

 そんな訳だから、オレに付けられた名前は数知れない。

 ポチやシロといったメジャーな名前はもちろん、シベリアンハスキーだからってタロやジロと呼ばれたこともある。別に小さくもないのにチョビと名付けられたこともあったな……。

 今の宿主に付けられた名前も他人様の名前から拝借したものだけど、西洋風に小洒落た感じでなかなかなハイカラなものだ。

 それでは自己紹介させていただこう。

 オレの名はパスカル。

 生まれは北国、年は百を越えて以来数えちゃいない。

 巡り廻って辿り着いた東京で、暮らしやすさに居座ってしまった風来坊。

 青と赤褐色のオッドアイ、それに二つに分かれた白い尻尾がトレードマークの犬の妖怪さ。

 

 

 

NO.2 番犬と人修羅

 

 

 

 白雪の絨毯が降り積もり、凍える風がひゅうと流れる年の瀬の夜。

 年末年始で沸き立った都会。その喧騒から少し離れた住宅街で、ひっそりとオレは死にかけていた。

 どうやら今回の冬将軍は歴戦の英雄みたいだ。過去の豪雪記録を塗り替えた今年の寒さは、犬の身であるオレにとってはまさしく地獄からの招待状だった。犬種的には北国出身なはずなのだが、妖怪如きにはその加護は通じないらしい。自分の出生が恨めしくとも、時すでに遅し。草木も死に絶える雪の中ではめぼしい食糧だってありゃしない。

 どうして春になってから脱走しなかったのか……。

 この冬寒すぎるだろ……。

 そもそもハスキー犬ブームはなんで終わっちまったんだよ畜生……。

 そんなことをぼやきながら街中をぽつぽつ歩くオレは妖怪から見ればさぞ無様に、人から見れば奇怪に見えたことだろう。人間の言葉で悪態をつきながら歩く犬なんて滑稽にもほどがある。

 だが、生と死の境目にあった当時のオレにはそんな気配りなぞできるはずもなく、意味のないことをぶつぶつとのたまいながら動き回っていた。

 初めの頃はいつもと同じように歩けたのだが、なにぶんコンディションがよろしくない。残されたオレの体力を寒さと飢えが着実に奪っていった。身体がだんだんと重くなるのを感じながらも、がむしゃらに前に進む。

 どれほど歩いただろうか、突然前脚ががくりと折れ曲がった。そのまま前のめりに倒れる。空きっ腹を撫であげる雪は酷くひんやりとしていた。

 

「ははっ、とちったなぁ……。大妖怪様の死因が凍死だなんてしょうもないにもほどがある……」

 

 自然と口元がつり上がる。思いの外、寒さが頭に響いたらしい。その証拠に死に瀕しているのにも関わらず、心の中にぽかぽかとしたあったかいものがこみ上げてきた。

 対照的に雪に覆われた地面のせいで腹が冷えるのが実に気に入らない。かといって身体に鞭打って立ち上がるのも億劫だ。苦肉の策として寝返りを打つ。

 頭上に浮かぶ月とそれを取り囲む数多の星々。そこから放たれる光が降り注ぐ雪で乱反射して眼を刺した。目を細めてぼんやりと見つめれば、広がる黒と白のコントラストの中を星の煌めきが交差していた。

 ――最期に見るものにしては、そう悪いものじゃあなかった。

 死蔵していた記憶のアルバムが紐解かれていく。目の前に浮かぶ懐かしき顔。

 初めに浮かんだのはオレの初めての飼い主。文明開化の流れに逆らって常に和服を着ていた書生風の男。

 彼は別段物書きをやっているわけでも無かろうに、余暇の時間には四六時中鉛筆を握っているような執筆中毒者だった。毎日毎日飽きもせず、何かしらをしたためるだけの代わり映えのない生活を送っていた彼。何が楽しいのか全く理解が及ばなかった。時々犬のオレに相談を持ちかけるのも意味が分からん。真面目に回答を期待している訳でもあるまいに……。

 毎日だらだらしてるだけだったけど、人間に飼われるというのが新鮮だったオレ的にはそれなりに充実していた日々だった。書生殿は今頃どうしているのかねぇ……。

 

 

