いつの間にか悪の組織の幹部になっていた件   作:アジぺんぎん

156 / 175
154 挑戦 才なき者

 

 彼、ライオスの始まりの記憶を場面として呼び起こすなら、それはやはり、血の記憶であった。

 物心がつく頃から、耐え難い痛みと、息もできない苦しみに悶える。

 あまり珍しくもない、貧困という地獄。

 三百年前は、その規模が広く、その程度がさらに甚だしかった。

 

 人の汗と垢と何かしらの腐敗臭と、血の匂い。

 それらは彼が生まれた時から、彼の鼻腔の奥底に住み着いている。

 掃き溜めの空気に生まれた時から浸かってきた。

 

 痛みに悶える暇がないので、素早く立ち上がる方法と我慢強さを叩き込まれた。

 数えきれない痣と痕が、苦痛への耐性を彼に与える。

 殺らなければ、殺られるのだ。

 戦闘の際、彼は一手後には反撃する自分をイメージする。

 怯む、という無駄を、彼は自然と削ぎ落とす。

 

 奪う側に回ることの何がいけないのかと、彼は思った。

 弱きは奪われ、しゃぶりつくされ、死に絶える。

 なら、奪う側に立つという、当然の選択を視野に入れる。

 

 虐げられるという経験が、あまりにも当然で。

 その仕返しをしてやろうという熱意は、燻り続けるもので。

 全てが憎いと考えるのは、普通のことで。

 彼は罪を憎んで人を憎まない聖人ではない。

 パンが無ければ、他人から奪えば良い。人を従えるのは暴力である。殺しや略奪の悪さが、彼にはどうにも理解できなかった。

 

 彼は、至極普通の人間だった。

 善き所では善人に、悪しき所では悪人に。

 環境に染まり、易きに流れ、周囲が正解と言ったことに疑問を覚えるほど賢くなかった。

 

 

『いつか、コイツらを全員殺したい』

 

 

 澄んだ瞳で、彼はそんなことを言った。

 暴力に支配される世界で、庇護もなく、痛みと共に育った、彼の真っ当な思想である。

 されたことを、やり返す。

 望むことは赦しではなく単なる罰であり、その対象は世界となる。

 やり返し、奪い取り、まともに生きられないところまで歩んで。そうやって、荒んだ心をまた誰かに植え付け続ける。

 

 

『なんで、俺たちがこんな目に遭わなきゃいけない? なんで、苦しむ? こっちは飢えて、クズ共は、俺たちの隣で飯を捨てる』

 

 

 土地の毒を吸えば、茎や葉はその毒を有するようになる。

 魚の餌に毒があれば、それを蓄え、その魚を食らう者を害する毒魚になる。

 未熟な社会が、毒を持った人間を創る。

 彼は世界に数万、数十万と居る、孤独な人間の一人でしかない。

 

 

『殺すべきだ。奪うべきだ。俺たちが、生きるために』

 

 

 大真面目に、彼はそう語った。

 埃と悪臭と諦念に囲まれて、服とも言えないボロを纏って、何の力も持たずない彼が。

 まだ、当時は子供であったから、誰かを傷付けることもできず、吠えるだけだった。

 けれども、いずれは必ず、人を殺めることを当然と思うようになるだろう。

 そういう風に、育ってしまった子供だった。

 

 ただ、他の誰かと違ったのは……

 

 

『お願い。人を傷付けることを、当たり前って思わないで』

 

 

 酷く掠れた声の記憶だ。

 栄養も足りず、体も弱く、触れれば手折れそうなほどに細い。

 何ということもない、彼よりも遥かに弱い存在だった。だが、奪えるものがないから、何も奪えないほどに弱かった。

 手元に置いておいたのは、特段列挙するだけの理由はない。何故そうするべきと思ったか、本当に分からない。

 彼の妹、唯一の肉親を守ろうとしたことは、始めは気紛れだったと記憶していた。強いて言うなら、それが自分の物だと思ったからだろうか。当時は、誰かに奪われないように必死だった。

 

 

『必要ないの。盗ったご飯なんて、要らないの。私は、間違ってると思う』

 

 

 ただ、困ったことに、彼女は物とは違って、思考する生物だった。

 彼女には彼女の考えがあり、そしてなんと、彼とは違う特別な人間だったのだ。

 

 

『ざけんな。なんで、そんな……』

 

『誰かが止めないと、ずっと続いていくもの。誰かがしないと』

 

 

 なら、他人に割りを喰わせろと。

 そんな奴らのこと、どうでもいいと。

 殴ると死んでしまうかもしれないので、怒鳴ることしかできなかった。

 本当に、本当に厄介な存在だった。

 

