「おはよう。後藤さん」
「お、おはようございます……」
SIDEROSにメンバーが一人加入した翌日の月曜日、いつものように姉貴を叩き起こして朝飯を食わせて介護を虹夏ちゃんに引き継ぎ、登校して教室に入るといつも以上に顔色の悪い後藤さんがあいさつを返してくれた。
なんか、目の下の隈も濃いし、大丈夫かなこの子。
「後藤さん、体調悪そうだけど大丈夫?」
「あ、だ、大丈夫です……」
後藤さんの反応を見て、俺はある程度の察しがついた。今日は後藤さんと喜多さんがSTARRYで初めてバイトをする日だ。そして、ライブハウスでのバイトは一応接客業に分類される。
喜多さんはコミュ力の塊だからどうにでもなるとして、後藤さんにとって接客業のバイトっていうのはハードルがめちゃくちゃ高いはずだ。いくら俺や虹夏ちゃんがサポートに入るといっても、人間は誰しも初めてのことをやるときは緊張するに決まっている。
「後藤さん、これどうぞ」
「あ、えっと……これは?」
「STARRYでのバイト内容とやり方をまとめておいたんだ。今日はそれを見ながら一緒にやろうか」
俺は昨日、大槻先輩達との打ち上げから帰ってきた後、俺が焼肉を食ってきたことに対して姉貴がうざ絡みしてくるのをあしらいつつ、後藤さんと喜多さんのために簡単なマニュアルを作っておいたんだ。
ラミネート加工もしてあるから、濡らしたり汚れたりしても大丈夫なようにはしている。
「文章だけだとわからないし、かといって口頭で説明されるだけじゃ覚えきれないと思うから……ね?」
「あ、ありがとうございます……。私のためにこんなものを……そ、それに昨日の夜はわざわざ励ましのロインまでしてくれて」
緊張しているだろうと思って、昨日の内に後藤さんにロインをしたら一瞬で既読がついたんだけど、返信はなかなか返ってこなかったんだよね。多分、どう返信するかとても悩んでいたのでしょう。……これから少しずつ慣れていこうね、後藤さん。
「え? ひとりちゃんバイト始めるのー?」
「あ、はい。活動しているライブハウスでそのまま……」
「ライブハウスでバイトってなんだか格好良いね!」
「か、かっこ……えへへ。そ、そうですか? ま、まあ私にかかればこのくらい……えへへ」
露骨に調子に乗ってるよ。……まあ、変に塞ぎ込むよりはいいか。
「山田くんも同じところでバイトしてるの?」
「うん。元々は姉貴がやってたんだけど……なし崩し的に」
「お姉さんもバンド組んでるんだ!」
「後藤さんと同じバンドで、姉貴はベースをやってるよ」
「山田くんはやらないの?」
「俺は聴き専だからね」
朝はホームルームが始まるまで、こんな感じでクラスメイト達と雑談している。後藤さんもちょっとずつだけど、お喋りできるようになって確かな成長を感じられますね。
人見知りやコミュ障が急に改善されるなんてことはないので、ゆっくり時間をかけていきましょう。と、俺は無意識の内に思考が介護に侵されていることに気付き、虚しくなるのだった。
「後藤さん、バイト行こうか」
「あ、は、はひぃ……」
放課後になり、後藤さんに声をかけると裏返った声色の返事が返ってきた。緊張し過ぎでしょ。……これはちょっと、介護レベルをかなり上げておいた方がよさそうだな。
「ひとりちゃん、バイトがんばってねー」
「が、がんまりましゅ……」
「手と足! 後藤さん! 手と足が一緒に出てるから!」
ガッチガチやんけ。大丈夫? STARRYまで辿り着ける? ……その前に喜多さんを迎えに行かないと。
「ひとりちゃん、レンくん! バイト行きましょ!」
「うばぁっ!?」
一年五組に行く前に、喜多さんが勢いよく二組の教室のドアを開けて突撃してくる。バイト初日で気合が入っていたらしく、陽キャキタキタオーラがいつもの十倍になっており、俺というフィルターを介さずにそれをまともに浴びてしまった後藤さんは、ピンク色の干からびたカエルになってしまった。
