喜多ちゃんファンに殴られるかもしれない……
私には、とてもよくできた弟がいる。
私に似て顔が良くて、私に似て人類のお手本となるような素晴らしい性格をしていて、なんでもお願いを聞いてくれて、献身的にお世話してくれて、ダメ人間を甘やかすことに至上の喜びを感じるような弟だ。
私は基本的にダメ人間で……いや、本気を出せば何でもできるけど本気を出すのが面倒臭いだけ。「やればできる子」の典型がこの私。座右の銘は「明日から本気出す」
そう、やらないだけでできるのだ。ただ、家にはレンがいるし、学校やバンドには虹夏がいるからやる必要がない。
私だって、その気になれば郁代だけじゃなく誰もが尊敬するような立派な姉になれる。だけど私は、レンの反面教師であり続けるために、あえてダメな姉を演じているのだ!
そんな姉の鑑である私だが、今日……というか、最近はちょっと色々と悩んでいる。
学校にも行けてないし、STARRYにも顔を出せていない。そういえば……虹夏にも全然会ってないな。ロインも既読スルーしちゃってるし。
そう考えながら私は、重い足取りでレンの部屋へ向かい、ノックすることなくドアを開く。
レンがもしも自家発電中だったら……その時は意味深に笑いながら何も言わずにドアを閉めてやろう。
姉が弟の性処理をする展開? そんなの、姉がいない愚かな童貞が生み出した妄想の産物。エロ同人の中でだけやっておきなさい。
「部屋に入る時はノックしろって───」
レンは呆れたようにそう言った。ヘッドホンをつけてノートパソコンで動画を観ている。お? エロ動画かな?
私は何も言わず、そのまま部屋に入ってレンのベッドにうつ伏せで寝ころんだ。
レンの匂いがする。
レンは、私のそんな行動を咎めることなく動画を観続けていた。何を観ているのかと思えば「世界中のクレイジーなドラマー十選」というタイトルのオーチューブ動画だった。
最近、レンはやたらとドラムの動画を観たり、STARRYで遊び半分でドラムを叩いたりしている。虹夏の洗脳がとうとう実を結んだのかとも考えたけど……虹夏と郁代を特訓させるために新宿FOLTに行ってからこういうことが増えた気がする。
ふーむ、あくびが何かやったかな? あくびはレンが甘やかすようなタイプじゃないけど、サバサバ系常識苦労人だから案外ウマが合ったのかもしれない。それに、ドラマーは人口が少ないから、レンのように「バンドに興味はあるけどまだ何の楽器にも染まっていない人間」を見ると積極的に洗脳する傾向がある。
ふっ、残念だったな。すでにレンは私がギターやベースを一通り教えているのだよ。……長続きはしなかったけど。
私はベッドに寝ころんだまま、レンの後ろ姿と動画をぼーっと見ていた。
でも、それだけじゃ満足できないので、私は後ろからレンの首に腕を回して思い切り抱き着く。温かさと柔らかい香り。私が一番大好きで、落ち着く香り。
普段なら、私がこうやってベタベタすると抵抗して……いや、普段もあんまり抵抗してこない。
でも、何かしら反応をするんだけど、今日は私にされるがままだった。ただ、私の存在を無視しているとか、いないものとして扱っているわけじゃない。それはわかる。
レンがこうやって、私を受け入れている理由は簡単だ。
「作曲、行き詰まってんの?」
私が本当に悩んでいることを理解してくれているから。
ああ……やっぱりレンは、私の一番の理解者だ。
私は、レンの言葉に答える代わりに、抱きしめる力を少しだけ強めた。それでもレンは、抵抗しないで私の行為を受け入れてくれる。
レンの言う通り、私は今、作曲で行き詰まっている。文化祭ライブ用に、もう一曲作ろうと思っていたけれど……なかなかうまくいかない。
作曲なんてものは、人それぞれやり方があるけれど、基本的に私はインスピレーション待ちだから、良い曲が浮かんでこなくても普段はそんなに焦らない。
だけど、今度の文化祭ライブはぼっちと郁代のための……二人の晴れ舞台だ。だからどうしても、二人のためにもライブを大成功させたい。
今までで一番の───最高の曲を作りたい。
そういう思いがプレッシャーになっている。
