三月二十九日、Tokyo Music Riseファイナルステージ。東京予選の決勝から十日後の今日、結束バンドはこの東京ビジュアルアーツのメディアホールで四百人の観客の前で演奏する。
「何だレン、緊張してんのか?」
「星歌さんこそ声震えてますよ」
俺と星歌さんは一緒にメディアホールにやって来ていた。結束バンドのメンバー達はリハや打ち合わせがあるから早い時間に出発していて、今は楽屋でスタンバイしている頃かな。
そして、星歌さんの言う通り俺はものすごく緊張している。でも星歌さんも星歌さんで一緒に来る道中はほとんどしゃべらずにクールぶっていたけどガッチガチに緊張しているのがよく分かった。今日は虹夏ちゃんのためにライブハウスを休みにしましたしね。
「実際、どう思う? あいつら優勝できると思うか?」
「……それを俺に聞きますか?」
「あいつらの演奏と、SIDEROSの演奏をこの一年間で一番聴いてきたのはお前だろ?」
「……優勝して
「なるほどな」
そう。「優勝できる」じゃなくて「優勝してほしい」なのだ。結束バンドは成長した。一年前と比べて、本当に同じバンドなのかと思えるくらい成長した。
だけど……それでも……
「贔屓目なしで客観的に評価するなら……SIDEROSの方が上です」
「だろうな。私もそう思う」
「星歌さんってSTARRYで誰よりもロマンチストなくせしてそういうところはリアリストですよね」
「私がどれだけのバンドを見てきたと思ってるんだよ」
星歌さんが俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
単純なバンドとしての完成度や技術の高さでいえばSIDEROSの方が上なんだ。それは覆しようのない現実であり、俺だけでなく結束バンドのみんなもそれを理解している。でも、理解した上で本気で勝とうとしているんだ。
いつかじゃなくて───今。
そして、そのための秘策……とまではいかないけど工夫というか、演奏するラストの曲にはある
それがうまくお客さんや審査員の人達に刺さればいいんだけど。
「気持ちだけでどうにかなる問題でもないけど、気持ちがなかったらそもそもスタート地点に立つことすらできない。それに、個人の演奏技術、歌唱力と完成度、それだけが強さの証明ならライブはもっと単純だ。でも、そうじゃないから奥が深く、そうじゃないからおもしろいんだ」
「『ハイキュー!!』の鵜飼コーチも似たようなこと言ってましたね」
「……これなんとか私が言ったってことにできない?」
「できるわけないでしょ! 何言ってんの!?」
思わずタメ口になっちゃった。いや実際めっちゃ良いこと言ってるんだよ。でもなんかこう、最終的に残念感が拭えないというかなんというか。……こういうところが星歌さんの可愛いところだと思っておこう。実際そうだし。
「にしても、普通のお客さんだけじゃなくて業界人らしき人もちらほらいますね」
「当たり前だろ。レーベルやレコード会社にとっちゃ将来有望な人材を発掘するチャンスだからな。昔と比べて動画サイトや音楽サイトでアマチュアバンドの演奏を聴く機会は格段に増えたけど、やっぱ
星歌さんの言葉に、俺は強く共感する。実際ライブに行ってみればわかるけど、ただ家で視聴するのと違って、ライブでは……ありきたりな言葉になっちゃうけど、アーティストの……バンドの
心の底から震え上がるような、体の芯が燃えるような熱。こればっかりは言葉で説明するよりもぜひとも体感してもらいたい。
「おい、あれ見ろよ……!」
「あの人達ってもしかして……」
開場と同時にどんどん観客が集まってくる中、俺は星歌さんとの会話で緊張が和らいできたので周囲を観察する余裕ができていた。そして、しばらくすると入り口の辺りが妙にざわついていることに気付く。
どうしたんだろ? 有名人でも来たのかな?