 ろくに、食べ物に口をつけない子だったのだ。

 彼が盗んだパンや肉ではなく、そこらで拾った残飯を食う。

 良い思いができるのに、それを捨てる。くだらない、理解することもしたくない意地で、自分を追い詰めて苦しめる。

 致命的な頭の悪さに、彼はいつも苛立ちを覚えていた。

 

 

『テメェのやり方で飯が食えるなら、そうしてやるよ』

 

『難しいよね。でも、大変だからするんだよ』

 

 

 白蟻は、木材を食うが、人には木を食えない。食することの意味すら、理解不能なはずだ。

 別の生き物の生態を、無理に人間の価値観に当て嵌めて真剣に考えても無意味だ。

 そういう考えで、彼は妹に接していた。

 

 

『誰だって、まともに生きていたいんだよ』

 

 

 彼は、妹の言葉を何も理解できない。

 理解できないまま、彼女を守る。

 存在に腹が立つが、それでも殺してしまうほど彼は狭量ではない。

 彼女は大変煩わしく、鬱陶しく、それでいて恐ろしいくらいに、

 

 

『くだらねぇよ』

 

『いつか、私を分かってほしいな』

 

 

 

 正しかったのだ。

 

 こんな会話は、既に湖の中に落とされた一滴のような、薄れて消えそうな記憶のひとつだ。

 きっと、もっと多くの会話があった。

 うんざりするほどの言葉があった。交わされた会話の地層があった。

 無くなって久しく、消えて当然で、彼自身がなかったことにしたかった記憶だ。

 

 既に、三百年近く前のこと。

 彼の出身国は、今はもう名もなき国として歴史書から消えている。

 街など、当然ながら塵すら残っていない。

 

 時間という運河の中で、朽ち果てた存在の何と多いことだろう。

 当時の嫌悪も、苦悩も、衝動も、今は何一つ残っていない。燃え盛る激情は、今や写真に映った光景のひとつでしかなく、思い出せるものはない。

 

 全ては、記憶から記録に変わっていく。

 彼の紡ぐ言葉の全ては、感情が伴わない。

 彼は、ただ、記録を読み返すだけだ。

 

 

『…………』

 

 

 そう、彼は、十把一絡げな存在でしかなかった。

 しかし、彼の血を分けた妹は、才能溢れる人間だった。

 

 生まれながらに、彼女は魔法の才能があった。

 攻撃はとんと素質がないが、回復の魔法はずば抜けていた。

 他の人間をよく癒した。とにかく生傷ばかりの場所なので、彼女を頼る人間は多かった。

 利用する人間も多く、彼は目立たぬように止めさせようとしたが、頑なに人を癒し続けた。

 

 さらには、言葉だ。

 彼は頑なに理解したくなかったが、彼女の言葉はとても響くらしい。彼女の言葉は心地よく、たおやかに引き込んでゆく。

 殺人も、強奪も、詐欺も、どうにも心が疲れるらしく。幼く、脆く、されどその儚さにこそ神聖さは宿るようで、彼女が言葉をかければ、膝を付いて懺悔をする人間は多かった。

 

 いわゆる、天才というものだと肌で感じた。

 ただの少女が、こんなにも人を狂わせられるものか。

 一人が足を止め、いつの間にか二人になり、四人に、八人に。彼女と志を同じくする者たちが、次第に増えていく。

 

 

『気持ち悪い』

 

 

 無法と暴虐によって、支配された場所だった。

 誰からも吐き捨てられ、肥溜めと認識された場所だった。

 環境にあてられ、そこに住まう人間は、おしなべて底辺であった。

 なのに、荒んだ心の、ほんの僅かな真心を取り出して思い出させる。その技術に、とても長けた少女だった。

 魔法の力も相まって、いつの間にか、『聖女』と呼ばれもした。

 傷を癒し、心を癒し、人を絆す。

 震えるほどに、彼女は上手く立ち回った。

 

 

『気持ち悪い』

 

 

 清貧と和と、善を尊ぶことが、不自然なのだ。

 確かに、人数で見れば少ないだろう。

 たった数十人だ。他にも、数千、数万の掃き溜めに集まった人間が居る。

 しかし、諦念に染まりきった人間の中で、希望を見出だせた稀なる玉を作り出した。

 これは、あり得ないことだ。

 こんなことは、彼の常識では絶対にない。

 

 

『気持ち悪い』

 

 