レンもそれがわかっているから、私が学校に行かなくても、バイトをサボっていても咎めない。虹夏達にも余計な心配をかけないよう、うまいことやってくれているのだろう。
我が弟ながら、本当に甘い。だけどその甘さが、今の私にとっては救いだ。
「姉貴、晩飯何がいい?」
唐突に、レンがそんなことを聞いてきた。
「……外で食べたい」
「外? 外食?」
「違う。庭で」
「庭……キャンプ飯でもするか」
「それがいい。テントも出して」
「……しゃーねーなぁ」
レンはそう言いながら、グーグルでキャンプ飯のレシピを探し始める。
「これがいい。バターチキンカレー」
「はいはい」
「あと、ホットサンド。キャンプ飯の定番。スープはこれ。オニオンスープ」
レンは一通りレシピに目を通すとそのページを閉じた。この程度の料理、我が弟にかかれば造作もない。キャンプ飯動画をオーチューブにアップしているくらいだから、わざわざレシピを見ながら作る必要もないのだ。
ただ、最近はあまり動画投稿ができてないみたいだけど。
「じゃあ、外行くから放して」
「やだ」
「おい」
「もうちょっとだけ……だめ?」
「……しゃーねーなぁ」
レンは立ち上がろうとするけど、私がちょっとおねだりすると言うことを聞いてくれる。こんな弟がいたらダメ人間になるのも当たり前。だから私は悪くない。
「レン、まだ?」
「もうちょい。煮込みが足りない」
外に出て、レンがテントを組み立てるのを見守った後(手伝いはしなかった)庭に簡易テーブルを出して、カセットコンロでレンが料理をするのを眺めていると(こちらも手伝わなかった)お腹がぐーぐーと鳴り始める。
人間、どれだけ悩んでいてもお腹は空くものなんだね。
「ホットサンドはできてるからそっち食べてな」
「うん」
私はレンに言われた通り、ホットサンドメーカーから出来立てのホットサンドを取り出して頬張る。
具材はソーセージ、卵、チーズと王道だ。熱々で、しかも外で食べているから余計に美味しく感じる。
「レン、はい」
「あ」
カレーの煮込みを確認しているレンにホットサンドを食べさせてあげる。ふっ、こういうところでコツコツ姉ポイントを稼いでいるのだよ。
「よし、完成」
ホットサンドを食べ終えて、ぼーっとしていたらレンがそう言ったので私は家の中に入って炊飯器を取ってくる。私だって、炊飯器でごはんくらい炊けるんだ。……ぼっちは多分無理だろうけど。あれはお米を洗剤で洗うというベタなタイプ。
「いただきます」
「召し上がれ」
ルーをかけて一口。使っているのは市販のルーだけど、バターの風味がよく出てる。鶏肉も少し大きめに切ってあって食べ応えがあった。牛乳も使っているから、かなりマイルドな味わい。
オニオンスープも、じっくり煮込まれた玉ねぎがとろっとろになっている。味付けはシンプルにコンソメ。やはりこちらも王道。
「美味しい」
「よかった」
私がそう言うと、レンは優しく笑ってくれる。外で食べるから、いつもよりちょっと特別な気分。今度虹夏に自慢してやろう。もしかしたら、虹夏が対抗して私に美味しいものを振舞ってくれるかもしれない。
「テント組み立てたけど、どーすんの?」
「今日はこの中で寝る」
「寝袋出さなきゃな……」
「レンも一緒に」
「はぁ? なんで?」
「……だめ?」
私がスプーンを咥えながらおねだりすると、レンは大きなため息を吐いた。
「……しゃーねーなぁ」
今日だけで三回目。ふん、姉に勝てる弟などいないのだよ。
「おかわりは?」
「いる」
私がお皿を差し出すと、レンはご飯とルーをよそってくれた。
「あと、寝るのは布団がいい」
「テントなのに!? 風情が台無しだろ!?」
「風情よりも寝やすさが大事」
「お前ほんとに……はぁ、わかったよ」
それに、布団の方がレンにくっついて寝やすいし。
レンがいつか、誰かと付き合って他の女の物になるまでレンは私の物。……いや、他の女の物になっても私の物でいいな、うん。
だって私はお姉さんだし。レンと付き合うための最大の
さあ、レンのことを好きになる哀れな女どもよ。貴様らは私という存在を許容できるかな?
許容できなければ、レンと付き合う資格なぞないと思え! ふははははははははは!
言っておくが私は、レンに彼女ができても甘えるのを自重する気は毛頭ない!!