ただ、なんだろう……ものすごく、ものすごく嫌な予感もするんだよね。そして残念なことに、俺のこういう時の嫌な予感っていうのはよく当たっちゃうんだ。
「あれ~? まだ始まってないの~? だったらコンビニで鬼ころ買う時間あったじゃ~ん」
「店長、やっぱり廣井は隅田川に捨ててくるべきだったのでは?」
「川を汚しちゃダメでしょ~」
「そうだヨ志麻! 東京湾の汚染がますます進んじゃうでしょ!」
「みんなひど~い! まるできくりちゃんを有害物質みたいに……」
「有害というより有罪物質だな」
SICKHACKの人達と、吉田店長も来てたのか。あと、周りのお客さんの反応を見て思ったけど……やっぱSICKHACKってこういうところだと知名度高いんだな。
「おいレン、あっちを見るなよ。絡まれたら面倒だ」
「ですね。スルー安定です」
志麻さん達ごめんなさい! 終わったらちゃんとあいさつに行きますから!
俺が心の中で志麻さん達に合掌していると、スマホがブルブルと振動していることに気付いたので取り出す。佐々木さんからロインだった。
───人多過ぎてヤバい。山田がどこにいるかわかんないから合流は無理っぽい
確かに、もう数百人は余裕で集まってるもんね。俺と星歌さんは開場と同時に入ったからかなり前の方で観れるけど、これじゃあ特定の誰かを探す方が難しいか。
───後藤一家発見! 山田は見捨ててこのまま後藤一家と一緒に観るわ~
ひとりの家族も来てるのか。久しぶりにふたりちゃんに会って癒されたいな。後であいさつに行こう。
そんなことを考えながら佐々木さんに適当に返信しておく。「こっちは三十路美女と二人きりで観るんやぞ?」っと。
「あ! レンさんじゃないですか~! 今日もお顔がお美しい! そしてお隣にはライブハウスの店長さん! はぁ~……美男美女尊い……人の多さにげんなりしてましたけど、お二人を見てえれ元気が出ました~!」
「お? いつぞやの妖怪少女」
はい。二人きりじゃありませんでした。今日も今日とてハイテンションなえれちゃんが俺達の方へ近づいてくる。というか星歌さん、普通に妖怪とか言ってるな。
「知り合いがいて安心しました~。えれもご一緒させていただいていいですか~?」
「いいよ。ただ、今日は暴れないでね?」
「はい! えれ、あれからすごく反省したんです。民度の低いファンになっちゃったらしゅきぴに迷惑をかけちゃうって……実際えれ達もそういう危ない人達に迫られて怖い思いをしたこともありますし……」
「地下アイドルだからバンドとは客層が違うからね」
えれちゃんも普通にしていればおっぱいの大きい可愛い女の子だもんね。ファンの全員が全員、
というかメジャーアイドルですら握手会でやばいお客さんを相手にしてるんだし、地下アイドルならなおさらか。
「えれちゃん、イベントとかライブで男手が必要だったら声かけてね? 俺もお手伝いくらいはできるからさ」
タイミングが合えばガタイの良い野球部に声をかけるのもいいかもしれない。ライブやファンの活動を邪魔するつもりはないけど、いき過ぎた行為はちょっと見過ごせないからね。
「で、デレっ!? お、推しのデレいただきました!! これだけでえれはご飯三杯食べられますっ!!」
「なんだよレン。随分優しいな。いつもの甘やかしセンサーか?」
「それもないとは言い切れないですけど……それ以上に、本気でやっている人が
実際に俺は、そういう状況に陥ってずっと苦しんでいた人───ヨヨコ先輩を知っている。えれちゃんだって本気でアイドル活動をやっているんだ。本気で活動している人達を間近で見続けている身としては……本気の人達の邪魔をするっていうのは許せないんだよね。