「あ、このパターンのひとりちゃんは初めて見るわね」
「もう全然動揺しなくなったね」
「一週間もすれば慣れるわよ」
この適応力の高さよ。まあでも干からびちゃったもんはしょうがない。俺はそのまま「干しガエルぼっちちゃん」を抱っこして喜多さんと一緒にSTARRYへ向かうことにする。
途中、意識を取り戻した後藤さんが俺に抱っこされていることを理解した瞬間、爆発四散してSTARRYに到着するのが予定より遅れてしまうことになるのだった。
「おはよーございまーす! すみません。ちょっと遅れました」
「おはよー! まだ時間には余裕あるから大丈夫だよ」
「三人とも、おは」
STARRYに到着すると姉貴と虹夏ちゃんはすでに来ていて、姉貴はだらしなくテーブルに身を投げ出してスマホをポチポチしている。家みたいに寛いでんな。
「姉貴、行儀悪いからやめろ」
「あーれー」
俺は姉貴の背後に回って、脇の下に手を差し込んで姉貴の上半身を起こさせる。ほんとにいつもいつも小学生並みに手がかかる女だな。
「ぼっちちゃん大丈夫? 顔が赤いけど、熱でもあるの?」
「あ、そ、そういうわけじゃないでしゅ……!」
「レンが何かやった。そうに違いない」
「レンくんがぼっちちゃんに意地悪するはずないでしょ? ねえ?」
「干からびたカエルになったひとりちゃんをレンくんが抱っこしただけです」
「どういうこと!? 全然意味わかんないけどぼっちちゃんだからという理由で納得しておくことにする! ヨシ!」
結束バンドの理解力の高さよ。姉貴の言う通り俺のせいで後藤さんがちょっとおかしなことになったのは否定できないしな。だって、あんな干からびた状態からいきなり復活するなんて思わんし。
今後、後藤さんが謎変化したら扱いには気を付けないとな。
「じゃあ、これから二人には仕事を教えていくんだけど───」
「あ、虹夏ちゃん。その前にちょっと……いい?」
「どうしたの?」
俺は虹夏ちゃんだけを呼んで他の三人から少し離れたところで、お互い顔を近づけてこっそりと会話する。
「後藤さんと喜多さんだけど、別々に教えよう」
「いいけど……どうして?」
「後藤さんと喜多さんに同時に教えたとするでしょ? そうしたら、二人の内のどっちが要領よく仕事を覚えて動けると思う?」
「……喜多ちゃんだね」
その結果、どうなるか。後藤さんはただでさえ自分に自信を持っていないんだ。そんな状態で同じ新人の喜多さんがバリバリ仕事を覚えて動けるようになれば、劣等感を刺激されて余計にマイナス思考に陥ってしまう。
バイト初日から彼女にそんな思いをしてほしくないから、そういった細かい配慮が必要だと俺は思うんだ。
「確かにそうだね。そこまで考えが回らなかったよ」
「いや、俺も正直ここに来る途中で思いついたから」
「そういう気の利く男に育ってお姉ちゃん嬉しいよ」
虹夏ちゃんはうんうんと頷きながら俺の頭を撫でてくる。あぁ^~。甘やかされて俺の心が浄化されてしまう~。
「じゃあ、ぼっちちゃんはレンくんにお願いしていい? あたしは喜多ちゃんに教えるからさ」
「おっけー」
話もまとまったし、三人のところに戻ります。
「内緒話は終わった? 私は二人が「実はこっそり付き合ってました」と言われても驚かない」
「え? 虹夏先輩とレンくんが……? つまり、私にとっては虹夏おばさん先輩?」
「まだその設定諦めてなかったの!?」
俺と虹夏ちゃんが付き合ってたら真っ先に姉貴に報告しとるわ。後藤さんも口をパクパクしながら俺と虹夏ちゃんを交互に見ないの。姉貴のしょーもない軽口なんだから。
「おほんっ。これから二人にはSTARRYでのお仕事について教えていきます。ぼっちちゃんはレンくん、喜多ちゃんはあたしが教えるからね」
「よ、よろしくお願いします」
「そんなに緊張しなくていいからね。ちゃんと一つずつ丁寧に教えてあげるから」
「は、はい……」
