新しい作品のことばっか考えてました。
英雄と、彼らは呼ばれていた。
何の嫌みも負い目もなく、そう名乗るに相応しい実績がある。
誇りと志を胸に、気高く生きる在り方を選んだ。
多くの希望を背負い、悲しみを負わされ、嫉妬を集めた。
何一つ、表に弱みを出すことなく、誰かのために戦い続けることができた。
なろうとしてなったのではない。
そうしたいと目指し、動き続けた結果として、彼らは英雄の称号を得た。
その根底には、願いがあったのだ。
人から人への、微かな想いが。
可能性への、隠しきれない熱意が。
それにこそ、命を使うべきと心得た。
積み重なって、引き継がれて、尊い流れが常にあった。
そのために、彼らは死ぬような目に遭ってきた。
そのために、彼らは死ぬ運命にあったのだ。
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「酒はやらねぇのか?」
「いや、勘弁してくださいよ……」
クロノは、向けられた酒をやんわり断る。
今の歳で酒をやること自体に忌避はない。だが、師の嗜み方を見ていると、あまり進んで飲む気にはなれない。
だが、強制されている訳ではない。
気遣いの範疇であり、互いには敬意がある。
気を許している距離感を、互いが自覚をしている。
「若いなあ。ワシみたいな年寄りは、酒がなけりゃあ、やってけん」
「……辛いことでも?」
「いくらでもある。人生は、苦難の連続だ。百年と言わずとも、その半分ですら、荒むには十分なんだ」
顔に刻まれた皺は、蓄えた傷は、彼を歴戦の戦士と知らしめる。
クロノと一対一になる前から、十分な量の酒を含んだはずだが、あまり酔った様子はない。
直前、クロノとの剣の指導仕合いでも、恐ろしいキレを見せていた。
飲んだくれのような物言いや雰囲気を表に出しているが、酒の毒は、彼の奥底まで届いてはいない。
鋭い眼光で、クロノを見つめる。
今にも切りかかりそうなほど剣呑な空気だが、これが彼の通常運転だ。
「長らく英雄なんて言われるとな。どうしても疲れるときがある」
「…………」
「人なら、誰だってそうだ。同じことをいつまでも続ければ、疲れる。ワシも、歳だからな」
そう長い付き合いではなかったが、クロノは彼のことを理解していた。
人を遠ざけたがる気質と、人を守りたがる性質は、隠し通せるものでもない。
老齢に至るまで、多くの英雄譚を見届けてきたはずだ。だが、そこで何があったのか、興味こそあるが、聞くものではないと、クロノは心得る。
彼は静かに、教訓だけを語るのだ。
その方が良いと、不要なことを胸の内に秘めている。
「持ち上げられることもあるが、所詮はただの人だ。力が強くとも、志が高くとも、いつかは折れるものだ」
「…………」
「続けられない。どれだけ強くとも」
彼は、いつだってクロノに考えさせようとする。
迂遠で、紛らわしい。
伝えたいのに、実のところは伝えたくない。
矛盾を抱えているのが、妙に人間的だ。
「お前の周りは、特にそうだな」
「?」
クロノは、首を傾げる。
己の周囲に居る人間の中に、該当する者が居るとは思えない。仲間たちはまだ若く、年月の重ね具合でいうなら師であるライラだけだ。
しかし、ライラの弱った姿など、想像も付かない。仲間の中でもアインはその枠組みから外れているかもしれないが、それこそ、精神的にまいるほど、細い神経とは思えない。
「精進しろ。人は、弱いものだ。誰もが弱みを抱えている」
「そんなこと無さそうな人も何人か居ますが……」
「誰にでも、ある」
見透かす視線には、慣れている。
超越者に近付いた者ほど、視点は高い。
「注意してやれ。決して、目を離すなよ」
「……? はい」
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「お前、ホントにイカれてるよな」
アリオスにそう投げ掛けた男は、無精髭の中年である。
全身、青アザを作りながら、肩で息をしている。消耗の具合は相当大きく、少々苦しそうだ。
しかし、男はとても余裕があるように見える。
その軽薄そうな雰囲気が、アリオスには少々相性が悪い。