 弱い彼女が人を動かし、力を得ていた。

 彼女の行動の多くを見てきた。

 手を取りあって言葉を交わすことがあった。彼には何も響かない説教をしていた。話を聞いて、涙を流してやっていた。

 いったい、何が彼女を取り巻く彼らを突き動かすのか、分からない。

 

 意味が分からないものへの嫌悪を、初めてここで覚えた。

 

 

『気持ち悪い』

 

 

 そう、彼は公言していた。

 何度も何度も、彼の妹やその取り巻きに、伝え続けてきた。

 偽らざる本音を、執拗に伝えた。

 けれど、苛立ちはするし、怒りはするが、最後はただ許すのだ。妹がそうするように、優しく諭そうとする。

 

 訳の分からない戯言を、平気で話す。

 同じ言語で、理解できない言葉を喋ることが、恐ろしい。

 

 だから少しでも、彼らから離れたかった。

 己の常識がおかしいと、指をさされたようで居心地が悪かった。

 だから、彼は普通に過ごしていた。

 

 道を歩けば、酒に潰れたゴミが居る。

 路地を覗き込んでみれば、リンチに遭っているゴミが居る。

 何を盗んだか知らないが、追いかけられているゴミが居る。

 そんなゴミたちが、彼の世界だ。

 それ以外なんて必要ない。それ以外の世界は、不気味だ。

 

 

『気持ち悪い』

 

 

 こんなにも、受け入れられないことはない。

 こんなに正しい世界は、必要ない。

 もしも、この清らかな、優しい世界が当たり前になってしまったら。

 それを思うと、本当に吐き気がした。

 

 可能性は、そう高くはない。

 いや、むしろ、絶望的に低い確率だ。

 それでも、嫌な想像を止めることができない。

 もしも、世界が妹に感化されたものになれば、どうなるのか。

 

 何万、何十万という人間が、どうしてその悪性を捨てられるものか。

 たった数十人の人間が、何故世界を変えられるか。

 悪で満ち、悪が本質であるこその人なのだ。  

 そんな在り方は、土台成立しない。

 

 

『気持ち悪いんだよ、テメェらは』

 

 

 自分は悪を知る人間だと、自覚している。

 だから、怖かったのだ。

 どす黒い血とドブで体を洗い、泥水と残飯で食欲を満たす日々以外が当然になることが。

 神経が真っ向から拒否する、生温くて気持ち悪い世界がやって来るのかと思うと、頭が変になりそうだった。

 彼の手から離れ、彼女はもはや、彼がどうこうできる存在ではなくなった。

 

 心底から、嫌なのだ。

 受け入れられない悪人に、なってしまったのだ。

 善人だけが笑う世界など、間違っている。

 

 

『耐えることは、尊いんです』『困っている人は、助けましょう』『受けた恩を、他の人に分けてあげて』『沢山の人に優しさを伝えてあげて』

 

 

 握る手から、血が滴るくらいに悔しかった。

 息を忘れるくらいに、昂った。

 耳障りな声をかき消す絶叫をあげた。

 血を吐く勢いで暴れ回った記憶は、この時期にしかない。

 視界が真っ赤になって、何も考えられない。

 拒絶と嫌悪に支配されて、妹を何よりも憎んでいた。

 

 捧げ物は必要ないとつっぱねて。

 いつまでも清貧と節制に身を捧げて。

 いくらでも、自分一人で豊かになれるはずなのに、貧者の位に身をやつす。

 こんな恐ろしい怪物が、自分の世界を壊そうとする。

 

 

『助けてあげましょう』『人に与えた恩は、巡りめぐって返ってくるんです』『悪いことをしたら、責任を取るんです』『苦しむ必要はないんです。自分を許せるだけ、納得できるだけ、すべきことをすればいい』『きっと、そういう世界は、美しいはずです』

 

 

 だって、おかしいではないか。

 

 妹とて、話術ひとつで人を絆したのではない。

 駆けずり回り、手を尽くしていた。

 薄っぺらい言葉だけでなく、行動が伴っているから。その裏には、心からの願いが込められているから。

 根本からイカレた異常者だった。その気質を活かして、彼女は徒党を組んだのだ。

 彼が青年となった頃には、妹を慕う人間の数は百を超えて、周辺で認知される勢力となっていた。

 

 そんな天才が、

 

 

『誰だって、幸せに生きたいはず』『隣人を愛してあげてください』『目の前の相手にも、大切にしている人が居るはずです』『理解してあげてください。戸惑いを。怒りを』『理不尽に折れてはいけません』『友愛を』『歩んだ後には、足跡が残ります。きっとそれは、道標になる』『子供に、その子供にも、そのまた子供にも、人に優しくする方法を教えましょう』『最期には、きっと、人に悼まれる』『誰にも見向きもされないより、ずっと心安らぐはずです』『幸せに、なってくださいね』

