「今夜は寝かさないゾ♡」
「せめて終電で帰らせてください」
十二月半ば、いよいよ新宿FOLTでのクリスマスライブが間近に迫っている中で、俺と虹夏ちゃんはイライザさんが住んでいるマンションを訪れていてた。
理由は一つ。冬の風物詩である冬コミ同人誌製作のお手伝いである。最初は俺だけが誘われてたんだけど、虹夏ちゃんに相談したら……
「あ、あたしも手伝う!!」
「クリスマスライブ近いけど大丈夫?」
「大丈夫! なんとかするから! (イライザさんとレンくんを二人きりはちょっと危険すぎる。大丈夫……多分大丈夫だとは思うけど二人とも天然入ってるからどんな化学反応を起こすかわからない! それに、同人誌製作って一日じゃ終わらないよね? もしも夜通し二人きりで作業するなんてことになったら───ぐわあああああああ!! まずいまずいまずいまずい!! 色んな方面に飛び火してしまうっ!!!!!)」
割と食い気味に虹夏ちゃんが手伝いを申し出てくれたんだよね。ありがたいけど、ほんとに大丈夫? ライブまであと二週間もないよ?
もしかしてイライザさんと二人になることを心配してた? あー……それなら納得だわ。イライザさんって俺への特効要素持ちだから何かの間違いが起こるかもしれないし。
まあ、修羅場でそれどころじゃないだろうけど。
「そういえば、日本に来て男の子を自分の部屋に入れるのって初めてかも……」
「どんな部屋か楽しみですね」
「恥ずかしいからあんまり見ないで欲しいかナ~」
イライザさんはそう言っていたけど、「恥ずかしい」の意味が全然違うと思う。普通、女の子の部屋に入ったら多少なりとも色気のある、
「お、おおぅ……」
イライザさんの部屋に入った俺は言葉を失い、虹夏ちゃんは隣で顔を引きつらせていた。
「……アニメグッズの山ですね」
「えへへ~。いやぁ、恥ずかしいナ~」
自分の部屋を見られてイライザさんは頬を赤く染めて恥じらう。字面だけなら甘々な雰囲気なんだけど……あらゆるアニメグッズで溢れかえったこの部屋だと微塵もそんな雰囲気にはならないですよ!!
(せ、セーフ!! 圧倒的セーフ!! これならレンくんとイライザさんの間で間違いが起こるはずがない!!)
虹夏ちゃんも安心した様子。心配かけてごめんね。
「イライザさん、何が必要かわかんなかったんでとりあえず甘い物とか手軽に食べられるものをたくさん買ってきました」
「あたしもエナドリとかコーヒーを買ってきましたよ」
「二人ともありがとう! 大好き♡ そんな優しい優しい二人にはネ~、こっちのテーブルで作業をしてもらいます」
テーブルの上には下書きされている同人誌の原稿、ペン、インク、修正用のホワイト液が置かれてあった。それを見ただけで、俺はこれから自分が何をやらされるのか予想がついてしまう。
「下書きは終わってるから、ペン入れとベタ塗りをお手伝いしてほしいんだ~」
「……虹夏ちゃん、やったことある?」
「あるわけないでしょ!?」
だよねぇ。俺も知識としては知ってるけど、実際にやるのはこれが初めてだ。……素人二人にいきなりペン入れさせるってほんとに大丈夫ですか?