ここ最近は、訓練は他の面子と交わらず、騎士団の人間と一対一が基本だ。古巣の人間同士では、馴れ合いになりかねない。
なので、アリオスにとっては不本意だが、クロノと離れることを是とした。
だが、こうも見知らぬ人間からズケズケともの申されるのは、あまり愉快なことではない。
「…………」
「おいおい、怒るなよこんなことで! 俺ぁ、褒めてるんだぜ?」
とても、軽薄な男だ。
初めて会ったときから、そう思っていた。
どこまで真剣で、どこからふざけているのか、判断が付きにくい。
英雄と呼ばれるに相応しい実力を持つことは理解できるが、どうにも、折り合いを付けることが難しかった。
だが、アリオスは、とても強情な男だ。
合わないからといって、彼が逃げることはない。
嫌は嫌だが、向き合うことを諦めない。
「普通、人間を辞めるなんて思えねぇよ。我が身の可愛さってのは、どれだけ強くなっても変わらないもんだ」
「英雄でも?」
「当たり前だ。俺はもっと遊びてぇ。女が欲しいし、旨いもんも食いてぇ。なのに、お前は切り詰められる。ガキのすることじゃない」
我欲の塊のような男だった。
口を開けば、疲れた、面倒くさいと愚痴を言う。さらには、やれ酒だ、女だと、節制という概念をそこらに捨ててきたのかと疑いたくなる。
四十手前でここまで好き勝手に内心を吐露できるのは、プライドの低さの現れだ。
とことん、アリオスの好む人物像とはかけ離れている。
「男だぜ、お前は。誰が半人前だなんて言えるか」
「何が言いたい?」
からかわれているとしか、思えない。
本心か嘘か、絶対に悟らせる気がない。
「……お前が、英雄にならないことを祈るよ」
「は?」
「なるもんじゃねぇや、こんなもん。お前らは好きに生きろよ。自分の生き方縛ってちゃ、ざまあねぇからな」
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「魔法の使い方について、妾から教えられることはもうないな」
「…………」
「不満かえ?」
英雄という立場はもちろん、能力の高さに敬服している。
学べる部分は多く、己を高める上で最高の試金石と考えた。
だから、アリシアは、その英雄に師事した。
だが、突然告げられたのが、今の言葉だ。
終わり、限界、余地のなさ。
様々な受け入れたくない概念が浮かんだ。
「じゃが、こればかりはどうしようもない」
「限界、ということですか? ここで?」
「ああ、そうじゃ。汝にもう伸び代はない。技も知識も、十分極まった。あとは純粋な魔力量だけじゃが、それは一朝一夕ではどうにもならん」
真実だ。
アリシアも、薄々感付いていた。
大きな成長は、もう望めない。
だが、それで納得できるものでもない。
「…………」
「分かっておる。人ならざる者へ至った者が、幾人か居るな? 真似しても無駄だぞ。汝は、向いていない」
かかか、と笑う。
目的のためならなんでもする、という意思を見抜かれている。
「魔法は、理論じゃ。奴らのように、人の殻を捨てれば、力そのものは上がる。じゃが、理論を必要とせん体になる」
「…………」
「退化するぞ、汝の魔法は。繊細さを欠く。他の誰にもない、汝の武器が消える。力と技を両立させられぬとは言わんが、時間がかかる」
もちろん、分かっている。
だが、限界を越えたところを目指しているのだ。
足踏みできるほどの、暇がない。
「じゃあ、どうすれば?」
思い付かない。
やるべきことは、十全以上にこなした。
だが、あまりにも足りない。
地道な進歩ではなく、劇的な進化が必要だった。
「正直、十分だと思うがな。汝は既に、英雄の域にある。まだ先を望むとは、なんとも強欲じゃ」
「…………」
「そも、一発逆転や急成長などあり得るか。汝は異常な環境を見てきたかもしれんが、地道な積み重ね、それしかないのではないか?」
アリシアも、分かっている。
それは間違いなく正論だ。
反論の余地など何一つなく、おとなしく引き下がるのが当然だ。
言葉通り、急成長とは、本当に限られた一例でしかない。アリシアは、既に極まっており、天才ではあるが、人外ではない。
だが、
「それでも、何かありませんか? 常識を踏み越える、そんな方法が」
覚悟がある。
外なる方法でも構わない。