 

 

 何故、死んでしまったのか。

 

 

 

『ははははははは……』

 

 

 きっかけは、水面に投げ込まれた石が、さざ波を立てたくらいのものだった。

 誰かが、『人を管理する必要がある』と言ったのだ。

 嗚呼、何も間違ってはいない。曲がりなりにも百数十人という人間が所属する組織だ。誰が仲間で、誰がそうじゃないのか、見極める必要がある。勧誘を誰にすべきか、見極める必要がある。

 すると、自然に人を管理する側と、される側に別れる訳だが、始まりはここからだと断言する。

 

 抑圧され、苦しんだ者達の心安らぐ場。

 何故、心安らいだかと解析すれば、彼らの多くが弱者であったからだ。

 認めてくれる人が居て、同じ境遇の仲間が居た。

 しかし、支配される立場というものが、そこでできあがってしまった。

 

 

『はははははははははははは』

 

 

 別に、おかしなことではない。

 人間の出入りが激しくなれば、管理するのは当然のことだ。

 そして、管理する立場となった彼らも、管理される立場の者を貶めようとしたのではない。いわば、教皇の立場となる彼女を、他の勢力や危険な人間から守るためだ。

 

 支配階級は、致命的に相性が悪い。

 理不尽に抗えと、そう言葉にしてきた。

 しかし、彼女の思想を全て汲み取れるだけの力が、彼らにはない。

 自分を守れという意図は、合っている。理不尽に折れるなという意図は、合っている。そのためなら他人を傷付けて良いという意図は、間違っている。怒りに身を任せて行動することは、間違っている。

 

 結末は、炎と毒と苦悶であった。

 

 

『ははははははははははははははははははは!!!!!』

 

 

 炎と月に照らされ、狂笑がよく見える。

 怒号と悲鳴にかき消されて、目を引く笑い声が目立たない。

 所詮、彼は路傍の石でしかない。

 誰にも見向きもされず、価値がないから、殺されない。

 

 結局は、暴力に支配された世界だった。

 平和を唄っても、愛を唱えても、本質は怒りと暴虐によって淘汰される。

 なるほど、妹の世界は正しかった。

 だが、正しいだけでは、世界は押し通すだけの強さを得られない。いつまでも脆く、貧しいばかりの妹では、足りなかった。

 

 才気溢れる妹ではなく、クズで、悪人で、只人な自分が生き残った。

 何も動かなかった自分が生き残った。

 それは、証明でしかなかった。

 

 

『嗚呼、世界はやっぱり、間違っているんだなあ……』

 

 

 天才は、殺された。

 凡人は、生かされた。

 正しき人は、殺された。

 悪しき人は、生かされた。

 

 混乱と混沌を巻き起こした人物は複数居るので、彼らの全員の『その後』は知らない。

 まあ、全員が死んだ訳ではないだろう。

 何でこうなったんだ、と自分達の罪に気付かず、どこに行っていいかも分からず、惑っているのだろう。

 道標を消したのは自分なのに、他の誰かが悪いのだと、見えない目で決めつけているのだろう。

 

 これは、きっと正しくない。

 正しくないことは、真理だと、証明されてしまった。

 

 

『ざまあねぇぜ。俺の言う通りになった! やり方を間違えた、お前のミスだ! 人間が愚かだって、なんで気付かねぇかな、お前はよ!』

 

 

 妹の死に様は、如何様だったか考える。

 さぞ、屈辱に歪んでいたのだろう。さぞ、生を悔やんでいただろう。

 目をかけていた者達に裏切られ、失敗したことにほぞを噛んだだろう。

 過ちに気付くことの苦さは、知っている。嫌いな妹が、どんな辛酸を舐めて死んだのか、想像すると胸がすいた。

 

 嘲笑ってやったのだ。

 案の定、妹は苦悶の中で死んだのだと察しがつく。

 悔しそうに涙を流し、何を目指していたのか、一点を見つめていた。

 最期まで、まったくもって理解不能だ。

 だから、

 

 

『……バカが。間違えやがって』

 

 

 まず最初に、この感情は切り捨てた。

 意味が分からないので、考える必要もない。

 今はもう、色褪せた古い写真を見た時のように、感情を思い出せない。

 記録の中では、何一つ熱がない。

 当時に戻らなければ、どうしてそんな選択をしたのか、検討が付かない。

 

 

『見てろ。俺が、一番、正しいんだ』

 

 

 この決意の熱を、彼は思い出せない。

 

 