俺はちょっとしゃがんで後藤さんと目線の高さを合わせながらできるだけ優しくそう言った。……目線の高さだけ合って目は合わせてくれなかったけど。まあ、気持ちが伝わればいいか。
「虹夏おばさん先輩先生! よろしくお願いします!」
「多い多い! 肩書が多いよ!」
あっちはあっちで漫才やってるし。まあ、虹夏ちゃんはしっかり者だから放置してても問題ないな。
「ふっ……私が教えるまでもないということか」
「姉貴はふつーに戦力外通告」
「弟の心無い言葉に私は深く傷ついた。慰謝料請求した上でバイトを休むしかない」
「サボったら今日の給料なしな」
姉貴のアホな戯言は星歌さんの一言によってバッサリと両断される。実際、姉貴は喜多さんと二人にすると仕事を教えるどころじゃないし、後藤さんと二人にすると会話にならない。よってこの人選が最適解なんだよ。ごめんな姉貴。
「じゃあ、まずは会場の設営からやっていこうか」
「は、はい……」
「基本的にはテーブルや椅子を決まった場所に運んでいくんだけど、時々機材の移動とかもさせるから。今日はとりあえず片付ける場所を覚えよう。で、そのあとは掃除ね?」
「わ、わかりました」
虹夏ちゃんは喜多さんにドリンクを教えているみたいだ。喜多さんはコミュ力あるし可愛いからドリンクの受け渡しとか受付にはぴったりだな。姉貴がやると……愛想はないけど絵になるから評判自体は悪くない。うん。
そして俺は後藤さんと一緒にテーブルや椅子を指定の場所に片付けていく。うんうん、緊張で表情が強張っているけど一生懸命がんばろうという気持ちがすごく伝わってきますね。心がとても穏やかな気持ちになります。
「片付けと掃除はこんな感じ。今やったのが……今日渡したマニュアルの、これとこれね?」
「あ、はい」
「設営は基本的に毎回やるからすぐに覚えられるよ」
「は、はい」
「今のところ、何かわからないことや質問はある?」
「あ、えっと……一つだけ」
お? あるんだ。何か言い忘れたことがあったかな?
「に、虹夏ちゃんと付き合ってるんですか?」
なんやねんその質問!? バイトと全然関係ないじゃん!?
「いや、付き合ってないよ。あれは姉貴の冗談だから真に受けないようにね。姉貴の言うことなんて話半分どころか十分の一でいいから」
「は、はぁ……」
俺がそう言うと後藤さんは安心したような表情になった。そりゃそうか。もしも俺が虹夏ちゃんと付き合ってたら、後藤さんは虹夏ちゃんの彼氏に二人っきりで仕事を教えられてるってことになるんだから。不安にもなるよね。
結束どころかギスギスバンドの完成です。解散待ったなし!
「じゃあ、次はドリンクについて教えるからカウンターの方に行こう」
「わ、わかりました」
虹夏ちゃん達とは入れ替わりでドリンクを教えることにする。同じタイミングで同じ内容の仕事を教えないようにする絶妙な気遣い。……俺と虹夏ちゃんじゃなかったら成り立たないな。
「ドリンクはチケットと交換だから。お客さんが注文したものを渡してあげてね」
「は、はい……」
「一応、テプラを貼ってどこに何が置いてあるかわかるようにしてるけど、種類が多くて最初は俺も覚えるのに時間がかかったんだ」
「そ、そうなんですか?」
カウンターの裏でドリンクの位置を説明すると、種類の多さに後藤さんが狼狽し始めたので、安心させる意味も込めて、俺のバイト新人時代について話す。
自分も苦労したんだよ~。っていうことを伝えれば「私と同じなんだ」って気持ちになって精神的に楽になるからね。
「慣れない間は俺か虹夏ちゃんが横についてちゃんとサポートするから大丈夫。安心して」
「よ、よろしくお願いします」
「じゃあ、お手本見せるから───姉貴、ちょっとお客さん役やってくんない?」
「へっへっへ。おにーさん格好良いね~? この後予定ある? 私とイイコトしな~い?」
姉貴がうざ絡みしてくる面倒な客の演技をしてきたので頭を思い切りぐりぐりしてやりました。声のかけ方が昭和だよ昭和!