「大丈夫大丈夫! 下書きの線をなぞってくれるだけでいいから。初心者にもできるように下書きはわかりやすく描いてるからネ」
「デジタルでやろうとは思わなかったんです?」
「トーンからはデジタルでやるヨ。ただ、ペン入れとベタ塗りはアナログ特有の
にゃるほどね。プロ意識故のこだわりってヤツですか。デジタルだったら修正も楽なのに、あえてこの時代に逆行してアナログに挑むその心意気……嫌いじゃないですよ。
「これ、原稿一枚だけでも結構時間かかりますよね?」
虹夏ちゃんが原稿を手に取ってペラペラとめくりながら呟く。
「うん。ここが一番大変な作業なの。トーンからは私一人でできるから、今日は三人でベタ塗りまで終わらせよう!」
「……マジで朝帰りコースじゃないですか!?」
「だから『今夜は寝かさないゾ♡』って言ったでしょ?」
この量を一日で終わらせる!? 三人いるとはいえ……結構無謀なスケジュールじゃない!? しかも三人の内二人は素人だし……
「お願い~! 今度たくさんお礼してあげるから~!」
イライザさんが両手を合わせて拝みながら上目遣いで俺を見てくる。……相変わらずあざといですね。そんなことしなくてもちゃんとお手伝いしますって。
「約束してましたからね。やれるだけやりますよ」
「あたしもがんばります! (レンくんの甘やかしは今に始まったことじゃないけど、朝帰りだけは阻止しよう! うん、朝帰りだけは……)」
「よーし、三人でがんばろー! おー!」
イライザさんはそう言って俺と虹夏ちゃんの手を取って高々と上に持ち上げる。可愛い女の子達と一日過ごせるから役得って思うようにしよう。これが風呂に入ってないようなオタクだったら絶対断ってたけど。
「イライザさん、内容はどんな感じです? まさかR18じゃないですよね?」
「そんなの人に手伝わせるわけないでしょ!? ましてや男の子に!! 『このシーンはリアリティがないから今から実践して描き直そうか?』『あっ、だめ……』みたいな展開はエロ同人の中だけだからネ!! レンのえっち!!」
イライザさんが焦ったような恥ずかしがってるような反応をする。俺はそんな彼女を見て可愛いなぁとほっこりした気分になりながらも安心した。さすがにR18指定同人誌を異性と一緒に作るとか……気まずいなんてもんじゃねえ!
「で、結局どんな感じです? オリジナル? それとも原作あり?」
「原作きららの日常系百合漫画だヨ~」
「あたし、この漫画知ってます。リョウがあたしの部屋に置いていったヤツだ」
「知ってるならよかった~。可愛い女の子達がきゃっきゃしてる平和なハートフルコメディだから安心してネ!」
「……ここで『異世界転生鈍感難聴ハイテンションやれやれ俺TUEEEEEパーティから追放系男キャラ』をひとつまみ」
「ぐげげげげげげげっ!? なろうの欲張りセット!!」
「イライザさんが謎のダメージを受けて悶絶している!?」
「さらに原作には存在しないオリキャラを大量投入! 原作そっちのけでオリキャラ同士の寒い掛け合い! 面白いと思っているのは作者だけ!」
「あばばばばばばばばばばばばばばっっっ!!?? 『もうオリジナルでやってろ攻撃』……そ、それは効く!! 古傷が疼く!!」
「今度はぼっちちゃんみたいに痙攣し始めた!? なんでこんなに追い込まれてるの!?」
なるほど。イライザさんは
ベッドに倒れ込んで枕に顔を埋めてバタバタ悶絶しているイライザさんを見て、俺は申し訳ない気持ちになりながら手を合わせるのだった。
(あ、この感じだったら絶対そういう雰囲気にならないな。……というか、レンくんってもしかして、そうならないようにわざとやってる?)
虹夏ちゃんが俺をじーっと見上げてくるのでなんとなく頭を撫でてあげる。今がバンドにとって大事な時期だってわかってるからね。もちろんわざとだよ。……その代わりイライザさんの尊厳が犠牲になったけど。
「レンのばか。えっち。意地悪。嫌い」
「ごめんなさいイライザさん、お詫びに───」
「今なんでもするって言ったよネ?」
「まだ何も言ってませんよ!?」
「そっかー。当日の売り子も手伝ってくれるのかー。レンは優しいネー♪」
「だから何も……」
「あー、傷ついちゃったナー。レンの心無い言葉にお姉さん傷ついちゃったナー」
これ見よがしにイライザさんはベッドにゴロゴロ寝転んでジト目で俺を見てくる。ここぞとばかりにあざとい真似を……しょうがないにゃあ。
「……わかりました。お手伝いします」
「わーい! 労働力げっとー! 当日はきくりにも手伝ってもらうからネ~!」
どうしよう。猛烈に前言撤回したくなった。何で廣井さんも一緒? って思ったけど、どうやら売り子を手伝うバイト代で年末を乗り越えようとしているらしい。
いや、今度のクリスマスライブでお給料入りますよね? あ、どうせ機材をぶっ壊すから手元にお金が残らないってことですね。はっはっは。……はぁ。
虹夏ちゃん、助けて?