 ※※※※※※※※※※※※

 

 

 騙すことは、生き抜く上で基本的な技術だ。

 彼はお世辞にも頭が良いとは言えなかったが、同調し、煽るくらいはできた。

 最終的に、数百人規模の集団になった。管理にこそ失敗したが、掃き溜めの外の組織とも繋がっていた、価値ある組織だったのは知っている。

 妹を外の世界に連れ出したかった幾人かは、優秀な頭脳で道を切り開いていた。

 彼はその道を、無断で利用する。

 

 ()()が、超稀少な魔法であった。

 しかも、禁忌として数えられるそれを、表だって研究していると公表しない。その道の研究者を辿ることに、少なくとも五年はかかっただろう。

 一秒すら惜しんで、魔法使いをあたった。もぐり、日雇い、研究者。あらゆるレンジの魔法使いに触れて、調べて、辿り着く。

 その後は簡単だ。脅し、人質を取り、暴力で支配して、言うことを聞かせる。

 似たようなことをして、手駒を増やしていたゴミは、腐るほど見てきた。恐怖による体験が、力の差を無視して心を縛り、対象のコントロールを可能にするのだ。

 

 彼は、時間操作魔法を知る機会と、試す機会を知れた。

 だから、改めて確認した。

 彼は本当に、何の疑いもなく凡人なのだと。

 

 膨大な研究資料を読み解くための知識は、探す過程で学んだ。下地ができたというだけで、自己研鑽はさらに必要だったが、とにかく何とか読めた。

 魔力は少しはあったので、使うこと事態は可能だった。まあ、それも雀の涙ばかりの才能で、初歩の初歩を使えるのがやっとだった。

 知も、実技も、彼は理想には遠く及ばない。

 無慈悲に突きつけられる冷たい現実を、彼は把握する。

 

 魔道の才能に、彼は欠けていたのだ。

 

 絶望はない。

 彼は己が凡人と知っている。

 魔道の才能は、並みかそれ以下。その他、例えば格闘などの体術も、喧嘩の延長が良いところ。

 ずば抜けた知能などあるはずもなく、普通に頑張る以上のことは望めない。

 チンピラよりは、少しマシ。それより上の評価は、どうあっても望めまい。

 

 それでも、彼は止まらなかった。

 何はともあれ、時間がなかった。

 

 寝る間も惜しんで、彼は勉強した。

 天才ではない彼がどれだけ必死にそうしても、所詮はただの『勉強』の域を出ない。

 先人の『研究』を読み解き、内に蓄える以外のことはできない。

 もちろん、自分で使うことも想定し、命懸けで修練に励んだ。

 亀の歩みよりも遅く、初歩の初歩を少し使えるのがやっと。

 

 凡人の限界を、ひしひしと感じる。

 秀才に迫っても、天才にはなれない。

 だが、絶望する暇はないので、彼は進み続けることを止めない。

 

 研究者を集める方向へシフトしたのは、最初の研究者との付き合いが長くなり、なんだかんだで、悪い関係ではなくなった頃。

 進まない研究への解決策として、人を使うことを検討したのだ。

 従わせるのではなく、『禁忌』という蜜で誘うように。

 人が集まりすぎる場は不自然なので、表向き、殺すことで存在をなかったことにしてやるのだ。独り身で、若く、優秀な人材に声をかけると、一定数は頷いてくれる。

 

 彼は、何でもやった。

 真理の扉を開けるため、自分にできることは実践を躊躇わなかった。

 翼のない身で空を飛ぼうと望んだ。

 エラも尾びれもなく、自由に海を泳いで回りたいと願っていた。

 弱者のくせして、過酷な世界を生き抜きたいとほざいてみせた。

 

 大言壮語を、どうして真っ当なやり方で叶えられるのか。

 彼は、時間操作魔法に約五年で辿り着いた。

 彼は、時間操作魔法の専門家に、十年かけてなった。

 彼は、さらに十年かけて時間操作魔法の研究所を作り、運営した。

 

 既に、彼は齢四十を越えていた。

 危険なことも、外道も、ひとしきりした。

 だから、彼は手を伸ばしたのだ。

 

 この世の、最も暗い深淵にある、悪魔の門を叩いた。

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 彼は、天才を越える存在を、この時に初めて見た。

 

 理に弄ばれる人が、凡人だ。

 理に挑戦できる人が、天才だ。

 そして、知る。

 理を壊してしまうのが、怪物というものだと。

 

 

『弱いよな、お前は』

 

 