かといって、邪魔や妨害をする気もないから。
玉座で偉そうに踏ん反りがえっておくだけ。
だって、レンの幸せが一番だもんね。
ただ、どこかの誰かと付き合ってレンが幸せになれなかったら、レンが傷ついて涙を流すようなことがあったら……その時私は、どんなことをしでかすかわかんないよ?
だから、私を本気で怒らせないよう精進したまえよレンの彼女候補達。
まあ、今のところは候補の誰と付き合っても幸せになれそうだからいいけど。
「布団敷いておくから、片付け頼むな」
「仕方ない。お姉様が洗っておいてやろう」
ご飯を作るのはレン、食器を洗うのは私の仕事。ちゃんと私も仕事をしてるんだよ。偉いでしょ?
その後はお風呂に入って(さすがに一緒には入らない)レンとテントでだらだら映画を観ながら過ごすのだった。
うん、これでメンタルは結構回復した。でも、もうちょっとこのあまあまなぬるま湯に浸っておきたいから明日も学校はサボろう。そうしよう。
「───というわけで、姉貴は作曲に行き詰まっているからこっちに顔を出さないわけです」
「レンくんがあまあますぎる!? 余計にリョウが堕落しちゃうでしょ!?」
「大丈夫。曲ができたら十倍厳しくするから」
姉貴とゆるキャンをした翌日、変わらず姉貴は引きこもっていたので、俺はSTARRYで他のバンドメンバーにことのあらましを説明する。
「そっか……リョウ、そこまで悩んでたんだ。あたしが『最高の一曲を作りたい』って気軽に言っちゃったから……」
虹夏ちゃんのアホ毛がしゅんと垂れているので、慰める意味も込めて虹夏ちゃんの頭を撫でる。アホ毛はちょっとだけ嬉しそうにぴくぴく動くけど、虹夏ちゃんの表情は晴れないままだ。
「言い換えれば、姉貴もそこまで思い悩むほど結束バンドを大事に思ってるってことだよ。それも、虹夏ちゃんや他のみんなに心配をかけたくないって考えるくらいにはね」
「レンくん……」
「姉貴は作曲担当。今回に限らず、常に最高の一曲を作ることを意識するのは当たり前だよ。それが、今回はたまたま変な方向に拗らせただけだから、そんなに責任感じないで。……ね?」
「うん」
それでも虹夏ちゃんの表情は晴れない。これは姉貴と直接会わすしかないか? 姉貴は私生活の情けなさを他人に見せることには微塵も躊躇いはないけど、こういう音楽関係で情けない姿を見せることは嫌がるからな。
それに、虹夏ちゃんだけじゃなく、バンドメンバーを姉貴に早く会わせたいと俺が考えるのには、他にも理由があるんだ。
「リョウ先輩に会いたいリョウ先輩に会いたいリョウ先輩に会いたい一週間と十九時間四十八分二十三秒も会ってないリョウ先輩成分が足りない足りない足りない足りない足りないいいいぃぃぃぃぃぃぃいいああああああああああああああっっっっっっ!!!!????」
「た、たたたたた大変です山田くん!! き、きききき喜多ちゃんの顔が崩壊していきますっっ!!」
そう。喜多さんが発狂しているのだ。
三日くらいは落ち込んでいたけど、四日目あたりから奇行が目立ち、五日目からは学校でも「喜多ちゃんがおかしくなった」と噂され、六日目以降は俺達のSAN値が大いに削られる結果になったんだ。
「……なんか、喜多ちゃんを見てたらあたしの心配があほらしく思えてきたよ」
喜多さんも後藤さんみたいに顔面を崩壊させて福笑いができるんだ。すごいね。
「リョウ先輩リョウ先輩リョウ先輩!! はっ……!? こ、こっちからリョウ先輩のスメルがするわ!! 私の鼻は誤魔化せない!! リョウ先輩、そこにいるんですね!!」
喜多さんがめっちゃ怖い目で俺を見てくる。いつものキタキタオーラにしいたけみたいな目なんだけど、なんか色々禍々しい!! もはや今の喜多さんはクトゥルフだよ!!
