いつかもう少しだけ前向きに   作:面相ゆつ

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病院での話

 

 病院が好きという人間はあまりいないはずだ。それは症状の大小問わず、どこかしら体に悪いところがあるからこそ訪れる場所だからだろう。でも小さな、うんと小さな頃、俺は病院が好きだった記憶がある。現実から隔離されたような白の空間には不思議とワクワクしたものだった。普段嗅がない薬品の独特な匂いが非現実を自覚させ、周りに人たちはどこが悪いのかなと推理してみたりと、端的に言えばとても楽しかった。……まぁ、小学校を休めるからとかそんな打算的な理由もあったが、病院は嫌いではなかった。

 

 だけどそんな呑気な気持ちでいられたのは、病院に行けばどんなに体調が悪かろうが治してくれるという安心感があったからだ。お医者さんに診せて薬さえもらえれば安心。子どもながらにそれは絶対的なことだと思っていた。病院にさえ行けば大丈夫。今はしんどいけれど、薬を飲んで数日したらいつも通りだ。そして、ほんの少しだけ名残惜しい気持ちで病院から家に帰る。それだけのことだ。それだけのことだと思っていた。

 

 乱暴な言い方をすれば、病気には種類が二つある。それは治る病気か治らない病気かだ。治るならそれでいい。しかし、治らない病気になるのならば、人はどうすればいいのだろうか。

 

 

 今日は俺にとってあまり好きではない日だ。月に一度の通院日、はっきり言ってめんどくささとやるせなさが果てしない。朝早くに起きて準備しなければならない。それだけで一気に体力と気力がゴリゴリ削れる。

 カーテンを開けると天気が曇り。天気予報では日中雨は降らないそうだが、どこまで信用していいかわからないほどどんよりしている。萎えることこの上ないが、行かなければならない。ある意味でこれは義務のようなものだ。行かなければ、家族に無用な心配をさせ、迷惑をかけることになる。憂鬱だ。

 

 蛇のようにベッドから這い出て、洗面台で顔を洗いぼさぼさな髪を整える。鏡に映るのはいつも通りの代わり映えのない、ジトッとした目をした顔だ。前ほど鏡を見ることに抵抗は薄くなった。慣れというか諦めだ。人間は慣れと諦めの得意な生物なのだ。

 そう思いながらうだうだと身だしなみを整えていく。病院に行くといっても、今のところは不調な部分はどこにもない。と思う。自覚する範囲ではどこかが痛いだとかどこか違和感があるわけではない。あくまで定期検査。これからも死ぬまでは続いていくであろうただの作業だ。こうやって通院するのにもいつかは慣れていくのだろうか。慣れるんだろうな。

 

 準備がある程度済み、時間を確認すると七時十五分くらい。諸々の所要時間を考えるとまだ少しだけ余裕がある。早く出るという選択肢はないので、安息の地のベッドへダイブだ。頭から毛布に包まれると安心する。自分自身の匂いが染みついているから落ち着くのだろうかわからないが、自分だけの居場所のように思える。

 TS病にかかってすぐの頃は体臭の変化に驚かされたものだった。甘いような匂いの大本が己からだったこと。自分が自分でなくなってしまったことを否応なしに思い知らされた。体の全てが作り変えられたのだから、それは当たり前だ。ただ悲しかっただけだ。それでも今ではこれが俺の匂いだ。もう自分の匂いがどんな風だったかも思い出せない。

 猫のように毛布に包まり、思う存分毛布の温かさを堪能し少し満足。しかしもうそろそろ家を出る時間だ。名残惜しい気分だが終わりにしよう。

 忘れ物がないかの最終チェックも終えてあとは行くだけだ。玄関のドアを開け、外を窺うと小雨がパラパラと降り始めていた。

 

「結局降るんじゃないか」

 

 渋い顔でそう独り言ちて、天気予報も当てにならないなぁと思いながら、今の俺には大きい黒い傘を携えて外に出る。本当ならこの傘も買い替えるべきなんだろうな。でもお気に入りなんだ。これを持つと男の頃の自分がまだ存在してると思えるんだから。

 

 

 

 TS病とは所謂難病の一つだ。肉体を根本的に構成しなおし性別が変わる。日常生活においては定期検査を必要とするが、基本的に通常通りの生活を過ごすことができる。しかし、全く別の肉体に変わる代償としてなのか予後は悪く、年齢を重ねるにつれ程度はあるが衰弱していく。個人差はあるが、平均余命は10年前後である。原因は不明であるが、遺伝的要因の可能性も示唆されている。

 簡単に言えば現在は治る見込みはほぼなく、長生きはできないということだ。しかし一から体を作り変えているのだから、その結果生じる体はある意味では正常な体だ。この場合は治るというよりは、如何にしてTS病患者の余命を長くしていくのかが今後の課題である……ということらしい。

 担当医の先生から説明された話と俺が個人的に調べた部分でごちゃっとまとめたが、概ねこのような感じの病気ということだ。

 