「余計なお世話かもしれないけど……」
「そんなことないですっ! えれ、レンさんにそう言われてすごく嬉しかったですよ! ここが公共の場でなければ抱き着いてました~」
えれちゃんがはぁはぁと息を荒げながらそう言った。うん、この場で言っておいてよかった。下手に二人きりの時にこんな話をしちゃうとどうなるかわったもんじゃない。
「そんなお優しいレンさんにはえれ達の新曲を収録したCDをプレゼントしちゃいます~」
「ありがとう。えーっと曲名は……」
「『黒髪以外くそビッチ!』ですっ!」
「とんでもねえタイトルだなおい!」
星歌さんが思わずツッコんだ。なるほど、えれちゃんの理論だと金髪の星歌さんはくそビッチだということになるね。
STARRYで誰よりも乙女な心を持つロマンチストなくそビッチ三十路。
なんという属性過多。
あ、でもそうすると黒髪が一人もいない結束バンドはとんでもないビッチ集団になっちゃうんじゃ……
なるほど。これが「びっち・ざ・ろっく」か。
えれちゃんがやってきたことでさっきまで抱えていた緊張感がすっかりなくなったから、リラックスした状態でライブを観れそうだ。えれちゃんも基本的には純粋でいい子なんだよな。ただ、欲望を抑えきれずに暴走しちゃうだけで……
そして、しばらく三人で雑談しているとホールの光量が徐々に落ちてくる。
いよいよか。
「さあ、今年もやって参りました! 『Tokyo Music Rise spring』ファイナルステージ! 応募総数三三四組の内、この栄えあるファイナルステージに進出できるのはたったの七組! 全国各地に蔓延る猛者達を退け……代表の座を勝ち取った七組! どのバンドもすっげーレベルが高いからな! 俺にも誰が勝つのか全く予想できないぜ!」
進行役のお兄さんがステージの中心で熱く語り始める。さすがはプロだね。軽快なトークで観客のボルテージをどんどん上げていく。
もちろん俺も例に漏れない。こういうコンテストの前口上って、最高にアガるんだよな。
「───っと、俺がぐだぐだ長く話していても仕方ない。ここから先はみんなが目で見て、肌で感じてくれ! 新時代を担う若き魂達を!」
口上が終わると、会場は拍手と歓声に包まれる。観客達の空気は、すでにできあがり始めていた。
この空気をさらに爆発させられるか、あるいは静めてしまうのか……
全ては───トップバッターのバンドにかかっている。
「登場してもらおうか! 最激戦区、東京予選を勝ち抜いた四人組───結束バンド!!」
その瞬間、俺の心臓が強く跳ねて口の中が急速に乾いていくのを自覚した。
マジ、か……結束バンドが……トップバッター?
この会場の空気、観客から発せられる期待と熱気。それらを誰よりも早く、誰よりも強く真正面から受け止めるのが……あの子達なのか。
落ち着け。いや無理だ。冷静になれ。だから無理だって。
心臓がうるさい。眩暈にも似た……足元がふらつくような感覚。
ははっ……なんだよ、これ。俺ってこんなに……こんなにメンタル弱かったのか?
こんなザマじゃ、姉貴やひとりに偉そうなこと言え───
「しゃんとしろ」
言葉と同時に背中に痛みが走る。
「背筋を伸ばせ。顔を上げろ。お前がそんな不安そうな顔してちゃ───あいつらが報われないだろ?」
星歌さんが俺の背中を叩いてそう言った。
そうだよ。何を今さら動揺してるんだ。ここで不安になったり心配するのは───彼女達に失礼だ!