 ――なんて、ね。ちゃんとわかっていたさ。あの頃なら何十年経ったと思っているんだ。ただの人間が百数十歳まで生きてるはずもない。とっくに逝ってしまったに決まってる。

 書生殿だけじゃない。その後の飼い主の親子連れも女学生もヤクザの首魁も、飯を食わせてくれた肉屋のばあさんや魚屋のおっさんといった頼れるサポーターの面々も、みんなみんな、寿命で死んでしまったに違いない。

 ――オレを置いていったに違いない。

 惰性で生き続けてはいるが、周りの奴らが衰えていくのに自分だけがピンピンしてるというのも虚しいものだ。

 

「くくっ……、本当にしまらんなぁ……」

 

 ――死の間際で思い浮かぶのが人間の顔だなんて、オレも存外忠犬やってるじゃないか。

 

 自嘲の笑みがこぼれた。

 ここで果てるのもいいかもしれない。目をつぶって邪魔な光を意識外に放り込む。

 闇の中で、先達たちが手招きを始める。

 まったく、やれポチだのやれゴローだの五月蠅いな。名前ぐらい何か一つに統一しろよ。

 そう言いたかったがもう声を出す気力もない。身体より先に心が折れた。

 死んだ後はどこその西洋犬みたいに天使様がお迎えに来て下さるのかねぇ……。

 

「――きろ! おい!」

 

 こんな化け犬でもきちんと救済して下さるだろうか。市ヶ谷の八幡宮にでもお祈りしといた方が良かったかな……。

 

「――起きろ! こんなとこで寝たら死ぬぞてめぇ!」

 

 ……人がせっかく辞世の句を考えてるのに騒がしいな。夜だというのにマナーの一つもなっちゃいない。こんな雪の日には静かにしとくのが趣があっていいのに。情緒を解さない餓鬼はこれだから……。

 

「おいこら犬っころ! 天下の往来で死のうとは随分面の皮の厚い畜生だな! もっと人間様の邪魔にならないところで死にやがれ!」

 

 ――武士道とは、死ぬこととみつけたり。

 武士でもなければ日本男児でもないただの犬の身だが、知らず知らずのうちに根付いていたその精神が心の奥底からふつふつと沸き上がってくる。酩酊していた意識が舞い戻ってきた。

 死ぬのは構わん。いずれにしてもこのままでは直に死ぬだろう。だからそれはもういい。

 だが、百年も生きていない若造に罵られ、このまま文字通り犬死にする事なぞあってたまるか――!

 

 全身を駆け巡る血液。細胞の一片一片が、哀れな鈍物を誅してやれと囁きかけてくる。

 全ては誇りのために。

 誇りのためならば人を害すること――たとえ殺人さえも厭わない。

 そして獲物に噛みつくために目を見開いた矢先――。

 

 

 ――視界いっぱいに映り込む、一本の魚肉ソーセージ。

 

 それを持っていたのは、しわくちゃの顔をニカリと歪めた爺さん。

 

「おお、起きたか! いや良かった、良かった。腹減ってるだろう?」

 

 だったら食え、と肉がずいと差し出される。その赤々として、柔らかそうな先端を見ただけで涎が止まらない。一心不乱に貪り喰った。

 ……誇り? そんなもの生理的欲求よりも優先することじゃない。そんなものは野良犬にでも食わせてしまえ。

 

「ちょ、ちょっと待て。落ち着け。俺の指まで食うんじゃない」

 

 そんなこと知らん。

 暴言を吐かれた些細な復讐として、指をベロベロに舐め回しておく。爺さんは悪態をついて慌てて手を引っ込めやがった。ざまぁみろ。

 

「ったく……、どんだけ腹減ってたんだよ。そんなになるまで放っておいたなんて、お前野生になりたてなのか?」

 

 ……悪かったな、大ベテランだよ。

 オレが爺さんを見つめていると、何を勘違いしたか知らないが奴さんは小さく肩をすくめた。

 

「……返事を返すわけもないか。所詮犬だし」

 

「バウッ!」

 

 失礼な。犬だって一応の礼節は持ち合わせている。

 そんな意味を込めた抗議の一声は無事伝わったらしい。わるいわるい、などとのたまいながら爺さんはオレを撫で回してきた。

 ――それは長らく味わっていない感触。

 

