(異空間が崩れそうだ……こりゃあ、向こうで何かあったな……)
ライオスの心身に、淀みは生まれない。
戦場において絶対に発生するイレギュラーを、いかに素早く静かに対処するか。
この世で最も戦闘が得意な化物の重い期待に、彼はきちんと応える。
想定外の不運ですら、彼は想定している。
対峙するアリオスたちにも気付かせず、不足の事態の対処にあたる。
崩れゆく空間の補填など、彼にはできない。
この空間は彼が戦闘で優位に立つための要ではあるが、本当の主は別の人間だ。
ならば、少しでもリミットを遅らせる。
彼の領域である『時』をもってすれば、多少は可能だ。
(まだ、死んではねぇな。もう少し、持ちこたえてくれよ……)
魔力を滾らせ、心臓の鼓動をはねあげる。
切りたくない札を切らされて、心中はとても穏やかではない。
なんとか最小の力で打ち倒したいと考えていたのだが、残念ながら思い通りにはいかない。
苛立ちながらも、彼はギアをさらに上げる。
「いくぜ」
空間が崩れかけてから、瞬きの間の出来事だ。
すんでのところで命拾いしたアリオスたちに、体勢を立て直す暇を与えない。
ライオスの背負う時計が、さらに狂う。
秒針と短針が、遅れて、速まり、進んで、止まるを繰り返す。
「避け……!」
「お前、自分が一番速いって勘違いしてるだろ?」
アリオスの元へ行く時間を、認識できなかった。
時間が、過程が、飛んだように見えた。
次元の違う速度に、反応が遅れる。
引き伸ばされた時間が、走馬灯というものだという知識と知っている。
アリオスが設置した電気的な反応、検知をすり抜けた。
防御体勢に入った時には、即死をもたらす掌が、そこにある。
「俺サマは、負けねぇ」
「おお、おおお!!」
一か八か、触れられた途端に風化した体を、自分で分解して再吸収する。
切り離された部位を、もう己のものではないものを、自分の力として取り込んだ。
ただ、攻撃を回避したようにしか見えないだろう。
だが、これが意味をするところは、
「離れろ!」
意味を理解する間もなく、戦況は踊る。
そこに居るひとりへ向けて、攻撃する。
投げられた短剣と、呪詛が凝縮した槍と、あらゆる属性の魔法が殺到した。
だが、次の瞬間には、消えていた。今度はラッシュの元へ現れる。
瞬間移動なら、すぐに反応できるはず。
理屈を考える間はないので、ラッシュは対処を反射で行う。
いくつか道具を、死の掌と己の間に噛ませる。
瞬間、閃光と共に熱と風を生む。
焼け焦げた皮膚を治す間もなく反撃するが、やはり空を切る。
「そら、まだ終わらねぇぞ」
空間の非連続性がマシになったとはいえ、未だに敵へまともな一撃を与えられていないことに、じわりと不安感を抱く。
徹底した戦いぶりが、とてつもなく厄介だったのだ。
ヒットアンドアウェイに徹し、ひたすらにリズムをズラして攻撃する。ただ、雑な力任せではなく、戦い方に思考と工夫と経験が見える。
ライオスの時計は、秒針が己を意味する。
そして、短針は他人を意味する。
秒針を操り、己の動きを加速させる。短針の速度を変えることで、動きを遅くしたり、一瞬だけ認識を振り切るほど速める。
だが、察した所で、何も対策できない。
さらに、
「ほら、早く死ねよ!」
近・中・遠距離において、一切の隙がない。
今も、牽制に放った攻撃は、ちゃんと速く、当たれば即死する。
数も質も、高い水準である。
そして、その攻撃に紛れながら、近接で仕留めようと高速で動く。
地の利を失ってなお、ライオスは倒れない。
「ガキ共に、この俺サマが負ける道理がねぇ!」
ライオスが射出するのは、短剣である。
当然、彼の力が染み込んだ、必滅の刃だ。
時の力を受けて加速し、アリシアとリリアの間に突き刺さる。
リリアにはさらに短剣を加算し、アリシアには本人が仕掛ける。
「がああ!!」
「…………」
死の淵に立たされ、研ぎ澄まされていく感覚を、アリシアたちは共有していた。
強敵との死合いは、それだけ彼らの肥やしになる。
今ここで限界を越えなければ殺される閉塞感が、爆発的な成長を生む。
「!」
他人の『転移』には、相手の了解を得ない場合、凄まじいエネルギー効率のロスが生まれる。
一定の強者なら、簡単に弾かれてしまう。
だが、そこを曲げて、アリシアはライオスを見当違いの場所へ飛ばした。
力の同質化など、習ったことはない。
数度、アインが『らしい』動きをしただけのものである。
「チィ……!」
舌打ちが漏れる。
重ねねばならない対処が増える。
力の本質を特定されないように、エネルギーの質を毎秒変えながら動かねばならない。