「切羽詰まっているねぇ」
「できることは、なんでもします。対価も、できる限り用意します。ですから、どうか…………」
頭を下げることに、厭いはない。
抉れと言われば、その場で抉る。切り落とすのなら、即座にそうする。
事が終わった後ならば、命すら代価としても良い。
魔法使いの契約が如何ほど重要か、分からないアリシアではない。己の魂までしゃぶり尽くされるのは、仕方ない犠牲だ。
「……そうじゃのう。まあ、
「?」
「妾の所有物でなくなったモノを、汝にくれてやる。意味は、その時に考えよ」
しかし、返ってきた言葉は、想像よりも遥かに優しいものだった。
魔法使いとして、こんな生温い施しは、あまりにも違和感がある。
アリシアからすれば、願ったりではある。
道もないところへ、光が見えたのだから、本当に有難い。
諸手を上げて喜べる返事のはずだが、どうにも素直に喜べない。
その裏の意味を探ろうとしたが、情報が足りなすぎる。
そして、
「案ずるな。すぐに、意味が分かる。妾たちは、無駄に去ることはないのじゃよ」
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「ホント、君たちで良かったよ」
目の前の女のことを、リリアはろくに知らない。
音に聞く英雄であることは前提のはずではある。
分かることはそれくらいで、彼女は性格すらも知らない。
推し量る気がない、という要素は大きいが、推し量らせまいとしている訳ではない。
識れるほどの中身が、女からは感じ取れないのだ。
「は? なにが?」
「よくここには新しい仲間が来るけれど、皆が皆、仲良くなれる訳じゃないしね」
目を閉じることが、基本な女だ。
表情も変わらない、声色も一定で、生きている気配が非常に乏しい。
リリアでなければ、付き合うことに嫌悪を抱く異質な相手だ。
仮面を被ったような素顔に付いたガラス玉のような目が、彼女を見つめる。
「全員が、良い意味でイカれてるから」
「バカにしてる?」
「違うよ。良い意味でって言ったよ?」
「良い意味って付けたからって、なんでも褒め言葉になる訳じゃないわよ」
女は、考え込むような仕草を取る。
仕草だけ、まともな人間の真似をしているようだ。
「少なくとも、この時点で『迷う』要素があるなら、取り込まれる可能性があるしね」
「英雄なんでしょ? 敵に寝返るなんて……」
「人間だからね。ダメな時はダメさ。アイツらは、欲望の組織だ。欲しいと信じる者は、必ず共感する。だから、満たされていないといけないんだよ、私たちは」
人の脆さは、リリアには分からない。
ただ、そういうものとして、知識を受け入れる。
その昔、起こったであろう悲劇に対して、特別なものと思わない。
リリアには、蔑みも憐れみも、興味もない。
「あたしたちには関係ない話ね」
「そのブレにくさが、必要だった」
とても機械的だ。
あるべくしてあり、自分の役割を完璧に定めている。
淡々と、女は『必要』を提供する。
「願えば、奴らは必ず付け入る。だって、正しいから」
「アンタ、友達居ないでしょ?」
「人間なんだ。英雄だなんて、まやかしだよ。欲しいと願えば、そうするしかない」
人の倫理の欠落が、大前提だ。
だが、あり得ない話はしていない。
大いなる地からを持ち、その責任を求められてきた者たちだ。
ほんの少し、掛け違いがあったなら、英雄は虐殺兵器と変わらない。
血の通わない前提を、持ち合わせている。
「私たちはね? 自分たちの在り方にケリをつけるために、戦っているんだ」
「ねぇ、英雄って迂遠な言い方しかできないの? 単刀直入に話して欲しいんだけど?」
「後詰めは、君たちがしてくれ。もう、託すことしか考えていない」
誰にも、女は影響されない。
何を言われても、聞かされても、動じない。
自分の命にも興味が持てないがらんどうだ。
「後は、君たちとボスの舞台だ」
「本当にアンタたち、嫌い。最初から最後まで、あたしたちを利用する気しかないものね」
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「真面目な子で良かった!」
「え!? 何すか、急に?」