「年末は買い出しとかお姉ちゃんのお世話しないといけないから無理」
姉貴……はダメだな。寒いから家から出てこない。ひとりを人混みには連れて行けないし……喜多さん? いや、確かに喜多さんにぴったりな役目だけど、借りを作るのは怖いからやめておこう。
というわけで、なし崩し的に冬コミで売り子をすることになってしまった。しかも廣井さんという不良債権付きの。
「じゃあ、そろそろ始めようか。やり方を教えてあげるからしっかり見ててネ」
そしてようやく本題の同人誌製作に取りかかる。長い一日になりそうだなぁ……
「───こんな感じで、場所ごとに太さの違うミリペンを使って描いていくんだヨ」
「さらっとやってますけど、めちゃくちゃ難しいですよね?」
「あたしにできるかな……」
「大丈夫! 下書きの段階で太さを変えるところはちゃんとカラーシャーペンで色分けしてあるから! あと、基本は上から下に、だネ。無理に一回のストロークで描き切ろうとしなくていいヨ。短い線を繋いでいく感じでやると、線の強弱が出てくるからネ!」
「……とりあえず、やってみる?」
「そうだね。実際に描いてみないことにはわからないし」
イライザさんは慣れているのか、サクサクとペン入れをしていくけど俺達二人は完全に素人だからね。しかもペン入れって基本的には修正ができない一発勝負だからプレッシャーもあるし。
「あと、このペングローブをつけてね。知らない間に手や原稿が汚れちゃうから」
イライザさんはそう言って汚れ防止のペングローブを渡してくる。親指、人差し指、中指がむき出しになっている特殊なグローブだ。……初めてつけるなこんなの。
「時間がかかってもいいから焦らないでネ! さあ、いくヨー! おーっ!」
「おー!」
「お、おー!」
やるしかない。緊張するしプレッシャーもあるけどできることをしっかりやろう。
クリスマスが近い時期、可愛い女の子二人と一つ屋根の下。やってることは百合同人誌製作のお手伝い。
欠片も色気がねえな!!
「目標をセンターに入れてなぞる目標をセンターに入れてなぞる目標をセンターに入れてなぞる……」
「レンくん、怖いからぶつぶつ呟くのやめてよ」
ペン入れ開始から約一時間。会話らしい会話もなく、ただ黙々と紙に描かれた下書き線をなぞるだけの作業が続く。結構集中力が必要な作業だね。
最初は緊張していたけど、一時間くらいやっていれば多少は慣れてくる。虹夏ちゃんも絵を描くのは得意だから、紙をくるくると回転させながらスムーズに描いていた。
「虹夏ちゃん、星歌さんの誕生日プレゼントどうするの?」
「去年まではぬいぐるみをあげてたけど……もう三十歳だからね。入浴剤とかマッサージ器とかアイマスクとか……健康に良さそうなものにするつもりだよ」
「なるほどね~」
「レンくんは?」
「今の星歌さんに一番必要なものは『理解ある彼氏くん』だと思うから、婚活パーティーに連れて行こうかと考えてたんだけど……」
「とんでもねえこと考えてやがった!?」
「星歌さんの好みって、どんな人?」
「う~ん……お姉ちゃんとそういう話をしたことはあんまりないからなぁ……とりあえず、お姉ちゃんの壊滅的な女子力を許容できる心の広い主夫系じゃない?」
「やっぱそうなるよね」
俺と虹夏ちゃんの考えは概ね同じらしい。でもなぁ……婚活パーティーとか星歌さん絶対嫌がるよな。別に結婚が全てとは言わないけど、将来虹夏ちゃんに素敵な彼氏ができていざ結婚するってなった時に星歌さんが独身だったら普通に気まずいと思う。
「……婚活パーティーうんぬんは一旦置いておくとして、俺は女子力アップアイテムでもあげようかな」
「お姉ちゃんって見た目は
「未だに白馬に乗った素敵な王子様が迎えに来てくれると思ってそう……」
