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時間は残酷だ。
クラスメイトの死を目の当たりにしたというのに、それを乗り越えてしまう人間がたった数週間程度で現れてしまう。天之河をはじめとする一部の勇者一行が立ち直ったかどうかは詳しいことは不明であるモノの前を向かねばならない、と『オルクス大迷宮』への遠征が始まる中。
件の『オルクス大迷宮』その最深部と噂される第百階層。いや、そこよりもさらに深く、五十階層を下った階層。仮称、奈落第五十階層と言うべき深層で二つの人影が戦っている。
片や白髪に隻眼隻腕、大きなハンデを背負いながらも鎧と言えるモノを纏わずに軽装も軽装で駆けぬきながら残っている右手で握る自らの武器を持って戦う青年。
片や一糸まとわぬ裸体の上にオーバーサイズの外套を羽織るだいたい百四十センチ程度の外見年齢は十二、三歳ほどの見た目をした美しい傾国の美女にいずれ成るだろうと断言できるほどの少女。
この説明だけであれば、この隻眼隻腕の青年がなにがしかを少女に行い、それに少女が怒り外套一つという危なげな格好で戦っているなどという頓珍漢なこの場所に見合わぬ事をしている、と勘違いするものだが実際はそんなシュールな話ではない。
「キィィイイィイイッ!!」
彼らのいる空間に響き渡る甲高い絶叫。
ソレは、空間の、部屋の中央に陣取っている。四本の長い腕には巨大なハサミを持ち、八本の脚をわしゃわしゃと忙しなく動かし、揺らめかしながら掲げる二本の尻尾はその先端に鋭い針を有している。
まるで蠍。いや、その腕の数や尻尾の数、そしてそのサイズに目を瞑れば完全にソレは蠍だった。
体長五メートルはあろう身体のハサミや尻尾の針はそれだけで人体へ恐ろしいほどの凶器に映る。
そんな蠍を相手に、青年は隻腕であるというのに少女を肩に担ぎながら部屋を駆けていた。
ギチギチとその身体にある甲殻から音を鈍く響かせながら、蠍はその尻尾を揺らしつつもその鋭い針の先を青年へと狙い付けてはあろうことか針を一瞬肥大化させたと思えば紫色の液体を凄まじい勢いで青年目掛けて噴射する。
だが、それはもう何度も見たかと言わんばかりに青年は軽々と避けて見せる。
過ぎ去った後にぶちまけられた液体はその色合いや噴射した場所から想起できる予想を裏切ることなく音をたてながら床を溶かしていた。
しかし、そんなことは蠍も分かっている。
既に何度も回避されているのだ。
故に蠍はもう一本の尻尾の先端を青年が避けた先へと向けたと思えばそちらの針が肥大化し次の瞬間には溶解液、ではなく針がそのまま尻尾の先端より射出されたのだ。
しかし、結局針は直線的。回避自体はそう難しい話ではない。
「チッ!」
だが、青年は回避よりもその場で止まりつつその手に握る武器────この世界にある筈のない、大型のリボルバー式拳銃の銃口を飛来する針へと向けてその引き金を引いた。
凄まじい速度で放たれた銃弾が針を真っ向から打ち砕くが、ぶつかる直前に弾けたのか周囲に散弾じみた針が巻き散らかされていく。
しかし、青年の元には正面からぶつかった銃弾によって吹き飛ばされたのか針の雨はやってこず、そこで足を止めた青年は蠍の様子を窺うように目を細める。
既に戦いをはじめてそこそこの時間が経っている。
青年の武器は何もこのリボルバーだけではない。他に爆弾の類もあるがしかし、蠍の全身を覆う甲殻はかなりの強度を有しておりその攻撃はほとんど効果を期待できていない。
手札が足りない。その事実に歯噛みしつつ、蠍がその身体を身じろぎさせながら叫び声をあげようとする。既にその動きを見ていたのだろう彼は先んじて懐からまるで手榴弾のような物を見事なフォームで蠍の目の前へと投げたかと思えば、即座に顔を逸らす様に踵を返して背後にある崩れた瓦礫の影へと飛び込んでいく。勿論、担いでいる少女を傷つけないように。
後方で、激しい閃光が迸る中瓦礫の影に隠れた青年は大きく息を吐きだす。
このままでは、蠍をどうする事も出来ずかといって今いる部屋は後も先も閉じられた密室。
回避する事も出来ず、思わず文句も口に出したい、そんな時担がれていた少女が下りて青年へと抱き着いた。
「お、おう?どうした?」
今のこの状況が状況なだけに青年は、少女へといきなり何をしてんの?などという若干の動揺を露わにしつつも、蠍に対しての策を考えねばと思考を回し始めようとして……だが、そんなことは知らないとばかりに少女は青年の首へと手を回した。