俺は両手で自分の両頬を叩き、背筋を伸ばして顔を上げる。
「トップバッターはトリに次いで観客の印象に残りやすい順番です。その分プレッシャーもありますけど、結束バンドは良いところを引きましたね」
「お? 調子が戻ってきたな。この空気を味方につけることができればあいつらの優勝はぐっと近づく」
デカい場所でのアウェーライブは新宿FOLTで経験してきた。路上ライブもSTARRYのライブも欠かすことはなかった。この一年間の経験を、努力を積み上げてきた彼女達なら大丈夫だ。
「まあ、お前が動揺するのもわかるけどな。まさかトップバッターとは私も思わなかったよ。それに、普段はしっかりしてるけど、よく考えたらお前はまだ十六歳なんだよな……」
「星歌さんの半分しか生きてませんよ」
「余裕出てきたじゃねえかこの野郎」
星歌さんに頭をぐしゃぐしゃされる。こういう時の星歌さんは頼れる大人のお姉さんって感じだよね。
「レンさん、お水どうぞ~。緊張すると口の中が渇きますよね~?」
「ありがとう、えれちゃん」
えれちゃんからペットボトルを受け取り、水を飲む。
もう大丈夫。大丈夫だ。後は精一杯、心の底から彼女達を応援するだけ。
俺にできるのは、それだけだ。
俺はステージに立つ四人を見る。彼女達の表情にうつっているのは緊張……いや、高揚感か。心なしか、四人とも笑っているように見えるな。
ひとりと、目が合う。
───見てて。
彼女の唇がそう動いた気がした。
瞬間、いきなりのギターイントロ。
喜多さんのMCなしに、ひとりのギターイントロで一曲目「あのバンド」が始まる。
マジか……いつものライブ、というより普通だったらバンドの紹介とかを挟んだ後に一曲目を始めるのに。
「なるほど。この会場の空気を読んで、熱と勢いを優先したか」
隣で星歌さんがぽつりと呟く。結束バンドが登場する前から会場は異様な熱気を帯びていた。その状態で下手に喜多さんのMCを挟むとその熱に水を差してしまうかもしれない。
だからこそ、会場の熱を最大限利用するためにいきなりひとりのギターイントロから入ったのか。
その結果は───言うまでもない。
そもそも、そもそもだ。この会場にわざわざ足を運んで演奏を聴きに来るような物好きな連中は、誰も彼もが音楽に
そんな人間達だからこそ、わかる。
後藤ひとりというギタリストの───すごさを。
空気が、爆発する。
熱を帯びていた会場がひとりの音楽に……いいや、結束バンドの音楽で加速していく。
大舞台に立った人達がよく「会場の空気に飲まれる」ということを口にするけれど、今回は……今回に限っては、違う。
結束バンドが、会場の空気を飲み込んだ。
そして、会場の熱量を、勢いを、流れを全て飲み込んだまま一曲目が終わる。
と同時に、怒号にも似た歓声と拍手。
間違いなく、間違いなくこの瞬間は───結束バンドが主役
「一曲目『あのバンド』でしたー! 色々考えたんですけど、私達のことを知ってもらうにはこうするのが一番だと思って前口上なしでいきなり演奏に入りました! では改めまして……みなさんこんにちは! 結束バンドです!」
喜多さんが人当たりの良い笑顔でMCを始める。喜多さんは初めての会場で……しかもこんな大人数の前で臆することなく明るくハキハキ喋っている。一年前、姉貴に一目惚れしてギターができるって嘘をついてまでバンドに加入したのが嘘みたいだ。
「実は私達、去年のTokyo Music Riseの夏大会ではファイナルステージどころか音源審査で落ちちゃったんですよね。でも、あれから九ヶ月……本当に、本当に色んなことがありました。たくさんの出会いがあって、たくさんの人達に支えられて……それだけじゃない。予選で戦った全員の思いを背負って、私達はここに立っています。だから私達は……絶対に負けない! ───二曲目『星座になれたら』」
落ち着いたイントロから始まる二曲目。観客の熱を最大限利用して勢いのまま演奏した一曲目とはガラリと雰囲気を変えてくるこの緩急。
「へー、いいね。ガチガチのロックだけじゃなくてこういうバラード系もいけるんだ」
「私、この曲好き~」
周囲の反応は上々。一曲目とはあえて曲調の違うものをセレクトすることで、自分達の表現力の幅を観客にアピールする。
「喜多のギター……ほんとに上手くなったよなぁ」
「伸び代だけなら、あの四人の中で喜多さんが一番ですから」
ギターを初めて僅か一年。他のバンドのギタリストと比較して経験不足は否めないけど、そこらのギタリストとは比べ物にならないほどのスピードで喜多さんは成長している。
彼女の経験と技術が他のバンドに追いついた時、結束バンドはさらに一つ上のステージに上がることができるはずだ。
そこで俺はチラリとえれちゃんの方へ視線を向ける。彼女は前のSTARRYのライブとは違って騒がずにおとなしく……目にハートを浮かべてうっとりとした表情でライブに見入っていた。喜多さんも当たり前のように目をしいたけみたいにするけどそれってどうやるの?