「やめてよ! 三十歳にもなって痛々し過ぎるじゃん!」
ぬいぐるみ抱いて寝てる時点で……ねえ? いや、可愛らしいとは思いますよ。ギャップがあって。
「イライザさんはどうなんです? 彼氏はいないんですか?」
「いたらレンくんを家に連れ込むわけないでしょ!?」
「いるヨー」
「同人誌描いてる場合じゃねえ!? レンくん、早く帰って!! 修羅場になって冬コミどころじゃなくなるから!!」
虹夏ちゃんは焦ってるけど、俺は全然焦らない。というのも、イライザさんの言う「彼氏」の意味をなんとなく理解できていたからだ。
「どんな彼氏か見せてもらっていいですか?」
「いいヨー! ほら、これ」
「軽い軽い!! 二人とも軽すぎる!!」
イライザさんがスマホを俺に見せてくれる。画面に映っていたのは、予想通り───何かしらのアニメキャラだった。
「彼氏というか……
「そうとも言うネ~。でも、誕生日にはケーキを作ってちゃんとお祝いしてるんだよ?」
そして次にはキャラの笑顔がプリントされたケーキの写真を見せてくれる。トゥイッターでもこの手の画像って結構流れてくるんだよな。……テニプリとか。
「あ、そういうこと……現実に彼氏がいる訳じゃないんですね。なら安心───って、んなわけあるかぁ!! イライザさんダメですよ!! 現実と二次元の区別がつかなくなっちゃったら……お姉ちゃんみたいに……お姉ちゃんみたいに行き遅れちゃう!!」
「だいじょーぶ! 私はふつーにイケメン好きの面食いだから!」
「イケメン好き……面食い……喜多ちゃん……うっ、頭が……」
今度は虹夏ちゃんが頭を抱えてうずくまっているので、よしよしと頭を撫でてあげることにする。
「イケメン好きの面食い……志麻さんが男だったらSICKHACKはやべーことになってましたね」
「志麻は確かにイケメン枠。……でもね、あれで女の子だからいいんだヨ!」
イライザさんはそう言って大きな胸を張って得意げに言うので、俺も激しく同意する。俺も志麻さんのイケメンっぷりは見習いたいところだ。
そんな風に、適度に雑談しながら比較的和やかな雰囲気で作業を進めていく。何だよ同人誌って楽勝だなってこの時は思っていたけど……本当の地獄はここから始まるのだった。
「お腹空いたー。晩御飯はピザの宅配でいーい? お手伝いしてくれたお礼に奢っちゃうヨ~!」
「俺、照り焼きがいいです! 鶏肉のってるヤツ!」
「……お姉ちゃんにロインしなきゃ。出前か冷凍食品で済ませてって」
「星歌さんへの誕生日プレゼント……可愛いキッチン用品と料理本とかにしようかな」
「結局あたしが使うことになりそう」
でも、星歌さんもそろそろまともに料理が作れるようにならないとダメだと思うんだよね。家事は女性の仕事だっていうのは古い考え方だけど、それはそれとして……必要最低限の家事力は必要だと思う。
星歌さんの料理って普通に不味いし。あれを美味しく食べられるのは姉貴くらいだ。
「手が痛い……疲れた。肩が凝りそう。虹夏ちゃん、癒して」
「よしよし。レンくんはがんばってるね~」
俺がそう言うと虹夏ちゃんが優しく笑いながら俺の頭を撫でてくれる。あ^~癒されるんじゃ~。
「ぎゅってしていい?」
「しょうがないなぁ~……ちょっとだけだよ?」
お許しが出たので虹夏ちゃんを膝の上に抱え込むようにして後ろからぎゅっと抱き締める。腕の中にすっぽり収まるこのサイズ感が丁度いいし、温かくて良い匂いがする。……やべえ、ちょっと眠くなってきた。
「……二人って付き合ってるの?」
「いや、別に」
「付き合ってませんよ?」
「あれえ!?」
イライザさんが首をかしげながら尋ねてくるけど、俺と虹夏ちゃんは付き合ってない。確かに傍から見たらそう思われるかもしれないけど。
