「魂とは、情報を蓄積し続ける非物質の存在であると、わたくしは思っています」
魂という根源をひたすらに叩き潰し、新たに造り直す荒行の末に、理性は残らない。
魂あっての精神で、精神あればこその理性である。土台から造り直した今に、元の形なぞ残るはずがない。
理論上、記憶を同じくするだけの、別の生命体が生まれるだけのこと。船の部品を交換して、それが元の船かを悩めるのは、代えている部品が全部ではないから。
全てを代えたナニカは、別物と呼んで差し支えない。
だが、異変は起こった。
「例えば、世界を創造した『神』のごとき存在が居たとして。世界をより良い、正しい形になるよう管理するために、情報を集め続ける。生物を動かし続けるためのエネルギーを内に込めて、送り出す。才能とは、魂ごとの容量の差ではないでしょうか?」
奇跡は、何故起きるのか。
例えば、起こり得ない事象が、当人の努力ではどうにもならない原因で成立する。例えば、人知を越えたナニカが、埒外の結果を創造する。
他にもケースはあるだろうが、今回はその二つが組み合わさった結果なのかもしれない。
「ただ、才能とは同じ生物、人なら人の領分の、誤差の範囲のことです」
運命を操る存在が居るとするのなら、それは『神』のことだろう。それを司る者が、自分の都合の良い結果を引き寄せることが、できないはずがない。
しかも、その存在は、使徒という極上の餌を食らって強くなっている。権能の力は膨れ上がり、無意識の元ですら、いや、だからこそ、無茶苦茶に力を使うことができた。
「植物には植物、獣には獣、人には人の魂が宿るのです。その生物を生かすだけに適切な魂が。ですが、今回はその『規格』の壁を壊します。人間を辞めるとは、そういう意味です。これまでの成長とは根本から異なります」
奇跡は、必然として起きたのだ。
因果すら捩じ伏せ、理を変え、土台無理な結末を創ってしまった。
内心、冷や汗が流れる感覚がする。
使徒も、四百年近く生きてきたが、ここまで戦慄したことは、そうなかった。
恐怖を覚えた相手など、長い生の中でも二人だけだ。
決して上がれない舞台に、新たに上がった怪物の、産声を聞く。
「どうでしょうか、人を辞めた気分は?」
使徒は当然、『神』を見たことがない。
今感じているものも、予感や予想という、とても曖昧な感覚である。
ただ、その曖昧な感覚が、誤りではないという確信がある。
未知に対する畏怖を、長らく忘れていた。
「不思議な感覚だ。世界の見え方が、違って見える」
目の前には、まさしく『神』が立っていた。
確かに、使徒はクロノの魂を作り替えた。
器自体を拡張し、さらに器自体が自らの重みに耐えられるように改造した。
クロノの進化の果てに、ソレは居ると想定していたものではある。ただ、少し前まで人間だった少年が、ここまで別次元の生物となるとは、想像以上であった。
「人の言葉も忘れるかと思ったよ」
「本来はそうなりますよ。貴方たちが特別なだけです」
いとも容易く、『神』は不可解を積み上げる。
視線の先には『神』だけではない。
いつか、使徒は聞いていた。異なる世界の形而上の神は、自らに仕える天使を創造しているのだと。
彼らは天使として、人間の魂を引き継いだままに、生まれ変わることを許されている。
「アリオス並び他三名。貴方たちは、『天使』となりました。雷を、魔を、呪を、情報を、存在で従える概念の化身となりました。よかったですね」
「『天使』?」
「『神』は、天に座す者だそうです。なら、天を支配する者に仕える貴方たちは、『天使』です」
ここに、『神』ならざれど、それに準じる化物が四人。
会心の手応えを、使徒は感じていた。
興奮を抑えようとして、震える手をもう片方で捕まえる。彼らを見るたび、ひき上がる頬を宥めることに必死であった。
こんなにも己に都合のよい展開が、起こり得て良いのかと。
「人形は、一応保てているようだ……」
「いえ、意識していないと形が崩れますね。各々、司る属性が生命を宿した、というのが我々の現状のようです」
「気分がいいわ。力が溢れるわね」
「小物の悪役みたいなセリフですね」
「は?」
はしゃぐ彼らを、理解する。