 口さがない人からは、TS病は人体の可能性とか神様からの悪戯だの面白おかしく言われることもある。けれどもやはり外野だからこそ言えるのだろう。あーだこーだ言ったところで結末は死だ。ただ理由もわからず衰弱していき、死ぬ。なんともつまらない終わり方で、未来に生きる気力を失わせるだけのことはある。そんな病気になってしまったのは運が悪かった、と笑い飛ばせるほど今の俺は強くはなかった。多分他の人でもそうだと思う。

 

 

 

 今日の検査の内容は血液検査とカウンセリングだ。基本はこれだけだが、ここからMRIだとかレントゲン検査やらエコーやらがちょこちょこ検査に入ってくる。それらが入ってくると、時間がかかるし疲れるしでとてもめんどくさい。なので今日はこれだけで少しうれしい。

 もう移動手段として慣れてしまったバスから降りて、傘を差しながら少しだけ歩くと病院の正面入り口に辿り着く。早めに家から出ているが、週の初めだからか入口近くを中心に人が多い。この病院はこの辺りでも大き目な大学の附属病院だ。俺がちょっと前まで入院していた病院でもある。良い思い出はあまりない。

 

 立派な正面入り口をくぐると、白く清潔な空間が広がる。中に入るとさらに人が多い。老若男女問わず、入り乱れながら行きかっている。人が多いと気が滅入る。

 邪魔にならないように手早く自動受付を終える。最近は簡単に受付できるから楽だよなぁ。とりあえずは血液検査からだ。採血室近くまで行くとしよう。

 

 思った通りだがすごい混んでる。早い時間なのに、というよりは早い時間だからこそか。そりゃあ早めの時間に予約して、午前中に診察を終わらせる方がいいわな。採血の受付を済ませて、レシートタイプの番号札を取りながら、後方付近の真ん中の空いている席に座る。282番。番号札の番号から見ても人が多いことを確認できる。今、呼ばれているのは210番台だからまだまだ先だ。いや、本当にだいぶ先だな……。

 

 何とはなしに周りを見やる。忙しく動き回る看護師さん、何かを話しながら急ぎ足で進むお医者さん、あとは患者さんからの尋ねごとに素早く対応する事務員さん……。全体的に慌ただしい雰囲気に包まれている。急げ急げと何かに迫られているかのようだ。なんというか、お疲れ様ですと言いたくなる。

 それに比べると座って待っている患者側はとてものんびりとしている。退屈そうにテレビのニュースを見る人、あくびを噛み殺しながらスマホをいじる人、付き添いの家族と喋っている人……。あ、腕を組んで寝てる人もいる。気持ちよさそう。

 

 そんな普通な光景を見ていると、自分自身がふと空しくなる。この人たちは生きているって感じがする。俺のように死ぬために生きているのではなく、生きるために生きているように見える。

 希望に満ち溢れているというわけでは決してない。だけど普通に生きている。どう生きようか、という大それたものではない。だけど明日に向かって普通に進んでいる。誰もが前を向いているように思えるのだ。

 今の俺はどうだろうか。前向きには生きていない。それは確実だ。いつか、そう遠くない未来に死ぬ日までをただ過ごしているだけ。現状を受けいられない悲観、これは夢じゃないかと思い込みたい無駄な否定、それと心の隅でもう無理なんだろうなと思う少しの諦観。頭の中はそれらが混ざり合い、ふとした瞬間に思い起こされ無気力になる。それまでは全くもって大丈夫な状態であっても、急激に体の芯から冷たくなってしまう。

 

 どうせそのうち死ぬのに……?

 死ぬんだから、今が楽しくてもあとで辛くなるよ……?

 今まで頑張ってきたこと全部無意味だったね……?

 

 そんな時、俺はどうしようもなく孤独になる。世界でただ一人になってしまう。何を恨めばいいのかわからないやり場のない気持ちと死ぬことへの不安が渦巻いて心の中で弾けてしまう。生きていくことに価値を見出せなくなる。

 

 

 ……自分でもしかめっ面している自覚がある。被害者面もここまでくると滑稽だな。ましてや病院内で考えるようなことではない。この体になってから、どこだろうが変に考え込んでしまうようになった。悪い癖ができてしまったもんだなぁ……。

 知らず知らずうちにぽけーっと天井を見つめていたみたいだ。家ならいざ知らず、不特定多数の前で気を抜きすぎだ。恥ずかし……と思いながら意識を現実に戻すと妙な違和感がある。右前方付近からの視線を感じる。じーっと見られるような嫌な感覚だ。

 じろじろした視線に弱くなっているとはいえ、心はいつでも強い男であろうと心掛けている。このような不躾な視線には断固たる意志を持って対処していきたいものだ。だがそれはそれとして怖いものは怖い。うへぇ……と思いながらも確認のために一応、ガン見しない程度に薄目で目線をそちらに移す。

 長椅子から身を乗り出してこっちを見てるのか、堂々としたものだ。ぼんやりしたシルエットは小さ目だな。髪も長そうだから女性かな?女性というか多分これは……。

 

 目をもう少し見開いてしっかりと見る。ぱっちりとした目を爛々にして見ていたのは案の定、小さな女の子だった。今の俺の見た目よりもだいぶ小さいから未就学児か小学生の低学年くらいか。そんな子がどうして俺を……?