 理解の外の、そのまた外。

 完全で完璧で、絶対で無敵。

 そんな存在に対して、彼は心底敬服し、そして同時に嫌悪する。

 これが答えだと、そう決めつけられたのだ。

 運命というものが、ここが終着点と定めたのだ。

 

 なんとも、それは気にくわない。

 本気の本気で、腹が立つ。

 いったい何故、自分がこんなに苦しい思いをして、禁忌に挑んでいるのか。

 矮小な彼を嘲笑うことを、ソレは何も遠慮しない。

 だが、ソレの愚行を咎める権利はない。何故なら、ふざけているソレが他の何よりも、正しいからだ。

 

 

『わきまえもせず、無駄な努力をし続ける。本当に、罪深い弱さだ』

 

 

 その肉体は、その強さは、その精神は、一分の隙すら存在しない。

 生物として、正解でしかない。

 あまりにも強い。その一点で、暴君として振る舞うことを許されるのだから。

 否定をしたい。罵りたい。己の正しさを証明したいが、こんなものが出張れば、どうにもならないではないか。

 

 

『意地っ張りの、見栄っ張りめ。お前は、そんな大層なことができる器じゃねぇ。分かったら、田舎で引きこもってろ』

 

 

 正しいことしか、コレは言わない。

 彼のちっぽけな底を見抜き、吐き捨てる。

 確かに、言われた言葉に、彼は正論で何も返せない。

 生涯をかけた反逆も、ソレにとっては児戯も同然。

 しかし、正しいだけでは止まれない。

 踏みにじられても、尊重されなくても、道は既に決まってしまった。

 

 彼の目的は、誰かのためにするものではない。

 どこまでいっても、自己満足だ。

 見返りも、報いも必要ない。彼はどこまでも、限界への挑戦を諦めない。

 だから、

 

 

『貴方の不屈の精神は、本当に素晴らしい』

 

 

 悪魔との取引も、平気で呑んだ。

 

 ソレは、先程の怪物とはまた種類の違う怪物だった。

 先程の怪物が『理を壊す』怪物ならば、コレは『理を司る』怪物だ。

 操る術理は、想像を絶する。深淵の智慧の一部ですら、人類の技術が百年は進展するであろう。

 

 笑いが止まらなかった。

 いったい何故、こんなものが野放しになっているのか。この星は、禁忌さえ犯さなければ何でもいいのかと疑問を覚える。

 絶望的な距離の遠さに、笑うしかなかった。人生が何十回巡っても、まるで足りない。

 こんな怪物でさえ、彼の目的は難しいと言う。

 

 

『己の弱さを知りながらも、困難に折れず、弛まぬ歩みを続ける貴方は、本当に素晴らしい』

 

『…………』

 

『そんな貴方だから、私は貴方を選びました』

 

 

 彼の選択肢は、そう多くない。

 才気に欠ける彼は、選べるだけの能力がない。

 なら、やることは決まっている。

 笑いが止まらなかったのは、途方の見えない距離の遠さに絶望し、そして、最高の手本が目の前にある幸運を知覚したからだ。

 

 一で躓くのなら、ゼロと一の間を知れ。

 できるまで、一の過程を繰り返せ。

 地道なやり方しか、彼は知らないのだ。

 幸いなことに、時間を操る術と、これ以上ない師は、彼の性質を活かし、彼を異次元の領域まで高めてゆく。

 

 

『貴方に授けましょう。理を司る技を』

 

 

 もちろん、凡人な彼が、ただでその領域へ行ける訳ではない。

 世界で最も優れた師、不撓不屈の完全な精神、永い永い時間の全てが揃っても、まだ少し足りない。

 上を目指すためには、代償が不可欠だった。

 

 人には、その身体に宿った性質がある。魔道の天才はその性質の現れ方がずば抜けて高く、それを活かした方が強くなれる。

 だが、彼には、そんなものはない。

 だから、すぐに己の身体が邪魔になったので、肉体を機械に置き換えた。

 

 機械とは、どうやら『理を破壊する』怪物が得た知識を、『理を司る』怪物が発展させたものらしい。

 宿る性質を再現し、『素質』を無理矢理に宿す。

 時間操作魔法の素質は、人間性を支払うことで手に入れた。

 

 魔力を宿す器の大きさは、魂と肉体の素質に依存する。

 機械の肉体は、莫大な魔力貯蔵を可能にする。だが、彼の中身は、魂はとても貧弱だ。

 魂魄の改造手術など、彼は初めて知る概念だった。

 失敗すれば死ぬし、成功しても、記憶などを不可逆に喪失する。術後も、元の状態との違和感が、途方もない苦痛をもたらした。

 