沸き上がる力を感じると、嬉しいものだろう。
使徒も、喧嘩や戦闘は嫌いだが、そういうものに快楽を得る者も居ると知っている。
つつがなく、いや、想像を絶する成功を修め、気が緩むのを感じる。
「まあまあ、落ち着いて……。それより、クロノくん? この先、どうする?」
「そうだな……」
使徒は、知っている。
長らく続いた失敗の過程を。
時間は決して、味方になってくれないことを。
だから、使徒の判断は早かった。
なにも恐れることはないのだ。
成功が見えた時にこそ、油断せずにことに当たるべきと心得ている。
「まだ、わたくしの指示に従ってもらいますよ」
「あら、随分余裕そうね? 今、戦力的に有利なのはどちらかしら?」
「まあまあ、一応鍛えてくれた人なんだし、リリア嬢、落ち着いて……」
「あと少しすれば、自由でもわたくしの命でも何でも差し上げます。ですから、五分、待ちなさい」
使徒の鋭い言葉は、叱責にも似た懇願を形とする。
今、使徒が急ぐ理由はない。
これまで、敵に見つからなかったのだ。もしかすれば、五分どころか一日、いや一月だって見つからないかもしれない。
そこに、合理性は宿らない。確かな理論もない。
使徒は、嫌な予感がする、感覚だけに従っている。
「今の貴方たちは、器ができあがっただけです。その中身は現状、空に近い。だから、すぐに中身を注ぎます」
「何を焦っているんだ?」
「嫌な予感がします。こういう上手く行っている時が、一番危険です」
その予感を、クロノたちは知覚できない。
備えていた使徒だけが、背後から足音を立てる不条理の顔を見る。
「だから、貴方たちは……!?」
「残念だったな」
濡れたように艶やかな黒髪と、野獣にも似た獰猛な笑みは、見覚えがある。
忘れていた、とは言わない。
ただ、少なからずの予感はあった。
ソレは、クロノたちと使徒の共通の、規格外な存在の象徴なのだ。
使徒の体は素手によって指し貫かれ、打ち捨てられた。
半透明な中身を溢し、使徒は血を吐く。
そしてようやく、乱入者はその姿を見せる。
「お前が何をするつもりかは知らんが、敵になるなら殺す。それだけだ」
「アイン……」
少女の瞳は、鋭く冷たい。
視線は、クロノたちをも捉えている。
※※※※※※※※※※※
「君たち、いくらなんでも能天気すぎない?」
開口一番のアインの言葉に、クロノたちは息を呑んだ。
責める口調、突き刺さる殺気、理解不能の強さ。鮮烈に印象を叩きつけ、不遜に周囲を睥睨する視線は、刃物のように鋭い。情け容赦のない先ほどの一撃は、まさに彼女の気性を表している。
だが、それに萎縮するのではなく、懐かしさを覚えたのは、彼らがその少女をよく知るからだ。
少女、アインに、彼らは警戒心を抱かない。
師であり、友である彼女を、彼らは少なからず信頼している。
共に戦い、心を許せる仲だからというだけではない。戦闘において、最も合理的な思考を取り、その強さを認められている人物である。
驚きよりも納得が先んじたのは、その行動、および放つ第一声が、凄まじく『らしい』からだ。
何よりも先に、甘んじて受け入れるという選択を、四人全員が優先した。
「コレ、普通に敵でしょ? 狙いに乗ってやるとか、利用してやる、とかなら良いけど、絆されるなら話は違ぇぞ?」
「あ、アイン嬢、別にそんなことは……」
「あ?」
一睨みで、反論も逃げも封じる。
親に叱られる子供は、上手く言い訳ができない。目をそらし、落ち着かない様子で佇むのだ。
導き手として積み上げた信頼と実績が、彼らをそうさせる。
上から、正しい人間が、正しさを語る。
受け入れることを、理解することを優先する。
「それに、随分と面白い身体になったな」
「!」
一番近かったアリオスの腕を、アインは掴む。
アリオスたち『天使』は、もはや肉を持たない。司る属性から成る体は実体がない。にも関わらず、アインは当然のように触れる。
驚きなど、なかった。
強者の象徴は、何を起こしてもおかしくないという認識がある。
「危ういな。ここまで変質した上で自意識が残るなんて、どれだけ奇跡が組み合わさったんだ。まったく、危険な賭けをしたな」
「…………」