 どうしたんだろうかと思いながらも、ずっとこっちを見る女の子。そもそも病院の待合室とかって小さい子どもにはあまり楽しいものではないのだろう。一応ここにはテレビや適当な雑誌などはある。だけど時間帯的にテレビはニュースだし、本も大人向けのものがほとんどだ。間違いなくつまらない。つまり暇すぎるから何か面白いものがないか探してる感じかな?

 それで何かないかなーってきょろきょろしてたら面白そうなものを見つけたってことか……。つまり面白そうなものって俺かぁ。

 悪意があるわけではないだろうから、こればっかりは仕方ない話だ。にこにことこっちを見てるだけだし、放っておくのが一番丸く収まる。なんだかんだと俺も20年くらいは生きてきた。大人の余裕が身に付いてきたのかもしれないな。

 

 そうは言うものの、居心地が良いわけではないので無心で座る。飽きてくれるのを待つ。これが俺にできる精一杯。何、ああいう年齢の子って、すぐ違うものに興味が惹かれるものだ。その時が来るか、採血の順番が来るまでの残り時間を耐えれば俺の勝ちよ。

 勝ちを確信し、さりげなく女の子の様子も窺う。ほーら、もぞもぞ動き始めた。多分興味が薄れてきたんだ。おっと、身軽そうに席を立ちました。あー、もしかしたらトイレかもね。おやおや、こっちの方向に向かっているではありませんか。トイレは採血室の隣付近だからこっちじゃないよぉ。

 微笑ましい気持ちになるが、スタスタとこっちに向かってくる女の子。明確な目的があっての足取りに見えるのは恐らく気のせいではない。

 

 にっこりとヒマワリが咲くような笑顔で俺に向かって来ている。

 なんで?

 

 完全にロックオンされている。

 なんで??

 

 タタタッと俺の目の前に立つのが見えた。

 なんで???

 

 

 まぁ、当然そんな状況になったら話しかけられるでしょうね。

 

 

 「ねぇねぇ」

 

 満面の笑みの女の子が話しかけてくる。えっえっ?話しかけられたけど?俺はどうすればいい?えっえっ?

 

 「ねぇー?ねぇー?」

 

 なんで話さないの?って感じで俺の顔を見てくる。対する俺は混乱と不安と緊張で全身汗びっしょりになってきている。これは分が悪い。だが何か返事をしなければ……。

 

 「お、俺……じゃなくて。私に何か用かな?

 

 声が小さいのはこの際気にしてはいけない。引きつった笑みをしているのが自分でもわかるが、今は及第点だろう。俺はできるだけ頑張っている。

 

 「お姉ちゃん、お人形さんみたいに綺麗だねー!」

 

 「へ?」

 

 大口を開けて何も言えなくなってしまう。予想外の言葉に俺も呆気にとられてしまった。お人形さんみたい?俺が?

 

 「どこの学校に通ってるの?この辺りじゃ見たことないから違う地区の小学校なの?お姉ちゃん見たら絶対に覚えてるもん!」

 

 好奇心が有り余っているのか、マシンガンのように言葉が飛び出てくる。俺としてはもう目を白黒させるしかない。

 

 「目が青いの!もしかして外国の人なの!?それともハーフ?」

 

 俺が答える前から質問がポンポン出てくるからどうすることもできない。止めることができない質問の嵐。どうすれば止まるのか思いつかない。どうしよう……。

 俺は泣きそうになりながら石像のように固まるしかない。もう誰でもいいから助けてくれ……。

 

 

 「受付番号282番の方ーいらっしゃいませんかー」

 

 大きな声で看護師さんからの呼び出しがかかる。瞬時に判断した。これは俺の受付番号だ。正に天からの助けとも言うべき、救いの言葉。そうとなれば俺がする事は一つだけだ。

 

 「あぁ~、ごめんね番号呼ばれちゃったから……」

 

 「えー、お喋りしたい―」

 

 「また今度、ちゃんとお話しようね?」

  

 深呼吸をして、ゆっくり落ち着いて言葉を紡ぎだす。そっか、このくらいの早さなら俺も普通に話せるんだ。声量もちょうどいいと思う。話すのってこのくらいでいいんだった。なんで忘れてたんだろう。

 

 「じゃあ、最後にお名前だけ教えてー?私はみさき!」

 

 「うん、私は春だよ」

 

 

 お互いの名前を教えあい、その場を後にする。みさきちゃんは俺が採血室に入るまで手を振って見送ってくれていた。会話と言えるほどではないが、久々に落ち着いて人と話せたような気がする。少しだけ心がふわふわしているのがわかる。

 また会えるかはわからないが、次に会えたらちゃんとお話ししたいなと思った……。思ったんだけど、俺の見た目は少女でも中身は成人男性だから……。事案とかにならないか不安になってきた。あの子、俺のこと小学生だと思ってるよな絶対。

 採血中、そのことをうんうんと悩んでいたら、看護師さんに体調が悪いのかと心配されてしまった。こんなことで悩んでるのはとてもアホみたいだ。でも、この体になってから初めて、「次」が楽しみになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

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