「ここはラブコメっぽく『だ、誰がこいつとなんか付き合うかよ!!』みたいな展開を期待してたのにナ……」
「幼馴染物の定番ですね」
「ねー」
「でも、俺と虹夏ちゃんはそんな感じじゃないもんね?」
「ねー」
虹夏ちゃんは俺の腕の中でアホ毛を嬉しそうに揺らしながら答える。このアホ毛……ほんとにどういう仕組みになってんだ? 大学の研究機関とかで本格的に調査してみたい。
「そういえば、二人は幼馴染だったネ。うーん……これだけ仲良しならそういう関係になってもおかしくないのに。じゃあじゃあ! レンは虹夏ちゃんのことをどう思ってるの? この際はっきり言っちゃいなヨ~!」
「え? 虹夏ちゃんのことですか? 大好きですよ」
「お、おー……? は、恥ずかしげもなくあっさり言っちゃった。に、虹夏ちゃんは?」
「レンくんのこと? 大好きですよ」
「お、おうっ……なんか、なんかお姉さんが想像してた反応と違うヨ……ど、どことなく重力を感じるし部屋の湿度が上がったような……こ、これがジャパニーズ幼馴染!? 奥が深い……次の同人誌の参考にさせてもらうネ」
お互い大好きなのに付き合わない。俺と虹夏ちゃんは本当に不思議というか面倒臭い関係というか……でも、これでもかなりマシになった方だと思うけどな。今年に入ってから本格的にバンド活動に集中できるようになって……俺も虹夏ちゃんもお互いに対する思いが薄れた訳じゃないけど、感情に対する向き合い方が変わったから。
「じゃあ、もしも虹夏ちゃんに彼氏ができたらレンはどうする? 嫉妬しちゃう?」
「いや、しませんね(その程度で嫉妬する関係じゃないし)」
「あるえぇ!? に、虹夏ちゃんは!? レンに彼女ができたら嫉妬しちゃうよね?」
「しないですね~(その程度で嫉妬する関係じゃないもん)」
「あれ!? あれ!? 私がおかしい!? 私の恋愛観がおかしかったりする!? これがジャパニーズスタンダード!? か、カルチャーショックがすごい……私、日本のことをゼンゼンわかってなかったヨ」
虹夏ちゃんに彼氏ができても嫉妬なんてしない。純粋に祝福できるし応援する。……相手が素敵な彼氏くんであればね。ただ、もしも虹夏ちゃんを泣かせるようなクズだったとしたら───ねえ?
俺はそう考えて、虹夏ちゃんを抱き締める力をちょっとだけ強める。
「またなんか重力が発生したヨ! このままだとベジータのトレーニングルームになっちゃう!」
イライザさんの新鮮な反応を見て、俺と虹夏ちゃんは思わず笑ってしまうのだった。
その後は宅配のピザを食べてお腹を満たし、再びペン入れ&ベタ塗り作業へと戻っていく……んだけど、まーここからの時間が地獄だった。
夕方までは適当に雑談しながらそれなりに楽しく作業していたんだけど、疲労が溜まってくると口を開くことすら億劫になって、ペンをシャッシャッと走らせる音だけが響く時間が何時間も続いていく。
いつも元気なイライザさんも鬼気迫る表情で原稿と向かい合い、虹夏ちゃんは完全に「無」となっていた。かくいう俺も小粋なトークをする余裕なんてないので、ただひたすらにペンを走らせる。
「あ、終電……」
「なくなっちゃったネ」
「なくなっちゃいましたね」
「まあいっか」
「うん」
「がんばろうネ」
終電がなくなってもこんな感じ。感情のないAIの如く、俺達は沈黙したまま作業を続けていく。こんなに色気の欠片もない「終電なくなっちゃったね……」って存在するんだな。
時計の針が午前零時を回っても、俺達の作業は終わらない。時々コーヒーやエナドリを飲んだりして眠気を紛らわしているけど、正直効果があるとは思えない。カフェインなんて所詮、プラシーボ効果なんだよ!!