そんなことを考えていると「星座になれたら」の二番が終わり、Cメロへ入る前のひとりのギターソロパートになった。
こういった落ち着いた曲の中でもひとりは観客達にしっかりと技量の高さを、存在感を見せつける。ひとりのギターソロを聴きながら、文化祭では機材トラブルで喜多さんが咄嗟にカバーしていたことを思い出していた。あっという間だったような、随分遠い昔だったような不思議な感覚。
「二曲目『星座になれたら』でしたー! ではここで、メンバー紹介をしようと思いまーす! まずは結束バンドの頼れる愛されリーダー───」
二曲目が終わり、喜多さんがメンバーを一人一人紹介し始める。もしかするとひとりがとんでもないことをやらかすんじゃないかと内心ハラハラしていたけど、事前に虹夏ちゃん達にしっかり忠告されていたみたいで、観客に頭を下げるだけで特に怪しいことは何もしなかった。上出来。
そして、二曲目の曲調の影響もあってか、会場の雰囲気は一曲目よりも少し落ち着いたものになっている。
だけど、三曲目にはもう一度会場を思い切り盛り上げるためのとある策を用意しているんだ。
「では、三曲目に入るその前に……」
喜多さんが一旦マイクから離れて───ギターを置いた。彼女の行動に、会場がざわついている。
「聴いてください、三曲目『グルーミーグッドバイ』」
このTokyo Music Riseのために、三曲目に用意した策……いや、策と言うにはあまりにもギャンブル性が高い。
それは、喜多さんがボーカルに専念すること。
本来、というより結束バンドの全ての曲はギターボーカル、リードギター、ベース、ドラムで構成されている。ただ、喜多さんは自分のバンドマンとしての実力が、ギタリストとしての技量が低いことを誰よりも強く、強く理解していた。
「レンくん。私、この一年間でギターがすごく上達したって自覚はあるけど……一人のギタリストとして見るなら、未熟もいいところよね」
「経験不足は仕方ないし、それは喜多さんが一番自覚していると思う。だけど、こればっかりは仕方がないよ。技術なんて、よほどの天才でない限り一朝一夕では身につくものじゃないんだから」
喜多さんから一ヶ月ほど前に相談されたことを思い出す。おそらく、二月のバレンタインライブでSICKHACK、SIDEROSの演奏を観て改めて自分との差を痛感してしまったんだと思う。
俺に言わせてみれば、喜多さんは十分才能がある側の人間なんだけどね。ただ、そんなことは今の彼女にとっては気休めにもならない。
「私は、いつかひとりちゃんの演奏を支えられるようになりたい。でも……今の私ではできないわ」
「焦る必要はないって言いたいけど、Tokyo Music Riseの決勝やファイナルステージ、未確認ライオットが控えてる今、喜多さんがそんな気持ちになるのもわかるよ」
レベルの高い大会になればなるほど、自分と他のギタリストの差が浮き彫りになる。今の喜多さんは、それに自分が耐えられない、というより「自分の実力不足が結束バンドの足を引っ張ってしまうのではないか」ということを一番危惧しているんだ。
「だから俺は、今から喜多さんに残酷な提案をしようと思う」
「れ、レンくんにそういう前振りをされると身構えちゃうわね……」
「その前に……一つ聞いていいかな?」
「な、何かしら?」
あの時の喜多さんは、珍しく本気で俺のことを警戒していたな。
「喜多さんは、結束バンドを勝利に導くために───プライドを捨てられる?」
俺の問いに、喜多さんは即答する。
だから───提案したんだ。
彼女の努力を否定してしまうような、彼女に恨まれてもおかしくないような……とてもとても残酷な提案を。
だけど彼女は、俺の提案を受け入れた。
「実は、私もレンくんと同じようなことを考えていたのよ。