 その他も、切り捨てて、選んで、進んだ。

 地獄の道ではあったが、それでも進んだ。

 止まることだけは、負けることだけは、彼は絶対に選ばない。

 違えぬ誓いを、誓ったからだ。

 他の誰でもない自分に、宣言したからだ。

 

 自分の正しさを証明すると。

 妹のやり方は、誤っていたことを証明すると。

 そのためだけの、三百年余りだったのだ。

 

 

 ※※※※※※※※※※※※

 

 

 ライオスの技は、既に放たれた。

 彼の究極。彼の到達点。

 終局の場面で切った、切りたくもない切り札だ。

 

 不可視、不可避の最強の攻撃。

 防御不能、一撃必殺の大魔法だ。

 凡人の一撃ではあるが、この一撃だけは、怪物を殺し得る。星も、理の破壊者も、理の支配者も、直撃すれば致命傷だ。

 彼の歩みはとても重く、価値あるもの。その全てを込めたこの一撃は、彼の苛烈さと涙と苦悩の重さ『時間』そのものだ。

 ただの天才ごとき、何人集まろうと防げる道理がない。

 

 異空間は、彼らの退路を断った。

 

 どこにも、逃げる場所はない。

 全てを吹き飛ばし、全部をなかったことにする。

 

 彼は叫んでいた。

 誰にも聞こえない己の心の中で、嵐のようにうるさく。

 割りを食うなら、お前達が食え、と。

 俺の目的のために、お前たちが薪になれ、と。

 俺が道を譲るつもりはさらさらない、と。

 

 第五、第四使徒は、力と才能があった。

 真っ直ぐに己を磨き抜き、驕りもなかった。

 そこらの英雄よりも強かったのは、類い稀なる素質を持った奇跡の存在が、その力に胡座をかくことなく、戦いを止めなかったからだ。

 体も技も、突き抜けて凄まじく、どんなことでもできて、許されるだけの価値があった。

 

 だが、彼らには、心が足りなかった。

 

 心の強さに欠けていた、とまでは言わない。

 並外れた力を制御するだけの、強い精神力は持っていた。

 それでも、まだ足りなかったのだ。

 己の目的を、何がなんでも叶えてやるという熱がなかった。

 

 ライオスは、彼らのちょうど真逆だ。

 彼らは生まれながらに強大な力と技を備え、それを御するための心を自然と得た。

 しかし彼は、力も技もなかったが、折れぬ心と獰猛な精神により、第三としての使徒の力を掴み取った。

 

 だから、彼は強かった。

 だから、負けなかった。

 どんな状態だろうと、そこらの小僧共に殺されるつもりは微塵もない。

 

 しかし、読み違えたのは事実であった。

 

 

「「「「!!!!!」」」」

 

 

 四位一体、最高の防御。

 ひとりひとりがそれぞれ全力で防いだとて、この奥義に比べれば、紙一枚の脆弱さだ。

 可能性があるとすれば、四人が互いを己の一部として捉え、各々の特性を完璧に活かす、奇跡的な合体の果てにしかない。

 

 ただでさえ我の強い彼らが、無私の貢献を果たして可能にするのか。

 協力することはあれど、合わさるほどに力を揃えられるのか。

 なまじ力を持った彼らが、命を他人に預けるか。

 たったひとりのためだけに居る彼らが、隣の同志を本当の友と呼べるのか。

 

 さらには、彼らの負った傷や疲労。

 これらを背負いながら、万全の状態をなお上回り、力を引き出さなくてはならない。

 絶好調の状態で、限界を越え、想像可能な想定外を遥かに飛び越えて、それでようやく及第点。

 小指の爪の先ほどの瑕疵すら、許されはしない。

 日々の調子ですら、整えることは難しいというのに、可能なのか。

 

 いくつのハードルがあるのか、計り知れない。

 一つでも誤れば、死に繋がる。

 しかし、それでも、彼らはやってのけた。

 

 

「「「「――――――!!!!」」」」

 

 

 負荷で軋む全身に、さらに鞭打つ。

 しばしすれば、失血死は確実な量の血が流れる。

 魂すらも壊れる寸前の、魔法の酷使。

 発動だけで奇跡。そんなものを継続など、とてもさせられない。

 

 アリオスの剣が、越刻の弾丸を迎え撃つ。

 剣を肉体を爆発的に強化し、硬化させ、剣も体も端から壊れ、両方を作り直すの作業を雷の速度で繰り返す。

 アリシアの魔法が、時間の流れを遅くする。

 今、この場、この瞬間に学んだ時間操作魔法の随意を実践、発展させる。

 リリアの呪いは、万物に届く。

 呪いを物理的な盾にするだけでなく、迫り来る脅威を呪って削る。

 ラッシュは全体を守り、支える。

 敵の魔法から、この異空間から、魔力を吸収し、それらを転用する。全体のエネルギーを均一化し、四位一体を成立させた。

  