「……ぼっちばっかりかまってずるい。私ももっとかまって」
「家で散々かまってんだろうが!!」
「リョ、リョウさんってこんな人だったんだ……」
「姉貴は甘ったれのかまってちゃんで野良猫みたいに自由奔放な寂しがり屋だからね。しかもヘタレで小心者という超絶面倒臭い生き物なんだ」
「そんなに褒められると……照れる」
褒めとらんわ! ほんとに大丈夫かこの姉。くそっ……どこかに包容力があって優しくて面倒見が良い金持ちのイケメンが落ちてないかな? 落ちてたら全力で姉貴を押し付けるのに。
「真面目にやって。じゃないとそろそろ本当に怒るよ?」
「……ごめん」
俺がちょっと強めに言うと姉貴がしゅんとなる。こうやって定期的にしつけて上下関係をわからせておかないと調子に乗りまくるからな。
「今日は俺がお客さんの相手をするから、後藤さんはドリンクの用意をしてくれるかな? ドリンクの場所もちゃんとその都度指示を出すから」
「は、はい」
今日は初日だから仕事の雰囲気が少しでも伝わればそれでいい。仕事を覚えるのは個人差や向き不向きがあるから、ちょっとずつ覚えていってもらえれば大丈夫。
だから俺は仕事を覚えてもらうっていうよりも、後藤さんが仕事を嫌にならないようメンタルケアすることを心掛けていた。
「最後に受付に行ってみようか」
「は、はい」
後藤さんが一人で受付できるようになるのは……いつになるかわかんないけど、いつかできるようになるといいね。
「チケットは一枚千五百円で、それとは別でドリンク代を五百円貰うんだ。で、ピック型のこれがドリンクチケットね」
「あ、可愛いですね」
「でしょ? 星歌さんが考えたんだ」
「え? 店長さんが……」
「星歌さんってあれで可愛い物好きだから、ゲーセンで取ったぬいぐるみをあげるとめっちゃ喜ぶんだ」
(ち、近い近い!! 顔が近い!!)
星歌さんに聞かれないように後藤さんに顔を近づけて囁くように言うと、めっちゃビビられました。あ、ごめんごめん。刺激が強かったね。
「お金を貰ってチケットを渡すだけ。顔面偏差値の暴力だけで接客してる不愛想な姉貴でもできるんだから大丈夫だよ」
「そ、そうですかね……?」
「いきなり一人でやらせたりしないから安心して。今日のところは俺と一緒にドリンクをやろう。受付は虹夏ちゃんと喜多さんがやるみたいだから」
「リョ、リョウさんは?」
「姉貴は俺の目の届く範囲に置いておく」
隙あらばサボろうとするからな姉貴は。
「や、山田くんの方がお兄ちゃんみたいですね……」
「俺と姉貴は生まれてくる順番を間違えたんだ。俺が先に生まれてたら姉貴ももうちょっとまともに……いやなってないな」
どっちみち父さんと母さんが甘やかすから結果は変わんない気がする。
「とまあ、仕事の内容はこんな感じ。一通り、簡単に説明したけど、わからないこともたくさんあると思う。そういうときは遠慮しないで聞いてくれていいからね?」
「は、はい……(こ、コミュ障にとってはそれが一番難しいんです……)」
「声をかけづらかったら……俺に何かしらのアクションを起こしてくれればいいから」
大概のことは察せるし。一番困るのはわからないまま放置して問題が大きくなること。そうなると後藤さんも余計に責任を感じちゃうから、できれば素直に質問してくれるのが一番良いんだけど。
「よし。じゃあカウンターに戻ろうか。これからお客さんが増えてくるから、ちょっと忙しくなるかもね」
「あ、ああああ足を引っ張っちゃったらごめんなさい!」
「身も蓋もないこと言うとね……足を引っ張るほどは忙しくならないと思う」
「ほ、ほんとに身も蓋もないっ……!」
あ、後藤さんがツッコんでくれた。なんか感動。
「おいレン。聞こえてんぞ!」
「すみません星歌さん。あ、新人教育用のマニュアル作ってきたんで使ってください」
「有能。許す」
星歌さんを適当に言いくるめてカウンターに戻ります。
「コーラください」
「はーい。少々お待ちください。後藤さん、コーラはそっちね」
