「着られる服がないなぁ……」
ごそごそと衣装棚や衣装ケースの中身を豪快に引っ張り出す。今日の俺は元気がいい。たまにある活動的なモードに入っている。そんな俺は今、服問題に直面している。正直、退院前に気にしておくべき問題ではあった。家にある服は当たり前だが、男物の服のみだ。ダメもとで試しに合わせてみても、そもそものサイズが何段階も違うためどうにもならない。現状でギリギリ外で着られるのは、パーカー(非常にオーバーサイズなうえに腕まくり必要)、ショートパンツ(ウエストの紐を死ぬほど締め付けて、何とか落ちないけど不格好)がそれぞれ数点だ。部屋着にするのならば、大きいがTシャツとYシャツ、ジャージも何枚かある。他は上着やジーンズなどはほぼ全滅だ。
以前の服の大部分は処分しなければならない。自分が男の体であったと証明するものが消えていく。そう思うとやるせない気持ちになるが着られない服があっても仕方ないと無理やり納得する。今まで感謝を込めながらすっぱりと捨てるのが、服たちにとっても良い供養になるだろう。
……あとは退院の時に着て帰ったワンピースもある。今はベッド下の収納ケースに封印しているが、これも一応着られる服にカウントしよう。とてもシンプルな無地の白いワンピースだ。男物を着るよりも目立たないだろうという判断で、家族に買ってきてもらった服だ。やや大きめではあるが、それを含めても自分でもよく似合っているとは思う。似合ってはあるけれど今後着ることがあるかはわからない。ただ言えるのは、俺自身が俺の意思で着たいと思わない限り、着ることはない。恐らくこのままずっと封印するんだろうなぁ。
極論、家の中では裸でもいいし、サイズの合っていない服を着てもいい。……俺は別にそれでいいんだけれど、外出するときはそうもいかない。少し買い物に行くときには、今まで通りオーバーサイズを超えたオーバーサイズなパーカーを着て行ける。しかし、サイズが全く合っていない服でうろうろすると、他人からの視線が多くなる。現に、さっき行ったコンビニの店員さんからはじろじろ見られていた。サイズの合っていない服って目立つんだなぁ。今俺に必要なのは、最低限サイズの合った服を手に入れるということだ。だけどゴリゴリの女物は……選ばないし、着ないだろうなぁ。
そうとわかれば行動開始だ。もうめんどくさいからささっとネット注文でいいだろう。スマホでファッションサイトを検索しようとして、ちょっと待てよと思いとどまる。今の体での服の適正サイズがよくわからないなぁと。
TS病患者の体が成長するかどうかは個人差があるらしいが、現在の俺の見た目年齢は小学生よりの中学生くらいだ。身長が低いのもあって、お世辞にも大人には見えない。さすがに下着のサイズだけは、病院で測定したのでわかっている。多分、子どもサイズなんだろうが、詳しくは考えないようにしている。その辺りを考え始めると、どす黒い思考の海に潜っていってしまう。健康的ではない。
結局の話になるが、実際に試着してからの方がいいというのが結論だ。ネット注文はある程度自分のサイズがわかってからがいいと思う。やはり実店舗に行くしかないか……。
この体になってからは人目に付く場所にはあまり近づいていない。基本的に外出するのも夜暗くなってからにしている。人に会う機会は少なくなったので、対人スキルも著しく低下している事だろう。明るいうちに出歩くのはきつい。
しかし昼間に行くしかない。単純に夜遅くに服屋が開いてない。それとちょっとずつでも、この体で人に慣れていく練習もしなければいけない。そうだリハビリみたいなものだと自分を納得させていく。ずっと人目を避けていくのは難しいのだし、引きこもりすぎるのもよくない。男は度胸だ。覚悟を決めて勇ましく行くべきなんだ。
頬をぺちぺち叩いて気合を入れる。部屋着代わりのTシャツをザっと脱ぎ捨てる。これ一枚で膝まで覆うことができるくらい大きいので着るのも脱ぐのも楽だからとても良い。とりあえず今ある服でマシなパーカーとショートパンツで戦いに挑むとしよう。……これパーカーが大きすぎて下を履いてないように見えるから恥ずかしいんだよなぁ。実際はちゃんと履いてるけれども。
あとは……野球帽を被っていこうか。乱雑に置かれた服の山から野球帽を取り出す。目深に被れば青い目も隠せていい。この目の色は陽の下では明らかに目立つ。目深に被って準備完了。ようやく出発だ。
外に出て、空を見上げる。日差しは良し。春真っ盛りの陽気でお出かけ日和といえる。今日の目的地は少し離れた場所にある大き目の服屋だ。その服屋は比較的安価かつ取り揃えている服も豊富なので昔から重宝している。そこなら必要な服を全て賄えるはずだ。