「……提案しておいてなんだけど、きっと喜多さんにとって
「大丈夫。だって私は一人じゃない。結束バンドのみんなが、レンくんがいるもの。私一人なら、きっとこんな決断はできなかった。……君に相談してよかった───背中を押してくれてありがとう、レンくん」
そう言った時の彼女の笑顔を見て、思う。
俺はどうやら、喜多郁代という女の子のことをまだまだ見くびっていたらしい。俺が思っているよりもずっとずっと、彼女は強い女の子だったんだ。
「今の私はギターでバンドに貢献することはできない。でも……でも、歌なら───歌だけなら私は負けません!!」
俺に相談した翌日、みんなの前でそう宣言した喜多さんの胸中はどうだったんだろう。悔しくないわけがない。苦しくないわけがない。
でも俺は、そんな風に自分の弱さを認めて真正面からしっかりと向き合う喜多さんのことを───彼女のことを心から尊敬する。
少し余談にはなるけれど、そもそもライブの途中でギターボーカルやベースボーカルといった、兼任のボーカルがボーカルに専念するということはありうるのか?
答えは、ありうる。
例を挙げるとするとBREIMENというバンドが俺にとっては印象的だ。
BREIMENはとあるライブ、鋭児やPEOPLE1……そしてアジカンが参加する対バン形式のライブで実際に今の喜多さんのようなことをやっていた。
BREIMENのベースボーカルが曲ごとにベースに専念したり、ボーカルに専念したり……そのカバーをサポートメンバーやギターボーカルが行っていた。
ただ、プロのメジャーバンドがやっているからといって、容易に真似できるようなものじゃない。
ギターが減るということは、演奏の厚みがなくなるということ。
喜多さんがボーカルに専念することによって、間違いなく演奏に影響が……デメリットが発生する。下手をすれば、演奏自体が台無しになりかねないほどの。
それほどのリスクがありながらも結束バンドは彼女の
喜多さんの覚悟を受け取ったんだ。
「郁代の気持ちはわかった。ただそうなると、演奏の厚みがなくなるのは避けられない」
話し合いの中で、姉貴はそう言っていた。
繰り返しになるけど、喜多さんがボーカルに専念することによって演奏の厚みがなくなるというデメリットは避けられない。
避けられない
だけど
結束バンドには
そんな逆境を覆すギタリストが───いる。
「ぼっち、やれるね?」
「───はい」
姉貴の問いに迷いなく答えたひとりは───彼女は間違いないヒーローだった。
「私と虹夏が支える。ぼっち、ぶちかませ」
「喜多ちゃん、後ろはあたし達に任せて好きにやっちゃえ!」
そして、三曲目が始まった。
イントロから、ひとりがかっ飛ばす。会場の空気を、熱を置き去りにするような圧倒的な力量で。
だけど、姉貴は……虹夏ちゃんはそんな彼女をひとりぼっちになんてさせない。させやしない。
プロのギタリストに匹敵する技術を持つひとりに、姉貴と虹夏ちゃんが必死に食らいつく。
ひとりなら絶対に───やってくれるという信頼。
そんな二人に対して彼女は、ひとりは決して振り返ろうとはしなかった。
姉貴と虹夏ちゃんなら絶対に───最後まで自分を支えてくれるという信頼。
喜多さんはマイクを強く握り、この一年間の全ての経験を、感情をぶつけるように歌い続ける。
この四人なら───どこへだって行ける、何だってできるという信頼。
「結束バンド」という名前に恥じない彼女達の結束力。
その全てが、この一曲に集約されていた。
三曲目が終わり、会場のボルテージが最高潮になっている中
俺は静かに、静かに手を叩く。
ステージに立っている喜多さんと目が合った。
彼女は会場の盛り上がりに少し慄きながらも、俺と目が合うと優しく、そして満ち足りた表情で笑っていた。