「こ、ココココーラです」
「ふふっ、ありがと」
お客さんが徐々に増えてきて、ドリンクを貰いに来る人もそれなりにやってきている。でも、俺が思った通り目が回るほどの忙しさというわけでもない。
後藤さんも後藤さんで、手つきはたどたどしいものの、新人バイトの初々しさ全開なのでお客さん達も微笑ましいものを見るような目で後藤さんを見ていた。
あと、今日出演するバンドは女性ファンがほとんどだから、山田家の遺伝子が存分に仕事をしたイケメンスマイル接客で、俺が女性客を良い気分にさせている部分も大きかったりする。
「後藤さん、やればできるじゃん」
「あ、や、山田くんがちゃんと教えてくれたから……」
「俺がいくら教えてもね。本人にがんばろうって気持ちがなかったらできないんだよ。ちょっとずつ動きも慣れた感じになってるし、上出来上出来!」
「ふへへっ。そ、そうですかね?」
後藤さんは不気味に笑いながら照れ臭そうに言う。あとはほんとにこの笑顔がどうにかなって顔を上げて前髪を少し短くして姿勢が良くなれば完璧美少女なのに。……まあ、気長にやっていきますか。
「あ、あの……山田くんっ」
「ん? どうしたの?」
「ひ、ひとつ……お、お願いがあってですね……」
「うん?」
お願い? 何だろ一体。
「つ、次のお客さん……わ、私が一人で接客してみてもいいですか?」
あ、ヤバい。また涙が出そうになってきた。……俺、この一週間で涙腺崩壊し過ぎだろ。いやだってしゃーないやん。自他ともに認める内気でコミュ障で人見知りな女の子がさぁ。初めてのバイト、しかも接客業で、誰に言われるわけでもなく自分から「一人でやってみていいですか?」って言ってきたんだよ?
「こ、このライブハウスが良いハコだったって思ってもらえるように……私もがんばりたい、ですし……。や、山田くんがこんなに優しく教えてくれたから……ちょっとでも期待に応えたくて……」
はい泣きます。後藤さん……あなたどんだけいい子なの!? ほんとさぁ、ウチの姉貴はさぁ……ちょっとくらい後藤さんのひたむきさを見習えよ!! うぅっ……大槻先輩といい、後藤さんといい……ぼっちが俺の涙腺特効過ぎる……
「ど、どうしたんですか……!? ど、どこか痛いんですか……!?」
おまけに本気で心配してくれる。優しいね。それだけでなんかもう……心が満たされますわ。
「いや、年取ると涙腺が緩くなって……」
「わ、私と同い年ですよね?」
後藤さんに心配されながらも、次に来たお客さんは後藤さん一人にがんばってもらおうと思います。俺はその様子を後ろで温かく見守る……そうか。これが本当の後方支援者面なんだね。
「ジンジャーエールください」
「は、はいっ……じ、じじじジンジャーエールですね。ちょ、ちょっとお待ちください……」
女性のお客さんが注文したドリンクを、後藤さんはぎこちない手つきながらも一生懸命用意する。
がんばれっ! がんばれ後藤さん!
「お、お待たしぇ、しました……」
「ありがとう───バイトがんばってね」
「は、はい。あ、ありがとうございます……」
女性客は後藤さんに笑顔で励ましのお言葉をくださいました。ぼっちちゃんに優しい世界。俺、今なら貯金全部ぼっち支援団体に寄付できるわ。そんな団体があるのかは知らんけど。
「やったね後藤さん。一人でちゃんと接客できたよ!」
「き、ききき緊張しました……」
「でも、後藤さんの気持ちがちゃんと伝わったからあのお客さんも笑顔で受け取ってくれたでしょ?」
「つ、伝わりましたかね?」
「伝わったよ、絶対」
「そ、そうですか……それなら、嬉しいです」
いやー、俺も後藤さんの成長が見られて嬉しいよ。俺、将来は学校の先生になるのもいいかもしんないな。病院は……父さんも母さんも別に継がなくていいって言ってるし。俺がやりたいことをやらせてくれるから、すごく感謝してる。
「この調子で最後までがんばろう!」
「はいっ」
お、背筋が少し伸びた。声にもいつもよりハリがあるし、ちょっとは自信がついたかな?