「リョウ先輩じゃない……? あなたはレンくん……? あれ……? でもリョウ先輩とレンくんは姉弟だから……レンくんは九割リョウ先輩みたいなもの……」
俺の目の前にやって来て、ブツブツと怖いことを呟きだした。これ、姉貴よりも先に喜多さんの精神が限界を迎えそうだな。
「レンくん……お願いがあるの」
「やだ」
「今だけリョウ先輩になってちょうだい」
何言ってんだこの女?
「今の私はリョウ先輩に会えないストレスで正気を失いかけている……」
「もう失ってるだろ」
「でも、私は君に光明を見出した」
「俺は君を珍妙に感じている」
「バファリンの半分は優しさでできているように、レンくんの九割はリョウ先輩でできている。だけど足りない。あと一割が足りないの。その足りない一割は……服装と髪型と目の輝き。リョウ先輩はもっと死んだ魚のような光のない目をしていて、前髪で片目が隠れるくらいになっていて、女物の制服姿。その問題さえクリアできれば、レンくんはリョウ先輩になれる。さあレンくん! 私の自我が残っている内に早く……早くリョウ先輩になってちょうだい!!」
「どの辺に自我が残ってんの?」
なんかもうドン引きを通り越して逆に尊敬するわ。喜多さんのヤバさレベルが天元突破していて、虹夏ちゃんも後藤さんも物理的に喜多さんから距離を取っている。
「なってよー! なってよー! 私のリョウ先輩になってよー! 私の乾いた心が……疼きが止まらないのぉ!! 私を満たして! 私をリョウ先輩で満たしてぇ!!」
喜多さんはおもちゃを買ってもらえなくて駄々をこねる五歳児みたいにSTARRYの床をごろごろ転がる。制服汚れるよ?
「というか、髪型や目はともかく……女物の制服なんてどこにも……」
「私が貸してあげるわ! 今脱ぐから待っててね!!」
「待つのはお前だ!! なんでここで脱ごうとしてるんだよ!?」
「はっ!? 確かに……私がレンくんに制服を貸したら私の着る服がなくなるわね。レンくん、脱ぎなさい! 制服交換よ!」
「サッカーじゃねえんだぞ!?」
喜多さんが禍々しいキタキタオーラを纏いながら俺の制服を脱がそうとしてくる。ぐぎぎぎぎぎぎぎぎ!! ち、力強いなこの子!? この細腕にどんなパワーを隠してるんだよ!?
「私がレンくんの制服を着ることで……レンくんの制服に沁みついたリョウ先輩成分を摂取できる。そして私の制服を着たレンくんからリョウ先輩成分を摂取できる。まさにWin-Winね!」
「俺のWinはどこ!?」
喜多さんの鼻息がめっちゃ荒くなってる。なんで俺が喜多さんに逆レされてるみたいになってんだよ!! 虹夏ちゃんと後藤さんはものすごく離れたところにいるし……星歌さん助けて!!
「おい、喜多。バカなことやってんじゃねえぞ!」
「バカじゃありません! 私は真剣です! 私は真剣にレンくんを脱がしてリョウ先輩になってもらいたいだけなんです!」
「余計性質悪いわこのアホ!!」
星歌さんはそう言って喜多さんの頭をぴしゃんと叩く。そうです! やっちゃってください星歌さん!
「よく考えろ。レンにお前の制服を着せたところで、秀華高校の制服だからリョウみたいな雰囲気にはならないだろうが」
「そ、そう言われれば……」
うんうん。説得の方向性がおかしい気がするけど、ちょっと喜多さんが冷静になったね。さすが星歌さん!
「リョウの雰囲気を出したいなら、こういうブレザーと黒タイツが必要だろ?」
うんうん……うん?
「その落ち着いた感じのブレザー……まさに、リョウ先輩の雰囲気にぴったりですね!」
「だろ?」
「待って……ちょっと待って! 星歌さん、なんでそんなもん持ってんですか!?」
「そ、それは……あれだよ、ほら。客の忘れもん」
「制服のコスプレをライブハウスに忘れていく客なんているわけないでしょ!?」
「お前にロックの何がわかる!?」
「その発言で俺の心はロックされましたからね!!」
おかしい。話の流れがおかしい。ここは普通、店長である星歌さんが大人な対応で喜多さんを諭す場面じゃないの? なんで星歌さんまで喜多さんに乗っかって俺に制服を着せようとしてくるんだよ!!
こんなの絶対おかしいよ!!