徒歩では遠すぎるからバスに乗って移動する。服屋までの距離ならば、いつもなら単車で移動できていたが、免許の書き換えが済んでいない。ただ免許の書き換えが済んでいたとしても、体格の変化が凄まじいので、色々そのままでは乗れないだろうが……。
最寄りのバス停までは徒歩十分程度。ほんの少し歩くことになる。ここ最近は日中に歩くことはなかったので緊張してしまう。人と目を合わせないようできるだけ下向きに歩いているわけだ。だいぶ挙動不審な態度で道を進んでいく。マシなサイズとはいえ。へんてこな恰好で恥ずかしいやら職質されないかが心配やらで、全身が冷や汗でいっぱいになる。もちろん気にしすぎなのはわかっているが、こればっかりは
性分だから仕方ないと思うことにする。
解答のない問題を解くように、考えても意味のないことを色々考えながら歩いていく。無駄なことを考えると時間が経つのが早いのだ。そんなこんなでバス停にたどり着いたわけだが、なかなかの満身創痍っぷり見せつけてしまっている。
足はがくがく、肩で息をして傍から見ればフルマラソンを走った後のようだ。バス停で待っている他の人がどうしたどうしたとこちらを見ている。見た目がちっちゃい子だからか、余計に心配するのだろう。あ、大丈夫ですよ~と声は出したいが口から声が出てこない。ぜーはーという息しか出てない。なんとか手振りで体調が悪いわけではないこと示す。
以前に比べて体力が全くないことはわかっていた。それを忘れてこんな距離余裕だぜみたいに歩いていたら、もう駄目だった。あと徒歩十分なのは前の体の時だ。歩幅も違うからか、普通に倍くらいの時間かかったし。これが夏じゃなくてよかった……。多分冗談じゃなく死んでたと思う。
視線が自分に集中しているのを肌で感じ、恥ずかしさ満点のなか、ちょうどやってきたバスに乗り込む。ザっと見渡しほとんど座席が空いているから、好きな席に座れることに安心する。平日といえども、通勤通学の時間帯ではないだろうからかな。真ん中の窓側の座席に陣取ることにしよう。
外の景色をぼーっと眺めながら、バスに乗るのはいつ振りかと考える。高校以来?中学以来?少なくとも数年単位で乗っていないと思う。単車があれば、基本的にバスで移動できる範囲ならば、移動はそっちを使うし。
免許自体はTS病での特例措置で、申請に少し時間はかかるが問題なく免許は元通り手に入る。写真を取り換えればすぐじゃないのか、と思ったりもしたがそんな簡単な話ではないんだろう。早く気軽に使える写真付きの身分証明書を取り戻したいものだ。
目的地の服屋付近までは今から大体三十分くらい。外の景色も特に面白いものでもない。若干退屈、そして先ほどの体力消費のためか、ふわぁと軽くあくびをしてしまう。この体になってから、疲れたら眠くなりやすくなった気がする。この感じはまさに遊び疲れたらすぐに眠くなる子どもみたいだ。大変不満である。認めたくもないが体力の上限が低い。体が成長でもすれば改善されるとは思うが……。
そんなこんなでうとうとしてきているのが自分でも感じ取れる。時間はあるのだから少しくらい寝ても平気だ。現実との境が曖昧になっていき、これはもう寝てしまうのだろうな。心地よい眠りに落ちる瞬間ふと思う。例え今の体が成長したところで、それが幸福な未来に繋がらないのであれば意味なんてないのではないか?未来への可能性を持つ子どもと姿が似ていようが、そこが決定的に違うよなと。
目的地近くのアナウンスで目を覚ます。寝過ごすなんてヘマはそうそうしない。寝起きはなかなかいい方なんだ。少し手に余る財布を取り出し、チャリンと小銭を払う。こういう払い方も久しぶりだから間違いがないかと不安だったが、特に問題なし。さすがにね。
ここからは少し歩くわけだ。ほんの少し歩くだけだし、もう服屋の輪郭まで見えてるくらいだから疲れないだろう。さっさと行って、さっさと買い物を終わらせよう。
服屋に入店。平日の昼間だけど割と活気づいてる。大学生だろうか、若い子たちもちょこちょこいるのがわかる。ここらは学生街だし、そういうもんか。ただ大学生たちが友人同士で和気藹々としてる姿を見ると、なんだか暗い気持ちになる。あんな感じで学生生活していたはずなのになぁ。楽しそうだなぁ。どうしてあそこに俺はいないんだろうなぁ。口に出せないモヤモヤがお腹を渦巻いている。よくない、よくないよなぁ。
だから今は、今だけは目をそらして行こう。俺には少し眩しい光景だ。早く目的を終わらせて帰ろうね。