 

「さてと、それじゃそろそろ帰りますかね」

 

 オレを触ること数分。ようやく満足そうに立ち上がった爺さんは、黒の帽子と茶色のコートに降り積もった雪を振り払った。思ったよりも背が高い。腰も曲がらずしゃんとしていて若さを感じさせる。

 通りの向こうへと爺さんが歩いていくのをオレは黙って見送っていた。軽く一礼する。ぎりぎりの所で食いつなげたことに感謝。

 そうして何処にいこうかと考え始めたとき、爺さんは足を止めて振り返った。

 

「ああ、そうそう。お前行くところ無いんだろう?

 ――俺と一緒に来るか?」

 

「……アゥ?」

 

 ありがたい申し出だがそこに至った経緯が分からない。根っからの動物好きならそれもあるかもしれないが、この爺さんはさっきの振る舞いといいそうは思えなかった。愛護団体とかなら動物病院に連れて行くだろうし、魚肉ソーセージなんて安全的に微妙なものを食べさせるわけがない。そんな男がいきなりこれだ。培ってきた経験則が警鐘を鳴らす。

 ……この爺さん何を企んでいやがる?

 日本語を話さずとも疑問の意は示せたらしい。爺さんは気恥ずかしげに頬を掻いて続ける。

 

「いや。数十年ぶりに一人で年を越すかと思うとなんだか寂しくてな。犬でもいれば違うと思ってね……」

 

 ハハッ、犬に何言ってんだか、とぼそりと呟く痩身の男。

 

「悪かったよ引き止めたりして。どこにでも好きに行ってくたばっちまえ」

 

 そう嘯く爺さんだったが、月光に照らされたその顔は酷く青々しい。

 ――そうかい。それならオレも好きにさせて貰うよ。

 

 

「ワン!」

 

「……なんだ、もう餌は無いぞ? どこにでも行けと言っただろうが。食べ物と寝床を見つけないと死ぬぞ?」

 

 そんなこと身を持って知ってるさ。それに当てならあるだろ?

 

 シャリシャリシャリ。

 ヒタッヒタッヒタッ。

 雪面を踏み潰して進む爺さんの後ろをつけていく。街灯の元でオレとあいつの影が行ったり来たり、交差しては離れてを繰り返していた。

 後ろからつけられているのに痺れを切らしたのか、老人はゆっくりと此方を振り返る。

 

「まったくどうしたんだ? まさか本当に飼われたいのか?」

 

「バウアウ、ワォーン!」

 

「そんなにがっつかれても犬の言葉はわかんないって。

 ……いいんだな、俺が飼っても?」

 

「ワン!」

 

「よし、じゃあお前は今日から家の犬だ。ついてきな」

 

 ……勝手に納得しやがって。オレはお前の飼い犬じゃなくて食客にならなってやるって言ったんだよ。まあ、だいたいの意味合いはわかったしいいか。

 爺さんの後ろから隣へと進む。

 

「ああ、そうそう。お前の名前何にしようか?」

 

「クゥーン?」

 

「んー。西洋犬に似つかわしい名前か……。ヒーホー君なんてどうだ?」

 

 無言で首を振る。

 ヒーホー君ってなんだそりゃ。

 

「駄目か。それにしてもお前は賢いな。質問に答えたり相槌を打ったり。考える力は人間並みなんじゃないか?」

 

 人間並み、ね。年の功だったら確実にオレの方が上なんだがな。

 苦笑するオレをよそに爺さんは何かを思い出したらしい。ん、そうか、と言葉をおいて続けた。

 

「お前を見てたら、考えることが人間らしさって言った偉人がいたことを思い出したよ。そいつの名前を取ってみたんだがどうだろうか」

 

 しゃがみ込み、オレの耳元にぼそぼそと言葉を落とす。ふむふむ、聞いた感じではなかなか悪くない。

 

「おお、そうかそうか。それならよかった。

 ――今日からお前の名前はパスカルだ!」

 

 草木も凍える年末の雪夜。

 その日から、オレは今生の主である老人――仁成(ひとなり)の飼い犬・パスカルになったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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