それは普通にこなすのだが、煩わしさに苛立ちを隠せない。
ライオスは、空に向けて指差し、力を込める。
空間に設置し、隠していた数多の武器が姿を現した。
それらはゆっくり落ちたと思ったが、ある地点に到達した瞬間、加速して降り注ぐ。
「!」
「ふざけやがって!」
しかし、数千の刃のほとんどはダミーだ。
本命はその中の、ほんの八本。
死角から降る必殺の刃は、群像に紛れて素知らぬ顔で命を狙う。
全面に押し出した呪詛も、雷と化すことで受け流すことも、魔法の障壁を展開されても、まったくの無意味だ。
薄く全方位に伸ばした壁など、簡単に貫き、突き刺さる。もし掠りでもすれば、触れれば消し飛ばしていた先ほどと異なり、『時間経過』の効果が毒のように回る。
これは、致命の隙を与えるための攻撃である。
誰でもいい、隙を晒した敵へ向けて突撃する準備を整える。
そして、その目論みは、二歩目を踏み出す前に中止した。
「あ゛あ゛、いつだって風向き悪りぃな、俺サマは!」
全て、防ぎきられた。
薄く張った天蓋ごときに、防げるはずがない。
しかし、よく観察すれば、天蓋の二点だけが厚く守られている。
恐らくではあるが、その理由は、
「テメェ!!」
それは、知覚領域を限界を超えて広げた、ラッシュの影響だろう。
確実に害があるものだけを見抜き、仲間たちへ指示した。
研ぎ澄まされた才覚が、順調に彼らの領域を引き上げる。
苛立ちを、ライオスは己の短剣にぶつけた。
柄の頭を垂直に蹴り抜き、飛ばしたのだ。
真っ直ぐにラッシュに向けて飛んだ短剣は、喉元めがけて加速する。
そして、
「ぐ……!」
「ははははは!!」
ラッシュは、ライオスが攻撃のモーションに移った時には、既に回避を始めていた。
恐るべき感知機能による、未来予知にも似た回避だ。
だが、覚醒の影響か代償か、動きが鈍い。
察知したことは素晴らしかったが、腕を犠牲にしなければならなかったらしい。
即座に患部を切り離し、事なきを得ていた。
されど、ダメージは大きかろう。
回復するにしろ、その消耗は目を伏せられるほどではない。
だが、
「!」
切り離された左腕から、呪いが生まれる。
膨れ上がった怒りが、怨嗟が、妬心が、突き刺さるようにライオスへ殺到する。
当然、それから逃げるが、しつこく呪いは敵を追う。
ピッタリ付いて回って、最後には辿り着く。
ライオスにダメージはない。
しかし、これは、
「体が、重い……?」
「生かさず殺さず。苦しみ踠け」
ただ、苦痛を与えるだけのものではない。
縛ることも、留めることも、等しく呪いだ。
相手の思い通りにさせないことが、相手を苦しめることに通じるのならば、それは無害であったとしても、呪詛として成り立つ。
捧げた供物と、効果の縛りが、呪詛に必中の力を付与する。
個人として、ただ漫然と使っていた力が、『儀式』という型を得た。
より、力は研ぎ澄まされたのだ。
「チッ……!」
ライオスの判断は、常に一瞬だ。
速さによって翻弄してきたこれまでではある。それが、今となってはそれも難しいこととも、今把握した。
その上で、ギリギリを見極め、消耗させ、削り殺す戦法とて考えはした。
最も堅実で、確実な勝ち筋はそれだ。今も大きな弱体化を負ったが、アリオスたちを翻弄する方法はまだある。
だが、本当の意味で、
ただ、この一点だけをもって、彼は戦闘方法を変えざるを得なかった。
「くたばれ」
動く必要は、もうない。
確実性は失われるが、仕方がない。
ただ、一撃の用意しかない。
しかし、この空間ごと全てを吹き飛ばす威力を持ち出せば、それで良いはずだ。
極限まで集中したこの技は、発動の準備の段階で、ライオスを中心に時間の流れがねじ曲がる。
向こうからの攻撃が届く前に、絶対にライオスは技を放てる。
一点集中。
必要なリソースをかき集め、凝縮し、固めていく。
何てことのない、魔力から作り出したエネルギー弾を放り投げる。それの時間を加速し、加速の力を溜めた上で留め、さらに加速する。
無限の加速を繰り返し、最早、それは人の認識を遥かに上回る『世界の外』の領域に指をかけた。
さらに、ライオスは道を補填する。
加速のための道を敷く。
通ればそれだけで指数関数的に加速する道筋を、彼は描ける。
それは、恐らく、『神』にすら届く一撃であろう。
レールを用意し、あとは放つのみ。
全てを無に帰す一撃を放つ直前に、口から溢れた血を飲み込んだ。
ぎしぎしと軋む体を引きずり、それでもと、最後の一撃を放り投げる。
そして、
「俺サマは、負けねぇ……」
弱々しく、ライオスは呟いた。
轟音の果てに、異空間は崩壊を始める。