考えても仕方ないとというわけで、レディースのコーナーに来た。当たり前だが、女性が多いのでちょっとだけ緊張する。この見た目ではあるけど、精神的にはやはり男なんでね……。
きょろきょろとその場を見てみる。何となく華やかな感じがするな。マネキンが着ている服も、俺の目から見ても可愛いなと思う。思うだけだが。
時期的には夏物を売り始める時期だからか、涼しげな色や服が多いように思える。あちらこちらで今年のトレンドがーとかこれ似合うんじゃないーとか、ワイワイと盛り上がっているようだ。俺にとっての安息の地はないものか……。そう思いつつ人がいない方向へと足を進めていくのであった。
基本はパーカー系がいいな。楽だし。好きだし。元々服に関してはそこまで頓着しているわけではない。色は白とかの明るい系がいいけど、それ以外は特にこだわりはない。歩き回っているうちに、目に付いた白を基調にしたジップパーカーを手に取る。薄目の生地でこれからの季節にちょうどよさそうだ、うんうん、こういうのでいいんだよ。シンプルなのが一番だ。
服にそこまで興味はないが、なんだかんだ服選びの時間は楽しい。とりあえずこれだけを試着室で着てみよう。シャッとカーテンを開けてささっと小部屋に潜り込む。さぁ試着しようかとパーカーに手をかけた。んー?となんだか違和感。見た感じ別に変なところはないけれど、着てみればわかるか。
着た感想、でかい。それもそのはずいつも通りの感覚でLサイズを選んでいたのだ。すごいでかいです。じゃあMサイズかと新しいサイズを持ってくる。でかい。えっ、じゃあSサイズか……?
正解はXSサイズでした。小っちゃいねぇ。こんなに小っちゃくなったんだぁ。ふーん……。試着室の小部屋の中でうなだれる。わかってはいたんだけど、こう現実に見せられると結構ショックだ。キッズサイズよりはましだと、自分を慰める。もしそこまでの小ささだったら、もうこの服屋から出られなくなっていたかもしれない。
悲しみが胸に刻まれたが、サイズがしっかりわかったので得るものはあった。よかったね。パーカー系を中心に季節にあったものが何着か選ぶことができた。やはり実際に店舗に訪れる方が試着できるから良い。けどネットで買えるんならネットで済ませようかな……疲れるし……。
外に出ること自体、体力、精神力共に大きく削れた。遠出というほど遠い場所ではないが、疲れるものは疲れるのだ。人がたくさんいるところは本当に疲れてしまう。昔はこんなことなかったのになぁ。姿が変われば何もかも変わってしまうものだ。これからもきっとしんどいが、少しでも慣れていかなければ。
会計を終え、外に出る。しばらくは今日買った服をローテーションしていこうと思う。そんなに人に会うこともないからね……。これだけで十分足りるだろう。着るだけなら家にあるのも着れないこともないし。
男の時の俺ならば軽々持てていたはずの袋がずっしりと重く感じる。ここからバス停までの距離は大したことはないが、向こうのバス停から家までの距離の長さは身を持って体験している。そのことを想像するだけでうげぇという音が口から出てしまう。いやだいやだと思いながらもバス停にたどり着いた。時間を確認するとバスが来るまでまだ時間がありそうだ。スマホを触る気分ではないので、適当に空でも見上げてみる。やはりいい天気だ。綿あめみたいな雲が自由に形を変えながら流れていき、見るだけでぼーっとした気持ちになる。
今回俺は全体的に女性らしい服、特にスカートなどは選んでいない。もしもそれを選べるようになったときは……どうなっているんだろう。今の俺自身は選ぶ気はない。今後も選ぶ気はない……はずだ。だけど何が起こるか、何がきっかけで考えが変わるのかわからない。もしかしたら女性らしい服を好き好んで着るようになるかもしれない。
マネキンの一つが着ていた服を思い起こす。着ていたのは白いブラウスに青いロングスカート。俺から見ても可愛いなと思った。例えば俺が着たとしたら、恐らく似合うんだろうな。でも身長が足りないかもな。俺は、想像の中では嬉しそうなにっこりとした笑顔の花を咲かせている。そんな笑顔ができるのか。そんな笑顔を誰に向けているのか。
大きな影がかかる。どうやらバスが来たみたいだ。家までの道のりを考えて、重苦しい気持ちになりながらバスに乗り込んだ。人はまばらなのでどこにでも座れそうだ。やれやれと一息をついてふと思う。もしも想像の中での笑顔を現実でできる日が来たとして、誰かにその笑顔を向けることができたとするならば、俺はきっと幸せになっているのだろうな、と。そんなことを思いながら、バスは俺を乗せ、家路へと向かっていくのだった。