男は、ラッシュと気が合う人物だった。
陽気で、誰の懐にでも潜り込める、模範的な快男児である。
馬が合うとはこのことか、と普段から危険人物たちと行動を共にする彼は、久々に心底から安堵を覚えた。
戦闘スタイルも通じる部分があり、師としても、とても有能だ。
人物的に、大いに好感を持てる。
奇抜さとはかけ離れ、常識人に近く、奇行をかますような奇人ではない。
「いやー、君たちのことは、ライラさんから聞いてたからね。とんでもない子達って聞いてたし、マトモな人が来ないから、俺のとこに付けるって聞いた時は怖かったよー」
「はは……まあ、俺以外の奴らは全員イカれてるけど……」
「だから、余計にさー」
規格外の天才は、周囲に居る。
だから、ラッシュにとって、秀才タイプは珍しかった。
ラッシュは既に、完成された武を持つ。
ここまで手本になる人間は、そう居ない。
「君は、本当に実直だ。僕の教えもちゃんと守るし、会話も通じる」
「後半は、別に人なら普通じゃ……」
コロコロと感情を変える男は、ただの若者にしか見えない。
とても平凡で、人混みなら、容易く消えてしまうような『薄さ』である。
とても『薄い』笑顔を向けて、言う。
「英雄の頭のイカれ方を舐めたらダメだよ! アイツら、自分の世界で生きてるからね!」
「あー……」
「もー、人の迷惑とか考えないの! アレしろ、コレしろばっかり! 無茶振りで死にかけたことが何回あったか!」
「お気の毒っす」
苦虫を噛み潰したような表情で、男は語る。
いつ何をしたか、どう死にかけたか、どんな酷い目に遭ったか。
おそらく、腐っても英雄なので、本当に凄絶な経験だったのだろうが、男の空気感からか、どこか滑稽な印象しか受けない。
ラッシュも思わず、男の軽さに釣られて笑ってしまう。
つくづく、男の周りには不和が生まれない。
「愚痴っても愚痴りきれないよ。僕の不満の全部が世間に広まったら、きっと英雄は全員居なくなるに違いない。ファンは皆幻滅するから、残るのはただのゴロツキだけだよ」
「外聞も、英雄を作る要素っすからね」
へらへらと冗談めかす。
ラッシュも、応えて笑う。
「苦楽を共に、なんていうけれど、圧倒的に苦の方が多いよ。よくもまあ、十何年も続けたね、こんなのを」
「すぐに逃げてるっすよ、俺なら」
「命は大事だもんね。気付いたら、すっごい老けてたよ、僕も。あーあ、もっと遊んでくらしたかったんだけどなー」
軽口の中に、何かが混じった。
だが、それは小さな小骨のような違和感だ。
ラッシュには、それは分からない。
とても容易く取りこぼす。
「君も、その内似たようなことになるんじゃない?」
「かもしれないっすねー」
「酷い日常だよー? いつ死ぬかもわかんないし」
これまでの道筋を頭で描きながら、男はラッシュに投げ掛けている。
そんな微妙な心根を、男は決して悟らせない。
雑談の延長としか思わせない。
「あはは。確かに、ろくでもないかもしれませんね」
「君も僕と同じで、命あっての物種って考えるタイプでしょ? 逃げるなら、早い方が良いんじゃない?」
何も考えていないかのような振る舞いだ。
外からでは、男の思考は分からない。
時には道化を、好青年を、暗殺者を。様々な顔を演じてきた男の奥底は、容易く覗けない。
「そうかもしんないっす」
「うん、だよねぇ」
そして、
「でも、多分、貴方と同じ理由で、逃げたりしないっす」
そんな、一番欲しかった言葉が飛び出て、素直に驚いた。
「……君で良かったよ、ホントに」
「ん? どうかしました?」
男の肚は、この時決まった。
全員の覚悟が、これで定まった。
※※※※※※※※※
騎士団、現在総勢十名。
直近の戦争により、三人が使命に殉じる。
クロノたちが王都で『神父』と戦う裏で、第二使徒により、五人が殺される。
クロノたちが入団したことで六人加わり、
この日の夜に、六人が消える。
内、五名は死が確定。
そして、一名はすべての痕跡を消す。
調査により、クロノたちの教育係として任命された五名は、消えたその一名によって殺されたと判明した。
騎士団に身を潜め、この土壇場で裏切ったネズミの名前は、
ライラ・バッカニア
教団を恨む狂人は、これまでの全てを台無しにした。