「ふひ、ふひひ……」
イライザさんが不気味に笑う。午前一時を回ったあたりから俺達のテンションがおかしくなってきたんだよね。
「ああ……今の私には世界がモノクロに見えるよ……」
「俺の右手は……
「あたしは純白の乙女(原稿)を漆黒に塗り潰すことしかできないんだ……」
最早俺達自身が自分で何を言っているのかもわからない。まだ日本語らしい日本語を話している内は大丈夫なんだけど、末期になると……
「ぬぽぽぽ!!」
「がぬんぬ!!」
「まびんが!!」
三人で無表情のまま意味の分からない奇声を発しながらひたすら原稿と向かい合っていたんだ。多分、何も知らない人がこの光景を見たらホラー映画のワンシーンと思うだろうね。
そして、午前三時を過ぎた頃、突如としてインターホンが鳴り響く。俺達三人は特に驚くこともなく、ぬるっと顔だけ上げてモニターに視線を向けた。
イライザさんが立ち上がり、のそのそとゾンビのような動きでモニターへと向かう。
「志麻ぁ?」
『イライザ、悪いなこんな時間に。原稿は大丈夫か?』
モニターに映っていたのは志麻さんだった。今日も相変わらず顔が良いですね。お綺麗ですね。尊いですね。ここをルーブル美術館にしましょうか。
イライザさんは玄関へ向かい、ドアを開けて志麻さんを部屋へと招き入れる。そして、俺達の姿を見るなり志麻さんは口をあんぐりと開けた。
「や、山田くんに虹夏ちゃんもいたのか!? ご、ごめんな……イライザの我儘に付き合わせちゃって……」
話を聞くと、酔い潰れて路上で寝ていた廣井さんが交番で保護されていたので、タクシーで送ってきたところだったらしい。で、ついでに修羅場になっているイライザさんの様子を見に来たとのことだ。お労しや……志麻上。
「志麻さんはいつも廣井さんのお世話してて偉いですね~よしよし」
「いきなりどうした山田くん!? 酒でも飲んでるのか!?」
疲労と過労でとち狂っていた俺は志麻さんの頭を撫でる。確かに、この時の俺は酔っぱらっていたと勘違いされてもおかしくない。
「志麻師匠は偉いですね~よしよし」
「虹夏ちゃんまで!? おい、イライザ! この部屋、何かやばいウイルスでも蔓延してるのか!?」
「志麻ぁ、もしかして差し入れ持ってきてくれたのぉ?」
「え? あ、ああ……疲れているだろうと思って甘い物とか軽く摘まめるものをコンビニで……」
「はい天使。はい女神。志麻さんはこれから『新宿のエンジェルアフロディーテ』と呼びましょう。そうだ! 新宿FOLTに志麻さんの銅像を作ればいいのでは? 俺、毎日拝みに行きますよ?」
「採用! 銀ちゃんに報告せねば……」
「山田くんもイライザも正気に戻れ!!」
志麻さんが俺の両肩を掴んで前後にガックンガックン揺らしてくる。いやですねえ。俺は最初から正気ですよぉ。
「志麻師匠……素敵、抱いて! あたしと結婚してください!」
「ずるいヨ虹夏ちゃん! 志麻は私と結婚するの~!」
「は? 志麻さんのお嫁さんは俺なんですけど?」
「なんだこれは!? 廣井か!? 廣井の呪いなのか!? それとも幽々の怪しい人形に遠隔操作されているのか!?」
修羅場勃発。志麻さんがハーレム主人公になりました。
「仕方ないから三人で志麻さんのお嫁さんになりましょう。それで全部解決です!」
「そうだね。あたし達みんなで幸せになろう!」
「志麻ぁ~式はいつにするぅ~?」
「わ、私一人の手には負えない……」
あ、そうだ。姉貴にも結婚報告のロインをしておかないと。「志麻さんのお嫁さんになりました」って。送信完了、ヨシ!
「店長すみません、こんな時間に。あの……イライザがですね、暴走して……はい。そうです。同人誌の締め切りが近くて……山田くんと虹夏ちゃんも手伝ってくれてるんですけど……」
最終的に近くで飲んでいた吉田店長が来てくれて場を収めてくれました。
そういえば事実だけ羅列すると、年上の可愛い巨乳お姉さんの家にお泊りしたんだよな俺……なお実態。
ちなみに原稿はちゃんと締め切りに間に合いました。……ヨシ!!
あと、俺からのロインを確認した姉貴なんだけど……
「……なんでだよ?」
家のリビングで映画を観ながら一人でそんなことを呟いていたらしい。ちゃんちゃん。