「怒ればいいのか、喜べばいいかも分からん。だけど、良く生き残ったよ」
心底、安堵をしているようだ。
アリオスから見ても、アインはいつも通りである。
一見無防備な姿でも、触れれば地面に叩き伏せられる予感がする。
優しさも、怖さも、強さも、厳しさも、全てがない交ぜになっている。アインがどの面を見せるかによって、印象がまったく異なるのだ。
先程は、獣のような殺意の面が強かった。
今、この瞬間は、たおやかさに寄っている。
「師よ、どうやって、ここに? 捕らえられたと思ったが……」
「舐めんな。お前たちに倒せる敵より弱い敵に、ボクが負けるわけないだろ。殺しはしたが、傷で動けなかった。体を癒して、この空間を探しだし、気付かれないように侵入して、奇襲するまでに、なんと半年もかかった」
クロノたちがこの空間で何年過ごしたか、大半は苦痛の中で理性もなかったので、それは分からない。
だが、アインの言葉は筋が通っている気はした。
その強さから、こうなるまでの道が容易に想像できた。
「まあ、何はともあれだ。皆、揃った上に、使徒たちも四人倒した。あと、二人。これまで以上に厳しい戦いになる」
「でも、あたしたちも、強くなったわ」
「ここまで組織の幹部が殺られて、何故教主も第一使徒も動かないと思う? 戦力的に失っていい存在だからだよ」
細めた目と平坦な声は、彼らの慢心を挫き、事実を説くのに最適だった。
凍えるほどに冷たい態度も、彼女の一面だ。
クロノたちはアインの言葉や態度に縛られ、動けない。
アインだけが自由に動き回る。
「君たちは、もっと強くならなくちゃ勝てない。だけど、今回のことは良かったよ。使徒は、君たちのポテンシャルを最大まで引き上げてくれた」
「……途方もない世界ですね。まだ、力が足りないとは」
「上がおかしいだけさ。今はそれより、」
クロノに、手を差しのべる。
そして、
「帰ろう。また、鍛え直してやるから」
「……ああ、そうだな」
クロノは、その手を取ろうとして、
『クソが!!!!!』
誰かの叫びが、耳に届いた。
「!?」
クロノの視界が、突如黒で埋まる。
体と空間の境目がなくなり、落下し続ける感覚に陥る。
突然の変化に叫ぶが、声が出ない。
自分の中の何もかもがなくなった異常の中で、冷静になろうと努める。
現状の把握、直後の記憶、これから起きることへの予想、頭の中で何度も確認する。クロノの感覚で、十秒もしなかっただろう。落下はようやく終わり、水底に辿り着く。
「貴方たちへ、最後のプレゼントです。つまらないとは思いますが、どうか、お楽しみに」
「! 待っ……!」
現れた使徒に、クロノは手を伸ばそうとした。
だが、その手は空を切り、虚無を掴んだ時には、使徒の姿は見えなかった。
クロノは椅子に座らされ、使徒の代わりに、光に満ちた光景を目にする。ずらりと周囲に並んだ椅子にポツンとひとりで座らされ、暗い空間に映像がチカチカと浮かんでいる。
彼が知り得るはずもないが、いわゆる、映画館を模した空間だった。
そこに映し出されるのは、
「!」
クロノは、直感で理解していた。
映像は今、ぼやけているが、それは演出なのだと。この映像はここから始まるから、こうなのだと。
これは、彼女が殺される寸前、しようとしていたことなのだ。
自らの全てを、クロノたちへ分け与える。
空の器を満たすため、己の中の水を差し出す。
いや、残った器すら溶かして、捧げたのだ。
そうすることが最善だと判断したから、即時に実行した。
ここまで分かれば、もう推察できる。
これは、記憶なのだ。
使徒のおよそ四百年にも渡る、記録のすべて。
だから、これは四百年の物語の一番最初。目前の気配と、ぼやける視界が、次第にクリアになっていく過程をクロノは見届ける。
そして、見上げる使徒の視点で、その人物を捉える。
それは、黒が映える美しい少女だった。
白い、陶器のような肌と手足、華奢な体躯は、彼自身の記憶に重なる。
憤怒に支配された表情と、駄々漏れの殺気には、覚えがあった。酷い落胆と、浮かぶ涙は見慣れないが、その少女を違えるはずはない。
「アイン……」
四百年前の記録の、一番最初。
彼らの師であり、友である少女は、そこに確かに居たのである。