「レン、よく考えろ。このままとち狂った喜多をリョウに会わせるために野に放ったらどうなると思う? 暴走してちょっとでもリョウに雰囲気の似たヤツを見つけては今みたいな奇行に走るぞ? だからここである程度喜多の渇きを潤しておいて気持ちを落ち着かせてからリョウに会わせてやるべきじゃないのか?」
星歌さんがめっちゃ早口で捲し立てる。人間、嘘をつくときって口調が早くなるよね。
「良いこと言ってる風ですけど、俺の女装姿を見たいだけですよね?」
「……そんなことねえし」
おい、なんで頬を赤く染めて顔を逸らしてんだこのアラサー。
「レンくん、仕方ないよ。ここは大人しくお姉ちゃんが持ってきた制服を着よう? 喜多ちゃんもそれで満足するだろうからさ。大丈夫、心配しなくてもあたしがちゃーんと可愛く仕上げてあげるから」
「いや、心配してるのはそこじゃない」
虹夏ちゃんまでおかしくなっちゃった……キタキタウイルスに侵されちゃったのかな?
「や、山田くんっ!」
後藤さん……俺の最後の希望は君だよ。……助けて?
「ぶ、文化祭の予行演習だと思いましょう! メイドになるんだから……ぶ、ブレザー姿にも慣れてないと、ね? ふへへ……」
あかん。後藤さんもおかしなことになっとる。
というか、虹夏ちゃんも後藤さんもさっきまで喜多さんの奇行にドン引きしてたよね? なんで俺が制服を着る話になったら思い切り食いついてきてんの?
「リョウレンくん先輩!」
「レンくんっ!」
「レン」
「や、山田くん……」
もう……好きにして?
「リョウ先輩リョウ先輩リョウ先ぱぁ~い!」
約二十分後、着替えを終えて虹夏ちゃんに姉貴っぽくヘアセットをしてもらい、姉貴がよく使っている香水(虹夏ちゃんも同じものを持っている)をふり、演技ではなく自然と死んだ魚のような目になった俺に喜多さんが思い切り抱き着いて、俺の胸板にぐりぐりと顔を押し付けている。
「あのね、喜多さん……」
「先輩は私のことを郁代と呼ぶわ!」
「……郁代」
「レンくんは名前で呼ばないで!」
「どうしろって言うの!?」
「リョウ先輩の声はもっと高くて感情がない感じなの!」
「……なんて面倒臭い女なんだ」
「声っ!!」
「はいはい───郁代、これでいい?」
「リョウせんぷぁぁい♡」
俺が姉貴の声真似をすると、途端に喜多さんが甘ったるい声で甘えてきた。……俺はもう、この光景と喜多さんの一連の奇行を秀華高校のみんなに見せつけてやりたいよ。
星歌さんはアホ毛をぶんぶん揺らしながらパシャパシャ写真撮ってるし、虹夏ちゃんは腕を組んで訳知り顔でうんうん頷いてるし……虹夏ちゃん、さっきまで責任を感じてすごく落ち込んでたよね? いや、元気になったならいいんだよ? ただこう、釈然としない感じが……
「あ、えへ……えへへ……」
後藤さんは後藤さんでニヤニヤ不気味に笑いながら俺の袖をちょんちょんと摘まんでくるし。何? どうしたの? 後藤さんも姉貴に甘やかしてほしいの?
(い、今の山田くんは……お、女の子みたいなものだから、ちょ、ちょっとくらいお触りしても平気だよね? ふへ、ふへへへへ……へ、変な意図はないよ? ただ私は山田くんに仲の良い女子高生のスキンシップの仕方について教えてあげているだけで邪な気持ちとかいやらしい気持ちなんて全くありませんから!)
「リョウ先輩! 頭撫でていい子いい子ってしてください!」
「……郁代はいい子。いつもよくがんばってる」
「えへへ~」
俺が頭を撫でてあげると喜多さんはものすごくだらしない笑顔を浮かべていた。その顔、後藤さんっぽいよ?
「わたっ、私も褒めてください……!」
「ぼっち、最近はだいぶみんなに合わせられるようになってきた。すごく成長してる」
「ふひっ……ふひひっ……しょんなことないですぅ~」
後藤さんは俺に褒めてもらいたいの? 姉貴に褒めてもらいたいの? どっちなんだいっ!?