その後も、特にトラブルらしいトラブルもなく、無事に後藤さんと喜多さんのバイト初日は終了しました。喜多さんはその持ち前のコミュ力と適応力であっというまに受付の仕事をマスターしたようです。
うん……成長速度は人それぞれだから。焦らずいこうね後藤さん。
「お疲れ様、後藤さん」
「つ、疲れました……本当に……」
バイトが終わり、夜も遅い時間になったので俺は後藤さんを駅まで送っています。姉貴? 腹減ったから先に帰って早く飯を食いたいらしい。ほんと自由人だなあいつ。
「では後藤さん。バイト初日を終えての感想をお聞かせ願いますか?」
「か、感想ですか?」
俺はクスリと笑って、マイクを持つように手を握り、後藤さんの口元に手を持っていく。
「あ、えっと……さ、最初は覚えることがたくさんあって不安で……人生で初めて、接客をして……まだ、ちょっと……いや、かなり……ものすごく怖いけど、でも、自分にできることもあって、ちょっとだけ、ほんの少しだけ自信を持てました。だから、明日からもがんばれそうです」
「そっか。……うん、そう思ってもらえて嬉しいよ。ギターもさ。最初は何もできなくて、ちゃんと音が鳴らなくて投げ出したくなるけど、ちょっとずつ弾けるコードが増えてくると楽しくなるよね。だからバイトも、そんな風に思える日が来るといいね」
「は、はいっ! ……あ、山田くんもギターやってたんでしたね」
「ちょっとだけね。姉貴に教えてもらってたけど、身体を動かす方が好きだから長続きしなかったな」
その時に練習で使ってたギターはまだ残ってるし。定期的に姉貴がメンテしてるから、今でも使えるだろうけど。
「ギターといえば、喜多さんはどう? がんばってる?」
「は、はい。ただ、Fコードに苦戦して発狂してましたけど……」
「あ~。最初の鬼門だよね。あれができるようになると一気に幅が広がって楽しくなってくるんだけど」
喜多さんの多弦ベースは姉貴が買い取って、姉貴のギターを喜多さんに貸して、後藤さんが喜多さんにギターを教えている。まだ一週間も経ってないから人前で演奏なんてできるレベルじゃないけど、喜多さんもやるときはやる女だからな。
嘘ついてまで姉貴を追っかけてバンドに入るくらいだし。行動力と実行力は半端ないな。……でも、あのまま嘘に気付かれなかったらライブとかどうするつもりだったんだろ。
考えるだけ無駄か。
「あ、あの……山田くん」
「ん?」
「今日はありがとうございました。山田くんがあれだけ優しく丁寧に教えてくれたから、私もがんばれました……」
この子は本当に……今日だけで何回俺の涙腺を刺激すれば気が済むんだ。
「だから───本当に、ありがとう」
後藤さんは俺の目を真っ直ぐに見てそう言った。今までに見たことがない、自然な彼女の笑顔。
なんだ、やっぱりそういう顔もできるんだね。
「ちゃんと、目……合わせられるじゃん」
「は、あ、え……!?」
「入学式の時はさ、二秒くらいしか目を合わせられなかったけど、今はちゃんと、俺と目を合わせて会話できたね」
「そ、そういえば……」
「うん。成長してるよ、後藤さん。いきなり誰とでも目を合わせて、っていうのは難しいだろうけど……まずは俺やバンドメンバーと、目を合わせてお話しできる時間をちょっとずつ伸ばしていこうか」
「わ、私にできますかね……?」
「俺相手にできたんだから大丈夫だよ。とりあえず、まずは十秒目を合わせるところから始めようか」
「あ、ちょっと長過ぎるので五秒くらいで……」
後藤さんの言葉に、俺は思わず吹き出した。ここで五秒って言い出すあたりが最高に彼女らしい。うん。五秒ね。明日からそれを意識していこうか。明日から。
なお翌日
───すみません。風邪を引いたので学校休みます
後藤さんからのロインです。
はい、実に彼女らしいオチでした。
なお、かなーり後になってこの時のことを聞いたら、バイトが嫌過ぎて前日に氷水風呂に長時間浸かったことが原因だったらしい。
君も喜多さんとは別ベクトルで行動力の化身だな!!
初バイト介護編完!
ぼっちちゃんが喜多ちゃんと同じタイミングでバイトすることになったので色々細かく配慮しています。
次回はアー写撮影に行きます。
さすがにアー写の話では介護することがないだろうと信じています。