「ハジメ……信じて」
そう、青年────南雲ハジメへと告げた彼女はハジメの首筋へとキスをした。
「ッ!?」
いや、キスではない。
一瞬、走った痛みにハジメはそれがキスではなく、噛み付いたのだと気づいた。
それに気が付いた瞬間、振りほどこうとしたハジメだったが、彼は彼女の正体が吸血鬼である、と知っていた。そう名乗っていたことを憶えている。
だから、先ほどの言葉を反芻する。「信じて」この吸血鬼に血を吸われるというこの行為に対して恐怖や嫌悪、裏切りを感じ逃げないでほしい。そういう意味なのだろう。
そう考えて、ハジメは苦笑しつつもしがみつく彼女の体を抱き締め支える。それに一瞬、ピクンと彼女が震え、更にギュッと抱きついて首筋に顔を埋める。どことなく嬉しそうなのは気のせいではないはずだ。
「キィシャァアアア!!」
蠍の咆哮が轟く。どうやら閃光手榴弾のショックから回復したらしい。
既にハジメの位置をは蒼くしている様で地面が波打った。知っているこの感覚は先ほど阻止した絶叫からの蠍の固有魔法。周囲の地形を操るモノだ。
「だが、それなら俺の十八番だ」
ここにいるのはこのトータスのどの錬成師よりも力を得た錬成師。かつての無能などここにはいない。
地面に右手を触れ錬成を行えば、周囲三メートルの地面が波打つのを止め、その代わりに石の壁が二人を囲むように構築されていく。
その外側、波打っていた地面が円錐状の棘を思わせる形状となってハジメたちを襲う。だが、それらは悉くハジメの石の壁が防いでいく。一撃一撃で壁は崩れていくがそのたびに新しい壁が錬成されていく。
地形操作の規模や強度、攻撃性は蠍へと軍配は上がるようだがその代わりに錬成速度はハジメのが上のようで守りに入ったハジメのそれを蠍は打ち破れていない。
そうして壁を作り続けていると、少女がようやく口を離した。
どこか熱に浮かされたような表情でペロリと唇を舐める。少女の紅い瞳は暖かな光を薄らと放っていて、その細く小さな手は、そっと撫でるようにハジメの頬に置かれている。
つい先ほどまであったやつれていた様子はどこへやら、ツヤと張りのある白磁の白い肌に、頬をバラ色に染めた彼女。
「……ごちそうさま」
そう一言ハジメへと告げた彼女はおもむろに立ち上がり、その手を蠍へと掲げた。同時に、その華奢な身からは想像もできない程の莫大な魔力が噴き上がり、彼女の魔力光なのだろう────黄金色が暗闇を薙ぎ払った。魔力色と同じ黄金の髪をゆらりゆらゆらとなびかせながら、一言、呟く。
「〝蒼天〟」
刹那、蠍の頭上、直径六、七メートルはあろう青白い炎の球体が出現した。
まだ直撃したわけでもないのにその熱に蠍は悲鳴をあげてその場より離脱しようとするが、彼女は、奈落の底の吸血姫が赦すことはない。
まるでタクトのように振るわれた指によって操られた青白い炎の球体は、逃げようとする蠍へと襲い掛かる。
「グゥギィヤァァァアアア!?」
部屋全体に蠍の断末魔が響き渡る。
着弾と同時に迸った青白い光に、ハジメは腕で眼を庇いつつもその壮絶な魔法を呆然と眺めていた。やがて、魔法の効果時間が終わったのだろう。
青白い炎が消滅し、後には背中の外殻を融解させて悶え苦しんでいる蠍の姿があった。辛うじてまだ生きてはいるが、この分では放っておいても数分で死ぬかもしれないが、ハジメはそれをわざわざ待つほどもう優しくもないのだ。
彼は取り出した手榴弾、もちろん先ほど使った閃光手榴弾とは違う殺傷用のソレを蠍の融解した外殻から体内へと叩き込んだことで、爆発を起こしその身体を大きくのたうち回らせていた。
そして、止めと言わんばかりに開いた口内へとその手のリボルバーを数回、撃ち放つことでハジメはこの戦いへと終止符を打った。
かつてハジメは、少女────ユエが封印されていたこの部屋へと入る時にパンドラの箱を例えに出していた。蠍と言うこの奈落に来て力を手に入れながらも歯が立たなかった絶望に対して、ユエと言ういつまで続くか分からないこの迷宮攻略の
そのことに苦笑しつつ、嬉しそうな表情で座り込むユエへと手を伸ばした。
死んだ、と思われている南雲ハジメはその片腕と片目を失った。
失ったモノはあまりにも大きく、その胸に憎悪を抱き嘗ての自分とはかけ離れた自分となってしまったが、しかし得たモノはきっと一生モノの希望となるのだろう。
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