「むぅ~……リョウ先輩! ひとりちゃんと私、どっちが好きなんですか!?」
こんなラブコメ漫画みたいな台詞……リアルに聞くとは思わなかった。しかも女装した格好で。しかも喜多さんが思い浮かべている人間は俺じゃなくて俺の姉貴で。
もう、脳みそバグりそう。
「……ぼっちも郁代も大切なバンドメンバー。どっちが好きとか決められない。だって二人とも───第二の家族なんだから」
「リョウ先輩……なら、私を先輩の娘にしてくれますか?」
「それはできない」
「ど、どうして!?」
「確かに私達は家族のようなもの……だけど私は、この四人はどんな時でも対等でありたいと思っている。憧れるのは構わない。だけど、メンバーを妄信しているようじゃ、私や郁代が望む本当の信頼関係を築くことはできない。だから郁代……私の娘になるんじゃなく、私と肩を並べにおいで。大丈夫、郁代なら必ず追いつけるから」
「リョウせんぱぁぁぁい!!」
ここで俺は今の立場を利用して、喜多さんの姉貴に対する狂信を解こうと試みる。このまま姉貴の真似をして都合よく利用されるだけで終わってたまるか!! 俺はただでは転ばない男なんだ!!
「ふぅ……落ち着いたわ。でも、やっぱりレンくんはレンくんね。先輩と違うわ。先輩からしか摂取できない栄養がある!」
俺は所詮ただで転ぶ男だったよ。
「それで、どうしようか? このままリョウが引きこもったままなのは良くないと思うけど……」
「リョウ先輩のお家に行きましょう! 今こそ、結束バンドの絆パワーでリョウ先輩を助けてあげる時です!」
「絆パワーが何なのかよくわかんないけど、それもありだね。レンくん、どう思う?」
「いいんじゃないっすかね?」
「そんなに拗ねないでよ~。悪乗りしちゃったのは謝るからさ~」
虹夏ちゃんが困ったような表情で俺の頭を撫でてくる。いや、拗ねてるんじゃなくて……疲れただけなんだ。体力とか精神力、そんな単純なもの以外の何かを大量に消費した気がする。
「三人で姉貴のところに行ってきなよ。なんだかんだ、姉貴もみんなに会いたいとは思ってるけど、勝手に一人で気まずくなってるだけだから」
「うん、そうするよ! よーし、ぼっちちゃん、喜多ちゃん、リョウの家に突撃だー!」
「リョウ先輩のお家!? 行きます!! たとえお父さんの毛根を犠牲にしてでもリョウ先輩の家に辿り着いてやります!!」
「お父さんの毛根に罪はないでしょ!?」
すっかり正気を取り戻した喜多さん……いや、元から正気じゃなかったな。とにかく、元気を取り戻した喜多さん達は姉貴の元へ向かうためにSTARRYを出て行った。
俺はこの後シフトが入っているからそのまま残ったんだけど……
「レン、今日はその恰好のままでもよくないか?」
星歌さんの目がちょっと怖かったので、PAさんの方へ逃げ込む。
「大丈夫ですよ~。私はレンくんの味方ですからね~」
PAさんがぎゅーっと抱きしめて甘やかしてくれた。すごく良い匂いがしておっぱいやわやわで気持ちよかったです。
そして、山田家で色々あってさらに絆を深めた結束バンドの新曲が
「グルーミーグッドバイ」なのだった。
……gloomy。尊厳やら何やらを犠牲にした俺に対する皮肉かな?
山田&喜多ちゃん回でした。
原作よりも早い山田スランプイベントです。その結果グルーミーグッドバイが文化祭前に完成するという。
喜多ちゃんに関してはごめんなさい。
最初は山田に会えなくて落ち込んでる喜多ちゃんを甘やかす話にしようと思ったんですが、原作での暴走っぷりを考慮した結果ああなりました。
言っておきますが私は喜多ちゃんが大好きです。私服姿がめちゃ可愛いしチョーカーやカチューシャといった小物をつけている喜多ちゃんが大好きです。
一番可愛いのはアニメ最終話の「忘れてやらない」のラストでウインクするとこ。あれはずるい。スタッフさんの愛を感じました。
決して喜多ちゃんを不遇にしたいわけじゃないので誤解しないでください。
それでも不快に思った人がいたら申し訳ないです。
次はぼっちちゃんメインの話になると思います。
文化祭は次の次くらいかな?
では、感想、評価、誤字報告、ここすき等ありがとうございました!
次回もよろしくお願いします!