 この場限り、刹那の判断の結果だ。

 研ぎ澄まされた才覚が、彼らを覚醒させた上で、実力以上の結果をもたらした。

 そのおかげで、彼らは、この無比なる一撃の前で

 

 

 三秒もの時間を稼いだ。

 

 

 即死を免れたというだけの結果だが、これは自明であった。

 むしろ、一瞬でも防げたことが、驚天動地の成果だ。

 三百年の狂気と努力の結晶が、いかに天才であれ、二十年も生きていない子供四人に、止められる道理はない。

 

 最後の足掻きと、彼らも分かっていた。 

 彼らのあらゆる数値を最高のものとして算出した限界値でも、この攻撃を防ぐにはまるで足りないのだ。

 彼らも、若くとも修羅場を潜り抜けてきた戦士だ。

 予感はあったが、それでも彼らは挑んだ。そして、望外の結果を得たのだ。

 少なくとも、ライオスにとって、彼らが三秒という時間を稼いだことは、間違いなく計算外だ。

 

 そして、異空間をここまで酷使してしまったというのも、同様に計算外だった。

 

 

「!?」

 

 

 様々な偶然が重なった。

 

 この一撃に全てをかけた影響で、不安定な異空間を支えていたライオスの時間操作魔法が途切れたこと。

 激しい戦闘により、空間の歪みが酷くなっていたこと。

 ライオスの一撃が強大すぎたせいで、異空間を揺るがしたこと。

 本来の主である、第四使徒がこの瞬間、ついに討ち取られたこと。

 

 いくつもの偶然により、異空間は壊れる。

 壊れたことは、ライオスの想定外。

 この異空間は、いわば檻だった。

 この世で最も異質な、『神』の力を封じるためのものだった。

 

 致命的な三秒は、『神』の力を行使されるには十分な時間だ。

 この戦闘の中で、アリオスたちは死地に立たされたことで爆発的に成長した。

 そんな彼らを見て、彼らの無二の友が、指をくわえて見ているだけのはずがない。

 

 

「待たせた」

 

 

 引き伸ばされた時間の中で、そんな声が響いた気がした。

 誰も、他人の声なんて聞く余裕がないし、叫び声でもかき消える轟音が鳴っている。それに、わずかな台詞すら待ってくれない破壊が、目前まで来ているのだ。

 こんな状況で声がはっきり聞こえたのなら、幻聴か、それとも、声の主が時を操り、余裕を作り出しているからとしか考えられない。

 

 

「本当に、凄いな、皆。これだけ強くなれるなんて、思わなかった」

 

 

 聞きなれた声に、安堵を覚える。

 刹那すら気の抜けない状況で、彼らは自覚できないレベルで弛緩していた。

 助けに来た友が解放されたことへの喜びからか、超常の体験への畏怖による呆然か、彼らには分からない。

 ただ、理解の範疇を越えたできごとが起きたのだと、認識する。

 

 そして、

 

 

「俺も、仲間に入れてくれ」

 

 

 四位一体が崩されることなく、さらに大きな力が一つ乗算される。

 それは、理の外の力であった。あらゆるものを支配する、絶対の性質だった。

 だから、ライオスは警戒していたのだ。

 単体ならまだ弱くとも、組み合わされば、その成長の幅の予測ができない。

 

 ライオスの予測は、間違ってはいなかった。

 ある程度の予想外も、彼は想定していた。

 読み違えたのは、敵の才気と爆発的な進化という、ライオスのまったくの専門外の部分だった。

 彼は、それ以外で断じて大きなミスは犯さなかった。

 しかし、

 

 

 

 

「クソ……!」

 

 

 

 

 異空間とは違う、青も緑も白もある、現実の星の上の景色。

 重くのしかかる空気はなく、とても澄んでいる。

 異空間から投げ出された場所がどこの田舎かは知らない。

 その場の六人にとって、縁もゆかりもない土地だろう。

 

 

「はー……クソ……」

 

 

 ポツリと、悔しさが滲む声がする。

 弱々しくて、もうどこにも行けない、困った男の嘆きであった。

 勝敗の結果は、とても分かりやすい。

 こうも見せつけられては、認めるしかないようだった。

 

 

「負けたぜ」

 

 

 ライオスは、地に伏していた。

 その敵は、両の足で立っていた。

 もう、この結果は、覆すことができなかった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。